高速の死角

その一


 エラく、いきなり、初っ端から、何故かよくわからないが、
 「ふにゅ〜」
 高見ちゃんが、現実逃避モードになっている。
 かなり突然だ。
 とっても突然だ。
 ホントに突然だ。
 かなり、とっても、ホントに突然だ。
 で、何故なっているかは、今は言えない。
 言えないったら言えない。
 ホントに、言えない。
 だって、後で、繋がるんだもん。
 だから、許して、お願い。
 けど、周りに、焦った顔をした、ネクタイを締めた人たちがいるって言えば、なんとなく察しはつくことだろう。
 いや、つくでしょう?ねぇ?
 ちなみに、彼等が、どれくらい焦っているかと言えば、
 「道路標識・標示認識システムの状況は?」
 「依然、乗っ取られたままで、確認できません!!」
 「運行状況のモニターは出来るか?」
 「GPSだけ別系統にしてましたから、位置だけならなんとか」
 てっ、焦ってますよ、焦ってますよ、焦ってますよ、そりゃ、もう焦りまくっていますよ、という定番の台詞回しをしてるくらい焦っているのである。
 なのに、なのに、その、その片隅で、
 「う〜〜〜〜〜ん」
 「ハァッ〜〜〜ア」
 二人の美女が、片や唸り、片やため息をつきながら、「この夏、流行の水着大特集」、なんて大文字と、黄金率からはちょっと遠い痩せたプロモーションをした、あんまり男性にはグッとこない外人モデルが、今年流行するのではなく、させるつもりの水着を着ている写真と、雑誌名のロゴしかない表紙のファッション誌に顔を突っ込んでいる。
 と、いうことはつまり、こんな状況の中、二人とも水着を見て、唸り、ため息をついているのであるが、
 「う〜〜〜〜〜ん」
 片や、自分の体型と見比べながら、
 「ハァッ〜〜〜ア」
 片や、水着の価格を見て、
 「う〜〜〜〜〜ん」
 「ハァッ〜〜〜ア」
 という違いが、二人の間にはあるのだ。
 ただ、周りの状況を気にしていないってのは、同じだけど。


 (突然ですが、まだ高見ちゃんは、
 「ふにゅ〜」
 現実逃避モードです。
 周りにいるネクタイを締めた人たちも、焦った顔をしたままです。)


 「う〜〜〜〜〜ん、やっぱり、パッドの付いたものじゃないとダメかァ」
 唸っている方の、ちっちゃい、ちっちゃい美女、付け加えるなら、胸もちっちゃい美女(つまりは菊島社長)が、左手で右ページをめくりながら呟いた。
 顔には、あきらめても、あきらめきれない思いが、ありありと浮かんでいる。
 しかし、胸の事は、手術でもしない限り、どうしょうもなし、まぁ、そんなことは、わかっているので、パッド付き(空気を入れるタイプ)の水着を吟味しているのであるが、が、が、他人が持っていると、うらまやしいし、そいつが隣にいる奴だったら、つい悪戯してしまうのが人情ってものだろう。
 つう訳で、菊島は隣にいる蘭東に悪戯した。
 やっぱりした。社長だから。蘭東は、社員だから。
 で、どんな事をしたかと言えば、
 「栄子ちゃん、分けてよ、ソレ」
 と、言いながら、ページをめくっていた途中の左手の小指を、横にいた蘭東栄子の胸に突き刺したのだ。
 小指の爪がめり込むほどの、胸の大きさだ。
 「キャッ!!ちょっ、ちょっと何するのよ、社長!!」
 蘭東は、慌てて右手で、菊島の左手の手首の辺りを押して、小指を胸から離れさせた。
 「いいじゃない、分けてくれたって」
 押された左手で、菊島は、もう一度ページをめくろうとする。
 「フウ」
 蘭東は一つため息をついた後で、
 「別に胸が無いくらい、いいじゃないの。こっちは、お金が無いのよ」
 と、言いって、蘭東はページをめくろうとした菊島の左手を、再度押し戻した。


 (突然ですが、まだ高見ちゃんは、
 「ふにゅ〜」
 現実逃避モードです。
 周りにいるネクタイを締めた人たちも、焦った顔をしたままです。)


 「お金が無いのは、こちらも一緒」
 菊島は、押し戻された左手を、ジッと見たあと、今度は、さっきよりも強い力で、押し返した。
 「べつに里帰りするわけじゃないんでしょ」
 蘭東は、負けじと、さらに強い力で、押し戻す。
 その結果、
 「コッツ」
 押し戻された菊島の左手の拳が、右ページを持っていた菊島の右手の手首に軽く当たった。
 「アタッ。ちょっと、栄子ちゃん」
 菊島は、左にいる蘭東の方に顔を向けた。
 「何?まだ検討中なんだから」
 「この雑誌、あたしのよ」
 「別にいいじゃない」
 「よくないわよ」
 「ああっ、もう、うるさい。里帰りの交通費、出してくれるの、社長?」
 蘭東はイヤリングを揺らして、菊島の方に顔を振り向け、キッとにら……。
 睨まれた。
 周りにいる、全員の締めたネクタイが曲がっているくらい焦っている人たちに、睨まれた。
 そりゃ、もう、白い目で、ジーーーって、睨まれた。
 まっ、そりゃ、そうである。仕事中なんだから。非常事態なんだから。
 なもんだから、蘭東、菊島の二人は、苦笑いしたまま固まっていた。
 「あはははは」
 蘭東の、ぎこちない笑いが、室内に響く。
 「ちゃんと契約どうり、仕事はしますから」
 菊島の、えれェブレ気味の謝罪の言葉も響く。
 そんでもって、高見ちゃんは、
 「ふにゅ〜」
 あいかわらず、現実逃避モードである。
 さて、この三人の行動から、
 「うわっ〜〜〜」
 田波が、顔面引きつらせて、涙目で大声あげているのと、
 「ところで、どうするの社長」
 「事態が変らない限り、打つ手ないわよ」
 「ふにゅ〜」
 それを、どうすることも出来ない事態に、今なっているのが、わかるのだが、では何故そんな事態になったかと言えば、次の様な事があったからなのだ。



 では、今から時間を、約二時間半、戻してみよう。
 それは、いつものように、
 「はぁ〜い、神楽総合警備ですぅ〜」
 菊島社長の電話の応対から始まり、
 「社長、クライアントは?」
 「なんと、豊川自動車ヨォ」
 「超大手企業じゃない。ふんだくれそうね」
 いつものように、経理の蘭東が喜んで、
 「あっ〜、バモスの部品、もらえないかしらね」
 って、運転手の姫萩が、いつものように、少々寝ぼけ、
 「姫萩さん、それはホンダです」
 と、高見ちゃんが、いつものように、ツッコミ、
 「車メーカーか。フッ、英語を喋ると敬語になってしまうヤツと、御対面できるかもな」
 梅崎が、いつものように、わけのわからないことをつぶやいて、
 「あと十五分で、五時になって帰れたのに」
 田波が、いつものように、顎、胸、みぞおちまで、ペタァ〜って、机にくっ付けて、疲れきった表情をするという、ホント、いつもの、いつのも、いつものように始まった化け猫退治の仕事であった。
 そしてそれは、
 「総員出動!!それから、田波君は装備一式を車庫まで持ってくること」
 「また、俺一人でか〜」
 出動前の、ちょっとした言い争いから、
 「ねぇ、田波さん。あの、これ、社長が持ってきた雑誌の水着特集のページなんですけど、田波さんの、あの、えっ〜と、あたしに、着てもらいたいなぁ〜、なんて水着は、あの、えっと、どれですか」
 「あっ、いや、高見ちゃんなら、どれでも似合う思うよ」
 「えっ、そっ、そっ、そうですか」
 「ちょっと、なに二人して顔赤らめてんの」
 一号の車内での、高見ちゃんのノロケ、及び、菊島の横やり。そして四号(バモス)での、
 「ねぇ、そっち(一号)にタバコない〜」
 姫萩のキマリ文句に、
 「あいつが、アメリカから戻ってきてれば、いいんだがな」
 梅崎の独り言。戻って、一号での
 「ウルサイ。交渉の邪魔しないでちょうだい」
 蘭東の、怒りのお言葉まで、変る事はなかった。
 変り始めたのは、約四十分後、現場に着いてからだった。
 現場は、豊川自動車の本社から、数十キロ離れた、豊川自動車沼田研究所であった。
 「いやー、やっと着いた〜。疲れた〜」
 肩を落とし、ゲッソリした顔をして、一号から菊島が降りてきた。
 続いて降りてきた田波も、疲れきった表情をしていた。
 「お前が、あんなに車内で騒ぐからだろ」
 「何よ。田波君が他の女にうつつを抜かすからじゃない。メソメソメソ」
 「あのなぁ〜」
 またこのパターンかと、田波は力が抜けた顔をした。
 「エ〜〜〜ン。田波く〜〜〜ん」
 菊島が田波の胸に顔をうずめて泣き出す。
 「グスッ。あなたが、あなたがいけないのよ。ズッ。あたしの純情をもてあそんだ、あなたがいけないのよ〜」
 「こらっ、鼻水をつけるな」
 田波は、両手で菊島の両肩を押して、ひっぺかえした。
 「なによ、なによ」
 がっ、また田波にひっつこうとする。
 と、そこに、
 「パカッ」
 「あっ、痛っ」
 いきなり菊島の後頭部を叩く者がいた。
 「はいはい。夫婦漫才は、そこまでにしてちょうだい。まったく」
 蘭東が、菊島を叩いた丸めたファッション誌を片手に、後ろに立っていた。
 「あたしの雑誌を使う事ないじゃない」
 後頭部をさすりながら、菊島が後ろを振り向いた。
 「あの、蘭東さん。ところで、どこに研究所があるんですか」
 じゃまな菊島を、片手で横にどけながら訊いた田波の目の前には、無数の民家や、雑居ビルが金網の向こうに立ち並んでいた。
 「そうだよ。いったいどれなんだ、研究所は」
 BRN−303などの武器を、バモスの荷台から下ろしている最中の梅崎も、訊いた。
 「あそこには、無いわ」
 「無いって。じゃ、どこにあるんですか」
 「地下ですよ。田波さん」
 「地下〜」
 桜木の答えに、田波と、梅崎、そして、菊島が一斉に地面に顔を向けた。
 「地下かよ。ドリルなんて、装備してね〜ぞ」
 「じゃあ、あの無数の建築物は何?ちょっとした街くらいあるわよ」
 菊島は、ちょっと前までの恋敵に、顔を向けた。
 「あれはですね、次世代の交通システムの実験場なんです。なんでも、様々な状況をコンピュータ制御で作れて、それは完全自律走行自動車の試験の為に作られたって、ことだそうですよ」
 「へぇ〜、そうなんだ。じゃぁ、これは関連会社のトヨカワホームが作ったってことだ」
 半分あきれながら、田波が感心した。
 「そう見て間違い無いわね。あの会社、業績良くないから、親会社に助けてもらっ……、って、夕!ちょっと、どこいくの!!」
 いつのまにか、姫萩が金網にあった小さなドアを開けて、中に入っていた。
 「うん、ちょっと、タバコ買いに」
 被っていたキャップを、右手で取って頭の上で振り、蘭東の言葉に答えた。
 「夕っ!今、入ると危ないわよ」
 「えっ、そうなの」
 姫萩は、キャップを振るのを止めて、頭だけを振り向けた。まだ、キャップを持っている右手は、腰の辺りまで下げていたが、それが、
 「バッズッ」
 後ろを、ほとんど無音で通り過ぎた車に、キャップをサイドミラーに引っかけられて破られる原因になった。
 「なっ!!」
 いきなりの出来事に、姫萩は驚いたが、それ以上に驚いたのは、キャップを破った相手を見た時だった。
 「こら〜、どこ見て走ってんだ、……って、あら、誰も乗ってないわね」
 いや、もとい、あまり、驚いていなかった。驚いたのは、
 「ゆっ、幽霊なの、田波君」
 「そっ、そんなこと知るか」
 「田波さ〜ん、あたし、怖いですぅ〜」
 この面々だった。
 だが、怖がっていない人もいた。
 「高見ちゃん、なに怖がってるの。あれが、あなたが、さっき説明した完全自律走行自動車よ」
 それは、蘭東だ。
 「そっ、そうか」
 「人が乗っていないのって、わかっていても不気味ですね」
 「ってぇことは、あれが今回、封印する相手だな」
 梅崎は、降ろしたBRN−303を肩に担いだ。
 「そうよ、真紀。それから、今回は、おもいっきり、撃っちゃっても、いいみたいよ」
 「なに〜、そいつはホントか。ふっ、話の分かる、クライアントだな」
 「でも、十分、距離はとること。でないと、積んである燃料電池の水素が、万が一爆発でもしたら、大変なことになるかもしれないから」
 「諒解、諒解」
 久々に撃ちまくれる事に喜んだ梅崎は、早速、その場で照準を確かめた。
 「とにかく止めて欲しいそうよ。止めてくれるなら、どんなに経費がかかっても、かまわないって、先方が言ってたわ」
 「ねぇ、それって、あの最新鋭の実験場を破壊してもいいって事?」
 菊島が、いぶかしげに蘭東に訊ねた。
 「それも、かまわないそうよ」
 「へぇ〜、さすが超大手企業だ」
 そう言って、田波は感心した。
 「ただし、秘密厳守で、やってもらうことになるわ」
 「秘密厳守ね。で、栄子ちゃん、ちゃんと、そのための料金も追加しといたの」
 菊島が社長の顔になって、蘭東に確認する。
 「その辺は、ぬかりないわ。それに、今回は、クライアントから、追加の金額を提示してくれたのよ。おかげで、簡単に料金、釣り上げる事が出来たわ。向こうの提示していた金額も、相当高額だったけどね」
 と、上手くいったのを自慢するかのように、笑顔で蘭東は答えた。
 そう、上手くいっていたのだ。
 と、言うより、上手くいき過ぎていたのだ。いくら経費がかかってもいい、なんてことは、クライアントからは、滅多に口にしないものであり、また秘密保持とは言っても、そんなに法外な値段は提示しないものである。そのことに、神楽のメンバーは、誰一人として、この時点で、気づいていなかった。たとえ、気づいていたとしても、クライアントが超大手企業だということで、納得してしまっていたであろう。
 まぁ、しかし、そんなことより、
 「ねぇ、ところで、どっから地下に入るの」
 夕の素朴な疑問の方が、
 「あっ!ねぇ、担当者の人、見なかった?」
 「そんな感じの人、ち〜っとも見なかったわよ」
 「見ませんでしたよ」
 「あたしもだ」
 「俺も」
 大、大、大、
 「えっ、あっ、じゃあ、向こう側だわ」
 大問題だった。何故なら、
 「ちょっと、向こうって、一キロ近くあるわよ」
 「えっと、ぐるっと回ることになりますから、約二キロの距離になりますね」
 「お〜い、約束の時間に間に合うのか」
 「あ、あと二分ってところ」
 「二分って、おもいっきり飛ばさないと無理ですよ」
 で、
 「夕!はやく一号に乗って、全員運んで」
 「ほいさ」
 「ちょっと待った。梅崎さんの装備まで、一緒に運ぶ気か」
 「そこら辺に、置いとくわけにはいかないでしょ。多少の狭さは我慢する」
 に、なったからである。
 もちろんのことながら、行きの車内であったことも、二分に凝縮(短縮ではない)されて行われた。
 「あの、田波さ…ちょっと、あっち…夕、飛ばし…ねぇ、タバコ…御対面…お前もか、お前も…ちょっと、重い…、あのお手伝いいた…あと、一分…ライター…ハァ…うわっ…アメリカ…あっちいけ…静かにし…どうですか、田波さ…」
 それも、よく考えると、全員運ぶ必要は、なかったにもかかわらず、である。

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