モーニング・ムーブス
その一
夜の空港。
夜の空港である。
深夜の空港ではない。
でも、気分は深夜だ。
何故なら、高飛び寸前で見つけられた、唯一生き残った脅迫犯が多数の警察官に追いかけられているからだ。
もちろん刑事も多数いる。
だから深夜だ。
もちろん脅迫犯が逃げようとする方向から、へっぴり腰の警官達が現れる。
だから深夜だ。
もちろん後方からも現れる。
だから深夜だ。
そして何故か全員へっぴり腰だ。
そして何故か全員片腕をあげている。
そして何故か全員「わ〜〜〜!!!!」としか言わない。
そして何故だか知らないが、左方の道からは警官は誰一人こない。
なもんだから、もちろん脅迫犯はそちらに逃げる。
当たり前だ。
でもって、やっぱり深夜だ。
もちろん警官もそちらへ追う。
でもって、もちろん先回りなんてしない。
だから、やっぱり深夜なのだ。
そしてこんなに深夜の要素がいっぱい詰まっては、さしもの今ではパソコンのおじさんとして有名な俳優も死んでしまうのだ。
あっ、いま背中から銃で撃たれて死んだ。
あっ、回想シーンが流れ始めた。
あっ、やっぱり死んだ。
背後に回られる事が嫌いだった人間が、何故だか背中から銃で撃たれて死んでしまった。
何故かといえば、それはやっぱり深夜だから。
あとは海が見えたから。
つまり、やっぱり深夜は怖いのだ。
で、そんな怖い深夜がやっと終わった。
今の時間は午前三時半。
早朝だ。
つまり新聞が配り始められ、豆腐屋さんは仕込を開始、魚屋さんは魚河岸に行く時間、人が働き始める時間だ。
しかし、神楽総合警備では働いている真っ最中の時間なのだ。
「ねぇー、田波君。この映画の撮影ってゲリラ的におこなわれたんだよね」
と、真性のロリコンが好む胸をした、まぁつまりペチャパイの、そんでもって年齢不詳でやけに昔のテレビドラマに詳しく、小学生みたいななりをした女性が、明らかにかまってもらいたい顔をしてデスクワークに忙しい男性社員に話しかけた。
彼女の名前は「菊島雄佳」。
で、こんなんでも一応社長だから、社員である彼、「田波洋一」は答えなくてはいけない。
社会の掟だ。
しかし、デスクワークが忙しいから、
「あっ、そう」
と、約コンマ4秒で義務を果たした。
「ねぇー、田波君。完全版には妊婦さんが死産するところが含まれているんだよね」
と、今度は顔を近づけて話しかけた。
「そう」
今度は半分のセリフだ。
だから、約コンマ2秒で義務を果たした。
「ねぇねぇねぇねぇ、田波君。コサキンでよく使われているあの場面がないよ」
と、今度は背中にない胸を押し付け、首に両手を回して、耳元で話しかけた。
役職だけ考えればディスクロージャーだ。
でも、見た目にはそのようには見えないから、彼には不幸だ。
しかし、胸があったらちょっと幸福かも。
でも、それってロリコンかも。
いや、真性のロリコンは胸のないのがいいっていうから、自分は真性じゃない。
ああっ、よかった。なんてことは微塵も思わないから、
「そっ」
と、約コンマ1秒で義務を果たせた。
背中から胸が離れた。
首から両手が離れた。
彼は安堵のため息をついた。
やっとデスクワークに専念できると思った。
で、もう一度安堵のため息をついた。
口から息が出た。
出終わったら、眼から星が出た。
頭蓋骨が響いていた。
また星が出た。そんでもって、また頭蓋骨が響いた。
星が出た。キラリ。頭蓋骨が響く。ポカッ。
星が出た。キラリ。頭蓋骨が響く。ポカッ。
星が出た。キラリ。頭蓋骨が響く。ポカッ。
きれいだ。いい音だ。
でも、痛い。
だから、
「もう、頼むから静かにしてくれ」
と、叫び、振り返りながらアジャコングばりの裏拳を放つ。
手首を逆に返した裏拳だ。これはきく。
が、仮にも社長にこんな事をして許されるのか?
まっ、これが許されているのだ。
そこがこの警備会社の唯一いいところなのだ。
ただし、相手が菊島社長ならば、ということだが。
「あっ痛ててててていてぇ〜痛てぇ〜〜」
男の声が聞こえてきた。
手首が極められている。
あっ、腕が内側にひねられている。
こりゃ、抜けられんわ。
「田波ァ〜、社長なんか気にしないで早くしてよ。ほらほら、あんたが休んでいた分の仕事、まだ残っているでしょう」
と、経理担当の「蘭東栄子」が手首の極めをゆるめながら言った。
「はいはい、わかってますよ。あと30分で新日本アビオニクスへの請求書を全て書き終わりますってば,ったく・・・」
に続けて、「蘭東さん夜勤なんだから、手伝ってくれたっていいじゃない」と、言おうとした田波の耳元に、
「田波君、あんまり栄子ちゃんに逆らうと夏のボーナスの査定にひびくわよ」
と、社長のささやきが聞こえた。
慌てて田波がデスクに向き直す。
あまりやりたくない、命をかけた仕事をしているのに。
給料が高いことだけが救いなのに。
なのに、その給料が下げられちゃたまったもんじゃない。
サラリーマンは気楽な家業じゃないのだ。
「で、社長はなんでここにいるわけ?あたしは夜勤で、田波は仕事が残っているからだけど、何もないんだったら仕事の邪魔しないで頂戴。会社が困るでしょ」
振り返りながら蘭東が言った。
田波じゃなく、あくまで会社が困ることを心配している。
田波がため息をつく。
「ないわけじゃないもん」
田波の横の机の上で足を組んでいる菊島が言った。
顔はツンとして上を向いている。
まるっきりダダをこねているガキだ。
「ないわけじゃないって、じゃあ、なにがあるの社長」
菊島が乗っている机に近づき、腕を組んで蘭東が訊いた。
菊島が見ていた深夜テレビがうるさくて仕事に集中できず、少しイライラしている。
そんな少しデンジャラスで、今にもアイアンナックルを手に装着しそうな蘭東に顔を近づけて菊島が、
「あんた、田波君取っちゃうかもしんないから監視してんの」
と、噛みつかんばかりの顔で言った。
口も歯もいきなりギザギザになった。
噛みつかれたら痛そうだ。
そんな菊島の顔と言葉を目と耳に入れ、蘭東があきれた顔でため息をつく。
田波も今日何度目かのため息をつく。
「だってさ、田波。」
と、蘭東が田波に振り向き、
「もう高見ちゃんに取られたのにねェ〜」
と、続けた。
なにかあったんでしょ、って目をしている。
そんな目をしているってことがわかっているので、田波はけっして振り向かない。
振り向かないったら振り向かない。
でも振り向かされることの警戒を怠ったもんだから、振り向かされしまった。
まぁ二方向に力を加えて、その合成力を使うって方法だったんで、力の方向を瞬時に察知できなかったのも理由なのだが、そんなことは振り向かされちゃった時点ではあまり関係ない。関係ないったら関係ない。今関係あるのは、
「お掃除して、お夕飯つくって、尿瓶を取り替えてもらっただけでしょ」
という社長の事実確認だ。
さて、社会の掟としては答えなくてはいけないのだが、まぁパーソナルなことなんで、答える必要は法律上はないし、事実を答えたとして、「ホントに、ホントに」と、しつこく、うるさく、やかましく訊かれて仕事に支障をきたすことが予想されるので、相手があきらめることを期待して黙秘という行動をとった。
最後の一つが事実とは「山上たつひこ」と「山止たつひこ」ぐらいに離れてることに気が付いていたが、黙秘した。
黙認したったら黙認した。
だから沈黙がながれた。
ちょっとだけながれた。
ちょっとだけだった。
「ねっ、社長。もう、取られちゃったの」
て、蘭東が勝手に解釈しちゃったからだ。
当然、
「ちがうもん、ちがうもん、ちがうもん、ちがうでしょ」
と、菊島が幼児みたいな行動をとる。
ただ、最後の「ちがうでしょ」で、田波の首を伸ばし自分の顔にさらに近づけた腕力は幼児のものとはかなりかけ離れていたが。
「ねェ〜、田波。取られたんでしょ〜」
蘭東が近所のおばさんプラス、志麻姐さんみたいな顔をして訊いてきた。
まぁ、高見ちゃん自身が男の部屋に呼び出されて、一人で行ったんだから、理由がどうであれ誰だってそう思う。
で、田波も少し気があるもんだから、隙だらけで好き少しな顔をしてしまう。
ああっ、ややこしい日本語だ。
だから、事態はもっとややこしい。
高見ちゃんを除いては。
「ねェ〜、田波。そうなんでしょ」
「田波君、そうなの」
二人がいっぺんに田波に訊く。
顔が巨大化する。
だから目も巨大化する。
しかも、二人とも人の心を読んでしまいそうな目だ。
絶対そうだ。
たぶんそうだ。
そうなんだろうな。
だったら、喋らなくてもいいや。
さぁ、二人とも俺の心の中を読んでくれ、なんてムチャクチャな論理でそうしたかどうかは知らないが、田波は黙った。。
で、田波が黙っているものだから、二人は田波の目をジッと見た。心の中を読む超能力とか、ビック5並の読みを持っているかどうかは知らないが、田波の目を見た。ジッと見た。
時間がながれた。
結構ながれた。
でも、どうやら二人ともそんな能力は持っていなかったのか、それとも田波の毒電波が弱いせいで心の中を読むのに時間がかかるのかどうか知らないが、沈黙が続いた。
ところで沈黙が続くってことは、普通はラチがあかないってことだ。
で、ラチがあかないと、普通は一旦質問を中断するものだ。
そして、質問を中断すると、普通は問題を整理することに頭がいく。
整理すると本質が見えてくる。
事の発端も見えてくる。
だから、
「そうよ、栄子ちゃん。栄子ちゃんはどうなの?田波君に気があるんじゃないの?」
と、菊島が思い出したかのように、まぁ実際思い出したんだが訊いた。
噛みつきそうな顔をして訊いた。さっきと同じくらい牙がするどい。
で、蘭東はそんな顔をしている菊島を見ながらあっさりと、
「あるわけないでしょ」
と、答えた。
あっさりと、非常にあっさりと答えられたもんだから、田波は少しがっかりした。ちょっと考えれば、もしそんなことになったとしたら、事態は余計ややこしくなるってわかりそうなものなのに、がっかりした。やっぱり田波君も男なのだ。
で、女の菊島社長は、女だから疑り深いから、女は今強いから、
「ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに、ホントに・・・・・・」
と、うるさく、疑り深く、力強く訊いた。
しかし、女としては蘭東の方が強い。
「あ、り、ま、せ、ん」
と、志麻姐さんばりの口調で言った。
場がピシャリとしまった。しまりにしまった。菊島社長なんか正座をしている。
しかし、ここで終わらせときゃいいものを映画同様続けるもんだから、
「大体、二十を超えた男になんてあまり興味ないわよ」
「えっ、蘭東さんそれどういう意味ですか?」
なんて、つっこまれてしまった。
「いや、だから、二十を超えて、まだ平社員の男になんて興味がないって言おうとしたの」
と、今度は今井由香の地の声が少し混じっている。少しだが、明らかに動揺している。
「すいませんね、まだヒラで」
イジケた口調で田波が言った。どうやら、田波は蘭東の動揺に気づいていないみたいだ。しかし、さすがに菊島の方は気がついたみたいで、疑いの目を蘭東に向けた。けれど、
「栄子ちゃん、どうして田波君を目の前にして、どうして、どうしてすぐに田波君を指しているとしか思えない答え方するの?おかしいわよ、栄子ちゃん。やっぱり何かあるんでしょ?答えなさい、社長命令よ」
と、少し勘違いをしている。
どうやら二人とも気づいていないらしい。
そう確信して、安心した蘭東はもう一度、
「あ、り、ま、せ、ん」
と、ピシャリと場をしめ、振り向き自分のデスクに戻っていった。
蘭東がデスクに戻った後も、釈然としない表情で菊島が田波にしつこく色々と尋問していたが、田波は額に青筋を立てながらも懸命に仕事をこなしていった。
まぁ、よくよく考えれば、これは日常なのだ。ただ、あまり慣れていない日常ではあるが。
そうこうしている間に四十分が過ぎ、時計は四時十分を指していた。
「ふぁ〜、やっと終わり。蘭納さん、請求書、書き終わりましたよ」
と、田波が自分が考えていた時間より十分遅れてやっと仕事を終えた。
「はい、おつかれさま」
と、目をデスクにむけたまま蘭東がそっけない返事をした。
「じゃ、俺、九時まで波動砲(メインコンピューター)の部屋で仮眠とっておきますから」
「出勤時間にはちゃんと起きるのよ。あっ、あとそれから、」
「あとそれからって蘭東さん。もう残っていた仕事は終わったはずですよ」
「そうじゃなくて、」
と、蘭東は眠そうな目をしている田波に、
「いや、なんか残業手当つくように思っているようだから」
と、これもまた目をデスクにむけたままそっけなく言った。
「えっ〜、残業手当つかないんですか。」
「そりゃ、そうよ。だって田波君がやっていたのは、休んでいる間に本来はやるべき仕事の量でしょ。だから、残業手当はつきません」
「そ、そ、そんなバカなことがあるかァ〜」
田波が珍しく声を荒げた。そんな田波に、さらに、
「あっ、あと休んでいた間の分は、もちろん給料から引かれるから。一応、うちに有給がないのは知ってると思うけど」
と、追い討ちがかけられた。
何か言いたかったが、相手は蘭東さんだ。争っても勝つ見込みはないし、ボーナスの査定もある事だから争うのは得策ではない。
それがわかった田波は、今日一番長いため息をついた。
ついたはずだった。
「ピロロロロロロロロロ」
しかし、二番目に下がった。
「はい、神楽総合警備です」
蘭東が電話を取った。
瞬時に営業スマイルになる。
そして流れるような口調で、
「基本料金および、一切の経費は・・・」
という、いつもの契約のきまり文句を電話口で言っている。
ただ、契約が成立し、その後、クライアントの詳しいデーター見た時に、蘭東はいつもとは違う顔をした。少しくもりがちだ。
「栄子ちゃんどうしたの。前回みたく化け猫の数でも多いの?なんなら今から高見ちゃんと、真紀を呼ぶ?」
と、菊島がそんな蘭東を見て言った。
「いえ、社長。それはいいわ」
少し考えてから蘭東は答えた。そして、今日一番長いため息をまだつき続けている田波に、
「じゃ、田波、一号出して。あっ、それからもし夕をすぐに起こせたらつれてきて。すぐに起こせなさそうだったら別にいいから」
と、指示を出した。
そして指示を出されて、とぼとぼとドアに向かって歩く田波の背中に、
「総員出動!!」
の声が刺さり、その後、
「はやくしなさい」
との声とともに蘭東の蹴りが刺さったのは言うまでもない。
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