7−4
<Camera>
アークスの王城。
その中庭にある騎士達の簡易練習場に2人の騎士が顔を合わせていた。
剛剣使いの第三騎士団団長・クラール=シキムと大斧使いである第六騎士団団長・シュール=アクセの2人。
お互い、呼吸が荒れることもなく火花を散らせて互いの得物をぶつけ合っている。
使い手同士の戦いはダンスに見えるとも、剣戟の音は名曲に聞こえるとも言われるが、この2人の場合にはどうもそんなことはないらしい。
ギィン!
一際耳障りな金属音が響いたところで2人はお互い武器を収めた。
パチパチパチパチ
乾いた拍手が一つだけ、響く。
2人はそこへと視線を向けた。隻眼の中年騎士が笑みを浮かべて近づいてくる。
「ハノバ殿か、お相手しようか?」
「いや、結構ですよ」
シュールの悪意のない誘いに彼は首を軽く横に振った。
「珍しいな、こうしてオフで団長3人が集まるなんて」
クラールが笑みを浮かべて言った。
クラールとハノバ、ハノバとシュールというラインでは昔から親交はある。
今回の遠征でクラールとシュールに接点ができたわけだが、ハノバの笑みはそれを喜んでいるのも加わっていた。
「熊公国ではお疲れでしたな」
「ええ。騎士の補充と休養も取らせないといかんですよ」
疲れた顔でクラール。
「ウチの被害も大きかったな。ここで連続して遠征などさせられたら不満が爆発されかねん」
こちらはシュールだ。
「でしょうね。ウチの第五も復旧でてんやわんやですよ。ですから」
ここでハノバの声のトーンが低くなる。その意味を二人の団長は昔から知っていた。
「南の龍公国への援軍には第一が行くことになったそうですね」
「エノリアの坊ちゃんがか?」
「泣いて帰ってくるのがオチだろう?」
明らかに小馬鹿にした口調の2人にハノバは苦笑。
「さて、どうでしょうね。彼もまた。我々と同じアークス騎士団の団長が一人。その能力が今回、初めて試されるという訳ですよ。楽しみじゃありませんか」
言うハノバは決して笑っていないことに気付く2人。
ハノバの様子に自然とクラール、シュールともに息を呑んだのだった。
第一騎士団団長室。
白い肌に金色の髪の20代後半の青年は机の前で小さく微笑んでいた。
厚めのメガネの奥には力強い光が宿っている。
「僕の出番が回ってきてしまったと、そういうことだね」
彼の目の前には一枚の書状。
そこにはこう書かれている。
『エノリア=アムア率いるアークス第一騎士団は、至急龍公国でザイル帝国を警戒する第二騎士団と合流し、アークス守護の任に就くべし』
指令書だ。
これまでエノリアが団長に就任して3年、第一騎士団に出動の要請はなかった。
それはエノリアがそう仕向けてきたことだ。彼は功よりも己と、己の力である騎士団の弱体化を阻止することを第一と考える。
騎士団など威力で良い。実際に剣を振る必要は実はない。
振るような場面には、それに適した別の団と荒っぽい団長に任せておけば良いのだ。
それがエノリアの考え方だった。
だか今の状況でそれを続けるのは難しい。戦いを避けてきた第一騎士団だったが、とうとう人材不足も重なって出動することになってしまった。
だが、どこの衰退しているこの時期に第一騎士団はこれまでの温存策もあり十二分に体力も財力もある。エノリアにはどのような敵が来ても負ける気はしなかった。
「幸運なことに龍公国は現龍公と今の第二騎士団団長ブレイドとの不仲がある。現龍公はブレイドを討とうしているようだし……」
エノリアは机の上を見上げた。
そこには半透明のスクリーンがあり、様々な情報が行き交っている。
ネット情報――それもネットワーク構成に貢献している者のみに与えられる『地域総責任者』の称号を持つものだけが見ることの許される完全情報だ。
「時代は僕と共に動いていると言っても、過言じゃないな」
エノリアはスクリーンの中に現龍公の傭兵募集と特別徴兵情報を見つけて、龍公の謀反策謀への手応えを確かにした。
だが彼は気付いていない。
その彼の意欲さえも、一人の天才軍師に操られていることを………
<Rune>
白樺並木の美しい、整然と立ち並んだ高級住宅通りを僕達は進む。
高級住宅とは言っても、それはこの地域においてはそこそこの収得を持った人達の住宅地であり、一般家庭に近いものがある。
これよりも荒れた感じの環境の住宅地もたしかにある。
が、一様にして治安が行き届き清潔なのが特徴だ。
そんなここはアークス皇国の北に位置する四獣国が1つ、虎公国の首都レイバンである。
この北の地は南にアークスの央国、北に長年の同盟国であるリハーバー共和国とに接し、直接の戦禍を数世代にも渡って受けていない。
治める王にしても暴君や野心の強い者がなく、むしろ教育の行き届いた賢王が多いことにも、この安定した治安と暮らしが見て取れるのだろう。
僕達の向かう先には、さらに大きな屋敷が居を構える地域。
主に王の側近や名家、貴族などの住宅地だ。
「なぁ、ルーン。どうして俺達はこんな所に来てるんだ?」
僕のちょっと後ろを歩いていた金髪の女性が僕の顔を覗き込みながら問う。
「今はこんなトコ、寄ってる暇なんてあらへんのやないの?」
やはり後ろから、澄んだ女性の声でしかしイントネーションがやや狂った言葉が飛んできた。
「だよなぁ、メイセン」
金色の髪の女はそう言って後ろの少女に同意を求める。
僕は思わずため息を一つ。
立ち止まって後ろに振り返った。
金色の髪の女性は青い胸鎧の上から、緑色の厚手のマントを羽織っていた。
北の地にやってきて涼しくなってきた、というより寒くなってきたために先日買い直したのだ。
そしてその後ろに佇むのは背丈よりも長い斧槍を右手に突いた、紫紺の髪と瞳を持つ少女だ。
こちらは同色のゆったりとした神官着の上からやはり緑色のケープを羽織っている。
「ご婦人方。僕がどうして、北にある地のラグランジュポイントへ行かなきゃいけないこの忙しい時に、仕事を取ってきたか…分かる?」
こうして言葉を紡ぐにも、溢れそうな怒りで叫びだしてしまいそうだった。
「「さぁ?」」
同時に首を傾げる2人。僕の怒りは臨界点を突破した。
「さぁ、じゃないだろ! 僕たちにはもぅ、路銀がないんだよ!!」
「「なんで??」」
「なんか高級な宿にばっかり泊まるし、2人ともお肌のお手入れとか言ってエステやらなにやら寄るし、食事はやけに豪華だしっ!」
女性陣2人はお互い顔を見合わせ、
「「お肌は女の命だし」」
「そんなの気にする奴が冒険者やるなぁぁ!!!」
「ウチのすべすべのお肌、昨晩は散々堪能したクセに…」
ボソリとメイセンが呟いて、一気に沈黙の帳が下りた。
アーパスが白い目で僕を睨んで腰の剣に手を伸ばす。
「…ルーン?」
剣呑な彼女の瞳が殺意に光る。
「ちょっと待て、アーパス! ってかメイセン,いつ僕がそんなことした?! それにそもそも君は龍だろ? 肌とかそんなの、関係ないじゃないかーー!」
本体は肌ではなく鱗である、彼女は。
アーパスにしても半分魚なのだがなぁ。
「………」
メイセンは僕をじっと見つめ、そして、
「ウチとは遊びやったのね」
ほろりと涙。
「ルーン、お前っ! こんな小さな子にまで手を出したのかっ!」
「な、なに言い出すっ?! それにアーパス、いつ誰が誰に手を出したって?!」
「そもそもルーンにしても、高いご飯を美味しい美味しい言っとったやないかー」
静かな住宅街に、こうしてうるさい冒険者達の怒声が響く。
しばらく無意味に喧々轟々と言い争うが、誰とも無くそれに気付いて争いは止まった。
「何はともかく、お金を僕達は稼がなくてはいけません」
僕は子供達に言い聞かせるように二人に告げる。
「浪費しなければええんやないの?」
「今、僕達は13Gしかもってません」
子供のお菓子くらいしか買えないぞ。
「誰だよ、そんなに使い込んだ奴は」
唸るアーパス。
今の騒ぎをようやく収めたので、「君らです」とは言えなかった。
「防寒具も買ってないし、ちょっと今後の行動に余裕を見るためにも貯める必要もあるからね。額の多い仕事を取ったんだよ」
「それをあの時の吟遊詩人に頼んでたのか?」
アーパスの問いに僕は彼女を思いだして苦笑い。
実はこの仕事を探すために立ち寄った、このレイバンの酒場でたまたま僕は彼女に出会ったのだ。
彼女――エルシルドでの僕の住む宿の常連であり吟遊詩人のシフ=ブルーウィンド。
この仕事はシフ姐に都合してもらったのである。
何故彼女がここにいたのかは愚問。シフ姐は旅する詩人――吟遊詩人なのだから。
再会懐かしむ間もなく、僕は二人を連れてここに至る。
「依頼内容はなんやの?」
「依頼主に会うまで分からないんだ」
メイセンに答える。要するにそれだけリスクと秘匿性の高い仕事なので報酬が高いということであろう。
僕達は再び歩を進める。
やがて住宅地は高級住宅地へと変わり、立派な門の目立つ建て屋が多くなってきた。
一段と閑静な一角に到着。
目の前には延々と続く塀と遥か遠くに立つ巨大な屋敷。
そここそがシフ姐に貰った地図に表された地点。
名門貴族・モールド家であった。
僕達は執事と思われるシルバーグレーの髪の渋い老紳士に屋敷の一室に通された。
格調高い調度品が部屋の構成と溶けこんだ、見事な客室だ。
触ると壊しそうなので、自然と僕達はソファの上で固くなっていた。
美しい調度品に見飽きる時間も無いまま、扉が開く。
そこから現れたのは淡いすみれ色のドレスを纏った貴人。
歳の頃は20代半ばであろう、腰まであるさらさらの長い髪は美しい烏色。
北方民族特有の、やや釣り眼がちの茶色の瞳に高い鼻立ち。
小さな赤い唇は僅かに笑みの形を作っていた。
僕はこの貴人を知っている、いや、知らないはずもない。
僕は見ているのが辛くなり、隣に控える仲間の二人に視線を移した。
「「すごい美人……」」
自然と出た呟きがユニゾンする人魚と龍。
当然の反応だとは思う。この貴人の美しさは外見と、そして貴族特有の気品である内面からのものもある。
僕達のような野を走る冒険者には備える事が出来ない雰囲気なのだ。
もっともアーパスはともかく、龍族であるメイセンに人間の美醜が理解できているのには多少カルチャーショックを覚えたりしたが。
また、今驚いたからこそ彼女達に訪れるであろう次のショックの大きさを思うと僕は頭が痛くなった。
「ルーン,お前って案外、女たらしなのかもな」
「おいおぃ!」
ジト目で僕を睨み始めたアーパスの小脇を肘でどついた。
当然、依頼人の美しさに惹かれて依頼を聞こうと思ったわけではない。
貴人は僕達の前まで静々と歩み寄ると、スカートの裾を両手で摘んで軽く一礼。
「お初にお目にかかります、私がフィリプ=D=モールドでございます」
掠れ気味なハスキーボイスで自己紹介。
「あ」
「初めまして」
ぺこりと頭を下げるアーパスとメイセン。
「よろしくお願いします」
僕は作法に則り、胸に手を当てて敬礼する。
視線を仲間に移すと思った通り2人とも解せない顔をしていた。
目の前の貴人に対してだ。
「あ、あの……」
おずおずとメイセンが貴人に問いかける。
「はい。何でしょう?」
にっこりと柔らかな微笑を浮かべて貴人。メイセンはかなり困った顔をしつつも、しっかりと言葉を続けた。
「お名前、男性のように聞こえるんやけど?」
「ええ、私は男性ですから」
瞬間、アーパスとメイセンの時間は止まった。
「そんなことよりもフィリプさん。仕事の話に入りましょう」
僕は固まる2人を見捨てて、貴人に話しかける。
貴人は戸惑いつつも、僕達の前のソファに腰を下ろした。
時を見計らったように執事が紅茶の入ったカップを僕達の前において、下がって行く。
さて、彼の名はフィリプ=D=モールド。
れっきとした男性だ。
僕がこのことを知っていたのは、彼が著名な魔術師であるから。
これでも僕はアイツールの王立学院出の賢者なのだから知っていて当然だ。
彼の記した『精霊と法式』や『神聖魔術にみる呪語の欠片』などは呪語魔術の分野だけでなく、これまで似て異なるものとされていた精霊魔術と神聖魔術との架け橋となっているのはあまりにも有名な話。
また駆け出しの魔術師や賢者を志す者,単純な呪語魔術を学ばなくてはいけない下級騎士などは彼の『よく分かる魔法』シリーズにはお世話になったことだろう。
僕は作者近影から彼が男性であることを知ったわけだが……直にこうして会うのは当然初めてだけれど、なるほど、確かに美人だ。
男だけどね。
フィリプは紅茶を一口含んで、形の良い唇を湿らせると決心したように切り出した。
「私の双子の妹をさらって欲しいのです」
「さ……」
「さら……」
「う?」
お互い顔を見合わせる僕達三人。
それは、とてもとても物騒な一言から始まったのだった。
モールド家はこの虎公国において名門の旧家である。
かつて公国という形が成り立っていなかった程の昔、現在の虎公であるアルフレア家と隣近所だったとも伝えられているそうだが、それくらい公王家とはお付き合いが長いのだそうである。
もちろんそれは今にも至り、人付き合いとして長いということだ。
今の虎公第二王子であるライナー=アルフレアとフィリプさんの妹さんであるコーリンは同い年。幼い頃から共に学び、遊んだ幼馴染みであった。
そんな2人は25歳と24歳。家柄からして結婚が遅いといえば遅い年頃。
そこで現虎公王レイガーは、ライナーが戦乱の真っ只中にある隣国の熊公国に救援に行っている間に縁談を進めてしまったのだ。
それに驚くのは当事者達。
当然ライナーとコーリンは反対したのだが、頑固な両家の父親は問答無用で婚姻を進めてしまう。
そんなこんなで結婚式はとうとう3日後。
そこでライナーとコーリンは考えた。
『結婚式に当事者が出なきゃ良い』と。
そんなことをすればお互い勘当は間違いないのだが、もともと2人は独立心が強いらしい,いつでも1人で暮らしていけるだけの能力は備えているということだ。
それにライナーが出奔しても第一王子はすでに結婚して次期虎公と期待されている。
思い切れば、身軽といえば身軽な立場にもなり得るのだ。
そこで僕達への依頼。
「妹のコーリンをさらって、ここから北にあるバサラの村の村長宅へ送り届けて欲しいのです」
「でも、そんなことしたら、俺達はお尋ね者になるんじゃ?」
「そうならないように気をつけてくださいね♪」
フィリプは酷くチャーミングにアーパスに答えた。
「なるほど、だから報酬が良いんやね」
一人納得するメイセンだ。
「でも」
僕はフィリプに問う。
「でもですよ、貴方は良いんですか?? 妹さんが勘当されても」
フィリプは寂しそうに、しかししっかりと頷いた。
「望まない結婚をさせられるのは、女にとって一人で生きていくこと以上に辛いものですから」
しみじみ言う彼女に『しかし貴方は男でしょうる』とツッコミをいれたいのを我慢。
「でもそんなに結婚が嫌なものかな?」
意外な言葉が出た。なんとアーパスである。
「よく知り合ってる幼馴染み同士だろ? そんなに嫌い合うことはないと思うんだけどな」
「へぇ、アーパスにしては穏やかな意見だなぁ。例の事が起こる前に幼馴染みとかいたのか?」
例のこととは彼女が水のラグランジュポイントの門となっていたことだ。ここで明かすのはさすがにまずいだろう。
アーパスは、つぃと僕を見ると何故か顔を赤くして顔を逸らした。
……僕が何かしたのか?
それともやっぱり拘束されていた長い時間は嫌な思い出だったのかな。
「いえ、嫌い合ってなどいません」
優しく微笑むフィリプ。
「むしろ互いを信頼しあった親友同士ですよ」
「だったら何故?」
「親友過ぎたのでしょう」
自信をもって言うフィリプの意見は分からないでもない。
例えば僕に妹同然であるクレアと結婚しろといわれても非常に困る。
あまりにも近しい存在である為、そのように見れなくなってしまう。
つまりはそういうことなのだと僕は思うが、こればかりは当人になるかそれに近い状況でない限り分からない感覚だとも思う。
「人間というのは変わっとるんやね。ウチらは親兄弟の間に子供ができるなんて普通やで」
「こらこらこら!!」
「?!」
ボソリと呟くメイセンの口を塞ぐ。龍族の特殊な異性関係なぞ今披露する事もないだろうがっ!
聞こえたのだろう、フィリプが訝しげな目でメイセンを見るが僕は笑ってごまかした。
「簡潔に言うと、僕達がコーリンさんを無事にバサラの村に送り届けて、結婚式当日に彼女を公式の場に立たせなければいいわけですね」
「そうです。またおそらく…いえ、確実に王家からの追跡が入ります。それを考慮の上ですわ」
「そうやけど、虎公家としても公式に軍を動かせへんやろ。当人同士が逃げ出したなんて恥を世間に撒き散らすもんやからな」
「となると、追跡してくるのは俺達みたいな傭兵、か」
唸ってアーパス。これはかなり厄介だ。
もしも城付きの兵士ならばどこかしらに隙が出やすい。
しかし同じ冒険者や傭兵となると話は別だ。
彼らはこういったことに関してはプロフェッショナル。僕達は相当苦労することになるだろう。
そしてもしも失敗すれば、例え雇われの身であろうと王家の婚約者の誘拐犯である。獄門打ち首は覚悟しなくてはならないし、存在を確定されたら確実にお尋ね者だ。
だが、それ故に報酬は高い。
「さ。如何いたしますか? 貴方方はシフ様のご紹介、相当の腕利きと見込んでのお願いです」
ふと思う。フィリプとシフ姐がどんなつながりなのか?
聞きたいところでもあるが今はそれどころではないだろうな。
僕はアーパスを見た。
彼女は小さく頷く、それは僕の意志に任せるということだ。
メイセンを見る。
彼女もまたにっこり微笑むのみ。
そう、だね。
「フィリプさん、やらせてもらいますよ。王家側にこれ以上時間を与えないためにも、すぐにでも出発を」
「ありがとうございます」
深々とお辞儀するフィリプ。そして顔を上げて手を叩いた。
僅かして僕達をここまで案内してくれた執事さんが三度やってくる。
「コーリンをここへ。早速旅立ってもらいますわ」
「お寂しくなりますなぁ」
感慨深げに執事は言い、部屋を後にする。
しばらくして部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
フィリプの声に扉が開く。
現れたのはゆったりとしたスミレ色の絹のローブを羽織った小柄な少年だった。
顔立ちはなんとなくフィリプに似ている,腰に一振りの剣を指し、茶色の瞳はフィリプとは異なり茶目っ気に満ちていた。
烏色の髪はショート,活発そうな女顔な男性である。
「妹のコーリンです」
「よろしくなっ!」
八重歯をキラリと光らせて親指をグッと立てながら彼――コーリンは告げた。
「「……」」固まる僕達。
フレンドリーな彼女は、兄とは正反対の『男らしい女性』だったのだ。
「えと、ライナー王子と結婚したくないってのは…」
僕は自然と震える指で彼女(彼?)を指す。
「男同士結婚できるわけないだろ」
「あら、嫌だ。コーリンは女性でしょ」
「僕は男だよ。昔から何でも言ってるだろ、兄さん」
ぷりぷり怒ってコーリン。
僕は内心、なるほどと合点が行く。
フィリプは男性だけれども女性の心。
コーリンは女性だけれど男性の心。
双子ゆえか、魂が生れ落ちる際に入れ替わってしまったのだろうか?
複雑な家庭ではある。
「男同士結婚させるなんて、酷いことするよなぁ。君もそう思うだろ?」
コーリンが僕に同意を求めてきた。
「はぁ」
適当に相槌を打つ。
そりゃ、ライナー王子も結婚を断るはずだ。相手は女性であっても心は男なのだから。
先程、フィリプの言っていた親友というのは文字通りの親友なのだろうな、とも理解。
「さて、事は急げだ。早速旅立とうよ」
「そう、だね」
僕はそんな彼女に笑顔で頷き、両隣で混乱している女性陣の背中をぽんぽんと叩いて正気に戻した。
僕達3人とコーリンとの旅は案外順調に進んでいた。
街道を通りにくいので、そこからやや外れた野道を歩いてバサラを目指す。
その中でも目をつけていたのだろう、傭兵や冒険者達とも何度か遭遇するが、大抵は相手を戦闘不能にした後にそそくさと逃げることができた。
またコーリンもそこそこの剣の腕を持ち合わせており、彼女自身が旅慣れていることもあって何の不都合もないままバサラへあと一歩のところまでたどり着いていた。
しかしやはり簡単には事は済まない。
2日目のお昼、あと半刻も歩けばバサラの村。この村を境にして北がシルバーン共和国となる。
すなわち虎公国が表立って活動できない区域となるのだ。
そこを間近にした、ちょっとした森の中での事だった。
唐突に殺気が背後に生じる。
僕よりも早くそれに気づいたのはメイセンである。
彼女は手にした斧槍を背後に一閃!
澄んだ金属音を立てて飛来してきた幾すじもの刃物が足元の落ち葉の上に乾いた音とともに落ちた。
「誰だ!」
コーリンは叫ぶ,まぁ、それは分かりきった答えがくるに決まっているのだけれど。
人影が2つ、空から降下する。
襲撃者は絵に描いたような律儀さで僕達の目の前に姿を現した。
「ほぅ、そこそこの護衛がついているよう…」
並んだ内の一人がそこまで言って、僕に視線を向けた状態で硬直した。
「どうしたんだ、ヤマト…って、あああ!!」
その隣の人物もまた、僕の姿を見出して叫ぶ。
はて、誰だ? 何処かで会っただろうか??
2人とも皮製の鎧を身に着け、腰に細身の剣を差した若い軽戦士だった。
だが背に羽開く一対の白い翼は、彼らが天空を駆ける事のできるファレスという亜人であることを表す。
一人は黒くやや長い髪の男。背は低い方だろう、胸ベルトに数本の短剣を刺していることから先程飛び道具を使用した奴と思われる。
もぅ一人は金色の髪の青年。黒髪の方よりもなんとなく頭が良さそうだ、腰には石弓も提げていた。
共に上空からの飛び道具を使用するという、種の特性を存分に生かしたかなり手ごわい相手ということになる。
しかし彼らと僕がこれまで対面が会ったかというと……??
「誰?」
つい口にしてしまう。
「俺達を忘れるかーーー?!?!」
黒髪の方が怒りに叫んだ、金髪の方は額を手で押さえている。
黒髪は続けた。
「貴様っ、アスカを連れ出すばかりか、彼女をいつのまにか捨てて、そんな何処の馬の骨との知れん女どもを従えおって!!」
「誰が馬の骨だ!」
「人の例えというのはよく分からへんわ」
アーパスとメイセン、それぞれの反応。
アスカの単語が出てきて思い出した、そうだ、彼らはアスカを森に連れ戻そうとして同じく森を出た……
「ヤマトさんとヤヨイさんか」
黒髪の方がヤマト、金髪の方がヤヨイだったと思う。
「そう、おうだよ、やっと思い出したか!」
嬉しそうにヤマト。
「あれからどうしてたの?」
「それはもちろん」
ヤヨイの方がニッコリと微笑み、
「貴方を亡き者にし、アスカを連れ戻すために追っていたに決まっているでしょう」
腰の剣を抜く。
同時、ヤヨイが精霊語を呟くのを確認。これは森の木々に語り掛ける……
「「覚悟っ!!」」
ヤマト、ヤヨイが文字通り僕達に向かって飛んだ!
迎撃体制に入る僕達4人。
直接の対戦はないから分からないが、見たところ相手は剣を主体として補佐に精霊魔法を操るアスカと同じタイプ。
こちらは僕とアーパス、それにどれくらいの力があるのか分からないがコーリンは前衛職,神聖魔法を操れるメイセンの4人だ。滅多なことでは遅れをとるまい。
彼らを前にして、剣を抜いた僕の手が止まった。
いや、
「んな!」
僕の傍らに生えていた木が変形,枝が僕の腕に絡み付いてきたのだ!
右腕はすっかり絡まれ、そこを基点に束縛され始める。
「ちっ!」
同じく隣ではアーパスが、こちらは足元から伸びた蔦に絡まれて始めていた。
これは先程のヤヨイが植物の精霊に働きかけた束縛の魔術だ。
極めて単純だが、それ故に即効性が高く場合によってはこのように致命的な効果を与えることができる。
「やばっ!」
アーパスの叫び、彼女は焦りつつも同じ精霊語でヤヨイの支配下にある精霊達に干渉を始めている。
だが決定的に遅い!
迫りくるヤマトとヤヨイの剣先、それは僕の胸にそれぞれ食い込み……
ギギィィン!!
2つの刃は同じく2つの刃によって跳ね返された。
「大丈夫、お兄さん?」
僕の前に立つのは左右に剣を構えたコーリンだ。
「二刀……?」
「格下思うて油断したやろ?」
声は背後。全身に束縛が及ぼうとした枝がするすると後退した。
アーパスの干渉が成功したのではなく、メイセンの「鎮め」の魔法の影響だ。
「むっ」
「戦力的に不利か?」
ヤマトとヤヨイは小声で交わす。
僕達と2人との間に張り詰めた緊張が走る。
彼らとしても引くわけには行かない、だが4対2は不利。
では、どうする?
「俺達が手伝おう」
緊張を不意に解いたのは唐突に乱入してきた2人の傭兵だ!
僕は茂みから飛び出してきた白刃を、腰のイリナーゼを引き抜いて受ける。
”重い?!”
とてつもない力の乗ったその一撃はまともに受ければ魔刀であっても折れる。
僕は慌てて押し付けられた力を刀を斜めにかざすことで地面へと押し流した!
「っ?!」
同じく隣でも茂みから飛び出てきた襲撃者の短刀の一撃を、ぎりぎりのところでかわしたアーパスがいる。
僕とアーパスは背後にメイセンとコーリンを感じながら新たな襲撃者と間を取った。
その2人の姿を見て絶句するのは僕。
「なんで……」
見覚えがあるなんて話じゃなった、何でこんなところで……
「なんでソロンとシリアが??」
そう。
僕達の相手側に立つ2人の傭兵はエルシルドでの幼馴染み、ソロンとシリアだったのである。
「そこそこできるようになったみたいじゃないか、ルーン」
「しばらく見ないうちに男の子らしくなったわよ」
2人は町で交わす会話のように、特に緊張もなさげに言った。
「なんだ、知り合いか、ルーン?」
「あ、ああ。昔なじみさ」
問うアーパスに苦笑いしながら、僕は手の魔刀に力をこめた。
なぜなら彼らは『敵』だからだ。
僕は気付いていた、2人とも口調は普通だが、僕達を見る眼には油断も隙もない。
あるのは打倒の意思のみ。
「昔馴染みにしては敵意まんまんじゃねぇか」
僕の様子を見てアーパスも同じく剣を構え直した。
「説得できないのか?」
「うーん」
ソロンとシリアも公家に雇われたクチだろう、一度仕事を引き受けたら守り通すことが信条な根っからの冒険者である彼らにはそれは不可能に思える。
「ってか、2人とも何もこんなところで稼がなくても」
「路銀が尽きてなぁ、お前もか、ルーン?」
「う、うん」
「旅は何事も、路銀がなくちゃできないもんだ。だから稼ぐ、そのことでこうして敵対することも多々あるもんだ、そして勝っても負けても恨みっこなし。それがルールだ」
苦笑いの僕達。
と、おずおずとソロン達に声をかけるファレスの2人。
「あんたらは……」
ヤマトとヤヨイは2人のことを覚えていたようだ。
あの時のアスカのいた村では、魔族の代わりに村を荒らした冒険者ということで捕まったのだから当然かもしれない。
「新参のお二人さんよ」
ソロンは2人のファレスに振り返ることなく言う。
言葉にはまるで呪語がこもっているかのように、えも言えぬ迫力があった。
「俺はこの剣士の相手をしてやろう」
「じゃ、私はこっちのお嬢さんね」
隣のシリアはアーパスに目をつける,手にした短剣には青白い光が灯り、中程度の長さの刀身を形成している。
魔力剣だ。
「ルーンよ、どういういきさつか知らねぇが……」
ソロンが僕の前に立った,アーパスを気遣っている余裕はないようだ。
「そこの2人の言うことはもっともだぜ、お嬢さん3人に囲まれてるなんて、とんでもねぇ女たらし野郎だ」
「こらこら」
思わずツッコム。本気なのかどうなのか分からないソロンだ。
彼の両手に持つのは無銘の聖剣、獣殺しと彼は名づけている淡い光を放つ大剣。
全身を覆うのは使い込まれた金属鎧。典型的な重戦士である。
彼のようなタイプに勝つためには、僕のような軽戦士はとにかく的確に攻撃を当てていくこと。
「メイセン、コーリン! ファレスの2人は頼むぞ!」
「はいな」
「おっけー」
放つ言葉に案外軽い返答。
コーリンがヤマトとヤヨイの一撃を止めたのは偶然ではない。
かなりの腕前なのだと思う、そこにメイセンの援護が入ればファレスの2人は問題ないだろう。
そしてアーパスとシリア。
こちらは読めない。
アーパスは精霊魔法を扱えるが、どちらかというと僕と同じ繰気術を主体にした剣術メイン。
対するシリアは呪語魔法のエキスパート。
懐に入ればアーパスの勝ち、という訳でもない。
シリアは剣もかなりの腕前である。先程の魔力剣の一撃でアーパスもそれには気付いているだろう。
展開が読めない戦いだ。アーパスの健闘を祈るしかない。
そして僕とソロン。
僕よりも先に世界に踊りだし、様々な経験を積んできた文字通りの冒険者。
「負けたくない」
思いが自然と呟かれる。
それにソロンはニヤリと微笑んだ。
「来い、ルーン!」
僕は頷き、イリナーゼに己の気を纏わせて剣一身!
振り抜かれた遠慮一切なしの一撃が、ソロンの胸を襲った。
「良い踏み込みだ」
ソロンは手にした幅広のその剣をまるで盾のようにして傾き加減に僕の一撃を受け止め、力のベクトルを全て上へと逃した。
剣を振り上げた形になる僕。
がら空きになる僕の懐に彼の回し蹴りが決まり、僕は背後に立った木に横っ飛び、叩きつけられた!
もっともダメージは僕自身が後ろに飛ぶことにより大半は逃している。
が、ソロンの力はとんでもない。唇の端から流れる赤い雫を舌でなめ取り、僕はイリナーゼを構えなおした。
「行くぞ、ソロン!」
僕の叫び。
それを合図に全ての戦闘が開始された。
<Camera>
アーパスは内心舌打ちした。
目の前の女魔術師は思った以上にやる。
彼女の攻撃を苦もなくかわしながら、確実に魔法を成立させて仕掛けてくる。
その魔法の種類も豊富だ。炎と氷に始まり、電撃、植物の誘導から精神減衰にまで至る。
ともかく攻撃のパターンが多かった。
それを気のこめた剣で弾き、または精霊に干渉することで防いではいるが、このままではアーパス側の回避パターンがばれてしまう。
そうなった時、決定的な一撃を繰り出す隙のない現在で負けるのはアーパスであった。
対してアーパスの攻撃は女魔術師に当たりはするものの、全てかすり傷程度のものだ。
その理由は魔術師は周囲に小皿程度の不可視の盾を数十枚張り巡らせていることにある。
加えて魔術師らしからぬ素早い体術。実践に基づいているものと思われる無駄のない動きだ。
”何とか懐に…”
剣を握りなおし、彼女は女魔術師に対して半身で構える。
懐に入ったとしても、魔術師の手にする短剣から伸びる魔力刀はアーパスの一撃を受け切れはしないものの、受け流すことはできる強力な刃を有している。
始めのうちはルーンの知り合いということで気絶させるに止めようとも考えていたが、そんな甘い相手でないことが、むしろその逆がありうる相手であることをアーパスは痛いほど感じていた。
ソロンは自然と笑みが零れてくるのを押さえきれなかった。
目の前の剣士はかつて知っていたよりも数倍、いや数十倍も強くなっている。
強い者と戦うこと、それが身内であろうと楽しみを覚えてしまう自分は根っからの戦士であるのだなと思わず実感してしまう。
どのようにして攻めるか、回避するか、魔術を発動してくるのか、それとも剣技をくりだしてくるのか?
大抵は向き合っただけで予測されるのだが、目の前の相手はそれを読ませない。
とは言え、まだまだ自分には及ばないだろうとも思う。
何処で齧ったのか分からないが、操気法を心得たようだがその程度では自分には勝てない。
戦いにおいて個人の持ちうる能力というのは実は最も重要な要素とは限らない。
勝利へと繋げるために大切なのは、戦いに関する経験のみであるとソロンは考えている。
だから、この剣士達が明らかに格上とされる自分達に剣を向けてきた時点で彼らは負けなのだ。
ここは『逃げる』判断をすべきだ,依頼という最終的な目的がある冒険者にとって、逃げるという行為は負けではなく手段の一つに過ぎない。
”それとも、本気で俺達に勝つ自信があるとでも言うのかな?”
ソロンは慢心を捨てる、だからこそ笑みが浮かぶのだ。
シリアは雷撃の魔術を杖からくりだし、敵女剣士の攻撃を封じた。
だが敵もさることながら、雷撃をかわすその返し手で中段の突きを入れてくる。
ローブの端を僅かに切り裂かれながら、シリアはつめられた距離を再び広げた。
”なかなかやるじゃない,この娘”
内心舌打ち。
目の前の女剣士は見た目の華奢さとは裏腹な、豪快でいて強い剣を踏み込んでくる。
また東方の侍の間で伝承される操気の術と精霊魔術を併用し、確実にシリアの動きを先回りしようとしていた。
シリアは戦いとは詰め将棋のようなものと思っている。
すなわち『これをこうしたら、相手はこう動くしかない。そう動いたらここで止めを刺す』といった、イレギュラーがない限りは決まった流れしかないものだと考えている。
だからこそ、行動の選択肢を多く持った者こそが勝利すると思う。シリアが同じ攻撃パターンを取らないのはこちらの動きを悟られないためだ。
そしてこの考えは恐らく相手の行動理念でもあるのだろうとシリアは感じていた。
同じ考えを持つ者同士の戦いほど恐ろしいものはない。
シリアはかつてカーリと対峙した時と同じ緊張感を持って相手に挑む。
ルーンは長年の勘違いをしていたことを知った。
目の前の重戦士は多少の攻撃を受けながらも、豪快な大振りで相手に決定打を与える攻撃方法しか取れないものだと思っていたのだ。
それは大きな間違いだった、当然だ。
それしかできない者ならば、これまで生き残ってこれるはずがない。
様々な戦闘パターンを持っているからこそ、柔軟に相手に対応し、打ち破ってくることができたのだ。
敵戦士の攻防は一体だった。
すなわち幅広の剣を時には縦に立てて盾とし、時には水平に突き出して槍とする。
大剣の舞うような必要最低限な動きは、まるで円を描くような軌跡を取る。
そこには一点のタイムラグもなく、ルーンは無駄な攻撃を繰り出すだけだった。
”とてつもなく強いっ!”
まるで巨大な岩に対峙している感覚に囚われる。
ただルーンは無駄な攻撃を出し続け、体力を消耗するだけだ。
しかし手を止めたら相手の大技を食らってしまう。
だから彼は追い込まれたネズミのように攻撃を続ける、その一撃一撃が敗北へのカウントダウンに聞こえながら。
”現状を打破しないと”
彼は重戦士の大剣に刀を阻まれる、その瞬間に練りつづけていた気を一気に剣身に放出!
瞬時に青白い炎がイリナーゼにまとわりついた。
「光波斬!」
カッ!
至近距離の衝撃波が重戦士を襲う。
隣で眩しい光が発せられた!
それに女魔術師の注意が逸れる、それを見逃すアーパスではなかった。
「っ!?」
魔術師が気付いたときにはすでに遅い,女剣士は彼女の懐に入り込み、剣先をその右胸に!
「え?」
魔術師の姿が剣士の前から消えた。
「魔術?」
否。
「まだ穢れを知らない戦い方ね、貴女」
冷たい声は女剣士の耳元に。
魔術師はその体術で剣士の死角に潜り込んだのだ,姿が消えたわけでもなんでもない。
ブラインドステップと呼ばれる高等な歩法だ。
”わざと隙を作りやがったか”
剣士が身構えるには距離も近く遅すぎた。
魔術師の魔力刀が剣士を切り裂く!
剣士は横に飛んで逃れる!
「くぅ!」
右脇腹に焼けた鉄棒を押し付けられるような灼熱感を受けながらアーパスは落ち葉の積もる地面を2転3転,起き上がった。
が、痛みに左膝を付く。
来るであろう魔法攻撃に剣士は備える…が来なかった。
訝しげに目の前の女魔術師を見上げる。
至近から襲い来る衝撃波をソロンは剣に力を込めることで相殺した。
操気を心得ているのは彼ら2人のみではない。
ソロンは光の収まった後、呆然としている剣士を見るはずだった。
「?!」
しかし目の前には彼の姿はない!
がさっ
草木の踏まれる音。
「右かっ!」
「上だっ!」
剣士の大上段からの一撃がソロンの頭上へ振り下ろされる!
ソロンは後ろへ飛んだ、やや遅い。
ぎしぃ
金属をこする嫌な音を立てて、剣士の刀は剣士のいた場所の土をえぐった。
ソロンは背中に木を押し当てて大剣を構え直す。
身に付けた白銀製の全身鎧には真中から一直線に薄い線が入っていた。
「やるじゃねぇか,決め技を捨て技にするとはな」
「まさか」
剣士はにっこり微笑んで反論。
「ソロンはあんな一撃じゃ倒せないと思ったから、追い討ちかけただけさ」
返す剣士の息はやや荒い。
「じゃ、今度はこちらから攻めるぜ」
ソロンは獰猛な笑みで応え、大剣を握り直した。
シリアは女剣士を見下ろした。
手応えからして大した傷は負わせていないはずだ。本来ならば魔法で追撃をかけるところだが、今は聞きたいことがあった。それは、
「貴女、どうしてルーンと一緒にいるの?」
「はぃ?」
弟分であるルーンと行動を共にしている理由である。
今、ファレスと渡り合っている神官の方はルーンの恋愛対象ではないだろう,幼すぎる。
コーリンに至っては依頼人だ。
となると、アスカと別れてまでどうしてこの男言葉を使う女剣士と一緒にいるのかがシリアには分からないところだった。
確かにこの女剣士は美人だった。美人は美人でも並なそれではない,化粧やらおしゃれをすればかなりの上位ランクに至るだろう。悔しいがシリア自身よりも上だと思う。
しかしルーンがあまり外見にこだわるほうではないのも知っている。
では?
「俺がルーンと共にいる理由、だと?」
女剣士は困った顔で呟いた。
「……まぁ、ちょっとした仕事でな」
言葉を濁す剣士。シリアはツッこんだ。
「じゃ、ルーンを恋愛対象として見ているわけではないということね」
「はぃぃ?!」
明らかにうろたえた様子の剣士。
「違うのかしら?」
「え、えと……違ぅ…」
「なんだ、そうなの。てっきりアスカと貴女と三角関係になって、あの子が貴女を選んだのかと思ったわ」
「………」
顔を真っ赤にして立ち上がる女剣士。傷は精霊魔術によって今の会話中に癒したようだ。
その剣士の表情を見て、魔術師は首をかしげた。
「あら? 今の仮定はあながち嘘じゃなかったの??」
「そんな訳ないだろう! 大体、アンタはルーンのなんなんだ?」
「私はシリア=マークリー、ルーンの姉貴分よ。だからあの子がどんな娘を選ぶのか,選んだ娘が果たして良いのか、それを判断しなきゃ行けないと思うのよねぇ」
おばさんっぽく溜息一つ。シリアは続ける。
「貴女はもぅ少し汚れた方が良いわ、太刀筋にしても純粋すぎるの。やっぱり女にはダークな面も重要なのよ」
「別に俺はルーンのそんなんじゃないんだが……」
「女としてのアドバイスよ。あと口調をもう少し女っぽくっすればモテモテよ?」
「……はぁ?」
「取りあえず口調は手近なルーンで試してみれば? 貴女って綺麗だし、あの子好みだからすぐにメロメロよ」
女剣士は不意に黙り込み、そして一段と顔を赤くする。何を想像したのだろう?
「そんなことは、そんなことはルーンが決めることだろう? 俺やアンタがあれこれ言うことじゃない!」
剣を構えて女剣士は言う。
魔術師は小さく笑って、再び戦闘態勢に入った。
「そんなところが純粋なのよ、貴女は。ま、多分そんなところもルーンの好みなんでしょうけどね」
戦いは再開された!
コーリンは襲い来る2人の翼を持つ亜人に身構える。
自分の後ろには斧槍を持った美少女が一人。
彼女を守ることこそ、男冥利に尽きるというものだ。
……まぁ、美少女といっても年の頃は10歳前後、彼女の対象年齢じゃないけれど。
タイムラグを利用した連続の突きがコーリンを襲う!
彼女は両手に持ったそれぞれの剣で、2人の亜人の攻撃を的確に弾いていく。
彼女にとってそれは楽勝だった。
今まで彼女の相手をしていた親友であるライナーは、これ以上の剣技を有していた。
彼の相手をしていた彼女にとって、こんな雑魚の相手は楽なものだ。
ふとライナーを思い出す。
彼はきっと城から脱出できなかっただろうと思う。いくら彼が強くとも、彼よりも強いものはこの虎公国には結構いる。
だから、この婚姻を阻止するためには何としてもコーリン自身が逃げ切らねばならない。
コーリンはライナーが嫌いではない。むしろ好きだ。
好きといっても友達としての好きである、異性としては彼を含めて一切好意を抱いたことはない。
逆に双子の姉であるフィリプを可哀想に思ったくらいだ。彼はライナーが好きだった。
この時ほど、自分とフィリプの心が入れ替わってくれていればと思ったことはない。
結局フィリプはライナーを思い、彼の想い人である熊公国の新女王ティターナとの接点を作ろうと自分を逃がす応援をしてくれている。
そんな姉…いや、兄の想いを思うと、自分はこんなところで捕まるわけには行かない!
「ってやぁ!」
「「?!」」
コーリンはファレス達の太刀筋を見切り、2本の剣で2人の剣を引き寄せ、そして回転させる。
2人のファレスは手首の回転に付いて行けずに思わず剣を手放した。
コーリンは勝利を確信。
途端、コーリンに思わぬ一瞬の隙が生じた。
それが剣を知るだけの者と、冒険者との違いだ。
髪の黒い方の翼人が胸ベルトから短剣を数本引き抜き、コーリンに向かって至近投擲!
髪の金色の方はこれもまた至近から精霊魔法による真空波を放出。
「くっ!」
コーリンのローブを短剣と真空の刃が、内から噴き出す赤い飛沫と共に次々とコーリンの生命力を奪って行く。
機動性を重視したために鎧を身に着けていないデメリットがモロにコーリンを襲う。
「なかなか厄介な相手かもしれまへんな」
のんびりした言葉は彼女の後ろから。
メイセンだ。
彼女が軽く手にした斧槍を振るうと、コーリンの傷はあっさりと塞がれた。
メイセンの神聖魔術・癒しの効果である。
「すごい」
コーリンは素直に感心した。彼女がこれまで会ったことのある神官は全てが説教しかしない口だけの存在だった。
一応は癒しの力を持つ者は見たことはあるが、何時間も怪我人の前で祈り続けて少し傷が軽くなる程度のものだった。
だからこそ、コーリンは無神論者だ。信じるものは己だけという強い信念の持ち主でもある。
しかしここまであっさりと、そして強力な癒しの効果を見せつけられると、神の存在も信じても良いかなぁなんて思ったりした。
”そんな場合じゃないな”
「っ?!」
己に苦笑,コーリンは魔法を放ち終えたばかりの金髪の翼人の懐に入り込む。
あまりの速さに驚きの表情を浮かべた彼の鳩尾に剣の塚を……
翼人はコーリンと同じ速度を以って上空へ逃れる。
塚の一撃が空を切り、彼女は振り抜いた右手の剣をそのまま反転。
牙を剥いた剣の刃が逃れ行く金髪の翼人との距離を途端、縮めて彼の胸に浅い傷を裂いて行く。
「「ちっ!」」
彼と彼女のお互いの舌打ちが重なった。
「俺を忘れるなよっ!」
金髪の方に気を取られていたコーリンの左手側から黒髪の翼人が落とした剣を拾ってコーリンに迫っていた。
双剣使いである彼女の左手は反射的に黒い翼人の剣をはじき返した。
見かけによらぬ剛力に黒い翼人は態勢を立て直すために上空へ。
コーリンもまた間合い外の2人を見上げつつ、メイセンを守るように後ろへと下がる。
ルーンは乾いた唇を舐めた。
目の前の重戦士は思っていた以上の力を有している。
まさか操気の心得まで身に付けているとは思いもしなかったが、彼の普段の行動からして知っていてもおかしくないとは思う。
同時、ルーンの操気術以上の技術を持っているに違いないとも確信していた。
”僕の5,6倍は強いな”
だが、勝つ・負けるという感情にはなぜか捕らわれない。
本来ならばすぐにでも逃げ出すべきだ。ここで勝っても負けても得られるものは少なく、失うものが大きい。
だが、今の彼の心の中には逃げ出せない何かがあった。
”今、僕がどれくらいの力を持っているのか、試したい!”
ルーンは魔剣を中段に構えた。彼の感情の昂ぶりを知り、魔剣の刀身が仄かに淡く赤く輝き出す。
”いきな、ルーン!”
心に直に、力強いイリナーゼの声が響く。
”思う存分、戦ってらっしゃい”
「行くぜ、ルーン!」
「応っ!!」
ソロンと、心の中の魔族にルーンは応え、一直線に迫り来る戦士に対して真正面からぶつかった!
アーパスは余裕を感じなかった。
こんな戦いは何年振りだろう?
かつて、魔将軍ミレイア=グラッセと戦った時にも感じることができなかった、戦いへの武者震い。
自分の持つこれまで培ってきた全ての能力を発揮してなお、越えることのできるかどうか分からない相手。
今、自分自身のこの肉体は水でできた紛い物ではなく、本体だ。
だからこそ、だろうか? 死んだら終わりという事実がリアルに脳に染み渡る。
”違うな”
アーパスは目の前の魔術師へ風の精霊魔術を放ちながら否定。
今この時、肉体的にも精神的にも、そして能力的にも切迫している。
これは初めて、人魚の集落から飛び出て外の世界に出たときの感覚とそっくりだ。
忘れてはいけない、しかし忘れやすい『今、この時』を知る感覚。
流れ行く時間そのものを肌で感じ、今を今として認識すること。
特殊な状況下ではその感覚は続くものだが、状況に慣れてしまうと鈍化するものだ。
今のアーパスは特殊な状況にある。
魔術師は敵であり、アーパスの愛する人の姉代わりでもあり、アーパスを問う者である。
この戦いの中で彼女は心の中にしまっていた色々なことに結論を出さなくてはならない。
それらは他者には些細なことだが、アーパスにとっては重大な問題達。
今までその問題に無意識のうちに自ら目を逸らしていた。だが、その事をこの魔術師は気付かせてくれた。
それ故に目の前にいる女魔術師を戦わずしてルーンとともに最後の戦いに臨んでいたとしたら、おそらく勝てないと思う。
この戦いのお陰で、命のやり取りをも再認識したアーパスには、まだ見ぬ最後の戦いへの決心を揺るぎ無くすることができた。
”もっとも、これに勝って生き延びることができたら、だな”
襲い来る呪力の洪水にアーパスは気力のこもった剣の一閃で迎え撃って、これまで以上に戦いに没頭する。
「俺は負けない、シリア=マークリー!!」
ヤマトとヤヨイは攻めあぐねていた。
相手は女とタカをくくっていたことを後悔する。
よもや逃亡者であるコーリン=D=モールドがこれほどの剣の使い手とは思いもしなかった。
彼女だけならばまだ良い。
その後ろに控えるどこの神か見たこともない神官の少女の援護が強烈だった。
コーリン自身が気付いていないくらいの絶妙なものだ。
双剣の少女のしばしば見える隙を狙う2人に対して気弾を放ち、手にした斧槍を振るい、不可視の盾で剣士を護る。
試しに神官の方から片付けようとも思ったが、コーリンがそうさせなかった。
「まいったな、ヤヨイ」
上空に滞空しながら、黒髪の翼人ヤマトは隣の相棒に策をねだる。
「攻めようがない」
「そうでもない」
ヤヨイはニタリと笑みを浮かべる。視線の先は双剣の少女と神官ではなかった。
白い鎧の重戦士と、アスカを連れ去った人間の剣士の2人である。
激しい剣の応酬を繰り広げていた。
ヤマトはちらりとそちらに目を向け、そして白い鎧の男から発せられた技に気付く!
「「今だ!!」」
「ルーン、お前の知る操気の技は基本的なものだ!!」
重い、重いソロンの大剣をかかる力の方向を帰ることで受け流す。
それでも細身の魔剣がギシィと嫌な音を立てた。
ただの剣圧ではない?!
「そうだ、操気とは己の気力をエネルギーに変える法。考え次第でこうして剣の攻撃力を増すこともできれば……」
ソロンの脇腹に隙ができた!
僕は空いた左足で鋭い蹴りを入れる、が。
ぎし
まるで鉄骨を蹴り上げたような感触と、痛みが僕の足に走る。
「防御力を上げることができる」
ニヤリと笑ってソロン。くそっ、この状況下で敢えて隙を作って見せつけてくれるとは。
「ルーン、頭を柔らかくしろ。操気に限ったことじゃない、全てはつながっているし、基本さえ知っていればあとはお前の思いつくままに応用できるものだ」
大剣を空振りしたソロンはそれを片手で持ち替えて、右手のストレートを僕に打ち込んでくる。
”自由な発想、か”
僕は迫り来るソロンの拳を目の前に、体の奥から湧き上がる気力を左足の先に溜めるイメージを。
「いやぁっ!」
上体を後ろへ。僕は後ろへ倒れる格好で、左足を跳ね上げるようにソロンの伸びきった右の二の腕に蹴りを入れる。
ぐしゃ
砕く音が耳に。確実な感触が左足に。
「む」
一歩引くソロン。彼の右腕はおかしな方向に向いている。僕が折ったのだ。
「そうだルーン。それが操気の本当の使い方だ」
満足そうに笑う。そして大剣を左手一本に持ち替える。
「丁度これでハンデになるな、俺の技を見ておけ、ルーン。そして俺を越えていけ!」
異様な熱量をソロンから感じて僕は慌てて気力で体全体を保護!
「操気の法は放つ者の意思そのもの、想いこそ力だ! 癒せもすれば傷つけもする」
大きく大剣を振りかぶるソロン。
「これは生きとし生ける者全ての命を削る法」
白く眩しく刀身が輝いた。それはソロンの純粋な気力そのもの。
そこに彼の一つの意思が宿るのを知った。
殺意、だ。
「剛雷殺風刃!!」
ソロンを起点に90度方向に紫電が走った!
僕は襲い来る衝撃に耐える。紫電は全方位から僕を包み込んで気の膜をこじ開けんとしている。
その中で視線をあたりに向けた。
そこは木も草も、土の中のミミズにすらソロンの殺意が通っている。その全てが紫電を体にまとわりつかせて命をカンナで削るようなダメージを負いつづけていた。
広い広い範囲を覆い尽くす呪語魔法にも滅多に見られない殲滅系の技だ。
やがてチリリと僕の首筋が痛む。
紫電が僕の防御を超えようとしている。
技の持続時間が思った以上に長い,僕は解除を試みる。
殺意を打ち消す意思は……
僕は気力に意思を込めて、張り巡らせた気の膜を解除した。
襲い来る紫電の群れ。
それらは僕が振り上げた魔剣の刀身に引き寄せられるようにして殺到。
紫電の強いエネルギーは僕を取り抜け、足元の大地へ。
そこから土の中へ解けこむようにして全てが消え去った。
僕は粗い息を一つついて、ソロンに振り返る。
「受諾の心。操気のやり方が少し分かったみたいだな」
「お蔭様でね」
満足げに微笑むソロンの表情が、次の瞬間何故か固まった。
「?」
彼は僕の後ろを見ている。
僕は疑問に思い、後ろを振り返る。と、そこには………
「ひゅ」
空気を切るような悲鳴にコーリンは慌てて振り返る。
「?!」
そこは紫電の世界だった。
悪意としか表現できない世界が、一歩踏み出したところに広がっている。
そしてそこに、全身を紫電が駆け抜けた神官の少女の姿があるではないか。
「メイセンさん!!」
途端、背後で殺気。
振り返ることなく、両手の剣で殺意を迎える!
「これを」
「かわすとは」
再び上空へと逃れる翼人の2人。
「これは貴方達の…?!」
金髪の翼人が指差す方向には白い鎧の男とルーンの姿がある。
「ちっ!」
コーリンは舌打ち,上空の翼人を警戒しつつ再びメイセンを見る、と。
コーリンは声もなく両手の剣を落とした。
その隙に翼人達が襲ってくる気配もない。
翼人達はすでに『彼女』の姿を見て逃走していたからだ。
唖然とするコーリンの目の前で、紫電の中でメイセン『だったもの』はギラついた目を鈍く光らせて長い鎌首をもたげたのだった。
そう、それは青い龍だ。
人に非ざる、人より賢き者達。
人より強く、人より長く生き、万物の長たる血族。
それが龍族だ。
コーリンの目の前でメイセンだった青龍は、紫電に押さえつけられながらもその元凶へと足を踏み出した。
しかしやがて紫電は唐突に消え去る。
龍は枷を外されたように大きく翼を広げてそこへ――白い戦士とルーンの元へ突進,大きく口を広げたかと思うと青白い炎を吐いた!
青い炎は赤い炎以上の温度を持つ。鉄をも溶かし得る高温だ。
我を失ったように思える龍は辺り一面に炎を撒き散らしながら暴れまくる。
まるでB級の怪獣映画のようだ。
コーリンはただ呆然と事の成り行きを見守るしかなかったのだった。
<Rune>
「また会おう、ルーン!」
「その娘、大事にしなよっ、ルーン」
ソロンとシリアは額に汗を浮かべつつ、僕とアーパスに微笑みかけると森の中へと足早に消え去る。
素早い去り様だ。見事なくらいに。
今まで激闘を演じていた隣のアーパスはあまりの呆気ない幕引きに呆然としている。
僕は後ろを振り返る。
そこにはソロンの剛雷殺風刃の範囲内に運悪くいたメイセンが暴れている。
本性を現せて。
ソロンの殺意に反応したのか同調したのか、我を忘れているような見事な暴れっぷりだ。
「どうする? アーパス?」
「俺に聞くなよ」
「むぅ」
僕は考え、そして魔剣を掴む。
「気絶させるか」
「どうやって? 光波斬くらいじゃあの鱗は通りそうもないし、何より避けられろうだが」
「ソロンの得意技を使ってみるよ」
僕は魔剣を下段に構えた。刀身に気力を集中。
そして息を殺し、暴れる龍の額に忍び寄るような感覚で彼女の額を見つめた。
額に刃で触れた、その感覚を想像して一気に殺気を放出する!
「虚空閃!」
空を切った僕の魔剣はしかし、その刀身のみ空間を転移してメイセンの額にクリーンヒット!
メイセンの動きは停止し、そして
ズズン……
その場に倒れ伏したのだった。
「ありがとう、ここまでくればもぅ、追ってこられても捕まらないよ」
バサラの村の村長宅。
僕は目を回したメイセンを担いだまま、ソファに彼女を寝かしつける。
明日の昼には結婚式が執り行われる。
伝え聞いた話によれば、相手のライナー第二王子も騎士達を一個師団ほど再起不能にしたのち逃亡に成功。行方を眩ませ続けているらしい。
たとえここでコーリンが捕まって、転移魔法でレイバンの王城へ連れ去られたとしてもほぼ結婚式は中止だろう。まだ完全ではないけれど一安心である。
「それでコーリンはこれからどうするんだ?」
アーパスの問いにコーリンは「そうだなー」と気軽そうに考えながらこう答えた。
「世界の色んなところを見てこようと思う。僕の知らないものはこの世界には多すぎるけれど、一つ一つ理解していこうと思うんだ。今回のメイセンさんにしても……」
コーリンはゆったりとした寝息を立てる龍族のメイセンを見つめる。
「実際に目にしないと分からないこともある。僕、神様なんか信じてなかったけど、メイセンさんの魔法を見てたらいてもおかしくないんじゃないかって思っちゃったくらいだし」
「百聞は一見にしかず、ってね」
「そうそう、それそれ」
僕に彼女は嬉しそうに笑って肯定した。
その笑顔も、考え方も、僕がエルシルドを飛び出した頃に似ているような気がする。
だから僕は、これから異なる道を行く彼女に懐にしまっていた短刀を手渡していた。
僕とどこか似たところがあった氷室からもらった短刀だ。
影ながら僕の役に立ってくれていた大事なもの。
「これを僕に?」
「ああ。よく効くお守りだよ」
氷室が僕にこの短刀を託したときの想いと、今の僕の思いはきっと似ていると思う。
だから、良いよね、氷室。
「ありがとう、大事にするよ」
にっこり微笑むコーリン。
「姫さま、準備が整いました」
そう声がかけられたのは同時だった。
このバサラの村の村長だ。彼は手荷物をコーリンに手渡して家の裏口にいざなう。
「じゃ、またどこか出会えたらいいね!」
「ああ、元気でな」
「がんばってね、コーリン」
僕はコーリンに手を振る。彼女もまた嬉しそうに微笑んで手を振り、そして裏口から村長と一緒に新たな旅路へとついていった。
「ふにゃ?」
入れ替わるように後ろから寝ぼけた声。
「ここは……どこやねん?」
目ぼけ眼のメイセンだ。
「なんか微妙に頭が痛いんやけど……」
「さ、終わった終わった」
「飯にしようぜ、メイセン!」
「へ? へ??」
思い出させないように僕とアーパスは左右からメイセンの肩に手を回して村長宅を後にする。
ちらほらと、今年初めての白い妖精が舞い落ちるのを頬に感じながら。
<Camera>
ソロンは大きな木の幹に背を預けて腰を下ろしていた。
その右隣にはシリアが彼の腕を抱くように足を揃えて座っている。
「またきれいに折られたわねぇ、はい、これで完治」
「さんきゅー」
ソロンは軽く右腕を振る。先ほどルーンに折られた形跡がほとんど見当たらなかった。
シリアの癒しの魔法による効果だろう。
「でも強くなってたみたいね、ルーン」
「そりゃそうだ。もともと素質はあるんだ、あいつには」
「……嬉しそうねぇ」
「シリアは嬉しくないのか?」
ソロンの問いにシリアは難しい顔をする。
「なんかちょっと、ね。遠くに行っちゃうみたいで」
「子供を思う母親みたいだな」
「否定はしないわ」
お互い苦笑。
「シリアの方も色々試してたみたいじゃないか。どうだった、あのお嬢ちゃんは?」
ソロンの言葉にシリアは意地悪く微笑む。
「アスカに強力なライバル出現、かもよ」
「ほぅ、詳しく聞かせてくれよ」
「女の子同士の秘密をアンタに教えるわけないでしょーが」
あかんべーをしてシリア。
その鼻の頭に雪が一粒降り落ちた。
「さて、ライナーの依頼も終わったことだし、アルバートの依頼の方に行くとするか」
ソロンは立ち上がってシリアの手を取る。
「でもさ、ライナーの依頼の前半はOKとしても、後半は邪魔したんじゃないの?」
ソロンの手を引いて立ち上がるシリア。
「いや、そうでもないぞ。あの龍を目覚めさせたおかげで、バサラで張ってたダース単位の冒険者や傭兵どもは顔色変えて逃げ出したじゃねぇか」
「……結果論じゃないの」
「終わり良ければ全て善し、だろ?」
ソロンの言葉にシリアは憮然と、
「アナタのそういうところ……嫌いで好きよ」
「どっちだよ」
2人は並んで歩を進める。目指す先は遥か北、永遠に続くとされる氷原の遥か向こうだった。
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