≪閑話休題のこと≫
 「そんな訳で、あとは任せたよ」
 電話口の向こうからは抗議の声が聞こえるが、彼は無視して通話をカット。
 そのまま携帯電話の電源を落として懐にしまうと、前に行儀良く正座する少年に視線を向けた。緊張して見えるのは気のせいではないだろう。
 そんな様子に彼、大野英一は小さく微笑むと、
 「失礼したね。では続けよう」
 告げて後ろを一瞥。それを合図に彼の背後に控えていた着物姿の女性が「それ」を抱えて少年の前に置いた。
 「これは」
 少年――浩二郎は畳の上に置かれた、目の前の「それ」を見て一考。
 「ウォーハンマーというやつですね」
 「いや、杵だよ」
 「……破城槌とかいうやつですよね、なんか中世が舞台の映画で観ました」
 「だから杵だって」
 長さ1mほどの灰色をした頭部は抱きかかえるくらいのサイズだ。先端に向かってやや細身になっている。材質は木なのか金属なのか、見た目では分からない。
 柄には白木が用いられており大きな特徴はないが、頭部とは逆の端部には金属性のわっかが取り付けられていた。
 2人は目を見合わせながらしばし沈黙。それを破ったのは少年の方だ。
 「なんで、なんで杵なんですか。僕が兎だからですか?!」
 「うん、そうだよ」
 にべもない。
 「なんかカッコいい武器だと思って期待していたのに…」
 肩を落とす少年に、彼は説明を続けた。
 「本体の材質には虚鉄を使用している。今時、これだけの量はなかなか揃わない」
 「虚鉄?」
 「力を失った神鉄のことだよ」
 「英一様の扱う神器修復用の槌の残骸ですわ。いつか使えると思ってもう何年も貯めておかれていましたものね」
 蛇剣の女が補足するように言葉をつなぐ。
 「需要がなくてね。でも修復の仕事はひっきりなしにあるものだから、神鉄は槌にして使い続けるしね。虚鉄は溜まる一方だったけど今回で一気に掃けたよ」
 「なんか扱いが劣化ウランみたいですね。で、どんな効果があるんです?」
 少年の問いに彼は杵を持ってみるように促す。
 おそるおそる手に取ると、杵は軽々と持ち上がった。
 「思ったより軽い、ですね」
 灰色の頭部は軽石を思わせる色彩だった。
 「そうかな? 重いとイメージしてみようか」
 「重い、と?」
 少年は杵をまじまじと眺める。途端、持ち上げた右手ごと畳に落ちた。
 「んなっ、急に重く…」
 「本当に重いのかい?」
 彼の問いかけに少年は驚きの顔で、
 「へ?」
 呟くと同時、下敷きになっていた右手が解放される。
 「軽くなったり重くなったり、なんですこれ?」
 恐る恐る、再び杵を手にして少年は首を傾げた。
 「それはそういうものなんだよ。持つ者のイメージによって在り方が変わる」
 「在り方?」
 「大きさにしてもそうだ。本当にそのサイズなのかい? キーホルダーくらいの大きさってことはないかな?」
 「キーホルダー??」
 少年がまじまじと杵を見つめた瞬間、それは彼の右手の中に収まっていた。
 手のひらに載るサイズに、だ。
 「……なるほど、便利ですね」
 「まぁ、扱いには慣れは必要だと思うけどね。ところで重くないかな?」
 「え…うわっ!」
 途端、右の手のひらごと畳に叩きつけられた。
 「重っ…いや軽い軽い軽い…」
 念仏のように浩二郎は唱えると、ふわりと手のひらが浮いた。
 「つ、使いづらい」
 「普段は小さく軽くしておいて、キーホルダーに吊るしておけばいいと思うよ」
 「そ、そうですね」
 頷き、小さいままでポケットにしまう。それを見届けて、彼は人差し指を立てた。
 「それともう一つの機能がある。まさか重量やサイズが変わるだけのものとは思ってはいまい?」
 少年としてはそれだけと思っていたようだが。
 「どんな機能でしょう?」
 あまり期待せずに問うた。
 「事前に君の毛を貰っていたが、あれを焼成の際に用いている。それはもともと神鉄の残骸だ。故に魔力や妖力を吸収する性質がある」
 「吸収…?」
 「15日かけて君1人分の力をストックすることが出来る、すなわち」
 「新月と満月の日は君の最大妖力が倍加しますのね。もっとも途中でストック中の力を使用してしまったら1からのチャージになってしまうのでしょうが」
 蛇剣の女が思いついたように告げた。浩二郎は小さく首をひねって。
 「それは……便利、なんでしょうね」
 困った顔で少年は言う。
 「僕、あまり力を使用する術とか持ってないんですよね。兎の特有スキルは種類も豊富ではないので」
 「なら美味しくお餅を突けるスキルでも習得して、今度ご馳走してくれよ」
 鍛冶師の彼は笑ってそう言った。


 「英一様」
 「なんだい?」
 「あの杵、本当の機能の説明されていませんね」
 「……バレた?」
 青年は傍らの蛇剣の女に小さく微笑む。
 「はい。そもそも虚鉄とは関係のない、柄の部分もサイズが小さくなったりするのはおかしいでしょう?」
 「だよねぇ。我ながら良く分からないものを作ってしまったよ」
 言ってぬるくなってしまったお茶を一口。
 「その辺に気づけば、彼の逃げのテクニックはさらに巾が広がりそうだねぇ」
 「お茶、もう一杯淹れましょうか」
 「ああ、お願いするよ」


亜麻色のパレット
その4


 「もしもし? もしもーし!」
 リダイヤルしても相手も携帯の電源が切られているようでつながらない。
 「また面倒なことを押し付けられたっ」
 小声で彼は愚痴る。
 まるで電話が終わるのを待っていたかのように、校内放送が流れた。
 「志藤 里海、進路指導室まで来るように」
 彼は小さく肩を落とし、きびすを返して目的の教室へ向かう。
 数分後、彼は少女を伴って校内をまわっていた。
 「こちらが視聴覚室。映像を主体とした授業で用いる特別教室です」
 彼の校内の案内に彼女は一つ一つ頷いていく。
 「最後に貴女の所属するクラスに案内します」
 そう告げるサトミ。いつも以上に周囲の視線を感じ、若干の頭痛すら感じる。
 「シトウ サトミ。貴方と同じクラスと聞いています」
 答える彼女の声は鈴を鳴らしたような清廉なものだ。さらに視線の数が増えたと認識する。
 「そうです、2−Bです」
 実際、目立っていた。普段からその容姿の為に目立つ方だが、今はさらに目立つ。
 なぜなら傍らの彼女の存在である。
 金色の長い髪に同色の瞳。まるで絵に書いたような「なんかヨーロッパから来た人」のイメージそのままだ。
 ”しかし何者だ?”
 内心思う。彼特有の読心のスキルは彼女に対しては完全にシャットアウトされている。
 おそらく低〜中程度の魔術は完全に無効化されるだろう。
 ”人間ではない。神性を備えた妖物か、もしくは異国の偶像神か?”
 その割には人間らしく、かつ幼く思える。
 あちこちを珍しく眺めている様は、年相応の普通の感性の持ち主に見える。
 ”面倒ごとが起きなければそれでいいが”
 何も起きなければ、これくらいの他人の視線は我慢できる。
 ”最近の狸や烏の件といい、どうも一悶着ありそうだ”
 その時には守るべき人だけを守る、彼は改めて思った。そもそも「彼女」は他人にあまり好奇の目を向けるタイプではない。
 きっとクラスが同じ程度で無難に過ごし、いつの間にかこの留学生のホームステイ期間も終わることだろう。
 「ここがこれから学ぶ教室です」
 そう言ってサトミはガラリ、扉を開ける。
 朝のHR前の、ほぼ全員そろった教室。そこで一斉に集まる視線。そして、
 「あ」
 席の奥、サトミが守るべきとする『彼女』の呟きが、しっかりと聞こえてしまった。
 「また会いました、よろしくお願いします」
 答えるのは彼の隣の留学生。
 彼にとっての守るべき人は、すでに異邦人にとっての登場人物になっていたようだった。


 「らっしゃいまーせー」
 気だるい店員の挨拶を片耳に捉えつつ、彼は店内に入る。
 もう片耳には二つ折りタイプの携帯電話が当てられていた。
 「はい、貰うには貰ったんですが」
 まだ高校生くらいだろうか? しかし学生ではないようである。
 「お昼ですか? 今コンビニで……買ってきますか。分かりましたよ、おにぎりでいいですか?」
 どうも電話先の相手にパシリにされているようではある。
 やがてカゴにおにぎりやら菓子パンやら、ちょっと一人では食べきれない量を入れてレジで会計。
 「ありっとございましー」
 聞き流して彼は2つに別けられた手提げのビニール袋を片手で持つ。
 もう片手はまだ携帯のままだ。
 「今から向かいますよ、でもそんな簡単に見つかるんですか?」
 探し物だろうか?
 「ユンケル? 買いましたよ、え? 長期戦になるかも? 面倒だなぁ」
 ぶつぶつ言いながらコンビニを後にする。
 それと入れ替わるように今度は大学生くらいの若い男が入ってきた。
 「っしゃいまー」
 店員の挨拶がさらに簡略化した気がする。
 「マイセン1つ」
 男はレジの店員にそう言い放つ。店員は迷うことなく「メビウス」を引き出しから取り出した。
 男はレジを済ませると、雑誌コーナーに。週刊誌に軽く目を通している間に懐から着信音が響いた。
 「はい、錦織ですが? なんだ、円城か。なんで固定電話?」
 雑誌を棚に戻して店外へと出て行く。
 「携帯忘れた? え、取ってこいって、俺パシリかよ。てか鍵とかどうするんだ?」
 自動ドアが開き、男の声は店内では聞こえなくなる。
 「ござしたー」
 かなり遅れての店員の声。もはや何を言っているのか分からない。
 客がいなくなり、店内に流れる有線放送が妙に耳に響く。
 しばらくレジ周りの作業を行なう金髪の店員の作業音だけが誰も他に誰もいないコンビニに鳴った。
 やがてそれも終わり、店員の彼は呟く。
 「さて、そろそろ3時の入荷か」
 案外流暢な日本語で独り言を呟いた彼――異国の魔王クドラクは店の駐車場へやってきた搬入のトラックを視界に捉えて一旦レジに鍵をかけた。


 なんか妙なことになってしまったな。
 彼は購買で買ったパンを口に運びながら上を見上げる。
 晴れ渡った空が視界に入った。多分、久々の良い天気である。
 視線を下ろし、前へ。
 そこには慣れ親しんだ彼女の姿がある。
 肩までの長さの黒髪はどうもザンバラで前髪としても長いが、その間から覗く表情は案外明るい。
 普段から愛想笑い等はしない、感情は直接示す性格なので、単純に会話が楽しいのだろう。
 その彼女の主な会話の相手は金髪の美少女だった。
 どことなく威圧的な雰囲気が醸し出されているせいか教室では皆、話しかけようと思ってもかけづらい状況だった。
 そんな調子が昼休みまで続いたことから、彼女――ユウが屋上に連れ出したという流れだった。
 2人の会話を見ている限り、留学生としてやってきた彼女は年相応の女の子の表情を浮かべている。
 「この黒いのはなんですか?」
 「海苔だよ。海草を乾かして漉いて紙状にしたもので、ほら、手に取った時に米が手に付かない」
 「へぇ!」
 「一個どうぞ」
 「ありがとうございます」
 などとやっている。なおユウはいつも通りに手作りの弁当。
 留学生のクルーニは彼と同じ購買のパンだ。
 彼女はユウからもらったおにぎりを美味しそうに食べながら、彼女と彼を交互に見る。
 「お二人はどういうご関係ですか?」
 問う彼女の表情にはややからかいの色も見えるが、
 「幼馴染みだよ」
 ユウの即答は、にべもない。
 「お付き合いしてるかと思いました」
 クルーニの感想にサトミは内心満足げに頷く。
 「んー、なんでそう思ったんだろう?」
 「雰囲気が似ていますし」
 言われてユウはしげしげとサトミを見つめる。
 「少しも似てないと思うけどなぁ。サトミは頭良いし、外見はカッコいいし」
 外見は、の「は」の部分に内面はダメなのかとサトミはツッコミを入れたくなる。
 「それに」
 ユウは続ける。
 「むしろ男と間違われることもある俺とじゃ、釣合わないよ。むしろクルーニさんなんかぴったりじゃない?」
 それにクルーニはコメントすることなく、逆にサトミの立場がなくなったのだった。




≪研ぎ師のこと≫
 難しい顔をした線の細い老爺が、手にした小刀を見定めている。
 彼にはそれが夢であることが分かっていた。彼の過去の出来事だ。
 老爺は彼の祖父であり、そして高名な鍛冶師であり、かつ彼の師という立場でもある。
 現在も存命であり、彼の故郷でいわゆる「傑作」を作り続けている。
 現在の祖父よりも僅かに若い高名な鍛冶師は、小刀を彼に返して溜息交じりにこう告げた。
 「どうしようもなく独創性がないな、だが腕は良い。お前の問題は、お前の中に確固としたお前がないことが原因だ」
 告げる祖父の顔を彼は忘れることができない。
 それは彼の心の奥にいつまでも烙印されることとなる。
 大野 英一、その時はまだ10歳。だが鉄を叩き始めて2年が経過したころだった。


 山間の田舎町。
 昨今は過疎化も進み、そろそろこの町も財政上の問題もあり隣町や村との合併も視野に入れるような状況だった。
 彼の父母は県外の都市に住み、働いている。生まれつき呼吸器系が弱いことが分かった彼は小学校に入る前に父方の実家に預けられることとなった。
 その実家は長く、鍛冶を営んでいる。しかしただの鍛冶ではない。
 主に神具や霊具と言った特殊な物品の作成及びに修理を生業としたものであり、彼の家系は善悪問わずに様々なモノ達と関わってきた。
 そしてそれは彼の祖父の代で自然と終わるはずであったのだが、血のなせる業か、幼い彼は興味を抱いてしまった。
 いつしかある程度のモノを「叩ける」ようにはなったのだが、先程の結果である。
 「っ!」
 彼は小刀を座り込んでいた石畳に振り下ろす。
 鏡のような刀身を持つそれは軽い音を立てて粉々に砕け散った。
 幼い彼だが、祖父の言うとおりに独創性に圧倒的に欠けていることは悟っていた。
 今砕いたこの刀も、彼の祖父のかつて作成したものとほぼ同一のものだ。すでに砕けてしまったが銘をつけるとすると「複製・霞殺し」と言ったところだろう。
 「あらあら、もったいない」
 不意に頭上から飛んできた女性の声に、彼は慌てた顔を上げる。
 そこには20台後半と思しき髪の長い女性がいた。黒いワンピースで凹凸のある体のラインが強調されているが、彼にはすぐに気づく。
 「なんだ、キツネか」
 「初対面のおねーさんにずいぶんな挨拶ね。ところでじーさんはいる?」
 「町内の会合に行ってる」
 「そう」
 女性に化けている狐の化生は頭をポリポリとかいて、溜息1つ。
 片手に提げたバックからサッカーボールほどの大きさの麻袋を取り出すと、彼の前に置いた。
 石畳に触れる瞬間、ちゃりんと金属の音がする。
 「じゃ、これを渡しておいてくれる?」
 「これは?」
 「頼まれてた邪剣のなれの果て。一応回収してきたけれど、何の力もないと思うわよって言っておいてね」
 手を振りながら彼女は踵を返す。
 彼は彼女の背を見送り、そして目の前に置かれた袋に視線を移す。
 ただの袋だ。そこからは妖力や神力といったものを感じられない。
 手を伸ばして中身を見てみると、そこには5cm程度に寸断された刃物が複数入ってた。それらは全て錆び、事前に「剣」と言われないとただの鉄くずにしか見えない。
 そのうちの1つを手に取る。
 刃の広さは3p程度。片刃であるが、背に相当する部分に空洞があり、まるで刀のマカロニのようだ。
 「……なるほど」
 彼はそこから全てを悟る。
 この時の彼の能力は、師である祖父もそして彼自身もはっきりとは気づいていなかった。
 「暇だし、修復しようか」
 まるでテレビゲームでも始めようか、とでも言うような足取りで彼は己の部屋であり工房でもある離れに向かって行った。


 3日後、彼の目の前には30枚の片刃が並んでいた。
 そのどれもが油を敷いたばかりに光っており、数日前に見られたような錆びの脆さなど微塵も感じさせなかった。
 内部には空洞が通してあり、そこにはかつて女の髪の毛を縁ったものが通されていたことは彼の調査で分かっていた。
 「ワイヤーで良いか」
 呟き、彼は全ての鉄片にワイヤーを通していく。そうして出来上がるのはワイヤーでつながれた刀身150pの刀だ。
 中心にはしかし銘はない。無銘だ。
 そしてあらかじめ用意しておいた白木から削り出した柄に中心をはめ込む。
 目釘穴と目貫に釘を通すが、その際にワイヤーと連結させた上で予め神鉄で作成しておいた特製の目釘を用いる。
 「こんなものか?」
 目貫部分を軽く押すとワイヤーが引き締まり、30の鉄片が一本の刃となった。
 蛇腹刀。変幻自在な軌跡を描くその刀はしかし、あまりにも使いにくいことから実用化に至ったことはないと聞く。
 最後に柄と同じ白木の鞘に刀身を収め、彼は仕事を終えた。


 彼の祖父の細い目が一瞬大きく見開かれ、しかしすぐに細くなる。
 彼の差し出した蛇腹刀を見て、小さく唸る。
 「英一、これが何か分かっているのか?」
 「キツネが邪剣とか言っていたけど、その力はないみたいだから今では使いにくい刀でしかないと思う、けど」
 彼の祖父は小さくため息。刀を彼の前に置いて告げる。
 「神剣や霊剣、魔剣や邪剣などと呼び方は異なるが、それらは根っこのところでは同じものだ。何から力を得ているのか、それによって我々が呼び名を変えているにすぎん」
 そして彼の祖父は柄の部分をとんとんと叩く。
 「それらはただ切れ味が良いだけではない。自ら意思を持つものが真の『それ』だ。そしてこれはお前の会ったキツネの言う通り、まぎれもなく邪剣に属するモノだ」
 とん!
 やや強めに指を叩く。同時に蛇腹刀は消え失せて1人の女と化した。
 切れ長の瞳をもつ、真っ白な肌の女だ。同じくらい白い着物を纏い、英一を見つめている。
 年の頃は30代とも、20代初とも言えるような不祥さがある。どこかしら清濁併せ持った混沌とした美しさを兼ね備えていた。
 「刀の意思の顕在化?」
 「朽ち果てんとしていた私を直していただいたこの御恩、身を以て返させていただきましょう」
 蛇を思わすその瞳に英一は映る。そこには彼女をはっきりと見返す彼の姿があった。
 大きくため息を吐いた彼の祖父を背に、彼に対して膝をついた彼女はその白い手を彼に伸ばす。
 「主よ、私に名をいただきたく」
 彼は修復した蛇腹刀に銘が入っていなかったことを思い出す。
 「そう、君の名は……」
 告げて、彼は彼女の手を取った。ひんやりとして冷たいその感触は蛇のそれを連鎖させた。


 定期的に当てられる涼しい風が額の髪を揺らす。
 彼が目を開けると、初めて出会ったときと変わらない彼女の顔が目に入る。
 「宮藤?」
 「お目覚めですか?」
 宮藤と呼ばれた彼女はうちわを動かす手を一瞬止めるが、すぐに再開する。
 「いつの間に寝てたんだ?」
 「昨夜は寝苦しい夜でしたから」
 膝枕をされながら、英一は己の額に手をやる。僅かな汗が手の甲を濡らした。
 「昔の夢を見ていたよ」
 「あら、それは」
 小さく笑って、宮藤はその白い手で彼の額に触れる。
 「私の出番はありましたか?」
 過去に触れた時と同じ温度のそれが、彼に僅かな涼をもたらした。
 「ああ。君と出会ったころの夢だ」
 「それはまた、随分と前のことですね」
 「そんなに前のことかな?」
 「先生の下を離れ、ご友人を作り、ここにこうして居を構えるまでに色々ございました。時の長さが重要なのではありませんわ」
 「そうか」
 彼は小さく微笑む。
 「僕は僕らしさを手に入れただろうか?」
 「??」
 宮藤が小さく首を傾げた時、呼び鈴が鳴った。


 彼の前でお茶をすするのは、どうもぱっとしない男だ。
 どこか外国人風でもある。国籍不祥という感じが強い。
 「ようこそ、クドラクさん」
 そういって大野 英一は宮藤を伴って彼の前に腰を下ろした。
 「今日はどういった向きでしょう?」
 問いに、クドラクは小さく微笑むと傍らに置いてあったギターケースを彼の前に置いた。
 チャックを開けると、中には折りたたまれた鎌が一振り。
 「コイツの力を取り戻したい」
 どす黒い刃を持つ鎌からは名状しがたい妖気のようなものが漂ってきている。
 「結構骨が折れそうですね。報酬は?」
 「断らないんだな」
 やや驚いた表情でクドラクは言う。
 「基本、全受けですから」
 「おいおい。まぁ、アンタの噂は知ってるよ。こっちも無茶するつもりはないからな」
 言ってもう1つ、己の傍らに置いてあったカバンから1つの袋を取り出した。
 どすん、とかなりの重量を思わせる音を立てて置かれたその中身は。
 「神鉄、ですか」
 「これだけあれば充分おつりがくるだろう?」
 笑ってクドラクは続ける。
 「この大鎌の振りまく厄災レベルを下げるリミッターを作るには、な」


≪2人のこと≫
 三上 円城は錦織 公平とは幼馴染みである。
 深いところを突き詰めていくと地元の旧家同士であり、大昔には公平が武士の家系で円城が陰陽師だか僧侶だかの家系だったらしいが、現在ではぱっと見た目ではただのお隣さん同士である。
 公平は昔から人見知りしないと言うか、コミュニケーション能力が異様に高いと言うか、言葉の通じない外人相手でもすぐに仲良くなってしまう。
 対する円城はまるっきり正反対であり、用心深い。言い換えれば人見知りするし、話題豊富な訳でもない。むしろ静かなことを好む性質だ。
 円城にはそれを直すつもりは甚だないのだが、目の前で楽しそうに会話をしている公平を見ると、多少は彼のその性質が羨ましくも感じるのだ。
 公平は大学食堂のテーブルの一つで、ロン毛の兄ちゃんとなんだか盛り上がっている。
 ロン毛はどことなく日本人離れした相貌であり、東欧の方の人に見えるのだが、聞こえてくるのは流暢な日本語だ。
 年の頃は私たちよりも若干上だろうか? この大学は海外との門戸が広いことで有名なので、留学生なのかもしれない。
 円城は昼食のうどん定食の載ったトレイを手にして立ち止まる。
 公平とは昼食を摂りながら、未だに姿を見せないクドラク対策を練ろうと思っていたのだが、別に夕方でも良いかと思う。
 聞こえてくる会話の内容がアニメやら漫画の、それもかなりディープな単語が聞こえてくるからだ。
 公平は毎度ことあるごとに円城におすすめとやらを押し付けてくるのだが、ウザさのあまりに食わず嫌いな分野である。
 彼女が方向転換しようとした瞬間だ。
 「おーい、円城。こっちこっち」
 捕まった。なんともタイミングが悪い。
 彼女は苦笑いを浮かべながら、2人のテーブルに仕方なしに腰を下ろす。
 「こちらの方は? 公平」
 割り箸を割ってうどんに取り掛かる円城に、ロン毛の男はわざとらしさすら感じる大げさなジェスチャーで腰を折った。
 「俺はハーリー。クドラクの右腕だ、マドモアゼル」
 「ぶっー」
 「うわっ、うどんが、うどんがぁぁ!」
 円城の吐き出したうどんを顔で受けた公平は思った以上の熱さにのたうった。
 円城は警戒しつつ、目の前のロン毛の男を睨む。
 猫科を思わせる切れ長の瞳は碧眼だ。白い肌と顔に、黒いレザースーツをまとったその下にはしなやかに鍛えられた筋肉が想像される。
 武器らしきものは携帯していないが、おそらく体術使いであろうと彼女は予測する。
 「ちょっと、なんで敵と楽しそうにおしゃべりしてんのよっ」
 「いや、だってさ」
 反論しようとする公平にハーリーが言葉を重ねる。
 「そもそも『敵』という概念とは何でしょうか?」
 これまで公平と話していた口調そのままに、楽しげすら感じるノリで語りかけてくる。
 「敵は敵でしょう。この世界の秩序を乱し、人々に害をなす」
 「俺達は秩序を乱すつもりはないし、むしろ保つことが存在理由かもしれないな」
 さらりと言うハーリー。
 「クドラクは悪の要素の象徴。人々の心にはびこる悪の要素が集まり、具現化したものと聞きます」
 「半分は正解だ」
 ハーリーは続ける。
 「彼はおっしゃるとおりに悪の具現。しかしそんな彼に集うのは人そのものだ。彼はやがて担ぎ出され、正義の具現たるクルニースクに倒される運命をただただ繰り返す」
 半ば空になったアイスコーヒーのコップに触れながら、彼は言う。
 「集った悪は正義に滅ぼされる。それはまるで箒で一箇所に集めたゴミをまとめてちりとりで始末するようなものだ。ある意味予定調和な秩序だな」
 「彼の国での大掛かりな自浄作用だな、『必ず正義が勝つ』という呪詛的な効果を持っているレベルの」
 顔を拭きながら公平が意見する。
 「一掃された悪は、またやがて復活してクドラクを中心に掃き集められる。この繰り返しの中に俺達は生きてきた」
 「それが貴方方の国の法則なのでしょう? 何か問題でも?」
 「何事も程度と言うものがある。この方法ではぶり返しが大きすぎる。我々が倒された後に大きく体制が変わり、喜ぶものの影では多くの者が苦しんでいる」
 「正義と悪は表裏一体ということだ。前に円城に勧めたアニメで」
 「それは観てないから知らないわよ。それがどうかしたのかしら? 何を言いたいのかよく分からないわ」
 「我々悪の側は、色々試してきた。小規模に悪をまとめてみたり、逆に正義に駆逐されることのないように大規模に体制を確立してみたり。しかしまるで神の手が伸ばされているような、正義にとっては幸運により必ず我々は滅ぼされ、それによって我々のいた土地では大規模な争乱が発生した」
 大きく溜息をつく彼は、そこでと言って人差し指を上げた。
 「土地に運命を縛られる我々が、土地を捨てて外に出てしまったらこんなことが起きないのではないだろうか?」
 「で、日本に来た?」
 「この地は多くの神がいるから、我々も目立たないだろうしね。あとアニメとか好きだし」
 イエーとか良いながら彼と公平がハイタッチする。
 「でも悪の象徴である存在であるなら、その行為を実行しないと貴方たちは『消える』のではなくて?」
 神や精霊といった存在はその存在理由を否定することは自己否定につながり、いずれ消えてしまう。
 「一応、義務は果たしていますよ」
 ドヤ顔で言うロン毛。
 「燃えないゴミの日に乾電池捨てたり」
 「? ……ああ、危険物の日じゃないとダメよね」
 「公園の水道で水を汲んで使ったり」
 「水道の契約してないだけでしょ?」
 「丸亀製麺でライスだけ頼んで天カス丼作ったり」
 「それはセコいというか、お金ないだけでしょ、アンタ達」
 「いやぁ、グッズ買うのに使いすぎちゃって」
 「なんのグッズよ、というか完全に遊びに来ている留学生状態じゃないの!」
 「まぁ、ともかく」
 ロン毛は彼女に告げる。
 「しばらくはこんな感じで様子を見ようと思っている。そちら側に明らかな害を加えるつもりはないが」
 一転、鋭い目でハーリーは円城を見つめる。
 「敵対するのであれば、全力を持って相手にすることになるだろう」
 「無駄な戦いはしないに越したことにしなぁ」
 続けて言った公平の言葉に、円城は深い溜息。
 思い出したように箸を伸ばしたうどんは、すっかり冷めてしまっていた。


 ハーリーの去った後、午後の気怠い雰囲気が覆い始めたころに錦織の懐から電子音が響いた。
 「車を出せ? ん、ああ、前に竜の髭を買ったあそこに行きたいのか、分かった」
 携帯電話を切った錦織に三上は視線を向ける。
 「大野さんから? 千葉のあそこにいくの?」
 「ああ、明日な。宮藤さんの調子でも悪くなったのかな?」
 「何か仕事でも入ったんじゃないの? でもそうね、私達が本格的にこの仕事に慣れ出したのは、あの時からだったわね」
 三上は思い出す。
 それはちょうど一年ほど前、彼女がこの大学に新入生として入学したばかりの頃だった。


 「知ってるか、円城?!」
 「何興奮してんのよ、公平。いくらナイスなバディな幼馴染みだからって盛らないでよね」
 「胸にカンナかけた男女なんぞに興奮するかよ、ばーか」
 と言ったところで顎に良いのを食らうまでが一工程だ。
 この時、錦織 公平は大学2年生。三上 円城は大学1年生で彼女が入学して桜がすっかり散ってしまったころの話だ。
 「で、なによ」
 「なんでもこの大学に凄腕の研ぎ師がいるらしいんだよ。文学部みたいなんだが、聞いたことないか?」
 円城は西洋文学を専攻しておりその研ぎ師とやらは先輩に当たるのだろうが、まだクラスメートにも慣れていない彼女が上級生のことなど知る由もない。
 「ないわよ」
 「そうだよなぁ、コミュ障だしなぁ」
 「ズバリ言われると腹が立つものね」
 言った時にはすでに手が出ている。
 「まぁ、俺の方で調べてみるか。でも工学部と文学部は共通項が一般教養の時間しかないからなぁ。サークルの線で調べるか」
 ぶつぶつ言う彼に、円城は小声で伝える。
 「そんなことより、西棟の5階の角部屋で夕方5時ね」
 「あぁ『仕事』だろ。どんな敵か聞いてるか?」
 「いえ。でも学校に棲んでるモノには強力なのはいないと思うわ」
 「そうだな、人体模型とかそんなんばっかりだったしな。じゃ、あとで」
 「ええ」
 2人は別れる。再会は交わした言葉の通りだった。


 夕焼けに真っ赤に染まった壁面には僅かな血痕が混じっている。
 ただっ広い教室には1組の男女と、一匹の巨大な妖がいた。
 男女は互いに刀を構えつつ、肩で息をしているのに対して妖には余裕があった。
 体長2mはある2足歩行をする鼠の妖。
 「カァッ」
 大鼠が声のようなものを放つと同時、五寸釘のようなモノが男――錦織に発射された。
 「!?」
 反射的に手にした刀で弾くが、ギシッという音がして刀が真ん中の部分で折れて弾けた。
 発射されたのは手術針。彼らの前に立つのは動物実験によって無念の死を遂げたラットの悪霊である。
 「んなっ、俺の膝丸が!」
 折れた剣に絶句する錦織に、再び鼠から針が飛ぶ。
 「油断するなっ!」
 それを愛刀の髭切で流す三上。
 「分が悪いわね」
 「こりゃ不味ったな」
 見れば2人は体のあちこちに傷を負っている。深くはないが、鼠の持つ毒によって徐々に体力は奪われているようだ。
 鼠の悪霊はその性分で用心深い。決して2人の攻撃領域には踏み込まず、遠隔攻撃で体力を削ってきている。
 「なんでこんなに強いんだ?」
 「前評判とは違うわね」
 毒針の攻撃をいなしつつ、しかし飛散する毒霧によって確実に2人の動きは悪くなっていく。
 その時だ。
 「シャァァ!」
 「「?!」」
 天井が破れて、もう一匹の鼠の悪霊が出現する!
 「くっ!」
 「円城!」
 放たれた尻尾の一撃で三上が壁際まで吹っ飛んだ。
 この戦いは悪霊の結界内で行われている。この騒ぎは外に聞こえることはないだろう。
 たとえ聞こえたとしても、この近辺は普段生徒もほとんど訪れない区画だ。
 そんな区画なのだが。
 ガラリ
 教室の扉が開く。
 「は?」
 思わず公平の口が開いた。
 姿を現したのは1人の男子学生。地味な服装で、顔もなにも特徴がなく会ってもすぐに忘れてしまいそうな印象だ。
 だがその手には白鞘の刀が握られていた。
 「妙な妖気で騒がしいと思えば、珍しいモノがいるな」
 彼は錦織と三上を一瞥すると、2匹の鼠の悪霊に視線を向ける。
 「見誤ってはいけない」
 独り言のように呟きながら、刀を鞘から抜いて青年は悪霊たちに向かって歩き出す。
 白くぬめる様な刀身は、まるで蛇のように曲がりくねったかと思うと、悪霊の一匹に文字通り巻き付いた。
 「これは鼠の怨念を利用した、手術用メスの器物霊だ」
 バキン
 堅い何かが折れる音が教室に鳴り響く。
 とぐろを巻いた刀身が鼠を切り裂き、その中にあったメスを折砕いた音だ。
 身を翻して逃げ出そうとするもう一匹を、蛇の刀は回り込んで逃がさない。
 のたうちながら鼠を切り裂き、一本のメスをその中から弾き出した。
 黒ずんだ刃を持つそれは、青年の足元に澄んだ音を立てて落ちる。
 躊躇なく彼はそれを拾い上げると、窓から差し込む陽光にかざした。
 「粗悪な付喪になりかけといったところか。霊力の材料にはなるかな」
 その足でもう一本の折れたメスも回収したところで、傷だらけの2人を見る。
 「救急車でも呼んだ方がいいか?」
 「いや、大丈夫だ。体はお互いに丈夫な方だ」
 「いやいや、私はそんなに丈夫じゃないから」
 錦織と三上は青年に駆け寄る。
 「助かったよ、ありがとう」
 錦織の言葉に青年は小さく首を振る。
 「いや、ついでだ。何か材料になりそうな霊力を感じたから寄っただけだし」
 「もしかして、貴方が噂の研ぎ師?」
 三上の言葉に彼は小さく首を傾げ、答える。
 「鍛冶師志望なんだが、研ぎ師の方で有名なのは仕方がないか」
 そして彼は己を大野 英一と名乗った。


 大野は錦織の折れた太刀を見る。
 見事に折れている。
 この太刀を錦織は膝丸と呼んでいるが、本物の銘刀・膝丸では当然ない。
 ただし参考にしている部分は多く、造りもしっかりしている。だがいかんせん。
 「霊刀でもないな」
 同じく三上の持つ髭切も、銘刀髭切を参考に打たれたものであって当然本物とは全く異なる。
 物品鑑定士でもある大野の視点で見れば、ともに膝丸(偽)、髭切(偽)と言ったところだろう。
 ありきたりな刀と異なるところは、ともに今とこれまでの持ち主の愛着がしっかりと染み渡っている点であり、何十年かすれば付喪化する可能性も高い。
 だが結局のところ、普通の刀の域を出ていない。
 「よくこれで妖物を切れると思ったな」
 「いや、これまで切ってきたぞ」
 「ねぇ?」
 顔を見合わせる錦織と三上。その様子に大野はこれまで彼らが払えたのは自身の素質によるものと把握する。
 「先程のレベルのモノには霊力を帯びた武器でないとさすがに厳しいと思うな」
 「そうか……で、直るかそれ?」
 問う錦織に大野は首を横に振る。
 「大事な物でなぁ。なんとか直してやりたいのだが」
 口惜しそうに言う錦織を見て、大野は改めて折れた太刀を見る。
 僅かだが太刀の鼓動を感じる。それは「切れる」という器物の意思であり、命でもある。
 「だが、違う物として蘇らせることはできそうだな」
 「マジか?! 頼む!」
 改めて大野は錦織を見る。老け顔だが大学生であることは分かる。体格もこんな仕事を引き受けるくらいだ、悪くはない。
 「結構費用と労力がかかるが」
 「一般教養のノート3科目分でどうだ?」
 「引き受けよう」
 握手が交わされるのを眺める三上は、大学の単位というものがどれくらいの価値を帯びているのかこの時点ではまだよく分かっていなかった。
 「いや、勉強しろよ」と思わず漏れた心の声に、大野の頬がひきつったのは事実である。


 中古のアルトを運転するのは錦織だ。
 助手席には大野、後部席には三上が座る。
 3人は圏央道経由で千葉県の房総半島へ向かう。
 幾度かの渋滞に巻き込まれつつも、やがて潮風が香る頃にはその場所にたどり着いていた。
 「ここか?」
 「そうだと聞いているんだが」
 木々がうっそうと茂る小高い丘。登ってきた石段を見下ろせば、青空とその向こうに同色の海が広がっている。
 振り替えれば古い神社が建つ。3人は賽銭を放り込み、柏手を打った後に社の裏に向かう。
 「変わった造りね」
 三上が言うように、社の裏に何故か鳥居が一組立っていた。
 「手形は持ったか?」
 大野の言葉に、2人は手のひらサイズの木片を掲げる。
 小さなそれにはいくつかの真言が炭で書かれていた。
 「では行くか」
 各々に木片という手形を持ち、鳥居を潜る。
 「ほぅ」
 「え?」
 「夢じゃないよな」
 目の前に町が広がった。町と言っても現代のようなものではなく、まるで江戸の町を再現したような映画のセットに見える。
 行きかう人々も様々だが共通点がある。
 「人じゃ、ない」
 三上が呟く。
 たった今すれ違ったのは荷物を担いだ牛頭の大男だった。
 商いをする狐、そろばんを叩く狸、屋台で食べ物のようなものを売る犬、自らを打ち鳴らしながら歩く茶碗の妖物などもいる。
 「さぁ、行きましょう。主様」
 不意に大野の傍らに着物を纏う美女が出現する。
 「ああ。宮藤はここには何度か来たことがあるんだよな」
 「ご案内しますわ」
 「ちょっと待った、大野」
 「ん?」
 錦織の言葉に足を止める大野。不審な視線を着物の女に向ける三上の姿が目に入る。
 「誰、この美人? というかどこから出てきた??」
 「? あぁ、そうか、この姿では初めてだったな。これは僕の蛇腹刀の」
 「宮藤と申します」
 会釈する美女。切れ長の瞳は蛇のそれにそっくりだった。
 「あの鼠を瞬殺した刀ね。刀の付喪神だったの?」
 「そんな可愛いモノじゃないけどね」
 苦笑いする大野に、
 「あら、酷い主様だわ」
 言って大野にしなだれかかる邪剣・宮藤。
 「必要なものを揃えて早々にここを出ないとな。例の器物商に案内してくれ」
 「なんだ、そんなに急ぐ必要もないだろう?」
 問う錦織に大野は答える。
 「ここでの1時間は外での5時間だ」
 「どこの竜宮城よ?!」
 慌てる三上。
 結局、ちょうど1時間ほどで用事をこなして3人は帰路に就いたのだった。


 翌朝、錦織と三上は大野の住む家へ訪れていた。
 借家と言うことだが、立派な一軒家。それも古民家だった。
 広い敷地の中には冶金を行う小屋もあり、そこで大野は昨日仕入れた霊鉄を金色の光が出るほどに加熱して2人を待っていた。
 「言われたものは持ってきたか?」
 頷くのは青い顔をした錦織だ。彼は1.5Lのペットボトルを取り出す。
 そこには真っ赤な血が詰まっていた。
 同時、2つに折れた刀を手渡す。
 今回行うのは、折れた太刀の再生と霊刀化だ。特に後者の場合、霊力を器物に染み渡らせるためには所有者の血が必要だという。
 大野は三上に視線を向けると、こちらも愛刀の髭切と、そして赤い液体の入った小瓶を手渡した。
 頷き、受け取る大野。代わりに1つの金槌を錦織に手渡した。
 「折れた膝丸の方は鍛え直しから始める。手伝った貰うぞ」
 「あぁ。できる限り頑張るわ」
 「お昼ごはんはレバニラ炒めでも用意しておくわ」
 三上はふらつく幼馴染を送り出す。
 やがて小屋からは定期的なリズムに乗った金属音が響き出す。
 その音が半分になったのは昼過ぎ。錦織だけが出てきてからだ。
 夕方になって着込んだ甚平を汗だくにした大野が母屋に戻ってくる。
 その手には1振りの長刀と、2振りの小太刀が握られていた。
 「お疲れさま、冷たいお水飲む?」
 「お疲れ様です、主様。冷水をどうぞ」
 どこからか現れた宮藤に先を越され、三上はコップに注いだ冷水を自ら飲み干した。
 「巧く行ったか?」
 こちらは濡れタオルを額に載せ、畳の上に大の字で寝転がる錦織だ。貧血と脱水で未だ本調子ではない。
 大野は縁側に腰かけ、宮藤からコップを受け取ると一気に飲み干した。
 「ふぅ。まずは錦織、君の膝丸は2振りの小太刀に再生した」
 言って手渡す。
 「銘刀にあやかり、名を小烏丸と小狐丸としておこう」
 受け取った錦織は早速2刀を鞘から抜く。青白い光が漏れ、これまでの鋼とは雰囲気が異なるのを感じた。
 またどこか手に馴染む感覚もある。刀身は小狐丸の方がやや長い。
 「ありがとうよ、二刀流で俺自身鍛え直さないとなぁ」
 笑う錦織は嬉しそうだ。
 「髭切も霊刀化に成功した。こっちは古い刀だっただけあって、やや変わった特性が出ていると思う」
 受け取る三上も鞘を抜く。こちらは赤白い光沢を放っていた。
 「変わった特性って?」
 「それを具体化していくのが使い手の仕事だよ。それがちゃんと引き出されるかどうかは僕にも分からないし」
 「ふぅん。ともあれ、ありがとう」
 こうして錦織と三上は霊刀を手にし、本当の意味で払いの仕事に就いていくこととなる。
 3振りの刀が主の意を受け、宮藤のように人の姿を持つ付喪化するのは数か月後のことだった。


 「懐かしい話ね」
 「そんな遠い目をされてもなぁ、一年前だぞ」
 「それだけあわただしい毎日を送っているってことかしら?」
 「違いない」
 笑い合う2人。
 「で、どうする? 円城も行くか、明日?」
 「そうね、暇だし付き合うわよ」
 そう言ったところで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
 各々、次の講義の教室へとやや駆け足で向かって行った。

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