稲荷 Confidences
9. 散歩→発見


 「さぁ、散歩にいくわよ」
 「わん!」
 あれ―――


 「エサよ、たっぷり召し上がれ♪」
 「わん!」
 あれれ―――


 「行ってきます。お留守番お願いね」
 「わん!」
 いってらっしゃい―――


 って、ちょっと待った!!
 俺は1人になり、ようやく我に返った。
 なんでいつの間に飼い犬になっている??
 それも結構居心地が良いのは何故だ?!
 イカン、このままではイカン!!
 …とはいえ。
 行き倒れの俺を助けてくれた彼女に、何の恩も帰さないで出て行くなんてことはできない。
 それも助けてもらってから、すでに3日も過ぎてしまっている。
 あまりにも居心地が良くてなんの疑問も持たなかったくらいだ。
 そこまでしてもらって、黙って出ていってしまっては犬族末代までの恥である。
 とにかく今は、留守を任されたのだ。
 しっかりと任務をこなさなくてはいけないな。
 俺は芝生の茂る庭で、大空を見上げる。
 晴れ渡った綺麗な青空だ。
 彼女の住まうここは、閑静な住宅街。
 それもそこそこ裕福な層の住む地区と思われる。
 一戸建てのこの住まいには、彼女の他に両親と、祖母が住んでいる。
 皆、この俺を可愛がってくれている。
 ”なんていうか、こんな生活も悪くないなぁ”
 お日様に当たりながら、そんな考えが浮かんでくる。
 「いや、イカンイカン!!」
 ぶんぶんと首を横に振る。
 しかしながら、さんさんと照り注ぐ柔らかな日の光は、満腹な俺にとっては必殺の光であって……。
 結局この日は睡魔と延々と戦いつつ、うとうととしながら夕方を迎えてしまったのだった。


 玄関の前の道。
 その遥か彼方からすっかり覚えてしまった足音が近づいてくる。
 彼女の帰宅だ。
 真面目な彼女はこの時間まで、大学でみっちり勉強していたのだろう。
 昨夜の家族の食卓での話を聞くところによれば、その上の大学院を目指しているようなことを言っていた。
 俺はようやく弱まった睡魔を払い、帰って来た彼女を迎えるべく身を起こす。
 ほどなくして、
 「ただいまー」
 「わん!」
 「すぐに散歩に連れていってあげるね♪」
 「わん!」
 彼女は手にしたカバンを玄関に置き、その足で俺のリードを取って来る。
 それを俺の首に巻かれた新品の首輪にかけ、
 「さ、行きましょう」
 「わん!!」
 出発だ。
 彼女と俺はゆっくりした足取りで住宅街を抜け、この街を流れる川の堤防へ辿り着く。
 夕日が水面を赤く染め上げ、暖かな南風が優しく吹き抜けていく。
 「んーっ」
 彼女が隣で大きく背伸び&深呼吸。
 リラックスした雰囲気が足元の俺に伝わってくる。
 が、それも一瞬。
 「っ!?」
 深呼吸した彼女の吐息が止まった。
 それは驚きによる停止。
 不意に風向きが変わる。
 同時に俺の鼻に飛びこんでくるのは、一つの匂い。
 それこそが、俺が捜し続けていた匂いだ!
 彼女の視線の先と、俺の鼻が嗅ぎ付けた匂いの元が、一致した。
 堤防の向こうからやってくる2つの人影。
 一つは男。彼女と同年代くらいの青年。
 もう一つは女。彼よりも年下の、もしかすると妹にも見える少女だ。
 だが今の俺には少女の正体が一目で看破できた。
 『狐!』
 「わんわんわんわん!!」
 「先輩……あ、こら、ちょっと!!」
 リードを掴む彼女は小さく声を上げたが、申し訳ないことに興奮してしまった俺を押さえつけるのに必死になってしまっていた。
 俺は彼女に頭を押さえられ、問答無用にお座りをさせられる。
 「ダメよ、人に無闇に吼えちゃ」
 「わぅ……」
 「あれ? 犬、飼ってたんだ」
 「あ、えと、はい。先日ちょっとした縁で」
 いつの間にか彼女の後ろに来ていた青年が、ひょいと俺を覗きこむ。
 間違いない。
 俺の探しつづけるあの女狐の匂いがする!
 何も知らなそうな彼の後ろには、まるで隠れるようにして彼のTシャツの裾を掴む狐の少女。
 彼女の匂いは俺の探していた匂いと似てはいるが、異なる。
 もしかして……姉妹か??
 俺は少女に問い掛ける。
 『貴様、何者だ』
 「うーーー」
 「あぅ…」
 青年の真後ろに引っ込む少女。
 「こら、ダメよ」
 コツンと頭をこづかれ、仕方なく俺は黙った。
 「あの、先輩?」
 「ん?」
 彼女の様子が、おかしい。
 何故か緊張しているように見える。
 「あの、後ろの子、どちら様ですか?」
 青年の背中に隠れるようにしている狐の少女……もっとも彼女には普通の人間にしか見えないのだが、彼に問う。
 それにあっさりと、彼は答えた。
 「僕のカノジョだよ」
 「!」
 「?」
 さらに緊張した面持ちになった彼女に、青年は首を傾げている。
 「そう…そうですか」
 彼女は最後に、こちらというか俺をおそるおそる見つめる狐の少女を一瞥し、青年に頭を下げる。
 「じゃ、私、散歩の途中なんで。先輩、明日は私の作ったお弁当、食べてくださいね♪」
 その笑顔の下に敵意が詰まったセリフに、あからさまに険しい表情をするのは今度は狐の少女の方だった。
 「あ、ちょっと! 弁当って一体?!」
 青年の声を背中に、彼女は逃げるようにして駆け足で堤防を立ち去った。
 当然俺は彼女を先導するようにその先を速度を合わせて走る。
 やがてそのスピードのまま、小さな公園へ至る。
 「ふぅ」
 荒い息で彼女は溜息。
 そして俺の前にしゃがみ、軽く頭を撫でてくれた。
 「ホントはいけないんだけど、吼えてくれてちょっと嬉しかったよ」
 「??」
 「でもあれが先輩のカノジョかぁ。年下属性なら、私も負けてないと思うんだけどなぁ」
 「?」
 どうやら彼女は、先程の青年に好意を持っているようだ。
 しかし彼には狐の少女がついている、と。
 ……彼は少女が狐であることを知っているのだろうか??
 「どう思う? 私、あの子に負けてるかな??」
 俺は自身の思考を停止。問いかけに答え……ることはできない。
 「わん」
 「そう、ありがと」
 俺の鳴き声をどう取ったのか分からないが、彼女は再び軽く俺の頭を撫でてくれた。
 帰路、俺は考える。
 彼女への恩返しと、俺自身の目的を。
 俺の探す女狐の匂いを纏った、あの狐の少女を青年から引き離すこと。
 そして、狐の少女から目的のアイツへとつながって、引きずり出すことができれば……。
 なんだ、一石二鳥ではないか!
 俺は青年と少女の匂いを覚えたことを確認し、今夜にでも探し出すことを決めたのだった。

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