You look at knif.
You cut an apple.

 

 深夜0:10――
 俺は家族に気づかれない様、玄関から家を抜け出した。
 「こんばんは」
 そこで待ちうけるのは意外――でもないかもしれない。
 若桜 玲,俺の同級生であり、俺と付き合っているのに限りなく近い子でもある。
 しかし今はその面ではない。
 スプーキーの妹であり、イリーガルコネクションでの知的実力者・アリス=リデルとしての顔だった。
 暗紫色のパーカーを羽織り、ゴーグルのついたヘルメットをかぶっている。
 真新しいべスパに跨り、膝の上にはA4サイズのノートパソコンが開いていた。
 「…またパクッたのか? ってか無免許かよ」
 「違いますっ! ちゃんと原付きの免許取って、これも自分で買いました!」
 開口一番の俺の言葉を、力一杯否定する若桜さん。
 「ともかく…行きますよ、市村さん。しっかり私に捕まってくださいね,とばしますから」
 言って彼女は俺に『安全第一』と書かれたヘルメットを手渡した。
 「…現場っぽいヘルメットだね」
 なんか裏には『中島』とか名前らしき物が書いてあるし。
 「それはここに来る途中で無断借用してきたものですから」
 「おいおい…」
 結構汗臭いそれをかぶりながら、俺は彼女の後ろからべスパに跨った。
 「あんまり絵にならないなぁ」
 「そーですか?」
 若桜さんの細い腰に腕を回すと同時、ペスパは急速発信!
 「時間がありません,最終機能を使います!」
 「はぃ?」
 風の中、彼女は叫ぶ。
 「ニトロ、オン!」
 ドグワッ!!
 マフラーがバーストしたような、爆音と同時、
 「?!?!」
 まるでロケットに跨っているような加速という感覚を受けながら俺達は一路、郊外に建つ橘ネットワーク社のビルへ向って夜を駆けた―――


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不連続設定

Part.16 月夜に踊る



≪Site of Camera≫

 深夜1時、梅崎邸。
 「こら、沙菜。そろそろ寝なアカンよ」
 「え〜、明日はお休みだよ」
 彼はタイヤネコの抱き枕を抱えてソファに寝そべる妹にきつく声をかけた。
 しかし少女は頬を膨らませてTV画面に視線を戻す。
 「いくら休み言うたかて、明日は明日で朝は起こすで」
 彼女――沙菜はソファから起きあがり、背後の兄に振り返った。
 「お兄ちゃんが寝たら、私も寝るよ」
 「僕はこの後のガキの使いを見るんや。それから寝るさかい」
 「じゃー、私も起きてるっ!」
 「……しゃーない奴やなぁ」
 圭は溜息一つ,沙菜の隣のソファに腰を下ろした。
 それを待っていたかのように沙菜は圭に寄りかかる。
 「眠いんなら、はよ寝ぇや」
 「全然眠くないよ」
 抱き枕の顔を埋めながら答える沙菜。
 圭はそんな妹を一瞥した後、TV画面に視線を移した。
 画面の中ではニュースキャスターがアメリカで起こっている抗議行動の現場を映し出している。
 『日本大使館には近日発売予定の家電OS『皐』に対する抗議する技術者達が詰め掛けています』
 「皐、か」
 「なにそれ?」
 「TV見とれや、説明してるさかいに」
 『皐は時変暗号機構と呼ばれる、一定時間ごとに異なる暗号パターンへと変化しOS自体を完全暗号化させる機能を持っております。これは悪意ある者が遠隔操作により特定家電へのクラッキングを行う事によって引き起こされる惨事を防ぐことを目的としたものです』
 「難しいね…」
 「まぁね」
 『変化するOSと銘打たれた皐は、この特性の為に所有者であってもオペレーティングシステムとして直接扱う事が出来ず、あくまで家電のデバイスのみで作動いたします。押し寄せた抗議行動を取る技術者達は、この時変暗号機構を外した皐のシステム公開を求めております』
 圭は苦笑する。
 暗号を外された雛型の皐を公開したら、暗号化している意味がない。
 これは家電のOSだからこそ可能な事なのだ。もしもPCのOSが皐のようだったとしたら、PCとして機能しない。
 一般人は家電のOSを直接いじろうとは過去にも未来にも考えない。家電はボタンを押して機能すれば、それで良いのである。
 そんな家電のOSの全貌を公開しろという抗議は、二つの自己の醜態を晒しているだけだ。
 一つは己がクラッカー候補であるということをメディアに晒してしまっていること。
 そしてもう一つは、戦う前から皐を製作したプログラマーに白旗を上げていることを。
 と、圭はふと釈然としないものを画面の中から感じた。
 訴訟の多いアメリカにおいてこの対日本である抗議行動は大きく発展すると彼は思っていたのだ。
 しかし日本の官僚には珍しいほどの素早い対応とはっきりした解答で公開を拒否しているし、それをアメリカの官僚側も支援しているような雰囲気がある。
 さらに突き詰めると、国は違えど共に公僕であるにも関わらず大きいとは言え、一企業の為にここまで動くとは…
 ”いくら貰っているのか……それともあの噂は本当かな?”
 思う。
 噂とは、皐には盗聴機能があるということ。
 その噂も電脳空間でのみ囁かれる酷く曖昧なものだ、いや、その噂が意図的に世界から消去されている感もある。
 噂の盗聴機能,もしもそれが本当ならば各国の公安が諸手を上げて支援するだろう。
 「ま、僕には関係ないことやけどね」
 次のニュースをボンヤリ眺めながら、圭はあくび一つ。
 その時にはすでに、彼の膝の上で沙菜が穏やかな寝息をたてていた。



 一人と一台と一匹を乗せたMR.2は辿りつく。
 深い森の奥に聳えるビルに。
 橘ネットワーク社。
 ゆりかごから棺桶までを扱う橘グループのソフトウェア部門の一つ。
 唯一の国産家電OS『雅』を製作する橘傘下の会社である。
 従業員数およそ20名,売上高は派っきりとしてはいないが天文学的数字である事は確かだ。
 この子会社は小人数である事も手伝って、社長である布施の独断により経営潮低る部分が強い。
 現在は初代布施社長の一人息子、海斗が実験を握っている。
 先代は新OS開発のプレッシャーによって追い込まれ、社長室から飛び降り自殺した。
 そう世間には発表されているし、警察もまたそう報告している。
 そしてそれは、海斗を良く知っているものが皆無な為に疑いをかける者はいなかった。
 ともあれ、橘グループが自社の商品を世界に進出する為にそのサポートとして開発する新OS『皐』。
 その発表は公式においては数日後となっていた。
 OS『皐』。
 その家電を中心に用いられるであろうOSは、一部の人間によって裏に隠された真の機能が明らかにされていた。
 だが、社会的に身分の低い、ともすれば噂やでっち上げにも取られかねない電脳空間での話を、まともに取り上げる現実世界の人間はいなかった。
 いや、それすらもコントロールされていたと言った方が良いだろう。
 家電に搭載されるOS,それ自体の販売及び拡充はすでに日本国としての利益と世界をリードすることにダイレクトに結びつくことを意味しているのだから。
 だからこそ、彼らは牙を剥く。
 自らの意志を強い力を潜り抜けてこの世界に発現させる為に。
 その意志を乗せた車は門の前に止まる。鉄で出来た門だ。
 車が止まると同時、門がゆっくりと内側に開いて行く。
 車の運転手は不敵に微笑んだ。門が開く事の意味を知ったが為に。
 「フン,全て海斗、お前の仕組んだ罠だってことかよ」
 機械の左目には論理の光を、右目には意志の光を灯して彼女は唸る。
 そんな女に、助手席の人形は無言のままフロントガラスの向こうを見つめる。
 迷う事は、なかった。
 そしてMR.2は自ら、罠へと飛び込んで行ったのであった。



 橘ネットワーク社裏門――
 一台のべスパと、ノートパソコンを手にした少女と、『安全第一』と書かれたヘルメットをかぶった少年とが暗闇の中にうごめいていた。
 「死ぬかと思ったよ…」
 「梅崎さんが免許合格祝いに改造してくれたんです」
 少女,若桜 玲はヘルメットを脱いだ少年に笑って答える。
 「…勇気あるねぇ」
 そんな彼の言葉を笑って聞き、玲は裏門に設置されたカードリーダーに彼女のノートパソコンから伸びたカードを通す。
 ピピピッ!
 BEEP音が暗闇の中に響いたかと思うと、カシャリ,裏門の鍵が一人でに開いた。
 「これでこの施設のセキュリティの70%が私の手に落ちましたわ」
 「70%か、気を付けて行こう」
 「ええ。それとついさっき、リトルバードがSECOMのサーバーにアタックをかけて、一時的に麻痺状態にさせています。今が気付かれずに入るチャンスですね。もっとも私の方もリトルバードの方も、もって1時間ですけど」
 「そか。ちゃっちゃと皐のマスターディスクを手に入れるか、改変するか、壊すかして、スプーキーを助けたらこんなとこからおさらばしよう」
 「はい!」
 先行して扉を開けて暗闇の広がる敷地内に入る彼の後ろを、玲は続く。
 彼――誠一のシャツの端を強く掴みながら。



 彼らはそこで待っていた。
 橘ネットワーク社サーバーシステム。
 先程までは二人の前には大きな扉が二人の前に立ちはだかっていた。
 だが、今はもぅない。
 あるのは警備の力を通常の五分の一以下まで低下させた、データの山という名の迷宮。
 しかしここは現実ではない。
 ここは電脳世界、だ。
 姿形が、己の実力に応じて変化する虚構の世界である。
 開けた門の前に立つのは二人。
 白銀の翼とがっしりとした鎧を持つ機械仕掛けの天使――パワー。
 まるで中国・清の皇帝のような服を纏った鋭い瞳の男――エンペラー。
 二人は扉が開くと同時に、それを監視していた目が弱くなったのを気づいた。
 それはSECOMによる顧客サーバー防御機構。
 「さすがはアリスとリトルバードだ」
 呟くはパワー。しかしそれにエンペラーは異を唱える。
 「恐ろしいのはアリスとリトルバードの支援を予期していたスプーキーの方であろう」
 「ふむ、確かにあの二人はお人好し過ぎる」
 「だからこそ、我々がしっかりフォローしてやらぬといかんな」
 エンペラーの現実世界の人物像を知る者ならば、その発言に驚いた事だろう。
 そして次のセリフがいつもの彼であることに大きく納得するはずだ。
 「もっとも私を差し置いて世界を征服しようなど、許されるものではない。この世界を征服するのは私なのだ、ヒャーッハッハッハー!!」
 「バカ笑いしてないで行くぞ、エンペラー」
 パワーは自分が誘っておいてなんだが、エンペラーに対して一抹の不安を覚えつつも橘ネットワーク社のサーバーへと侵入していった。



 MR.2は敷地内の中庭を抜け、ビルの入り口に堂々と停車した。
 ゆったりとした動作で降りるは二人の女性。
 二人がビルの前までやってくると同時、両開きの自動ドアが開いた。
 暗黒だったビル内の照明の一部が点灯する,これから行くべき道を誘う様に通路の照明のみが浩々と輝く。
 だが、自動ドアの向こうには立ちはだかる様に一人の男の姿があった。
 キツネ目の30代くらいの茶色のスーツを纏った男だ。
 彼は恭しく二人のお辞儀する。
 「遠路はるばる良くおいで下さいました,機神スプーキー、主の古き盟友」
 「ちっ、やはり皐搬出はファウストの流したデマか」
 機械の瞳を持つ女性は舌打ち,それに男――シャーウッドは微笑みながら首を横に振った。
 「事実ですよ、だからこそ主は貴方をここに呼んだのです。さぁ、最上階で貴方をお待ちですよ」
 「…どうでも良いが似合わない丁寧語はやめろ」
 スプーキーはシャーウッドに一瞥くれると、彼の脇を通り過ぎてビルの奥へと足を踏み込む。
 そしてその場にはシャーウッドこと魔術師・有森と、乙音だけが残された。
 「まったく。このことを鴨がネギをしょってやってきたと言うのだろうな」
 有森の言葉に、乙音は無言。
 「先日から失敗続きだが、今宵は貴方を完全に機能停止させてやろう,伊織」
 彼に対し彼女は無表情のまま、ただ彼を見つめている。
 「機能停止の後は、回路の欠片も残らないくらいに分解してやろう」
 有森が懐から取りだしたるは銃身のほとんどない短銃・デリンジャー。
 パンパン!
 乾いた音が、三日月の暗く輝く夜に響き渡った。



 暗闇の中、男女は足音を忍ばせて駆け抜ける。
 「市村くん、よくこんな暗い中を歩けるね」
 「夜目は効くんだ、俺」
 彼はここ橘ネットワーク社のビルの構造図が映し出されたノートパソコンを右手に,もぅ片方は足のおぼつかない若桜の左手を握り締め、闇の中を疾駆する。
 「地下5階にメインコンピュータ室か……まるで秘密基地だなぁ」
 エレベータを使わずに階段だけを駆使し、進む二人の当面のゴールはあと少しだった。
 直立二速歩行する、まるで『I will be back』とか言いそうな、赤い視覚センサーを闇の中に2つ輝かせた金属性の骸骨に出会うまでは……



 スプーキーは照明灯に導かれるままにエレベータに乗り、最上階へと辿りついた。
 目の前には社長室と書かれた両開きの扉。
 彼女は一切の躊躇なしに扉を開いた。
 そこは冷たい月明かりだけが支配する広間……
 そしてその白い光に身を晒して、杖を片手に彼は立っていた。
 「ようこそ、スプーキー」
 「お久しぶりね、ファウスト」
 感情のこもらない声で答え、スプーキーは部屋に足を踏み込む。
 同時に扉が閉まり、自動的にロックされるが彼女はそれに振り向かない。
 二人はお互い歩み寄る。
 そして、互いの距離が3m程の所でお互いに足を止めた。



 乙音の広げた右手の指の間に、2発の弾丸が挟まっていた。
 有森の眉が僅かに不快そうに歪む。
 「デリンジャー、護身用の銃。主用途は牽制であり、標的に当てることを目的としたモノではない」
 乙音の抑揚のない小さな声が響いた。
 「銃身のほとんどない銃はそもそも弾道が安定しない。にも関わらず、貴方の狙いは正確だった。これは何を意味しているのか…貴方には分からないでしょうね」
 「? 何を言っている?」
 彼は乙音を銃でしとめるのは無理と悟ったか、懐にしまい代わりに一枚の黒い札を右手に取り出した。
 「私は貴方の正確な弾道を計算してこうして受けとめた,貴方は弾道を計算して私を狙った。つまりはそういうことよ」
 乙音の言葉を無視し、有森は右手の札を起動させる。
 呪文という言葉の羅列により、札というフィルターを通して精神力を物質的力に変換。
 まるで非科学的な、かつて名を冠せられなかった神と精霊が大地に息づいていた頃に開発された、欧州の辺境に伝わる名もなき西洋魔術。
 「Flame!!」
 生み出された炎の青白さは、赤き炎など比べものにならないほどの高温である事を物語る。
 カッ!
 青白い閃光を夜空に撒き散らし、青き竜は乙音を呑みこんだ!
 「怨……」
 炎の中での小さな呟きが聞こえる。
 すると炎の竜はまるで蝋燭の炎を吹き消すかのように消失。
 代わりにその場に居るのは焼けた乙音ではなく、片手に二枚づつ、両手に4枚のセーマンが描かれた札を手にして僅かに微笑む、涼しげな彼女の姿があった。
 「たかが人形が陰陽術を使役できるだとぉ?」
 一歩後ろに飛び退き、身構える有森。
 そんな彼を乙音はまるで捨てられた子犬を見下ろすような瞳でこぅ、告げた。
 「可哀相な人、己の事も知らないなんて」
 ピクリ,有森の頬が引きつる。
 お構いなしに、乙音は一言を放った。有森が己の人格を崩壊させないように無意識の内に起動させていた自己保存プログラムを崩壊させる一言を。
 「貴方,過去はあるの?」



 パワーの振り下ろした豪腕が、サーバーを守る防除プログラムである巨大な蜂を一撃の下に粉砕する。
 その背を預ける様にして、エンペラーが迫り来る蜂を撃退してゆく。
 こちらは無数とも思われる雲霞のような羽蟲の雲で、蜂を飲み込むのだ。
 飲み込まれた蜂は穴だらけになってゴミデータと化す。
 「さすがにキツクはないが、最低限の警備だけはされているな」
 「ああ。しかしこれくらいならば我々のクラッキング能力でどうともなる」
 そしてパワーとエンペラーはお互い微笑んだ。
 しかしこの時、彼らは気付いていない。
 物陰に隠れて彼らの後を付けている赤い巫女の姿を。



 「「?!?!」」
 暗闇の中、迫り来るそれに思わず悲鳴を挙げそうになった若桜の口を押さえつつ、市村もまた突然の遭遇の驚きで心臓が高く鳴っていた。
 「落ちついて、若桜さん。橘ネットワーク社は橘重工のメイドロイドに搭載されているアクア オブ ソウルのソースコードを書いてるんだよ。だから警備のロボットがいてもおかしくない」
 「…そ、そうだけど、ビジュアル的に恐いよ」
 黒い金属で作られた警備ロボットの身長は160cmほど。
 メイドロイドから有機体を取り払ったようなフォルムは、それ故に嫌悪感を誘うものだった。
 その警備ロボットは案外スムーズな動きで市村に襲いかかる,右手には圭棒のような物を持っている。
 「若桜さんは後ろへ!」
 市村は懐からスタンガンを取り出した。
 パチチッ
 スイッチを入れる,一瞬青白い光が闇に生まれ、生じた五万Vの電圧によって空気が焼ける匂いが漂う。
 警備ロボットが警棒を振り下ろした。
 同時、市村もまたスタンガンを突き出す,乙音を通じて知っている、弱点である動力制御のある左胸を狙って。
 市村にはその一瞬、時が止まって見えた。
 まるでいつもの様に弓道場で矢を射る瞬間、全ての時が止まって見えるが如く。
 狙う先に自然に腕が伸びた。
 無駄のない、空間と同一化したような錯覚……
 「っ!」
 若桜は思わず目を閉じる。
 ズシャ
 重たい音を立てて床に伏せるは警備ロボットの方であった。
 「さ、急ごう」
 額を拭った市村は、若桜の手を取る。
 「あ…!」
 「時間がない」
 掴まれた市村の手から、汗ではない,ぬめりの帯びた液体の感触を若桜は覚えたが、強引に手を引かれ追求する事は出来なかった。



 窓の外が青白く光った。
 ”有森と乙音がやり始めたか,まぁ、良くて相打ちかな”
 有森の構造を知るスプーキーは一瞬思うが、すぐに目の前の男に注意を戻した。
 「こうして直接会うのは何年振りだろう?」
 「それを貴方が分からないかしら、ファウスト?」
 苦笑するスプーキー。
 「貴方が片足と夢を失い、私が左目と光を失った三年前のあの日を」
 「私は失っちゃいないさ。夢は君達に潰されたが、失ったのならばまた作れば良いだけのこと」
 カツン、杖で軽く大理石の床を叩いてファウスト――布施 海斗は告げた。
 「そして私ならば君に光を与える事が出来る。私の下へ戻って来い、スプーキー」
 沈黙、そして
 「ククク……ハッハッハ!」
 スプーキーは笑う,心底面白おかしく。
 「愚かだよ,ファウスト。私の光は2度と戻らない、アンタがアンタである限りね」
 「お前は変わらないな、羨ましいと思う反面、哀れだよ」
 海斗は溜息一つ。彼をスプーキーは疲れた微笑みで見つめて言った。
 「女は理想と決めたものに対しては、どこまでも理想であるのさ。現実へ妥協はしない。それがわからないアンタこそいつまでも変わらない、朴念仁だよ」
 「…そうかい。誉め言葉として受け取っておくよ」
 「楽天主義だね、まぁいいさ。どんな形であろうとアンタが私の光に近い位置にいる事に対してはある程度、礼は言うべきなんだろうからね」
 「はっきりと礼は聞きたいがな」
 やや不満げにファウスト。
 「ふん,お前が現実に走らなければ礼どころか、この体を捧げていたさ」
 古い昔を振り返る様にスプーキーは回想する。
 「不可能と言われていたザナドゥ・プロジェクト。すべてを繋げ、果てしなく成長していく巨大なデータベースシステム……」
 「テッド・ネルソンが1960年に提唱したハイパーテクスト構想。それを実現し、全人類に平等に情報を分け与えることで国境をなくそうと考えたな、あの頃の私達は」
 「不可能ではなかった、けれど可能でもなかった」
 「だから私は現実を見た。もっとも実現するに至る効果的な方法を選択した」
 「引き換えにしたものは私達の魂だ。だから私はアンタを許さない」
 「夢を実現するにはこの手を汚さなくてはならない,そして後で手を洗えば良いだけのことさ」
 「……アンタが汚れるのは良い,だがそれによって全てを支配し得る存在が生まれる。それを私は許さない」
 「だから皐を止めるか、君は?」
 「だからここにいる」
 ドグン!
 花火が暴発したような爆発が階下で起こる。
 最上階であるここには僅かな音と、壁一面の窓の外から赤い光が月明かりを一瞬呑み込んだに過ぎなかった。
 「シャーウッドが壊れたかな?」
 「その名はよしてもらいたいな,あの人に失礼だ」
 「…妬けるな」
 海斗の漏らした言葉に、珪は初めて純粋な微笑を浮かべる。
 それはとても寂しい微笑みだった。



 「過去、だと?」
 せせら笑う有森。
 「そんなもの…」
 と、その表情が変化する。何か恐ろしい物を見て、強張った顔つきに。
 「私の過去…だと?」
 「ええ、そう。貴方の過去」
 後ろへ一歩,二歩、よろめく有森。
 「私の過去は……」
 「ないでしょう? 当たり前よ、貴方は私と同じ、人の形をしたモノなのだから」
 「ふざけるな!!」
 どこから取り出したのか、両手全ての指先に魔符を貼りつけて有森は絶叫。
 「私は有森 総一郎,海斗様にお仕えする者!!」
 「そう、貴方は人に仕えるメイドロイド。己を人と思い込んでいる欠陥品」
 「だからどうした,私の存在意義は主の力となること、それだけで良い!」
 乙音は内心舌を打つ。
 有森の攻撃力は明らかに乙音のそれを上回る。彼の精神の混乱に乗じて倒すつもりだったが、開き直られてしまった様だ。
 ”せめて相打ちに持って行きたいところだけど…少しでも隙があれば”
 ――バン ウン タラク キリク アク
 乙音は空中に印を一言づつ刻みながら五芒星を描いてゆく。
 するとどうであろう,何もないはずの乙音の前の空間に、白く輝く五芒星が出現したではないか。
 乙音はその輝く白線で描かれた図形の中心に右腕を差し入れた。
 「出でよ 破敵剣!」
 引き出されたのは銀色に輝く一本の剣。
 土御門家に伝わる阿部晴明が始祖の土御門神道が極意。
 立ち塞がるありとあらゆる障害を切り伏せる神の剣だ。
 「うぉぉぉぉ!!!」
 有森は剣を手にした乙音に向って、両手の札を全て起動させ走り来る!
 乙音はそんな彼を見やりながら、己の内に向って優しく呟いた。
 「伊織,これで全て終わりにしますね」
 今の力関係から行くと、一太刀でも浴びせれば大破とまでは行かないが、ある程度のダメージは与える事はできよう。
 乙音は同時に、誠一に己のふがいなさを謝りながら目前の敵を見据える。
 「ニャ!」
 その時だ、突として猫が一匹、二人の間に入る。二つの獣の瞳は有森を睨み…
 一瞬、有森の駆動系に停止が生じた。
 瞬間的な身体の停止は、有森の半ば混乱したA.I.では再復帰に多少のロスタイムを引き起こす。僅か0.1秒という空白の時間を。
 それを見逃す乙音ではない。
 有森の赤い烈波と、乙音の白銀の一閃が激突。
 破壊の力は轟音と共に夜の帳を引き裂いた。



 二人は橘ネットワーク社ビルの最深階へ辿りついた。
 照明を付け、市村は目の前の装置に唖然とする。
 「この施設は一体……」
 「これはアクア オブ ソウルです…ね」
 「なんだって?」
 問い返す市村、
 二人の前には直径3m、高さにして5mほどの巨大なガラスの円筒が立っていた。
 その中は澄んだ水色のジェルのような物で満たされ、その円筒を中心に様々な機材が接続されている。
 アクア オブ ソウル――橘重工がメイドロイドに使用する、謎のベールに包まれた有機体をベースにしているともっぱら噂のCPU。
 もっともメイドロイドに用いられているのは一立方センチにも満たない小さな部品なのだが。
 「そう、そういうことなの」
 若桜は一人、納得した様に呟く。
 「人の脳細胞と同じ…いえ、炭素の代わりにシリコンを用いた珪素物質。それがアクア オブ ソウルの正体であり、今回の皐にまつわる盗聴機構を一手に管理するスーパーコンピューターなんですね」
 「若桜さん、ってことはこれはPCなのか?」
 信じられないといった面持ちで問う市村。
 「ええ。どういう原理かははっきりとは分からない。でもこれはPCでいうところのCPUに同じよ」
 「でも、おかしいじゃないか。最新鋭の会社に、どうして伊織なんかよりも大きいアクアオブソウルが? 橘の傘下なら、もっとコンパクトなのがあるんじゃないか?」
 市村が言いたいのはどうぢてこんな巨大なCPUを敢えて使うのか? ということだ。
 伊織に搭載されているのはこんなに大きくない、それを流用すれば良いではないかというのが彼の言葉である。
 「旧式だから大きいというわけじゃないわよ」
 「え…?」
 あっさりと言葉を返す若桜。
 「もしもアクアオブソウルが大きさに準じて性能を上げていったとしたら…この処理能力は尋常じゃないわ。いえ、この場合はそう考えるのが妥当ですね。そして私の読みが正しいとすれば、このスーパーコンピューター一台で世界を乗っ取ろうと思えば可能なほどの力があるはず」
 「そんなバカな」
 「バカでしょうね,電脳世界で権威を振るっても、現実世界で押さえられては意味がありませんから。ですけど、これだけのパワーがあれば全世界の家電の制御と監視は可能ではないでしょうか?」
 「……そうか」
 若桜の真剣な表情と言葉に、市村は息を呑む。
 「ともあれ、ここに皐が隠されていると考えられるね、解析してみよう」
 「ええ」
 若桜は頷き、ノートパソコンをアクア オブ ソウルを主体としたスパコンに接続。
 ところが、
 「……ダメ、セキュリティが尋常じゃない!!
 悲鳴を上げる。
 アリスの四苦八苦する後ろ姿を眺めながらセージはふと思い出した。
 「セキュリティか…。若桜さん,ウチのPCを通してコイツに繋いでみたらどうかな?」
 アリスは訝しげにセージを見上げる。
 それはそうだ、わざわざダイレクトに標的であるスパコンに繋いでいるのに、何故わざわざ市村家にあるパソコンを一旦経由して繋がなくてはならないのか?
 「スプーキーに貰ったセキュリティ用のPCIカードがあるんだ。あの機能を逆手にとってセキュリティを破る方へ使えないかな?」
 市村がこの間、直接スプーキーと出会って持ち帰ったボードのことだ。
 若桜は「あ」と思わず呟いた。
 「あれ、私の理論を応用したやつなの。確かに効果的かも…」
 「よし、やってみよう!」
 アリスの細く長い指がキーボードの上で踊る。
 ほどなくしてテキストが一文、現れた。
 『雪音参上〜〜〜♪』
 「……変な音声認識ソフトね」
 「まぁ、乙音が作った奴だから」
 やがて、アリスの速攻で組み上げたプログラムは雪音を通して市村家のPCを経由,ふたたびこのノートPCに伝わって目前のスパコンへと侵入して行った。
 『突破』
 『突破』
 『突破』
 『突破』
 『突破』
 「すごい…」
 「力任せね」
 まるで強力な酸で壁を次々に溶かすが如くスパコン内に侵入して行く。
 やがて
 『最終セキュリティを突破しました』
 一文が現れると同時、暗号化されていない皐の全貌が明らかになった――



 二人は奥まったそこに置かれたマスターディスクに辿りついた。
 もう彼らの前を妨げる者はない。
 「辿りついたな」
 「早速コイツをコピーしてしまおう」
 パワーはエンペラーに頷き、そのCDドライブにアクセスを始めた。
 「READオンリーだな、破壊は不可能か」
 「なに、コピーしてしまえばあとはどうとでもなるだろう」
 と、彼らの顔色が瞬時変化する。
 「ブランクデータだと?」
 「一体どういうことだ??」
 否!
 「ソイツはトロイの木馬,悪性なウィルスだね」
 声は二人の背後から。
 「「赤の巫女!!」」
 叫んだ二人の姿は自らアクセスしてしまったウィルスによって穴だらけに霞み、そして。
 彼女一人を残して消え去った。
 「まだまだケツが青いね、イリーガルコネクション。だけど、良くやっているじゃぁないか」
 彼女の見つめる先はさらに奥。
 普通の者には見えない、さらに奥の電脳空間だった。
 しかし入り口が巧妙に隠されている。
 「さて、行きますかね」
 澄んだソプラノボイスで呟くと、彼女は腰に差した刀である攻撃デバイス『明星』をスラリと抜き、
 目の前の空間を切った!
 するとそこには一面の金属の壁が現れる。
 その壁の一部が、まるで酸を溶かしたように醜い穴を開いていた。
 「なかなかどうして、巧くやってくれる」
 ニヤリ、その白滋のような面に笑みを浮かべ、赤の巫女は穴をくぐって行った。


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