Elhazard The Shudderly World !! 



 ルーンはテラスから城下街を眺める。
 日は落ち、空は群青色から黒へとその色彩を変えつつあった。
 眼下に広がる数えきれないほどの光点。その一つ一つに人の営みがあることを、この国の元首である彼女はよく知っている。
 上空を流れる冷たい風が、彼女の長い髪と頬を撫でて行く。
 「束の間の平和…ね」
 今にも折れてしまうそうなほど細く、寂しそうに彼女は呟き上を見上げた。
 月が冷たい明りを全てに投げかけている。
 そして…
 巨大な機械の星が、その脇で不気味に浮いていた。
 先エルハザードの遺産・神の目。
 この遺産という兵器は鬼神イフリータと並び、今の世界より高度に発達した文明を崩壊に導いたとされる。
 その崩壊劇は『破滅の七日間』と称され、今でも各地に史跡として,口伝としてその爪跡を残していた。
 威力は実際に起動させた彼女が一番良く知っている。
 ここロシュタリアの西に横たわる聖大河。その向こうに栄えていたバグロム帝国を僅か半刻も用いずに消滅させたのだ。
 彼女と妹のファトラの、指の動き一つで。
 敵とは言え、幾百万の命を容易く奪ったのである。ルーンにはその時の感触は今でも悪夢として蘇る。出来る事なら全てを忘れて逃げ出したいとも思っていた。
 だが、忘れる事は出来ない,いや、忘れてはいけなかった。
 今の彼女達の命は、彼らを歴史の犠牲にしたからこそ成り立っているのだから。
 ともあれこの一件で、長きに渡って続いていた「人間VSバグロム」の戦いに終止符が打たれ、平和が訪れるはずだった。
 「もしもバグロムが勝っていたら、彼らはお互い戦っていたかしら」
 否という答えがルーンの心に響く。バグロム達は女王ディーバの下、整然とした国家であった。個体ごとには邪心がないというか、あまりにも純朴過ぎる生命だったのだ。
 「ガレス,貴方はここまで予測していたの? していなかったとしても、貴方の望む様に私達は身を削りあいながら戦っているわ」
 ルーンは夜空の中、自分を騙した幻影族の青年を思い浮かべる。
 幻影族…邪悪な異世界の種族。神の目によって引き起こされた次元の割れ目により、この世界に召還された者達。幻を以て人を惑わせ、戦へと駆り立てる悪しき者達。
 青い肌をもった彼らはこの世界を、神の目を作り出した先人の血を引く彼女達をうらんでいる。
 それ故に求めるものは、この世界の破滅。
 彼らが企んだ神の目の暴走は一人の青年と心を取り戻した鬼神の力によって妨げられ、野望は散った。
 だがおよそ三年経った現在、エルハザードでは数々の紛争が勃発している。
 今までは共通の敵・バグロムがいたからこそ嫌々ながら手を結んでいた諸外国が、その脅威がなくなり国力が回復してきた現在、各地で小競り合いを続けていた。
 なおロシュタリアに関して言えば、戦いはない。当然である、神の目を有するこの国に難癖をつける国があろうはずがなかった。
 だが宗主国であるが故、その一つ一つを第三者として間に入り、話し合いで解決していかなくてはならないのだ。
 現に今日も、ルーンは北方のルーゲインとアイデンシティの元首を招き、国境問題を半ば強引に解決させた。僅か山一つ分の、それも人も住まない豪雪地帯の領地を巡ってすでに人が一千は死んでいる。
 「でも、やれることをやるしかないわね」
 ルーンは視点を夜空から街並みに移す。
 一つ一つの暖かな灯火。
 彼女はどんな事をしてでも、それを一つでも多く守ろうと改めて己に誓った。


戦慄の世界 エルハザード

第壱夜 戦感の世界へ



 ロシュタリアは南と西に聖大河を臨み、首都を国土の南部・聖大河のほとりにあるフリスタリカに定め、年を通して温暖である。
 北には都市国家ガナン,マルドゥーン山を身の内に抱く宗教国家カシュクと接し、東には砂漠と荒野を国土の90%とする、256の遊牧部族からなる大国グランディエが控えていた。
 さらにカシュクの北には聖大河と接したバルバトス公国,その内陸にフィリニオン公国が存在したが、バグロムとの戦いで両国とも疲弊,現在は合併しフィリニオン興国となり中程度の国土を抱くようになった。
 そのフィリニオンは東にアリスタ公爵領セルメタ,北にロシュタリアと親交の厚いとされるエランディアと、壁の様にそびえ立つココリコ山系の麓に点在するアクーナ、リリシアなどの独立国家でもない経済的にも貧しい街が点在している。
 現在、これらロシュタリア周辺地区では大きな戦いは起こっていなかった。
 もっとも紛争の起きやすいと思われたグランディエに至っては、逆に周辺各国に軍隊を送って紛争を鎮圧したり、また出没する魔物を退治したりと統率の取れた軍隊しかり、争いの種も見えない国内しかりと全く問題は見受けられない。
 それどころか彼らの率いる対バグロム戦でも存分に活躍した軍隊は、遊牧民ならではの機動力・及び古来よりこの地に眠る先エルハザードの技術を解析・応用して独自に作り上げた各種武器によってロシュタリアに次ぐ各国に対しての影響力を高めていた。
 そんなロシュタリア周辺国の重鎮が一同に会する場がある。
 親交と平和とお互いの連携を高めようとした年四回の集まりに、それは合わせて催されていた。
 味皇決定戦。
 エルハザード全土の料理人が注目するこの大会は、審査員に後日の会議もあって、各国重鎮が参加していた。
 そこにあのバグロム帝国残党・陣内 克彦が現れ、審査員を人質に取ったのである。



 彼女は冷静な視点でこの騒ぎを見つめていた。
 ロシュタリアにて行われているこの味皇決定戦,審査員たる彼女は今、バグロムの腕の中にある。
 突然上空から現れた彼らは陣内という男の指揮の下、統率された迅速な行動で審査員たる各国首脳達を拘束したのだ。
 しかし、彼女は思う。
 あるべき緊張感が僅かに欠けている,そう感じた。
 目の前で演じられているバグロムの指揮官の男と、良く分からない青年との間で交わされる会話も、まるで知り合い同士のような感じすら受ける。
 そんな思考の間に何処がどうなったのか分からないが大神官が四人揃っていたりする。
 唐突に、舞台の上で戦いが始まった!
 「ウガ」頭上の声に彼女は身を堅くして顔を上げる。その拍子に金色の長い髪が頬にこぼれた。
 視線の先にはこちらを見つめる、束縛するバグロム兵の視線がある。
 バグロム兵は彼女を抱え上げ、舞台から目立たぬように降ろした。そして軽く手を振る。逃げろと言っているようだ。
 「?」予測しえない行動に彼女は首を傾げる。
 そしてバグロム兵は軽く己の頭を掻いて、阿鼻叫喚の舞台へと飛びこんで行った。
 その後ろ姿を見つめながら、彼女は疑惑をさらに募らせる。
 先のバグロムと同盟の神の目を用いた戦い,これは果たして起こるべくして起こったものなのか?
 もしかしたら、神の目を使わずに済んだのではなかろうか?
 退却し始めたバグロムと、炎に焼け落ちる舞台を眺め、彼女は厳しい視線を騒ぎの元に向ける。
 そこにはこの騒ぎの勝者であるロシュタリア元首,ルーン=ヴェーナス,その妹君ファトラ,四神官,その他大勢が立ち去ったバグロムに胸を撫で下ろしている光景があった。
 「ミュリン様,お怪我は?」 傍らからの突然の声に彼女はゆっくりと視線を向ける。
 左右の腰に一本ずつ長剣を差した黒服の青年。ややきつめの細い瞳は彼女だけに向けられていた。
 「シオン…大丈夫よ」彼女は小さく微笑む。そして彼と伴に視線を舞台の上へ。
 「貴方にはキツイ質問かも知れないけど・・・」彼女は髪を手で後ろに梳き、壊れたセットの中でマスコミに追われ初めた青年と風の神官を眺め、語尾を濁した。
 「分かっています,貴女のおっしゃりたいことは」シオンと呼ばれた青年は彼女の詰まるような問いに即答。
 「先の大戦,幻影族が大きく関わったという可能性はあるでしょう。神の目の研究も、もしや彼らの見えない糸が引いているのやも知れませんね」
 「…可能性、であって欲しいものですね。明日の会議は早いわ,戻りましょう、シオン」
 騒ぎが絶頂期に入った舞台から背を向け、彼女・ミュリンはシオンを伴って味皇決定戦の会場を後にした。



 「ハァ!」
 夜空の下、彼は白馬に掛け声と伴に鞭を打ち、草原を駆け抜ける。
 槍を背に、唯一騎。彼に従う者、追う者は特に見受けられない。
 やがて馬の疲れを知ったか、もしくは偶然にも草原を縫う様に流れる小川を見つけたからか、彼は馬を止めて小川のほとりに歩む。
 馬はそのまま、小川に口を付け喉を濡らした。
 「ふぅ」
 溜息一つ、彼は草原に腰下ろす。
 何もない、地平線に囲まれた草原だった。彼の住む地に比べ、幾分寒さを感じる。
 確実に北へ向かっている証拠だ。
 雲に隠れた月が、風の力を借りて顔を出す。温度のない光が、彼を照らし出した。
 歳の頃は20近辺であろうか,作りの良い顔立ちをした、黒髪の好青年だった。
 そしてロシュタリアに住まう者は気付くかもしれない。顔立ちはファトラ王女そっくりであることに。
 さらにほんの一部の者はエルハザードを救った一人の青年であると思うだろう。
 「クレンナさんも、無茶言うよなぁ。僕一人で探してこいだなんて」彼は独り言を呟いて苦笑しながら懐から一枚の紙を取り出した。
 古い古い羊皮紙だ。何かの地図であろう,北のココリコ山の麓・アクーナの街を示したものだ。
 「ホントにここに究極の美少年がいるのかな?」
 彼は二日前の事を思い出す。
 「ラマールはいるか?!」そんな怒鳴り声が発端だった。
 カシュクの中央の詰め所で平和を満喫していた彼に、いきなり飛び込んできた前任の炎の大神官クレンナ=クレンナがこの羊皮紙を彼に放り投げ、問答無用に指示。
 「先エルハザードの兵器・鬼神の在りかを示した地図が唐突に私の手元に舞い込んできた。ちょっと行って取って来い」
 反対を言わさぬ迫力だった。
 「何で僕が??」面食らう彼。
 「伝説の鬼神は美少年だったらしいぞ」
 「すぐ行ってまいります!」
 以上である。
 彼の名はラマール=サード。宗教国家カシュクで対バグロム戦において彼が率いる隊は常勝。虫を退けた英雄的存在であった。
 『あった』と過去形であるのは、彼の変わった趣味が世間にバレ始めてきたからである。
 その趣味とは…
 ラマールは不意に立ち上がった。羊皮紙を懐にしまうと、地平線に向かって,いや、目的地である未だ見えないアクーナの街に向かって誰も聞く事もない誓いを大声で叫んだ。
 「僕は絶対君を,美少年の君を迎えにいくぞ! イフリーテス!!」
 そう、彼は美少年愛好家なのであった………



 「あっれ〜??」 
 「どうしたんですか? 菜々美さん?」 
 「カーリアがいなくなっちゃったのよ。何処行ったのかしら??」 
 「この人ごみだもん。はぐれただけだよ」 
 パルナスは二人の女性を見上げ、そう結論を出した。
 唐突にバグロムの襲撃(?)を受けた味皇決定戦はうやむやの内に終了し、祭の余韻もまた徐々に冷めつつあった。
 会場とされたこのロシュタリア郊外の広場はてきぱきと撤収作業が行われ、見物客も次第に街の方へと散って行っている。
 「そね。先に帰ってるかもね」 
 菜々美はパルナスにそう笑いかけ、クァウールを伴い東雲食堂への帰路についた。
 その背中の舞台上では…
 「姉上、怪我はありませぬか?」 
 「大丈夫ですよ、ファトラ。貴女、お料理上手だったのね」 
 「…あれを上手というのでしょうか??」 
 撤収作業を見守るロシュタリア王族と、
 「あの、ファトラ様。私はいつまでこうしていれば?」 
 すっかり忘れられた皿の上のアレーレ。
 「さぁ、宿に帰ろ,シェーラ?」 
 「う〜、アフラの奴…」 
 菜々美達とは反対方向へと向かう大神官のシェーラ=シェーラとイシエル=ソエルの背中があった。
 今宵もロシュタリアの街にいつもの夜が訪れる。
 「おや、ストレルバウ博士? 流血して如何なさいました?」 
 「ロンズ殿…済まぬが医療班を…アフラ殿の風の方術にやられて…」 
 「おい、そこの撤収はゆっくりやれ!」 
 「あの、ロンズ殿?」 
 「照明装置は使い捨てではないぞ! 壊さない様にデリケートに扱えといったら何度分かる!!」 
 「無視せんでくれ〜、ロンズ殿〜」 
 …いつもの夜が訪れる??



 ヴヴヴウヴヴヴヴウヴ………
 くぐもった音の響くホール状の部屋。
 光源と思われるものはないが明るい、不思議な空間。
 金属性と思われる壁には不可解な黒字の文字がびっしりと描かれ、部屋の中心には3mほどの高さの四本の六角の金属棒と、3つの水の如く透き通った拳大のクリスタルが先端に嵌っていた。
 一本だけ、クリスタルの存在がない。
 四本の金属棒は正方形を描く形で存在を部屋の主人公としていた。
 ヒタリ
 足音が、響いた。
 四本の柱の立つ部屋の中心、すなわち位置的には柱の描く四角形の中心に、まるで湧き上がるようにして一人の少女の姿が現れる。
 白い髪に褐色の肌。僅かに笑みに歪んだ口元。両手に大事そうに抱え持つのは小さな白い珠だった。
 白い珠からはぼんやりと人の形が湧き上がり、少女を包み込んでいる様にも見える。
 「ここか…」 しわがれた声で、彼女は辺りを見渡す。
 声は明かに彼女の声帯を通したものではない。老人のそれに限りなく近い。
 「次元に故意に断裂を作り、空間が元に戻ろうとする自然の作用から破壊力を取り出す先エルハザードの遺物・神の目………ようやくここまで辿りつけたのぅ」 
 ニタリと、邪悪な笑みが少女に広がる。
 ここは天空に浮かぶ神の目の中枢部。次元からエネルギーを引き出す破壊の力の源を生成する場。
 当然、ロシュタリアの王族姉妹が起動させない事には作動せず、現在も周辺の部位が僅かに起動しているだけでこの場所は完全に沈黙している。
 カーリアは部屋をクルリと一周。壁に所狭しと描かれた文字に目を通す。
 「………ふん、なかなか小癪な技術を使いおるわ。神聖文字による結界で装置を規制するとはのぅ。これでは特定の血筋の者しか使えぬわけじゃ。だがワシにかかれば」 
 呟きつつ壁の文字を睨み、ツイと一角に右手を付けた。
 ゴン!
 破砕音,文字が壁の一部ごと削り取られる。
 カーリアは満足げに頷くと装置に振り返った。
 「起動せよ」 
 ゥゥン…
 クリスタルに光が灯る。
 「計算外も幾つかあったが、叩き落された次元の狭間からこれでようやく戻る事が出来るぞ…ククク…クヒャハッハッハッハ…は?」 
 バカ笑いのカーリアは突然、その笑いを止めた。
 彼女の視線はクリスタルの『ない』柱の先端に止まっている。
 「はて…な、なんと言う事じゃ! 何処の誰が位相核を持ち出しよった?! これではワシは具現化する事ができぬではないか!!」 
 彼女は半ば叫ぶようにして光が衰えつつある3つのクリスタルに怒鳴りつけた。
 しかし返す者がいるはずもなく、その声は壁に吸い込まれるのみ。
 「しかも肝心な「時のクリスタル」ではないか………「点」「線」「面」の3つでは幾らこのアルージャでも無理じゃ…」 
 がっくりとその場に膝をつくカーリア。やがて、
 「ともかく時のクリスタルを探すしかあるまいか」 彼女は呆然と呟く。
 彼女は手にした宝珠を自らの目線の位置へ。
 白いその滑らかな球面には、彼女の顔ではなくカエルのような老人の姿が映っていた。
 老人は目の前の少女の姿を見つめる。老人は自虐的な笑みを浮かべていた。
 「ワシが送り込んだとは言え、たかだかこの程度の木偶人形の意志ですら、このような珠がなくては満足に操れんとはの,時の大神官もきいて呆れるわ」 
 鬼神カーリアは時を操る大神官アルージャによって現在に再現された『モノ』である。
 そしてそこに宿る意志を具現化させる宝珠。この二つの引き合わせは彼による苦し紛れの遠隔操作だった。
 「この人形にしばし我が身を宿す事にするしかあるまいか,未だ時間は制限されてはいるが次第に乗っ取れよう。時の狭間から直接意志を反映させる手段を得ただけでも良しとするしかないの」 
 白い珠からより多くの黒い闇が漏れる。それをカーリアは口へと運び…
 ゴクン…
 珠を飲み込んだ。
 ダラリと両手をたらした少女は、焦点の合わない瞳で光を失う3つのクリスタルを見渡す。
 「ともあれ、この神の目の本来の機能を取り戻せる様、異相核を探さぬとな」 
 カーリアの声でポツリ、呟く。
 ようやく焦点の合った瞳に知性の光を宿り、彼女は床の下へと溶ける様にして消えていった。



 「たっだいま〜」 
 「?」 
 東雲食堂に光が灯る。
 「どうしたの? 灯りもつけないで」 
 「カーリア姉ちゃん,寝てたの?」 
 「え?」 
 菜々美とクァウール,そしてパルナスは真っ暗な食堂で呆然と立ち尽くしていたカーリアに声を掛ける。
 カーリアは我に返ったように左右を見渡す。
 「あれ? 私いつの間にここに?」 
 戸惑いを浮かべてカーリア。それに菜々美は小さく笑った。
 「今日は色々あったから。疲れてるんでしょう? もう寝なさい」 
 「う、うん」 
 首を傾げながら自分の部屋に戻って行くカーリア。
 彼女の変化に、本人自身も気付いてはいなかった。



 ファトラは正拳を部屋の壁に叩き込む!
 正装した優雅な姿の彼女の顔は、怒りに歪んでいた。
 白塗りの石作りの壁に、一筋の赤い線が引かれてゆく。
 「忌々しい!」 吐き捨てる様に彼女は呟いた。
 祭の翌日。
 彼女の怒りはロシュタリア周辺各国の定例会議での席のことだった。
 どこでどう口裏を合わせたのか分からないが、周辺各国が「神の目の完全封印」 を主張したのだ。理由は「バグロムのような脅威が滅んだ今、ロシュタリアこそが次なる世界の脅威になりうる」 とのこと。
 正論だった。
 ファトラも、個人的な理由がなければ諸手を挙げて賛成していたに違いない。
 神の目の破壊力はあっさりと国家一つを滅ぼす事が出来る。いくら軍隊が強い武器を持とうが、戦略に長けようが、そんなものはこの比ではない。明かに人間が持ち余す代物だ。
 だが、ファトラには封印する前に一つやっておかなければならないことがある。
 それは一人の男への恩返しだ。
 越権行為であることは承知している。しかしそれに充分見合うものを彼から得ていた。
 ファトラだけではない,知られてはいないが結果的には彼の協力があってこそ、今のエルハザードがあると言っても良いと、ファトラは内心思っている。
 だが、それを知っていても会議場ではあっさりとした態度が展開されていた。それが分かってはいても、どうしても納得する事は彼女には出来なかった。
 ファトラは数刻前のその状況を苦々しく思い出す。


 「分かりました」 
 ルーンは重々しく頷いた。ザワリ、会場がざわめく。もっとごねるものと思っていたのだろうか。
 「ロシュタリアは神の目を封印致しましょう」 
 ルーンは大神官代表のクァウールに視線を向ける。
 彼女もまた、小さく頷いた。
 「神の目は全てを無に返す諸刃の兵器。ロシュタリアとしてもこれ以上、直接抱えるのは危険と考えておりました。何か間違いがあっては、では済まされませぬから」 
 「では話は早い」 
 老人が勢いよく立ちあがる。東の大国グランディエの王サンタバレヌスである。
 がっしりとした体格には衰えは見受けられず、日焼けした褐色の肌にストレルバウに勝るとも劣らぬ長い顎鬚が何処となく仰ぎたくなる風格を醸し出している。
 「すぐにでも封印を」 
 「しかしサンタバレヌス殿」 言葉を挟んだのは学術顧問のストレルバウ。
 「封印とは言っても、その手段は解明されておらぬのです」 
 開封に関しては口伝に残っていた。
 しかし封印は口伝にも何もないのである。おそらく開封と同時にその文明は滅びると先エルハザード文明は考えていたのか…
 「それを解明するのがアンタの仕事だろう?」 
 「簡単に言うのぅ」 形だけは笑い合う二人。
 若き頃、ストレルバウとサンタバレヌスは同じ学舎で過ごしたと言われている。
 それも伴に究極の女体を求める学術の旅に出たこともあるそうだが、それは定かではない。
 「大神官殿には封印に関しては伝わっておらんのか?」 
 クァウールに尋ねるは小太りの中年男。アリスタ公爵領セルメタの代表である公爵の弟だ。
 「特にそういったものは伝わっておりません」 無感情に、しかしはっきりと応えるクァウール。
 「大昔に封印したのはアンタらじゃないのか?」 
 「神官の『技術』を用いた者達です。厳密に言えば我々ではありません」 
 「ふぅん」 興味がなくなったのか、彼は隣に座るフィリニオン興国代表に振り返る。
 「?」 
 代表である国王の少女は立ちあがっていた。
 「ルーン殿,我が王家にはこういったものが伝わっておりまして」 
 彼女・ミュリン国王は傍らに置いていた木の箱をストレルバウに手渡した。
 ストレルバウは彼女を見上げる。コクリ、小さく頷いて応えた。
 学術顧問は木の箱を開ける。中には一冊の崩れかけた本。
 「神の目の製造に携わった技師の書物とされています。わが国でも鑑識にかけたのですが何分、未だ学力には疎いもので」 
 ストレルバウは木の箱に再びフタをする。
 「解読してみましょう。恐ろしく古い文字に、書き手本人がクセ字の為に難解と思われますが」 
 「宜しくお願い致します」 ミュリンは小さく微笑んで席に戻る。
 ファトラは鋭い目をフィリニオン興国国王に向けた。
 ”アイツか…裏で糸を引いたのは”
 見た目は害のなさそうな少女,しかしファトラは彼女の目の奥に強い光が宿っている事を感じ取る。
 同時にどことなく姉に雰囲気が似通っている事を感じずにはいられなかった。
 「では神の目に関しては封印の技術が判明するまで厳重に監視するということで異論はありませんね」 
 ルーンの言葉に、各国代表は大きく頷いていた。


 「何者だ、ミュリンというのは」 
 彼女は美人の域に入っている。
 しかしいつもとは違った意味で同性に興味と、そして僅かな嫌悪を抱きつつ、ファトラは午後からの会議へと気を取り直す。
 「アレーレ!」 
 「はい!」 
 何処からともなく飛び出す彼女の侍女。
 「ミュリンという女を調べろ,どんな細かい事も漏らすな」 
 「はい」 
 ファトラのいつにない鋭い視線に気付き、アレーレもまた姿勢を正す。
 「このアレーレめにお任せを…」



 「菜々美,A定食3つにロシュタリアランチ2つ!」 
 「OK!」 
 昼飯時、今日も東雲食堂は活気に満ちていた。
 「B定食にCセットね!」 
 「A定食3つ、お待ち!」 
 そしてそんな喧噪も、昼をまわる頃には一段落する。
 「「ありがとうございましたぁ!」 」 
 最後の客が出ていったのは午後2時30分。
 2人は大きく安堵の息をつく。
 「じゃ、私達もお昼にしましょうか」 
 微笑んで問い掛ける菜々美は、しかし相方のすぐれない表情に首を傾げる。
 「どうしたの、カ−リア」 
 「菜々美…」 
 先程までの元気は一体何処に行ってしまったのか,カ−リアの顔には戸惑いと不安のそれが映っていた。
 「あのさ」 
 「ん?」 
 菜々美はふざけることなく、カ−リアの前に座る。相方の悩みを敏感に感じ取っているのだ。
 「もしもさ」 菜々美は静かに促す。
 「もしも、私が昔の知らない私,破壊の鬼神になっちゃったら、菜々美,どうする?」 
 いつもの笑顔からは想像できない、脅えの気持ちが鬼神カーリアの顔に浮かんでいた。
 「決まってるでしょう」 菜々美はそんな彼女を優しく包み込むように微笑み、続ける。
 「その時は、私が貴女を責任もって殺してあげる」 
 きっぱりと、迷いなく,そして本気で菜々美は告げた。
 「うん、ありがとう」 
 安心したのか、カーリアは安堵に微笑む。そこにはかつての殺気に満ち満ちた古代兵器としての鬼神の姿はない。
 「さ、お昼にしましょう。何が食べたい?」 
 「ええとね、スパゲティなんかどう? ガナン風味の」 
 「良いわね!」 
 しかし着々と、鬼神に変化は訪れていた。



 「誠はんは角砂糖は幾つがよろしおす?」
 「一つ、お願いします」
 マルドゥーンの大神殿,マルドゥーン山の山頂にそれは建っている。
 エルハザードの屋根と言うべきこの山はココリコ山と負けず劣らずの標高を持った高山だ。
 最も人を寄せ付けない環境でありながらもいつの頃からか、この神殿は威風堂々とまるでこの山の主と言わんばかりに揺らぐことなく存在していた。
 そしてこここそが先エルハザード文明の技術を信奉する神官達の、その頂点に立つ大神官のみが住まうことを許された聖地なのである。
 現在は風の大神官一人と、珍しくも来訪者が一名の計二名が神殿に腰を下ろしていた。
 二人は神殿の奥にいる。そこには図書室があった。主にあらゆる情報・知識を重んじる風の神官達による蔵書であるが、近年は現在の風の大神官の手により質・量ともに充実したともっぱらの噂である。
 日の光が巧妙な建築様式によって間接光として取り入れられ、図書室全体を淡く包む中、一人の青年が一心不乱に蔵書を漁っていた。
 「お茶、入りましたぇ」
 どこかしら呆れたような笑いが込った女性の声に青年は顔を上げる。
 図書室の一角に設けられた大きな平机,その上に芳しい薫りの湯気が二筋立ち昇っていた。
 「ありがとうございます、アフラさん。ここんとこ、もうちょっと読んでから行きますわ」
 湯気の立ち昇るカップを手に取った女性に、彼は笑顔で応える。
 「冷えますぇ」
 一言,彼女は椅子に腰掛け、結いを解いた長い黒髪を背中に流してから己もまた書物を手に取った。
 静かな、落ちついた刻が過ぎ去って行く…
 マルドゥーンの大神殿の所有する書物はここにしかないものが半分以上を占める。
 多くの学者達にとってここの図書室の高水準な内容は垂涎の的ではあるが、場所と神殿所有という難しい立場上、利用者はほとんどいない。
 誠にしても、アフラから書物を借り受ける事はあっても足を直接運んだ事はなかった。
 「なるほど…神の目のエネルギーはこの方法で発生させとるかもしれへんな」
 誠はぶつぶつと小声で呟く。
 昨日、ここマルドゥーンへアフラに連れて来てもらい、今朝からこの図書室に篭っている。
 言うまでもなく彼の目的は『神の目の解明』することで『次元を渡る』ことだ。
 「でもこの場合、正確な公式はどうやったら…」
 「何か見つけはりました?」
 「わぁ!」
 突然、耳元で囁かれ誠は飛び退き、
 ドカッ!
 本棚に激突。
 どさささ!
 「うぁぁ!!」
 落ちてきた本に埋まった。
 「…何してますのん? 古典的どすなぁ」
 「びっくりさせないで下さいよ」誠は非難をあげつつ、本から這い出す。
 「別にびっくりなんかさせとりませんわ………ホント、前しか見ぃへんお人やわ」
 アフラは苦笑い。
 「ぶつぶつ本棚に向かって話しかけとったから、なにか危ないクスリでもやっとるのかと思いましたわ」
 「声に出てました? よく菜々美ちゃんにも言われるんですわ」
 笑いつつ誠は本を本棚に戻しながら必要なものだけを重ね、湯気がもう収まってしまったカップの乗るテーブルに置いた。
 「仮説やが、神の目の中枢構造がはっきりしてきたわ」
 椅子の一つに腰掛け、誠。
 「へぇ,どのパターンの仮説ですのん? ウチが聞いとるだけでも16,7ありますで」
 アフラは彼に向かい合う様に腰掛けた。
 「四機軸を用いた仮説の方や」
 「ああ、空間そのものを「点」「線」「面」「時」の四つで構成されてとると仮定した…」
 アフラはかつて誠から受け取った論文を思い出しながら再びカップに口を寄せる。
 「ええ。何らかの強い力をそれぞれの要素にぶつけて、空間を壊すっちゅうものや」
 「空間は元に戻ろぉするとき、強い反作用で与えたエネルギー以上のエネルギーが発生するゆうものどすな。エネルギー保存の法則を無視しとるてストレルバウ博士に指摘されとりましたん?」
 「そうですけど…異次元から余剰エネルギーが流れてきとる考えたらなんとか説明にならへんかな思うて。それにここにある文献やら古文書を見とったらこれしか思いつかんのや!」
 次第に言葉に感情がこもってくる誠に、アフラは結局まだ手を付けていない紅茶の入ったカップをそっと彼の前に押した。
 「直接神の目を見れば、解決するん違いますの?」
 アフラは敢えてそう言ってみる。
 「………ルーン王女様にも迷惑掛けとうありませんから、出来る限り仮説をハッキリさせてから思いまして」
 ロシュタリアが本格的に神の目の解析を始めようものなら、それが武器でなくとも、近辺諸国はロシュタリアに対し警戒を強めるのは必至だ。
 誠もそれが分からないほど鈍くはないし、現状では神の目の放置についてルーンが同じ同盟諸国から処遇をどうするのかと、無言の中で攻められているのを察している。
 彼は違った意味での困り顔で、カップの中身にようやく口をつけた。
 仄かな甘味が口の中に広がる。その僅かな糖分は青年の体に、生体活動に必要な欲求を思い出させた。
 ぐぅぅ…
 腹が、鳴った。
 「あ…」
 「時間はたっぷりありますぇ。急ぐ事、ありゃしませんわ」
 アフラは椅子から立ち上がる。
 「ちょっと遅めのランチおすが、準備してはります。菜々美はんには敵わへんおすが」
 切れ長のアフラの瞳が笑みにさらに細くなる。彼女は誠よりも一つ年下の、菜々美と同い年のはずなのに、ずっと年上に彼には感じられた。
 いつも結って上げている髪をたまたま下ろしているからだろうか?
 「あ、えと、その…」
 「?」
 真っ直ぐな視線で射られ、誠は何故か頬が熱くなるのを感じる。
 「…おねがいします」
 クスリ,アフラはそんな誠に小さな笑いを声に漏らしていた。



 二人はY字路に出た。
 一方は西への砂漠の道・グランディエ方面。
 もう一方は北への荒野への道・カシュク方面。
 マルドゥーンへは北のカシュク方面へ向かいさらに北へ行ったところにある。
 「じゃ、またね」
 「おぅ、じゃな!」
 二人は言葉少なげに別れた。
 すなわち、炎の大神官は北へ。
 地の大神官は西へ、である。
 大地を吹き抜ける風だけが、彼女達の行く道を知っていた。



 遠く、晩餐会の為に雇った楽団のゆったりとした音色が届いてくる。
 ロシュタリア近隣諸国の代表を招いた定例会議も終わり、足労を労う晩餐会も中ほどで彼女は一人、城の中庭へと足を運んでいた。
 目の前にはこじんまりとした石造りの一軒屋。彼女と同じ容貌を持つ青年の為に与えられた研究所だ。
 その小屋の窓から明かりが漏れていた。
 「誠? 帰ってきたのか??」
 彼女・ファトラ王女は白いドレスを風に泳がせ、研究所の扉を開ける。
 足は止まらない、そのまま彼女は灯りのある小屋の主の書斎へと踏み込んだ。
 「誠?」
 部屋に立つ一つの人影にファトラは疑問を投げかけた。
 「? ファトラ王女様?」
 返って来たのは青年の声,だが彼女の知る声ではない。
 男が持っていたのであろう,ランプにうっすらと彼の面影が闇の中に照らし出された。
 背丈は誠と同じ位であろうか,短く切り込んだ黒髪に、整った面には切れ長の鋭い瞳がファトラに向けられている。
 闇に解け込むような黒い礼服の腰には二本の長剣が提げられていた。
 「何者じゃ!」
 言うが早いか横殴りのハイキックを繰り出すファトラ。
 双剣の男は驚きつつも身を後ろに引いて、髪の毛一本分の距離でファトラの蹴りの軌跡を拝む。
 「むぅ」ファトラは柳眉を歪ませ、今度は拳を構えた。
 「誰何と同時に相手を黙らせるような事するのはどうかと思いますが、ファトラ様」
 青年は敵意がないことを示すかのように両手を上に上げた。
 「私は誠に会いに来ただけなんですよ」苦笑いを浮かべてファトラに訴える。
 「残念ながら誠は風の大神官に拉致されて現在は行方不明じゃ」
 「そうでしたか」
 「では今度はこちらからじゃ,貴様、何者じゃ?」警戒を解くことなくファトラ。今度は蹴りをかわせない様、男を壁に追い詰めての尋問だ。
 「私はシオン=バルバトス,誠とはロシュタリア王立学園で共に学んだ仲です」
 「ほぅ」ファトラの目が細まる。
 「彼に伝えることがあって、晩餐会を途中で抜けてきたのですが…」
 困った顔でシオン。
 「何処の国の代表に仕えておるのじゃ? 貴様」
 ファトラの記憶には午前・午後の会議にはこの男はいなかった,となると護衛か補佐として付いてきたと考えた結果である。
 「フィリニオンはミュリン国王殿下でございます」
 「ほぅ」その名を聞いた途端、ファトラの殺気が脹れあがった。
 同時にシオンの愛想笑いが不敵な笑みに変わる。
 「誠に何の用があってきたのじゃ?」
 「その前に」
 シオンは言葉を挟む。
 「ファトラ様は誠とは『深い』関係にあられるようで…」
 ファトラは爪が食い込むほど拳を握り締めた。どうやらこの男、誠の唯の旧知というだけではないようだ。
 「誠に伝言をお願い頂けないでしょうか?」
 「…それが用事か」
 「はっ」笑みを消し、シオンは形式上だけ畏まり頭を垂れた。
 「申してみよ」
 「はい」顔を上げるシオン。
 対峙する白と黒。黒がファトラの思惑通りの言葉を、紡いだ。
 「今日から我々は敵同士だ…と」
 彼の言葉が終わると同時に、ファトラの正拳がシオンの背後の壁に炸裂した!
 「む!」
 青年は彼女の直線的な攻撃を、狭い室内で宙返りしながら頭上を越える事で回避。
 ファトラの背後に立つ。
 「それでは伝言の程、宜しくお願い致します」
 敬礼。
 シオンは研究所を音もなく去っていった。
 ファトラは壁にめり込んだ拳を撫でながら、男の去っていった闇を睨みつける。
 と、その闇が再び人の形をとった。
 「?!」思わず身構えるファトラ。現れたのはしかし先程の男・シオンではなかった。
 「水原君、お久しぶり!」
 女性だった。ランプの弱々しい明かりに銀髪のショートカットが光を乱反射させている。
 年の頃はファトラと同い年であろうか,20辺りに見えた。美人ではあるがそれよりも、人当りの良さそうな、明るい感じを印象に残す女性だ。
 ファトラと同じく晩餐会を抜け出してきたのであろう,フォーマルドレスを着込んでいる。
 「あら?」彼女は首を傾げる。
 「水原君、『また』女装してるの? 胸の辺りなんて本物みたいじゃない!」ファトラを見つめ、笑ってそう言った。
 「…わらわはファトラじゃ」
 場が、凍る。
 「あ、あの…水原君は?」
 「留守じゃ」
 「も、申し訳御座いません!!」表情堅く、彼女は平謝りした。
 「良い,気にするな。ところでお主、サンタバレヌスの従者じゃな?」
 「はっ! シャーレーヌと申します」
 晩餐会においてファトラは『女性だけ』はしっかりチェックしていたりする。何の為のチェックかは定かではないが。
 サンタバレヌスは西の大国グランディエの国王である。
 「誠の知り合いか?」
 「はい。ロシュタリア王立学院で伴に学んだ間柄です」
 「ふむ」
 ファトラはシャーレーヌを上から下まで眺める,その間0.1秒。
 ”誠の奴め,わらわと同じ容貌を逆手にとって、わらわの知らぬ所でこのようなナイスな女をキープしておるとは…許せん!”
 十中八九間違った事を思いつつも、表には出さずにファトラは続ける。
 「で、何の用じゃ?」
 「これを…」シャーレーヌは懐から一通の封筒をファトラに手渡した。
 何かの紹介状の様だ。
 「? 何じゃこれは?」首を捻るファトラ。
 「当国に住む高名な科学者への紹介状です。今回の会議で水原君が困りそうな境遇になってしまったようなので」
 ファトラは宛先をそっと見遣る。『ハーゲンティ』という名が書き添えられていた。彼女の記憶にはない名だ。
 ”ふむ、先程のシオンとやらのような学友は選ぶでないぞ,誠”
 「これはこのファトラが責任持って直接誠めに手渡すことを約束しよう。奴に代わって礼を言うぞ、シャーレーヌ」
 ”言うだけではないがな、うひひひひひ…”ストレルバウの教育が悪かった様だ。
 「滅相も御座いません。宜しくお願い致します」
 深々と頭を下げ、彼女はその場を去ろうとする…が。
 ガッシリとその細い右腕をファトラに掴まれた。
 「まぁ、そう急くな。今宵はわらわと語り明かそうではないか」
 「え、あ、あの…」ファトラの白く細い指が流れるように、いつの間にやらシャーレーヌの首筋まで伸びていた。
 「誠という共通の話題もあるでなぁ」
 「水原君の言った通りの方ですね。ルーン殿下が探してらっしゃいますよ」無抵抗のまま、ファトラに苦笑する彼女。
 「何、いつもの事じゃ」
 「私もサンタバレヌス様のお世話をしなくてはなりませんので」
 シャーレーヌの後ろへまわり、ファトラは彼女を抱きかかえる様にしてドレスの胸の所から直接手を忍ばせた。
 「あんなジジイは放っておけ」
 手に返る感触を楽しみつつ王女は耳元にそう告げる。
 「なかなかそうも行かないものですわ。ファトラ様もルーン殿下が本格的にお怒りになられる前に戻った方がよろしいですわ」
 まるで目の前に怒っているルーンを見ているように、シャーレーヌは言った。
 「あら、早速お呼びが掛かりましたわ。では…」
 クスリ、シャーレーヌが微笑むと同時に、
 ぽん!
 「うぁ!」
 ファトラの腕の中のシャーレーヌが音を立てて消えた。
 ひらりと一枚の紙が宙を舞う。ファトラは驚きつつもそれを手に取った。
 長方形の手のひらほどの大きさの紙,墨で黒く様々な象形文字が何らかの規則性に沿って描かれていた。人を描いている様にも見える。
 これに似たものをファトラは二年ほど前、誠に見せてもらった事があった。
 神官の用いる法力を文字によって紙に封じるという遥か西の地の古き技術。それを『符』と呼ぶ。
 誠はそんな一風変わった失われた技術を独力で解明する友達のことを語った事があったのだ。
 「人形の符…か? 姉上は本当にお怒りなのか…な?」
 ファトラは符を投げ捨て、早足で研究所を後にした。
 月明かりに晒された符は、やがて崩れて消えた…



 ガタン!
 「?!」
 菜々美は階下で、そんな物音を聞きつけてベットから身を起こした。
 今は夜中の一時頃だろうか,客の訳がない。
 彼女は立てかけてあったモップを片手に、ゆっくりと階段を降りて行く。
 ガタン!
 「誰!」
 モップを構える菜々美。
 窓から、月明かりが差し込んでいる。
 その冷たい明かりに曝されているのは…カーリアだった。
 まるで絵画のように、静止した美を放っている。
 ほっと胸をなで下ろす菜々美。
 「どうしたのよ、こんな夜遅く?」
 「に…げて…菜々美…」
 「?!」
 変わらぬ,無表情のまま、カーリアは苦しげに言葉を発する。菜々美は戦慄!
 「カーリア,貴女?!」最悪の事態を察し、彼女の言葉尻は掠れ、消えた。
 ヒュン!
 トッ!
 菜々美の足下,木の床に何かが突き刺さる。それは月明かりを受けてそれ以上の冷たい光を彼女の目に返した。
 包丁である。
 「それで…私を…まだ私がここにいる…今の内に…」
 カーリアは途切れ途切れに言いながら、菜々美に向かって両手を広げる。
 「で、できる訳、ないでしょう!」
 「約束してくれたじゃない!」無表情が破れ、カーリアは叫ぶ!
 「私の中に…何かがいる…破壊を抱いた邪悪ななにかが…押さえられない!私は…消えちゃう…その前に…」
 ゆっくりと菜々美に近づくカーリア。その表情は苦痛のそれから次第に狂喜のものに変わって行く。
 菜々美は床に突き立った刃を抜き取り、構える。しかし握るその腕は小刻みに振えていた。
 「早く!」喉を絞るように叫ぶ鬼神。
 「わぁぁぁ!!」
 目をつむり、菜々美は包丁を小脇に構えて鬼神の胸倉に飛びこむ!
 何かを突き破る感覚と生暖かい飛沫…の感触はなかった。
 「あ…」
 菜々美は包丁から手を離して、ゆっくりと後ろに下がる。
 「危ないぞ」
 クスリ,カーリアは包丁を掴んだ右手を軽く振って微笑む。
 凍るような、悪しき笑み。
 カラン
 包丁はカーリアの手の中で飴細工のように曲がると床の上に鉄の塊となって落ちた。
 「木偶人形に感情が宿るとは思えんが…ワシの制御が甘かったのか?」両腕を確認するように回しながら、カーリアの姿をしたそれは一人ごちる。
 「あなたは誰?!」
 菜々美の問い掛けに、しかしカーリアは一瞥しただけだった。
 「しかし何処に持ち去られたのやら…この機体を制御するのに丸一日かかるくらいじゃ,先は遠いのぅ」大きく溜め息,その足のまま、東雲食堂の出口へと向かう。
 「待ちなさい!」
 その前に立ちはだかる菜々美!
 「カーリアを返しなさい!」
 「お主の知る鬼神は消去したわぃ,邪魔じゃ」菜々美に向かって軽く右手を突き出す鬼神。
 「グッ!」
 胸に強い衝撃を受け、彼女は横っ飛びに壁へと叩き付けられた!
 「この機体を保管してくれていた礼に、命だけは助けてしんぜよう」
 カラン…
 カウベルが鳴る。
 「必ず、私が殺してあげるわ…カーリア」
 薄れ行く意識の中、菜々美は月明かりの下に出た鬼神の後ろ姿をその目に焼きつけていた。

To Be Continued... 



キャラクター考察・第一回 『ルーン&ファトラ』

 戦慄の世界エルハザードのキャラクターをペアで紹介・及び考察して行きたいと思います。
 トップはこの2人! あとがきみたいな感じでお読みください。


 この二人は異母姉妹のようです。
 でも両親がいません、これは自然死とは考えずらいところですね。
 では変死か? となると誰に殺されたのか? 事故死か? 疫病でしょうか?
 何やらきな臭いです,エルハザードの混乱を望む幻影族が絡んでいそうですな。
 これはまぁ、置いておいて、この二人には非常に強い姉妹愛があるように思えます。
 OVA1ではルーンがバグロムに襲われるのを覚悟してまで直接ファトラを探していますし、OVA2に至ってはファトラが真っ先にルーンの手を引いて逃げているシーンがあります。
 血族が少ないからこそ、その大切さを知っているのではないでしょうか?


 さて、まずはルーンです。
 古代兵器・神の目を有するアメリカみたいな立場のロシュタリア元首。
 基本的にはボケですが、応用的にはわざとボケることで計算高く行動していそうです。
 神の目の起動を決定したり、どこの馬の骨とも分からない誠達一行を信用したりと、時には大胆な決断もでき、またファトラが捕らえられた時の覚悟も出来ていた様な気もします。
 私情よりも国を重視する、王としての資格がある女性ですね。
 それ故に己を殺して苦しいのでしょう,いつも憂えた顔をしているのが可哀想です。
 おそらく部下や国民の中には彼女のために命を投げ出せる者が幾人もいるのではないでしょうか? カリスマは高そうです。
 彼女をしっかり守ってくれる殿方が現れる事を期待します。


 対してファトラはやりたい事をやらなきゃ気のすまない,まさに行動派な方です(ワガママともいう)。
 さらに同性愛者というアブノーマルな性癖のある方で、おそらく市民には彼女の行動は予測しきれない事でしょう。そんな彼女にルーンは危険な時にはお得意のボケで逃げ切っている様です。
 しかしそんなファトラも姉であるルーンにはどうやら頭が上がらない様です。時に着せ替え人形と化し、ルーンの気の赴くままに遊ばれています。
 ルーンに逆らわない(えない)理由は具体的には『ない』のでしょう。ルーンにもしも本気で逆らったとしたら、彼女には精神的な逃げ場がなくなるのではないでしょうか?
 また、彼女は大神官の攻撃に対して回避し得るほどの体術を習得しております(OVA2)。
 学力的にも『〜じゃ』という言葉使いに見られるように幼少よりストレルバウによって勉学を叩き込まれた様です(勉学だけじゃない様な気もする…)。
 単体ユニットとして高い能力値を兼ね備えた王女である事は確かですね。


 こんなカリスマの高いルーン,実行力のあるファトラ。
 ファトラが成長し、本気で国政に力を注いでルーンのバックアップを務めたとするならば、ロシュタリアは今よりも栄えるでしょうね。


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