稲荷 Confidences 2
7. 2+1≧3?


 高くはない上空に、烏の翼を持つ異形の人形が滞空している。
 見上げるは2人。
 未来予測の能力をもつ狐の妖物と、追跡の技能を有する犬神だ。
 鳥人は2人に何度目かの攻撃に移ろうと、さらに上空へ。
 にゃー
 にゃー
 にゃぉー
 四方八方から猫の鳴き声が響く。
 それに応えるかのように、鳥人は何かに遮られるようにそれ以上上へはいけなくなる。
 猫の結界による能力抑制効果。
 この闘いの舞台は故に、地上の2人に分があった。
 あるはずだった。
 しかし肩で息をするのは地上の2人の方だ。
 見上げる格好となる2人の視界から、鳥人が消える!
 「っ!」
 「ぬ!」
 2人の姿もまた高速の動きによって、まるで残像のようにブレて見える。
 時間の狭間に落ち込んで繰り出してくる八咫烏の攻撃。
 狐は『未来予測』で、犬神は攻撃の『追跡』の能力によって回避しているが、物理的速度を伴わない事象相手ではそれは確実ではなかった。
 対して2人からの攻撃は、変則的に空間から出現する相手には対応しきれない。
 運良く当たっても、まるで綿を殴りつけているような感触だ。
 「困ったね、体力も妖力も赤ゲージよ」
 妖狐は額に汗しながら呟く。
 「八咫烏にしても、能力の多用はそろそろ限界にきているはずだ」
 犬神はそれに応えるが、己の言葉に説得力を感じていない。
 鳥人の雰囲気からしてまるで消耗を感じさせない。
 おそらく鳥人の本体である八咫烏の、生命自体を切り崩して妖力に変換しているのだろう。
 「そもそもなんで八咫烏があの子の魂なんか食らったのよ」
 「止める間もなかったのだから仕方ないだろう。オレに文句を言うな」
 「言うわよ。第一、あの子と妹については今後はノータッチって約束したじゃないのさ」
 「『なるべく』って前提だっただろう」
 「あー言えばこー言う!」
 「あぁ、もう、また来たぞ!!」
 黒い鳥人は上空から消えるのに合わせ、地上の2人の姿は高速にブレる。
 数瞬後、鳥人の姿は上空に戻り、地上の2人はさらに激しく肩で息。
 「う、受けられるのも、あと2回は限度かも」
 「あの娘に期待するしかあるまい」
 「もぅ! 妹にはこのまま何も知らずに幸せになってもらおうと思ってたのにー! あとでアンタ、マジでリンチね」
 「…これが無事に終われたら、なんでも受けてやるさ。しかし」
 猟犬は周囲に目を配る。
 彼らを囲むように遠巻きに見え隠れする猫達。
 彼らの結界はしかし、2人には能力の抑制などの制限が働いていない。味方と見られていると言って良いだろう。
 「何故貴様は、猫の領域にあらかじめ入ることが出来た?」
 「決まってるじゃない、そんなの」
 妖弧は呆れ顔で続ける。
 「あの娘の姉だもの、私。客人を追い返すようなことをすると思う? アンタだって、あの娘の知り合いなんだから、正々堂々と訪問してれば追い返されることもなかったでしょうね」
 「………む」
 「ほら、また来たわよ!」
 上空から問答無用で襲い来る鳥人に、2人は打開策を持てぬままに何度目かの迎撃を開始した。
 と、今までにないくらいの大量の黒い羽が舞い散る!
 「ぬぉぉぉぉぉ?!?!」
 「っ!!」
 鳥人の秒間辺りの攻撃回数がいきなり増えた。
 途端、猟犬と妖弧の身体に増えた回数だけの傷が出現する。
 「やばっ!」
 妖弧は舌を打つ。鳥人は自らの体を犠牲に妖力を搾り出してきている。
 舞う羽は彼の体の崩壊の予兆だ。
 崩壊が先か、2人が倒れるのが先か。それは予想するまでもなく、
 「ぐっ!」
 猟犬の右手から伸びる長い刃物と見まごうばかりの爪が5指とも砕け散る。
 彼の爪の防御を突破して、鳥人の杭のような嘴が心の臓に向かって突き刺さり、
 ごす!
 鈍器で肉を打つ音が響いて、鳥人が横に吹き飛んだ。
 嘴にヒビを入れつつ、鳥人は己を振り抜いたハンマーを握り締める者を見る。
 「おまたせ、2年ぶりね」
 その声の持ち主は、8つの白いふさふさとした尾を持つ女だ。
 少女のような体型には似合わない、柄の長さが2mほどもあるハンマーを片手で肩に担いでいる。
 彼女の空いたもう片手には、灰褐色をした何かもやもやしたものがまとわりついていた。
 それは自ら意志があるが如くうごめいているが、それが「何」であるかがどう目を凝らしても視認できない不思議な物体だった。
 鳥人の視線は、他が全く目に入らないかのごとく一心不乱にそれに注がれている。
 女はニヤリと微笑むと、手に握ったそれを、
 夜空に放り投げた!
 鳥人が動く、夜空に向かって。
 「!?」
 がくんと、その黒い身体が動きを止める。
 「捕まえたっと♪ さぁ、どうする?」
 宙に浮ぶ鳥人の足を捉えたのは、妖弧の右手だ。万力のように鳥人の右足首に指が食い込んでいる。
 「私を連れたまま、時間の狭間に入れるかしら?」
 妖弧の言葉が終わらないうちに、鳥人からも同じような不可視のもやのようなものが吐き出され、夜空に舞う同類を目指して飛び出した!
 途端、鳥人の姿が小さな一匹の烏となり、地面に落ちる。
 夜空では2つの『もや』が邂逅を交わし、やがて1つとなった。
 弾き出される様にして、白い光が零れ落ちる。
 「任せろ」
 「よろしく」
 合わせるようにして夜空を舞う2つの影。
 猟犬が白い光を掴み、受け取る。
 ハンマーを持った八尾の女がハンマーを水平に廻し、
 「今度こそ、消し飛べ!」
 もやに向かって叩き付けた!
 不可視のもやはその一撃を回避できず、その真ん中にハンマーを食らって夜空に霧散。
 まるで花火のように粉々になってそれぞれ明滅を繰り返したかと思うと、闇の中に溶けるようにして消えて行った。
 「やったか」
 夜空を見上げる猟犬に、ハンマーを振りぬいた女は慌てて駆け寄り、彼の手にある光の珠を奪うように受け取る。
 それは心臓の鼓動のリズムで明滅を繰り返し、次第に消えかかっていた。
 「間に合って!」
 彼女はアパートの自室に向かって駆ける。その後ろを猟犬と妖弧もまた追いかけた。
 静けさを取り戻した狭い戦場から、猫の結界もまた解かれる。
 途端に新鮮な夜風が吹き抜け、闘いの熱気は天空高く散らされて行った。
 風で、地面の小石が1つ転がる。
 しかしこの時、場の支配者である猫達ですら残滓に気付いてはいなかった。
 転がった小石が、風上に向かって動いていたことなど―――


 彼女は部屋へ駆け込んだ。
 手のひらに馴染んだ暖かさを持つ存在を感じながら。
 部屋の中。
 目の前には彼女の一番大切な人の身体がある。
 手の中には、一番大切な人の魂。
 「っと」
 動きが、止まる。
 「え、と」
 きょろきょろと左右を見まわす彼女。
 視界には特段、変わったものは入らない。
 そうやっている間にも、手の中の光は弱くなっていく。
 「ど、どうしたら」
 手の中の光と、横たわる彼の身体を交互に見やりながら彼女は焦る。
 「あー、心の臓あたりに叩き込みゃー、いいよ」
 「そ、そうなの??」
 「あぃ。外しちゃいけんがね」
 言葉の通り、彼女は光の弱くなった彼の魂を彼の身体に。
 左胸の辺りに叩き付けた!
 びくん!
 一瞬、彼の身体が跳ねるようにして動く。
 「………」
 それだけだった。
 「え、あ、う……」
 おろおろとしながら彼の横にしゃがみ込む彼女の肩を、『それ』は優しく叩いた。
 「だいじょぶだいじょーぶ。3日くらい目を覚まさんかもしれなーけども」
 「ほ、ホント? 本当に彼は元に戻るの?」
 「戻るよー、アンタと同じく、記憶も全てーな」
 その言葉に彼女は僅かに硬直するが、一瞬遅れて安堵の溜息。
 そして、はっと気付いたように、彼女は目の前の『それ』をまじまじと見つめて一言呟いた。
 「貴女、誰?」

 
 妖弧と猟犬は、半ば破壊されたその部屋の玄関で立ち止まっていた。
 いや、違う。
 中に踏み込めないでいた。
 「一体、何がどうなっている…」
 猟犬が唖然とそう呟く。
 2人の視線の先には、倒れる青年とそんな彼にすがりつくようにしゃがみこむ八尾の少女。
 そしてそんな男女をまじまじと見つめる、腰まで伸びる銀髪を優雅に流す中年にさしかかった女だ。
 銀髪の女は、ぽりぽりを頭を掻いたかと思うと少女と同じくその場にしゃがみ込んで彼女の肩に手を置いて何かを話している。
 目の前の光景はないも不自然のない、ありふれたものだが。
 2人の人でないモノには、銀髪の女の存在が信じられないものだった。
 目の前にすると、自然と尻尾が丸まってしまう。
 本能から来る身の震えが止まらない。
 それはすなわち、神格を前にした時の緊張だ。
 「なんで、どうしてこんなことが」
 妖弧もまた唖然とこう呟いたのだった。
 「どうして宇迦之御魂大神が降臨されている??」

 
 「わっち? 宇迦っちゅう名の狐やわ」
 聴いた事のない方言なまりで、女性は彼女にそう答えた。
 「宇迦??」
 「珍しく古い知り合いに会って、教えてもらってぇーな。気になるさかい、ちょい降りてきたわ」
 「はぁ」
 「で?」
 「は?」
 「この人間、アンタのなに?」
 問う銀髪の女は、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらそう尋ねた。
 彼女は銀髪の女を見る。
 宇迦と名乗るこの女からは、どこか身内のような親しさを感じるからだろうか。
 「……そうですね」
 彼女は規則正しい呼吸を続ける彼の頬に触れながら、宇迦を訝しむことなく目を閉じて答える。
 「とても大切な、いえ」
 言い直す彼女は目を開ける。瞳にははっきりとした決意の色があった。
 「大好きな人です」
 ぷつん
 自らの胸元に伸ばした彼女の右手からそんな音がする。
 右手は穏やかに上下する彼の胸元に伸び、小さな金の指輪がそこには残った。
 「だから、ここでさよならです」
 彼から目をそらし、彼女は立ち上がり背を向けた。
 一歩を踏み出そうとして、
 べしゃ!
 「へぐぅ!」
 前のめりに倒れる。彼女の右足首が掴まれていたからだ。
 「いたひ…」
 涙目で鼻を押さえる彼女。恐る恐る後ろを振り返る。
 「…え?」
 彼女の足首を掴むのは、3日は目が覚めないと言われたはずの彼。
 「やっと、見つけた」
 かすれる声で、彼は呟く。
 「あ…」
 彼は苦しげに上半身を起こし、唖然とする彼女の左手を取る。
 彼の手には、彼女が置いていった金の指輪。
 青年はそれを彼女の薬指に通し、小さく苦笑い。
 「あー、ちょっと大きすぎたか。買いなおさなきゃ、だね」
 「っ?!」
 彼女の彼を見つめる視界が歪む。
 「だめ、だよ」
 「どうして?」
 困った顔で彼は問う。
 「僕のこと、嫌いになった?」
 「そんなこと、そんなことない!!」
 半ば叫ぶように彼女は否定する。
 「だって、だって私と一緒にいちゃ、貴方は普通の人として生活できなくなる! 見えないモノが見えたり、巻き込まれたり…」
 叫ぶような彼女の言葉は、彼が強く彼女の両手を握る事で中断される。
 「なんだ。そんなことで、泣くなよ…」
 一言、彼はそう言って僅かに微笑むと再び目を閉じて意識を失った。
 彼女もまた、倒れるようにして彼に抱きつく。
 「そんなこと、じゃないでしょ!」
 畳の上に涙の大きなシミが一つ、生まれる。
 「私だって一緒にいたいよ。大好きなんだから、いっしょにいたいよぅ」
 涙が幾筋も彼女の頬を伝わり、落ちた。
 畳にいくつかのシミが出来た頃、唐突にこんな言葉が投げかけられる。
 「いれば、良いんじゃないかな?」
 それは銀髪の女から。不思議そうな顔で彼女を見つめている。
 「彼は『そんなこと』って言ってはるんやしのぅ」
 「そんなこと、じゃないって言ってるでしょう」
 「じゃ、アンタの妖気、わっちが貰おうか?」
 「はぃ?」
 「ちょっと待ったぁぁぁ!!」
 2人の間に飛び込むのは、玄関で中を覗いていただけだった妖孤だ。
 「それって、妹をただの狐に戻すってことではないのですか、宇迦之御魂大神様!?」
 「宇迦之御魂大神……って、うそ…」
 姉の言葉に、彼女は改めて目の前の銀髪の女を見た。
 端整な鼻立ちに白い肌。黙っていればどこぞの貴婦人で通りそうだ。
 それ以前に、今まで気がつかなかったのがおかしいくらいの神気をその身に纏っている。
 宇迦之御魂大神とは稲荷神の筆頭。
 全ての稲荷達を束ねる、稲荷の神だ。国造り時代の太古の神であり、その存在は昨今ではすでにないとされていたが。
 そんな宇迦之御魂大神は彼女の姉の言葉に苦笑いを浮かべながら手を振った。
 「そんな極端に妖気を吸いやせんわ。加減くらいできずに、なにが神かね。だかね」
 宇迦之御魂大神は彼女に向き直り、真剣な顔で問うた。
 「わっちが妖気を吸うたら、アンタはずっと下位の妖狐。今みたいに八尾にも、当然九尾なんてこの先無理やよ。そして何より」
 宇迦之御魂大神は再度気を失った彼と、そして彼女を交互に見ながらこう加える。
 「刻む命の長さも、人と同じになるわ、それでも…」
 彼女は宇迦之御魂大神の言葉を最後まで言わせることなく、答えた。
 「望むところです。よろしくお願いします―――


 割れたコップが元に戻る。
 破壊された玄関の扉も、むしろ破壊されるよりもずっと前の新品の段階になって修復されていた。
 「ん、こんなものさね」
 宇迦之御魂大神は元通り以上に戻った部屋に、満足げに鼻を鳴らす。
 そしてホットカーペットの上で並んで眠る1組の男女を見下ろしながら、小さく微笑んで言った。
 「今も昔も、変わらんものね」
 「昔?」
 問うのは妖弧。
 「そう。わっちらは惚れやすくて困るわ」
 溜息1つ。
 「前はいつだったか……そう、清明とかいう陰陽師に惚れこんだ娘がいたわ。幸せに暮らしたんやろかね?」
 「きっと、幸せだったんじゃないでしょうか」
 妖弧は微弱にしか妖気を感じなくなった妹を見つめながら呟いた。
 宇迦之御魂大神は妖弧をなんとはなしに見つめ、口を開きかけたが小さく首を横に振って止める。
 「久々に良いモノ、見せてもらったわ。じゃ、お節介なお婆はここで失礼するかぁね」
 うーん、と背伸びをして宇迦之御魂大神。
 「ありがとうございました。妹に代わって、お礼申し上げます」
 深々と頭を下げる妖孤に、宇迦之御魂大神は首を横に振る。
 「何言ってるかぁね。子の幸せは親の望み、アンタも自分の幸せ、見つけなぁよ」
 微笑みを残し、宇迦之御魂大神は小さくその場で跳躍。
 するりと、まるで空間の隙間に潜り込むようにしてその姿を消した。
 「じゃ、私達も消えるとしますか」
 妖孤は笑って後ろを振りかえる。
 縮こまるようにして座っていた猟犬は頷きつつようやくその身を伸ばして、目を廻したままの烏を担ぎ上げた。
 「まぁ、結果的には太古の神も消え去り、任務は完了だな」
 「さっさと帰らないと、アンタのご主人が迷い犬のビラをあちこち貼ってるかもね」
 「……余計なお世話だ」
 バタン。
 玄関の戸が閉まり、2匹と一羽もまたこうして猫寝荘を後にしたのだった。

 
 カラカラ
 カラカラカラ
 小石が、意志を持って転がる。
 ”やはり”
 小石から微弱な意志が漏れ出している。
 ”やはりケイ素体は炭素体よりも扱いやすい、が”
 カラカラカラ、かちゃん
 小石は猫寝荘の、ちょうど階段のあたりで壁にぶつかり止まる。
 ”が、しかし結晶化されていない分、勝手が悪い、む?”
 こつん
 小石に何かが押し当てられた。
 小石に憑く『何か』はそれが何であるかを知り、歓喜する!
 すぐに本体である意志を小石の中に含まれるケイ素から、押し当てられている『それ』に移行。
 同時に周囲に散らばった己の断片に召集をかけ、『それ』に自らを完全に再生させた。
 ”素晴らしい。さっそく復活し、まずはあの狐の娘を我が犠体としてくれよう”
 意志が、邪な笑みで震えた。『それ』とは5GBのUSBメモリーだ。無論、そんなものが猫寝荘に当たり前のように転がっているとは考えられない。
 ”散逸したデータの欠損率は38%。ふん、まだまだいける、問題はない!”
 こんな不自然に気を止める事もなく、意志は次の行動へと移ろうとしていた。
 小石にメモリーを押し当てていた『彼女』は、メモリーの中で対象が完全に復活すると同時に処理を施す。
 ”?! なんだ、一体何が起きている?! やめろ、やめてくれ!! 逃げ場は…動けない?!”
 意志は己の大部分が『凍り付いている』ことを自覚する。
 自覚した時にはすでに手遅れだった。
 ”凍る、やめろ、またか、また閉じ込められ……”
 USBメモリーに宿る意識は、言葉が終わる前に完全に停止した。
 「圧縮終了っと♪」
 彼女は気楽にそう呟くと、USBメモリーを胸のポケットへ。
 「最後くらいはちゃんと活躍しなくちゃね」
 「姉上、こんな夜中にどうしたんです?」
 「んー、ちょっと星空が見たくなってね。寒いわー、今夜は」
 「そりゃ、外套も着ずに外に出ればね」
 かんかんかんと、階段を上っていく彼女は何事もなかったように部屋に戻ったのだった。


[BACK] [TOP] [NEXT]