稲荷 Confidences
6. 心意気÷愛情≠モノ


 「本当にソレで良いのか?」
 「うぅ……」
 姉に問われ、彼女は手に持った小さな包みを不安げに見つめる。
 可愛い緑色の包装紙にラッピングされたその中には、先日お菓子屋で買ってきたハート型のチョコレートが入っている。
 無論、渡す相手は決まっている。
 「で、でも! ちゃんと私はあの人の『カノジョ』だし、そもそも気持ちは伝わっているんだから、こうやって渡すこと自体、あんまり意味がないような…」
 「甘いな」
 言葉でばっさり切られ、彼女は小さく震える。
 「アイツが誰かからチョコを貰ったとしよう。そのインパクトがお前のチョコよりも強かったとしたら……どちらが心に残ると思う?」
 「………確かに。今日はお姉ちゃんの言うことが正しく思えるわっ! どうしたら、どうしたら良いと思う?!」
 すがる妹に、姉は鷹揚に頷いて助言を与えた。
 その内容は――――


 「あ、ただいま」
 「おかえりなさい」
 講義も終わり、いつもの夕方にアパートへ戻ると、すでにそこにはカノジョがいた。
 ほんわかした笑顔で出迎えてくれる、この雰囲気がたまらなくいい。
 と、
 「あ……」
 カノジョの笑顔が固まった。視線は僕の肩からかけたカバン。
 そこから『あるもの』がはみ出していたのだ。
 「それ、チョコ?」
 「あ、うん」
 目ざとい。
 下手に隠すとひと波瀾起こりそうなので、僕は正直にそれを取り出した。
 紫色の包装紙でラッピングされた箱だ。
 「研究室の後輩がくれたんだ、義理だってさ」
 「義理にしては凝った包装ですね」
 「そ、そう??」
 カノジョの背後にゴゴゴとオーラが見えたような気がした。
 こ、こわい。
 「私もチョコ、作ってきたんです」
 「え、ホント? 楽しみだなぁ」
 義理チョコをカバンの中に押しこみ、僕はカノジョの作ったチョコの話へと持っていく。
 「はい。たくさん召し上がってください♪」
 「たくさん??」
 テーブルの上には白い布がかけられていた。
 それをカノジョは取り払う。そこにあったのは。
 「いなり寿司??」
 こげ茶色をしたいなり寿司がこんもりと皿に乗っていた。
 仄かにチョコの香りがする、ま、まさかっ。
 「チョコいなりです。美味しいですよ?」
 「何故に疑問形?!」
 美味いのか……いや、不味いだろぅ、間違いなく。
 「食べて、くれないんですか?」
 ちょっと涙目になって僕を見上げるカノジョ。
 ズルイと思う。
 「美味しく食べさせていただきます」
 テーブルの前に座り、姿勢を正して箸を持つ。
 心なしか震える手でいなり寿司を箸で摘んだ。
 その様子をカノジョが横で緊張した面持ちで見つめている。
 ”食べて砕けよう”
 意を決していなり寿司を口に入れた。
 まずは油揚げの甘さとチョコの甘さの融合が、僕の味覚を優しく包む。
 次にチョコを練りこまれたご飯とゴマが、口の中でワルツを踊る。
 「お」
 「お?」
 「おいしいよ、ありがとう」
 「よかったぁ」
 パッと満面の笑みがカノジョの顔に咲いた。
 「普通のチョコじゃ、インパクトが足りないって言われて。ちょっと冒険したんですけど、美味しいようで良かったです♪」
 「いや、冒険はしなくて良いと思うけど」
 今カノジョは『言われて』と言った。
 誰に、だ?
 と、僕は背後に視線を感じ振り返る。
 そこは窓があり、その先にはキツネの耳のようなものが見えた。
 僕は立ちあがり、窓を開ける。そこには思った通り、
 「やぁ、こんにちわ」
 「盗み聞きですか?」
 「そんなことをする訳がないだろう? 通りがかっただけだよ」
 カノジョの姉さんがそこにはいた。余計な入れ知恵をしたのはこの人のようだ。
 「あ、お姉ちゃん。な、何しに来たの? ま、まさか」
 カノジョは僕の右腕を取って引き寄せる。まるで取られない様に、とでも言っているかのようだ。
 「警戒することはない。あのチョコいなりを食べてしまうほど妹を思いやっていてくれる人間に手を出す気はないから、な」
 微笑み、しかし彼女は懐から小さな包みを取り出すと、窓越しに僕に手渡した。
 「これは妹が世話になっている礼だ。ふ、深い意味はないから、ちゃんと食べるのだぞ。義理、だからの」
 「は、はぃ」
 黒い包装紙でパッケージされている手のひらサイズの箱。
 包装紙には小さく『ゴディバ』と書かれていた。国内外で間違いなく『高級』と認知されているチョコだ。
 僕の人生で、こんなものを口に入れることは決してないと思っていたのだけれど。
 もしかして、今話題のセレブというやつなのだろうか??
 「なにもこんな高いものでなくても」
 「ふむ。私が学生の頃は、バレンタインデーになると同級生や後輩がこういった物をくれてな。渡すのは今回が初めて故に、参考にしてみたのだが」
 「ありがたく頂きます」
 と、それを見ていたカノジョが、僕と彼女とチョコの箱を交互に見やりながら、
 「お姉ちゃん……インパクトとかそういうのって、もしかして関係なかったんじゃ?」
 「それではさらばだ。帰って寝るかな」
 優雅に去っていく彼女の背に、「うそつきっ!」と一言。
 パタンと窓を閉めてしまったカノジョは僕に、残ったいなり寿司を食べるように強要するのだった。
 次の日、僕はお腹をこわした。

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