≪妖−彼等の住処≫
 千葉県の某所。
 そこは小高い山とも言えない、丘の上に古い神社の立つ海沿いの田舎町の端にある。
 神社から見渡せるのは南を向いて大海原。
 右手は奥深い森に、左手は海に注ぐ川を挟んでまばらな木々と畑、そしてポツポツと立つ昔ながらの日本家屋だ。
 15時過ぎの現在、まだ太陽は高くいくつかの白い雲が浮かんだ空はすっきりと青い。
 神社の立つ山の麓には小さな弓道場があり、近所の弓道部の中学生だろうか、練習にいそしんでいるのが見て取れる。
 海岸線に軽自動車を止めた錦織は、三上と途中で拾った大野と3人で神社の裏手に向かう。
 およそ1年前に来た時と変わらない、くすんだ朱色の古い鳥居が1つ。
 「今日行くのは低階層だから、前の時のように時間の進みはこちらと変わらないよ」
 大野が懐から木製の手形を取り出しながら後ろの男女に告げる。
 「低階層?」
 「前の訪問先はちょっとクセのあるモノ達が住んでいる区画だよ。今日行くのはどちらかというと友好的な方かな」
 三上の問いに大野はそんな答えを送る。
 「この森一帯はここの宮司さんの好意で人の手を入れないようにしていて『彼等』に開放されている」
 手の中の手形を見ながら大野は続ける。
 「やがて集う彼等は増えて様々な力も集うようになってきた。この森は僕らから見れば相当に広いけれど、彼らの数が増えるほどに狭くなっていった」
 「まぁ、この間来た時も普通に彼等の街になっててびっくりしたなぁ」
 錦織は呟く。
 「やがて彼等の中でルールができた。複数の力を以て同一空間内に時間の差を設けることで次元の階層を作り出したこともその1つだ。この手形が鳥居の先に設けられた彼等の次元へ踏み込むことを容認するのも、彼らのルールから生まれたものだ」
 3人は手形を手に鳥居を潜る。
 すると辺りは一転、近代風の街並みに転じた。駅前の商店街の装いだ。
 「あれ? 前は江戸っぽかったのに」
 「なんか普通の街並みね」
 キョロキョロ辺りを見渡す2人をよそに、大野は足を進める。
 その際にすれ違うのは普通の人間…のように見えるが、所々異なっているように見える。
 妙に大きかったり、角が生えていたり。
 「前と全然違うが、どういうことだ?」
 「彼等は彼等で今の人間の社会に順応していた者達も多かったということでもあり、やがてここを出て順応したい者もいるということだろう」
 「彼等が人として暮らすということ?」
 「そういう可能性もあるってことだと思うよ。ただやっぱり彼等にとって『外』は暮らしにくいと思うけどね」
 大野は三上にそう答えた。
 やがて3人は商店街の一角、家電量販店に入る。
 液晶薄型TVやスマートフォン、エアコンに照明器具まで揃った家電店だ。
 「……何を買いに来たんだ?」
 「SIMカード」
 「格安SIMにでもするのか? なにもここまで来てやることか??」
 錦織の問いにしかし大野は首を横に振る。
 「ここじゃなければ買いにくいから」
 指さす先はスマホのコーナー。
 「どういうこっちゃ?」
 「いえ、ちょっとこれはなに??」
 三上はやや驚いてそれを見た。少し遅れて錦織も気づく。
 キャリア名が聞いたこともない名前だった。
 『みかか』『黒犬』『太郎』、3社あるようだがどれも人の世では見たことがない。
 「太郎にするかな、通信量の次月持ち越しもできるし」
 「って、なんだよこれ?」
 「仕方ないだろ。ウチの客の半分はこっちの方だし、今持ってるAUからだと通話料が3分500円で高いんだよ」
 「つながるのね、すごい」
 唖然とする2人。その間に三上は鹿の化身と思われる店員に声をかけ、手続きを進めてSIMカードを手に入れる。
 それを己のスマートフォンの空いているスロットに差し込むと、しっかりつながるかどうかを確認し始めた。
 「よし、これでOK。2人はどう? こっちの世界のワンセグとかも入るようになるし、サイトも見れるようになるよ」
 「「遠慮しよう」」
 仲良く揃って答える錦織と三上。そんな2人に大野は言う。
 「そっか。僕の方はせっかくだから色々買い出ししておきたいけど、2人はどうする? なんか見てくる?」
 言われて顔を見合わせる2人。
 「そうだなぁ、買い出しとやらにはどれくらい時間がかかりそうだ?」
 「1時間くらいかなぁ」
 「じゃ、1時間後に途中にあった公園で待ち合わせにしましょう」
 三上の提案に2人は小さく頷いた。


亜麻色のパレット
その5


 「住んでいる人以外はほとんど変わらんなぁ」
 「そうねぇ」
 ソフトクリームを各々舐めつつ、早めに公園に着いた錦織と三上はベンチに座ってぼんやりとしている。
 夕方の公園は帰宅?の住人も手伝ってか、行き来する人?は多い。
 「平和ねぇ」
 「だなぁ」
 そんな声を掛け合った、その時だった。
 「勝負だ!」
 大きな男の声に2人は慌ててその方向に顔を向ける。
 3mはあろうかという棘のついた鋼鉄のこん棒を手にした、単眼の赤鬼だ。
 「ほぅ、面白い。受けて立ってやろうぞ」
 答えるのは9本の尻尾を持った若い女のキツネだった。
 途端、2人の周囲を囲むように人々の輪ができる。
 「……9本の尻尾って、あれ玉藻の前よね」
 「他人の空似じゃないのか?」
 「9尾の妖狐が他にいたらそれはそれで脅威じゃ?」
 「……それもそうだな。しかしそれにしては」
 2人は気づく。
 喧嘩が始まっても、周りは興味がある者が観るくらいで通り過ぎるものもいれば、当然止めに入る者もいない。
 まるで日常茶飯事のような状況だ。
 どごん!
 轟音とともに戦いが始まる。
 赤鬼が振り下ろした金棒が狐のいた場所を大きくえぐっていた。
 当のキツネは上空に。9尾を以て赤鬼に連続攻撃を打ち下ろす。
 それを手にした金棒でことごとく打ち返す赤鬼。力と力の打撃が周囲に散っていく。
 「これは?」
 「なるほど」
 2人は気づく。
 妖力のぶつかり合いによってもたらされる破壊はしかし、この空間自体に吸収されていく。
 先程地面に穿った穴もすでにその痕がない。すっかり元通りだ。
 やがて狐の尾の一撃が赤鬼の下顎を打ち抜いた。
 同時、金棒の一撃が狐の右腕に決まって、か細い彼女を吹き飛ばす。
 「くっ、やりおるわ。さすがランキング28位といったところか」
 腕を押さえて立ち上がる狐。
 一方の赤鬼は立ち上がろうとするが、脳震盪を起こしていて再び頭から後ろに倒れ、決着がついた。
 『TAMAMONOMAE WIN! RANKING UP 58→35』
 どこからともなく2人の頭上の空間にそんな表示がされる。
 「あーあ、負けた負けた」
 「お疲れー」
 言って狐は赤鬼の腕を取って立ち上がらせる。そしてそのまま2人は何やら話をしながら商店街の方へと消えて行った。
 「これもここのルールか」
 「妖力をこの空間が吸い取って、それがこの次元を成り立たせるエネルギーになっている?」
 「正解。加えてランキング制度を設けることで彼等の闘争心も解消させているようだよ」
 そう声をかけたのは大野だ。背中には色々と荷物の詰まったリュックが背負われている。
 「それじゃ帰ろうか。夕飯はおごるよ」
 「マジ? じゃ、焼き肉で」
 「ヒレ肉大盛ね」
 「では安楽亭の食べ放題で決定だな」
 「「せめて牛角だろ」」
 肉のせいで、なぜ玉藻の前がここにいたのかをすっかり忘れてしまった2人は注文の順番を巡り口論を始めたのだった。


 「終わったよ。明日の昼以降に取りに来てくれればいい」
 『仕事が早いな、助かるよ。では明日の14時に伺う』
 「ああ、分かった」
 言って大野は通話を切る。
 彼の目の前には、黒身の大鎌が柄を3分割されて置かれている。
 端部を持って振れば、折れた3か所が連結されて1.5m程度の長さの鎌となる。
 「さて、リミッターを付けたというか、むしろ外してしまったわけだが」
 その大鎌の隣には、黒く輝く子供の拳大の珠がある。
 見る者が観れば分かるかもしれない。その珠からは禍々しい妖気が漏れ出ていることを。
 「使い方を誤れば危険ではあるが、僕が研ぎ師という枠から出ることができる突破口になるかもしれない」
 彼は静かにその黒い球を見つめる。
 常に冷静な彼の心の中に僅かではあるが小さな黒い炎が灯ったかのように、彼だけを隣で見つめる宮藤はこの時思った。

[BACK] [TOP] [NEXT]