稲荷 Confidences
14. 時間=私の時間+彼との時間


 今日は私、稲荷昇格初心者の日常をお送りいたします。
 私の朝は場合によってまちまちですが、今日は早いんです。
 なんと朝6時。でも都心へ働きに出かけるサラリーマンさんたちもコレくらいの時間には起きてるんですよね。
 起きる時間はバイト先である神戸屋さんのシフトによって変わってくるんですよ。
 イートインのできるここ神戸屋さんの営業時間は8時から21時まで。
 でも前後2時間づつ開店準備だとか片付けとかがあるので、店長さんはいつも大変だと思います。
 今日の私はちょっと頑張っちゃいまして、7時から16時までの担当です。
 交通手段はもちろん徒歩。
 神戸屋さんが居を構える駅前までは歩いて20分。
 そのうち、貯めたお金で自転車を買いたいと思います。
 さて、その神戸屋さんですが、駅前の通りに面した壁は総ガラス張り。
 朝日が優しく店内を照らしてくれるんです。
 またそのガラスの壁に沿ってイートイン用のカウンターが並んでおり、その造りはとても人が入りやすくなっています。
 もともとこの街は都心のベットタウンであることもあって、朝食を摂られて行くサラリーマンさんやOLさんは多いです。
 お店が忙しいのは、この朝の通勤時間とお昼、そしておばちゃん達が一休みする3時と、学生さん達が寄り道をする夕方、そして晩御飯にと軽食を取られる女性の多い夜です。
 ………案外、息つく暇がないのが現実だったりします。
 店長さんはバイトの子達がみんな可愛いからだとヨイショしてくれますけど、多分立地が良いんでしょうね。
 そんなこんなで今朝も商品陳列を終えて、入り口を箒で掃いて、さぁ開店です!
 「「いらっしゃいませー♪」」
 4月から大学生だという同僚の女の子と一緒にレジに立ちます。
 朝一番からやってくるお客さんは常連さんが多いんです。
 慣れた手つきでトレイを持ち、陳列棚に並べられた様々なパンをセレクトしていきます。
 そして常連さんたちはそれぞれに好みのパンがありまして、何度か顔を合わせているうちにある程度覚えてしまったりします。
 「これと、コーヒーをホットで」
 ちょっとくたびれたスーツを着込んだ20代後半のサラリーマンさん。
 パンを2つといつものホットコーヒーです。いつもの通り。
 「アイスティーをつけて」
 次のお客さんは30代後半の女性。多分隣接する百貨店の店員さんです。こちらもいつも通り。
 「いつものアイスコーヒーね」
 そう告げるのは、起伏のあるプロポーションにフィットした黒いスーツを纏う妙齢の女性。
 長い黒髪を軽く揺らしてサングラスを取ります。
 現れる瞳は僅かな笑み。
 最近常連となった、嫌がらせとしか思えない私のお姉ちゃんです。
 「780円になります」
 私は他のお客さんに接するのと同様に営業スマイルで答えました。
 「いつも可愛いわね、お嬢ちゃん」
 お姉ちゃんは私にそう言って、ウィンク1つ。
 トレイにアイスコーヒーとパンを乗せて、陽だまりのカウンター席へ向かいます。
 何故か予約席と化しているいつもの席で、駅前通りを眺めながら傍らに抱えていたノートパソコンを開いて何やらカタカタと打ち込み始めました。
 なんでも最近は「かぶしきとーし」というものを始めたらしいのです。
 お姉ちゃんは今までは人間社会から離れようとしていたのに、最近は積極的に溶け込もうとしている。
 何か心境の変化があったみたいだけれど、私にはよく分からないです。
 ただ悔しいのは、そんなお姉ちゃんはこうして見ると妙にカッコ良く見えること。
 現に私の隣の同僚は、お姉ちゃんのファンだったりします。だから、
 「ずるいなー、私も可愛いって言われたいなぁ」
 「あー、えーっと、いや、言われてもねぇ」
 ほら、こうなる。
 お姉ちゃんの存在そのものは嫌がらせ以外の何者でもありません。
 ふとそんなご当人に視線を移すと、こちらを見てニヤニヤしていました。
 一度コイツとは、小一時間ほどガチで話し合う必要があると思いました。


 朝の混雑の一段落。
 小休止を挟んで今度はお昼の混雑が始まります。
 お昼は基本的にはイートインのお客さんよりもテイクアウトの方が多いので、楽だといえば楽ですが。
 「いらっしゃいませ」
 「あ…」
 私の挨拶にお客さんが声を漏らしました。
 パリっとしたスーツを着込んだ、金色の髪をした外人男性です。
 何故か首輪をしているのがミスマッチでした。
 「あー、う、うぇるかむ?」
 「あ、いや、そうではなくて」
 手をパタパタ横に振る彼。
 改めて良く見ると、それは先日お姉ちゃんと戦った(?)犬神さんでした。
 「アルバイト、かい?」
 「はい。貴方は?」
 レジを打ちながら私は訊きました。
 「オレは…ちょっと野暮用だ」
 気になります。
 「アンタと同じだよ。何か仕事をしないと¥が、ね」
 「そうですか、頑張ってください」
 おまけで私が後で食べようと思っていた売れ残りのパンを何個か、彼のテイクアウトの袋に入れておいてあげました。
 お仲間サービスです。
 「ありがとう。アンタも頑張れよ」
 「はい♪」
 そして彼はちょっと早足で駅前通りの人ごみの中へ消えていきました。
 「ねぇねぇ、今の人、知り合い?」
 お昼から入った同僚の女の子が尋ねてきます。
 「んー、そんなところ」
 「カッコイイ人ねぇ、紹介してくれない?」
 「あー、えっと、色んな意味で難があるから、やめた方が良いと思うよ」
 「そんなこと言わずにさぁ」
 「はい、仕事仕事」
 「ちぇーっ」
 面倒なことはゴメンです。


 お昼が過ぎ、またまた小休止。
 そして戦いは次なる3時となります。
 「いらっしゃいませ」
 高校生、大学生の入りの多いこの時間。
 今日に限って見た顔の来店が多いようです。
 「あら、貴女」
 「いらっしゃいませ」
 私は営業スマイルのまま、同級生らしき女達数人を連れたソイツと対峙します。
 そう、忘れもしない。
 私のカレシの後輩とやらを名乗る、今どき流行りもしないメガネっ娘です。
 彼女はメニューを眺めながらこう言いやがりました。
 「ココアと、そうね。ジャぱん8号を貰おうかしら」
 「ミドリ亀パンはローソンで買ってくださいね」
 大人ダネ、私っ!
 どうでも良いですが、食べ終わってるのに長時間おしゃべりの為に居座るのは迷惑です(この女に限り)。


 今日の私のお仕事はこの忙しさが一段落した頃。
 「店長、お先に」
 「お疲れ様、またよろしくね」
 「はい」
 着替えた私は急ぎ足で裏口から出ます。時間は丁度夕方4時。
 裏口から駅前通りの裏通りをちょっと行ったところに小さな公園があります。
 一つしかない自販機の前。
 自転車を止めたカレが待ってくれていました。
 「ごめんなさい、待ちました?」
 「いや、今来たところ」
 私をホッとさせる柔らかな笑みを浮かべているカレは、手にした缶コーヒーをゴミ箱にダンク。
 カランと音を立ててそれは収まります。
 ホットでしか売っていないそのコーヒー。
 私のカレは猫舌です。
 「さ、行こうか」
 「うん」
 荷台に横座り、私は彼の腰に腕を回します。
 「どこか寄っていく?」
 「どこでも付いて行くよ」
 回した腕にギュっと力をこめて。
 ようやく私だけの時間は終わり、ここからはずっと待っていた私とカレの時間が始まるんです。

[BACK] [TOP] [NEXT]