コーリンを送り届ける僕達四人の旅は順調に進んでいた。
 街道を通りにくいので、そこからやや外れた野道を歩いてバサラの村を目指す。
 そういった回避ルートにも目を付けていたのであろう、僕たちを狙う傭兵や冒険者達とも何度か遭遇するが大抵は事前に察知して逃げ切るか、相手を戦闘不能にした後に逃げ出すとができた。
 コーリンにしても剣の腕を持ち合わせており、彼女自身が旅慣れていることもあって何の不都合もないまま六日目にはバサラの村へあと一歩のところまでたどり着いていた。
 しかしやはり簡単には事は済まない。
 その日の昼、あと半刻も歩けばバサラの村。この村を境にして北がシルバーン共和国となる。
 すなわち虎公国が表立って活動できない区域となるのだ。そこを間近にした、ちょっとした森の中での事だった。
 唐突に殺気が背後に生じる。
 僕よりも早くそれに気づいたのはメイセンである。
 彼女は手にした斧槍を背後に一閃!
 澄んだ金属音を立てて飛来してきた、幾すじもの刃物が足元の落ち葉の上に乾いた音とともに落ちた。
 「誰だ!」
 コーリンは叫ぶ。誰何に応じたのか人影が二つ、空から降下する。
 襲撃者は絵に描いたような律儀さで僕達の目の前に姿を現した。
 「ほぅ、そこそこの護衛がついているよう…」
 並んだ内の一人がそこまで言って、僕に視線を向けた状態で硬直した。
 「どうしたんだ、ヤマト…って、あああ!!」
 その隣の人物もまた、僕の姿を見出して叫ぶ。
 はて、誰だ? 何処かで会っただろうか??
 二人とも皮製の鎧を身に着け、腰に細身の剣を差した若い軽戦士だった。
 だが背に羽開く一対の白い翼は、彼らが天空を駆ける事のできるファレスという亜人であることを表す。
 一人は黒くやや長い髪の男。背は低い方だろう、胸ベルトに数本の短剣を刺していることから先程飛び道具を使用した奴と思われる。
 もう一人は金色の髪の青年。黒髪の方よりもなんとなく頭が良さそうだ、腰には石弓も提げていた。
 共に上空からの飛び道具を使用するという、種の特性を存分に生かしたかなり手ごわい相手ということになる。
 しかし彼らと僕がこれまで対面が会ったかというと……??
 「誰?」
 つい口にしてしまう。
 「俺達を忘れるなー!」
 黒髪の方が怒りに叫んだ、金髪の方は額を手で押さえている。
 黒髪は続けた。
 「貴様っ、アスカを連れ出すばかりか、彼女をいつのまにか捨てて、そんな何処の馬の骨との知れん女どもを従えおって!」
 「誰が馬の骨だ!」
 「竜の骨ではなくてか?」
 アーパスとメイセン、それぞれの反応。
 アスカの単語が出てきて思い出した。そうだ、彼らはアスカを森に連れ戻そうとして同じく森を出たとかいう…。
 「ヤマトさんとヤヨイさんか」
 黒髪の方がヤマト、金髪の方がヤヨイだったと思う。
 「そう、おうだよ。やっと思い出したか!」
 嬉しそうにヤマト。
 「あれからどうしてたの?」
 「それはもちろん」
 ヤヨイの方がニッコリと微笑み、
 「貴方を亡き者にし、アスカを連れ戻すために追っていたに決まっているでしょう」
 腰の剣を抜く。
 同時、ヤヨイが精霊語を呟くのを確認。これは森の木々に語り掛けるもので。
 「「覚悟っ!!」」
 ヤマト、ヤヨイが文字通り僕達に向かって飛んだ!
 迎撃体制に入る僕達四人。
 前回は眠りの魔法で眠らせて逃げ出したため、ここまでの直接の対戦はないからどのような戦闘スタイルかは分からない。
 見たところ剣を主体として補佐に精霊魔法を操るアスカと同じタイプか。
 こちらは僕とアーパス、それにある程度実力のあるコーリンは前衛職。前衛もこなせ、神聖魔法を操れるメイセンの四人構成だ。滅多なことでは遅れをとるまい。
 彼らを前にして、剣を抜いた僕の手が止まった。
 いや、
 「んな!」
 僕の傍らに生えていた木が変形、枝が僕の腕に絡み付いてきたのだ。
 右腕はすっかり絡まれ、そこを基点に束縛され始める。
 「ちっ!」
 同じく隣ではアーパスが、こちらは足元から伸びた蔦に絡まれて始めていた。
 これは先程のヤヨイが植物の精霊に働きかけた束縛の魔術だ。
 極めて単純だが、それ故に即効性が高く場合によってはこのように致命的な効果を与えることができる。
 「やばっ」
 アーパスの叫び、彼女は焦りつつも同じ精霊語でヤヨイの支配下にある精霊達に干渉を始めている。
 だが決定的に遅い。
 迫りくるヤマトとヤヨイの剣先、それは僕の胸を狙ってそれぞれ突き出される。
 ギギィィン!!
 二つの刃は同じく二つの刃によって跳ね返された。
 「大丈夫、ルーン?」
 僕の前に立つのは左右に剣を構えたコーリンだ。
 「二刀?」
 これまで左の剣しか抜いてこなかったが、今の彼女は右の剣も抜いていた。
 「格下思うて油断したやろ?」
 声は背後。全身に束縛が及ぼうとした枝がするすると後退し始める。
 アーパスの干渉が成功したのではなく、メイセンの「鎮め」の魔法の影響のようだ。
 「むっ」
 「戦力的に不利か?」
 ヤマトとヤヨイは小声で交わす。
 僕達と二人との間に張り詰めた緊張が走る。
 彼らとしても引くわけには行かない、だが四対二は不利。
 では、どうする?
 「俺達が手伝おう」
 緊張を不意に解いたのは唐突に乱入してきた二人の傭兵。
 僕は茂みから飛び出してきた白刃を、腰のイリナーゼを引き抜いて受ける。
 ”重い!”
 とてつもなく重たい力の乗ったその一撃は、まともに受ければ魔刀であっても折れる。
 僕は慌てて押し付けられた力を刀を斜めにかざすことで地面へと押し流した。
 「っ?!」
 同じく隣でも茂みから飛び出てきた襲撃者の短刀の一撃を、ぎりぎりのところでかわしたアーパスがいる。
 僕とアーパスは背後にメイセンとコーリンを感じながら新たな襲撃者と間を取った。
 その二人の姿を見て絶句するのは僕。
 「なんで」
 何でこんなところに?
 「なんでソロンとシリアが?」
 そう。
 僕達の相手側に立つ二人の傭兵はエルシルドでの幼馴染み。ソロンとシリアだったのである。
 「そこそこできるようになったみたいじゃないか、ルーン」
 「しばらく見ないうちに男の子らしくなったわよ」
 二人は町で交わす会話のように、特に緊張もなさげに言った。
 「なんだ、知り合いか、ルーン?」
 「ああ。昔なじみさ」
 問うアーパスに苦笑いしながら、僕は手の魔刀に力をこめた。
 今、彼らは『敵』だ。
 僕は気付いていた。二人とも口調は普通だが、僕達を見る眼には油断も隙もない。
 あるのは打倒の意思のみ。
 「昔馴染みにしては敵意まんまんじゃねぇか」
 僕の様子を見てアーパスも同じく剣を構え直した。
 「説得できないのか?」
 「うーん」
 ソロンとシリアも公家に雇われたクチだろう。一度仕事を引き受けたら守り通すことが信条な根っからの冒険者である彼らにはそれは不可能に思える。
 「ってか、2人とも何もこんなところで稼がなくても」
 「路銀が尽きてなぁ。お前もか、ルーン?」
 「う、うん」
 「旅は何事も、路銀がなくちゃできないもんだ。だから稼ぐ、そのことでこうして敵対することも多々あるもんだ、そして勝っても負けても恨みっこなし。それがルールだ」
 苦笑いの僕達。
 と、おずおずとソロン達に声をかけるファレスの二人。
 「あんたらは…」
 ヤマトとヤヨイは二人のことを覚えていたようだ。
 あの時のアスカのいた村では、魔族の代わりに村を荒らした冒険者ということで捕まったのだから当然かもしれない。
 「私たちの依頼主は貴方たちと同じよ」
 シリアは二人のファレスに振り返ることなく言う。
 「俺はルーンの相手をしよう」
 「じゃ、私はこっちのお嬢さんね」
 隣のシリアはアーパスに目をつける。シリアの手にした短剣には青白い光が灯り、中程度の長さの刀身を形成している。
 魔力剣だ。本来後衛である彼女が前衛の真似事をするというのは、アーパスのスタイルに合わせたのだろう。
 「ルーンよ、どういういきさつか知らねぇが」
 ソロンが僕の前に立つ。アーパスを気遣っている余裕はないようだ。
 「そこの二人の言うことはもっともだぜ、お嬢さん三人に囲まれてるなんて、とんでもねぇ女たらし野郎だ」
 「こらこら」
 思わずツッコむ。どこまで本気なのかどうなのか分からない。
 彼が両手に持つのは無銘の聖剣。獣殺しと彼は名づけている淡い光を放つ大剣だ。
 全身を覆うのは使い込まれた金属鎧。典型的な重戦士である。
 彼のようなタイプに勝つためには、僕のような軽戦士はとにかく的確に攻撃を当てていくこと。
 「メイセン、コーリン! ファレスの二人は頼むぞ」
 「はいな」
 「おっけー」
 放つ言葉に案外軽い返答。
 コーリンがヤマトとヤヨイの一撃を止めたのは偶然ではない。
 かなりの腕前なのだと思う。そこにメイセンの援護が入ればファレスの二人は問題ないだろう。
 そしてアーパスとシリア。
 こちらは読めない。
 アーパスは精霊魔法を扱えるが、どちらかというと僕と同じ繰気術を主体にした剣術メイン。
 対するシリアは呪語魔法のエキスパート。
 魔術師である彼女に対して、懐に入ればアーパスの勝ちという訳にはならない。
 シリアは剣もかなりの腕前である。先程の魔力剣の一撃でアーパスもそれには気付いているだろう。
 現に今、剣術の方でアーパスに向き合っているシリアは魔術師の時の戦闘スタイルと比較すると格段に強い。
 いつもはソロンと役割分担をしているからこその魔術師だが、その本性は近接系なことを僕は知っている。
 展開が読めない戦いだ。アーパスの健闘を祈るしかない。
 そして僕とソロン。
 僕よりも先に世界に踊りだし、様々な経験を積んできた文字通りの冒険者。
 「負けたくない」
 思いが自然と呟かれる。
 それにソロンはニヤリと微笑んだ。
 「来い、ルーン!」
 僕は頷き、魔剣イリナーゼに己の気を纏わせて剣を構える。
 強く踏み込んで振り抜いた遠慮一切なしの一撃が、ソロンの胸を襲った。
 「良い踏み込みだ」
 彼は手にした幅広のその剣を、まるで盾のようにして傾き加減に僕の一撃を受け止め、力のベクトルを全て上へと逃した。
 一方、剣を振り上げた形になる僕。
 がら空きになる僕の懐に、彼の回し蹴りが決まり僕は背後に立った木に横っ飛び、叩きつけられた!
 もっともダメージは僕自身が後ろに飛ぶことにより大半は逃している。
 が、ソロンの力はとんでもない。切れた唇の端から流れる赤い雫を舌でなめ取り、僕はイリナーゼを構えなおした。
 「行くぞ、ソロン!」
 僕の叫び。
 それを合図に全ての戦闘が開始された。


<Camera>
 アーパスは内心舌打ちした。
 目の前の女魔術師は思った以上にやる。
 彼女の攻撃を苦もなくかわしながら、確実に魔法を成立させて仕掛けてくる。
 その魔法の種類も豊富だ。炎と氷に始まり、電撃、植物の誘導から精神減衰にまで至る。
 ともかく攻撃のパターンが多かった。
 それを気のこめた剣で弾き、または精霊に干渉することで防いではいるが、このままではアーパス側の回避パターンがばれてしまう。
 そうなった時、決定的な一撃を繰り出す隙のない現在で負けるのはアーパスであった。
 対してアーパスの攻撃は女魔術師に当たりはするものの、全てかすり傷程度のものだ。
 その理由は魔術師は周囲に小皿程度の不可視の盾を数十枚張り巡らせていることにある。
 加えて魔術師らしからぬ素早い体術。実践に基づいているものと思われる無駄のない動きだ。
 ”何とか懐に”
 剣を握りなおし、彼女は女魔術師に対して半身で構える。
 懐に入ったとしても、魔術師の手にする短剣から伸びる魔力刀はアーパスの一撃を受け切れはしないものの、受け流すことはできる強力な刃を有している。
 始めのうちはルーンの知り合いということで気絶させるに止めようとも考えていたが、そんな甘い相手でないことが、むしろその逆がありうる相手であることをアーパスは痛いほど感じていた。


 ソロンは自然と笑みが零れてくるのを押さえきれなかった。
 目の前の知己はかつて知っていたよりも数倍、いや数十倍も強くなっている。
 強い者と戦うこと、それが身内であろうと楽しみを覚えてしまう自分は根っからの戦士であるのだなと思わず実感してしまう。
 どのようにして攻めるか、回避するか、魔術を発動してくるのか、それとも剣技をくりだしてくるのか?
 大抵は向き合っただけで予測されるのだが、目の前の相手はそれを読ませない。
 とは言え、まだまだ自分には及ばないだろうとも思う。
 何処で齧ったのか分からないが、操気術を心得たようだがその程度では自分には勝てない。
 戦いにおいて個人の持ちうる能力というのは、実は最も重要な要素とは限らない。
 勝利へと繋げるために大切なのは、戦いに関する経験のみであるとソロンは考えている。
 だから彼らが明らかに格上とされる自分達に剣を向けてきた時点で、彼らは負けなのだ。
 ここは『逃げる』判断をすべきだった。依頼という最終的な目的がある冒険者にとって、逃げるという行為は負けではなく手段の一つに過ぎない。
 ”それとも、本気で俺達に勝つ自信があるのかな?”
 ソロンは慢心を捨てる、だからこそ笑みが浮かぶのだ。


 シリアは雷撃の魔術を左手に握る小杖からくりだし、敵女剣士の攻撃を封じた。
 だが敵もさることながら、雷撃をかわすその返し手で中段の突きを入れてくる。
 ローブの端を僅かに切り裂かれながら、シリアはつめられた距離を再び広げた。
 ”なかなかやるじゃない、この娘”
 内心舌打ち。
 目の前の女剣士は見た目の華奢さとは裏腹な、豪快でいて強い剣を踏み込んでくる。
 また東方の侍の間で伝承される操気術と精霊魔術を併用し、シリアの動きを先回りしようとしていた。
 シリアは戦いとは詰め将棋のようなものと思っている。
 すなわち『これをこうしたら、相手はこう動くしかない。そう動いたらここで止めを刺す』といった、イレギュラーがない限りは決まった流れしかないものだと考えている。
 だからこそ、行動の選択肢を多く持った者こそが勝利すると思う。シリアが同じ攻撃パターンを取らないのはこちらの動きを悟られないためだ。
 そしてこの考えは、恐らく相手の行動理念でもあるのだろうとシリアは感じていた。
 同じ考えを持つ者同士の戦いほど恐ろしいものはない。
 シリアはかつてカーリと対峙した時と同じ緊張感を持って相手に挑む。


 ルーンは長年の勘違いをしていたことを知った。
 目の前の重戦士は多少の攻撃を受けながらも、豪快な大振りで相手に決定打を与える攻撃方法しか取れないものだと思っていたのだ。
 それは大きな間違いだった、当然だ。
 それしかできない者ならばこれまで生き残ってこれるはずがない。
 様々な戦闘パターンを持っているからこそ、柔軟に相手に対応し打ち破ってくることができたのだ。
 敵戦士の攻防は一体だった。
 すなわち幅広の剣を時には縦に立てて盾とし、時には水平に突き出して槍とする。
 大剣の舞うような必要最低限な動きは、まるで円を描くような軌跡を取る。
 そこには一点のタイムラグもなく、ルーンは無駄な攻撃を繰り出すだけだった。
 ”分かってはいたけれど、とてつもなく強いっ”
 まるで巨大な岩に対峙している感覚に囚われる。
 ルーンはただ無駄な攻撃を出し続け、体力を消耗するだけだ。
 しかし手を止めたら相手の大技を食らってしまう。
 だから彼は追い込まれたネズミのように攻撃を続ける、その一撃一撃が敗北へのカウントダウンのように聞こえながら。
 ”現状を打破しないと”
 彼は重戦士の大剣に刀を阻まれる、その瞬間に練りつづけていた気を一気に剣身に放出!
 瞬時に青白い炎がイリナーゼにまとわりついた。
 「光波斬!」
 カッ!
 至近距離の衝撃波が重戦士を襲う。


 隣で眩しい光が発せられた。
 それに女魔術師の注意が逸れる、それを見逃すアーパスではなかった。
 「っ!」
 魔術師が気付いたときにはすでに遅い。女剣士は彼女の懐に入り込み、剣先をその右胸に!
 「え?」
 アーパスは鼻白む。魔術師の姿が彼女の前から消えたのだ。
 「魔術か!?」
 否。
 「まだまだ経験が足りないわね、貴女」
 冷たい声は女剣士の耳元に。
 魔術師はその体術で体をひねり、剣士の死角に潜り込んだだけだ。姿が消えたわけでもなんでもない。
 格闘術における高度な歩法の一つだ。
 ”わざと隙を作りやがったか”
 剣士が身構えるには距離も近く遅すぎた。
 魔術師の魔力刀が剣士を切り裂く。
 剣士は横に飛んで逃れる、が。
 「くぅ!」
 右脇腹に焼けた鉄棒を押し付けられるような灼熱感を受けながらアーパスは落ち葉の積もる地面を二転三転し起き上がった。
 痛みに左膝を付く。
 来るであろう魔法攻撃に剣士は備える、がしかし来ない。
 アーパスは訝しげに目の前の女魔術師を見上げる。


 至近から襲い来る衝撃波をソロンは剣に力を込めることで相殺した。
 操気を心得ているのはルーンだけでない。
 ソロンは光の収まった後、呆然としている剣士を見るはずだった。
 「?!」
 しかし目の前には彼の姿はない!
 がさっ
 草木の踏まれる音。
 「右かっ!」
 「上だっ!」
 剣士の大上段からの一撃がソロンの頭上へ振り下ろされる!
 ソロンは後ろへ飛んだ、やや遅い。
 ぎしぃ
 金属をこする嫌な音を立てて、剣士の刀は剣士のいた場所の土をえぐった。
 ソロンは背中に木を押し当てて大剣を構え直す。
 身に付けた白銀製の全身鎧には真中から一直線に薄い線が入っていた。
 「やるじゃねぇか、決め技を捨て技にするとはな」
 「まさか」
 剣士はにっこり微笑んで反論。
 「ソロンはあんな一撃じゃ倒せないと思ったから、追い討ちかけただけさ」
 返す剣士の息はやや荒い。
 「じゃ、今度はこちらから攻めるぜ」
 ソロンは獰猛な笑みで応え、大剣を握り直した。


 シリアは女剣士を見下ろした。
 手応えからして大した傷は負わせていないはずだ。本来ならば魔法で追撃をかけるところだが、今は聞きたいことがあった。それは、
 「貴女、どうしてルーンと一緒にいるの?」
 「??」
 弟分であるルーンと行動を共にしている理由である。
 今、ファレスと渡り合っている神官の方はルーンの恋愛対象ではないだろう。クレオソートと系統が似すぎているし。
 コーリンに至っては依頼人だ。
 となると、アスカと別れてまでどうしてこの男言葉を使う女剣士と一緒にいるのかがシリアには分からないところだった。
 確かにこの女剣士は美人だった。美人は美人でも並なそれではない。
 最低限の化粧やらをすればかなりの上位ランクに至るだろう。悔しいがシリア自身よりも上だと思う。
 しかしルーンがあまり外見にこだわるほうではないのも知っている。
 では?
 「俺がルーンと共にいる理由、だと?」
 女剣士は困った顔で呟いた。
 「まぁ、ちょっとした仕事でな」
 言葉を濁す剣士。
 「じゃ、ルーンを恋愛対象として見ているわけではないということね」
 「はぃ?」
 明らかにうろたえた様子の剣士。
 「違うのかしら?」
 「え、えと……違ぅ」
 「なんだ、そうなの。てっきりアスカと貴女と三角関係になって、あの子が貴女を選んだのかと思ったわ」
 「……」
 顔を真っ赤にして立ち上がる女剣士。傷は精霊魔術によって今の会話中に癒したようだ。
 その剣士の表情を見て、魔術師は首をかしげた。
 「あら? 今の仮定はあながち嘘じゃなかったの??」
 「そんな訳ないだろう。大体、アンタはルーンのなんなんだ?」
 「私はシリア。マークリー、ルーンの姉貴分よ。だからあの子がどんな娘を選ぶのか,選んだ娘が果たして良いのか、それを判断しなきゃ行けないと思うのよねぇ」
 おばさんっぽく溜息一つ。シリアは続ける。
 「貴女はもぅ少し汚れた方が良いわ、太刀筋にしても純粋すぎるの。やっぱり女には黒い面も重要なのよ」
 「別に俺はルーンのそんなんじゃないんだが」
 「女としてのアドバイスよ。あと口調をもう少し女っぽくっすればモテモテよ?」
 「…はぁ?」
 「取りあえず口調は手近なルーンで試してみれば? 貴女って綺麗だし、あの子好みだからすぐにメロメロよ」
 女剣士は不意に黙り込み、そして一段と顔を赤くする。何を想像したのだろう?
 「そんなことは、そんなことはルーンが決めることだろう? 俺やアンタがあれこれ言うことじゃない!」
 剣を構えて女剣士は言う。
 魔術師は小さく笑って、再び戦闘態勢に入った。
 「そんなところが純粋なのよ、貴女は。ま、多分そこもルーンの好みなんでしょうけどね」
 戦いは再開される。


 コーリンは襲い来る二人の翼を持つ亜人に身構える。
 自分の後ろには斧槍を持った少女が一人。
 彼女を守ることこそ、男冥利に尽きるというものだ。
 ファレス二人の時間差を利用した連続の突きがコーリンを襲う。
 彼女は両手に持ったそれぞれの剣で、二人の亜人の攻撃を的確に弾いていく。
 彼女にとってそれは楽勝だった。
 今まで彼女の相手をしていた親友であるライナーは、これ以上の剣技を有していた。
 彼の相手をしていた彼女にとって、こんな雑魚の相手は楽なものだ。
 ふとライナーを思い出す。
 彼はきっと城から脱出できなかっただろうと思う。いくら彼自身が強くとも、彼よりも強い者はこの虎公国には結構いる。
 だから、この婚姻を阻止するためには何としてもコーリン自身が逃げ切らねばならない。
 コーリンはライナーが嫌いではない。むしろ好きだ。
 好きといっても友達としての好きである。異性としては彼を含めて一切好意を抱いたことはない。
 逆に双子の姉であるフィリプを可哀想に思ったくらいだ。彼はライナーが大好きだった。
 この時ほど、自分とフィリプの心が入れ替わってくれていればと思ったことはない。
 結局フィリプはライナーを思い、彼の想い人である熊公国で立ち上がった新女王ティターナとの接点を作ろうと自分を逃がす応援をしてくれている。
 そんな姉、いや兄の想いを思うと自分はこんなところで捕まるわけには行かないのだ。
 「そーれっ!」
 「「?!」」
 コーリンはファレス達の太刀筋を見切り、二本の剣で二人の剣を引き寄せ、そして回転させる。
 二人のファレスは手首の回転に付いて行けずに思わず剣を手放した。
 コーリンは勝利を確信。
 途端、コーリンに思わぬ一瞬の隙が生じた。
 それが剣を知るだけの者と、冒険者との違いだ。
 髪の黒い方の翼人が胸ベルトから短剣を数本引き抜き、コーリンに向かって至近投擲。
 髪の金色の方はこれもまた至近から精霊魔法による真空波を放出。
 「くっ」
 コーリンのローブを短剣と真空の刃が、内から噴き出す赤い飛沫と共に次々と彼女の生命力を奪って行く。
 機動性を重視したために鎧を身に着けていない欠点がにコーリンを悪い方へと傾けていく。
 「なかなか厄介な相手かもしれまへんなぁ」
 状況とは逆の雰囲気の、のんびりした言葉は彼女の後ろから。
 メイセンだ。
 彼女は手にした斧槍を軽く横に振るうと、コーリンの傷はあっさりと塞がれた。
 メイセンの神聖魔術である癒しの効果である。
 「すごい」
 コーリンは素直に感心。彼女がこれまで会ったことのある神官は全てが説教しかできない口だけの存在だったのもある。
 一応は癒しの力を持つ者は見たことはあるが、何時間も怪我人の前で祈り続けて少し傷が軽くなる程度のものだった。
 だからこそ、コーリンは無神論者だ。信じるものは己だけという強い信念の持ち主でもある。
 しかしここまであっさりと強力な癒しの効果を見せつけられると、神の存在も信じても良いかなぁなんて思ったりした。
 ”そんなこと考えてる場合じゃないな”
 己に苦笑。コーリンは身をひるがえし、精霊魔術を放ち終えたばかりの金髪の翼人の懐に入り込む。
 「しまっ!」
 あまりの速さに驚きの表情を浮かべた彼の鳩尾に剣の塚を叩き…
 翼人はコーリンと同じ速度を以って上空へ逃れる。
 塚の一撃が空を切り、彼女は振り抜いた右手の剣をそのまま反転。
 牙を剥いた剣の刃が逃れ行く金髪の翼人との距離を途端、縮めて彼の胸に浅い傷を裂いて行く。
 「「ちっ!」」
 彼と彼女のお互いの舌打ちが重なった。
 「俺を忘れるなよっ!」
 金髪の方に気を取られていたコーリンの左手側から、黒髪の翼人が落とした剣を拾ってコーリンに迫っていた。
 双剣使いである彼女の左手は反射的に黒い翼人の剣をはじき返す。
 見かけによらぬ剛力に黒い翼人もまた、態勢を立て直すために上空へ。
 コーリンは間合い外の二人を見上げつつ、メイセンを守るように後ろへと下がる。


 ルーンは乾いた唇を舐めた。
 目の前の重戦士がまさか操気の心得まで身に付けているとは思いもしなかったが、彼の普段の行動からして知っていてもおかしくないとは思う。
 同時、ルーンの操気術以上の技術を持っているに違いないとも確信していた。
 ”僕の何倍も強いなぁ”
 だが勝つ負けるという感情にはなぜか捕らわれない。
 本来ならばすぐにでも逃げ出すべきだ。ここで勝っても負けても得られるものは少なく、失うものが大きい。
 が、今の彼の心の中には逃げ出せない何かがあった。
 ”今、僕がどれくらいの力を持っているのかを試したい”
 ルーンは魔剣を中段に構えた。彼の感情の昂ぶりを知り、魔剣の刀身が仄かに淡く赤く輝き出す。
 ”存分に。ルーン”
 心へ直に力強いイリナーゼの声が響いた。
 「行くぜ、ルーン!」
 「応っ!!」
 ソロンと、心の中の魔族にルーンは応え、一直線に迫り来る戦士に対して真正面からぶつかった!


 アーパスは余裕を感じなかった。
 こんな戦いはどれくらい振りだろう?
 かつて魔将軍ミレイア・グラッセと戦った時にも感じることができなかった、戦いへの高揚感。
 自分の持つこれまで培ってきた全ての能力を発揮してなお、越えることのできるかどうか分からない相手と認識した。
 少しでも隙を見せれば、確実にこちらの命を刈り取ってくる。
 死んだら終わりという当たり前の事実が脳に染み渡る。
 ”いや、違うか”
 アーパスは目の前の魔術師へ、風の精霊魔術を放ちながら思考を否定。
 今この時、肉体的にも精神的にもそして能力的にも相手に切迫している。
 これは初めて人魚の集落から飛び出て外の世界に出たときの感覚とそっくりだ。
 忘れてはいけない、しかし忘れやすい『今、この時』を知る感覚。
 流れ行く時間そのものを肌で感じ、今を今として認識すること。
 特殊な状況下ではその感覚は続くものだが、状況に慣れてしまうと鈍化するものだ。
 今のアーパスは特殊な状況にある。
 魔術師は敵であり、アーパスの愛する人の姉代わりであったことのある者でもあり、アーパスを問う者である。
 この戦いの中で、彼女は心の中にしまっていた色々なことに結論を出さなくてはならない。
 それらは他者には些細なことだが、アーパスにとっては重大な問題。
 今までその問題に無意識のうちに自ら目を逸らしていた。だがその事をこの魔術師は気付かせてくれた。
 それ故に目の前にいる女魔術師と戦わずしてルーンとともに最後の戦いに臨んでいたとしたら、おそらく勝てないと思う。
 この戦いのお陰で命のやり取りをも再認識したアーパスには、まだ見ぬ最後の戦いへの決心を揺るぎ無くすることができた。
 ”もっとも、これに勝って生き延びることができたらの話だがな”
 襲い来る呪力の洪水にアーパスは気力のこもった剣の一閃で迎え撃ち、これまで以上に戦いに没頭する。
 「俺は負けない、シリア・マークリー!」


 ヤマトとヤヨイは攻めあぐねていた。
 相手は女と高をくくっていたことを後悔する。
 よもや逃亡者であるコーリン・モールドがこれほどの剣の使い手とは思いもしなかった。
 それも彼女を生きて連れ帰らなくてはならない。殺しては決していけないのだ。
 手加減できる相手ではなかった。だがそれでも彼女だけならばまだ良い。
 その後ろに控える、どこの神に仕えているのかも分からない神官の少女の援護が強烈だった。
 その技はコーリン自身が気付いていないくらいの絶妙なものだ。
 双剣の少女にしばしば見受けられる隙を狙う二人に対して、気弾を放ち手にした斧槍を振るい不可視の盾で剣士を護る。
 試しに神官の方から片付けようとも思ったが、コーリンがそうさせなかった。
 「まいったな、ヤヨイ」
 上空に滞空しながら、黒髪の翼人ヤマトは隣の相棒に策を乞う。
 「攻めようがない」
 「そうでもない」
 ヤヨイはニヤリと笑みを浮かべる。視線の先は双剣の少女と神官ではなかった。
 白い鎧の重戦士と、アスカを連れ去った人間の剣士の二人の方である。
 そこでは激しい剣の応酬が繰り広げていた。
 ヤマトもちらりとそちらに目を向け、そして白い鎧の男から発せられた技に気付く。
 「「今だ!」」
 二人は同時に上空から挟み込むようにして地上のメイセンに襲い掛かった。
 コーリンがその間に入ることでヤヨイの動きが止まるが、ヤマトの一撃がメイセンに迫る。
 「当たらへんで」
 コーリンやヤヨイから見て左手に大きく跳躍するメイセン。
 その着地位置はルーンとソロンの戦場から十リール圏内に入っていた。
 着地と同時、ソロンの技がルーンに向かって発動したのだった。


 「ルーン、お前の知る操気術は基本的なものだ」
 重いソロンの大剣を、かかる力の方向を変えることで受け流す。
 それでも細身の魔剣がギシィと嫌な音を立てた。
 ただの剣圧ではない?
 「そうだ、操気とは己の気力をエネルギーに変える法。考え次第でこうして剣の攻撃力を増すこともできれば」
 告げるソロンの脇腹に隙ができた!
 僕は空いた左足で鋭い蹴りを入れる、が。
 ぎし
 まるで鉄骨を蹴り上げたような感触と、痛みが僕の足に走る。
 「防御力を上げることができる」
 ニヤリと笑ってソロン。
 くそっ、この状況下で敢えて隙を作って見せつけてくれるとは。
 「ルーン、頭を柔らかくしろ。操気に限ったことじゃない、全てはつながっているし、基本さえ知っていればあとはお前の思いつくままに応用できるものだ」
 大剣を空振りしたソロンはそれを片手で持ち替えて、右手のストレートを僕に打ち込んでくる。
 ”自由な発想、か”
 僕は迫り来るソロンの拳を目の前に、体の奥から湧き上がる気力を左足の先に溜めるイメージを。
 「はっ!」
 上体を後ろへ。僕は後ろへ倒れる格好で、左足を跳ね上げるようにソロンの伸びきった右の二の腕に蹴りを入れる。
 ぐしゃ
 砕く音が耳に。確実な感触が左足に。
 「む」
 一歩引くソロン。彼の右腕はおかしな方向に向いている。僕が折ったのだ。
 「そうだルーン。それが操気の本当の使い方だ」
 満足そうに笑う。そして大剣を左手一本に持ち替える。
 「丁度これでハンデになるな、俺の技を見ておけ、ルーン。そして俺を越えていけ!」
 異様な熱量をソロンから感じて、僕は慌てて気力を体全体に巡らせて保護膜のように防御する。
 「操気術は放つ者の意思そのもの、想いこそ力だ。癒せもすれば傷つけもする」
 大きく大剣を振りかぶるソロン。
 「これは生きとし生ける者全ての命を削る術」
 白く眩しく刀身が輝いた。それはソロンの純粋な気力そのもの。
 そこに彼の一つの意思が宿るのを知った。
 殺意、だ。
 「剛雷殺風刃!!」
 ソロンを起点に僕に向かって突き出された大剣から紫電が走った!
 僕は襲い来る衝撃に耐える。紫電は全方位から僕を包み込んで、気の膜をこじ開けんとする。
 その中で視線をあたりに向けた。
 そこは木も草も、土の中のミミズにすらソロンの殺意が襲っている。
 その全てが紫電を体にまとわりつかせて命を削り続けるようなダメージを負い続けていた。
 広範囲を覆い尽くす呪語魔法にも滅多に見られない、殲滅系の技だ。
 やがてチリリと僕の首筋が痛む。
 紫電が僕の防御を超えようとしている。
 技の持続時間が思った以上に長い。僕はソロンの技の解除を試みる。
 殺意を打ち消す意思は?
 まっすぐに向かってきた殺意や意思を、僕はどうすべきか?
 どうすれば理解できるのか?
 僕は気力に意思を込めて、張り巡らせた気の膜を解除した。
 襲い来る紫電の群れ。
 「来い!」
 向けられた意思を一度受け止める。相手がいない意思は暴走するだけだ。
 紫電は僕が振り上げた魔剣の刀身に引き寄せられるようにして殺到。
 強い破壊の意思は僕に向かい、そして。
 「方向を示す!」
 イリナーゼを地面に突き立てた。
 紫電の破壊の意思はそのまま剣から、足元の大地へ。土の中へ解けこむようにして全てが消え去った。
 僕は粗い息を一つ吐いてソロンに振り返る。
 「受諾の心。操気のやり方が少し分かったみたいだな」
 「お蔭様でね」
 満足げに微笑むソロンの表情が、次の瞬間何故か固まった。
 「?」
 彼は僕の後ろを見ている。
 僕は疑問に思い、後ろを振り返る。
 そこには。


 「ひゃ!」
 空気を切るようなメイセンの悲鳴にコーリンは慌てて振り返る。
 「?!」
 そこは紫電の世界だった。
 敵意の意思を宿らせた紫電に満ちた世界が、一歩踏み出したところに広がっている。
 そしてそこに、全身に紫電を駆け巡らせた神官の少女の姿があるではないか。
 「メイセンさん!」
 途端、背後で殺気。
 振り返ることなく、コーリンは両手の剣で殺意を迎える。
 「これを」
 「かわすとは」
 再び上空へと逃れる翼人の二人。
 「これは貴方達の?!」
 彼らの技ではない。隣で戦っていたルーンとソロンの技の圏内にメイセンが踏み込んでしまったのだ。
 「くそっ」
 コーリンは舌打ち。なぜか動揺している上空の翼人を警戒しつつも再びメイセンを見る、と。
 彼女はその動きを止めた。
 格好の隙にも関わらず、上空の翼人達が襲ってくる気配もない。
 翼人達はすでに『彼女』の姿を見て逃走を始めていたからだ。
 唖然とするコーリンの目の前にあるもの。
 紫電の中でメイセン『だったもの』はギラついた目を鈍く光らせて長い鎌首をもたげた。
 それは青い龍だ。
 人に非ざる、人より賢き者達。
 人より強く、人より長く生き、万物の長たる血族。
 それが龍族だ。
 コーリンの目の前でメイセンだった青龍は、紫電に押さえつけられながらもその元凶へと足を踏み出した。
 しかし唐突に空間に充満した紫電は何かに吸い込まれるようにして消え去る。
 「ゴァァ!」
 青龍は枷を外されたように大きくその翼を広げた。
 首をもたげ、紫電の元凶たる白い戦士とルーンの方を睨み、大きく口を広げたかと思うと青白い炎を吐いた。
 青い炎は赤い炎以上の温度を持つ。鉄をも溶かし得る高温だ。
 視線の先、ソロンとルーンはなんとか直撃は免れたようだが、あちこちが焦げたり燃えたりしている。
 運良くか、青龍は目標を見失ったようで、我を失ったように暴れて辺り一面に炎を撒き散らす。
 まるで出来の悪い怪獣映画のようだ。
 コーリンはただ呆然と事の成り行きを見守るしかなかった。


<Rune>
 全てが曖昧だった。
 ヤマトとヤヨイのファレス二人組はさっさと逃走し、かつ。
 「また会おう、ルーン」
 「その娘、大事にしなよ、ルーン」
 ソロンとシリアは額に汗を浮かべつつ、僕とアーパスに微笑みかけると森の中へと足早に消え去った。
 素早い去り様だ。見事なくらいに。
 今まで激闘を演じていた隣のアーパスはあまりの呆気ない幕引きに呆然としている。
 僕は後ろを振り返る。
 そこにはソロンの剛雷殺風刃の範囲内に運悪くいたメイセンが暴れている。
 本性である龍の姿で、だ。
 ソロンの殺意に反応したのか同調したのか、我を忘れている見事な暴れっぷりである。
 「ちょ、これ一体どういうこと?!」
 混乱するコーリン。
 「どうする、アーパス?」
 「俺に聞くなよ」
 「そうだなぁ」
 放っておくと、辺り一面燃え盛って火事になってしまいかねない。
 僕は考え、そして魔剣を掴む。
 「気絶させるか」
 「どうやって? 光波斬くらいじゃあの鱗は通りそうもないし、何より避けられろうだが」
 「ソロンの得意技を使ってみるよ」
 僕は魔剣を下段に構えた。刀身に気力を集中。
 そして息を殺し、暴れる龍の額に忍び寄るような感覚でメイセンの額を見つめた。
 額に刃で触れるその感覚を想像して一気に殺気を放出する!
 「虚空閃!」
 空を切った僕の魔剣はしかし、その刀身のみ空間を転移してメイセンの額を打ち付けた。
 ゴンだかガンだか分からない鈍い音を立ててメイセンの動きは停止し、そして。
 ズズン……
 暴龍はその場に倒れ伏したのだった。


 「ありがとう。ここまでくればもう、追って来られても捕まらないよ」
 バサラの村の村長宅。
 僕は目を回して人型に戻ったメイセンを担いでソファに彼女を寝かしつける。
 明日の昼には首都レイバンで結婚式が執り行われる予定だ。
 村長が伝え聞いた話によれば、相手のライナー第二王子も騎士達を一個師団ほど再起不能にしたのち逃亡に成功。
 どうもこちらも行方を眩ませ続けているらしい。
 たとえここでコーリンが捕まって、転移魔法でレイバンの王城へ連れ去られたとしてもほぼ結婚式は中止だろう。完全とは言い切れないが一安心である。
 「それでコーリンはこれからどうするんだ?」
 アーパスの問いにコーリンは「そうだなー」と気軽そうに考えながらこう答えた。
 「世界の色んなところを見てこようと思う。僕の知らないものはこの世界には多すぎるけれど、一つ一つ理解していこうと思うんだ。今回のメイセンさんにしても……」
 コーリンはゆったりとした寝息を立てる龍族のメイセンを見つめる。
 「実際に目にしないと分からないこともある。僕は神様なんか信じてなかったけどメイセンさんを見てたら、いてもおかしくないんじゃないかって思っちゃったくらいだし」
 「百聞は一見にしかず、かな」
 「そうそう、それそれ」
 僕の言葉に彼女は嬉しそうに笑って肯定した。
 その笑顔も、考え方も、僕がエルシルドを飛び出した頃に似ているような気がする。
 「姫さま、準備が整いました」
 そう声がかけられたのはしばらくしてからだった。
 このバサラの村の村長だ。彼は手荷物をコーリンに手渡して家の裏口にいざなう。
 「じゃ、またどこか出会えたらいいね」
 「元気でな」
 手を振るアーパス。
 「がんばってね、コーリン」
 僕もコーリンに手を振る。彼女もまた嬉しそうに微笑んで手を振り、そして裏口から新たな旅路へと旅立っていった。
 「ふにゃ?」
 入れ替わるように後ろから寝ぼけた声。
 「ここは、どこやねん?」
 目ぼけ眼のメイセンだ。
 「なんか微妙に頭が痛いんやけど」
 「さ、終わった終わった」
 「飯にしようぜ、メイセン」
 「へ、へ??」
 思い出させないように僕とアーパスは左右からメイセンの肩に手を回して村長宅を後にする。
 ちらほらと、今年初めての白い妖精が舞い落ちるのを頬に感じながら。
 今日くらいは美味しいものを食べても罰は当たらないと思う。


<Camera>
 ソロンは大きな木の幹に背を預けて腰を下ろしていた。
 その右隣にはシリアが彼の腕を抱くように足を揃えて座っている。
 「またきれいに折られたわねぇ。はい、これで完治」
 「ありがとよ」
 ソロンは軽く右腕を振る。先ほどルーンに折られた形跡がほとんど見当たらなかった。
 シリアの癒しの魔法による効果だろう。
 「でも強くなってたわね、ルーン」
 「そりゃそうだ。もともと素質はあるんだよ、あいつには」
 「嬉しそうねぇ」
 「シリアは嬉しくないのか?」
 ソロンの問いにシリアは難しい顔をする。
 「なんかちょっと、ね。遠くに行っちゃうみたいで」
 「子供を思う母親みたいだな」
 「否定はしないわ」
 お互い苦笑。
 「シリアの方も色々試してたみたいじゃないか。どうだった、あのお嬢ちゃんは?」
 ソロンの言葉にシリアは意地悪く微笑む。
 「アスカに強力なライバル出現、かもよ」
 「ほぅ、詳しく聞かせてくれよ」
 「女の子同士の秘密をアンタに教えるわけないでしょーが」
 あかんべーをしてシリア。
 その鼻の頭に雪が一粒降り落ちた。
 「さて、ライナーの依頼も終わったことだし、アルバートの依頼の方に行くとするか」
 ソロンは立ち上がってシリアの手を取る。
 「でもさ、ライナーの依頼の前半はしっかりやったけど後半は邪魔してたんじゃないのかしら?」
 ソロンの手を引いて立ち上がるシリア。
 「いや、そうでもないぞ。あの龍を目覚めさせたおかげで、バサラで張ってたダース単位の冒険者や傭兵どもは顔色変えて逃げ出したじゃねぇか」
 「結果論じゃないの、それ」
 「終わり良ければ全て善し、だろ?」
 ソロンの言葉にシリアは憮然と、
 「アナタのそういうところ……嫌いで好きよ」
 「どっちだよ」
 二人は並んで歩を進める。
 目指す先は遥か北、永遠に続くとされる氷原の遥か向こうだった。

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