継ぐ者と奪う者


第4章 テジャスとアパス


 日も天頂に差し掛かった、ちょっと早めの昼飯を取っている時である。
 シレイラさんに作ってもらったパンに干し肉がはさんであるものだ。水気がないので水袋に入った羊の乳を飲みながらの食事となる。
 「リクス、ここからどれくらいでフリアイの村には着くのだ?」
 すっかり元気になったファーナはあっさりとパンを平らげ、俺に問う。
 「夕方には着くさ」
 「そうか」
 呟き、彼女は小さく伸びをする。
 銀色の肩までの髪が風に揺れる。
 「なぁ、ファーナ」
 俺は最後のパンの一口を飲み下して尋ねた。
 「これからどうする気だ?」
 これから、すなわちフリアイに到着してから、だ。
 彼女はしばらく目を伏せてから答えた。
 「フリアイから南に下り、セルシャスに入る。そこから海路でルク神国か…もしくはダストに入って陸路でルクに入るかだな」
 魔王領への交通手段はルク神国からの陸路しかない。
 海路は巨大な海竜達が住み、魔王領を守護しているので踏み入ることができないのだ。
 また陸路にしても魔物の侵入を防ぐために結界が張られていることもあって到達は容易ではない。
 ファーナは本気で魔王領へ行くつもりなのだろうか?
 そして何故、向かおうとするのだろう?
 「しかし…オルクとルナといったか、2人は大丈夫だったであろうか?」
 問う前に、話を変えられてしまった。
 「あの2人なら心配するだけ無駄だよ」
 俺は笑う。
 「海に沈めても死なない連中だ。気にすることないよ」
 「しかし私に毒を打ち込んだアイツは只者じゃない…」
 と、そんな時である。
 突如、空気が動いた!
 そう思うもつかの間、ファーナの首筋に短剣が突きつけられた。
 俺は剣を抜いて構えるが、どうしようもない。相手は2人、かなりの手練れのようだ。
 この平坦な草原で沸いて出たということは……おそらく魔法で身を隠して忍び寄ってきたのだろう。
 「間違いない、ファーナ様だ」
 彼女を拘束するのはフードとマントで顔から体全体を隠した長身。声の調子からすると若い男だろう。
 「草原の真っ只中にいるのはおかしいと思ったが、探知魔法は正常に動いていたようだな」
 彼の呟きに俺は気付く。
 「もしかして宝石に、か?」
 「その通り。むやみに物を盗んじゃ駄目だよ、お姫さん」
 ファーナの前に出るように立ちふさがるのはもう1人の追跡者。こちらは女のようだ。
 この広大なシルフィーの大草原で俺達を追跡できたのは、ファーナが売り払おうとしていた宝石のおかげだったのだ。
 宝石には盗難防止のためだろう、追跡の魔法が仕掛けられていたと見て良い。
 そしてレオンさんのところで時間を食っている間に、追跡者達は追いついてきたということだ。
 「さて、お坊ちゃんにはしばらく眠っていてもらおうか」
 女はそう言うと、俺に小さな筒を向ける。吹き矢だ。
 ということはオルクとルナの2人を前にして、彼らを退けたか、うまく退いたか…やはり手練れだ。
 シュッ
 飛び出た銀色のつぶてを俺は剣で弾いた。
 それを見てファーナを捕らえる奴が叫ぶ。
 「こいつを殺されたくなかったら武器を捨てろ!」
 ファーナに突きつけた短剣を彼女の頬に当てて言う。
 それは明らかにハッタリである。
 麻痺性の毒を使ったことも考慮すると、ファーナを殺さずに連れてくるのが彼等の使命だと俺は推測している。
 「やれるものならやってみろ、別に構わないぞ!」
 「それはちょっとひどいな」
 ファーナが抗議の声を上げた。
 「可愛いのは自分の命さ」
 俺は苦笑い。ここで奴の毒を打たれたりでもしたら、ファーナを助け出せることは完全に不可能になるだろう。
 「テジャス、先に行ってて」
 呆れた様子で女が後ろの男に言った。
 「分かった、ただの小僧とはいえ侮るなよ」
 ファーナを捕えたそいつはそう答えると、ファーナの首筋に手刀を入れて昏倒。
 小脇に抱えて引き上げていく。
 まったく気絶の多いお姫様である。ともあれ、
 「待て!」
 追おうとする俺を当然ながら女の追跡者が立ち塞がる。
 「現場を見られた以上ここで死んでもらおう」
 「眠っていてもらうんじゃないのか?」
 「ここで『寝た』ら蟻や蜘蛛の餌になるわ。生きながら食われたいのなら眠らせるだけにするけど?」
 「それは嫌な末路だな」
 俺は剣を構え、気を充実させる。
 「ま、少しは楽しませてよ」
 女はそう言うと腰の剣を抜き放って上段に構える。
 「はっ!」
 鋭い打ち下ろし……でもなかった。
 彼女の横払いの一撃を難なく受け流し…あれ?
 切り返しも身を少し引いてかわし…あれ?
 「やるな、貴様!」
 「えーと」
 こいつ……弱いぞ、おい。
 女の剣筋が手に取るように分かる。
 まるでこっちを引っ掛けるような幼稚さすら感じる速度と技術だ。
 「はぁはぁ、打ち返してみたらどうだっ」
 早くも肩で息をしながら彼女は俺に叫ぶ。
 ”ぬ、もしかして…なるほど”
 俺は気付いた。
 たった3日とはいえ、レオンの早さに慣れてしまったので、それより遅いこいつの攻撃なら見極められるのだ。
 余裕を持った俺は剣に力を込める。
 その間に彼女は攻撃を加えてくるがなんぼのことではない。
 気が剣に溜まり光を微かに光を帯びてきた時、俺は力を解放した!
 「くらえっ!」
 レオンが俺を助けたときに使った技を、間合いを取って剣を構えなおした彼女にぶつける。
 彼ほどではないが、大きな岩なら吹き飛ばせる程の1mほどの光の衝撃波が彼女を襲う。
 「んなっ?!」
 彼女は『上』に飛んだ!
 ゴゴン!
 光の衝撃波は彼女のいた土を抉り取り、爆発。盛大に土煙が舞い上がった。
 ひらりと、彼女がまとっていたフードつきのマントが2つに裂かれて地面に落ちた。
 「まさか、操気師だったとはな。今日は退くがいつかその首を取ってやるぞっ!」
 声は頭上から。
 「ファレス?!」
 俺の頭上で灰色の翼をはためかせて睨んでいるのは、1人の女。
 年のころは俺と同じくらいだろう、ウェーブのかかった黒く長い髪を翼からの風に揺らしながら、右手でわき腹を抱えている。
 滴り落ちるのは赤い血だ。
 ファレス――それは翼を持つ亜人。いくつかの部族はエルフの王ラクシスタの配下であると聞き及んでいる。
 「グッ、必ず殺してやるからなっ!」
 憎憎しげにファレスの女は言い放ち、上空で俺に右手を向ける。
 途端、俺の足元が柔らかくなった。
 茶色の髪を振り乱しながら飛び去る女の背を追い、俺は駆け出すが、
 「くそっ!」
 足がぬかるみにはまったようで思うように動けない。
 実際俺のの周囲10mは瞬時にぬかるみと化していた。おそらく大地に含まれる水を用いた精霊魔法であろう。
 先程、奴がこちらに手をかざした際に発動させたか……精霊魔法はモーションが少ないのが厄介だ。
 ファレスの追跡者はふらふらとおぼつかない飛行で北の空を行く。
 やがてその影は、遠くない場所で落ちるのが見えた。
 俺はぬかるみから這い出し、足元に揺れる背の低い草を踏みしめながら駆け出した。


 「おや?」
 まったく情けないことに、私が目を覚ましたときには手首を後ろ手にきつく縛られていた。
 「歩け」
 フードを目深にかぶったマントの男は私を背中から押しながら先を促す。
 リクスの姿は近くにはなく、もう一人の私に毒を撃って苦しめた死刑に値する奴の姿も見えない。
 「うむ、これまさしく世の中の婦女子が憧れる囚われのお姫様ってやつかな? な?」
 「歩け」
 同意を求めるが、愛想のない奴だった。
 ただっ広い草原をしばらく歩くと、2m程ある大きな平らな岩が見えた。
 ただの岩ではない。
 そこには六芒星が刻まれている。私がリクスと出会った街に逃げ出す際に使った転移の魔法陣と同じものだ。
 これはおそらくこいつらの本拠地につながっているのだろう。
 「乗れ」
 「はいはい」
 追跡者と私は岩の上に乗る。
 私を拘束する男は何やら呟く。すると一瞬周囲の風景が歪んだ。
 そして今まで草原だった周りの風景は一変し、大きな建物の中であろう、大理石造りの部屋に出た。
 「ご苦労様です」
 エルフの衛兵が2人、そこには待機していた。
 彼らの言葉には答えず、フードの男は私を背中から押しながら建物の中を進んでいく
 やがて一つの豪奢な部屋に導かれた。
 そこは私が先日まで拘束されていた部屋と同じだった。
 ただオプションとして大きな窓には鉄格子、カーペットには防火の魔法、壁にかけられてあった剣などは姿を消している。
 思わず舌打ち一つ。
 「ご苦労だったな、テジャス、下がってよいぞ」
 「はっ」
 フードの男は私の両手の拘束をナイフのようなもので解くと、静かに部屋を後にする。
 部屋には先客がいた。
 逃げようかとも思ったが待っていたそいつの顔を見て無駄なことを知る。
 「手間をかけさせないでください、ファーナ=ハールーン殿下。貴女に一つでも傷をつけたりしたら、私どもの命はありませぬゆえ」
 美の手本のような微笑と淡い哀しみを浮かべつつ、私にそう優しい声色を使ったのは一人のエルフ。
 腰まで届く長い金色の髪を無造作に背中に流し、長い耳が立っている。私ですら言われなければ男女の区別のつかない美しい面には澄んだ蒼い瞳が輝いていた。
 彼の纏う乳白色の衣は水の炎の精霊の加護を受けた極上品だ。
 あくまで私に対して『優しさ』を表現する彼に、答える。
 「命の安全を保障したいのなら、私達にかまわなければ良いのではないかな?」
 「そんなに私を困らせないでもらいたいものです」
 申し訳なさそうにエルフは言うが私は知っている。
 このきれいな面の皮の裏にあるドス黒いものを。
 私の良く知ることとなってしまったこいつは、北の大森林でも指折りの実力者。
 西のエルフ族の第一王位継承者ラクシスタ=ファーレンだ。
 最近は人間との交流を積極的に行い、彼らの文化とエルフ族の文化をお互いに理解させようとしている。
 これは良いことだ。
 もともと亜人にも人間にも互いに種を保存する本能があり、また他種を排除しようとする性格すらある。
 それを覆し、お互い知り合っていこうとする彼の方針は非常に良い。
 だがしかし、彼の本当の目的はそんな文明開化の促進ではない。
 それによる利益を独占し、果ては人間の亜人も『金』という力をもってして全て支配しようと考えているのだ。
 しかし彼は公的には、今や亡きかつての人間のラーバ帝国と亜人のハールーン王国が共存していた時代を目標と掲げ、自らの部族と周辺の亜人族に団結を求めている。
 だがやはり、頑なに己の生活を守ろうとするものは多いのだ。
 特にエルフ族とは本能的に仲の悪いドワーフ族は、この呼びかけには頑なに応じていない。
 そして人間達との交易にあたってはドワーフ族の協力は欠かせない
 彼らの作り出す工芸品は美術品と同位であり、武器防具は一流品揃いだからだ。
 そんな技術を持つ彼らを動かすことのできる存在。
 それこそがかつてすべての亜人達を従えていた存在であるハールーンの血族なのである。
 ラクシスタはそこで、ハールーンの血族の『末席』であった私に目をつけた。
 私を捕らえれば、
 「私を餌に兄を誘き寄せるか? それとも私を洗脳して王に仕立て上げるか?」
 私は冷たく言い放つ。
 そう。
 私には兄がいる。腹違いの兄だ。私が物心ついた頃から2人で暮らしてきた。
 今は兄は冒険者となって諸国を旅し、時々顔を見せては土産話と仕送りをしてくれている。
 最後に会ったのは3ヶ月前だ。今のところは私の異常や己の身の危険を知ることもなくのんびりと旅をしていることだろう。
 ともあれ。
 私の問いかけを聞いた彼の微笑が変わった。
 歪んだ笑みに、だ。
 「前者ですよ。あなたを人質に取れば奴もおとなしくするでしょう。もちろんハールーンとしての力を持った彼を従わせようとは考えません。彼には私の実験台になってもらいます」
 「実験台だと? 一体どう言うことだ??」
 「教えてしまったらその時の楽しみがなくなるでしょう? 彼が来るまでの間、静かに待っていてください。二度とこの城から逃げるなんて事は考えないように」
 「それは無理だな」
 「でなくては貴女の四肢を切り落とさねばなりません」
 にっこりと自愛を込めて言うラクシスタの目は本気だった。
 「それではごゆるりと」
 小さく一礼して部屋を去るラクシスタを、私はただ睨つけることしか出来なかった。


 緑色の草に点々と赤い血が零れ落ちていた。
 俺はそれを追っていくだけで良い。
 今や追跡者は追われる身となり、追われていた俺が追跡者となっていた。
 「む、あれは」
 俺は地に伏した人影を前方に発見する。
 足早に近づくと、それは俺の追っていたファレスの女だった。
 彼女は草原にぽっかりと生えた平らな岩にすがりつくように、うつ伏せに気を失っている。
 岩は2mほどだろうか、不自然に平らな表面には六芒星を模した魔法陣が描かれている。
 「これは…テレポートの魔法かな?」
 「ううっ」
 女が呻く。右のわき腹あたりがかなりの血で真っ赤に染まっていた。
 彼女の顔色は青く、出血で熱が奪われているのだろう、小さく震えている。
 レオンから教わった俺の発気を掠めただけで、これほどダメージを食うとは……
 しかし
 「魔法使えるんなら、傷くらい塞げるだろうに」
 俺を足止めした地の精霊に干渉した魔法は精霊魔法と呼ばれる。精霊魔法を行使するものは精霊使いとも呼ばれ、万物に宿る精霊たちと言葉を交わせるのだ。
 その力を以ってすれば、生命の精霊と対話して手遅れにならない程度の傷ならば、手当てくらい訳もないはずなのだが。
 「ぐっ」
 血の塊を吐くファレスの女。
 背の灰色の翼も力なく地面に広がっていた。次第にその翼も血に赤く染まっていく。
 「……ったく」
 俺は彼女の傍らに膝をつき、仰向けにさせる。
 血に濡れた上着をめくり上げ、わき腹の傷を見た。
 「??」
 彼女の呼吸に応じて、白い肌から血がにじみ出てくる。
 俺は困惑する。
 なぜなら、
 「傷がない?」
 このファレスの女には俺の与えた傷はなかった。
 「いや…違うか」
 正確には切り傷が存在しない。
 数日前のレオンの教えを俺は脳裏で反芻した。


 「発気は己の生命の活力を対象にぶつけることだ。これは何を意味するか分かるか?」
 「分かりません」
 「即答かよっ」
 「そーいわれても……やっぱり分かりません」
 「……万物はそれぞれ固有のリズムを持っている。そこへ己の生命の活力をぶつけるということは、対象のリズムに己のリズムをぶつけるということだ、すなわちこれによって?」
 「んー、固有のリズムが崩れて、崩壊に至る?」
 「正解だ。岩などの無機物は単に崩壊するだけだが、相手が生きている者ならば話は変わってくる」
 「使い方によっては意のままに操ることができるとか、体調を崩すことができるとか…そんな感じ?」
 「そうだ、その通り。与える活力の量や質を工夫することでそれが可能だが、余程の達人でなくてはそれは無理だろうな。単純に活力をぶつけ、相手のリズムを崩して死に至らしめるという手法が多い。だが本当の使い方はこれとは違う」
 「自分自身に対して使うんですね」
 「そう。この発気を己自身に応用することによって、大幅に防御、早さ、腕力などを強化することができる。それをお前に伝授しよう」


 ―――と、そんなことを言っていたな。
 「俺の活力がコイツのリズムを狂わせているのか」
 「ガッ」
 ファレスの女はもう一度、血を吐く。相当にヤバそうだ。
 俺は彼女のわき腹に手のひらを添える。生暖かい感触とともに手がぬめる。
 溢れる血の中で、彼女の肌の感触を感じつつ、俺は目を閉じた。
 「相手の中にある俺の力を俺の中に戻すか…いや、コイツのリズムに転化させれば良いのか?」
 ドクドク
 俺は俺の心音を聞く。
 ドックドック
 手のひらからファレスの女の心音を聞く。
 ドックドックドク
 手のひらから伝わる心音の中に、彼女のものではない『音』が聞こえた。
 それが俺の『音』だ。
 俺はその音と彼女のリズムを比較し、そして
 「はっ!」
 発気。びくんとファレスの女の体が跳ねた。
 「がはっ!」
 一つ、血を吐いて身を起こす彼女。
 「ごほっごほっげほっ!」
 咳き込むその背中を軽く叩いてやる。
 「げほっぐほっごほっ……はぁはぁ」
 息を整えながら、彼女は顔を上げる。
 大きな涙目に俺が映る。どこかぼんやりとしたその視線はやがて焦点を結び、
 「んなっ、貴様っ?!」
 彼女は慌てて立ち上がろうとして、だが中腰の状態から俺に倒れてくる。
 血が足りないのだ。さらに急に起き上がったので頭から血が引いたのだろう。
 「バカだなぁ」
 思った以上に軽い彼女を抱きとめ、俺はしみじみと呟く。
 「バカって、言う人が、バカなの、よっ!」
 胸に顔を埋めながら力なく叫ぶ。
 俺は彼女をその場に横たえ、岩の上の魔法陣に視線を移した。
 「あっ」
 小さくファレスの女は俺の行動に叫ぶ。
 魔法陣の上に試しに乗ってみるが何も起こらない。どうやら呪文だとか動作が必要なようだ。
 「発動の条件は?」
 俺は動けない彼女に問う。
 当然、
 「誰が言うか」
 アカンベーをして彼女。
 「ほほぅ」
 俺はその傍らにしゃがみ、彼女の顔を見下ろした。
 「殺されても言わないからっ!」
 「殺しはしないけど……どうしようかねぇ?」
 俺はニタリと笑みを浮かべて両手をワキワキと動かした。
 「な、何する気よ! アンタ変態ね、変態でしょ。もしくはスケベ、いやー、やめてー!! へぅ」
 叫んで、そしてまた血が引いたのか軽く目を回す。
 「スケベって…そうか、スケベなことされたいのか、なるほどー」
 俺は彼女に手を伸ばした。
 「じょ、冗談よ、やめて、いやっ、きゃは、くすぐったい、きゃははははははは、はぅ!」
 わき腹をくすぐる。
 ファレスの女は身悶えつつ、笑いながらまた目を回した。
 実はくすぐりというのは、とてつもなく強力な尋問方法でもあるのだ。
 続けば息ができなくなり、しかも痛みではないから延々と続く。
 「さぁ、さっさと言えよ。さもないと今度は足の裏だぞ?」
 「……い、いや」
 「足の裏はわき腹よりつらいぞー」
 俺は彼女のブーツを両足とも脱がし、ごろりとうつ伏せに寝かす。
 そして両足をまたぎ、膝で曲げさせて再び尋問開始。
 「発動呪文は何だ?」
 ごくりと、彼女が息を飲む音が聞こえた。
 返答は、ない。
 俺は小さく白い彼女の左の足の裏に人差し指をツツツと滑らせた。
 「ひあぁぁぁ、ふひゃひゃひゃひゃ!!」
 ジタバタと暴れるが、両足を押さえつけているので逃れることはできない。
 「呪文は?」
 「誰が言いますかっ」
 今後は右足の土踏まず辺りを小指でなぞる。
 ツツツ
 「うひひひひひひひひゃ!」
 「さっさと吐いたほうが楽だよー」
 ツツツツツ
 「あひゃひゃひゃひゃっ」
 こしょこしょ
 「むひゃひゃひゃひゃ!」
 くりくりくりくり
 「にゃーーーっひゃひゃっひゃっ」
 やがてグッタリと倒れて荒い息をつく彼女に俺はため息一つ。
 「粘るね」
 「……」
 「最終手段は脇の下で、足の裏の2倍(当社比)くすぐったいけど覚悟できてる?」
 「……どんとこい」
 「ほぅ、良い覚悟だ」
 いつの間にやら沈みかけた夕日の下、この世のものとは思えない奇声が大草原に響き渡ったのだった。


 「強敵だ」
 俺は草原に倒れ付すファレスの女を見下ろして呟いた。
 グッタリと背の低い草の中に、着衣の乱れとともに四肢を投げ出す彼女は頬を赤く上気させて荒い息を吐いている。
 よもや脇の下も耐え切るとは。
 「口は堅いことで有名なのよっ」
 「ほぅ、じゃ仕方ない」
 「?」
 俺は何かをやり遂げた顔をした彼女にこう答えた。
 「また1から。わき腹に戻ろうか」
 「いやーーーーー!!」
 その時だ。
 背後の魔法陣が光を放った。
 光の中から現れたのは1人のマントを羽織った男。
 そう、このファレスの女と現れ、ファーナをさらった奴に間違いない。
 光は止み、彼の視線はこちらに。
 ファレスの女と、彼女に馬乗りになった俺に向く。
 「アパス?」
 男は小さく呟く。信じられないものを見るように。
 「貴様っ!」
 鋭い眼光は俺を貫く。
 「姉さんを傷物にしたなっ!!」
 「「へ?!」」
 銀光が走る!
 俺はアパスと呼ばれた彼女を抱き上げてその場を跳ね起きる。
 ドス!
 地面にそれは突き刺さる。
 男の得物は三節に折りたためる槍だった。地面をえぐりながら2振り目が、来る!
 「どわっ」
 バックステップで交わす。奴の槍の軌道は間違いない。
 「お前、コイツごと刺す気かっ!」
 言葉による返事はなく、槍による答えが次々と襲い来る。
 「どーなってんだよっ」
 「テジャスはキレると見境ないのよっ!」
 腕の中、アパスが答える。
 「なんか勘違いして、暴走しちゃったみたいねぇ」
 「迷惑な姉弟だなっ」
 ともあれアパスを抱き上げたまま逃げ続けるのには無理がある。
 グッと俺の袖が握られた。
 「ちょ、今アタシを投げ捨てる気だったでしょ?!」
 「チッ」
 「そーはいかないわよっ!」
 アパスは叫ぶと、ギュッと両腕を俺の首に回した。
 「しがみつくなっ!」
 「アタシも死にたくないのよっ!」
 ピクリと、テジャスの動きが止まった。
 「?」
 奴は俺とアパスを睨み、そして、
 「うぉぉぉぉ!」
 「「ひぃぃぃぃ!!」」
 今まで以上に鋭い突きを入れてくる。
 何だ、今の間は?
 もしかして…いや、可能性は…
 「テジャス!」
 俺は連続攻撃を加えてくる奴に向かって叫ぶ。
 「これを見ろ!」
 「これ?」
 腕の中のアパスの疑問符は中断される。
 俺は疑問を形作ったアパスの唇を、奪った。
 テジャスの動きが硬直する。
 ついでにアパスも彫像のように動かなくなった。数瞬の後、俺は彼女の唇を解放する。
 「あっ……」
 小さく吐息するアパスから視線を移し、俺は硬直したテジャスにトドメを刺した。
 「テジャス。甥がいいか、姪がいいかな?」
 「んな?!」
 あからさまに赤面するアパス、そして。
 「ぐはっ!」
 俺の一言に、テジャスは血を吐いて倒れたのだった。


 「テジャスは双子の弟なのよ」
 未だに目を覚まさないファレスの槍使いの額に手を当て、アパスは大きく吐息。
 「なにをするにも一緒だったけど……今回のラクシスタ様への仕官まで一緒についてきたのはアタシが心配だったからなのね」
 「とゆーより、過度なシスコンだろ、コイツ」
 「うーん、ここまでとは思ってなかったわ」
 苦笑いのアパス。
 「さて」
 俺は立ち上がる。
 「いい加減、呪文を教えてくれないか? でないと、ちょっと残酷な方法をとるしかなくなるよ?」
 俺の言葉に、アパスは肩の力を落とした。
 「分かったわよ。呪文は『ラクシスタ様、サイコーです、一生ついていきます』よ」
 「マジか?」
 「マジよ」
 センスなさ過ぎである。この呪文を唱える奴も奴だが。
 俺は六芒星に乗って呪文を唱えた。
 「ラクシスタ様、サイコーです、一生ついていきます」
 発動しない。
 「もっと気持ちを込めないとダメよ」
 「マジかよ?」
 「マジよ」
 最低である。
 「ラクシスタ様、サイコーです、一生ついていきます!」
 魔法陣に淡い光が灯った。
 「じゃあな」
 俺は光の向こうのアパスに告げる。
 「一旦のお別れね。でも」
 テジャスの傍らで彼女は不敵に微笑む。
 「あとでちゃんと責任は取ってもらうから」
 唇に手を当てて言うアパスの姿はすぐに見えなくなる。
 「へ?」
 俺は既知の浮遊感とともに、光に乗ってこの大草原を後にした。
 アパスの言葉の意味を知ることもなく。

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