稲荷 Confidences 2
6. 進まぬ想い+唐突な展開=強制的な改善(もしくは改悪)


 「待て!」
 「何故止める?」
 「?!」
 猟犬の静止を求める声に応じたのは、今までと『同じ場所』に止まった烏からだ。
 彼には飛び立ったように見えたのだが……。
 「事は済んだ」
 「なに?」
 烏の言葉に猟犬は意識をもう一方の青年に向ける。
 眼下で一瞬、スーパーのレジ袋を下げた目標の青年の体がグラリと傾いたかに見えた。
 が、彼はそのまま踏み止まり、慌てたように左右を見渡している。
 対して彼に向かって飛んだはずの傍らの烏は、飛び立つ前と同じ体勢で猟犬の隣で羽繕いを始めた。
 一瞬前と、何も変わっていないように見える、が。
 しかし、何かが違う。
 「何をした?」
 猟犬は烏に問う。すると簡潔な一言が答えと菜って返る。
 「食った」
 「何を?」
 「あの男の魂を」
 「しかし、動いている。生きているぞ」
 猟犬は眼下の青年を目を細めて見た。
 同時、目標の青年の視線がぶつかった。彼は見上げたのだ、2匹のいる電柱のてっぺんを。
 彼のその瞳からは人間離れをした気配を感じる。
 「あれは、そうか!」
 猟犬は気づいた。
 眼下の青年はすでにその魂がないことを。
 代わりに、消すべき太古の神が宿っていることを。
 だが。
 「ヤツが時間を戻せば」
 「私は時間の狭間に潜り込める。故に時間の干渉を受けることはない」
 猟犬の言葉を烏は問答無用で両断。
 そして彼は気づく。
 それは、まずい。
 「あの男は我が主の知人。殺すわけにはいかん」
 猟犬は烏に向き直る。向けるべき刃の方向を変えていた。
 対する烏は小さく首を傾げて答える。
 「何を殺気立っている。人の一人や二人」
 「吐き出してもらおう」
 「一度呑み込んだものは吐きだ……む!?」
 バッ!
 烏は唐突に両翼を開いた。
 小さく痙攣した後、黒い瞳が灰色に変わる。
 「胸が、苦しい、腹が、裂ける」
 「っ!?」
 只ならぬ異変を感じ取り、猟犬は大きく後方へ跳躍。
 隣の電柱へと飛び移った。
 「用心なさい、犬」
 「?!」
 警告は彼の背後。いつのまにか電線の上に重さを感じさせずに立つ、目標の青年からだ。
 もっとも中身は彼に取り憑いてた神であり、魂の抜かれた肉体を一時的に支配しているにすぎない。
 「カァァァ!」
 烏が鳴く。その声は夜空に大きく響き渡った。
 それは魂に帰宅を促す、どこか不安を与える声だ。
 同時、烏の大きさが二倍に膨れ上がる。すでに怪鳥としか言いようのない姿だった。
 「なんだ、何が起こった?!」
 「この子の中で眠らされていたモノが起きたのですよ」
 神宿る青年は自らの胸を押さえて猟犬に告げる。
 「眠らされていた? ナニがだ、ナニが眠っていた??」
 うろたえる猟犬を余所に、烏は叫ぶ。
 「ここはどこだ、足りない、足りない」
 くぐもった声が響く。
 「どこだ、どこだ、どこだ!」
 きょろきょろと灰色の瞳の宿る首を右に左に。
 と、その首がピタリと止まる。
 「見つけた!」
 そう叫ぶと、大きく翼を広げ、
 ばさり
 羽音を一つ残し、二人の視界から消え去る。
 「消えた、どこへ?」
 「想像、つきませんか??」
 神宿る青年の言葉に、猟犬は苛立ちを覚えつつも、1つだけある心当たりを整理する。
 「いや、しかし」
 猟犬は唸る。
 目の前の青年は1年前までは普通の人間だった。
 しかし稲荷の娘と交流が生まれ、さらにその娘の妖力が増大するに従って、彼自身も人間が見えないものが見えるようになっていってしまうことになる。
 妖化、と呼ばれる現象だ。
 それ故に新種の妖に取り憑かれ、肉体と精神を乗っ取られてしまうことになったのだが、稲荷の娘がその身を呈して救ったのだった。
 この事件で新種の妖は、完全に稲荷の娘の中で彼女の記憶と妖力とともに消え去ったはずだったのだが。
 「足りない、と言っていたな。なにが足りないと…」
 「案外、消しゴムで消しても筆圧が強かったら残っているものですよ…って」
 青年の言葉は猟犬に届くことはなかった。
 すでに猟犬の背は夜の闇の向こうに消えてしまっていた。
 彼らの向かう先は、猫寝荘―――


 ぐわっしゃ!!!
 それは破砕音。
 木をへし折り、ガラスを突き破る、問答無用の破壊の音色だった。
 あまりの音の大きさと普段聞かない音の種類。
 その為、彼女はそれがまるで今しがたつけていたTVの向こうから流れてきた音かと思ったくらいだ。
 だが音の出元は自らの部屋。
 へし破られた玄関の戸と、内側から風圧で吹き破られた窓ガラスは幻ではない。
 「え、えーっと」
 コタツに足を入れたままの彼女はその惨状を見廻した後、原因となったのだろう闖入者の姿を目の当たりにする。
 黒い羽毛に覆われた人型のモノだ。
 両腕に当たる部分は烏のような真っ黒な羽に包まれ…いや。
 頭に当たる部分は間違いなく烏そのものだ。鳥人とでも呼ぼうか、そう思いつつ呆然と見上げる彼女。
 対する闖入者の尋常ではない赤い小さな瞳は、彼女を映していることに気付き……。
 「!」
 2人の間に壁ができ、視線は妨げられる。
 「なにをぼーっとしてるの、逃げなさい!」
 「あ、う、うん」
 彼女に背を向けたまま、振りかえることなく姉が叱咤する。
 声には彼女の姉には珍しく緊張が含まれており、それを感じた彼女は思わず息を呑んだ。
 確かに、只者ではない。
 彼女はともかく、九尾たる彼女の姉が事前に気配を感じるまでもなくここまでの接近を許したのだ。
 あたふたと立ちあがる彼女は、姉の肩越しに敵と認定した目標を見る。
 ”知らない人、だよね”
 だが。
 なにかとても懐かしい感じがする。切り離された自らの一部に出会ったかのような。
 黒い鳥人が翼である両腕を振り上げる。
 「来るわ!」
 姉の声。同時、九尾の力の一つである未来予測が実行される!
 「くっ!」
 「ぐ」
 「!」
 鳥人はまるで瞬間移動したかのように玄関の戸があった場所までたたらを踏み、稲荷の姉は驚きと困惑の表情を併せて左肩を押さえている。
 そして姉に守られたのであろう、妹である彼女はわずかに左頬に擦過の跡をつけていた。
 「え、なに、今の??」
 頬に手をやりながら思わず呟く。
 鳥人の動きが全く見えなかったからだ。全く、だ。
 例えいかに早くとも、動きは時間と共に連続しているはずだが、まるでこの鳥人の動きは時間を切り取ったかのよう。
 「お姉ちゃん?」
 形容し難い恐ろしさを感じ、彼女は姉に声をかける。
 「どういうこと」
 答えはなく、姉は誰ともなく呟いていた。
 「予測がぼやけてしか見えない」
 「え?」
 再度、鳥人が翼を広げる。
 来る。
 ゴッ!
 打撃音が狭い部屋に響き渡る。
 横に吹き飛ぶのは鳥人。
 そのまま家財道具であるテレビを爆砕、部屋の外へと押し出された!
 「ああああ! テレビまでーーー!!」
 頭を抱える稲荷の妹を横目に、姉は新たな来訪者に無言で頷く。
 「厄介なことになった」
 苦い顔でそう言うのは、先程まで鳥人が立っていた場所でコートを脱ぎ捨てる猟犬の名を持つ男。
 「とりあえず、取り押さえる他はないか…」
 稲荷の姉は疲れた顔でそれに応え、2人は鳥人が出ていった方向へと駆け出していく。
 荒れた部屋に残されたのは、稲荷の妹とそして。
 「怪我はないですか?」
 「あ、う、うん?」
 彼女は見慣れている筈の青年に曖昧に頷く。
 しばし呆然と彼を見上げていた彼女だが、次第にその表情が青冷め、そして気付く。
 「どうして貴女が! 彼は、彼はどうしたの?!」
 目の前の隣人の姿形は変わりはしないが、中身が異なることに彼女は気付き、悲鳴を上げるようにして言った。
 「先程の烏にやられました」
 「やられたって……」
 「魂を『食われ』ました」
 「食われたって……あ、貴女がついていながらっ!」
 彼に詰め寄る彼女。しかしそんな彼女に表情を変えることなく、彼は続ける。
 「相手が悪かったです。時間の隙間に潜り込める八咫烏に不意を突かれては、さしもの私も」
 彼女は3人が出て行ったアパートの外に視線を向け、そして駆け出そうと立ちあがる。
 それを彼は肩を押さえて止めた。
 「魂を取り戻さないと」
 「一度呑み込まれたモノは簡単には戻せないでしょう」
 「じゃ、じゃあ!」
 彼女はすがるように彼に叫ぶ。
 「神の力を使ってよ! 時間を戻せば」
 「私に仕掛けた八咫烏の能力は時間の狭間に潜り込むこと。過去と現在と未来を『確定』した上で成される能力ですので、私の力を上書きできないんです」
 「……良く分からないけど、どうにかしないと。方法はないの?!」
 「あります」
 「なら、早くそれを」
 僅かにほっとして、彼女はゆっくりと立ちあがる。
 「早くそれをやって、彼を元に」
 「しかし、です」
 女神の入った彼は無表情に告げた。
 「これは貴女にしかできないことで…」
 「なんでもするわよ」
 「そして、成功したら貴女は彼を二度と会わなくなるでしょう」
 「え?」
 「さらに」
 女神は彼女の首に下がる、彼女の指には大きめ金の指輪を指差す。
 「貴女が探しているこの指輪の送り主とも、二度と会わなくなるでしょう。それでも」
 「それでも、良いわ」
 女神は彼の顔で、僅かに驚きの表情を示す。
 「『会えなくなる』んじゃなくて、『会わなくなる』んでしょう? それが私の意志なんだったら構わない」
 彼女は女神に一歩詰め寄る。
 「今は彼の魂が完全に呑み込まれて『会えなくなる』前になんとかしないと!」
 アパートの外からは争いの音が聞こえてくる。
 その音も次第に緩慢なものに変わっていっているようだった。
 「早く!」
 急かす彼女。
 女神は彼女の瞳を見つめると、右手の人差し指を彼女の額に添えた。
 「貴女はかつて、貴女自身の存在力を以って彼に巣食った妖物を貴女自身の内に封じました」
 「??」
 「当時の貴女は、自身を消すことでその妖物も消去したと考えたようですが、実際のところはただの封印です」
 「そう、なんだ。でも彼はそんな事を一言も」
 「彼の当時の記憶も貴女の妖力で制限されていましたから。八咫烏は彼の魂を食らったことで、魂に残滓していた妖物に暴走させられているようです」
 「……で、私はどうすれば?」
 「私はその封を解き、貴女の妖力と封じられた妖物を解放します」
 「うー、そうすると解放されたその妖怪が八咫烏に残った自身の力を回収しようとする時、彼の魂も?」
 「おそらく、八咫烏から吐き出されるのではないかと」
 「分かったわ、それに賭けましょう! 早く封印とやらを解放して」
 彼女は女神にそうせっつく。が、
 「解放後のタイムリミットは3分くらいと認識してください」
 「へ、どうして?」
 彼女が女神を見上げると、彼の顔でやや困った表情を浮かべていた。
 「解呪の術を使うと、私の力はほとんど尽きることでしょう。こうして憑いて、彼の生命の維持をすることも出来なくなるでしょうから」
 「……ひとつ、聞いて良い?」
 「なんですか?」
 「力が尽きたら貴女はどうなるの?」
 「んー、消えるでしょうね」
 「死んじゃうってこと?」
 「生物に例えるなら、そんな感じですかね」
 「……どうして」
 「はい?」
 「どうして、そこまで彼の為にするの?」
 何とも言えない、困ったような羨むような、そんな視線で彼女は彼の中の女神を見つめた。
 「彼は私を『信じて』くれた、たった一人の『人』ですから」
 小さく笑って女神は応える。
 「せめてご利益の1つくらい、なんとかしてあげたいじゃないですか」
 「ん! 分かった」
 彼女は元気良く頷いて女神を見つめ直す。
 「3分ね。私も負けずに頑張る!」
 「お願いしますね」
 そして女神は祝詞をゆっくりとつむぎ始める。
 「あ…」
 同時、彼女に少しづつ、彼女の内に凍結されていたものが戻り始める。
 記憶と、それに伴う妖力。
 「私は、嬉しいんですよ」
 「ん?」
 女神の言葉に、彼女は単音で問うた。
 「かつての時代、私は私を信じてくれた人達を守ることは出来ませんでした」
 祝詞を紡ぎながら、女神は気持ちも紡ぐ。
 「僅かな時間ながらも蘇ったこの時代、私はまた信じてくれる人を守れないと思いましたが…」
 「うっ」
 彼女の中で、鮮烈に記憶が蘇る。
 過去と現在の記憶と知識が交錯し、混在する。
 僅かに呆然としながら、女神の言葉が耳に届く。
 「同じように守りたいと思う人に、意志を繋げることが出来る。これはとてもとても、幸せなことです」
 彼女の中で、かつての自分と今の自分が重なる。
 気持ちもブレることなく、ぴったりと。
 「あとはよろしくお願いしますね」
 そう、言葉を残して女神は消え、
 「分かってるよ、うん、分かってる」
 一人頷き、彼女は大切な指輪をくれた人と、救うべき彼とに『会わない』決心をつける。


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