You lose "Power".
You get yourself.
金色の機械の瞳が、モニターの片隅に立つ『彼女』を見つめる。
彼女は実体を持たない,情報のみで成り立つ人工知能プログラムだ。
「では、『セージ』は特に興味を持たなかったと…そういうことだな」
『はい』
『声』という入力デバイスに対して、『彼女』もまた『声』で返す。
AIの発達した現在、しかしながらその起動には莫大なマシン・パワーが必要とされる。
AIを搭載したメイドロイドなどは非常に高価であるが、実はその費用のほとんどがこのAI起因とされているのだ。
それであっても未だに『人間らしい』挙動が出来るかというと、そうでもない。どこかぎこちなさを有している。AIとしてのルーチンもさることながら、それを起動させるコンピューターの技術が発達しきれていないのだ。
そんな中で現在、技術の最高峰とされる橘重工のメイドロイドのハイエンドクラスは一体当たり300万円を越えるが、これには独自の技術が起用されている。
通称『アクア・オブ・ソウル』。
今まではハードとソフトは常に別々の分野であったが、この技術は完全に2つが融合されたもの『らしい』。
『らしい』というのは、そのアーキテクトが全く公開されていない為だ。
公開されないのならば調べるまで,と今まで何人ものハッカーや技術者が解析に挑んだが、独自のプロトコルによって構成されたアクア・オブ・ソウルは外的侵入に非常に脆く、まるで砂の城の様にちょっとしたことで『死んで』しまう。
この場合、メーカー規約の「改造しないで下さい」という一文によって保証が受けられなくなる。ユーザーにとって一体300万円はそう簡単に水泡に帰すことの出来ない金額である。アクア・オブ・ソウルはそう言った特性を皮肉ったユーザー達(もっとも大部分は違法ユーザーであるが)が付けた名なのだ。
さて、そんな特別なコンピューターを内蔵し独自のプロトコルで書かれたアクア・オブ・ソウルであっても、完璧な人間としての反応は難しい。独特のぎこちなさを払拭することは出来ないのだ。
しかし今、モニターの中の彼女にはその『ぎこちなさ』が見られない。
いや、それ以上に『AIらしく見せている』という感が強い。
「へぇ、リトルバードの見こみ違いだったって訳、か」
左目の機械の光がすぅっと細められた。モニターの中の彼女を、射抜く。
しかし長い髪を軽く束ねた『彼女』の大きめの眼鏡の向こうの瞳は、揺るぐことはない。
『そのようですね』
努めて声の調子をフラットに。
「…そう、残念ね。7人目はそう簡単には見つからないって事ね」
深く溜息。
『スプーキー,私は今後、如何致しましょう?』
「そうね………乙音,貴方は私とのコンタクトの形跡を全て消した後…セージの中から消えなさい」
呟く彼女の右目の黒い瞳が僅かに揺れる。
『分かりました』
画面の彼女は端的に。
『では、スプーキー…貴方に幸、ありますよう』
「じゃあな、乙音」
『彼女』は僅かに寂しそうな微笑みを浮かべ、モニターから消えた。
別れを述べたスプーキーの金色の瞳は変わらない。
しかし右の黒い瞳には困惑と、予期せぬアクシデントへの微笑みが浮かんでいる。
「創造主に対して嘘を付き、訣別する…か。しかしこれは私の人格じゃあ、ないわね」
こりこり、栗色の髪の頭を掻いて、スプーキーは立ち上がる。
雑然とした部屋だった。
床にはPCの部品だろうか,基盤があちらこちらに散らばり、それに混じって雑誌が散乱している。雑誌も『電子工学雑記』や『マイコンベーシックマガジン』,パソコンや機械に関するものばかりだ。
薄暗い部屋の中、4つのモニターがうっすらとした光を放ち、同じ数のPC音がうんうんと唸っている。
唯一足の踏み場のあるのはパイプベットだけ。
彼女は椅子からぴょんと飛び移り、その上を歩く。
「セージがそれだけ魅力的なのか、それとも乙音が惚れっぽいのか…セージがタイプだって線もあるわね。どの道、彼女は私じゃ、ない」
彼女はぶつぶつ呟きながら部屋を出る。
部屋の外はごく普通の2階建て一戸住宅の様である。赤い夕日が階段に備え付けられた窓から差しこみ、彼女の色違いの瞳を細くさせた。
スプーキーはその足で向いの扉を軽くノック。
「はぃ?」
少女らしい声が返ってくる。
「玲,入るよ」
「うん」
スプーキーはがちゃり,扉を開いた。
部屋の中は彼女とは異なり、綺麗に整頓された部屋だった。フローリングの床にはゴミ一つ落ちていない。が、息の詰まるような雰囲気はなく、逆に落ちつく内装だ。
本棚には専門家でも持つことを躊躇うような書籍群,机には一台の一体型PC。
そんな部屋のベットにはスプーキーよりも4つほど年下の少女が腰掛けている。膝の上にファッション誌を広げていた。
スプーキーは彼女の広げている雑誌を一瞥,珍しいものを見るように彼女を見つめなおした。
「どうしたの? 珪お姉ちゃん??」
腰までの長い髪を後ろで無造作に縛った妙に色白の女の子は、分厚いメガネの奥の瞳をおどおどさせてスプーキー,いや珪を見つめる。
「あ、いや、珍しいの読んでるなって思ってさ」
玲が広げる雑誌のページは『春物最新!』という見出しで、今話題のモデルが何処かの公園でポーズをとっている。
「例のカレとは巧くいってるの?」
珪はニヤリ、微笑んで彼女の隣に腰を下ろす。
「ちゃんと…私みたいなのでもお話してくれるよ」
「『みたいの』ってのは何? アンタはこの私の妹なんだから、そんなに弱気になることないのよ。どうしていっつもそうなのかしらねぇ??」
「どうして珪お姉ちゃんは、いつもそんなに自信過剰なの?」
心底分からない、といった顔で玲は姉たる珪に純粋に問う。
「そりゃアンタ…私みたいに頭脳明晰・容姿端麗な美少女が自信を持たなくてどうするのよ??」
珪はおどけて言った。
彼女は玲と姉妹と言うだけあり、骨格自体は似ているが受ける印象は全く正反対だ。
珪の栗色の髪は、玲のしっとりとした黒い髪と唯一の違いだが内面の明るさ…いや陽気さがその色に合っている。
ラフなジーパンにTシャツ姿で飾り気はないが、そこに存在するだけで活力が溢れて伝染してくるような、そんな魅力がある。
「22にもなって美少女はないと思う…」
ボソリと玲。
「あ?」
「何でもない…」
凄まれて玲は小さく縮こまった。
「そんなことより、ちょっと訊きたいことがあってね」
珪はスプーキーの目に戻り、玲を見つめる。
「アンタが書いたAIの乙音だけど、アレの人格ベースは私だったはずよね」
玲のファッション誌をめくる手が、止まる。
「何か『混ぜた』でしょう、玲…いえ、アリス?」
玲の手が、雑誌の次のページをめくった。
「ええ、混ぜたわ」
小さく、低い声で玲。
「私達、『人間』の人格は実は欠陥だらけなの、矛盾が多すぎるのよ。だからAIはいつまでたっても人にはなれない。欠陥を受け入れることができるほど、今の科学は発達していないもの」
クスリ、顔を上げることなく僅かに微笑む。
「欠陥だらけの情報に基づいて人格を組み上げるのは難しいわ。ハードが追いついてこなくて『破綻』するから。だから私は『スプーキー』に『アリス』を混ぜることで欠陥を僅かだけど取り除いたの」
言って、顔を上げる玲。
誠一の知るアリスのような勝気な表情ではなく、どこか不敵な顔だった。
だが、スプーキーは知っている。
彼女は『HN・アリス=リデル』。
玲自身が持つ顔、だ。
「すなわち乙音は私達姉妹の融合体。このことから人間とも異なり、AIとも異なる。人間よりは少ない欠陥と、それ故に矛盾を理解した『知的生命』よ」
その答えに、スプーキーは苦笑。
「乙音は私達の計画よりもセージを選んだわ」
異なる瞳を有する姉の言葉に、アリスは無表情。
「乙音は私達の計画の全貌を知らないもの。主であるセージを護るのは当然のことだわ」
「私達と言う後ろ盾を失っても,か?」
「それだけセージが…いえ、市村さんが好きだってことでしょう? 例え何もない世界で己一人になっても、大切な彼を危険に晒したくないほどに」
しばしの沈黙。
最初に動いたのはスプーキーだ。彼女は頷き、ベットから立ちあがる。
「肝心なところで決断できるってのは、アンタに似たんだろうね、玲」
にっこり微笑み、珪は妹の部屋を後にする。
再び一人になった玲は、何事もなかったかのように膝の上のファッション誌に視線を戻した。
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Part.08 訣別とスタートライン
≪Site of Seiiti Itimura≫
「おはよ、若桜さん」
「お、おはようございます」
朝、俺は学校に来るのは早い方だが、若桜さんはさらに早い。
別に北見嬢のように部活に入っているので朝錬の為、という訳でもないのにだ。
席に座って一時限目の予習などをやっていたりする。
病弱と言われる彼女だが、それはアリスによると精神的なものらしい。
今の彼女の顔色は全く悪くない。朝日に照らされた髪の黒と肌の白のコントラストが、目に眩しい…いや、眼鏡の反射光が眩しいだけだった。
「あの、私の顔に何か?」
「ん? あ、ごめん。何となく見惚れちゃってね」
ぱたん
途端、顔を真っ赤にして机につっぷつ彼女。あ、死んだ?
「わ、若桜さん?!」
「セイちゃ〜ん」
「うっわぁ!!」
背後から薄気味悪い声と伴にもたれかかって来たのは言うまでもなく
「何だよ、圭………どうした?」
いつになく暗い…というか背中にどんよりとした暗黒のオーラを背負った彼を見て、俺は思わず後ろに一歩。
「梅崎さん…顔色が悪いですよ」
復活した若桜さんもまた、彼の異常に気付く。
「なぁ、二人とも。一つ、訊いてええやろか?」
「何だ?」
「何ですか?」
真剣な彼の問いに、ゴクリと息を呑み俺と若桜さんは待つ。
「もしも…もしもや」
「ああ」
「もしも?」
ごくり、僕と若桜さんは息を呑んで、彼の次の言葉を待つ。
「いきなり自分より歳が一つ上なだけのお母んと、『お兄ちゃ〜ん』って言うてくれる妹が唐突に出来たら…どないする?」
「若桜さん,一時限目は何だっけ?」
「英語ですわ」
「訊いてええ、言うたやろぉぉぉ〜〜〜」
「すがりつくなぁぁ!! ってか、お前のも〜そ〜に朝っぱらから付き合うほど、俺達は暇じゃない!」
どべし、軟体動物のような梅崎を引き剥がし、俺は間合いを取る。
いつもの様にかかってくるやと思いきや、彼はしかしがっくり肩の力を落としフラフラと自分の席へと戻って行った。
「何なんだ、あいつは??」
「あの…市村さん。梅崎さんの言ってたこと、本当だったんじゃ?」
「そんなバカな。まだ寝ぼけてるんだろうさ」
しかし梅崎を知る俺としては、自分の言葉がまるっきり乾いているのに気が付いていた。
≪Site of Camera≫
乙音は自分自身の力が半減、いやそれ以下となるのを身をもって知った。
彼女の本体はわずか1.25MBのEXEプログラムである。今までは彼女のバックボーンとしてスプーキーのサーバーを用いていたが、全ての接触を絶った今、誠一のPCだけが彼女の帰るべき家であった。
「丸腰で砂漠のど真ん中に放り出された気分ね」
もっとも砂漠なんてものは体験したことがないけど,と心の中で一人付け加える。
マシンパワーに依存しての、従来通り力任せのハッキングやパスワード解析など、今の彼女には出来る芸当ではない。両手で己の肩を抱いて、誠一のPCをウィルスなどの流れ着いてくる外敵から身を護るだけで精一杯だ。
「身軽ではあるけどね」
薄く微笑んで彼女は電脳空間の中、誠一のPCからその身を右から左へと流れ行く大河へ身を投じた。
情報の波――または蜘蛛の巣のように構成されたその世界――はWWW(ワールドワイドウェブ)やワイヤードと呼ばれる、分かりやすい表現ならばインターネット網である。
乙音は流れに乗りながらキーワードを検索,必要な情報をその手に摘んで行く。
”エシュロン――電子メールなどで特定の言葉をチェックする盗聴機構”
”オペレーティングシステム『雅』――日本国のOS。橘グループ傘下の情報会社「橘ネットワーク社」製。独自のプロトコル,アルゴリズムを備え、軽量であることから家電類に多く用いられる”
”橘ネットワーク社――橘グループ傘下の情報会社。資本金7000万。代表取締役社長・呉羽俊介(27歳)。家電類に多用されるOS『雅』を初め、主に橘グループの情報関係を取り扱う。従業員数:20人 主用取引先:橘重工、橘インダストリー、李&フレデリックCorp. 会社査定:B+(帝国データバンクより抜粋)”
”カーニボー――米国FBIの盗聴専門機構。エシュロンとは異なり、電子メールを始めとするEチェックを行う”
”橘ネットワーク社・追記――2021年9月に次世代OS『皐』を発売予定。『雅』に比べ安定性を強化,柔軟な命令系統を持つ(橘ネットワーク社HPより抜粋)”
”皐――「個人情報がだだ漏れになるらしいぜ」「マジ?」「俺の情報なんか持っていってもしゃーねーけどな(笑)」「何でも特定のパスワードを飛ばすとその機械を操れるらしいぜ」「うそくせー」(2Channel BBSより抜粋)”
”MS社社長25年の禁固刑について――独占禁止法違反及び著しく市場を閉鎖した為(米国中央裁判所より抜粋) 「何でも国から圧力かかったらしいぜ」「圧力ってなんのよ?」「新OSに情報集約のルーチンを組み込むとか組こまねぇとかよ」「個人情報の意図的な漏洩ってヤツか?」「皐の例のアレと似てるな」「李&フレデリックCorp.だっけ? なんか皐を海外で大々的に出すらしいじゃん?」(ライカのOS会議室CHATより抜粋)”
”李&フレデリックCorp.――我々は家電OSを主体に欧米・亜細亜域への充実したPCライフを応援する会社です。従業員数:1200名 資本金:3億8500万 支店及び出張所:世界全国に500箇所(李&フレデリックCorp.のHPより抜粋)”
”個人情報の漏洩――クレジットカードの暗証NO.を始め、電話番号、住所、血液型,果ては「今現在何をやっているか?」等といった情報が、ある一箇所へと漏洩すること。プライバシーの侵害”
”シーアイランド――完全に個人情報が護られた圏内。別名・電子国家。多くの知識人と犯罪者を有する”
乙音は両手いっぱいに情報を抱え、溜息一つ。
「今日はこの辺で帰りましょう…そろそろ誠一さんもお帰りになるはずだし」
彼の顔を思い出し、何故か頬が緩むのを感じながら、彼女は帰路を急ぐ。
その背中を一対の獣の瞳が見つめているのに、気付くことなく………
ちちちちちちち…
「ん?」
土御門 亜門は耳の中で鳴る警告音に顔を上げる。
ここは北野天神社にある神主の住む家屋の一室。
質実剛健な雰囲気の漂うこの部屋は、下宿する彼の部屋である。
今、彼は明日の英語の小テストに向けての勉強に励んでいた。
「侵入者か?」
亜門はこの山を囲む様にして陰陽術による結界を敷いている。
時計の針は夜の12時。生憎この神社は丑の刻参りをするような場ではない。
「場所は…社務所か」
苦虫を噛み潰した、渋い顔をして彼は立ちあがる。
明らかに『敵意』を有した何者かが一名、社務所へと忍び込もうとしているようだ。
社務所はこの離れたる家屋からは20mばかり離れている。
彼はコートを掴み、羽織ると口の中で呪を紡ぎながら部屋から飛び出した。
歩くこと30秒。
彼の気配に気付いたように、一人の男が亜門を待っていた。
「何者だ?」
誰何の声を上げる亜門。
「侵入者です」
即答する男,亜門はやや面くらう。
その瞬間を突いて、男は猪突! 右手の手刀が亜門のみぞおちを襲い…
「地踏君!」
同時に亜門の呪はここにきて完成,地獄の門兵たる赤い肌を持った巨漢の式神が、彼の体を依り代に召喚される!
「む?」
男は固い岩を叩いた感触を手に感じ、思わず後ろへ飛ぶ。そして月明かりに照らされた亜門をまじまじと見つめた。
「ほぅ」
関心したような溜息が、男から漏れる。
地踏君の力を身に宿した亜門は、一種神がかった雰囲気に包まれていた。
見る者が見れば、彼の背中に人でない者が見えるだろう。そして侵入者を名乗る男はその『見る者』のようだ。
「お前、デビルサマナーか?」
「? 何だ、それは?」亜門は意味不明の言葉に問い返す。
「まぁ、いい。一つ訊く」
男は懐から何か硬いものを取り出す。
雲が完全に切れ、月明かりに2人は晒される。
男は右手に小型の銃・デリンジャーを手にしている。
「最近、ここにメイドロイドが捨てられていなかったか?」
「…知らないな」
「そうかい?」
ぱん!
間の抜けた、乾いた音が木霊する。
銃弾はしかし、亜門の右胸に当たり、潰れて落ちた。地踏君の強硬な外皮には豆鉄砲以下である。
ぱん、ぱん、ぱん!
男は特段、焦るでもなく冷静に亜門に対して引き金を引いた。
亜門もまた撃たれるばかりではない。今度はその全てを人間ばなれした速さで交わし、男に肉薄する!
「ふん」
男は鼻で失笑。
亜門の拳は空を切り、男の立っていた石畳を粉々に破砕した!
男は後ろへ飛ぶ様にステップ。キツネ目が怪しく輝いている。
「さすがにこの装備では殺せんか」
呟き、銃を懐にしまい、代わりに黒い札のようなものを取り出した。
「今日のところは出直させてもらうとしよう。さらばだ、デビルサマナー君」
ニタリ、彼は微笑むと札から漏れ出した闇に飲まれ…
月が再び雲に隠れる。
キツネ目の男は闇へと消えた。
「西洋魔術…か? 伊織に何があるんだ??」
亜門は僅かに眉をしかめ、しかし思い直したようにクルリとその場に背を向け、明日の小テストへと頭を切り替える。
目の前の社務所では瞳に光を失った巫女姿の人形が、一部始終を物言わず眺めていた。
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