継ぐ者と奪う者


第2章 ルナとオルク


 「ごめんよー」
 「あいや、すまぬ」
 俺達はとある店の中を突っ切り、商店を破壊し、幸せそうなアベックを蹴散らしながら逃げに逃げていた。
 追跡者達の反応は迅速だった。
 学院の、学生しか知らないはずの隠れ通路を出たところで奴らは待ち構えていたのだ。
 ファーナの手を掴んで街中を駆ける。
 路地を右へ左へ。しかし彼らとの距離は一向に広がらない。
 いや、かえって縮んできている!
 「止まれ! 武器を捨てろ!」
 そんな俺達の前に立ちはだかったのは、誰が呼んだのかこの街の保安兵が五人。
 片手持ちの剣を抜いて待ち構えていた。
 「どうする?」
 「ここは被害者をモロに装うのが一番!」
 ファーナにそう答え、俺は、
 「助けてください! 凶悪な人攫いに追われているんです!」
 リーダー格と思われる男にすがりつく。
 隣を見るとファーナも、うっすらと涙を浮かべてそいつを見上げていた。うまいぞ。
 「よ〜し、俺たちにまかせとけ。早く逃げな!」
 この街は平和なので血気盛んな彼らにはもってこいのシチュエーションなのであろう。
 ウィンク1つ、男はファーナにそう告げると部下とともに俺達の後ろへまわった。
 そして追っ手と彼らは接触する。
 てい、やー、たー
 そんな争いの声が背中に聞こえてきた。
 駆けながら後ろを振り返ると…
 追っ手は相変わらずの速度で追ってきている。わずかに差が開いたに過ぎない。
 「弱いな、あいつら」
 呟くファーナ。案外冷たい。
 「どうする、路地を適当に進んでいてもいずれ追いつかれるぞ」
 「大丈夫、俺がやみくもに走っているだけとでも思ったか?」
 俺はやがて見えてきた大通りと、それに面した店の木製の両扉を飛び蹴りで開け放った。
 「こんなところに逃げ込んでどうするつもりだ?!」
 店は酒場。時間帯も早いこともあって、人はほとんどいない。
 俺の知る二人以外は。
 「どーした、リクス。デート中か?」
 「いや、年甲斐もなく鬼ごっこさ」
 小さな丸テーブルを囲むのは2人の男女。気さくな問いは男からだ。
 男――鉛色の板金鎧を着けた戦士。テーブルの横には斧槍が立てかけてある。
 「その鬼ごっこにはアタシ達も途中参戦して良いのかしらね?」
 クスリと微笑むのはジョッキを片手にした女。額に青い大きな宝石のはまった額冠をしている。
 「頼むよ」
 「はいはい」
 彼女はそう言うとジョッキをテーブルに戻して、すでに俺達2人の後ろに展開している追跡者達に向き直った。
 その数7人。
 「アンタ達、世紀の大魔術師ルナ様相手にやるつもり?」
 と、彼女は首を傾げた。
 「なんでエルフが徒党を組んでこんなとこにいるのよ?」
 言いつつ、ルナはファーナを一瞥。何が分かったのか、なるほどと呟いて微笑を浮かべた。
 エルフ達に変化が生まれた。一歩後ろに下がったのだ。
 同時に殺気が増幅する。
 「何も言わずにその娘を渡してもらおう」
 7人の誰からともなく提案を打ち出される。
 「さすれば争うことなく、この場を去ろう」
 「だって。どーするの、リクス?」
 「お話にならないね」
 「だってさ」
 ルナは彼らに答える。それが合図だった。
 7人は風のように飛び掛ってくる。
 だが。
 その風は無造作に払われた。
 「相手の力を見誤ったみたいね。オルク?」
 「まったく。お話にならん」
 男――オルクによって4人が瞬時に叩きのめされ、3人はルナの魔法によって高速化された当て身に気を失い、床に転がっていた。
 「どうする? トドメ刺しとく?」
 ルナはファーナにそう問いかけるが、ファーナは小さく首を横に振った。
 オルクとルナ。
 2人は俺より2歳年上で二年前学院を卒業した。学院時代は3人で色々悪さをしたものだ。
 卒業以来2人は各地を旅し、厄介事を解決するトラブルシューターとしての仕事をしている。
 俺は2人が3日前にこの街に戻ってきたと聞いており、宝石の換金とファーナの安全をこいつらに任せようと思っていたのである。
 2人は強いとは知っていたが、思った以上に馬鹿強かったようだ。


 「リクス、お前、どこでこんなかわいい子をひっかけたんだ?」
 オルクが酒の注がれたジョッキ片手にそう問うたのは、謎の追跡者達を問答無用に街の警備兵に突き出して人心地ついてからのことだた。
 「学院の廊下で」
 「これまたけったいな所で」
 ルナはファーナをまじまじと見つめながら、軟骨のから揚げを一つまみ。
 「亜人達の未来の女王様をナンパたぁ、ルナ姉様も鼻高々よ」
 「??」
 未来の女王?
 俺はファーナを見る。
 「おばちゃーん、私も生エール酒一杯」
 マイペースな奴だ。
 「この娘はハールーンの王族だ」
 オルクが代わりに答える。
 「そうなのか?」
 俺はファーナに問う。彼女は届いたエール酒を一口呑み、そして軽く微笑んだ。
 「亜人達の王族であるハールーンは七色に輝く角を持っているってことは、あなた達人間も知っているな?」
 ハールーン――それはかつてこの大陸でもっとも強い力を有していたラーバ帝国が魔族に滅ぼされる前の時代。
 ラーバ帝国は別名、森林と魔法の帝国との異名を持っていた。
 それは人間の帝国であるラーバと、そして重なるように亜人達の王国であるハールーンが二重で今や魔族領と化した地を統べていたためである。
 亜人達は基本的に人間の法の下に従うことはない。彼らには彼らの法がある。その為の二重統治だ。
 こうして人と亜人達がともに暮らす地。それがラーバ帝国であり、ハールーン王国でもあった。
 もっとも人と亜人達、ラーバ王族とハールーン王族の蜜月関係は、魔王による魔族の侵略で絶えることとなるのだが。
 様々な人種を持つ亜人達を統べたハールーン王族は、それぞれの種族の血を受け継いでいたハイブリットであると言われている。その最も顕著な身体的特徴が、額に生える魔力によって七色の輝くを放つ角だ。
 あまり人前に姿を現さなかった彼らの姿はこう伝わっている。
 ”神の如き力を継ぎし七色に輝く角を持つ者。容姿美しく、気高き者なり。その力、一夜にして都市を廃墟と化す。神を裏切りし罪より、その命、短命なり。”
 しかしファーナの額のそれは、
 「白いな」
 「私はどこにでもいる有角族さ。それに知っているだろう、ハールーンの王族は先の魔王侵略により絶えているはずだ」
 そう、先の大戦でラーバの王族はもちろん、ハールーンの血族も絶えているはずなのである。
 それによって亜人達は散り散りとなり、かつてのまとまりを完全に失っているのだ。
 「さぁ、それはどうかしらね?」
 ルナはしかし、ファーナに続ける。
 「終始、七色に輝いているわけないでしょう。眩しいったらありゃしない。それに私達は知っているのよ」
 ルナはジョッキに残ったエール酒を一気に呑み干し、
 「裏の確かな情報でね、亜人達の王の正当後継者たる一族――ハールーンの血族が見つかったことをね」
 「オレ達はついこの間まで西のエルフの森へ行っていたんだよ」
 オルクはぼそりと告げる。
 「西の大森林のエルフ達の王ラクシスタがハールーンの血族を捕らえたとオレ達は聞いている。ハールーンの血族を手元に置けば、他の亜人達を従わせることができるからな。すでにラクシスタの下には次々と各亜人達の部族長が訪れているらしいとも情報が入っている」
 彼の言葉に、しかしファーナは笑みの表情のままだ。
 「その未来の王たる資格を持つ者が逃げ出したとしたならば……エルフの追っ手が来てもおかしくないわよね?」
 「ファーナ……」
 ルナの問いに、ファーナは俺に視線を向け、こう神妙な面持ちで告げた。
 「リクス、実は」
 「「実は?」」
 「エルフの街の高級料理店で食い逃げしてな。その追っ手だ」
 「「………」」
 押し黙る俺とルナ。
 「まぁ、そういうことは訊かない約束だろ。オレ達の世界ではさ」
 ルナの金色の髪の上から頭を右手でぐわしと掴み、オルクは苦笑い。
 「もぅ、頭掴まないでよ」
 首を振ってルナはオルクの手を振り払う。
 「それもそーだね、案外食い意地が張ってるんだな、ファーナは」
 「……まぁね」
 俺の気の利いた応えに憮然とファーナは呟く。
 ”しかしハールーンの血族か”
 俺は改めてファーナを見つめる。
 もしこの娘がハールーンならば追っ手など難なくあしらうことができた筈である。
 灰色のマントの下は、冒険者が好んで着る服。布地はおろしたてのように新しい。
 腰にはありふれた片手持ちの剣を吊していた。まるで駆け出しの冒険者といった感じだ。
 そしてその容姿は端正な面に、まるでアクセサリーのような5cmほどの白く細い角が生えている。
 フードがついた灰色のマントさえなければ、街を歩いていれば5mに一度はナンパされてもおかしくない魅力を持っていると思う。
 「なんだ、リクス。私をじろじろと見て。もしや惚れたか?」
 「オルク、宝石の換金と彼女の護衛って頼める?」
 ファーナの戯言を無視し、俺は本題に入った。
 オルクもまたファーナを一瞥。
 「そうだな」
 「アタシは嫌よ」
 オルクが話を始める前にルナがそれを遮った。
 「何でだよ、ルナ」
 女魔術師は俺にニタリと微笑んだ、嫌な笑みだ。
 「リクス。女の子はね、男の子が守るものなのよ」
 「はぁ?」
 オルクが立ち上がる。睨む視線の先は入り口。
 「これを使え、リクス」
 後ろ手に一振りの剣と、そして背負い袋を一つ放り投げられた。
 「代金は後払いだ」
 彼は背の大剣を抜き放つ。
 「一体何が?!」
 「第二陣のご到着よ」
 「む」
 ルナの言葉にファーナが眉をしかめた。
 ドン!
 扉が開き、2人の人影が現れる。
 フードつきのマントを羽織った2人組だ。
 2人はまっすぐと、そして明らかな殺気を持って俺達に迫りくる!
 そのうち1人が懐から何か筒状のものを取り出し、口のところへ。
 ヒュ!
 銀色の光が走った。
 「くっ!」
 「ファーナ?!」
 隣で彼女が肩を押さえる。ぐらりと足元がふらつく彼女を俺は両手で支える。
 「ちっ、リクス。できるところまで『送る』わよ!」
 前もって唱えていたのだろう、ルナは輝く両手を俺とファーナに突き出した。
 「いってらっしゃい。ちゃんとその娘を守るのよ」
 「頑張ってこいや」
 ルナと、俺たちに一瞥したオルクはそう告げ、
 「これは…」
 俺とファーナは、ルナの両手から放たれた光に包まれ、全身に奇妙な浮遊感を得たのだった。


 周囲の景色が歪み、まるで逆立ちでもするような妙な感覚が俺達を襲っていた。
 だがそれも一瞬。
 「…ここはどこだろうな?」
 「瞬間移動の魔法か」
 気がつくと俺達2人は見知らぬ草原の真っ只中に立ち尽くしていた。
 「多分、フリッツシルドの街の結構南…だと思うんだが」
 遥か北にわずかに立ち上る煙と、街影のようなものが地平線すれすれに見て取れた。
 そこまで確認して、俺は肩にかかる彼女の体温に気付く。
 「大丈夫か、ファーナ!」
 彼女の右肩には銀色の長い針が一本、生えている。
 俺はそれを慌てて抜いた。
 「毒?」
 針の先には透明な何かが塗られていた。
 ファーナは俺を見上げ、額に薄く汗を浮かべつつ軽く苦笑い。
 「大丈夫ではなさそうだ、すまんが後は頼む」
 言うと、ガクリとその全身から力が抜けた。
 魂が抜けたようなその体を俺は抱きとめる。
 「お、おぃ!」
 白い頬を軽く叩く。閉じられた瞳は開かない。
 息が浅い。白かった頬が次第に青くなっていくような気がする。
 「な、何かないか?」
 俺はオルクから手渡された背負い袋を覗く。
 中には少なくない金貨、傷薬、ロープに毛布といった旅に必要な道具一式だった。
 しかし残念ながら、解毒剤のような薬剤は入っていなかった。
 どんな毒かは分からないがこのまま放っておいては危ない。俺は彼女の右肩をロープで縛る。
 これで少しは毒の周りを遅らせることができると思う。
 「とにかく、だ」
 俺は彼女を背負い、足早に歩き出す。
 南へ。
 ここがフリッツシルドの南の平原だとするならば、さらに南下すればフリアイの村があるはずだ。
 とにかくそこへ向かおう。
 耳元にファーナの吐息を聞きながら、俺は思い足をひたすらに進めたのだった。


 しばらく歩いていると前方に小さな黒い点が見えた。
 「ん?」
 それはやがてソフトボール程になり、バスケットボール、最後には全長10mはあろうかという巨大なクモになる。
 「げ」
 平原に出没する地蜘蛛である。
 普段はシカなどの動物を主食にする肉食で、時に人も襲うと言われている――そう習ったのを思い出した。
 ファーナを背負う俺は、オルクに手渡された剣を抜き放ちその刀身を見る。両手持ちにもなる長剣だ。
 手入れはあまりされておらず、鈍く俺の顔が鋼の刃に映っていた。
 そして気付く。
 「魔力を帯びているようだな」
 剣に魔力を感じた。ただのなまくらではないらしい。
 しかし何の魔法か分からない。持ち主に害を与えるものではないとは思うが。
 抜き身の剣を構える。
 大蜘蛛は案の定、俺達を見つけると襲い掛かってきた。格好の餌とでも見たのだろう。
 ファーナをその場に下ろす。
 彼女を背負って逃げても追いつかれるし、かといって彼女をここに生贄にしておいていくのも寝覚めが悪くなるだろう。
 向かい来る蜘蛛に剣を構える。剣術は下手ではないが、上手いというわけではない。
 実戦は初めてだ。そして必ず勝たなくてはならない。
 俺は自ら巨大なクモに向かって切りかかった。
 俺の攻撃にはオルク程の力はない。しかしそれに見合わないまでも速さがあると自覚する。
 「まずは前足!」
 俺の振った剣先は見事奴の右前足をないだ。
 が、
 「ぐっ」
 蜘蛛の長いもう片方の前足が、俺の背中に一撃を加えた。
 バットで殴られたような強い衝撃だ。
 「マ?」
 俺は蜘蛛の背後に回り込み隙を見て腹を突いた。体液が飛び散り服に少しかかる。
 「うげ」
 するとかかったところは溶けてしまった!
 「マママ?!」
 攻撃は効いたようだ。巨大グモは苦しさにのたうちまわる。
 頭が下がった。チャンス!
 俺は目線の高さに下がった蜘蛛の眉間に剣を思いきりたたき込んだ。
 「ママママーーー」
 訳の分からない雄叫びをあげて奴は前にも増して暴れ始めた。
 剣は眉間に突き立ったまま、俺の手を離れる。
 「?!」
 不意を突かれて俺は右足を顎に深く捕まれ、5mほど投げ飛ばされる。
 足に激痛が走り、叩き衝けられしばらく息ができない。
 「く、くそ!」
 立ち上がろうとするが相当深く貫かれたのだろう、足のせいで起き上がれない。
 今襲われたら、という心配があったが無用だった。
 奴の動きは次第に緩慢になり、遂には動かなくなったのであった。

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