紅い声の子守唄



 ガラクタばかりだった。
 俺の目はまだまだ節穴だ。それを実感させられる。
 昨夜、シューベルト博物館より失敬して来た先時代の遺物達。
 前調べや暗闇の中では『こりゃすごいぜ、オイ!』と思ったものが、実は外見だけで中身は空っぽな物だとか、一番重要な部品がかけていたりだとか,そんなものばかりだった。
 「……まぁ、評議会経営だからなぁ。ホントに重要なのは奥のほうに隠してあるんだろうな」俺は一人、愚痴る。
 評議会というのはこの世界を統べる組織のこと。
 各地区から20名ずつ選挙によって選び出された評議員が政治を行う、言わば世界レベルの学級会みたいなものである。
 ちなみに総勢80名の中から代表が選ばれ、それを評議長と呼ぶ。この世界のリーダーみたいなものだ。
 世界のあらゆる部分に目の届く評議会経営の博物館だからこそ、この世の中心に辿り着け得る遺物か何かあることを期待したのだが…
 実際、今の時代には世界の中心である森の中心にまで『歩く』ことはできる。森は時代と伴に収縮され、今や半径50kmしかないのだから。
 普通の声を持つ者ならば数分で体が変質しまうであろうそんな森でも、声を持たず雑音の影響を受けない俺のような特異体質には難しい距離ではない。
 だがしかし、森の中には狭くなった分だけ凶悪な音獣の生存密度が高くなった。言うまでもなく、音獣達は狭くなったその森を広げんと『こちら』側に這い出てくることはしょっちゅうだ。
 沙夜のような守護頭を筆頭とした強力な音使いの軍隊が民間で組織せざるを得ないほど、今のこの世界の音は歪んでいる。
 「もしくは音獣を蹴散らせる武器があれば…なぁ」
 声のない俺が森の中を堂々と歩くには、万全な逃げの手段を持つか,もしくはこちらが圧倒的な攻撃力を持つかだ。呟く俺の、ふと目に入るは錆びた指揮棒。
 このガラクタの中で唯一価値があると思われる、先時代の指揮者の用いた音叉。
 ……どう見ても錆びた棒にしか見えないが。
 はっきり言って音叉は俺には意味のないものだ。
 音叉とは声を増幅する物。それも特定の声を増幅する為、ある者が使えても他の者は使えなかったりする。
 もっとも声のない俺には、何の価値も見出せない。
 俺は錆びた棒を何とはなしに手に取る。
 長さは1.5mほどか,僅かに湾曲を描く細身の剣だ。
 装飾は全くない。このまま屑鉄屋も持って行っても分からないだろう。
 「力があれば、なぁ」
 思わず呟く。
 俺には力がない,すなわち声がない。それ故に無力であると当時にどんな音の影響も受けずらい。
 しかしそれは俺自身が空っぽゆえの、無力による産物だ。
 「声があれば、な」
 二度目の同義異語の呟き。
 そして、
 それをきっかけに歯車は回り始めた………。



 彼は立ちあがる。
 若い男だ。まだ20前半であろう。ブラウンの長い髪を腰の辺りで縛っている。
 席から立つと同時に手に取るは三つ又の音叉。
 しかし彼の表情に映る若さと覇気の背後に、異質の悲哀の音が見て取れる。
 「おでかけですか、評議長?」
 若い女の声に、男は顔を向ける。
 髪と同色のブラウンの瞳に女の姿が映った。
 縁なし眼鏡を掛けてスーツを見事に着こなした、ブロンドのショートカットの美女だ。
 もしもここに先日行われたシューベルト博物館の見学会参加者がいたら、さぞや驚くであろう。
 『何故、博物館長が評議長執務室にいるのか?』と。
 答えはきっと即答,秘書官だから。
 「声が動き出した,ヘリを回せ、美鶴」
 「ハッ!」
 二人は執務室を後にする。



 「声があれば、な」
 『声が欲しいか? 雑音を見る者よ、声無き者よ』
 俺はレストランチェを両手に、素早く身構える!
 「誰だ!」
 突然の声に俺は警告。この事務所には俺以外いないはず…
 『答えよ、声が欲しいのか?』
 「?!」
 気付く。
 声は俺の頭の中から聞こえてくる!
 『声が欲しいのか?』
 三度目の問い,無機質な、男とも女とも分からない声だ。
 「…代償は?」
 思わず問い返す。
 『それは汝が見出すこと』
 ”訳分からん…”
 だが、
 くれるものなら欲しい。
 だから俺はこう答えた。
 「くれ」
 『…了承した』
 単刀直入過ぎる答えに無機質な声が僅かに躊躇したのを感じる。
 「指揮棒レストランチェ/起動準備」
 声は『声』としてはっきりと聞こえてきた。
 「んな?!」
 声の主は手にした錆びた聖剣。
 刀身が震えることにより人と同じ声を発している。
 「レストランチェ/起動開始」
 「うわ!」
 古の聖剣を掴む俺の掌をうごめく感触が過ぎる。
 刀身の錆びが払拭された瞬間だった。
 鏡のような、きめこまかな銀色の刀身が手の中にある。
 「レストランチェ/使用者最終確認/資格確認完了/使用者レベルチェック/D認定」
 そこで、刀身からの声は途切れた。
 「もしも〜し」
 こんこん
 刀身を叩く,返事はない。
 代わりにとんでもない返答が来たりした。
 豪!
 事務所の屋根が、雑音と伴に吹き飛んだ。
 目をぱちくりしながらも俺は頭上を見上げ…
 「げ」
 としか言いようがなかった。
 そこには音獣,それも忘れもしない、俺の両親を殺して俺の人生を変えた翼竜――ゲッソの姿があったのだから。



 胸ポケットの中の携帯が鳴る。
 ピ!
 沙夜は兄の右手を取ったまま、左手で応答した。
 電話機の向こうから聞こえてくる、仲間の慌てた声に彼女はいつもの冷静な口調で答える。
 「分かっています」
 言いながら、目の前を見上げる。
 「目の前にいますから」
 告げ、通話を切った。
 二人の兄妹の前方には、全長5mほどの黒い翼竜の姿。
 ちなみに周囲には人はいない,慣れたものでいち早く避難は完了していた。
 「あの…兄様?」
 おずおずと顔を上げる沙夜に、隣の彼は優しく頭を撫でた。
 「いってらっしゃい、沙夜」
 そこにあるのは、妹の力を信頼しきった兄の笑顔。
 妹は力強く頷き、しかし名残惜しそうに兄の手を放して翼竜に向って駆けた!
 後ろ姿を眺めながら、兄はやや肩の力を落す。それは落胆。
 「事務所壊滅、ですねぇ。保険はちゃんと下りるでしょうか?」
 蒼は悲観を込めて、崩れる己の事務所を見上げていた。



 翼竜の紅い瞳が俺を見つめる。
 浮かぶは獲物を発見したという笑み。
 あの時を思い出す,雑音に全てと右目を焼かれた、あの時を。
 目の前に圧倒的な音獣の本能を感じると同時に、その野生に燃ゆる紅い瞳の向こうにもう一つの『声』を感じた。
 ”何だ、コイツ…”
 俺は躊躇。
 俺の雑音を見る瞳を通して感じ得る2つの意志は、共に『見つけた』の声。
 だが前者は『餌』としての『見つけた』。
 後者は『俺自身』を対象とした『見つけた』。
 後者の意志が前者を押しこめよう,そんな『声』が聞こえたかのように見えた、その瞬間!
 「何をぼさっとしてやがる!」
 叫びと共に、オレンジ色のエネルギー光が竜の横っつらに炸裂した! 吹き飛ぶ竜の右目。
 竜は翼を羽ばたかせて我に返ったように俺から視線を外し、攻撃者に注意を向けた。
 「てめぇの相手はこの俺だろうが!」
 ”あれは…”
 翼竜に空中にて対峙するのは翼を持った戦士。
 俺はそいつを知っている。
 「モザイクの猛,南の守護頭か…」
 となると、
 俺は危険を感じるが……遅い!!
 ゲッソなどよりもモザイクのヤツはタチが悪い。
 彼はすでに両手では抱えきれないほどのオレンジ色の光の弾を竜に放ったところだった。
 それをひょい,と避ける竜。
 弾道の先は、俺。
 …そう、南の守護頭は周りを顧みずに戦う男なのだ。それも滅法攻撃力が強いと来ているのでシャレにならない。
 目の前に迫り来る破砕のエネルギーの塊に、さしもの俺も死の実感。コイツは逃げても逃げ切れない破壊力だ。
 心の中が、真っ白になる。
 声が、聞こえた。
 「レストランチェ/自動回避/施術『鏡』」
 両手の中にある聖剣の音叉がブルリ、震える。
 同時。
 俺の空っぽの心の中に『声』が生まれた。目の前のエネルギーの塊から分析された、同じ声が。
 俺は咄嗟に叫ぶ。
 「!」
 と。
 何もない俺の心の中から突として生まれ、放たれる『声』。
 ”何故?”
 思う。声を持たない俺が何故、モザイクと同じ声を放てるのか?
 『声を持たぬ者は全ての声を受け入れる』
 疑問に答えるはレストランチェからの振動音。
 俺の放った『ガ』の覇音は迫り来るオレンジ色の破壊の光と同じく変じて、ぶつかり合う。
 ふぉん
 そんな気の抜けた音が響いた様な気がする。
 「相殺…か?」
 覇音の残響に細かく震えるレストランチェを握り締め、俺はこちらに全く注意を注ぐことなく接近戦を開始した翼竜ゲッソとモザイクの猛を見上げた。
 モザイクの猛の拳に込めた『ギ』の烈音がゲッソの前足に宿る雑音に炸裂,一旦前足が裂けるも、散らばった音自体を雑音として吸収して再生。
 同時にゲッソの振りまわした巨大な尾がモザイクのがっしりとした体に横殴りにクリーンヒット,空中で数m吹き飛ばされつつも背中の蝙蝠の翼で体制を立て直す。
 見た感じ、モザイクの猛の攻撃は効いてはいるものの、ゲッソの存在を根本から打ち消すほどの致命打に至っていない。逆に肉体を破壊されても、己の肉体を破壊した音を雑音として吸収し再生に当てている。
 対して南の守護頭の方は着実にダメージを積み重ねている。俺の雑音を『見る』右の瞳には、ヤツの体を雑音が蝕み始めているのが見て取れた。
 このまま続けば普通の人間が森に踏み込むのと同様の症状,すなわちゲッソの放つ雑音に完全に侵され、肉体ごと変異するか,崩壊することだろう。
 ”ともあれ…”
 「逃げるか」
 俺は鞄とレストランチェを左右の手に引っつかみ、事務所を走り出た。
 無残に崩壊した部屋を背にしながら、俺はふと思う。
 「保険、効くのかな?」
 相棒の困った顔を思い浮かべながら、階段を駆け下りる。
 3階、2階、1階、そして外!
 「あ…」
 「え…」
 事務所のある雑居ビルを飛び出したところで、俺は彼女と鉢合わせた。
 珍しくいつもの無表情の中に僅かな驚きの色を見せている彼女――雪割 沙夜,西の守護頭・氷樹の沙夜である。
 「鈴樹…君?」
 そこまで言って、俺の顔を見つめ,いや委員長であるはずの彼女にとっては俺の『ない』はずの右目を見つける。
 「その紅い瞳…独眼の追跡者!」
 彼女の細身の全身に迸るは絶対零度の殺意。
 可視し得るほどのその気配に、思わず俺は本能的にレストランチェを正眼に構えて後ろに飛び退いた。
 「今は俺よりも上のヤツ『ら』じゃないのか? 街がぶっ壊されちまうぞ!」
 慌てて捲くし立てる俺の言葉に沙夜は瞬考,後に俺には興味を失った様に上空を見上げた。
 「南の守護頭か。私の領域で勝手なことをしてくれる!」
 憎々しげに呟き、右手にした音叉を一回転,彼女は声を小さくメゾピアノで呟いた。
 「纏え、我が声よ。
 彼女の体に、雪の烈音『シ』が取り囲む。そして、
 沙夜の長い髪が逆立った! 俺は一度だけ、この技を見たことがある。
 両手で二又の音叉を上空のゲッソと、接近戦を演じるモザイクの猛にきっちりと向けて彼女はこう声を張り上げた。強い強いフォルテッシモで。
 「固定せよ,原音の力の下に! !!」
 原音たるア行は物事の構成の基本となる音。雑音から成るゲッソにとっては音自体が整列されるためにかなり『痛い』はずだ。
 シの声を伴った白い優しき風がゲッソとモザイクの猛に向う。
 沙夜は街を荒らしたモザイクの猛をゲッソと同様に敵とみなしている,共々葬り去ろうというのだろう。相変わらず仲間意識のない奴だ。
 モザイクの猛はしかしニヤリと上空で微笑むと、ゲッソの尾の一撃を頭上すれすれで交わして後方へ20m。
 直後、白いそよ風が翼竜を包みこむ。
 白き風は絶対零度の吐息。
 ゲッソはその身を全てシの音に固定され、空中で彫像と化す!
 オチは見え見えだとは思うが、巨大な翼竜の体の落下地点は蒼の事務所のある雑居ビル。
 ズズン…
 氷の彫像によって半ば崩壊したビルを見上げた沙夜の頬が僅かに引きつるのを俺は垣間見ていた。案外先を考えないで行動する娘なのかもしれない。
 と、上空で轟音が響く!
 「!」
 爆発の轟音『ゴ』,彫像と化したゲッソに向って放つは上空のモザイク!
 不可視の衝撃波となったそのフォルテッシモな声は、範囲外にいる俺達にすら腹の底を揺さぶる振動を与えて標的に向い…
 ゴゴン!
 雑居ビルは氷の彫像と共に崩壊した。
 跡形もなく,瓦礫の山と化す元・雪割法律事務所に呆然とせざるを得ない俺、そして…沙夜もまたかなりのショックのようだ。
 と、
 どん
 「「?!」」
 目の前にゲッソの首が落ちてきた!
 どうやら今の衝撃波に砕け散って飛んだのだろう。が、しかし
 ギロリ
 ゲッソの赤い瞳が動いた。
 俺と沙夜は音叉を構える!
 「ヤットミツケタ…コンナトコロニイタン?……マッテルカラ」
 明らかに『人』の言葉が放たれる,俺は見た、ゲッソの赤い瞳の先に、さらに紅い瞳があるのを。これはそう、彼女――遥香…?
 ゴパァ!
 突として内部から吹き飛ぶゲッソの首。
 「雑音にやられるところだっだぜ、お二人さんよ」
 バサリ
 翼をはためかせて舞い降りるはモザイクの猛。挑戦的な笑みを浮かべている。
 決して友好的では、ない。
 それどころか…
 「南は南,西は西。立派な違反行為だ,南の守護頭よ」
 「礼を言われても非難される覚えはないな,だらしない西の守備が動くまで俺が食い止めてやってたんだぜ,沙夜よぉ?」
 沙夜の長い髪に触れようとした猛の手を思い切り彼女は叩き落す。
 「戦闘狂い(ウォーモンガー)が」
 唾を吐く沙夜。
 「そうさ、力こそ全てだ。そもそもアンタのような嬢ちゃんが西の守護頭を務められるなんざ、どうかしてるぜ」
 「後先考えない知力0のお前を守護頭にした南の意向が組みとれん」
 「俺も西の考えが分からんな。色気で守備隊全体をたぶらかして代表にまで上り詰めたのか?」
 「いや、それはないっしょ」
 ついつい口出ししてしまった俺に突き刺さるような視線を投げかける沙夜。フォローしてやったんだぞ…と、なってないか?
 直後、俺はその場を飛び退いた!
 2人の守護頭の間の空気が歪んだからだ。
 共に音叉を構えて対峙する。
 調律師と舞声者の戦い,それは守護頭同士ともなれば法によって禁じられている。
 強い破壊力と破壊力の声は響き合い、共振しあって更なる破壊を生み出すからだ。
 しかし普段は冷静で適確な判断を下すことで名高い氷樹の沙夜がこうなるとは…相当普段からこの南の守護頭には文句の付けたい事が山積みだったのだろう。
 一触即発の気配が漂い、それが爆発するその寸前…
 「守護頭同士の争いは禁じられてはいませんでしたか?」
 ちょっと間の抜けた声が割り込んできた。
 戦いのボルテージが一瞬、低下する。
 「何だ、テメェは? 一般人は避難してな」
 猛は現れた男,紺色のスーツを羽織った20代後半の男を睨み付ける。
 しかしスーツの男はぶつけられた殺気をそのまま透過してニコニコ笑みを浮かべながら近づいてきた。
 無造作に戦いの範囲内に踏みこんで来る彼に、耐えられなくなった沙夜は声を押さえて言い放つ
 「下がっていて下さい、兄様」
 「兄? コイツが?」
 猛はギロリ,その三白眼を接近しつつある男に向ける。
 「そうはいかないよ、喧嘩はいけないしね。何より大事な妹が傷つくのが分かっていて、放っておける兄がいると思うかい?」
 のほほんと言い放つ男――蒼に猛は満足げに頷いた。
 「よく分かっているじゃねぇか」
 蒼は猛の言葉に、優しい笑みを浮かべたままで小さく首を傾げた。
 「分かっていないのは貴方の方ですよ」
 「あ…」
 蒼はついに沙夜の脇にまで踏み込み、彼女の音叉を単純な動作であっさりと奪い取る。
 「分かっていないだと?」
 「ええ」
 相棒は奪った沙夜の音叉をモザイクの向けて、そして笑みが消える。
 「妹は『手加減』しませんから。己が傷つこうと構うことなしに、貴方を殺してしまうから」
 モザイクの猛が小さく笑い、そして顔を上げる。
 そこにあるのは憤怒の形相だった。
 「なめるな、オッサン!!」
 豪!
 猛の音叉から放たれた『ゴ』の轟音は雪割兄妹を包みこみ、粉砕…
 まるでそよ風が吹いたとでも言いたげに、轟音を受けつつも何事もなくその場に立つ2人の姿がある。
 俺にはそのからくりが分かると同時に驚愕。
 蒼の声である目くらましの求音『ユ』が、音叉の補佐を用いて完全な形で再現され得たのだ。すなわち猛が攻撃したのは2人の幻影。
 今、蒼達の立っているのはまるで反対の方向,猛の後ろである。
 そして…
 「!」
 彼の背に向って、音叉の共振を用いたフォルティシモな破裂の覇音『ハ』が炸裂,猛は死角からの強烈な衝撃に前のめりに吹き飛んで、雑居ビルの残骸の中にめり込んだ!
 ”蒼の奴…手の内バラしちまっていいのかよ”
 はっきり言って沙夜は俺達の敵である,それに今まで蒼の『ハ』や『ユ』の声は俺の一味とバレているはず…俺は彼の隣の沙夜に目を走らせる。
 「兄様…強い」
 いつもの毅然とした態度はどこへやら、うっとりとして兄を見上げる彼女の姿があった。
 ”ブラコンで良かった”
 唐突に殺気が走る! 同時にレストランツェが震えた!!
 「な!」
 「え…」
 音叉ごと沙夜を右手で突き飛ばす蒼!
 「!」
 迸る殺気よりも寸前で蒼の前に展開した、俺の心の奥から生まれた盾の求音『テ』。
 蒼に炸裂する爆砕の錯音『ゲ』はフォルティッシモ!
 「兄様!!」
 兄に突き飛ばされて地面に倒れた沙夜の目の前で、蒼は爆砕の声の直撃を受けて後ろへと吹き飛んだ!!
 ガラリ,それとは反対方向で瓦礫の崩れる音。
 そこには破れた翼を背にしたモザイクの猛が怒りの表情で立っている。
 彼の視線の先には向いのビルの壁に半ばめり込んだ蒼の姿。
 蒼は俺の放った盾の声の効果も多少は効いてか、口の端から赤いものを流しながらも困ったような笑みを俺に向けた。
 「さすがにモザイクと言われるだけある…音獣の声の因子を取り込んだその体はかなりタフのようですね」
 「だがアンタの一撃はゲッソの野郎の尾の一撃よりも十倍は効いたぜ」
 「ん〜、誉め言葉として受けとって良いんですかね?」
 蒼は咳を一つ,紅いものが飛び散った。肋骨をやられたな。
 「ああ。そして…さらばだ。複音者」瓦解の覇音「ガ」の準備をするモザイク。
 彼と蒼の間に立ち塞がろうと動くは、俺よりも早く彼の妹。
 「よくも兄様を!」
 音叉を構えて沙夜。俺は再び対峙する2人の守護頭をよそに、蒼に向って駆け寄った。
 「生きてるか?」
 「大丈夫ですよ、でも参りましたねぇ,どんどんマズい方向へ」
 「蒼が余計なコトしなければ良かったんだろ〜が」
 「…それはそうと明良,それはもしかして」
 蒼は俺の手の中にある直刀の音叉を見つめる。
 「レストランチェですか?」
 「良く分かったな」
 やや感心。あんなボロボロな過去の遺物と新品同様のこの音叉をつなげられることに。
 「形が同じですから…しかし古の音叉を起動させたのですか、貴方は?」
 「ん〜、良く分からんけど。あと『声』も出せるようになったみたいだし」
 「先ほどの『テ』の声は貴方のものですね」
 頷く俺,と、慌てて首を横に振った。
 「呑気な事くっちゃべってる暇ねぇな。逃げるぞ、蒼!」
 「…できれば貴方が2人を止めていただけると」
 「俺も死にたくねぇよ」
 「ごもっとも」
 蒼に肩を貸してその場を退避すると同時に、
 「!」
 「!」
 攻撃系の2つの音が、ぶつかり合って空気と地面を振動させたのである。
 背後で次々と炸裂する爆発音を聞きながらほうほうの体で逃げ出す俺と蒼。
 しばらくして背後で唐突に爆発音が消えた。
 俺達2人が非難した人々の人込みに紛れこんだその時のことだ。
 それを訝しげに思いながらも、俺達はアジトの一つへと撤退した。



 沙夜の氷の声と猛の爆光が真正面からぶつかり合う!
 互いに守護頭,力は互角。しかし猛はゲッソとの長い戦いで消耗している。
 だからと言って劣っている訳ではない。
 モザイクの猛は近接戦闘のプロフェッショナルであるのに対し、氷樹の沙夜は中距離戦闘の達人。
 すなわち沙夜の戦い方は幾人かの仲間や部下と共にある場合に100%発揮されるのであり、こういった1対1の場合は特性からして猛に軍配が上がる。
 これらの要因を全てひっくるめた上で、現在の2人の戦闘能力は互角!
 幾度目かの力と力の衝突。
 沙夜は頭上すれすれに繰り出された猛のギの声が灯ったハイキックを交わして、彼のみぞおちに音叉の先を当てて…
 「チッ!」
 バサリ、三島 猛は上空へと逃れる,と同時に沙夜の音叉から迸る冷気がたった今まで彼のいた空間を真っ白に染め上げた。
 上空の南の守護頭と、地上の西の守護頭が睨み合う。
 先に動くは上空。
 モザイクの持つ音叉の先にオレンジ色が集光。
 応える様に地上の彼女の音叉の先には冷気が凝縮して行く。
 そして…
 バラバラバラバラ!
 一台のヘリが出現した,それをまるで合図にしたかのように2人の守護頭はお互いの声を解放した!!
 「「!」」
 フォルティッシモも覇音と烈音,ぶつかり合う声と声。
 そしてヘリから飛び降りる一つの人影は、力と力の衝突せんとする空間に飛びこんだ!
 「Ξ!」
 力と力に挟まれたその影は、一つの飢えた声と二つの悲しみに満ちた声の三つの力を同時に発動!
 両手を横に広げた『彼』は、右手に沙夜の声を,左手に猛の声を掴み、そして、
 パキィン!
 砕いた。
 思わず己が胸を押さえる2人の守護頭。
 人影は空中でそのまま一回転,地上まで10mあまりを何のクッションもなく着地する。
 その隣に着地するは彼を乗せてきたヘリコプター。ヘリからは一人の美女がゆっくりと降り、彼の後ろに影の様に控えて佇んだ。
 声を砕いた『彼』の姿を確認して、まず沙夜が無言でその場に跪く。
 「テメエは…」
 上空の猛は思わず音叉を構える,が、
 ザザザザッ!
 それを合図としたかのように、彼らを取り巻くビルの影から現れる守備隊の姿。
 西の、そして猛を補佐するために追ってきた南の守備隊員達。
 しかし彼らが警戒するは今やいなくなった翼竜ではなく、彼らを率いる長達だ。
 そんな彼らをヘリから降りた『彼』は右手を上げて下がらせると、上空の猛を見上げて言った。
 「そろそろ降りてきたらどうかな? 三島君」
 ややソプラノがかった声が、廃墟に響く。
 彼の名は御門 詩紋。
 世界を統べる評議会の長である。
 彼は渋々といった風に地上に降り立った三島 猛の姿と、跪いたまま顔を上げない雪割 沙夜の姿を交互に見やってニタリ、微笑んだ。



 アジトの一つ…というか、俺(養父母)の家だが。
 相変わらず留守な一軒家の玄関を開け、俺は蒼を担いで中へ転がりこんだ。
 「生きてるか,蒼?」
 「大丈夫ですよ〜」
 力ない声を聴きつつ、俺は彼をリビングルームのソファに降ろした。
 「ええと、医者呼ぶか?」
 「いえ、それよりも…レストランチェを見せてください」
 「はぃ?」
 怪我してるってのに、何を呑気な。
 「いいから」
 「へいへい」
 手渡そうとした瞬間、蒼の体がソファごと1m吹き飛んだ。
 それはレストランチェが蒼を『拒絶』した証。
 「蒼?!」
 「…本物ですね」
 「どういうことだよ?」
 いつもにもまして真面目な表情の彼に、俺は嫌な予感がする。
 「明良、貴方はレストランチェが『起動』しているということはどう言うことか、分かりますか?」
 「?? 俺は選ばれし者〜、選民思想〜、とか?」
 両手を上げて、ふざけて応える。
 「分かってたのですね」
 納得して蒼。
 「ちょっと待てぃ!」
 「?? 分かってたんでしょう? 貴方は選ばれたんですよ,その音叉に」
 「ど〜して?!」
 俺のその問いは、何となく答えが分かっていたとこの時は思う。
 「貴方が『声』を持たないから…ではないでしょうか?」
 ”『声を持たぬ者は全ての声を受け入れる』”
 「そういや、そんな事を言ってたような…」
 「人は必ず固有の声を持ちます。貴方にはそれがない」
 「なのに何で?」
 逆じゃないのか? 声がないのに、全ての声を持つ者に従う指揮棒が何故俺に従う?
 「私はこう考えます。指揮棒レストランチェは全ての声を持ち得る指揮者の持ち物,全ての声を扱える能力とは…単純にその身に全ての声を持つ特異者か、もしくは」
 唾を飲み、彼はこう続けた。
 「もしくは、どのような声にも雑音にも影響を受けずにその声を飲み込み得る、声無き者」
 シンと、部屋が静まりかえる。先に口を開くのは…俺だ。
 「てことは、何だ? 俺が…指揮者だってことか?」
 途端、手の中の音叉が小さく震えた。
 「レストランチェ/使用者レベルアップ/C認定」
 「だそうですよ」
 「…そうか」
 「良かったですね、レベルアップですよ」
 「そうだな」
 「………」
 「……どうしよう」
 「私に聞かないで下さい」
 「指揮者って、アレだろ? なんかと戦うんだよな、ええと」
 「終幕師」
 「そうそう………ヤだよ、恐いよ」
 確か龍だぞ、とんでもない強さの。
 「私に泣き言を言われてもねぇ」
 「うわぁ、他人モードかよ!」
 と、俺達は声を鎮める。
 「なんて、騒いでいる暇は無いようですね」
 「みたいだな、どうするよ、囲まれたぞ」
 「相当の手練れを連れているようですね、私はここまでかもしれません」
 「…馬鹿言え」
 すでにこの家は何者かに囲まれていた。幾つもの気配が壁の向こうに感じる。
 それも押し殺した気配というのは明らかに場慣れしている連中だ。
 俺はレストランチェを軽く振る。
 「何処のどいつか分からんが、この音叉の力で何とかなるだろう」
 「違いますよ、明良」
 諭す様に呟く蒼に俺は首を傾げる。
 「音叉自体には力はありません。あくまで音叉は使用者の力を補佐するモノ,力は貴方のここにあるんですよ」言って彼は胸を叩く。
 「…理屈で言うとそうなんだけどさ。でも俺自身には声はないし、この音叉がないと」
 「声は己の心の中に存在します!」
 いつになく張り上げた蒼の声に俺は思わず身を竦める。
 「…申し訳ありません、でも覚えておいてください。貴方は全ての声に対して応えることが出来る、声無き者。力を以って声を得んとする有声者とは違うのですから」
 言って蒼はいつにない優しい笑みを浮かべる。まるで別れを前にした時のように…
 「何だよ、変だぞ、蒼」
 と、殺気が一段と近づいた。
 「逃げなさい、明良」
 「だからお前も一緒にな」
 「相手を舐めちゃいけない。評議会ですよ」
 「?!」
 俺は声を失う。同業者とか、最悪で西の守備隊じゃないのか?
 「そんなバカな,俺らみたいなチンケな発掘人を…」
 「今の評議長は世界を変えることを目指していると聞き及んでいます」
 言葉を遮る蒼。
 「先日、私は仕事で北地区に出張した際に評議長を見ました。彼は――」
 バタン!
 玄関が何者かに蹴り開けられる!!
 「彼は貴方がその音叉を手にした今、敵となりました」
 ダダダ…
 複数の人間が近づいてくる音。俺はしかし、動けない。
 「彼こそ、力を以って有声者と『なれる』人物。力ずくで指揮者の資格を得るであろう、哀しい男」
 脇腹を押さえて蒼は苦しげに呟いた。
 「そんなこと言われても…じゃ、コイツを渡しちまえば」
 レストランチェを蒼に見せる俺。彼は首を横に振る。
 「彼が導く世界は黒い,彼の声を見た私はそう察知します。彼はレストランチェが発動する日を待っていた。発動したらば、それを奪い無理矢理に指揮者となるために」
 「だからって俺が指揮者ってのは…」
 「今はとにかく逃げなさい,評議会の目の届かない…そう、森の中へ,!」
 ドドド!
 幾人もの男たちが踏みこんで来る,黒い覆面とジャケットを纏った評議会直下のコマンド部隊!
 彼らは一斉に蒼に向って手にした銃を突きつけた、俺に目をくれることなく。
 俺の姿は…見えていない。
 蒼は無言で『行け』と合図する。俺は…
 「独眼の追跡者の協力者と思われる一名を捕獲,怪我を負っている模様!」
 男の一人が無線機に向ってそう叫ぶ。
 俺は…
 ”すまん,今は退く!”
 レストランチェを片手に、蒼の見送りを受けて一人、俺は家を後にした。



 西地区守備隊本部。
 かつて古き時代、城として使われていたこの建物は当時の堅固さをそのままに、街の中心に佇んでいる。
 「評議長、本日で3日目ですが…」
 「手がかりはなし、か」
 御門 詩紋は秘書官の言葉に苦笑。
 ブラウンの長い髪をかきあげ、席を立った。
 彼が向うは地下に並ぶ牢。
 犯罪者などを一時的に確保しておくその牢を見まわしながら、彼は秘書官を一人伴って牢の一つの前に立ち止まった。
 そこには簡易ベットに身を投げる西の守護頭の姿がある。
 牢の前の人物を確認すると、彼女は上体を上げて表情の無い顔を向けた。
 と、その眉が僅かに寄る。
 目の前の男に、彼女にとって大切な誰かの気配がかすかにするのだ。
 ”気のせいか”思う彼女。
 「独眼の追跡者を捕らえてもらおう」
 彼――評議長の言葉に彼女――氷樹の沙夜の表情は変わらない。
 「引き受ける謂れは無い」
 「任に就くのなら、今回の罪を許し、守護頭への復任を約束するが」
 「取り引きするつもりはない」
 毅然と沙夜は詩紋に告げる。
 「しかし君は断れない」
 ニタリと笑みを浮かべ、詩紋は次の言葉を放つ。
 「君の兄,蒼と言ったか…彼は独眼の追跡者の協力者であったことはすでに聞いているだろう?」
 「何が言いたい?」
 「独眼の追跡者はレストランチェを奪い、世界を変えようと企んでいる。そのような仲間には厳罰を下さねばならないのは当然の処置だ」
 沙夜は立ち上がる,その身からは静かな怒気が立ち上っていた。
 「――すでに3日だ。独眼の追跡者の居場所は未だに掴めないのだろう?」
 「いや、すでに見当はついている」
 詩紋の合図と共に、秘書官は懐から取り出した牢の鍵で扉を開けた。
 「世界を変えるのに必要なものは指揮者と、そして終幕師。世界の中心に飛んでもらうぞ、氷樹の沙夜。そして独眼の追跡者から指揮棒レストランチェを取り戻して来い」
 秘書官から二又の音叉を受け取り、沙夜は小さく頷く。
 彼女はこの時、気付いていなかった。
 すでに彼女の想う男が、姿をこの世に留めていなかった事を。そして彼女の目の前に居ることを。



 「もぅ、どうにもこうにも…」
 俺はたった今、『ガ』の声で葬った牛型の音獣の上に腰掛けて深い溜息。
 森に入って3日目,雑音のひしめくこの中で俺の足は無意識の内に昔からの目標であった中心へと向いていた。
 街の中は評議会名義で至る所に過剰なほどの検問が敷かれ、はっきり言って幾らなんでもすぐに捕まってしまうほどの厳戒体制だったのだ。
 蒼は大丈夫だろうか?
 彼のことだから、ある程度の勝算があって捕まったんだろうけど…
 話変わり、森に入ってこの3日間で気づいたことがある。
 俺の持つ紅い目は雑音を見ることが出来るだけではなかったということに。
 俺は声を持たなかったのではなかった。正確に言うと雑音を持っていたのだ。
 レストランチェによって俺の持つ雑音,すなわち全ての声の素である混沌から目的の声を拾い出す。
 紅い瞳は雑音を声に持つことを示した証なのだ。それは音獣と同じ特徴。
 声に関して言えば、俺は人ではないのかもしれない。
 だから今倒したばかりのこの音獣に俺は存在が近いのかもしれない。
 「レストランチェ/使用者レベルアップ/B認定」
 それに気付いた時、音叉が小さく響いた。
 指揮者などになるつもりは無い。このレストランチェを評議会に渡してしまえば、済む事じゃないのか?
 だが蒼の言葉が胸に響く。
 彼は今まで嘘を言ったことが無かった、間違ったことも無い。
 だからこそ無視することが出来なかった。
 結果。
 『森の中でしばらく時間を潰して、ほとぼり冷めたら戻ろう』
 日はもぅ落ちかかっていた。
 休息を終えた俺は、足を進める為に立ちあがった。
 遥か昔の思い出――遥香と約束した泉に向って。
 当然忘れてしまっているであろう,「美味しいパイ、焼いてくるわ」と待ち合わせを約束した泉に向って。



 ヘリの中、彼女は3日前は敵であった男の隣で煙をふかせていた。
 「意外だな、未成年だろ、お前」
 呟く男――元・南の守護頭である三島 猛を無視し、彼女は吸殻を窓の外――一面に広がる雑音の森に投げ捨て、二本目を胸ポケットから取り出した。
 『わかば』とパッケージにかかれた煙草だ。
 「私が吸っていては、悪いか?」
 「いや、別に」
 そのまま会話無く、沙夜と猛を乗せたヘリは森の中心に向って飛んで行く………



 飛行機が燃えている。
 彼は生きたかった。
 死にたくはなかった。
 飛行機が落ちて行く。
 ”死にたくない!”
 幼い彼は圧倒的な圧力を以って襲い掛かる恐怖と、それを和らげる両親の腕の中で己の『声』を放つ。
 「生きたい,何が何でも、死にたくない!!」
 彼の声は、彼を愛する者を食らい、己が力とする。
 二つの声を食らった彼は、無我夢中で三つの声を用いて飛行機の中,森の上空から姿を消した。
 両手を愛する者の血に染めた少年は立ち尽くす。
 見知らぬ街の中で―――


 ―――彼は目を覚ます。
 いつもの嫌な夢だった。机に向ったまま、うとうとしてしまった様だ。
 僅かに額に浮いた汗を拭うと同時に、冷たい水の入ったコップが差し出された。
 「…美鶴?」
 「大丈夫です、評議長。大丈夫ですよ」
 寂しげに微笑む秘書官からコップを受け取り、彼――詩紋は一気に飲み干す。
 「あと少しだ,起動したレストランチェを奪えれば……私は扱えるだけの力がある,この世界を作りかえる力がある!」
 自ら言い聞かせるように呟く彼を、美鶴はただ黙って、しかし哀しそうに見つめていた。


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