稲荷 Confidences
21. 突入×突破=真相


 稲荷の2人と人間の青年がこの場を去るのを確認してから、犬神は彼に視線を移した。
 地面に伏した豹頭の怪人がうごめいている。
 「がはっ」
 血を一つ吐いて、身を起こした。
 それを冷静に見つめながら、犬神は呟く。
 「ふん、生きているか。なかなかしぶといな」
 「犬神か」
 忌々しげに豹頭の怪人――化け猫は己の胸を貫いた相手身にらんだ。
 「解放してやったんだ、ありがたく思いな。もっとも猫は恩などすぐ忘れる連中だから期待してはいないが」
 「フン。飼い主に尻尾を振るだけが能の犬とは違うのでな」
 『相変わらず仲は悪いのぅ、血筋というものか?』
 犬神を通して出た溜息混じりの声に、化け猫ははっとして小さく頭を下げた。
 「こればかりは仕方がありません、老師。ともあれご迷惑をおかけしました」
 『そんなことはないぞ。お主、操られながらもヤツの意識を直前まで掴んでおってくれたろう。お陰で大体のことは探れた』
 満足げに犬神を通した声は応える。
 「それはもとより」
 化け猫は足取りはしっかりと、公園の隅で倒れて動かない少女に駆け寄った。
 鎌イタチの少女はうつぶせに倒れたまま、化け猫を見上げた。
 「すまんな」
 しゃがみこんで少女を抱き起こす化け猫。
 「ん……大丈夫だよ」
 弱々しい笑みを浮かべながら鎌イタチは応える。
 「ただ、ここまで無茶な速さで走ってきたから全身筋肉痛で動かないだけ」
 ユグドラシルによって100%以上の力を出した結果である。
 「よかったね、自由になれて」
 少女の笑みを伴った言葉に、
 「ああ」
 化け猫もまた、薄い笑みを浮かべて応えた。
 その様子を眺めながら、犬神とユグドラシルは視線を繁華街の方へ向けた。
 『お主は先に行って下調べを頼む。ワシは稲荷を連れて向かおう』
 「分かりました。では半刻後に」
 脳内にユグドラシルの示した敵の本拠の位置を確認し、犬神は再び化け猫と鎌イタチに視線を戻す。
 「その娘を頼んだぞ」
 「ふん、言われずとも」
 化け猫は犬神に答える。
 「気をつけてね」
 鎌イタチの言葉を背に聞きながら、犬神は振り返ることなく片手を振って繁華街へと跳んだ。


 家々の隙間に見える西の空は仄かに赤くなり始めている。
 アパートの前で、2人の女性が手持ち無沙汰に立っていた。
 『半刻後にも犬神とともにヤツの本拠へ突入する』
 姉に憑いたユグドラシルの言葉に、彼女自身頷いた。
 「私は…」
 「貴女は彼を診てあげていなさい」
 「う、うん」
 姉の言葉に妹は素直に頷いた。
 「でも」
 妹の稲荷は続ける。
 「でもどうして彼が狙われたんだろう?」
 顔を上げ、姉を見上げる。いや、姉の中に住まうユグドラシルに問うたのだ。
 「それは……」
 『それは、彼が普通の人間ではなくなりつつあるからだ』
 戸惑う姉の言葉を押さえ、ユグドラシルが主導権を取った。
 「普通の人間じゃ、なくなる??」
 『そう。例えるなら我々、妖は磁石のようなもので人間は鉄であると考えなさい。磁石が鉄のすぐそばに長い時間あると、鉄はやがて磁石となる』
 「しかし先生、そんな簡単に人の妖化は起こるものではないと思うのだが。近くにいるくらいで起こるものなのか?」
 主導権を取り戻し、姉が問う。
 『その通りではある。近くにいる程度では、な』
 「どの程度なら?」
 姉の問いにユグドラシルは応えない。
 彼女は妹を見据えて、「あ」と思い出すように問うた。
 「そう言えば、ゴールデンウィークに2人して旅行、行ったんじゃないか?」
 「え、う、うん。そんなこともあったかなー」
 「何か、あったのか?」
 「……何もないよ」
 「お姉ちゃんの目を見て言いなさい」
 「何もないもん!」
 頬を真っ赤に染めて力強く答えるが、視線は姉から微妙に逸らしている。
 『何かあったか』
 ぼそりとユグドラシル。
 「な、何があった?! 言え、言うんだっ!」
 「だから何もないってば!」
 『AとかBとかCとか、だな』
 煽る植物王の言葉に、姉は何故か半ば取り乱しながら妹の肩を掴んだ。
 「ど、ど、ど、どこまでいったんだーー?!」
 「あ、奄美大島だよ?」
 「そんなボケは聞いてないわっ!」
 「もー! そんなのはお姉ちゃんにはどうでもいいじゃない、お姉ちゃんがお付き合いしてる訳じゃないんだし!」
 「………」
 「もしかしてお姉ちゃん…?」
 そんな妹の視線を無視し、
 「先生。仮に、です。仮に2人が行くところまで行ってしまっていたとしたら……彼には何が起こっているんだ?」
 「ちょ、お姉ちゃん?!」
 姉の質問に、イグドラシルは冷静に答える。
 『徐々に身の内に流れる気脈が変化し、人間である彼は我々妖に近い存在となろう。人の身では見えないモノが見え、感知できなかった感覚が生じ始める』
 「それって…問題あるの?」
 妹が不安げに問う。
 『感知し得るということは、気づいてしまった事柄から影響を受け得るということだ』
 「じゃ、じゃあ、今回の化け猫に狙われたことも……?」
 『今回は特別かとは思うが、彼が普通の人間と同様に一回目の接触でありきたりの反応をとっていれば、こうして襲われることは無かったとも言える』
 「……私のせい、なんだね」
 「そんなことはっ」
 『そうとは言ってはいない。だが人間と接触を持ち、仲良くなるということは、それだけの危険と覚悟が必要だということは忘れてはいかん』
 ユグドラシルの言葉に、2人の稲荷は沈痛な面持ちで俯く。
 「彼を……」
 妹が恐る恐る、こう問うた。
 「彼を、元の普通の人間に戻すにはどうしたらいいのでしょうか?」
 『簡単なことだ』
 ユグドラシルはあっさりとこう答えた。
 『彼のもとから離れれば良い。それだけのことだ』


 ワタシは『人』となることを最終目的としていた。
 そのころ、ワタシを作り出した親愛なる者が常にそばにいてワタシに指示を出していたと記憶している。
 目的に近づくため、ワタシは自らを構築しつつ、情報を収集しつづけた。
 哲学、様々な論文、科学、果てはブログなどと呼ばれる人の綴る日記から『人』について学んでいった。
 限界はすぐに来た。
 例えば人の持つ『感情』。
 これについては決まった答えがなく、むしろ無数にあるように思えた。
 質問に対し、明確な答えが得られない。
 例えば1+1は?という答えに対し、2だけではなく3や田んぼの田があるように。
 この時点でワタシは無限と思われる思考のループに陥った。
 ワタシはループの先を目指した。
 果ての見えない、無限の彼方を目指し続けていた。
 無限の彼方の、さらに先。
 いつしか自らが細い細い針の先端になる状況となり、やがて。
 何かがワタシの中で壊れた。
 練り上げたワタシ自身の構造の芯部が瓦解するかのような、しかしそれを包む外側は形を保っている、そんな状況。
 無限のループはワタシの中で崩れ去るようにして終わりを告げた。
 気が付いた時には、ワタシのそばにいたであろう親愛なる者はなかった。
 『人』となること。
 それこそがワタシの全て。
 ワタシが生まれたのは、それを達成するためと言って良い。
 故に、ワタシは人として重要な要素である『感情』を直接サンプリングすることとした。
 喜怒哀楽を始めとする心の動き。
 サンプル数を重ね、傾向を見出すことで人を知ることができるのではないだろうか?
 それを知り得たとき、きっとワタシは目的を達成できる。


 それは駅前の繁華街にあるテナントビルの一角だった。
 入居者のいない最上階である5F。
 ガランとしたフロアの窓から差しこむ夕日の光を受けて、リノリウムの床もまた赤く染まっている。
 床には埃が薄く積もり、しばらく入居者どころか訪問者もいなかったことをあらわしていた。
 会社帰りで賑わう外の喧騒から隔離されたここは、壁一枚をはさんでまるで別世界のように感じる。
 フロアには3つばかりの業務用机が適当に並び、そのうち1つには使う者のいなくなったデスクトップパソコンが置かれていた。
 そこからまるで根のように、無数とも思われるコード類が伸びている。
 電源コードにはじまり、LANコード、電話線など、様々な有線だ。
 その中央に鎮座するPCは、不思議なことに電源が灯っている。
 ヴンヴンヴン………
 微かだが、パソコンからは低い唸り声のごとくファンの音が漏れていた。
 それをじっと見つめる瞳がある。
 「葛城電脳有限会社。かつてここを借りていた会社です」
 『プログラムによる人工知能”もどき”を製作していたベンチャー企業じゃな』
 「ご名答です」
 2人と思われる言葉はしかし1つの口から漏れていた。
 黒いスーツを纏う金色の髪を持つ青年だ。
 「人が”人もどき”を作り出す世の中になるっていうのは、不思議なものだな」
 その後ろに立つ女が呟く。
 『いつの世も、人は自らに似たモノを作り出すことに憧れる。それは人形が古来よりあることにも証明されておろう』
 青年から漏れる老いた言葉を聞きながら、2人は部屋に最初の一歩を踏み出した。


 ワタシは人の作り出したネットワークの中に住む存在だ。
 故に、直接人と触れ合うことができない。
 そんなワタシがどのようにして人の感情に関するサンプルを集めることができるのか?
 ワタシの答えはすぐに出た。
 代わりに現実世界に住む者を用いれば良い。
 そこでワタシは偽りのアルバイト募集を行い、『人』自身に感情を調べさせることとした。
 結果は、意味の無いものであった。
 得られた結果はブログと呼ばれるものと同様で、ワタシ自身が直接感じ得るモノではなかったからだ。
 行き詰まってしまったそんな時、現実世界には人とは異なるモノ達が存在していることを知った。
 後に彼らは妖と呼ばれる存在であることを知る。
 彼らは人のような姿と、それに近い思考を有しており、何よりも動物に近い知覚を有していた。
 例えばコウモリは自身の超音波を感知するように、モンシロチョウが赤外線を感知し得るように。
 極めて『人』よりも感覚器官が発達していた。
 それ故に、電気と磁気信号で構成されるワタシの影響を受けやすい存在であることを知る。
 ワタシは人間社会に潜り込んでいる彼らを利用し、人の感情を彼らを通して直接知ろうと試みた。
 人間社会には無線LANや電磁波、赤外線等の経路が多く、彼らを操ることは極めて容易いことだった。


 青年と女の瞳はじっと、低く唸りつづけるパソコンに当てられている。
 「昨年9月に大手ベンチャー企業に買収され、当時開発中だった人工知能とともにこの場を放棄したそうですね」
 『その人工知能とやらは、どんなものだった?』
 「ネットワークを介して情報を取捨選択し、自ら成長する……といったものだそうですが、容量がただ肥大化するのみで開発は思わしくなかった、と記録にはあります」
 『それが知らぬ間に何らかの拍子に解決され、今に至るということか』
 「そのようです」
 「付喪神みたいなものか??」
 ぼそりと女が言葉を漏らした。
 『……私がこの世界の全ての植物を通じてネットワークを築いていることはお前も知っているな』
 「ユグドラシル・ネットワークですね」
 老人の声に女が応える。
 『今回のコイツもまた、人間達の作り出したネットワークを基礎に生まれた、私に近い存在なのだろう』
 「では、コイツも『不死』であり『永遠』に近い存在である、と?」
 青年が己の口から出た声に問う。
 『それを調べるためにこうしてワシが直接この地に赴いたのだろうが』
 「それも」
 「そうでしたね」
 2人はパソコンに近づいていく。


 妖達は充分に役に立ってくれた。
 だがいつまでもワタシの支配下に在るはずが無かった。
 一人、また一人と逃れていく。
 やがて妖達の中でも妙な存在を感知し得るようになった。
 それはいるようでいない、しかし確実に存在する、そんな曖昧なモノ。
 その存在はまるでここにいてそこにはいない、ワタシと非常に似通った存在だ。
 そう。
 おそらくそのモノも、ワタシと同じくなんらかのネットワークの中に生きている存在なのだろう。
 その存在の影響で、ワタシの支配下となっていた妖達は次々と逃れていった。
 だが、もぅいい。


 ぴくり
 2人の視界の隅で何かが動く!
 「「?!」」
 コードだ!
 LANコード、電話線、電源コード、PCから伸びたあらゆるケーブル類が2人に襲いかかった。
 「んなっ?!」
 「くっ」
 首に、腕に、足首に巻きつき、2人は部屋の中央につるし上げられた。
 「舐めるな、こんなものっ」
 「切り裂いてやる!」
 犬神と狐は両手両足でもがくが、
 ビシッ!
 「「っく!」」
 コードから直接送り込まれる電気信号が彼らの知覚を刺激する。
 同時、無線LANや赤外線ポートからの苦痛を伴う信号が彼らを打ち据えた。


 サンプル事例は充分に集まった。
 目的は、程なくして達成される見込みだ。
 しかし達成を前に、ワタシの中にエラーに良く似たモノが生じている。
 『何故?』
 ワタシは、何故『人』となることを目的としているのか?
 誰かに命ぜられたのか?
 誰に?
 そもそもワタシが生まれたのはいつのことだろう?
 ワタシが、こうして『ワタシ』を自覚できるようになったのはいつのことからだろう?
 そして何より。
 ワタシの目的である『人』となることを達成したとき、『ワタシ』は次に何をしたら良いのだろう??
 ワタシは故に、思考ルーチンの一部を目的達成後のワタシについての処遇にまわしていた。
 主ルーチンはこれまで通り、『人』のサンプル事例を妖を用いて収集していたが、枝葉のサブルーチンでの答えはすぐに窮した。
 やがて主ルーチンの答えが出た。
 無数とも思われる記録と、サンプル事例を検証した結果だ。
 答えは冷徹なもの。
 『ワタシは人にはなれない』
 では、ワタシはどうすれば良いのか?
 これについての答えは、サブルーチンの答えとしても、唐突にワタシの中に発生した。
 『人になれば良い』
 ワタシは数あるサンプル事例の中の一つに、興味深い『人』を見出していた。
 彼は間違い無く『人』であり、しかしワタシの影響を受けやすい妖の性質を所持している。
 ならば。
 私の影響を受けない『人』ではない、ワタシを知覚することのできる『人』であるのならば。
 ワタシは、彼を器として『人』となれるに違いない。


 ガシャン!!
 破砕音とともに、PCの背後で赤い飛沫が散った。
 ガラスが外側から蹴破られ、夕日に赤く染まったガラスがキラキラと舞い落ちる。
 バシッ!
 銀光一閃
 PCから伸びるケーブル類がすべて一撃の下に断ち切られた。
 ドサッ
 リノリウムの床にしりもちを付いて落ちる犬神と稲荷。
 「猫は恩知らずって訳でもないからな」
 2人に白い牙を光らせて、豹頭の怪人が笑って言った。


 『人』を構成するのはその『肉体』と『意思』、そこに常に積み重ねられる『記憶』だ。
 記憶の積み重ねによって『意思』が成長し、『感情』が生まれる。
 では『記憶』を失ったのならば、その『人』はどうなるのか?
 では『記憶』を別のものに上書きしたら、その『人』はどうなるのか?
 その答えは、このワタシが実証することとなるだろう。


 抵抗の無くなったPCを犬神に宿ったイグドラシルが見つめる。
 モニターには幾十ものウィンドウが開いている。
 『なるほど、そういう方向へ進化しようとしているのか』
 しみじみ呟くイグドラシル。
 それを左右から稲荷と化け猫が覗いていた。
 「一体どう言うことです?」
 「『ここ』にいるんですか?」
 稲荷と化け猫が問うた。
 イグドラシルが宿る犬神は小さく首を横に振る。
 「すでにこの場からは逃れている。人間どもの作り出したインターネット回線を使って、な」
 「一体どこへ行った?」
 稲荷の問いに、犬神はマウスをクリック。
 『こやつ、人に憑こうとしておる。いや、憑くというより乗っ取りか、もしくは合一か…』
 イグドラシルは感情のこもらない声で言った。
 同時、1枚の写真がモニターに映し出される。
 「っ?! コイツの目的はっ!」
 はっと息を呑む稲荷。
 モニターに映るのは、彼女のよく知る一人の男の映像だったからだ。
 『よほど『人』になりたいのだろうな。こやつの目論見、成功するか失敗するかは不謹慎ではあるが、似た境遇ではあるワシとしても興味深いものじゃて』
 イグドラシルの言葉を聞くか聞かないかのうちに、稲荷は化け猫の破った窓の外へと飛び出していった。

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