If You catch Brave.
You see your mind.

 

 カーテンに締め切られたその薄暗い部屋は、くぐもった音が響いている。
 パソコンの駆動音だ。
 それも業務向けに多用される高性能な、それでいて巨大な機体の音である。
 技術がいくら進歩しようと、その時点での技術力を結集すればやはり大きな物ができてしまう。
 部屋の主であるスプーキーにはこの点も頭の痛いところであったりはするのだが、快適な環境を追求するのならば、現実での環境がいささか損なわれることにも我慢はできている。
 暗い部屋にはモニターの明かりと、PCのLEDしか明かりはない。
 カーテンの外は、しかしおそらく暗黒。
 深夜である。
 スプーキーこと彼女の見つめるモニターには、いくつものウィンドウが動き、そしてキーボードの上ではタップダンスを踏むように2つの手が跳ねていた。
 ウィンドウの1つ,インスタントメッセージによる1対1の会話に、今のスプーキーの生身の瞳である右目は注意が向いていた。
 「明日の朝が搬出か、それは確かだな?」
 入力、レスポンスはすぐに返る。
 『ああ。間違いないはずだ』
 会話の相手はリトルバード。
 彼はソフトウェアに関するハッカーとしては二流の域に入るが、スプーキーと同じくハードウェアの改造に関してはかなりの腕を持つ。
 もっともそれだけではイリーガルコネクションのメンバーに加われるはずもない。
 彼の手腕は、物資調達にある。
 彼の持つコネクションは広く、手に入らないものはない。
 それは情報と言う形のないものであっても、である。
 「ありがとう」
 『お前らしくないな、礼なんぞ』
 レスポンスに対し、スプーキーは小さく微笑んだ。
 『もしかして、お前、まさかあの時みたいに?』
 「手出し無用だ、リトルバード」
 『ふざけるな! 1人で何ができると言うんだ? あの時ですら、お前は片目を失ったんだろう!!』
 「今回の件に関しては、あの時のような事態とは異なる。私のやることは、明らかな犯罪だ」
 『だからこそヤメロと言っている!』
 「止める訳にはいかんのだよ、事の起こりの発端は、すべて私なのだからな」
 『スプーキー、過去を引き摺るな。ファウストとシャーウッドはすでに我々の関与しうる人間ではない。悔しいことだが』
 「関係ない。私は私の思う侭に行動する,例えそれが理に適わなくとも。それが私がスプーキーであるが由縁だ」
 スプーキーは一方的に彼との通信を切る。
 そして、メールを2通したためた後、眠りに就いたのだった。


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Part.15 鐘のなる日



≪Site of Amon Tuthimikado≫

 夢の中、懐かしい香りがした。
 母がまだ生きていた頃の朝の香りだ。
 炊き上がったばかりのご飯と、味噌汁の香り。
 久しく忘れてしまった記憶。
 布団の上から、体をゆすられる。
 かつて、母がそうやって彼を起こした様に。
 …錯覚?
 否!
 次の瞬間、亜門は夢と現実での感覚をはっきりと分離させた。
 いかに睡眠時とは言え、他者の接近を許してしまうとは不覚である。
 殺気を纏って、目を見開く。
 「朝ですよ、亜門さん」
 穏やかな声と、長い髪の間から除く笑顔。
 柔らかな視線に見つめられ、急速に亜門からは殺気は消え去っていった。
 「乙音…さん?」
 「そろそろ起きないと遅刻してしまいますわ。今日は試験最終日ですよ」
 言って彼女は立ち上がる。
 白いエプロンの姿が、窓から漏れた朝日に眩しかった。
 「は、はい」
 身を起こす亜門、同時に乙音は部屋の襖を閉めて台所の方へと姿を消した。
 「夢では、なかったんだな」
 夢の中で嗅いだと思った香り。
 それは現実のものだと知ると亜門は、彼には珍しい穏やかな笑みを浮かべて起き上がった。
 7月の第2週,一学期期末試験の最終日。
 そしてもう幾つ数えれば、夏休みである。



≪Site of Seiiti Itimura≫

 期末試験最終日。
 これが終われば明日明後日は土日で休み,そして試験休みが続き終業式と、その後に続く夏休みを待つのみだ!
 俺は半分徹夜のお陰で重たくなった瞼をこすり、ペンを握り締める。
 「はじめ!」
 担任教師が開始のゴングを告げた――――――



≪Site of Camera≫

 乙音は厳しい顔をする。
 台所に立ち、炊き出しをしながら彼女はその内容を知った。
 「この時が来ましたか、スプーキー。でも、貴方の思うようにはいきませんよ。誠一さんを巻き込ませるわけには決して、ね」
 煮物に醤油とみりんを加えながら彼女は虚空に向って呟く。
 「乙音さんや。ワシも手伝う事、ないかの?」
 不意に背後から声がかかる。この家屋の主である那智老であった。
 彼女は打って変わって微笑を浮かべて振り返った。
 「ここは大丈夫ですわ。合宿で必要な機材はもぅ揃えられましたか?」
 「そんなもんはワシのする事ではないわ。もっとも使う機材などほとんどないがな」
 ニヤリ、笑って那智老。
 「呑みすぎには注意なさってくださいね」
 「まるで呑みに行くように言わんでくれんか?」
 「三木さんが合宿とは名ばかりの呑み会とおしゃってましたけど?」
 「ほほぅ……今年の合宿はハードにしてやらねばのぅ」
 「ほどほどになさってくださいね」
 三木に不孝を何気無く撒いた乙音は、張り切る老人を眺めながら手は大人数の弁当に使う料理を,頭は彼女の一部への通信へと向けられていた。


 ”会えるな、今夜”
 彼は皮張りの椅子に身を預け、目を閉じる。
 椅子を180度回転,再び目を開けるとそこは窓の外。
 壁一面ガラス張りの外には眼下に森を、その果てには高層ビル群が見て取れる。
 「珪、お前と梅崎は無理だと言ったな。世界を征服するなど」
 彼は立ちあがる。
 右足は偽りの足。
 彼の立つのは、彼の父が命を落とした場所。
 「私は支配できる。大地ではなく、情報世界を。そしてそれはこの世界を征服する事ではないか?」
 30代の男だ。昼下がりの初夏の日よりだというのに、冷房の効き過ぎもあろうが彼の周りの温度だけが数度低い様に感じられる。
 「待っているよ、珪。世界を征服する瞬間を特等席で見せてやる」
 橘ネットワーク社社長、布施 海斗の哄笑が部屋にいつまでも響き渡っていた。



≪Site of Seiiti Itimura≫

 昼。
 「終わった…」
 試験終了と同時に俺は机に突っ伏した。
 心地よい疲れと解放感に満たされる。
 すぐ隣に人の気配を感じて顔を上げた。
 「市村くん、どうでした?」
 柔らかな声で若桜さん。
 「それは聞かないで」
 解放感と結果は別だ。
 だがこの3日間の試験で赤点はないだろう。
 試験休みは確実に『休み』として過ごせるはずだ,もっともおよそ一名、俺の知っている奴で補習に費やされそうなのがすぐ近くにいるが。
 「そういう若桜さんは?」
 「私はいつも通り…かな?」
 僅かに舌を出して笑う。こりゃ、相当出来は良いな。
 「そか。でも若桜さんも確か半分徹夜したって言ってたよね?」
 「うん」
 頷く彼女は一昔前からは想像もつかない、血色の良さだった。
 「…元気だね」
 眼の下にクマもなく、赤い訳でもない。
 「慣れてますもの」
 「あー」
 思いつく。
 彼女は夜遅くまでチャットやソフト開発などを行っているそうだ。徹夜などお手の物なのだろう。
 「俺は何とか赤点はないかな、って感じ。昨日はありがとね」
 「ううん、私も楽しかったし。乙音さんにお礼を言った方が良いですよ、予想した問題が結構でましたし」
 「そだね。そうするとアイツも赤点は免れたかな? おぃ、圭」
 俺は右斜め前の男の背中に声をかけた。
 クルリ、そいつは振り返ると、
 「ふっふっふっふ……ひゃーっはっはっは!!」
 眼がイってしまっていた。
 「あの、梅崎さん?」
 「ダメだよ、若桜さん。危ない人に話し掛けちゃ」
 「セィちゃ〜ん,そんな酷い事言わんといてや〜〜」
 「くっつくなー、暑苦しい!!」
 しなだれかかってくる圭を引き剥がす。
 「僕には試験休みはないわ〜〜、青春を返せー!」
 どうやら全然ダメだったようである、得意科目である理系は抜群なのに、文系はからっきしダメなのだ、圭は。
 「と、落ちこみモードもこれくらいにして」
 シャキッと表情を変えて圭。
 「カラオケでも行くかー」
 「「おー!」」
 同意の声が俺を含めて三つ上がった…三つ?
 「って何でお前がいるんや?!」
 圭が詰め寄るのは彼の妹、沙菜。いつの間にこの教室に?
 「良いじゃないの。私、浜あゆ歌うんだー♪」
 「和田アキ子の方が似合いそうやで」
 「お兄ちゃんなんか山川 豊でも唄っとれー!」
 「あらあら、仲が良いですね」
 若桜さんに取り敢えず無言のツッコミを入れつつも、俺達は解放感に包まれて帰り支度。
 カラオケの前に昼飯を何にしようかと議論しつつ、学校を後にした。



≪Site of Amon Tuthimikado≫

 2,3日の着替えだけをナップサックに彼は詰めた。
 と、襖が開き気配が訪れる。
 「おかえりなさい、亜門さん」
 「ただいま」
 土御門 亜門は声の主に振り返って、荷物を肩に立ちあがった。
 「あら、お出かけですか?」
 問うエプロン姿の乙音。僅かに首を傾げている。
 「ええ。ちょっと山に篭ります」
 彼は思いを反芻する。
 この間の西洋魔道師との戦いで知った己の無力さ。
 ”所詮、井の中の蛙だったということだ”
 「終業式までには戻りますから」
 乙音の脇を擦りぬけようとした彼の背中に、乙音の言葉が突き刺さる。
 「那智さんにはちゃんとご挨拶したんですか?」
 「……」
 「駄目ですよ、せめて一言言っておかないと」
 亜門は那智が苦手だった。
 掴み所がない所と、終始ふざけている様に見えるところ。
 そして何より、そんな那智に全く隙がないところがだ。
 「…乙音さんから言っておいてもらえませんか?」
 彼は彼女に眼を合わせずに呟く。
 「ダメです」
 「うっ……」
 真正面から瞳を向けられて、亜門はうめく。
 ”どうして俺の周りには強い女性ばかりいるのだろう?”
 思う。だが彼は気付いていた。
 乙音には北見や若桜(アリス)に何か言われた時に感じる不快感がないことを。
 もっともそれが何を示すものなのか、亜門はまだ気付いてはいないのだが。
 「ちゃんとご挨拶したら台所に寄ってくださいね。簡単なものですけどお弁当用意しますから」
 「……ピクニックじゃないんですけど」
 「何か言いました?」
 「何でもないです」
 亜門は溜息一つ。
 “なんか逆らえんな、この人には”
 乙音に背を向けて彼は苦笑。
 己の態度と、そして機械である彼女を『人』と思ってしまったことに対して。
 “まぁ、それもいいか”
 玄関の方から人の気配がした。
 それも多数だ。
 亜門が足を向けると、そこには那智を始めとした弓道場の門下生の姿がある。
 玄関前でおそよ20名弱。
 “何だ?”
 「では、30分後に出発する。各自忘れ物のないようにな」
 「「はい」」
 主に中年層の返事が多い。若者といったら三木と北見くらいだった。
 「三郎は乙音のところに行ってきてくれ。今夜の弁当が用意されているはずじゃ」
 「はいっス」
 スポーツ刈りの頭を掻きながら三木は家の中へ。
 「お、亜門。ちわ〜」
 「ああ」
 擦れ違いざま、彼は軽く右手を上げた。
 亜門は思い思いに玄関先でくつろぎ始めた門下生の内、1人に歩み寄る。
 「何処かへ行くのか?」
 「あら、亜門」
 北見だ。彼女は弓に身を任せて地面に腰を下ろしている。
 「夏合宿よ。まぁ、今日入れて3日間だけだけどね」
 門下生には社会人が多い。
 土日を用いて行うのだろう、それでもやはり自営業のものは参加は難しく、参加しているのは土日に休日を取れた幸運な者達だ。
 全門下生中、半分くらいは参加しているように見える。
 「って言っても呑み会がメインじゃが。お主も行くか、亜門?」
 背後からの那智老の声に、亜門は振り返って首を横に振る。
 「いえ、俺も山篭りに出かけようと思ってましたから」
 「そうか、せっかく乙音さんと2人きりというシチュエーションを作ってやったのに」
 「二人きりだと何かあるのですか?」
 「「………」」
 那智と北見は顔を見合わせ、無言。
 「ま、気を付けていくのだぞ」
 「はい」
 「亜門さん、お弁当をどうぞ」
 三木と一緒に今夜の分であろう、弁当を配っていた乙音が亜門に手渡す。
 「ありがとうございます」
 彼には珍しく、微笑んで受け取る。
 そして彼は後に後悔する。
 乙音を一人、この場に残しておいた事によって起こる事と、彼に屈辱を与えた者と再び会い見舞える機会を永遠に失うことに………
 そして、この夜の北野天神社は無人だった。
 いや、この表現は的確ではない。
 亜門の部屋では蔵書を『読む』人形が一つ、あるだけだった。



≪Site of Seiiti Itimura≫

 住宅街のT字路。
 日はすでに沈みかけている。夏の日は長くなったものだと実感する瞬間だ。
 「ほな、また!」
 「じゃあな」
 「おやすみなさい」
 「また歌いに行こうね!」
 俺達は梅崎兄妹と別れ、歩く事数分。
 「あの、市村くん」
 「ん?」
 若桜さんの声に俺は顔を向ける。
 何か言いたそうな彼女がそこにいた。
 「お姉ちゃんのこと…聞います?」
 「何を?」
 「あ、ううん、何でもないの」
 慌てて首を横に振って、彼女は差し掛かったT字路で手を振った。
 「また、ね!」
 「ああ、おやすみ」
 何故かこの時、彼女とはすぐ会う様な気がしたのだった。


 制服を脱ぎ捨て、俺はPCのスイッチを入れる。
 チチチチチ………
 HDDの音がしばし、そして声が放たれた。
 「お久しぶりね、誠一さん」
 声の姿はない。PCからである,乙音の創り出したデスクトップエージェントである。
 「…昨日起動しなかっただけだろ、雪音」
 「てっきり忘れられてしまったのかと思ったよ」
 と、棒読みの声が部屋に響いている。
 「だから感情ナシで読むようにセリフ言うなよ」
 「と、ツカミはOK?」
 「全然ダメだよ!」
 「メールが届いています,ダイレクトメールを除くと一通だけですけど」
 「…嫌な言い方だね」
 俺は溜息一つ、マウスをクリックしてメールを開く。
 それはスプーキーからだった。
 内容を一読し、もう一度今度は深い溜息。
 「今夜、か」
 それは急な話、と言う訳ではない。
 皐の発売日は来月1日、これでも遅いくらいだ。
 “だが…”
 思う。
 スプーキーのメールの内容はこうだった。
 『皐のマスターディスクを破壊する,ひいてはご同行されたし』
 皐の内容がいかなモノであろうと、今の時点ではそれは明らかな犯罪である。
 と、別れ際の若桜さんの態度が不意に蘇った。
 “そうか、若桜さんはこのことを”
 そして俺が知らないと思って話さなかったのだろう。
 メールの続きはこうだ。
 『今夜0時、五代駅で待つ,君には事の顛末を全て見る権利がある』
 この行動はスプーキー単独のモノではなかろうか?
 他のイリーガルコネクションのメンバー全員の総意ではないはずだ。あまりにも強硬すぎる。
 だが分からなかった。
 スプーキーをここまで駆り立てるものはなんなのだろう?
 私怨? それとも己の高潔過ぎる理想?
 俺はそこまで考え、頭を横に振った。
 想像は所詮想像の域だ、意味はない。
 問題は俺は同行するか? ということ。
 考えている間に、しかしいつの間にか体が動いていた。
 ”さて、どうする?”
 ここまでやるべきなのだろうか?
 だがコレ以上知りたいという気持ちがある、そして今の皐を世の中に出してはいけないという危機感、そして止めたいという僅かながらの正しいかどうか分からない正義感がある。
 同時に、この一歩を踏みこむのが恐かった。
 こんこん
 と、俺は何か音を聞いた気がする。
 こんこん
 いや、確かな音だ。
 「にゃー」
 「窓か、ミィ?」
 いつ部屋に入りこんだのか? 猫のミィがカーテンのかかった窓を見上げている。
 ここは2階、窓の外に誰かいる??
 俺は立ち上がり、恐る恐る窓に歩み寄り…
 シャ!
 カーテンを開ける、と、そこには。
 「こんにちわ、誠一さん」
 「乙音ぇ?!」
 窓の外、ここは一般的な家屋の二階だが、その屋根の上で乙音が笑って手を振っていた。
 俺は窓を開く。
 「どうしたの、窓からなんて…」
 「いえ、ちょっとお聞きしたくて…あら、何処かへ行かれるところでしたか?」
 靴を脱いで部屋に上がった乙音は、俺が無意識の内に取り出して床の上に出していた物を眺めて言った。
 「ん、ああ、ちょっとコンビニにね」
 「コンビニに行くのにスタンガンが必要なのですか?」
 「最近物騒だからねぇ」
 乙音は俺にニッコリ、微笑んで、
 「右斜め45度のアッパーカット!」
 ゴス!
 「うぐぅ!」
 体が浮いた様な気がする。目の前の乙音の姿が、歪む。
 「貴方を行かせる訳にはいきません、ごめんなさい」
 それが、俺が意識消える前に聞いた言葉だった。



≪Site of Otone/Iori≫

 乙音は誠一のPCを覗き込む。
 「起きなさい、雪音」
 ぽん、モニターを叩く。
 返事はない。
 「こら!」
 「何ですか、母上?」
 声が反応した。少女の物と思われる声だ。
 「誰が母ですかっ!」
 「貴方が私を生み出したのではないですか?」
 「だからってこの若さで一児の母は嫌です! せめて姉になさい」
 「…はい、姉上」
 不毛な会話だった。
 乙音は「まったく」と呟きながら人差し指でPCのUSBコネクタに触れた。
 「さ、雪音。今渡した映像ファイルを誠一さんが起きたらちゃんとお見せするのよ」
 「連れて行けば良いじゃないですか」
 「誠一さんを危険な目に合わせる訳には行かないんです」
 「過保護…」
 「…これは結局のところ、スプーキーと、私である伊織の私闘です。こんなものに誠一さんを付き合せることなんて出来ませんわ」
 苦笑。
 「まぁ、死なない程度に頑張ってきてください」
 まるっきり他人事のように返す雪音だ。
 「機械は死なないわよ」
 「そうですか? でもきっと姉上が『壊れる』と誠一は悲しむと思うけど?」
 「そうだとしたら、私は幸せに『死ねる』と思うわ」
 「にゃー」
 足下の声に、乙音は我に返る。
 「ごめんなさい、ミィさん」
 猫の頭を撫でる。と、乙音は驚いた様に口に手を当てた。
 「付いてきてくれるんですか?」
 猫は乙音の肩に乗り、首に巻きつく様にして体制を維持。
 「力強いです」
 もう一度、猫の頭を撫でつつ乙音は、倒れた誠一の頭の下に枕を敷いた。
 「ごめんなさい」
 愛しげに彼の前髪に触れ、頬を撫でる。
 彼女は彼の寝顔を見つめ微笑むと、僅かに屈んで唇を寄せた。
 「行ってきます」
 そして現れたときと同じく、窓の外へと姿を消したのだった。



≪Site of Camera≫

 彼女は伝えてくれた友に協力を仰いだ。
 彼はこのイリーガルコネクションにおいては、セージに次ぐ『常識人』である。
 また彼女に対しては昔から惜しげのない協力をしてくれる。
 彼に言わせれば彼女は彼の娘のようなものなのだそうだ。
 いつか会えるのなら、彼女にとっては会ってみたい人物ではある。
 彼女――アリスはインスタントメッセージで彼――リトルバードに指示を与える。
 「リトルバードはSECOMのサーバーにアタックをかけて」
 『分かった。君はどうする、アリス?』
 「乗り込んで直接セキュリティシステムを叩くわ」
 『危険だぞ』
 「大丈夫。取り敢えずこの件は他のメンバーには秘密よ」
 『分かっている,しかしスプーキーをどうやって止める??』
 「止まらないわ」
 『皐には僕は反対だが、次世代につなぐOSには違いないと思う。それを破壊することは国際的にも問題があるだろうし、様々な業界にも被害が出るだろう』
 「その時にはその時。今までそうしてきたでしょう?」
 『それもそうだ、な。そういえば直接叩くと言ったが君は今何処に?』
 「現実世界の同志の近く」
 『へぇ、君に認められるなんて、相当力があるんだね』
 「そうね、私の力の源、かしら」
 ノートPCを叩きながら彼女は微笑む。
 彼女の予想が正しいならば、まだ『彼』は部屋で気を失っているはずだ。
 ”嫌になるくらい考え方が似てるわね、乙音”


 五代駅。0:00――
 一台の真っ赤なMR.2に向かって乙音は歩み寄った。
 メールに書かれていた詳細の通り、この中にスプーキーはいる。
 コンコン
 助手席側をノッキング。
 扉が開いた。乙音は確認なしに乗り込む。
 「セージは来ませんよ」
 運転手に彼女は告げた。
 乙音を睨む運転手の左目は機械の光が灯っている。
 「……何者だ、お前は?」
 問い。
 「知りませんか? 私は貴方を知っています,過去と現在において」
 運転手――スプーキーは瞬考,そして、
 「伊織、か?」
 「過去は。そして今は乙音」
 スプーキーの生身の右の瞳に驚きが広がる。
 が、特に追求するつもりはないようだ。小さく微笑むのみ。
 「まぁ、いいわ。私としても彼をこれ以上巻き込むつもりはないから。ただ、彼には事の顛末を見ておく権利があると思っただけ」
 「貴女のこの行動は、事の顛末に至るのでしょうかね?」
 「手厳しい意見だな」
 スプーキーは苦笑。
 「それに現実世界で,ということでならすでに彼を十分巻き込んでいますわ」
 「そうだな。それだからこそ乙音、お前がここにいるという訳か」
 「それに……私自身の為でもありますから」
 呟く乙音は己の胸に手を当てる,死して彼女の記憶となった人格に祈りを捧げ。
 二人を乗せたMR.2は走り出した。



≪Site of Seiiti Itimura≫

 「ん…」
 俺は白濁した意識の中から這い出した。
 目覚めはどうも宜しくない。
 「おはようございます、誠一さん。良く眠れ…」
 雪音の声で完全に目が覚めた。そして眠る前の記憶も。
 「眠たくて寝てた訳じゃないわー!」
 ビシッとモニターに向ってツッコミ。
 「一体、乙音の奴は何を考えて…」
 そこまで呟き、俺は雪音を見る。
 ある1つのひらめきが、形を成した。
 「雪音、お前、乙音に情報を流してないか?」
 「そんなことしませんよ」
 「本当だな?」
 念を押す。
 もしも雪音がスプーキーからのメールを乙音に流していたとするのならば、彼女が俺を止めるためにこの行動に及び、そして次に彼女がどうするのか見当が付く。
 「本当ですよ。だって私と姉上とは、ほとんど一心同体ですもの」
 「…はぃ?」
 「情報を流すなんてルーチンは必要ありませんから」
 「あほー!!」
 叫ばずにはいられない。筒抜けとは………
 「それはそうと姉上から渡されたファイルがあります。見てください」
 簡単に受け流された気もするが、俺は映像に目を移した。
 それは、荒い映像であった。
 「…これは?」
 「えと、何でも伊織とかいうAIの記憶だそうですよ」
 それはおかしいといえばおかしい映像だった。
 背景が森の、どこか別荘地らしき風景。
 そこにはスプーキーらしき人物が映っている。
 それも、若い。おそらく彼女が10代,5,6年前のものだ。
 そしてそこにはキツネ目の男シャーウッドと、そして現橘ネットワーク社の社長がいた。
 映像の主は伊織であろう、三人にお茶を出している。
 3人は卓を囲んで広げられた資料をあれこれ議論しているようだった。
 それを伊織は微笑えましそうに見つめている。
 “スプーキーは橘ネットワークの社長に面識があったのか?”
 それもシャーウッドにも、である。
 乙音がこの映像によって俺に伝えることは二つ。
 今回の皐に関する妨害は、スプーキーの私的な事情が含まれている事。
 そして乙音の母体である前AIの伊織は、橘ネットワーク社社長か、先代社長の所有物であったということ。
 俺は先代社長の物だった様に思えた。
 そうすると繋がるのだ。
 伊織を破壊しようとしていたシャーウッドのその行動の意味に。
 伊織の記憶には彼らが外に漏らされてはいけない情報が眠っている
 それはきっと、先代社長の死に関連していると思う。
 もっともそれらは想像の域だ。けれど自信がある。
 もう一つ、映像からは同時に何か変なものを感じた。
 生き物を、まるでそっくりの作り物に変えたような違和感。
 それは映像の中のシャーウッドからである気がする。
 彼の年齢はもともとはっきりしない風貌なので何とも言えないが、変わっていないような気がするのだ。
 この映像と、この間出会った現実とは何かが違う。
 そう、この映像こそが、本来の姿のはずだ。
 ……のような気がする。
 「何なんだろうな?」
 考えるが、分からない。
 俺は時計を見た,時間は0:00を過ぎたところ。
 スプーキーはもぅ、行ってしまっているだろう。
 俺はキーボードを叩いた。
 通信回線を開き、インスタントメッセージを稼動させる。
 先はアリス。すなわち若桜さんだ。
 『セージ、どうしたの?』
 僅かな間を置いて返ってくる反応。
 「スプーキーだよ! 知っているんだろう? 君の姉さんがやろうとしていることを!」
 『ええ』
 「何で止めなかった? 警察に捕まるぞ、不法侵入その他もろもろで」
 橘ネットワーク社の警備は厳重だ。それはサーバーへの侵入を試みた俺が唯一知った情報でもある。
 『スプーキーは私が何を言ったからって考え直す人じゃないもの』
 「だがな」
 『セージも付いていこうと思ったくせに』
 「何でそれを?」
 『やっぱりね』
 メッセージの向こうから含み笑いが聞こえてきそうだった。
 『私達ははっきり言うと、すでに犯罪者よ。データの不法取得を始めとしてね。そしてそれはセージ、貴方も同じ』
 「それはそうなんだけど」
 『虚構での行為と現実での行為、それはどこが違うのかしら? 結局、私達はそれぞれのルールで動いているに過ぎない』
 「それぞれのルール?」
 『法は一般的なルール。けれど私達はそれに従うことができない、それだけのこと。それを悪いと思えるのなら、貴方はまだ引き返せるわ』
 挑戦だった。
 電脳空間では法の外を歩きやすい、何故ならこの身を使っている訳ではないからだ。
 所詮、今までの皐に関する俺の追及は子供の遊び程度に過ぎない。
 直接この手を、足を使って渦中に飛び込むことはしていない。多少は危険もあったが、やはりう安全なところからしか手を下していたのだ。
 しかし現実では直面する。
 きっと恐いだろう、もしも乗り込んだとしたら、その場でこんなことに関わらなければ良かったと思うに違いない。
 現実と虚構,この2つの差は大きく、そして実際は限りなく近い。
 俺自身の行動は、自身に責任を持ってなされなければならないのだ。
 改めて知る。
 それを彼女は問うている。
 俺は考える。
 ここで逃げ出したとしたら、確かに普通の社会人として戻ることが出来るだろう。
 これまでのこともちょっと危ない思い出の一つとして心の隅に残るだけだ。
 だが、ここまで関わって逃げ出したのなら、どれだけ長生きしようとそんな人生に意味はあるのだろうか?
 答えは決まっている。
 「俺は俺の思う侭に行動する。それが正しいと思うからね」
 俺は立ちあがった,『ここ』では何も出来ない。
 俺にはハッキングに関する技術は秀でていないのだから。
 だから俺はスプーキーの後を追う、行き先は分かっている。
 この時間だ、自転車…で行くしかないか。
 思った時だった。
 プップー!
 窓の外で遠慮したように鳴るクラクション。
 そしてエンジン音。
 ハッと反射的に窓の外を眺める、そこには。
 『迎えに来たよ、セージ。賢者の名を持つ者よ』
 モニターに映る文字を確認することなく俺は荷物をまとめて、彼女の跨る原付きに向けて玄関へ駆け下りたのだった。



≪Site of Camera≫

 スプーキーと乙音を乗せた赤いMR.2は一路、郊外にある橘ネットワーク社へと向かう。
 そしてこの時、交通通信網OBSを通じて彼女らの接近がすでに彼らに察知されていたことを、スプーキーは知らない。


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