稲荷 Confidences
17. 夜の散歩>静寂+闘


 5月の連休。この国の人はそれを、ゴールデンウィークと呼ぶ。
 そしてとある町。
 この連休にはすっかり散ってしまっているはずの桜が、ある一本だけ満開となって人々を驚かせていた。
 樹齢300年はある、この桜並木で最も古い桜の古木。
 他の若い木々が青々とした葉をつけている中、この木だけは桜色に染まっている。
 人々は首をひねりながらも当然、この連休を利用して季節はずれの花見を楽しもうと数多く集っていた。
 そんな花見客もすっかり帰ってしまった牛三つ時。
 夜も関係なく花をつける桜の古木の下には、マナーの悪い人間の残したゴミが散乱し、月明かりに冷たく照らされていた。
 月は三日月だ。
 その桜が一望できる、やや離れた地点で2人の男女が邂逅した。
 「おや、夜の散歩か?」
 「……そう言う貴様もか?」
 一人はスリムな身体をぴったりと包む白いスーツを纏う女。
 軽い笑みを浮かべて目の前の男に視線を向けている。
 対する男は黒いスーツを身につけ、しかしノーネクタイ。
 金色の髪が天空からの冷たい光に照らされていた。
 「そう、季節はずれの桜を見に、だな」
 「俺もそうだ。どうにもおかしな雰囲気を感じるからな」
 「へぇ、素直に飼い主との散歩のコースだから心配だって言えば良いだろう?」
 「ふん!」
 女から視線をはずす彼の足元から、幼い少女が唐突に姿を表す。
 「ん? この子供は?」
 女の呟きに答えるのは男ではなく、少女。
 「誰? このおばさん」
 「お、おば…」
 唖然とする女に、男が代わって少女に告げる。
 「相手にするな。関わっても損ばかりで得がない女だ」
 「…そう?」
 「随分な言いぐさだ」
 3人の話はそこで止まる。
 見つめる桜の古木の下に、10代前半と思しき少女がまるで初めからそこにいたように現れたからだ。
 彼女は遠く見つめる3人を、ぼんやりとした瞳で捕らえていた。
 何の殺気もない彼女からはしかし、3人は重い圧力を感じていた。
 桜の妖精である彼女の、その背後から発せられる禍禍しい気配に。
 「あれって…」
 少女が妖精から視線を外さずに言葉を口にする。
 「私を操っていたのとおんなじ気配」
 「そうだな」
 男が同意する。
 「お前達の知り合いの仕業か?」
 女の質問に、
 「「こっちが知りたい」」
 答えをユニゾン。
 女はため息1つ、そして告げる。
 「とは言え、見ての通り彼女はまだ生まれたばかりの妖精。存在確率が低いことからも分かる通り、下手に力を加えると存在自体が消えてしまう危険性がある。それだけは避けたい」
 「分かっている。今の時代、妖樹は非常に稀な存在だからな」
 頷く男に、
 「ふーん、そうなの?」
 首をひねる少女。
 「さて、まずこの件に関しては問題は3点ある」
 女――稲荷は続けた。
 「なぜ彼女がこの時期に無理をしてまで『咲いて』いるのか?」
 「やっぱり、私が操られていたときと同じで、何かの目的があるんだと思うけど」
 ふむ、と稲荷は鎌イタチに頷く。
 「第2点は『何者』が彼女を操っているのか?」
 「どういった方法で他者を操れるのか、それさえ分かればある程度特定されてくるとは思うんだが」
 犬神は腕を組んでうなる。
 動物神である鎌イタチと、植物神である桜の妖精といった異なる属性神を、似たような方法で操作できる方法などこれまで彼は聞いたことがなかった。
 「いや、待てよ」
 一件思い当たる節があったが、それはこの場では最もありえない者であるため、自ら否定する。
 「第3点は彼女をどうやって解放するかだが」
 「俺は自信がないな」
 犬神の言葉に、傍らの鎌イタチは首を傾げて見上げた。
 「お前を解放した際は存在自体に揺さぶりをかける『破魔の咆哮』を用いたのだが、目の前の妖樹の場合は刺激が強すぎて消滅してしまう可能性が高い」
 「そうなると彼女の存在パターンを知っている私が、直接この手で引き剥がすしかない、か」
 呟きながら稲荷は右手を月に掲げた。
 白い手は冷たい光の下で、長い爪と指を有する異形と化す。
 一瞬、その異形がぼんやりとブレた。
 「確かこんな感じか」
 「そうだな、少なくとも俺がやるよりは随分精度は高い」
 「アンタは相変わらず、昔っから細かい作業は苦手だな」
 犬神と稲荷の苦笑いを鎌イタチはは面白くなさそうに見上げて、
 「で、問題は『どうやって彼女に近づくか?』が最優先に考えることじゃないの?」
 3人は改めて桜の古木を見つめる。
 妖精の立つ根元まで、半径およそ30mに渡って地中から無数と思われる根が這い出していた。
 根の先は針のように鋭い。その動きは3人を威嚇している。
 「……困ったな」
 稲荷は言葉を漏らす。
 「珍しく弱気だな」
 犬神の言葉に反論はない。それを彼はやや不満げに見据えてから、天上の月を見上げた。
 両手の5指にまるで刀のような鋭い爪が生え、白い光を放つ牙が伸びる。
 「彼女に一番ダメージの少ない方法となるならば、極めて迅速に、そしてまっすぐに飛び込んで憑いているやつを薙ぎ払うしかあるまい」
 「うぇー、危ないなぁ」
 犬神の言葉に、鎌イタチは正直な感想。
 「そこまでやる必要、あるの? そんなに大事な知り合いなの?」
 少女の呟きに、2人は顔を見合わせて微笑む。
 「まぁ、昔はそれこそ他族とは好んで争いあったものだがな」
 苦く笑って稲荷。続けて犬神が答える。
 「今は新たに生まれてくる者に対して、先達である俺達が守ってやらねばならんのだ」
 「我々は所詮、これからの時代は滅び行く者どもだが、もしかしたら新たに生まれてくる者達には生き抜く可能性があるかもしれない」
 「ふーん」
 鎌イタチは小さく首をひねってから、ポンと手を打った。
 「ま、妹分を守ってやるのは当然、ってことね。オッケー!」
 二カッと笑い、鎌イタチは本来の姿を取る。
 全身に刃を宿した、刃物の異形へと。
 風が吹いた。
 月が群雲に隠れ、闇が地上を覆い尽くす。
 闇の中、白光と斬撃が桜の古木に向かって伸びて行く。
 闇は一瞬。
 風によって群雲は散らされ、月光が地上に光を与えた。
 桜の古木にまで一直線に、断ち切られた根が伸びていた。
 その根元、立ち尽くす桜の少女の胸に、稲荷の右手が突き刺さっている。
 まるで電池が切れたおもちゃのように、無数の根が3人を取り囲んだ形で静止している。
 「貴様の目的は何だ?」
 稲荷の冷たい言葉に、桜の少女からわずかな声が漏れる。
 「人の……楽しさとは…何か?」
 がくりと少女の頭が下がると同時に、彼女の身体から黒い霧のようなものが立ち上り、夜の闇へと消える。
 稲荷は右手を少女から引き抜いた。
 しかし少女には傷一つない。桜の妖精の存在パターンと同調した結果、ことなるパターンの者のみを切ったのだ。
 「へぇ」
 「見事に憑き物のみを切ったな」
 鎌イタチと犬神は各々感想を述べた。その間にも、伸びていた桜の根がするすると地中に戻って行く。
 「楽しさって、どういうことだろうか?」
 桜の少女を己の膝の上に寝かせて、稲荷は首を傾げた。
 「私のときは『怒り』とか調べさせられてたわ」
 鎌イタチもまた首を傾げつつ、眠る桜の妖精の目にかかった髪を退けてやっている。
 「どうにもおかしな奴がこの町にはいるようだな」
 元の姿に完全に戻った犬神は、冷たい月を見上げてそう愚痴た。
 4人を照らす月のみが、まるで全てを知っているかのようだった。

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