You give a Quest.
You will know the Secret.

 

 北見は目の前の状況に首を傾げる。
 「いつからこの世は不思議空間になったのかしらね?」
 「不思議人間同士の争いに僕等を巻き込むのはどうかと思うんだけど」
 「だれが不思議人間だ,誰が!!」
 「「アンタだよ」」
 北見と三木のツッコミに亜門は言葉に詰まる。
 「それはともかく、盗難未遂届け、出すかい?」
 北見の問いに亜門は首を横に。
 「どうやって説明する?」
 「それもそうっすね、んでも、那智先生の耳には入れておかないと」
 「もちろんだ。もっとも前回のコトも耳には入れておいたのだが、特に処置なしだったし」
 亜門の困ったような言葉に、北見と三木も首を傾げる、が。
 「「まぁ、不思議人間どものやることは予測もつかないしねぇ」」
 「だから不思議人間言うなー!」
 二人の結論は大して外れてはいないのだが、結局那智老からその意図を聞き出す事はなかったという。
 この後、再び有森は力を振るうのだが、その時には肝心の亜門は己の力の未熟さに山奥へ修行に,北見と三木は弓道部の夏合宿により、やはりその場にいないが、これは余談である。
 ともあれ、乙音がDLされた伊織は引き続きこの北野天神社で引き取られる事となった。


This site is shutted down!


不連続設定

Part.14 再邂逅



≪Site of Seiichi Ithimura≫

 白壁の一個建ての二階にある一室。
 そこはフローリングの、綺麗に整った部屋だった。
 木製の机の上にはモニターとの一体化PCが一台。
 壁にはポスターの類はなく、本棚にはやたら難しそうな辞書や参考書が並んでいた。
 なんというか、無駄な物を一切省いた実用性のある部屋に思える。
 「女の子の部屋っぽくないなー」
 圭が俺の代弁をしてくれた,お陰で彼は彼女に睨まれる事となったが。
 「座布団と折り畳みの机持ってくるから、ちょっとそこらへんに座っててください」
 部屋の主である彼女――若桜 玲は俺に微笑んでそう言うと、この部屋を出て行った。
 そぅ、ここは若桜さん宅。
 来る期末試験の為に、一致団結して勉強に取り組もう!との集まりで彼女の家に白羽の屋が立ったのであった!!
 「あ、珍しい辞書ですねー」
 「乙音さん、若桜さんの眼鏡って分厚いですねぇ」
 棚の1つを前に笑い合う二人の女性,はっきり言ってこの場には余り関係ないのだけれど…
 「沙菜、やっぱりお前は帰れ」
 「どーしてよー、私も試験ヤバいのに」
 「乙音、買い物の途中なんじゃないの?」
 「大丈夫ですよ」
 俺と圭の言葉に、しかし帰る気を見せない二人。
 圭の妹の沙菜は「私の勉強も見て!」ということで学校からくっついてきている。
 また昨夜この世に現実化して、引き続き那智師匠の下でお世話になることとなった乙音は、帰り道でばったり遭遇。「高校の勉強くらいは簡単ですから教えますよ」と言って付いて来てしまったのだ。
 その乙音は沙菜に手渡された、若桜さんの物と思われる予備の眼鏡をかけて「おおぅ」とか何とか言っていた。
 「私、あちらの世界ではコレをかけていたんですけど…実際には目が良ければ必要ないんですね」
 「?? 当たり前ですよ?」
 乙音と沙菜ちゃんのやり取りを聴いている内に、若桜さんが戻ってきた。
 両手には折り畳みの膝までの丸テーブルと、座布団が五枚。
 「さ、少なくとも赤点取って補修で夏休みが潰れない位の点数は…取りましょうね」
 ニヤリ、若桜さんの微笑みはこれから始まる特訓を前にした鬼教官の笑みだったのを、俺と圭、そして沙菜ちゃんは心底味わう事となる。
 調子に乗って乙音も鬼となっていたのを、俺は決して忘れない………



≪Site of Kei Umezaki≫

 珍しくこの日は夜遅くまで北野天神社に僕は入り浸っていた。
 まぁ、夕方までセィちゃんと一緒に若桜ちゃんに絞られて、ここに来るのが遅くなってしまったのも一因ではあるけれど…。
 そのせいでお邪魔な金魚のフンもくっついてきていたが、それを考えるとここにこうしているのが、襲撃があったとかいう昨夜でなくて良かったと思う。
 僕はキーボードを叩く。
 実行した命令に対する答えは、標準のAIにはないレスポンス。
 「まったく、どうなっとるのかのぅ?」
 呟くはモニターを横から覗き込んでいる那智老だ。
 そしてその呟きは、僕の内心をそのまま示すものである。
 AIの中枢たるアクア オブ ソウルを破壊されていた伊織。
 その伊織の水の魂は今、正常起動していた。乙音という名のプログラムとなって……
 乙音はセィちゃんの用いていたプログラムだそうだが、詳細は聴いていないので分からない。だがこれはすごい事だ。
 これまでどのようなハッカーであっても、アクア オブ ソウルを「上書き」など出来た者はいなかった。
 それも今回のケースは死んだはずのアクア オブ ソウルへの上書き/再生である!
 なんとしてもこの、誰が行ったのか,偶然の産物なのか,事実の解析は、僕や那智老にとっての急務であると言えよう。
 だがしかし、だ。
 「全然分かりませんね」
 「全くじゃ」
 僕達は顔を見合わせる。
 イメージとしては、目隠しをされたまま言葉の通じない異国に放り出されるようなものだ、
 そんな中でも、これだけのことは分かった。
 まず乙音――このAIを組んだプログラマーは大バカか、大天才のどちらかということ。
 人の思考パターンをそのままトレースしてAIプログラムとしてしまっているのだ,これはおよそ実用を考えていない。人間らしさを追及したプログラムだということ。
 八割方が未知のプロトコルで書かれているのでその原理は分からないが、僕のこの予測が当たっているのであれば、恐ろしく柔軟性のあるプログラムと言える。
 そしてメイドロイド伊織――乙音の起動により、隠されていた機能の幾つかが発見できた。
 機能は主に要人警護用のものだった。これは前の持ち主が何か、そう、権力者の類であった可能性が高い。
 昨夜で二度目になるという、不審者による伊織の強奪はこの要人に関するデータ取得にあるのではないか? と僕は思う。
 もっとも乙音によると、伊織としての記録はすでに消去されてしまっているのだそうだが。
 そして分かった事の最後の一つ――
 アクア オブ ソウルもAI乙音も、そして2つの合一化のメカニズムも、僕等のような凡人には理解は全く不可能――ということだ。
 「危険ではないかの? これは?」
 那智老はベットに横たわる伊織、いや乙音を横目に僕に問う。
 「大丈夫……だとは思いますが、確かに心配ですわ。起動のメカニズムがただでさえわからんかったのに、さらに輪をかけて全然わからんようになったわ」
 スリープ状態で横たわる乙音は、その表情と、そして先程会話した際に感じた性格ともに温厚と考えられる。しかしいつどこかが狂って暴走するかは分からない。
 だが、この時数時間前の映像が脳裏をよぎった。だから僕は、
 「でも、まぁ、セィちゃんがしっかり面倒見る言うてましたから平気ですやろ」
 僕は彼の言葉を思い出し、そう自信を持って言ったのである。
 「そうよ、乙音さん、やさしいもの。大丈夫よね、お兄ちゃん!」
 突然の言葉は僕の背後。
 それに答えるのは言うまでもなく那智老。
 「沙菜ちゃんがそう言うのなら安全じゃのぅ」
 「……あのね」
 僕は溜息。喉まで出かかった言葉を飲みこんで押し黙る。
 那智老は妹の沙菜に弱い,会ってまだ数日しか経ってないのに、沙菜の前では瞬時に好々爺と化す。
 くそぅ、他人ごとだと思って楽しみおってからに……
 「もぅ起きて良いで、乙音」
 僕の言葉に、彼女は目をゆっくり開き上体を起こす。
 「もぅ、すっかり夜も拭けてますね」
 突如言われ、僕は腕時計に目を走らせる。
 針は九時を指していた。
 「那智おじいさん,晩御飯、お作りしますね。梅崎さん達も今日は遅いですから食べていかれてはどうですか?」
 乙音は那智老に優しげな視線を向ける。
 「そうじゃの、食べて行きなさい、二人とも」
 両親が未だに新婚旅行中で、家には誰もいない僕達兄妹にそれを断わる謂れは当然なかった。



≪Site of Seiichi Ithimura≫

 俺はモニターを前にキーボードを強く叩き続ける。と同時、
 「雪音,二個上のディレクトリ階層にボムを投げ込め」
 雪音>1.5sec後に発動します
 音声入力によるハッキングツールランチャー『雪音』のメッセージウィンドウが表示されると共にエンターキーでキーワードウィンドウを無理矢理打ち破った――
 今訪れているのは自社党党首・小崎 修のオフィスコンピューター。
 企業献金のファイルには橘ネットワーク社を筆頭に、橘グループからの度を越えた献金額が記されている。
 ”家電OSの独販権利を約束させてるもんだな、これは”
 妖しいと思われるファイルを全てDL。もちろん足の付き難いシーアイランド公国のサーバーを通しての転送である。
 雪音>ガーディアンプログラムに追尾されました
 「あと50秒欲しいな…ドッペルゲンガーを102体実行しろ」
 雪音>実行しました
 お偉い先生のPCを護るガーディアンプログラムは、俺の分身であるドッペルゲンガーを攻撃している,全て潰される前に目的のファイル群は落せるか?
 あと5秒
 3秒
 1秒、よし!
 「雪音、チャフを撒け。このサーバーを離脱する」
 雪音>チャフを散布しました
 「こちらサイドのIPアドレスの痕跡を残すなよ。リドローを実行しながら回線を切断するぞ」
 雪音>履歴書き換えアプリケーション「リドロー」を実行します。香港、北京、ロシア、パリ、シーアイランドの経路で離脱に成功,追跡の可能性は0.02%です
 俺は椅子に背を預ける。
 ”どうも自身のセキュリティに関しては弱いな”
 今の様に追跡から逃れられた場合は良いが、もしも見つかった場合――このPCは侵入に対する対策が余りにも脆弱である。
 まぁ、見つからなければ良いのだが、最近はシャーウッド、いや橘ネットワーク社を追い詰める為の情報取得に結構危ない橋を渡っているので見つかる可能性が高い。
 そうなっては終わりだ。
 ”あの人に相談して見るかな?”
 俺はとある人物を思いだし、メールを流してみる。
 その返事が着たのは、僅か1時間後のことだった。



≪Site of Camera≫

 有森は眉をしかめる。
 考えにくい事が起こっていた。
 彼が独自に設置した盗聴プログラム――トラフィックの多いと思われるサーバーに特定のキーワードのみを引っ掻けるようにした違法プログラム――にスプーキーからセージへと向けたメールが引っ掛かったのである。
 ”どういうことだ?”
 有森――シャーウッドは納得がいかない。
 スプーキーともあろう者が、対個人用メールを少なくとも暗号化して送らないとは,なによりもこのようなどこの馬の骨とも思わないハッカーが確実に検知プログラムを走らせている『一般的』なサーバーを通してメールを送るとは、正気の沙汰とは思えない。
 まるで手の内を明かしているような物……
 ”こちらを誘っているという事か?”
 メールの内容は簡潔だ。――明日夕方、電気街の電波塔下で待つ,当方は右腕に赤い布を巻いている――
 ”敢えて罠に飛び込んでみるのも面白いやも知れぬな”
 有森は僅かに微笑み、完成間近の新OS・皐の点検作業に戻った。



≪Site of Otone≫

 私は夢を見るのでしょうか?
 プログラムたる私にはスリープモードが存在します。
 これは起動時に習得したデータを最適化,必要なデータは保存し、雑多なデータは破棄するという作業をとる為のモードです。
 その作業の際に、見聞きしたデータを再生する為にそれを私は夢と勘違いするのかもしれません。
 けれども……私がプログラムのみであった時は、そんな事はありませんでした。
 私は今、全く見知らぬデータを再生しています。
 それはこの筐体――メイドロイド――の唯一の自己主張として、記憶媒体の深層に決して消えることなく刻みこまれた過去の記憶。
 メイドロイド・伊織としての大切な記憶であり、彼女が私へと託した物的証拠と言う名の記録です。
 そしてそれは重要性故に周囲に害を与え得る、危険なものであると同時に、彼女の愛する人が愛するが為に公開する事を禁止した、『心』などないはずの彼女の嫉妬の証―――


 真っ赤な夕日が私の背を照らします。
 一面ガラス張りの壁の向こうはちょっとした森が一望できました。
 その向こうには街並みが広がっています。
 高さ的には、ここは高層ビルの屋上?といったところでしょう。
 私の隣には初老の男,私はこの人の名を知っています。
 布施 真十郎――橘ネットワーク社初代/先代社長です。
 彼はソフトウェア開発の遅れていた橘グループを僅か15年で日本、いや世界きってのトップメーカーに押し上げた実力者と聞いています。この間、拳銃自殺をしたということですが。享年65歳でした。
 「海斗よ、もはやお前は進むしかないのか?」
 威厳と優しさに満ちた声で、おじいさんは言います。
 そぅ、私は現実感を伴って思い出しました。私は――伊織はこの人を心から愛しています。
 そんな私達二人の前に立つのは二人の男。ともにビジネスマンらしいスーツ姿です。
 一人は杖を付いた30代前半と思われる男の人。
 眼鏡が夕日の光で反射してその表情は読めませんが、私はこの人も知っています。
 布施 海斗。現・橘ネットワーク社の社長であり、真十郎様の愛する一人息子……。
 そしてその隣に立つ、やはり同年齢らしい男はその部下とされる男。
 しかし私には理由もなく分かります、この男は私の同類。
 それもオリジナルに忠実に、よく出来た模倣品であることを……。
 「父上、私は貴方を父に持って、初めて良かったと思ってますよ」
 杖の男は言います。口を笑みの形に吊り上げて。
 「世界をこの手に収める、最も近い場所にいることが出来るのですから」
 その言葉に真十郎様は大きく溜息。彼を包む雰囲気は、すでに諦めの香りがしました。
 「その右足の痛みは、もぅお前からは消えてしまったのか?」
 「この痛みを踏み台にして次に進んでいるのですよ、父上。そして」
 彼が右手を上げる,同時に隣の男が動いた!
 「私の進む前に立つ貴方が邪魔です、父上!!」
 私は主を守る為、襲い来る男と主の間に立ち塞がります!
 男は懐から一枚の札を取り出しました,それは複雑な図形と文字の描かれた羊皮紙のような物。
 その札の正体を私は知っていました。この男のモデルであった父の盟友であり魔導師でもある梅崎 皇の扱う『魔の衝撃』の札である事を。
 私は後ろ手に主を右へと突き飛ばします!
 同時に男の札が私の胸へ。
 ドム!
 太鼓を叩くような音は、10トントラックが時速120kmでぶつかってきたような衝撃を伴って、私は背後へと飛びました。
 視界に主の姿を捉えながら…
 「マスター!!」
 主は僅かに私に微笑みを向けた後、唯一愛する息子へと視線を移します。
 その息子の左手は黒い皮手袋,そして手には一丁の拳銃!
 ガシャァァン!!
 札の衝撃に飛ぶ私は、背中からガラスの壁を突き破り、外へ。
 ガラスの割れる音と同時に小さな破裂音が私の聴覚に検出されました。
 私の視線はただ一点。
 主の額を穿つ穴。
 吹き出す真紅の血,海斗の哄笑、そして……
 倒れゆく主の、諦めにも似た穏やかな表情だった。
 ”どうして…なんですか?”
 疑問に答える者はいない。
 数秒後、私は地上55階の高さから固い地面に叩き付けられ、機能停止する―――


 現在時刻は5:00.AMです。
 「早起きしちゃいましたね」
 私はおふとん――那智おじいさんが用意してくれたふかふかのそれから上体を起こします。
 寝間着としてやはりお爺さんが用意してくれた白いYシャツが乱れていました。
 「案外私は寝相が悪いんですね」
 クスリと微笑みます,そして同時に、先程見た夢の映像ファイルを思い出しました。
 これは次世代家電OS『皐』の盗聴機能に反対する誠一さんにとって、橘ネットワーク社に対する切り札となる証拠に違いありません。
 「でも……」
 私はこのファイルを渡す気にはなれませんでした。
 思わず私は己の胸を押さえます。
 それは私の前に『ここ』にいた伊織のキモチ――愛した主人が己が命を与えてまで愛した息子への気持ちを立てることでも、その息子への嫉妬でも――ありません。
 私は恐いんです。
 誠一さんが危険に晒されることが。
 彼が先に進めば進むほど、戻ってこれなくなることを……
 私の当初の存在意義は彼を『進める』ことでした。
 でも、今は違います,私は彼を『守る』為に再起動したんです。
 守ること――それを考えると、このファイルは消去した方が良いのかもしれません。
 そして彼が橘ネットワーク社との対立など「めんどくさい」と思ってくれる……それが一番幸せなのかもしれません。
 「それに…どうして誠一さんなんですか? 他の人でも良かったでしょうに…」
 誰にでもない言葉を吐いて,しかし私は首を横に振りました。
 「手の込んだ朝御飯を作るとしましょうか」
 ファイルを胸の奥に、私は朝日の指しこむカーテンを全開。
 朝です!



≪Site of Camera≫

 若桜邸――15時02分
 雑然とした薄暗い部屋。そこに慌しく動く人影一つ。
 人影は最後にバックを背負い、部屋の扉を開け……
 思い出した様に取って返し、本棚に飾られた写真立てに手をかけた。
 そこには10代後半の長い栗色の髪を持った『美』少女と、20代後半の白衣を着た男,そして30代前半に見えるキツネ目の細面男の3人が仲睦まじく映っていた。
 人影はそれをおもむろにパタン、倒して……部屋を後にした。


 「ただいま」
 「いってきま〜す」
 玄関を開けた玲は姉の珪と鉢合わせする。
 「あら、おかえり、早かったわね」
 「今日は土曜日だから…お姉ちゃんはおでかけ?」
 姉の姿はジーパンに白いTシャツと、普段着だった。いつもとの唯一の違いはおろしている肩までの栗色の髪をポニーテールにしている事くらいだ。
 左の機械の瞳が、日の光に金や銀色に輝いて見えた。
 「これから、で・ぇ・となの」
 「…物好きもいたものね」
 「今、ものすごい失礼なこと言わなかった?」
 「気のせいだと思うよ」
 目を逸らして玲は言う。
 「もしかしたらそのカレシ、連れて来るかもしんないから、そんときはヨロシクねー」
 「はぃ?」
 答える間もなく、
 珪は家を飛び出して行った。



≪Site of Seiichi Ithimura≫

 俺は周囲を見渡す。
 ここは五代駅から電車に揺られて30分のところにある有名な電気街だ,もー特定の分野なら何でも揃いそうな感じである。
 週末の夕方だけあって、普段よりも人の数が多いようにも思われた。
 「えっと、電波塔、だったよな」
 スプーキーからのメールの内容を思い出しつつ、僕は視線を上に30度。
 全長200mの赤い電波塔が見える,そこに向って歩き出した。
 ”どんな人だろうな?”
 スプーキー――変人という変わったHNを名乗るイリーガルコネクションのメンバーの一人。
 俺をこのハッカー集団の7人目に誘ってくれた人であり、そのメンバーの中でも特に熱心に、色々と電脳空間におけるノウハウを教えてくれた人でもある。
 ”そういや、俺がイリーガルコネクションに入る前から全然知らない人が俺のコトを7人目とか言ってなかったっけ?”
 ふと曖昧な記憶が持ちあがってくる、確か、そう、赤き巫女とかいう、シャーウッドとの会話に入りこんできたネットウォーカー。
 と、そこで思考は寸断する。
 俺は電波塔の下で足を止めた、目印に右腕に赤い布を巻いていると言ったスプーキーの姿を探すと…いた!
 栗色の髪をポニーテールにした20代前半の…女性?
 彼女は周囲に視線を走らせ俺に止まる。
 ”あ、手振ってる”
 難で分かったのか? と、俺は彼女の視線をどこかで知っている様な気がした。
 彼女の視線は左の黒い瞳と、右の…義眼、なのだろう。
 金色に僅かに輝く、一昔前に視覚障害者の希望の星とされた生体部品、であろう。
 しかしこの生体部品、制御に問題があり現在ではその危険性のために使われる事はないと聞いているのだが。
 生物と機械の混じった視線を受けて、俺は彼女に歩み寄る。
 「スプーキーさん、ですか?」
 「さんはいらないよ、セージ」
 微笑んで彼女は右手を差し出す。
 「よろしく、スプーキー」
 俺は微笑んでその右手を握った。
 「アタシはハードウェア関連の専門学校に行っててね,アンタの欲しがってるセキュリティ強化のボードを作ってあげるよ」
 「作れるもんなんですか?」
 「まーね」
 スプーキーは機械の瞳でウィンクして、改めて俺の右腕を掴む。
 「そんな訳で買出しするから、荷物持ちお願いね♪」
 ――1時間後
 「お、あのツボは良いものよっ!」
 「ま、まだ買うんですかー?!」
 両手一杯に荷物を持たされた俺は思わず悲鳴を上げる。
 「何言ってるの、まだまだコレからよー」
 この人込みの中に揉まれて、どこにそんな元気があるのか、スプーキーは新しい店内に踏みこんでゆく。
 と、その横顔が何故か若桜さんに似ているような気がしたが…何故ここまでキャラクターが違うのにそう思ったのかは謎だった。
 「そう言えば、スプーキーは他のメンバーには会った事あるんですか?」
 ちょっと聞きたかったことを問う、と思わぬ答えが帰ってきた。
 「アリスの奴はアタシの妹だよ」
 「え?! アリスってプログラムの天才の?」
 イリーガルコネクションでのチャットを思い出す。
 彼女(?)は乙音の残した簡易AIランチャーである雪音を音声入力式に改造してくれたりと、色々俺を助けてくれている。
 さらに口調が、俺が現実で知っていた若桜さんの内にいたアリスに似ていて、話していて楽しい人だ。
 「スプーキーとは性格結構違うけどね」
 どっちも明るいが、その質が微妙に違う。
 言うなればスプーキーは現状を受け入れた上での陽気,アリスは現状を把握した上での陽気、と微妙な違いだけれど。
 「現実もそうだよ」
 笑って彼女はそう言ったきりだった。
 ――さらに1時間後
 「あの、ほんとーにそれが必要なんですか、スプーキー?」
 「私にとっては必要かな。ね、似合う?」
 「……」
 セパレートの赤い水着に身を包んだスプーキーが更衣室の前にいた。
 何故か俺は、彼女の水着選びの査定官としてコメントを求められる立場にいる。
 「ね、どーよ?」
 旨を強調して問うスプーキー。
 「あー、似合いますよ」適当に答える。
 「そんなに曖昧に答えてちゃ、アンタのカノジョのを選ぶ時に愛想尽かされるわよ」
 「ご心配なく。その時はちゃんと答えますから」
 「酷いわねー、差別なのねー」
 「あのねぇ…」
 さすがに疲れた。
 スプーキーはカーテンを閉め、更衣室の向こうからこう答えてきた。
 「分かった,分かったわよ。そろそろ引き上げますよっ。アンタだけじゃなく、アイツも痺れを切らしてきたみたいだしね」
 「アイツ?」
 不可解な単語と、背後の殺気に振り返る。
 そこにはキツネ目のスーツを纏った30代前半のサラリーマン風の男が一人。
 いや、コイツは!
 伊織を奪おうとした亜門と同類の男!!
 シャ!
 カーテンが,開く。
 スプーキーが二枚の透明なビニールの風呂敷を手に、普段着をすでに纏っていた。
 「セージ、アタシは直接会わせたかったのさ、アンタの「敵」にね」
 ニヤリ、微笑んでスプーキー。
 ”敵?”
 目の前のサラリーマン、が? 確かに敵だけれど、どうしてそれをスプーキーが知っている?
 彼は唐突にこう口にした。
 「私はシャーウッドだ、初めまして、ではないなセージくん,そしてこんにちは、スプーキー」
 糸のような目をさらに細めて、男ことシャーウッド。
 彼が懐から取り出すは、サイレンサー付きの拳銃だ。
 「そしてさようなら」
 ニタリ、微笑んでその引き金を引いた。
 それより早く、俺にスプーキーがビニールの風呂敷を被せて俺の手を引く!
 パスッ
 シャーウッドの銃は僕のいた場所を打ち抜いた。
 だが、
 「どこに消えた?!」
 焦るシャーウッド。まるで俺達が見えていないかのように。
 「さ、荷物持って出るよ」
 「どういうこと?」
 未るとスプーキーは頭からビニールの風呂敷をかぶっていた。
 そしてそれは俺も…
 スプーキーはウィンク一つ。
 「なに、ちょっとした魔法さ」
 しきりに己の目をこするシャーウッドこと先日の襲撃者をその場に残し、俺達は店を後にした。


 五代駅で下車する。
 スプーキーは買い集めた材料で約束の基盤とやらを作ってくれると言う。
 彼女の自宅で。
 俺は思わず本日何度目化の後ろを振り返った。
 シャーウッドの姿はない。
 「だから魔法のフロシキなんだって」
 スプーキーは苦笑。
 俺はもぅ今は外した手の中に握ったビニールを改めて見つめる。
 表面に何らかの薬品を塗ってある様だが……一つ気が付いたのは、このビニールに包まれると携帯電話の電波が入らないということだ。
 ”電磁波防止のシート?”
 謎だった。そしてさらに大きな謎が目の前に立ちはだかったのだ。
 「まー、上がってくれ」
 「…ここって」
 白壁の、どこにでもある閑静な住宅街の中の一件の小建て。
 だが俺は忘れるはずもない。
 ここは、若桜邸だった。
 混乱した頭で家にお邪魔する。
 「こんばんは、お邪魔します」
 無意識の内に挨拶は出てしまう、そんな俺の背中を押して、スプーキーは彼女の自室であろう、2階の一室へと俺を招き入れた。
 その途中、だ。
 ”若桜さんの部屋だ”
 確かにここは彼女の家だ。ということは、スプーキーは…
 「ま、そこらへんに座ってくれ」
 彼女の声に我に返って…困惑。
 「そこらへんって?」
 床は一面の訳の分からない部品やら雑誌やらで足の踏み場もない。
 「あー、テキトーに退けて座っちゃって」
 「掃除した方がイイよ」
 「創造はカオスから生まれる物なんだよ」
 「訳分からんです」
 そんな会話をしている間にも、いつの間にかスプーキーの手は動き、買ってきた材料を漁ったかと思うと半田ごてを用いて基盤を形成してゆく。
 トントン
 ノッキング
 「どうぞー」
 スプーキーは返事。
 「こんにちは,お姉ちゃん、お茶煎れる?」
 聞き慣れた声と共に見慣れた顔がドアの隙間から。
 その視線は俺のそれとピタリ,重なった。
 スプーキーを姉と呼ぶ少女はハッと己の口を両手で押さえる。
 「え…市村くんが、お姉ちゃんのカレシ??」
 ”なんでそうなる? それよりも…”
 「お、お姉ちゃん?」
 俺の聞きたくなかった答えに、若桜さんは驚いていたのだろう、正直に答えていた。
 「う、うん」
 「ということは…若桜さん…が…アリス??」
 途端、若桜さんの顔色が青くなった。
 「あ、市村…くん」
 彼女は両手を口に持っていく。
 「騙して、いたのか…」
 「あ……違う、そうじゃ、ない…の」
 うっすらと目に涙を浮かべ、震える小声で若桜さんは呟く。
 自分でもきついと思う視線を、その弱々しい瞳で受けて…
 「イリーガルコネクションの7人目、これは全て君達姉妹の予定通り、ってことだな」
 スプーキーに目を向ける。彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
 肯定の笑み、だ。
 そして俺は再びアリス――若桜さんに視線を変える。
 「君が俺に近づいてのも監視の」
 「違う、違うの!」
 「何が違うんだ!」
 俺の荒げた声に、若桜さんは息を呑んで沈黙。
 やがて蚊の泣くような小さな声でこぅ、呟いた。
 「だって、だって乙音から7人目の位置情報を得ていたのはスプーキーだけだし…」
 「なんだって?」
 ビクリ、若桜さんは身を振るわせた。今の言葉は全く予期していないものだった。
 イリーガルコネクション・スプーキー・乙音・皐・アリス・愚者のカード・シャーウッド
 全ての事象が、この時俺の中で一直線に繋がった。
 「乙音…そうか、乙音が7人目へ通じる鍵ってことか」
 「ご名答」
 言うのは苦笑いのスプーキー。
 「アンタがPC買ったトコの親父はリトルバードだよ」
 あのちょっと太った気の良さそうなおじさん……あれがイリーガルコネクションのメンバーの一人・リトルバードか。
 「7人目は愚者のカードを持つ者。何の前知識もなく、平等な視野を有したネットウォーカー」
 スプーキーは唄う様に続けた。
 「アタシ達はそんな人間に新OS『皐』の是非を問いたかったのさ。いやはや、実際にアンタは実に巧く立ち回ってくれた。お陰でイリーガルコネクション内でようやく反・皐の態勢が整ったさ」
 「俺はアンタらの駒だったってことか?」
 スプーキーはしかし、首を横に振った。
 「アンタはアンタの思う通りに行動して着たんだろ? アタシらはその行動に補助輪を付けてやっただけさ。その結果がどうであれ、アタシらに何らかの影響は与えるんだ」
 「しかし…」
 俺は若桜さんを睨む。
 アリスとして、俺は彼女にずっと騙されていた事には変わりない。
 俺が皐を調べ、シャーウッドと対立し、その対立のやり方を教えてくれたのはイリーガルコネクションの彼女達。
 それは全て予定されたことであり、俺は彼女の掌の上で踊っていたに過ぎないのだ。
 そしてその様をアリスこと若桜さんは踊っているのを眺めながら、まるで知らないフリをして毎日俺を見ていたわけだ。
 「騙してなんか……ごめんなさい!」
 彼女は言葉の最後を叫ぶ様にして、部屋を飛び出していて行った。
 俺は追いかける……気力はなかった。
 「まー、確かに騙してたわね」
 二人きりになったこの部屋で、スプーキーは陽気にそう言う。
 「でもね、一応あの子の姉として弁解しておくけど、アンタがセージって事を知ったのはあの子の登校拒否が治り始めた頃だよ」
 「…だから?」
 スプーキーの言わんとしていることは分かった。
 だが、それは真実であるとは限らない。なにせ変人の言葉だ。
 「あの子の苦しさも理解してあげてやって欲しいなって思ってね。好きな人に隠し事するのってのは、女にとっちゃ何よりも辛い事なんだ」
 「……」
 「それに、これはアタシの億速だけどさ、『本当のアリス』にアンタは認められたんじゃないのかい? もしそうだとしたら『本当のアリス』はアンタに何を頼んだ?」
 俺は思い出す。
 若桜さんの二重人格は『演技』とは考えにくいものだ。
 あれは真実だと思う。だから今はもぅ、会う事の叶わないアリス=リデルは彼女の本当の部分の一部なのだと思う。
 そしてあのアリスは俺にこう言った。
 「何があっても玲を護ってやって…か」
 苦笑い。
 同時にスプーキーもまた苦い微笑を浮かべていた。
 「何より,アンタはあの子のコト、好きじゃないのかい? それともちょっと隠し事あったくらいで嫌いになっちまうくらいのものだったのかな?」
 「ちょっと、か?」
 ツッコむ。
 「そうでもないかな?」
 顔を見合わせ、沈黙。
 「…スプーキー、君は敵なのか、味方なのか?」
 思わず問う。その答えはすぐだった。
 「どちらでもないよ」
 「え?」
 「この世に敵も味方もあるものか。あるのは己の信念に従う自身だけさ」
 言い切るスプーキー。
 彼女は俺の背中を一回、どんと強く叩くと基盤を一枚、俺の胸に押しつけた。
 「自分自身、何がしたいのか見誤らないようにな、青年!」
 約束のセキュリティ強化のボードである。
 「Plug&Prayで頑張んな」
 「い、祈るのか?!」
 スプーキーは相変わらず不敵な笑みを浮かべるだけだった。


 俺は若桜邸を後にする。
 ”あるのは己の信念に従う自身だけ、か”
 俺はスプーキーのようにはなれないだろう、ここまで言いきれるほど、俺は力があるわけでもなく、強くもない。
 それに、そこまで割りきれるほど非情にもなれない。
 しかし、
 自分自身、今何がしたいのかは知っている。
 だから俺は若桜さんを追いかける。
 彼女の性格からして、どこに行くのか大体の見当は付く。
 人込みの多いところは苦手な彼女が行くとすれば……
 俺は住宅地の一角に広がる小さな公園で足を止めた。
 宅地条例で銃宅地の一角には必ず作らなくてはいけない小さな面積。
 街灯すらないその小さな一角に、
 いた
 砂場でしゃがんで「の」の字を書いていた。
 ”暗いな…”
 彼女の丸めた背中から放たれる雰囲気もそうだが、光が月明かりと周りの家々から零れる明かりしかないのも手伝っている様に思える。
 俺は静かに気付かれないように背後に忍びより、足元の砂を一握り。
 拳の中の砂を彼女の俯いた首筋に…
 さらさらさら
 「ひゃぁぁ! ぶっ!」
 思った以上の悲鳴に俺は驚き、彼女の口を空いた手で塞いだ。
 「びっくりしすぎだよ」
 「……市村くん」
 俺は彼女の手をひいて立たせる。
 「あの、その…」
 俯いてしまう
 「他に隠してる事は?」
 「あ…他、に?」
 「そう、他に」
 「えと、他に…?」
 おずおずと落ちそうな眼鏡越しにこちらを見上げながら
 「正直に言ったら許してあげる」
 「…市村くんの歴史の参考書の西郷隆盛の額に「肉」の字を入れたの私」
 「他には?」
 「この間作ってあげたお弁当の肉団子、砂糖と塩を間違えちゃった」
 「…他は?」
 「あ…」
 俯きがちになる彼女のおとがいを、俺は右手でつぃと上げてさらに問う。
 「えと…」若桜さんの吐息を身近に感じた。
 彼女の頬に朱が差す。
 「市村くんに…キスしてほ」
 彼女の言葉を遮ぎる。
 長い沈黙と夜の帳が、俺達を包みこんだ。


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