白銀の剣



Sixth Expression  木の上の方舟
 これは夢だろうか?
 俺はそう思いたかった。
 流れ来る記憶と感情の奔流。
 失われていたはずの時間,成してきたこと。
 それを取り戻すつもりはなかった
 だが、こうもあっさりと,それも寝ている間に思い出すとは。
 夢の中、俺は苦笑する。
 夢だが、記憶は夢ではない。
 「そう、これが俺様だ」
 俺の前に見慣れた顔の男が現われ、得意げに言う。
 「そうか、お前が俺か」
 「そういうことだな」彼は笑って消えた。
 目の前で、過去の記憶が展開される…
 悲鳴,嬌声,野卑な笑い,苦痛,泣き叫ぶ声,破壊衝動,傷つけること。
 これから俺が与えようとする死を前に泣きながら懇願する普通の男。
 借金のカタに売り出される女。
 酔狂な魔物をペットとして買う富豪に、餌として連れて行かれる子供。
 それを実行するは一人の男,良く知る顔。
 殺人,強盗,強姦,強請,タカリ…
 次々と喜んで実行するその男の視線が俺と合う。
 “これが俺だ”
 彼は笑ってそう言った。血塗られた手を開いて。
 「これが俺か…」血塗られた己の手を見て、言葉を吐く。
 彼が,いや俺が見下ろすは、半裸で放心状態にある女。
 明らかに襲われた跡のある彼女の無表情な顔に、俺は見覚えがあった。
 見覚え,というものではない。
 目を逸らしたかった,しかし、できない。
 俺はそんな彼女を見下ろし、嘲笑っていた。
 “レティア…”
 「そうだよ、お前は分からなかったんだな,彼女の苦痛をさ!」
 俺は俺にそう言い放ち、笑い転げる。
 「馬鹿だな,ホント。彼女がスキだって? アイツは俺のこと、嫌ってんに決まってんだろ!」
 「…そう、だな」俺自身の口から、そう言葉が漏れた。
 笑う俺は、それを聞きつけ、俺にこう耳打ちする。
 「どうせ手に入らないなら、無理矢理奪っちまえば良いんだよ,前みたいにな」
 そして俺は、
 そう囁く俺自身を思い切り殴り飛ばした!!



 「!!!」
 咄嗟に身を起こす!
 朝日が窓から差し込み、俺の額に当たっていた。
 手を開く。
 汗で滲んでいた。
 はっきりと思い出させる,過去の記憶。
 それは戻って欲しくないもの,そのものだった。
 「そうでもない」
 「!?」
 不意な声,それは枕元に立ったリアだった。
 おそらく、俺の不安定な心を見つけてやってきたのだろう。そして『見た』に違いない。
 「そうでもないって…?」俺は意見を求める。
 「お前は過去の自分を知ることができた,自分自身の過去を」
 「だがそれはろくなものじゃない」
 「でもお前の周りの人達,特にレティアは何だ?」
 「…何って?」
 「お前に酷い目に合わされて、でも今のお前を受け入れている。お前は自分の過去を認めたくはないけど、彼女はお前の過去をどう思っているのか?」
 「それはもちろん…」言葉が途切れる。昨夜見た彼女の微笑み,あれは演技か…
 「お前の記憶が戻ろうとも戻らなくとも、今時点のお前を受け入れている人達は多い。皆、お前の知らなかった昔を知った上で、な」
 「…ありがとう、リア」
 「私は真実を言ったまで」静かに、彼女は俺の表情を見て満足げに頷いた。



 昼に差し掛かろうとしていた時,出発を間近に控えた時間だった。
 馬の嘶きがあちらこちらで起きる。
 俺は騎士達の間を馬に乗って歩んでいた。
 騎士達にはスコップやつるはし等他に武器を持たせている,これはガイナからの連絡で竜がいると伝え聞いたからだ。
 「竜、か,住処なんだろうか?」
 「殿下!」声が届く。目を向けるとセルゲイが大股にやってくる。
 「ヤバ!」
 「もう止めませんよ」その言葉で逃走を止めた。
 俺は馬から下りる。
 セルゲイは何やら書類を俺に差し出した。
 「? 何だ、これ」
 「ガイナ殿の向った地は曰く付きの場所なのですよ」
 「…」俺は書類に目を通す。
 竜の守りし地,かつて魔王を名乗るものがいた地,呪いの掛かった地。暗黙の未踏の地。
 俺はそれらをざっと目を通した後、再びセルゲイに返す。
 「これをバランナに見せてくれないか? アイツなら何か伝承とか知っているかもしれない。もしかしたら…魔王の噂って言うのもあながち嘘じゃないかもしれない」
 「それでもやはり行くのですか?」
 「そんな噂が嘘じゃないのなら、なおさら行って片づけてこなきゃな」
 セルゲイは苦笑。
 「では仰せの通り、バランナ殿に伺ってみましょう。それでは怪我の無きよう,頑張って下さい」
 「父上を助けてやってくれ。任せたよ,セルゲイ」
 「はっ。では後がつかえております故」
 「?」謎の言葉を残して去っていく中年男。
 その言葉の意味はすぐ解けた。
 「…レティア!?」
 「? 何を驚いているんです?」セルゲイの背に隠れるようにして、彼女が立っていた。
 いつもの神官の服装に手に何か持っている。
 「い、いや…試験じゃなかったのか?」
 「丁度お昼休みなんですよ」
 「ふぅん、で、どうだった?」
 「今の所は…ベストは尽くせてると思います」微笑。
 「そっか,良かった」
 「…殿下?」
 「ん?」
 レティアは俺の顔をまじまじと見つめる。俺は目を逸らしてしまう。
 「…何を隠してらっしゃるのです?」
 「何も…」
 「では何故目を背けるのですか?」
 沈黙。
 「ふぅ」大きく息を吐いたのはレティアだった。
 「気になって試験に落ちてしまいますわ」
 「脅迫かい!!」
 「殿下が隠しておきたいことなら私は構わないのですけれど。ただ、殿下が何か苦しんでらっしゃるように見えて…」
 「…」
 無言の俺に、彼女は手にした包みを差し出した。
 「これは?」
 「お弁当です。お昼にでも食べて下さいね」微笑むレティア。
 「あ、ああ。ありがとう」受け取る。仄かな暖かさが手に伝わった。
 「では」背を向ける彼女。
 「ま、待った!」つい口を付いて出てしまう言葉。
 やはり言っておくべきだろうと思う。彼女の顔を真っ直ぐに見る為に。
 明らかに自分のしてきたことなのだ,背を向けてはならない。
 結果、嫌われるに違いないが、このまま曖昧にしておくのは結局、全てを駄目にしてしまうと思う。
 「? どうなさいました?」
 首を傾げ、レティア。
 告白は、おもいもかけずあっさりと口に付いて出た。
 「記憶が、戻った」
 瞬間、辺りのざわめきが妙に耳に大きく聞こえる。
 レティアの小さく息を呑む音も、聞こえたような気がした。
 そして…
 「そう、ですか。良かったのか、それとも悪かったのか,ただあるべきものが戻るのは、良いことだと思いますよ」精一杯の微笑みを浮かべて、彼女は言ってくれた。
 「…しかし、俺は」視線を落とし、俺は苦しく呟く。
 「殿下…」声に、俺は顔を上げる。
 唇に、柔らかいものが触れた。
 「?!?」
 一瞬の出来事。仄かに甘い香りを俺の鼻孔に残し、レティアは言った。
 「私、今の殿下を好きですから」
 頬を僅かに赤く染め、彼女は騎士達の間を走って去って行った。
 直後、俺は周りの騎士達にタコ殴りにされたのは言うまでもない…



 3日が過ぎた。
 「!!!!」
 バランナの執務室,彼は妻のファランツと伴に声にならない叫びを上げていた。
 彼等が目にするは、一冊の歴史書。
 それはブラーナ大陸の魔導師ギルドから取り寄せたものだった。
 そこに綴られているのは、およそ300年前にこの地に発生した魔王の伝説。


銀色の魔王,白き竜と人と地の妖精の力を持って、滅ぼされん。

魔王の魔力、妖精により石となる。

魔王の斬撃、人により打ち崩される。

魔王の身、竜により食われん。

ここに魔王,復活の呪いを上げつつこの地より消え去る…



 「この史実が本当だとしたら」
 「この竜はもう…」ファランツは辛そうに呟いた。
 「今は竜ではない,殿下を止めねば! 行くぞ,ファランツ!」
 「待って,バランナ! もしも本当に史実に基づくとしたら…この国はそろそろ」
 「魔王が復活するというのか? もしそうだとしても我々にはどうしようもなかろう,それにそれはまだ先の話だ」彼女の言葉にバランナはまるで自分に言い聞かせるように言い放つ。
 「しかし患いは断たないとな」
 「脅えながら暮らすのは、嫌ですしね」
 「「?!」」
 急な2つの言葉に2人は振り返る。
 そこには2人の女性がいた。
 レティア,そしてラシーヌだ。
 「何故ここに…」
 「セルゲイ様から竜の件で聞いてくるように頼まれまして。廊下まで聞こえていたんでつい聞いてしまいました」ファランツの問いに、レティアは誤りながら答えた。
 「さて、何だかんだとは言いながらも、お前達の答えは決まっておるのだろう? さっさと支度をせい!」
 対しラシーヌは2人に指示,バランナとファランツは顔を見合わせ,そして微笑む。
 「急ぎますよ,お二人とも! あの殿下のこと,早速竜と出会っているやもしれませぬ!」
 バランナは僅かに口元に笑みを浮かべ、魔導師の杖を手に取った。



 時間はほんの少し前に溯る。
 昼なのに松明を炊かないと前が見えない、暗い森の道を俺達は進んでいた。
 「気味が悪いところだなぁ」
 「だから付いてくるなっていたのに」俺は馬の後ろに座る少年に言う。
 そう、トリアレットが付いて来てしまったのだ。
 「ま、荷物運びくらいにはなるんじゃないの?」俺の隣で馬を歩ませながらそう言うはアイシャ。
 彼女は今回、アラムスが何故か頼んでもいないのに付けてくれた『護衛』である。役に立つのかどうか分からないが…
 「瘴気が渦巻いておりますね」
 「邪悪な魔力を感じます」
 言っている言葉は違うが、内容は同じなのであろう,ブラッテンとグラハは同時に言って、お互い顔を背けた。こいつら何か仲悪いし…神官と魔術師だからであろうか??
 レティアとファランツは一緒に料理を作るくらい仲が良いので、単に気が合わないだけかもしれない。
 「殿下、そろそろガイナ殿の待機する廃村が見つかるはずです」二人の術師を押しのけて、カルバーナがそう言った。
 途端、視界が急に開け、灰色の空が木々の枝に変わって上を貫く。
 拓けた土地は、瓦礫だらけのかつての石作りの都だった。
 俺は馬の足を止める。続けて後続の騎士達も順時止って行く。
 ガタリ
 前方で岩の崩れる音。
 目を向けると昼の日が背の高い岩山に差し掛かっていた,そう、遠くはないところにある巨大なむき出しの岩山。
 それを背に、一人の見覚えのある男と二人の騎士がこちらへ向ってゆっくりと歩み寄ってくる。
 「よぉ、ガイナ!」俺は叫び、走り寄る。
 「?!」
 俺は立ち止まった,ガイナの、二人の騎士の表情に気付いたからだ。
 「なんなんだ、お前達は…」
 「「…………」」
 無言で歩み寄ってくる3人の顔は蒼白だった。
 「殿下,下がって!」
 カルバーナ,そして騎士達数名が俺の前に出て剣を構える!
 3人の歩みが止まる。
 「う…」ガイナの口から小さな嗚咽が漏れた。
 「殿…下,私はどうやら…操られていたに,過ぎなかったようだ」
 小さな、小さな彼の鳴くようなその呟き,それは紛れもなくガイナの言葉。
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
 「?! 何だ?」その言葉をかき消すようにあらわるるは地鳴り。
 「近づいてくるぞ!!」誰かがそう、叫んだ
 唸りは足元から!
 ゴワァァ!!
 「「うあぁぁぁ!!」」
 大量の土砂と瓦礫が下から上へと舞い上がり、騎士の一部を巻き込んで俺達に降り注ぐ!
 「!!」
 俺は見た,数瞬遅れて、立っていられた者も見ることになる。
 「グォォォォオォォオオォォォ!!」
 黒い肌を持つ、巨大な竜が俺達の前に立ち上がってその姿を隠すことなく現していた。
 そいつの足元は崩れ、巨大な穴が空いている。
 「地中を潜ってきたみたいだね,アニキ…」
 傍らには青い顔をしたトリアレットが茫然とその姿を見上げていた。
 気を抜くと吐き気の込み上げる、圧倒的な『瘴気』と呼ばれるものをその威風堂々たる身に纏った黒き竜。
 事実、騎士達の中にはその場でもどしている者のもいる。
 純粋な負の雰囲気。
 「殿下、これは…普通の竜ではありませぬ!」カルバーナが俺に歩み寄り、耳打ちする。
 が、俺はそれに答えることはできない。
 そして彼は気付いた。
 竜の黒く燃える瞳が俺を捕らえていることに。
 竜が、俺に向き直った。
 「殿下!!」
 「ふん!」
 右手の方からグラハとブラッテンの声が聞こえる。
 爆炎と空気の塊が、竜の頭に炸裂。
 …それだけだった。
 竜は頭を動かすことなく、太いその尾を無雑作に振るう。
 ズガン!
 幾つかの悲鳴の後、沈黙。
 俺は竜の瞳に縛られ、視線を移すこともままならない。
 『待っていたぞ、お主を』
 意外な、そう、意外すぎる言葉が、竜から俺に発せられた。
 竜の爬虫類の顔に、笑みが広がったように感じたのは俺だけであろうか…



 太古の街の墓標のような、岩山の中腹。
 「待っていては間に合わぬな」
 騎士は一人、その手にしたボウガンを目標に合わせる。
 遺跡で茫然と上を見上げる青年の額。
 ヴン!
 真っ直ぐ、矢は明らかな殺意を込めて飛来する!!
 ギィン!
 「!?」
 銀色の光は、同じ速度を持った黒い光によって2つに折れ、地に落ちる。
 「最近の聖騎士は暗殺もやってるのね」
 黒身の短剣を手の中で弄びながら、一人の女性が彼の前に立ちはだかる。
 「アラムスの手の者、か」騎士は微笑。
 「女性には手を上げたくないのでお引きとり願いたいのだがな。貴女も命令という仕事で命を落としたくはないでしょう?」
 腰の剣に手をやりながら騎士は言う。
 「その言葉は聖騎士としての貴方の言葉かしら? そして先程放った矢も、聖騎士としてのお仕事かしらね?」対して彼女も微笑。静かに彼に近づく。
 「仕事と私事は上手く両立できている方でね」
 「あら、偶然。私もよ」
 途端、切迫,閃光,裂音!!
 動の後の静。
 背を向け合う2人のどちらともなく、大きな溜め息を吐いた。
 「盗賊風情が…」言う彼の腕には小さな赤い線。
 「聖騎士と言う名も、伊達でなくてね」右手を力なく垂らし、彼女は呟く。赤い生命が一滴、一滴と腕を伝って岩山に吸い込まれて行く。
 「彼を狙うのも仕事と私事の両立って言っていたわね。メルー帝国は一体何を企んでいるの?」背を向けたまま、彼女は問う。
 「…メルーだけではないさ。あの男が記憶を失い続けていれば、私がここまで出張ってくることはなかった」
 「? 記憶が戻ったってこと? どうしてそんなことを」
 「知っているのかって言うのか? 私が奴の記憶を消す魔術を施したからだよ」
 苦笑,それを彼女は彼から感じ取った。
 「こんなまどろっこしいことをせずも、奴の命を奪えば済むことなのにな,私ならばそうする。そして今がそのチャンスであったのに」
 「…一体何故?」
 「奴が、選ばれたからだよ。そして奴を助けたいと思う酔狂な奴が一人だけ、いたからさ」
 聖騎士は悔しげにそう、言葉を漏らした。


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