継ぐ者と奪う者


第3章 レオンとシレイラ


 天頂の日が傾くくらいまで俺は歩き続けていた。
 景色はほとんど変わらない。見渡す限りの平原だ。
 「せめて街道沿いに転移させてくれてたら良かったんだがな」
 心の中でルナに文句をたれる。
 俺の住んでいたフリッツシルドの街は北に首都への大街道が走り、西は険しい山脈がそびえる。
 東はエルフ達を始めとした亜人達の住む大森林が広がり、そして南はここ、シルフィの大草原が構えている。
 視線を西にやると、遠く険しい山々の青い陰が見て取れた。北と南、東は地平線が伸びている。
 シルフィの大草原はエルファー皇国領に組み込まれてはいるが、実行支配はないに等しい。
 俺の今目指しているフリアイの村のような小さな集落が点在しているに過ぎない。
 むしろこの地を住まいとしているのは、常に移動して放牧を生業としている遊牧民達だ。
 南へ草原を越えると、標高5000m級の山々が連なるワリューザン山脈を抱えたセルシャス自治領に至る。
 「さて、どうしたもんかな」
 ファーナをおぶる背が痛む。先だっての大蜘蛛の一撃は想像したくないダメージを俺に与えていたように思える。
 考えると痛さが増すような気がするので思考はそこで打ち切った。
 ただただ、南へと歩を進める。
 「お?」
 地平線の向こうに黒い粒のようなものがいくつか見えてきた。
 「集落?」
 足を速める。きっとあれはフリアイの村だ、そうに違いない。
 地平線に見えたそれは、次第に大きくなっていく。
 その形が見えてきた時。
 俺は足を止めた。
 そして回れ右。
 ガサガサガサガサ
 ガサガサガサ
 「ひぃぃぃぃぃ!!」
 俺が遠ざかる速度以上に、それらが接近する速度は速かった。
 街の影だと思っていたものは巨大な黒い蟻。
 体長5mはあるデスアントと呼ばれる蟻達だった。
 本日二度目。美味しい餌と判断された俺達に向かって馬よりも早く接近してくる。
 その数……
 「どうぁぁぁぁ!!」
 振り返りながら5匹数えたところでやめた。
 俺は走る、走る、走る。
 だがやつらのがさがさとした足音は見る間に大きくなっていく。
 逃げ切れない!
 俺は足を止め、ファーナを投げるように下ろして剣を抜いた。
 落ち着いて構える時間もない。
 巨大な顎を開いて、先頭の蟻が俺に向かってその鉈のような牙を振るった。
 「なぁめぇるなぁぁ!!」
 気合とともに剣を一閃,巨大な牙と俺の剣ががっちりとかみ合った。
 剣に力を込めながら、俺はまるでスローモーションの中を生きながら剣が折れるのを確信していた。
 だが。
 ズドン
 俺の剣はまるで紙を切り裂くかのように蟻の牙を切り落とし、そのまま頭部を両断してしまった。
 「え?」
 体液を撒き散らしながら一匹目が俺の後ろへと走り過ぎ、その巨体を草原に横たえた。
 途切れることなく2匹目と3匹目が同時に迫る。
 所詮は虫、そこには感情はない。もしもこれが狼などならば少しは躊躇してくれると思うのだが。
 振り上げた剣を構えなおしながらも、今度こそ死を確信。
 2つの同じ牙が俺に向かって突き下ろされ、
 バキッ!
 という嫌な音が響き激痛が。
 「あれ?」
 俺は剣を振り上げた格好のまま硬直する。
 目の前には胸から上を無くした蟻が蠢いていた。
 2匹は1匹目と同様に、糸の切れた人形のごとくその場にくづおれる。
 「ギャ!」
 「ギャギャ?!」
 後ろに続いていた蟻達が立ち止まり、警戒音を出している。
 動きを止めたやつらの目の前で、それは起こった。
 2m程の半月状の、淡く輝く衝撃波が俺の目の前を風のように過ぎた。
 ごす
 それは頭のない2匹の蟻を、とどめとばかりに吹き飛ばした。
 「ギャギャ!」
 「ギャ!」
 残る蟻達は一斉に方向転換,草原の向こうへと去っていった。
 それを眺めつつ呆気に取られる俺に近寄る影一つ。
 「あ」
 俺は見上げる。
 それは馬に乗り、左手に抜き身の剣を構えたそれは犬の頭をした人間であった。
 ノール続と呼ばれる亜人だ。ノール達は主に好んで草原に住み、遊牧生活を営んでいる。
 亜人に珍しく、好奇心と協調性は彼等の代名詞である。
 彼(彼女?)は馬を下り、俺を一瞥。そしてファーナにも視線を向ける。
 「災難だったな。怪我はないか?」
 渋い声は男性のものだ。
 「多分。だがこいつらに会う前に背中を打ってね」
 俺は苦笑い。
 「そうか」
 馬を下りたその人は俺に肩を貸すと馬に乗せる。そしてファーナも担ぎ、俺の後ろに乗せた。
 彼はファーナの首筋に指を当て、そしてふむと唸る。
 「毒にやられたみたいで」
 「麻痺毒かなにかだな。安心しろ、たいしたことはなさそうだ」
 馬が動き出す。その手綱を引きながらノールは二カっと笑う。
 「少年よ、名は何という?」
 シェパード犬のような鋭い顔立ちの男は穏やかに尋ねた。
 「リクス。そっちの娘はファーナ」
 昏々と眠る有角族の娘に視線を移し、俺は答える。
 「リクスか。先程の戦い、たいしたものだったぞ。その剣の魔力を巧く引き出し、大胆な打ち込みであの蟻どもの硬い表皮をやすやすと引き裂くとは。全くもって美しい切込みだった」
 「そ、そうですか?」
 なんだか感動しているノールの親父だった。
 先程の戦いで気がついたことがある。俺の持つ剣に込められた魔力についてだ。
 この剣は振るい手の意志量に応じてその切れ味を変化させるという、珍しくもある意味厄介な補助魔法がかかっているようだ。
 すなわち「切りたい」と強く思えば思うほど「切れる」のだ。逆に意志の伴わない一撃は、鉄の棒で殴った程度で刃をなさないと考えられる。
 「私はレオン、このシルフィーの大草原を住まいとする遊牧民だ。リクス、お主達はどこを目指している?」
 「とりあえず南のフリアイの村を目指していましたけど…ここから遠いですかね?」
 「フリアイまでは丸一日の距離だな」
 レオンの言葉に溜息一つ。
 同時に彼と遭遇して安堵の溜息も漏れた。
 「今夜は私のところに泊まっていかれよ。娘の解毒処置もしなくてはならぬしな」
 「はい、お願いします」
 俺は当然、彼の親切を受けることにした。


 翌朝。
 俺は簡素なベットの中で目を覚ます。
 ここはレオンさんの住まいである円形状のテントだ。
 常に移動する彼ら遊牧民の組み立て式テントは、俺達t2人が増えても十分に大きかった。
 上体を起こして辺りを見回す。このベッドの他には何も調度品がない部屋だ。
 壁は布を一枚隔ててあるだけだが、皮製であるために外気をしっかりシャットアウトすることができる。
 俺は立ち上がり、部屋と部屋を区切る布をくぐった。
 「あら、おはよう。よく眠れましたか?」
 「おはようございます。ええ、しっかりと眠りました」
 暖炉のそばで穏やかな笑みを浮かべるのはノール族の女性だ。レオンさんの奥さん、シレイラさんだ。
 「昨日は主人にたくさんお酒呑まされて大変だったでしょう?」
 言って彼女はカップを俺に手渡す。白い湯気が立っている。
 ミルクとお茶を混ぜた、少し甘いものだ。
 昨夜、彼に連れられてここに泊めてもらった俺は、ファーナをシレイラさんに任せて延々と羊の乳から作ったといわれるお酒を2人で呑んでいたのだ。
 酒には強いと思っていた俺だが、今朝は少し残っている感じがする。
 そんな荒れた胃に、このお茶は優しかった。
 「そうそう、ファーナさん、でしたっけ。気がつかれましたよ」
 「本当ですか?!」
 俺は思わず立ち上がる。
 「ええ。また眠ってしまわれたわ」
 「そうですか」
 「数日安静が必要ね。毒の方は麻痺毒で命を奪うものではなかったけれど、どうしても体の麻痺は数日続くわ」
 「数日というと?」
 「あの子の体力次第ね。安心なさいな、ここは他に人が来る様な所でもないし。体の調子が戻るまで、ゆっくりしていきなさい」
 「ありがとうございます」
 俺は頭を深々と下げる。シレイラさんはあわてて首を横に振った。
 「いいのよ、主人と2人きりってのも寂しいものだしね」
 「あ、そのレオンさんは?」
 俺はテントの中を見渡すが、昨夜遅くまで呑み交わしたノールの男の姿がない。
 「主人は外で剣の修練をしておりますわ」
 「そうですか」
 俺はお茶を呑み干し、シレイラさんにもう一度お礼を言うとテントの外へ。
 草を食む羊達を背後に、レオンが剣の型を作っているのが目に入った。
 両手に木刀を一振りづつ――二刀だ。
 朝日に照らされた木の刀身は、振られる度に緑の残像を残す。
 「おお、リクス。おはよう」
 彼は手を休めて笑いかける。
 「おはようございます、精が出ますね」
 「朝の日課だよ、リクスもやらないか?」
 言いながら彼は一振りを俺に投げる。
 それを受け止め、俺は両手に構えた。
 「手加減してよ」
 彼は軽く笑うだけだ。
 朝の冷気と同質の緊張が走る。
 彼は動いた、とてつもなく速く!
 「っ?!」
 彼の上段からの一撃を俺は何とか手にした木刀で避ける。重い一撃だ。
 そして流れるように返す刀で切りつけてくる。
 これもどうにか受け流す。
 「やはりやるな、リクス」
 「そーでもないよ」
 レオンは剣を大降りに振り上げた。
 脇に生まれる隙に、俺は本能的に剣を繰り出す。
 レオンの剣筋はしかし、俺の放つ横振りと軌道を重ねたものだった。
 ”しまった”
 彼はわざと隙を作ったのだ。
 彼の放った俺の剣と重ねるような一撃は、俺の剣を天へと打ち飛ばしていた。
 トス
 軽い音を立てて俺の剣はくるくると回って草原に落ちる。
 「お見事」
 「どういたしまして」
 レオンは小さく敬礼。
 「リクスはどこかで剣術は習っているのか?」
 木刀を地面に刺し、彼は問う。
 「ええ、俺はフリッツシルドのリトバーグ学院生なんだ」
 「ほほぅ、なるほど。道理で見たことのある太刀筋だと思った」
 「?」
 「あ、いや。先の大戦での戦友がリトバーグ学院で剣術指南をしていてな。いるだろう、隻眼のむさくるしい男が」
 「ああ、ゼブラ師範のこと?」
 レオンはそう、と言って頷いた。
 ゼブラ師範は生活指導も兼任している、屈強という言葉が似つかわしいおっさんだ。
 かつてラーバ帝国で騎士をしていた…なんて噂もあるのだが。
 「ではリクス。この技は彼から習ってはいないな?」
 「?」
 レオンは木刀を腰に構えると、居合いの体制で草原の遥か彼方を睨んだ。
 「レオンさん?」
 鋭い目で地平線を睨む彼。気合と言うか、何か目に見えない力が彼に充電されているような雰囲気がある。
 やがて木刀に淡い光が灯った。
 そして彼は腰の木刀を振り上げ、思い切り振り下ろした。
 「覇っ!」
 ドン
 彼の一閃とともに、2mほどの半月状の光の刃が地平線に向かって駆け抜けていく。
 これは、そう。俺とファーナを大蟻から救ってくれた技だ。
 魔法…か?
 「これは魔法とは異なる『気』を用いた技だ。ゼブラも得意としていたはずだが、おそらくは教えていないだろうな」
 苦く微笑むレオン。
 気――それは主に山に籠もり修行を重ねた修行僧が自らの生命エネルギーを蓄積、増幅して怪我を治したり、素手で鉄板を打ち砕いたりするものだ。この気を操ることができる者を操気師と呼ぶことがある。
 これを習得した者の中には剣の達人も挙げられ、彼らは力を込めることで衝撃波を出したり、破壊力を大きくしたりできるらしい。
 これの有名なものにはラーバ帝国の近衛騎士団がある。
 わずか十数名で構成されていたこれは一人一人が操気師であると伴に恐ろしく剣技に長けていたという。
 今の時代はしかし、この体系はほとんど失われており、それよりもお手軽な魔法と剣術の組み合わせが多いのが実態だ。
 ゼブラ師範が噂のとおりにラーバ帝国の、それも近衛騎士の1人だったとするならばこの技が使えてもおかしくはない。
 「ゼブラの教えを受けているのなら、その延長上でこの技も習得できる素地ができていると思う。どうかね、習うだけ習ってみぬか?」
 それは嬉しい申し出だと思う、しかし何故…
 「…何でよく素姓の分からない俺にそんな大切なことを?」
 街で教わる魔法のように、この『気』という技術はホイホイと簡単に出していい知識ではないと思う。
 ラーバ帝国の騎士にしても相当な訓練の下で秀でた者のみが教わる技術であると学院で習った覚えがあるし、ゼブラ師範がこれを習得していることすら教えないのは技術を漏らす事ができないからだろう。
 それをレオンが知っているのも驚きだが、教えてくれるというのはある意味不気味な話だ。
 彼はニタリと笑うと、
 「教えるべき者だと判断したからだ」
 理由になっていない。なっていないが、そう言ってもらえるのなら。
 「やってみる、いや、教えてください」


 ひと運動をしてテントに戻ると毛布に包まったファーナがシレイラさんにおかゆのようなものを食べさせられていた。
 「起きたか。調子はどうだ?」
 俺の言葉に、彼女は重たそうに首を動かしてこちらを向くと、
 「よかったらこうして食べさせてもらっていない」
 横でシレイラさんが苦笑いを浮かべている。
 「ロクに体が動かない。一体、何がどうなってここにいるのかも分からないのだが」
 説明を求めるファーナに、俺は簡潔に答えてやる。
 「新たな追っ手に毒の吹き矢を受けてお前は倒れ、ルナに転移魔法で街の遥か南に飛ばしてもらったところで蜘蛛と蟻に襲われてこちらのレオンさんに助けてもらった」
 「なるほど、よく分かった」
 よく分かったな……
 「私はしばらくどうにもなりそうもない。あとは頼む」
 それだけ告げ、巣の中の小鳥のように再びシレイラさんにおかゆをねだるファーナ。
 「分かったから寝てろ」
 俺はシレイラさんに一礼し、あとを完全に任せることにした。


 「力の流れを感じたら、それを腹の中心にもっていくように」
 『気』の基本的な扱い方を教わって3日目。
 レオンのような気の衝撃波はまともに出せないまでも、攻撃と防御への応用まで展開することができた。
 とてつもない進歩と言えよう。
 そのころにはファーナの体調もしっかり戻っていた。
 そして4日目の朝。
 出発だ。
 「ほんとにいろいろお世話になりました」
 深々とお辞儀をする俺に、シレイラさんは朗らかな笑みを浮かべる。
 「いえいえ、いいのよ、いつでも立ち寄ってちょうだいね。リクスくんにファーナちゃん」
 「世話になった、感謝するぞ、シレイラ殿」
 なんか態度がでかいファーナである。
 「リクス、ここまで伸びるとは、正直思わなかったぞ。あとは実践だけだ。己を磨くことを忘れるな。道中気をつけろよ」
 「レオンさんもお気をつけて」
 満足そうな顔のレオンに答える。
 「「ではまた!」」
 そして俺達二人は一路、南のフリアイの村に向け、2人の家を後にした。
 ノールの夫妻は俺達が見えなくなるまで、いつまでも見送ってくれたのだった。

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