高速の死角
その十
「おおっ」
「広いわねぇ〜」
仕事の汗を流すため、ゴルフ場のレストハウスの浴場に向かった神楽一行は、まず更衣室の広さに驚かされた。床は、シートがひかれた安っぽいものではなく、半分に切った細い竹を敷きつめたすのこ、備え付の化粧台には、座って化粧が出来るように籐製の椅子が用意され、部屋の隅には、ししおどしに、水車まであった。
「竹だ、竹だ」
梅崎が、腰を落して、珍しそうに、竹で出来たすのこを触る。
「それに間接照明。さすがバブルの時に作られたものね」
蘭東は、中をぐるっと見回すと、半ば呆れながら感心した。
「いっちばんブロ、いっちばんブロ」
蘭東と梅崎の間を抜いて、菊島が、眼鏡をかけたロボット少女のように、両腕を広げて、駆け込んだ。
「ほら、マットで、足、拭いてから」
と、注意する蘭東の背中に、
「ふぁ〜、ねむ〜〜い」
姫萩が、大きなあくびをして、寄りかかった。
「にしても、暑い」
帽子を、うちわ代わりして、梅崎が、胸元を扇ぐ。
「冷房ききだしたら、涼しくなるわよ」
蘭東は、背中に寄りかかった姫萩を、壁に立てかける。
「とりあえず、服、脱いどくか」
梅崎は、背の高いロッカーを、開けると、まず帽子をかけた。
「いいわね、このロッカー。服が皺にならないで」
蘭東は、ロッカーの中にあるハンガーを手に取って上着をかける。
「弥富だと、カゴだろ。上手くたたまないと、変な折り目がついて大変なんだ」
「そうそう」
と、相づちを打つ蘭東の足元に、後ろから投げられた服が落ちた。その服の小ささから、誰のものかすぐに分かる。
「社長、まだ、ぬるいわよ。もうちょっと、待った方がいいわ」
振りかえると、菊島は、タオル片手に、浴場の扉に手をかけていた。
「あっ、田波君が、沸かしてるんだっけ」
「そうよ」
「じゃぁ、先にコーヒー牛乳でも」
「邪道!!」
梅崎と蘭東が、同時に怒鳴る。
「別に、いいじゃん。暑いんだし」
ぶつくさ言いながら、菊島は、自動販売機まで歩くと、着いてすぐに、
「ねぇ、これ、電源入ってないよ」
と、言った。実際、菊島が言う通り、自動販売機のディスプレイには、明かりが点っていない。
「経費削減でしょ」
さらっと、蘭東が答える。
「不況ねぇ〜」
菊島は、そう言うと、裏にあるコンセントを、探した。
朝から、電源を入れれば、最初の客がプレイを終える昼前には、中の商品は冷えているので、それで、いいと言えば、いいのだが、なにか複雑な気持ちにはなる。
「あ〜、やっぱりぬるい」
菊島は、ビンに一口つけただけで、すぐに口からビンを離した。
「あとにしときゃ、ちょっとでも冷えてただろ」
「何よ、あたしがコンセントに差し込まなきゃ、冷えるものの、冷えないわよ」
という、梅崎と、菊島の言い争いをまったく気にも留めず、蘭東は、たんたんと、脱いだシャツを、ハンガーにかける。
「ふわぁぁ〜〜あ」
だが、汗でぬれた服を着たまま寝るという、もっとも風邪をひきやすい行為をしようとしてる社員だけは、会社の経理として、ほってはおけなかった。なぜなら、小人数の会社というのは、全員が無病息災でないと、経営が成り立たないからである。
「こんなところで、寝ない。風邪ひくわよ」
蘭東は、服を脱ぎかけたまま、寝そべっている姫萩の腕を掴んで、立たせようとした。
「わいたら、起こして〜」
「起きないから、言ってるんでしょ」
蘭東は、姫萩を立たせるのをあきらめ、浴場に向かって引きずりだす。
「おっ、扇風機だ」
この更衣室には似つかわしくない、壁掛けの扇風機を見つけた、梅崎は、
「強、強と」
扇風機の前に立って、スイッチを入れた。
「ふぁ〜、汗がひく」
いつもは帽子に隠れている梅崎の長髪が、扇風機の風をうけてなびく。クーラーの冷風もいいが、扇風機の風の方が、汗をひかすには、丁度いい。
「首、振ってよ」
梅崎が、いい気持ちでいたところに、後ろから菊島が、声をかけた。背の低い菊島では、扇風機にまで、手が届かない。
「うん、はい、はい」
菊島に頼まれ扇風機の首を振るようにした梅崎だが、同時に上体も左右に振って風を一人占めした。
「コラ、あんたも、首振るな」
意地悪に腹を立てた菊島が、梅崎の膝裏に蹴りを入れる。
「痛っ。ちょっと、ヘリに乗ってて、汗かくわけないだろう」
「冷や汗は、沢山かいたわよ」
コーヒー牛乳の件から間をおかず、二人は、また言い争う。
一方、蘭東と、蘭東に引きずられている姫萩は、浴場の扉の前に来ていた。
「夕、今の内に起きてた方が、いいわよ」
そう言うと、蘭東は、勢いよく扉を開けた。
「お〜〜」
「近所の弥富とは、えらい違い」
開いた扉の向こうに見える浴場は、梅崎と菊島が言い争っているのを、忘れるくらい、見事なものであった。タイル張りではない、石畳の床と壁と、大理石の湯船。薬局の名前の入ったプラスチック製のものではない、木で出来た桶や椅子。大き目の鏡に、うたせ湯や、水風呂まであるバリエーションなどなど。近所の弥富との違いをあげていったらきりがないが、中でも、一番、二人が心引かれたのは、大きくとられた天窓と、正面のガラス張りの壁が与える開放感であった。ただ、唯一欠点があるとすれば、ガラスの向こうに見える、庭であろうか。これまたバブルの名残か、ごちゃごちゃ詰め過ぎていて、統一感や、調和に欠けているのだ。
蘭東は、浴場に入ったところで、姫萩を引きずるのを止めると、近くにあったシャワーユニットの赤の印のついた蛇口をひねった。
「わちゃ、あちゃちゃちゃ」
熱湯が、姫萩の顔を襲う。
「起きた?」
「うん、起きた」
と、姫萩は言ったが、実際のところ、目はパッチリ開いたが、口調はまだトロ〜としたものであった。
「おっ、ちゃんとボイラー動かしてるじゃない。感心、感心」
菊島は、そう言った後、言い争いって、喉が渇いたのか、飲むのを止めたぬるいコーヒー牛乳に、再び口をつけた。
「そういや、田波って、ボイラー動かせたっけ?」
後ろ髪を両手であげて、首筋に風を当てながら、梅崎が訊ねた。
「あ〜、一人じゃ、分からないって言ったから、もう一人行かせたのよ」
浴場から、エコーのかかった蘭東の返事がした。
「もう一人って、ヘリの運ちゃん?」
「そっちは、一号を迎えに行ってもらってる」
「じゃぁ」
菊島は、周りを見回した。
「あ〜〜〜!!」
眼鏡娘がいないことに気がついて、菊島は大声を出した。そして、すぐに、飲みかけのコーヒー牛乳を、梅崎に押し付けると、
「ちょっと、手伝ってくる」
と、言い残して、菊島は更衣室から出ようとした。
「服、服」
あわてて、梅崎が、床に落ちてる菊島の服を投げつける。
「着ながら、行くわよ」
と、言ったものの、菊島にも羞恥心はある。客が誰一人いない閑古鳥の鳴くゴルフ場とはいえ、裸で外をうろつく神経は、持ちあわせていない。結局、三和土で、服を着る事にしたが、
「絶対、あの二人、暑いボイラー室で、熱くなってんだわ。高見ちゃんなんか、暑いことにかこつけて、薄着になんかなったりして、田波君、誘惑してるわよ。ねぇ、田波さ〜ん、暑くないですか〜、なんて、言いながら、体を寄せ合って、余計暑くしてんのよ。ああっ、もう〜〜!!」
と、いうように、腹の立つのを押さえ切れず、上着を着ないで、外に飛び出した。
「ところで、なんで、田波と、高見ちゃんなんだ?」
梅崎は、押し付けられたコーヒー牛乳を、とりあえず床に置く。
「あっ、選んだ理由?勤務査定よ」
浴場から出ていた蘭東は、ロッカーの前で、まだ身につけていた服を脱いでいた。
「はぁ?」
「ほら、ミサイルが飛んでった時、言い争いになったでしょ」
蘭東は、手に持ったハンガーの先が弧を描くように、下から上にあげた。
「ああ」
「で、厳正に査定したら、一番働いてなかったのが、田波君になったの。あっ、高見ちゃんは、二番ね」
「ふ〜〜ん。でも、高見ちゃんは、プログラム組んだんだろ。結構、貢献してるはずだぞ」
二つのホルスターをかけたハンガーのバランスが取れるように、ホルスターの位置を微調整しながら、梅崎が、そう訊ねると、
「実労働時間!!」
すぐに、有無を言わさぬ力強いお言葉が返ってきた。
「さいで」
じゃぁ、三番目は誰なのだろうかと、梅崎は思ったが、そのことは口に出さなかった。
「ねぇ、帰りに、水着買っていかない。社長も、高見ちゃんも行くって言ってるし」
「あっ、サツの寄りそうなところは、今はちょっとな。それにクリーニングの方が、先だろ」
二人とも、ハンガーにかけた自分の服を見る。
「あっ、そうね」
「白い服は、クリーニング代が、大変なんだよ」
そして、二人ともため息をついた。
「まぁ、それは、あと、あと」
蘭東は、気を取り直してから、タオルを手にすると、
「さぁてと、一番風呂、一番風呂」
いつもには無い、陽気な表情で、浴場にむかった。
だが、目の前には、
「ふぁ〜〜あ。眠気が覚める〜〜う」
何時の間にか、服を全部脱いで、湯船につかって一人極楽の姫萩の姿があった。
「あっ〜〜!!」
と、大声を出した蘭東の姿を見て、
「なるほど、そういうことか」
と、梅崎はつぶやくと、床に置いていたコーヒー牛乳を、手にとった。
「ぬる〜〜い」
ベトベトした感じが、口の中に残った。
おわり
後書き、もしくは言い訳、あるいはボヤキみたいなもの
九話だけが、異様に長くなってしまったことが、更新の遅れた直接の理由です。
各話は、四百字詰め原稿用紙にすると、一話・20枚、二話・27枚、三話・24枚、四話・25枚、五話・25枚、六話・39枚、七話・34枚、八話・24枚、九話・103枚、十話・13枚(合計334枚)ですから、分量的には、九話を三つか、四つにわけて、もっと早く更新できました。ただ、一話に、盛り上がりを一つ盛り込んでいこう考えていたので、結局、分ける事が出来ず、ずるずるとここまで延ばしてしまったのです。話の筋は、当初の構想をまったく変えていないので、結局、根本的な原因は、自分の計算ミスということです。
本当に、本当に、すみませんでした。
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