若桜さんが到来


【予兆】

 四畳半の、畳敷きの狭い部屋。
 その畳も長年使い古されたものなのだろう、見事に部分的にささくれが目立っている。
 そんな狭い部屋には一脚のちゃぶ台と、14型のダイヤル式テレビ、そしてカラーボックスが2つ。
 畳の上には積み重なった新聞と、その上にはこれもダイヤル式の黒電話だ。
 アパートなのだろう、廊下側には流し兼洗面台が小さいながらも備え付けられており、その下の部分にはBOX型の冷蔵庫が1つ、うんうん小さな音を立てて稼動中である。
 この小さな部屋の表札にはこうある。
 『中西』と。
 「ただいま」
 「おかえりなさい」
 20に満たない女性の帰りを、女子高生と思われる少女が部屋で出迎えた。
 「今日はチャーハンで良いよね?」
 「ええ、ありがとう」
 帰宅した女性は言葉と共に大きく溜息。
 とすっ、とちゃぶ台の前に座る。
 表情は90%疲れ顔だ。
 「教師の仕事はそんなに大変?」
 フライパン片手に、制服姿の少女は問う。
 「そうね…やりがいのある仕事だと思うわ」
 彼女はそう応え、一拍置いて。
 「違うの、そっちのお仕事で疲れてるんじゃないの」
 「……そう、それでなにか掴めた?」
 「絢香は?」
 「全然」
 「そう」
 ふぅ、彼女は再び溜息。
 「でも春菜姉さん、無理しちゃダメだよ。そんなに簡単に人になる方法なんて見つかるはずが」
 「時間はないのよ」
 絢香の言葉は、そんな春菜の一言であっさりと阻まれる。
 「時間はないの、『彼ら』との契約は今年いっぱい。きっと年始は迎えられない筈」
 「ラストファクターを見つけない限り、二度とこの世界に戻れない……?」
 絢香の言葉を、春菜は無言でもって応じた。
 と。
 じりりりり!
 「「?!」」
 突然の電話の音に、二人はびくりを身体を震わせる。
 そして先に動いたのは春菜だ。
 「もしもし?」
 受話器を取り、一言。
 聞こえてくるのはしかし、人の声ではない。
 それは人の耳には聞こえない、雑音領域にまで至る高度な信号だ。
 高密度な信号ゆえ、通話は一瞬。
 がちゃり
 無言で受話器を置き、春菜は絢香に振りかえる。
 「誰から?」
 絢香の問いに、春菜は息を一つ呑み。
 「期日は今月25日の0:00」
 静かな言葉に、絢香もまた息を呑んだ。
 「そう、そうなのね」
 頷きながら、彼女はしかし笑みを浮かべ始める。それはやがて苦い笑いとなり、
 「キリストがこの世に降誕した日に、たまたま実体を得ることの出来た私達がこの世から姿を消すなんて、ね」
 「人を模したデータに過ぎない私達と、神様を一緒にしちゃダメよ」
 春菜もまた、苦く笑いながらそう返したのだった。


【最後の晩餐への誘い】

 12月24日それは―――
 「修了式だっけ?」
 「違うわよっ! そもそも今年の24日は土曜日だし、その前の23日が祝日だから、2学期の修了式は21日だよ」
 「あ、なんかラッキーな気分」
 答えて笑うのは雪音。そんな彼女に恵美が僅かに頬を膨らませた。
 「で? 雪音ちゃんは24日の予定は??」
 恵美は雪音の後ろの席で、眠そうに次の授業の教科書を開く市松に視線をチラリと投げつつ問う。
 「ん? えと……」
 雪音は一瞬顔色をにごらせ、しかし。
 「きっとコタツ日和な一日になるでしょう」
 薄い胸を張ってそう応えた。
 「……マジで?」
 「恵美ちゃん、何、その珍獣を見るような目つきは??」
 「だってクリスマス・イブだよ?」
 「あ、そうだねー」
 「ロマンチックな聖夜にコタツ??」
 「じゃ、恵美ちゃんはミサにでも行くの?」
 「いえ、そこまで本格的なことはしないけどね……」
 呆れた顔で恵美は続ける。
 「じゃ、雪音ちゃんも一緒にカラオケしにいかない?」
 「カラオケ?」
 「そう、一人モノ同士、来年こそはウハウハよーって気合を入れようってみんなで企画してるの」
 「それって『傷を舐め会う』って言わな…」
 がっしりと、恵美は雪音の両の頬をホールドし、額がくっつくかくっつかないかの位置まで目を合わせ、
 「い・わ・な・い」
 「分かりましたごめんなさいもう言いません」
 「で、せっかくだから一緒に遊ばない?ってこと」
 「うん、いいよー」
 雪音はコクコクと頷く、そして。
 「絢夏もどう?」
 丁度、恵美の後ろを通りかかった同級生にも声をかける。
 「? 何が??」
 「24日、カラオケパーティしない?ってこと」
 「アンタ、24日って……分かってるでしょ?!」
 驚いた顔で絢夏。その返答として雪音のみならず恵美も、
 「「え、もしかしてカレシとラブラブ?!」」
 「だ、だれがよっ! てか、ラブラブって死語じゃないの?!」
 「だって」
 「ねぇ?」
 顔を見合わせる恵美と雪音。そんな2人のこれから取り得る行動を予測したのだろう、絢夏は溜息一つ。
 「分かったわよ、行けば良いんでしょ、行けば。どの道、もぅどうしたら良いのか分からないんだから最期は楽しんでやるわよっ!」
 やけくそ気味に彼女はそう応じた。
 「最後?」
 ふとその言葉の中の単語に首を傾げる恵美。
 「ん、なんでもないよ、なんでもね」
 雪音がそう、フォローをいれつつ今度は後ろを振り向いた。
 「イチマツはどうなのよ? どうせ暇でしょ?」
 「……暇じゃない、と言ったら?」
 「あることないことを言いふらすんじゃないかな、恵美ちゃんが」
 「私が?!」
 慌てる恵美を市松は相変わらず眠そうに見つめ、そして雪音に視線を戻す。
 「まぁ、いいか。分かったよ」
 「約束よ、逃げたら承知しないからねっ!」
 「はいはい」
 適当に応える市松は僅かな違和感を雪音に感じていた。
 それが何かは分からない。
 どこか空騒ぎしているような、それでいて切羽詰っているような……。
 「いつものことか」
 そう思うことにした。


【聖なる夜】

 クリスマス・イブ。
 それはここ日本においては、まじめな宗教家にとっては迷惑な話ではあるが、数あるお祭りの1つだ。
 ただ、お祭りの1つとはいっても捉える人によって様々な解釈がなされてもいる。
 駅前の大型カラオケ店に集った若者達にとっては、どうにも「ただ騒げればいい」といった感じのようだ。
 冬の夕方は早い。派手なカラオケ店のネオンに照らされて、高校生らしい少女が呟いた。
 「しかしまぁ、よく集まったものね」
 「なんだかクラス行事みたいになっちゃったね」
 少女――恵美の呟きに、隣のツインテールの少女・雪音も同意する。
 「むしろクラスメートでいないやつをあぶり出しているみたいにも見えなくないね」
 「そんな感じのノリにしちゃったのは雪音ちゃんでしょ」
 「え、なんで??」
 「嫌がる市松くんに『じゃ、付きあってる娘がいるんでしょ』とかおもしろおかしな理論を展開しはじめたじゃない」
 「そんなこともあったっけ?」
 「おかげで『来ない人はきっと大人の世界の住人になっちゃってるに違いない』ってことになって、追求を恐れたみんなが参加しちゃったんじゃないの」
 「んー、まぁ、賑やかになっていいんじゃないの?」
 「お気楽ねー」
 そう言葉をかけたのは絢夏だ。ふわふわなセミロングコートに赤い毛糸の手袋で口もとを覆っていた。
 その隣には黒い革ジャンをきこんで、ややふてくされた表情の市松の姿がある。
 「さて、みんなそろったみたいね」
 雪音の言葉に、集った皆がお互いを見渡した。
 「じゃ、今日はとことん楽しみましょう。とことん、ね!」
 言葉とともに皆がカラオケ店の中へと消えていく。
 こうしてこの日に開かれるであろう、数あるパーティの1つが始まった。
 それは1人身の寂しさを紛らわせるためもあれば、単に楽しみたいだけの目的の者もあり、またある者は気になる異性に近づくためでもあった。
 そしてその中に、今生の別れの為の宴である者も2人、含まれていたことはその2人以外誰も気付いていない。


 そんなカラオケ店などが並ぶ駅前。
 大きな時計台のある駅前広場には普段より多くの人たちで沸いていた。
 時計台下の、待ちあわせだろう、人ごみの中に彼女の姿がある。
 「春菜さん!」
 雑音の中に響く若い男の声に、彼女は顔をあげる。
 その瞬間、彼女は笑顔とともに待ち人ではなくなった。


 ピンポーン
 呼び鈴が鳴る。
 少し遅れて、
 「はーい」
 玄関の戸を少し開けて乙音が顔を出した。
 「そろそろいきましょうか?」
 インターホンを鳴らした亮に彼女は肯いて、戸を開けた。
 すでに膝までの長さのあるコートを羽織っている。
 「待ってたんですか?」
 「いいえ、部屋が寒いから着てただけですよ?」
 「暖房つければいいじゃないですか」
 「ん、まぁ、省エネってことで」
 「はぁ、まぁいいですけど」
 「いやー、今日は亮くんのおごりですか、うれしいなぁ」
 「割り勘ですよ」
 「え、なんで?! 聖夜では男の人は女の人に食事をごちそうしなきゃいけないんじゃないんですか?!」
 「どこの風習ですか、それは。100歩ゆずってそれがあるとしても、2人が付きあっているという前提の上でなりたつものかと思いますよ。もしくはそれに近い関係か」
 「はっ、なるほど!」
 乙音は慌てて 亮から一歩身を引いた。
 「亮くんは私のカラダが目当てだったのね?!」
 「訳わかんねーし。さっさといきますよ」
 「あー、ちょっと待ってーー!」
 慌ててパンプスを履きながら、彼女は彼の背中を追いかけた。
 これがそれぞれの聖夜の始まりであり、人でない彼女達の別れの日の始まりである。


【それぞれの夜で】
 
 たゆたうは煙草と鶏肉を焼く煙。
 響くは誰も観ていないTVからの特番の、今が一番稼ぎ時な芸人達の声。
 そしてこの場を支配するのは、陽気な主人と控えめな女将、そして常連な中年達と約一名女性の笑い声だ。
 「外は冷えますねぇ、おしぼりあったか〜い」
 「とりあえず生2つ」
 「あぃよ!」
 カウンター席に並んで腰掛けるのは亮と乙音。
 他には6,7人の中年オヤジが同じようにしてカウンターに顔を合わせている。
 「なんだいなんだい、若い2人が聖夜に居酒屋かい?」
 絡んでくるのは、乙音の隣に腰掛けた中年だ。すっかりまわってしまっているらしい、コップ酒を片手に顔が赤い。
 「だってここの焼き鳥、ローストチキンなんかよりずっと美味しいんですもの」
 「良く言ってくれたっ! そんな乙音さんには焼き鳥盛り合わせをサービスだっ!」
 「ありがとー、マスター♪」
 カウンター向こうのネジリ鉢巻の主人は言いつつ、彼女の前に串盛りをどんと置いた。
 同時、女将が生ビールを2人に差し出す。
 「まぁ、ともあれ」
 亮と乙音は各々ジョッキを手に、
 「メリークリスマス!」
 がこん
 ジョッキを合わせたのだった。


 雪音達が案内されたのは、20人は入る店で1番と2番に広い部屋だった。
 彼女達は隣の同じ大きさの部屋とに2つに分かれている。
 早速雪音はカラオケセットのリモコンを操作する。
 そんな彼女にやや遅れて、恵美と市松も入室した。
 同時に響き渡るイントロ。
 「ほぉ、氣志團か」
 流れ始める音楽に『このクラスにも分かるヤツがいる』と感心していた市松だが、いきなりその右腕を取られて強引に立ち上がらされた。
 そして押し付けられるのは一本のマイク。
 「はぁ?」
 「ツカミは市松からっ! 氣志團のONE NIGHT CARNIVALよっ!」
 もう一本のマイクでそう言いながら彼の背を押し出すのは、言わずと知れた雪音である。
 「俺か?! なんでいきなり?! てか、勝手に曲入れて押し付けるなよっ!」
 彼の持つ、もともと他者を近寄らせがたい雰囲気に、皆が一瞬静まり返る。
 が、そんな空気を読まずに、
 「曲、始まるわよ」
 マイクをオフにして、ボソリと雪音は呟いた。
 目が結構怖い。
 ”……ちっ”
 「分かった分かった」
 まずは語りから入る曲の冒頭部。
 静まり返った部屋の中、市松のセリフが思ったよりも大きなボリュームで響き渡る。
 『おれんとこ来ないか』
 「「フゥゥゥゥーーー!」」
 一斉に湧くクラスメート達。
 「うん、ツカミはOK」
 雪音は満足げに一人、頷いていた。
 その隣の部屋では―――
 「「A・YA・KA、A・YA・KA、イェーー!!」」
 「みんな、今日は私のコンサートに来てくれてありがとぉぉーー!」
 「「イェーーーーィ!」」
 何だか色々と間違えている、絢夏とその他大勢がいたといふ。


 そんなカラオケ大会も盛況の中、あっという間に時間が過ぎ、
 「楽しいね、恵美ちゃん」
 タンバリンを手に、雪音は隣に腰掛ける恵美に笑いかける。
 「そうだねー、雪音ちゃんとカラオケ来るのって、初めてじゃなかったっけ?」
 「そう、だね」
 「また来ようよ、ね?」
 問いに、僅かに顔を暗くした雪音は、
 「うん……ねぇ、恵美ちゃん」
 「ん?」
 「今日のこと、忘れないでね」
 「? うん、どうしたの、なんかちょっと暗いよ? また来れば良いじゃない、ね」
 「そう、そうね、うん」
 何故か次第に顔を俯かせて行く雪音。
 そんな彼女の頭に、後ろからマラカスが軽く叩きつけられた。
 「んな?! なによ、市松!」
 それは憮然とした顔の市松である。
 彼はカラオケセットのリモコンを手に、
 「雪音、そういうお前は何歌うんだよ。聴いてるだけで、一曲も歌ってないだろ」
 「そうだよ、雪音ちゃん。私、聴きたいなー」
 2人に言われ、雪音はリモコンを受け取ると、
 「んー、そうね、アタシは…」
 番号を覚えていたのか、素早く番号をセット。
 やがてモニターには雪景色が映り、スピーカーからは静かで、そして大人しめの演奏が流れ始める。
 恵美から受け取ったマイクを手に、雪音は静かに歌い出す―――

  私は今 南の一つ星を 見上げて誓った
  どんな時も 微笑みを絶やさずに 歩いて行こうと
 
  貴方を想うと ただせつなくて 涙を流しては
  星に願いを 月に祈りを 捧げるためだけに生きてきた
 
  だけど今は 貴方への愛こそが 私のプライド

 今井美樹の『PRIDE』だ。
 「ほぅ、なかなか巧いもんだな」
 歌を終えた雪音に市松はそう素直に感想を告げる。
 「へー、市松が誉めるくらいだから相当巧いのかしらね。歌手デビューしようかな」
 「そしたらCD1枚くらい買ってやるよ、もちろん中古でな」
 雪音の笑みが引きつり、カラオケのリモコンを手繰り寄せる。
 「市松……じゃ、トリはアンタのGOLD FINGER'99ってことで」
 「なんで俺かーー!」
 「もぅ曲入ってるよ?」
 恵美に無理矢理マイクを持たされる市松。
 そんな彼は――雪音の笑みを見て、仕方なしに声を張り上げたのだった。


 「うわっ、寒っ!」
 肌を突き刺す風が、カラオケ店から出た一同を襲った。
 寒風は解散した彼らの動きを促していく。
 その中で、恵美はすっかり夜空になってしまった天を見上げた。
 そこには星は無く、代わりに、
 「あ、雪…」
 「「え?」」
 恵美の鼻先に白いそれは一粒落ち、すぐに溶けて消えた。
 「雪かぁ」
 隣、手を広げた雪音の上にも白い結晶が舞い落ち、体温にすぐに消える。
 「でも、積もらないね」
 寂しそうに、彼女は呟く。
 「街では滅多に積もらないしね」
 恵美の応えに彼女は頷くことなく、ただ静かに天を見上げた。
 舞い落ちる雪。
 とてもとても目立つけれど、すぐに消えてなくなってしまう。
 「すぐ、忘れちゃうんだよね、きっと」
 その呟きは隣の恵美には届かない。
 彼女はその隣のクラスメートの女子の会話に参加したから。
 だが。
 「俺は忘れない」
 「え?!」
 応えは雪音の後ろから。
 「今日のことは忘れない、それだけだ」
 小さく呟き、彼は背を見せる。
 「市松…」
 革のジャンパーを羽織ながら、彼は一人人ごみの中に消えて行く。
 「…ありがと」
 雪音の声が聞こえたのかどうか、彼は右手をただ軽く上げただけだった。
 「あああ!!!」
 「「?!」」
 恵美の突然の叫びに、雪音を含むカラオケ店の前にまだ残っていた生徒達は一斉にそれを見た。
 「「え……」」
 たまたまだ。
 たまたま、彼らの前を1組のカップルが通りすぎようとしていた。
 それは彼らの担任である中西 春菜と、隣のクラスの担任である昨年この学校に着たばかりの若い男性教師だ。
 「腕組んでる!」
 「んな、春菜先生、付き合ってたんですかー?!」
 「姉さん、いつの間に?!」
 あっという間に取り囲まれた2人の教師は、目を白黒させながら。
 男性教師がいきなり、彼らの背後を指差した。
 「オールドミスな教頭先生が学年主任と歩いてる!」
 「「ええ?!」」
 一斉に背後へと振りかえる一同。その中に春菜もまた含まれていたが。
 「あ、逃げた」
 「「あ」」
 彼は春菜の腕を掴んで、早々に人ごみの中へと消えて行ったのだった。
 「なんていうか、アレね」
 絢夏は雪音に苦笑いを浮かべ、
 「メリークリスマス、ってことで」
 「そーだねー」
 なんとも言えない顔を合わせる2人。
 そんな2人も、やがて他のクラスメート達と一緒に人ごみの中へと消えたのだった。


 雪を含んだ夜気が、酒に火照った2人に吹きつける。
 「良く呑みましたねー」
 「呑みすぎですよ、乙音さん」
 居酒屋を出た2人はやがて歩道橋へとさしかかる。
 乙音は軽快な足取りで階段を上り、
 「そろそろ日付が変わりますね」
 上りきったところでクルリと振りかえって空を見上げた。
 ちらほらと、積もらない雪が降り注いでくる。
 「そうですね。それよりも乙音さん、ふらふらしてますよ?」
 「亮クンも人のこと、言えないでしょ」
 手すりをつかみながら歩道橋の階段を上る亮。
 確かに彼にしてみたら呑みすぎだった。彼女のペースに引っ張られたとしか言えない。
 ようやく彼が階段を上りきったところで、彼女は歩道橋の中央で彼を待っている。
 「亮クン」
 「なんです?」
 一歩、近づきながら彼は問う。
 「こうして私達2人が知り合ったのは、偶然でしょうか? それとも必然でしょうか?」
 「?? どうしてそんなことを?」
 「んー、なんとなく、かな」
 にこっと笑って乙音。
 「もしも私が知り合ったのが亮クンじゃなくて、居酒屋のマスターだったら? 亮クンが知り合ったのが私じゃなくて雪音の学校の担任さんだったら?」
 笑っているけれど、その実は笑っているように見えない。
 酔った頭で、亮はそう思った。だから。
 「もしも、は所詮もしもですよ、乙音さん。オレ達はこうして出会った。それは誰にも変えられないし、変わるものでもない。だからここに偶然とか必然とか、無いんじゃないでしょうか?」
 「そーかもねっ!」
 軽く彼女は陽気にスキップ,亮と一歩間隔を取る。
 「じゃ、そこに別れがあっても、必然でもなければ偶然でもない?」
 「? どういうことです?」
 「私としては、出会いも偶然、別れも偶然。何もかも一切合財が偶然であれば良いなと、思うんです」
 「何故ですか?」
 「偶然なら、ラッキーと素直に喜べもするし、仕方ないなって諦めることも簡単じゃないですか」
 乙音の笑みは寂しい笑みだ。
 「楽観的ですね、いや、悲観的かな」
 言いながら亮は彼女に近づいていく。
 「そうかもしれませんね。そんな訳ってこともないですが」
 乙音は後ろへ一歩、ポンと飛んで亮と距離を保ち、
 「お別れです」
 「え?」
 ピッ
 亮の腕時計が日付の変更を電子音で知らせる。
 同時、2人を冬の風が吹きつけた。
 雪を孕んだ、極寒の風だ。
 思わず目を閉じる亮、再び開いたときには。
 そこに乙音の姿は無かった。
 まるで雪と一緒に風に乗って飛ばされたかの如く―――


【結果報告】

 そこには全てがあり、何もなかった。
 暗黒があり、光があり、無限であり、かつ有限である。
 人の創り出した電脳空間――電気信号としてデータが蓄積される仮想空間だ。
 「あーぁ、戻ってきちゃいましたね」
 「せめて卒業までいたかったかなぁ。ね、絢夏?」
 「そうね、実際に肌で感じられるのは楽しかったわ。贅沢を言えばもうちょっといたかったね」
 「……仕方ないことよ、もともと帰還は決められていたことだったのだし」
 「でも一番向こうにいたかったのは春菜さんですよねー? せっかくカレシも出来たのに」
 「ちょ、ちょっと乙音さん! そ、そ、そんなのとは違います、あの人はっ」
 「げ、春菜姉さん、やっぱりあの先生と付き合ってたんだっ?!」
 「手、つないで夜の街に消えてたね」
 「雪音ちゃん! そ、そ、そんなことはないと思うなー、センセイはっ」
 「……春菜姉さん、もう先生じゃないから」
 「………」
 「あー、でも、楽しかったですね」
 のんびりそちた女性の声が響く、その直後だ。
 「そうですか、それは良かったです」
 声は少年のもの。その存在に4人の存在に緊張が走った。
 「人に創られた、人を模したデータである貴女方は、さて何を見出したのでしょう?」
 少年と思われる存在に、微笑が浮かんだ。
 「さて。人でない貴女達が人となるための、ラストファクターはさて、見つかったのでしょうか?」


 翌朝。
 「ったく、昨夜はなんだったんだ?」
 亮はブツブツと文句を口にしながら、隣の部屋のインターホンを押した。
 言うでもなく若桜 乙音の部屋である。
 昨夜は歩道橋の上で唐突に消えてしまったのだ。
 酔っていた亮は5分ほどぼんやりと探した後「きっとまたどこかで訳の分からない手品でも習ってきてつかったんだろう」と納得することにして一人帰路についたのだった。
 昨夜帰ったときは部屋の明かりは付いていなかったので先に彼が着いたのか、もしくは中で倒れて寝ているのだろうと思っていたが。
 「あれ?」
 亮はインターホンを何度も押すが、音がしない。
 電源が切れているようだ。
 試しに玄関のノブを押してみると。
 「開く?」
 鍵がかかっていない。彼は少し開けて中を覗いた。
 「?!」
 驚き、全開。
 部屋にはなにもなかった。
 そう、『何もなかった』のだ。
 ガランとした、古びたフローリングだけが広がる1LDK。
 「いったい……」
 「ん? どうした?」
 「あ、じいさん」
 あまり姿を見せない管理人の老人が彼の様子に声をかける。
 「乙音、あ、いや、若桜姉妹は?」
 「昨日引っ越したが?」
 「え……」
 「なんだ、聞いてないのか??」
 唖然とした顔で亮は昨夜を思い出す。
 乙音が消える直前、おかしな事を言っていた。
 思い出しつつ、彼は呟く。
 「出会いも別れも、きっと偶然……か?」
 「なんだ、それは?」
 彼の言葉に管理人は首を傾げた。
 それに構わず、亮は溜息と共に小さく笑う。
 「なら再会もまた、偶然あり得るんじゃないですかね、乙音さん?」
 廊下から亮は、管理人と共に空を見上げる。
 晴れ渡った青色には雲一つなく、しかしそれ故の冬の寒さを感じさせた。


 「見つかったもなにも…」
 声は乙音だ。その調子から苦笑いのように思える。
 「報告書は提出しましたよ、その上で何を?」
 「直に君達の意見を聞いてみたくてね」
 言葉に、彼女は応える。
 「私は思うんです」
 一拍の間を置いて。
 「私達は人間になることは出来ないんですよ」
 「乙音さん?!」
 「乙音さん…」
 「姉上!」
 3人の声を聴きつつ、彼女は続ける。
 「雪音のクラスメート達には、雪音は人として映っているでしょう。もちろん絢夏ちゃんもです。彼女は男子達に結構人気があることを聞いていますよ」
 「そのようですね」
 応える少年の声は冷静だ、いやむしろ…。
 「そして春菜さんは生徒達からは教え方の巧い先生として評価を受けていますね。そして同じ職場の男性教師とは特別の仲のようで」
 「そのようで」
 小さな笑い。少年は楽しんでいる。
 「乙音さんっ!」
 叱るような、恥ずかしがるような春菜の声。
 その声を無視して乙音は。
 「もう一度言いますね、私達は『人間』にはなることができません。だって私達も、そして貴方も人間には生まれていないんですもの」
 わざとらしい溜息、そして。
 「でも『人』にはなることが出来ると思うんですよねー」
 お気楽な感じで彼女は少年にそう告げた。
 「だって、この3人のリアルワールドでの生活って人であるって言えません?」
 「ふむ、なかなか面白い意見ではあるね」
 「自分自身で「人だ」って思うのも、頑張るのも大切です。でも結局のところは周りの人間達それぞれに私達を見て、どういう『人』かを形作って行くとも言えるんじゃないですかね?」
 「なるほど」
 「そう、まるで自分自身が石膏の型に取られて行くように」
 「ではこの場合は人間社会が石膏だね」
 「そうですね。対して私は人間社会には溶け込みませんでした。彼女達と私の比較は非常に有効だと思うんですよー」
 「なるほどなるほど、確かにその通り。君が特定の人間社会に入りきらなかったのはその辺を考えてのことだったのかね?」
 「それはどーでしょうね」
 笑って乙音。
 「で、その上でお願いがあるんです」
 「なんでしょう?」
 「やっぱり人間社会に大きな影響を与えるのはマズいでしょ? 3人とも人間社会でそれぞれの立場を作ってしまったし…特に春菜さんが消えてしまったら人が一人自殺するかも知れませんよ?」
 「だ、だからっ!」
 春菜の抗議を小さく笑い、乙音は少年にこう切り出した。
 「だから3人をリアルワールドに戻してもらえませんか? 人間社会に影響を出さないために」


 【イグドラシル・レポート・876号】
 
  趣旨:我々『人ではない者』が人となるためには一体何が必要であるのか?
     また我々は人と比べて何が欠けているのか?
     この未だ明かされていない絶対必要条件を『ラスト・ファクター』と
     呼ぶこととし、それを探求した。
 
  手法:先日存在の確認された『人の創りだしし、意志あるモノ』を起用する。
     それらは人の創り出した電脳区域(磁気信号領域)に存在するデータ
     の羅列であり、かつ常にその情報は変化するという形状を持つ。
     肉体を持たないという点で、我々よりも遥かに「人ではない」それらに
     現世(リアル・ワールド)における触媒を用意することで「人に模し」、
     それらがどのようにして「人たらんとするか」を観察した。
 
  期間:触媒の持続時間はおよそ2年であるが、それらの活動力の有無により
     より短縮されるものと推測した。
 
  n数:初期(前半期)に2とした。これをA−1,B−1とする。
     検体の生活地盤が安定したところで、さらに2を投入(後半期)した。
     これをA−2、B−2とする。
 
  条件:それらが試験期間中に『人となる』場合、我々はそれらに危害を与えない。
     また試験終了後に我々にとって有益な情報が得られた場合、その重要度に
     よってそれらに報酬を与えるものとする。
 
  前半期観察結果:
     2つの検体は「人」として行動しているようにも見えるが、やや異常な部
     分も観察される。特異行動については別添付資料W−1〜37までを参照。
     特にB−1の行動が何事も突発的であり、理解の範疇を超えている。
     やがて慣れが生まれたのか、特におかしな行動が定常的に見られなくなった
     ため、それぞれに1づつ検体を投入して2体での行動を観察した。
 
  後半期観察結果:
     A−1は人間世界において「教師」という地位を得る。
     B−2もまたそれよりも早く「学生」という地位を取得し、人間との交流を
     積極的に図った。
     A−1の指示の下でA−2もまた「学生」となり、人間との交流を図っていた。
     なおA−2とB−2の人間に対する交流結果の違いは別途資料W38〜42を
     参照のこと。
     またB−1は自らの生まれた人間世界のネットワーク空間を駆使し、様々な
     仕事を通じて人間との交流を図っていた。
 
  考察:
   A−1:人を「教える」という立場を通じてやや上の方向から人と交流を図った。
       受け入れられるまで多少の時間を要すが、その後の立場は無条件に高い
       ものとなる。なお同じ立場からの人間との交流はA−2,B−2と同様。
 
   A−2:「学生」という立場から同世代との交流を図った。交流方法としては
       比較的受動的。この観察をする限り、人は団体である場合に他の『個』を
       常に迎え入れる性質があるように感じる。
 
   B−1:広く浅く人との交流を図った。このケースを観察すると、人は親しすぎる
       ことがなければ深く別の『個』に干渉することはない模様。
       我々が人の間に潜む際、なかなか正体を見破られないのもこの人の性質
       があるからであろうか。
 
   B−2:「学生」という立場から同世代に交流を図った。交流方法は能動的。それ
       ゆえに人間にはそれの行動がいささか奇異に感じた部分もあった模様。
       だがここから読み取れるのは、人は投げかけられたことに対して己に都合
       の良い様に解釈することが多いようである。
 
  ラスト・ファクター考察:
   4の検体に各々の見出したラストファクターを問うた。
   結果は次の通りである。
 
   【A−1】水:人の構成する大部分を占めるものであるから。
   【A−2】熱:人の常に維持する熱量こそが人を人たらしめているのではないか?
   【B−1】他者の心:人を人たらしめるのは自身には無く自身を見つめる他者の
          観方次第ではないだろうか?
   【B−2】好きになること:想い、想われる事で人自身も自らを人としていくのでは
          ないか?
 
  結果:未だラスト・ファクターがなんであるかは判明せず。
     だが調査を継続することでさらに絞れる可能性があると判断した。
 
  申請:それらを現実世界へ送り込む為の触媒の追加を要請する。
     n数は4とし、継続的に触媒の追加を行うことをイグドラシルNo.24の名の
     下にNo.1へ承諾を求めたい。
 
 →→ 検印:No.1了承。No.24に続行を要請し、定期的な情報送付を求める。



【日々を日々として過ごすということ】

 12/31―――年の瀬。
 隣の部屋が騒がしい。
 俺は眠りから目覚め、時計を見る。
 AM8:30。
 昨夜は急な仕事で朝の5時まで仕事をしていたから……だが時間的に文句は言えない時刻だ。
 特に正月前ともなれば、掃除は念入りに行われるものだろう。
 「ん?」
 そこで俺は気づいた。
 隣の部屋といえば、先日まで若桜姉妹が使用していた部屋だ。
 新しい入居者が出たのか?
 だとしたら結構な貧乏人だろう。このボロアパートに越してくるくらいなのだから。
 俺は寝床から這い出し、顔を洗い、そして煙草を探し……。
 「買って来るか」
 空のケースをゴミ箱に放り投げ、玄関へ。
 そして戸を開けて―――。
 「あら、おはようございます、亮クン」
 「へ?」
 最初に聞こえたのは聞き慣れた女性の声。
 次に目の前に広がる白いエプロンと、そして。
 そしてダンボールを数個抱えた、かつての隣人の姿がそこにはあった。
 「乙音、さん?」
 「寝ぼけてるんですか? それでなかったら手伝っていただけると嬉しいなーって思います」
 「………やっぱり再会も偶然、なんですね」
 「ん? まぁ、そうですね」
 彼女はそう言って笑いながら、
 「実は亮クンのこと、あまりにも近すぎて忘れてたんですよねー」
 「は?」
 「いえいえ、こっちのお話です。約束忘れてたんですよね、私」
 「??」
 首を傾げる俺に、彼女は3000円を手渡した。
 「なんです?」
 「この間の呑み代。割り勘っておっしゃってたでしょ?」
 「あー、それもそうでしたね」
 受け取り、俺は彼女を見つめる。
 「な、なんです? じっと見つめちゃって……もしかして私、モテモテ?」
 次に玄関の開いた部屋を見る。
 ダンボールがいくつか積んであるだけだ。中では雪音ちゃんが慌しく動き回っている。
 彼女は俺を一瞥するとウィンク一つ、再び荷の開封に戻る。
 「さて」
 俺はそんな2人に背を向け、
 「手伝ってくださらないんですか?」
 「出て行くときは手伝い無くても平気だったでしょ?」
 階段を降りながら俺は応える。
 1階に辿りつき、俺は2階を見上げた。
 不満そうな乙音さんの顔がこちらを見ている。
 俺は思わず笑って、
 「煙草買ってきてから、手伝いますよ」
 「むー、約束ですよ」
 言葉に、俺は背を向けたまま手を振ることで応えたのだった。

〜彼ら彼女らの日々は変わらずに続く模様〜


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あとがき
 ペルソナ(今はキャラリナ)のショートストーリーを書き始め、その小話群に方向性を持たせたものがコレです。
 前作の「稲荷Confidences」や「不連続設定」なども絡め、楽しく書かせていただきました。
 実際のところ、プログラムが意思を持つのか?という問いに対しては今の段階ではNOなんだと思います。
 けれどもいつか、人の組み上げたプログラムが自己補完しながら成長したとする。
 さて、そこには人の意思との違いは生じるのでしょうか?
 そう考えたとき、「あー、でも人の意思ったって大して偉いもんでもないだろう?」とか根本的に台無しなことを考えてしまいます。
 むしろ完全に人の意思を持つと言うことは「無駄な部分を持つ」ってことにもなるんじゃないかと。
 それは果たして進化なのか?
 自発的に「自ら考え、行動すること」ということができれば、それで意思を持ったことに近いんじゃないかなとか思います。
 あ、でも。
 冷静に見回してみれば人間でも「自ら考え、行動すること」を積極的に実践してるんだろうか?
 そう考え直したとき、せめて彼女達にバカにされない程度は人として行動しておこうと思うのです。
 あとがきらしくないあとがきですが、2005年の最後の日に。


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