継ぐ者と奪う者


第1章 リクスとファーナ


 時の精霊アーソルナーは全てのものへ平等に時を与える。
 時は続く続く。果てることなく。
 広大な時の流れでは見逃してしまいそうなある瞬間。
 そこにこの話がある,そう。後に真の冒険者と仰がれる者の物話が…
 夢を抱く君に送る―――


 剣を以て国を制し、魔法によって策略を巡らす。
 在る者は名誉を、又在る者は財宝を捜し求めるそんな世界。
 そう。ここは光・闇・土・水・風・火・そして心の神の七神によって創造されし世界。
 ウェルガルド―――この名を知る者はすぐさま七大神発祥の大陸であることを思い浮かべることだろう。
 より詳しい者は、この地に降臨した魔王のことも。
 一人の魔導師によってこの世界の鏡像界――すなわち魔界より魔王ギルスが召喚された。
 魔王ギルスは魔導師の願いを聞き入れ、世界の征服の準備に己の配下である魔族達を召喚。
 手始めに五千年王国として名高い北方のラーバ帝国をわずか半月で落としたのである。
 彼らはそれを皮切りに、先住魔獣や妖魔を味方につけ、かつてのラーバ帝国首都ラーバダインを拠点に、南のルク神国、海を越えた東方のエルファー皇国を攻め滅ぼそうともくろんだ。
 だが人間達も愚かではない。
 ラーバ帝国が滅ぼされたことによって、諸国々(エルファー、ルク、ラミア、ダスト、セルシャス自治領)はエルファーを盟主として同盟を結び彼の勢力を退けたのである。
 人と魔の軍勢は一進一退。
 どちらが劣るでもなく均衡は保たれ、いたずらに時が過ぎていった。
 この物語は魔王降臨から二十数年が過ぎた、とある小さな街に住む少年の冒険譚である。


 この大陸は三日月を仰向けに寝かせた形をしている。
 東側の三ヶ月の先には今や魔都と化したかつての帝国首都ラーバダインがあり、魔族の勢力圏は三ヶ月の上部分,大陸の20%あまりを占めている。
 その勢力圏と接しているのはルク神国。光の神を信奉する宗教国家だ。
 神の力を西の壁とするようにラミア王国が三ヶ月の中心部に位置する。この国は滅ぼされたラーバに次いで800年の歴史を持つ王国である。
 三ヶ月の東部。南に位置しているのは国土の80%を砂漠で占めているダスト。遊牧民の国家だ。
 このダストは共和制をとっており、およそ20あまりの首領国や自治領が存在している。
 そして東部の中心に位置する比較的緑が豊かなセルシャス自治領。
 これはもともとはダストの共和制の傘下であったが、国内にある標高5000m級の山脈「ワリューザン山脈」で発掘される希少金属によって高い国力を発揮、他国と同等の力を持つに至っている。
 最後に三ヶ月の東部先端を国土に持つ緑豊かな山岳王国が、ここエルファー皇国である。
 歴史は比較的浅く建国から300年余り。ラーバ皇族の分家が建国したと伝わっている。
 ここには他国以上に人間以外の亜族が多く住み、その特殊な能力と彼らの生み出す工芸品で国力を豊かにしている。
 また魔族との距離は海を挟んで近く、陸路では一番遠いこの地において、人族の最終司令部が首都ブーレンガイトに設置されていた。
 このことからこのブーレンガイトを中心として、人材を育成する学院や道場が数多く存在している。
 しかし魔族との戦いも緩慢になっている現在、学院や道場に通うことはイコール魔族と戦うことではなくなっている。
 現在では文武ともに向上を望む若者が通う、教養の園としての認識があった。
 ブーレンガイトから南に30kmほどにある小さな街の名はフリッツシルド。
 その小さな街には数ある国営学院の一つ『リトバーグ学院』が街の中心に建っている。
 昼下がりの学院、赤レンガ造りの4階の窓から顔を横に向けて外を眺める一人の若者がいた。
 黒髪黒目、年の頃は16,7か。
 毒にも薬にもならなそうな青年である。
 彼の目はぼんやりと窓の外――青空に浮かぶ白い雲に向いている。
 「…という訳でバシリスクの目には気を付けること。それと同じく…ん?」
 教室に響いていた教師の言葉が途切れた。
 同時。
 「リクス君、雲が何の形に見えるのかね?」
 「うぁぁぁぁ?!」
 ハッと我に返る青年に、眼鏡の老教師は静かに、しかし威厳を持って本を持たない右手を廊下へ。
 ビシッと指差した。
 「立っていなさい」
 「はい……」
 青年は数多くの視線を受けながら、うつむいて廊下へと向かう。
 彼が教室を出たのを確認し、
 教師は授業を再開した。


 教室の中では、相変わらず日常には全く使いもしない知識を講義している教師がいる。
 俺は廊下で両手に一つづつバケツを持ちながら、我慢していた欠伸をおおっぴらにしてやった。
 「今の時代、どこの誰がバシリスクとやりあうってんだよ」
 廊下の天井板の節目を見つめながら俺はぼやく。
 俺の名はリクス。リクス=フィラット。ここリトバーグ国立学院の四回生だ。
 今年で17歳。来年はここを卒業して兵士になるか、書士になるかいづれかである。
 この学院は国立であることもあり学費も安く、また将来国に仕えるのならば学費免除となる奨学金制度や学寮などもあるため、俺のような平民出や他国からの留学者が多くを占めている。
 数ある学院の中でも決して程度は高いほうではないのだが、このような費用的な特徴があるために時折優秀な者が輩出される。
 ラミア王国の賢者レーナ、今や亡きラーバ帝国の若き参謀ムオリンスクしかり。優秀ではあるがどこか癖のある人物が多いとのことだ。
 もっとも肝心の俺は頭も良くはないし、腕っ節も際立って強いわけではない。
 「ったく、なーんかやってられないよなぁ」
 いい加減、バケツを持った両腕がしびれてきた。
 大部分の大人は、戻れるものなら青年時代にと言うのをよく耳にするが俺はそうは思わない。
 一生で一番大切な瞬間が来るのもこの時期だとも言われるのを聞くけれど、とてもとても思えない。
 そんな繰り返しの日常と、別段希望のあるわけでもない将来にうんざりとした、17歳の夏、間近。
 「はぁ」
 ため息一つ。まだまだ背後の教室では授業が続いている。
 「はぁ?」
 2度目のため息は我知らず疑問形に変わった。
 目の前を、すなわち廊下を全力疾走で駆け抜けていく1人の人影が俺の目の前を通り過ぎたからだ。
 急なことと思った以上の速さに目がついていかなかった。
 走り去る後姿は、体を覆い隠すような灰色のマント。
 そしてそれを追うように、いや追って黒いローブに身を包んだ男が走ってくる。
 目深にかぶったフードから覗く表情はやせこけた中年の男。どこか病的な雰囲気をも感じる。
 そいつもまた俺の前を通り過ぎ……
 俺は思わず右足を前に出していた。
 ずかしゃぁぁぁぁ!!
 きれいに俺の足に引っかかり、顔面で床をすべるローブの男。
 彼の所持していた運動エネルギーと位置エネルギーをすべて顔で受け止めた形だ。これは痛そうだ。
 「ぐっ、お、おのれ」
 全身をぴくぴくさせつつ、起き上がろうとする男。
 俺は見た。こいつの右手に黒塗りの刀身の短剣が握られていることを。
 だから俺は両手のバケツを。
 ごす、ごす!
 ばしゃー。
 倒れた男の後ろ頭と背中に落とす。
 彼は重さ4kgづつの水と金属の衝撃に一つ大きく痙攣すると、そのまま動かなくなった。
 こぼれた水の中、ぶくぶくと泡を立てている。うん、死んじゃいないね。
 「こら、リクス! 静かにせんか!!」
 「あ、はーい。すみません、水をこぼしちゃいまして」
 「ちゃんと掃除しておくように!」
 教室から教師のお叱りを受ける。
 さて、この気絶した男はどうしたもんだろう?
 床に伏した男の短剣を見る。
 その刀身は黒く焼かれ、水ではない何かの液体によって濡れている。推測するに毒物であろうか?
 暗殺者という単語が脳裏に浮かび上がった。
 「まいったね」
 俺は男のフードを取る。
 すると
 「あれ?」
 やせた中年の男だったはずだ。しかし目の前にいるのは男である俺ですら惚れ惚れとしてしまう美貌の持ち主。
 整った目鼻立ちにほっそりとした頬。そして長い耳。
 「エルフ族?」
 耳を引っ張ってみる。みょんみょん伸びる、本物だ。
 「うーん」
 この国においては亜族は珍しくはないが、しかし表立って活動していることはやはり少ない。
 だから街を歩いていれば皆一度は振り返ってしまうだろう。
 エルフ族は魔法に長けた一族だ。おそらく幻惑の魔法か何かで見た目を記憶に残りづらい人間に変えていたのではないだろうか?
 ではなぜ、エルフ族が暗殺者の真似事をしているか、だ。
 考えつつ、俺は彼の襟首を引っつかみ便所の個室まで引きずって放り込んでおく。
 そしてモップで濡れた廊下を拭きながら結論を導き出した。
 「見なかったことにしておこう」
 と。
 「世話になったな、少年」
 「うぉぉ?!」
 せっかく出来事を、記憶の端っこ4丁目に捨て猫さながらに捨て置いたというのに猫は自力で戻ってきてしまった。
 逃げていた灰色のマントの奴だ。
 俺の気絶させた奴と同じ、目深にかぶったフードを奴は取る。
 と、そこに現れたのはエルフを見たとき以上に俺は驚きを隠せなかった。
 肩までの髪は銀色、雪のように白い肌に蒼い瞳が俺を映している。
 亜人特有の絵画のような美しさの中に、人らしい微笑が浮かんでいた。
 年のころは同い年に見えるが、亜人は寿命が人間と異なるので分からない。
 そして何より俺が驚いたのは、額に生えた小指ほどの白い角だ。
 「お、お前…」
 「なんだ?」
 俺の驚きの表情は予測済みだったのだろう、奴は問い返す。
 「男? それとも女?」
 「そっちかよっ!」
 我ながらいいボケといいツッコミである。
 「うるさいぞ、リクス!」
 教室の向こうから教師の注意が三度下った。それに伴い、同級生の含み笑いも聞こえる。
 「「あ、すいません」」
 俺と奴は同時に声を上げていた。
 「ではなくて、だ」
 小声で角のあるコイツ――有角族は小声で続ける。
 「世話になったついでにしばらく私をかくまってもらえないか? 礼はしよう」
 「うむ」
 俺は腕を組んで考える。エルフに追われた有角族。非常にトラブル度が高いと俺の感が告げている。
 だが!
 「問いに答えてもらおう、それ次第だ」
 「問い?」
 奴は首をかしげて、そして「ああ」と呟き答えた。
 「私は女だが。見て分からん…のだろうな、人間だからな」
 「では、かくまおう」
 「そういう差別は良くないと思うぞ」
 ぶつぶつ呟く彼女の腕を掴み、俺は教室前の廊下を後にした。
 あとで補習食らうんだろうなぁ…という心配はこの後、微塵に消し飛ぶことになる。


 学院に並立した学生寮。その2階に俺の部屋はある。
 2人部屋に今、俺は有角族の女と向き合っていた。ルームメイトは当然授業中だ。
 彼女は部屋をくるくると見回し、最後にベットに腰掛けた。
 「世話になる」
 「で、どーする?」
 冷えたお茶を彼女に手渡し、俺は椅子に腰掛けた。
 問いに彼女はやや驚いた顔になり、そして小さく笑った。
 「普通は私の名前とか素性とか色々聞くと思うのだが」
 「じゃ、聞こうか?」
 「……名前だけ言っておこう。ファーナ=ソウル、私の名だ」
 「リクス=フィラット。ここの生徒だ」
 「よろしくな、リクス」
 「そうだな、ファーナ」
 「……」
 ファーナはまじまじと俺を見ている。
 「どーした??」
 「いや、普通に名前を呼ばれるのは久しぶりだったからつい、な。感動してた」
 「そうか…」
 俺はお茶をすする。
 ファーナもまた、お茶をすすった。
 しばらく無言の時間が訪れる。
 その時間は、俺に彼女について考えるだけの長さが充分にあった。
 この学院は基本的に正門と通用門以外は簡易ではあるが結界で守られ、侵入者をチェックしている。
 そのチェックを潜り抜けて学院に現れた追われる亜人。
 外からの進入は非常に不自然だ。
 実はこの学院には学会で注目されている研究中の魔法装置がある。
 森に住むエルフ族達との共同研究である『転移』装置だ。
 第二研究棟にある複雑な魔法陣からなるそれは、西の大森林にあるエルフの王の居城と繋がっているともっぱらの噂だ。
 それを使ったのではないだろうか? 使ったとしたら、それはある程度の権限を有していなくては無理だと思う。
 俺はファーナを見る。
 マントを脱いだ彼女は精緻な文様を施した胸鎧を身につけ、細身の剣を腰に差している。
 首からかけたネックレスは大きなルビーに見えた。
 素人の俺が見ても、彼女の身につけている物は一流品ばかりにしか見えない。
 そして先ほどの『名前を呼ばれるのは久しぶり』。
 このことから彼女は亜人達の中でも地位的にかなり上の方ではないかと推測できた。
 「君はどうしたいんだ?」
 俺の問いは静寂を破る。
 彼女は静かにこう答えた。
 「魔族領へ行きたい」
 「ぷぴ!」
 思わずお茶を噴出してしまう。
 「きたないぞ、リクス」
 「真面目な顔して冗談を言うからだ」
 「冗談ではない」
 「なおタチ悪いわぃ」
 魔族領――ルク神国の西方に位置する文字通り魔族が跋扈すると言われている地帯。
 詳細は伝わっていない。情報がルク神国で完全にシャットダウンされてしまっているからだ。
 だが魔界を参考にすると、ロクでもない土地であることは確かだと思う。
 「なんでまた、そんなところに?」
 「それは、秘密だ」
 言うファーナは寂しそうに笑った。
 「で、俺にどうして欲しい?」
 ぶっちゃけ、どーにもしてやれないと思うが。
 彼女はネックレスに手をかけると、それを外して俺の手に握らせた。
 「コイツを換金して金を作ってくれ。1割をリクスにやろう」
 「むぅ」
 ネックレスを目の前に掲げる。真っ赤な赤ん坊のこぶしほどの大きさのルビーだ。
 「一割って、お前…」
 「では二割にしよう」
 「いや、一割もいらんってば」
 これを売ったら多分、5年は遊んで暮らせるだけの金額は入るだろう。
 同時にそれだけの価値のものは気軽には『売れない』とも言える。
 売れたとしても、足がついてしまうだろう。それはエルフだかなんだかに追われている彼女からしてみたらあまりよろしい状況ではない。
 「売れない代物か、これは?」
 「売りにくいもの、だな。これ以外はないのか?」
 「慌てて出てきたからな。これくらいしかない」
 胸を張って彼女は言う。威張っているつもりはないのだろうが……
 「売りにくい、そう言っただろう、リクス。売れないわけではないのだろう?」
 「まぁ、そうなんだけど」
 ツテはある。だが、
 「後始末が、ちょっとなぁ」
 「そこを曲げて何とか頼む」
 ファーナの蒼い目には額にシワを寄せた俺が映っていた。
 まっすぐな目だ。と同時に危なっかしそうな色を含んでいる。
 「分かったよ、じゃ、行くか」
 俺は立ち上がった。
 「恩にきるぞ」
 ファーナも腰を上げる。
 俺は換金した後、そのまま彼女をこの街から外へ逃す算段を立てながらファーナを連れて部屋を後にした。

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