風の王国 −vol.4 報恩反逆(小話集)


 甘い香りが立ち込めている。
 ここは高句麗の商店街。
 その一角には多くの女性達が集っていた。
 近々、西洋で言うところのバレンタインデーがある。
 その日は気になる男性にチョコレートという西洋のお菓子を贈ると一ヶ月後に3倍の価値のある贈り物をお返しに貰えるという、もっぱらの噂である(かなり嘘という情報もある)。
 ともあれ、慣れないお菓子作りに励む女性達の姿がここにはあった。
 その一角に、腰まである長い髪を持つ仙人の少女の姿がある。
 「むー」
 材料を前に、彼女は唸っていた。
 すでに五回ほど「チョコレート」作りに挑戦しているのだが、そのことごとくが炭と化してしまっているのだ。
 「おっかしいなぁ??」
 6回目の挑戦、彼女は竃にかけたナベにチョコレートの素材を放り込み……
 「うりゃぁぁ!!!」
 じゅぅぅぅぅ!
 「中華は火が命!」
 そして六度目の炭が出来あがった。
 「チョコは中華じゃないでしょうが…」
 「あ、こんにちわ」
 背中からかけられた声に彼女は振り返り、そこにいた人物に頭を下げる。
 中国独特の服を着た、妙齢の女性である。
 優しげな笑みを浮かべる彼女はしかし、仙術を極めた達人だ。
 「これは溶けやすいモノなの。だから直に火にかけたら焦げちゃうわよ」
 「じゃあ、どうしたら?」
 「湯せんにかければ良いでしょう?」
 「あ、なるほどー」
 ポンと手を打った少女に、女性は苦笑い。
 「でも貴女、誰に贈るのかしら?」
 「え…えっと、自分で食べるんですよ」
 少女は引きつった笑みで答える。
 「……ま、そういうことにしてあげましょ。がんばんなさいよ」
 「だーかーらー!」
 背中を向けて手を振る彼女に、少女は仄かに顔を赤くして反論するのだった。


 「やっほ♪」
 「やっ♪」
 扶余の宿前で赤い髪の戦士は、古い付き合いの魔術師の女性に手を振った。
 「最近どぅです?」
 「まぁまぁねぇ」
 彼の横に並び、魔術師は笑う。
 と、ふと思い出したように懐から何かを取り出した。
 「そうだ、これをあげましょう」
 「??」
 受け取る戦士。それは……
 「ほんの気持ちよ」
 「……嫌がらせですか?」
 「愛が詰っていると言って欲しいなぁ」
 魔術師は苦笑い。
 手渡されたそれは、紫色の湯気を放つ異形の球体。
 「もしかして……これって巷で話題のチョコ?」
 「そんなところ」
 「そ、そうですか……ありがとう」
 「どーいたしまして。それじゃ、またね」
 「ええ、また」
 魔術師が去ると同時、
 「ん? どうしたんです、その顔は?」
 戦士の前に現れたのは仙人の少女だ。
 髪や顔に砂糖菓子の粉が所々ついている。
 「あー、えっと。ちょっと色々ねぇ」
 少女は乾いた笑みを浮かべてあさっての方向を眺める。
 と、その視線に戦士の手の中にあるチョコまがいの物体が目に入った。
 「兄様…なに、それ?」
 「ん? これですか?」
 戦士は妹の言葉に先程受け取ったモノを見せる。
 「チョコっぽいものです」
 「兄様のアホー!」
 すかーん!
 気持ち良いくらいの音を立てて、戦士の額に金属製の何かが炸裂。
 そのまま戦士は白目をむいて倒れた。
 「もー、来ねーよー、うわ〜ん!」
 仙人の少女は走り去って行った。
 気絶する戦士の胸の上には、彼女の投げつけたハート形の金属の枠が1つ、残されたのだった―――


【衣替え】
 仙人の少女は、中国は玄菟にある服飾店で考え込んでいた。
 「うーん」
 ショーウィンドウには、この店を有名にした一着の服がある。
 「どうしました、お嬢さん?」
 「あ、うん」
 店員の壮年の女性に声をかけられて、彼女は顔を上げる。
 「これ!」
 ショーウィンドウを指差し、仙人の少女は意を決して言った。
 「買います!」


 それから数日。
 晴れた日の扶余の宿屋にて。
 「そぃや!」
 「がはっ!」
 赤い髪の戦士の背中に、唐突に蹴りが入った。
 「だ、誰です!?」
 彼は振り返る、そして。
 硬直した。
 「あちょー」
 そう奇声を発して、構えを取るのは彼の妹。
 しかしその格好は尋常ではない。
 まず袖のない赤いシャツは胸元が露わになりそうな、紐で前を縛るというタイプ。
 そして下は肌にしっかりフィットしたスパッツだ。
 「……春、だからでしょうか?」
 「な、なにその哀れむような目はっ!」
 「何です、その格好は。スタイルの良い女性ならともかく、ツルペタな君には全く似合わな」
 「延髄切りっ!!」
 「げふ!」
 戦士は言葉途中で地に伏した。
 彼女の纏う衣装の名は「武道家服」。
 着ると誰でも武術の達人になる……と言う訳ではない。


【大熊猫】
 「それはね、『おおくまねこ』って読むんだよ」
 得意げに薄い胸を張って言い放つのは仙人の少女だ。
 腰まである長い髪は紫紺,狐を思わせる細い瞳で相手を見下ろしている。
 「阿呆だな、お前は」
 冷たく切り返したのは中年の坊主。
 だが坊主とは名ばかりだ。片手には酒瓶を握っているし、その容貌は独眼。
 全身から穏やかではない空気がただよっている。
 「それはな、『ぱんだ』って読むんだよ」
 「違うよ、おおくまねこだよっ」
 顔を赤くして駄々をこねるように仙人。
 それに対し坊主――魔の法を操る魔術師――はこう畳み掛けた。
 「そもそも何だ、おおくまねこってのは?」
 「あら、今時の魔術師のくせに知らないの?」
 「そんなものはいないからな」
 「いるわよ、長安の都の西にある竹林に住んでるの、がぉーって鳴くのよ」
 必死になって言う仙人。
 「どんな姿してるんだよ?」
 「ふわふわのクマさんみたいだけど、実は猫なの」
 「人を襲うのか?」
 「うん。クマより強いけど、豹よりも弱いわ」
 「何を食うんだ?」
 「山菜うどん」
 「殴って良いか?」
 「……信じないの?」
 魔術師は涙目になっている仙人に向かって溜息一つ。
 そんな仙人の少女の頭にポンと、手が載った。
 「あ、おかえりー」
 少女が見上げるそこには赤い髪の戦士が立っていた。
 「ね、信じるよね。これは『おおくまねこ』って読むんだよね?」
 少女が必死になって差し出した紙片を戦士は首を傾げつつ手に取る。
 そこには『大熊猫』とある。
 彼は酒瓶を傾ける坊主を一瞥。そして少女に視線を戻した。
 「そんなことより聞いてくれないか? さっき草原にいたらさ、ギリム将軍がマリョと良い雰囲気で歩いていたんだ」
 「え、マジ?!」
 「これはまた、珍妙なものを見たな」
 坊主もまた言いながら身を乗り出してきた。
 すでに『大熊猫』の紙片の行方すら、2人の脳裏に無かったのは、所詮はその程度であったということであろう。


【和国にて】
 赤い髪の戦士は、久々に総甲冑にその身を包んでいた。
 「さて、本当にいるんでしょうかね?」
 遥々海を渡ってやってきた、ここは和国。
 独特の木々が茂る森の中、彼は歩く
 と、唐突にそれは現れた!
 「ぶもももも!!」
 「?!」
 茂みから飛び出してきたのは、体長5mはある大イノシシだ!
 鋭く尖り、湾曲した牙が2本、その口元から覗いている。
 まっすぐにその猛獣は彼に突き進んできた!
 「っ!!」
 彼は身を横に投げる。
 燃え盛る炎を刀身に纏わせた剣を、突進を避け様に猛獣の横腹を薙ぐ。
 イノシシは僅かに進み、そして停止。
 振り返り、再び彼に向かって突進を再開した!
 「来い!」
 戦士は今度はまっすぐに対峙する―――


 「なんてゆ〜か、疲れますね」
 総甲冑に身を包んだ赤い髪の戦士は疲労感丸出しのげっそりした顔で一人、森の中で呟いた。
 気を抜くとタヌキに化かされたり、サルに囲まれて殴られたり、キツネに脛を齧られたり、最悪の場合は後ろから餓鬼に丸呑みにされたりする。
 ここは和国。
 異国の地ではある。
 だが先程、長い間会っていなかった高句麗の魔術師とばったり再会したり、知り合いの義賊に茂みから出会い頭に出会ったりと、顔馴染みに出会うところに異国を感じさせなかった。
 タタタン、タタタン♪
 と、そんな軽快な叩く音が遠く聞こえてくる。
 「? 何でしょう?」
 彼は音の方角へと足を進める。
 不意に視界が開けた!
 「んな!」
 彼は驚愕。
 そこには屋根のない一軒の寿司屋があるではないか!
 身なりの整えた、がたいの良い男がまな板を包丁で叩いている。
 彼…板前は戦士に視線を向けると、
 「へい、らっしゃーーー!」
 「は?」
 威勢良く声をかける。
 「ウチのネタは新鮮だよっ! どうでぇ、兄ちゃん。食って行くかい?」
 カカカンカン♪
 2本の包丁を打ち鳴らしながら、板前は笑顔で問うた。
 戦士はいぶかしみなからも、カウンターの席の1つに腰を下ろす。
 「まずは何にしますかぃ?」
 「えっと、それじゃトロ」
 ………
 沈黙が辺りを包んだ。
 「何です、なにかまずいことを言いました?」
 俯く板前に恐る恐る尋ねる戦士。
 「最初に……最初にトロ、だとぉ?」
 板前は背中の背景に『ゴゴゴゴ…』と文字付きの暗黒の雲を背負いながら、戦士を睨む。
 「ここを寿司屋と知っての冗談かい、兄ちゃん?」
 「え、えーっと」
 冷や汗を流しつつ、戦士は逆に問う。
 「きょ、今日のお薦めは何かな?」
 「おぅよ、今日のお薦めかぃ!」
 機嫌が急に戻る板前。
 戦士はそれにホッと安堵の溜め息1つ。
 割り箸を手に取り、パチン。2つに割った。
 「今日は殺りたての魔術師が入ってるんだよ」
 「……は?」
 カラン、音を立てて箸が落ちた。
 「まだ若い魔術師だから、肉は柔らかいよっ。お薦めだ」
 戦士は箸の代わりに腰の剣に手を添えた。
 ニタリと微笑む板前は足元から、人の手らしきものを取りだし……
 「食えるかっ、大尽力!」
 ザシュ!


【馬の王】
 「やっぱりキングウマってさぁ」
 穏やかな昼下がり。彼女はこんな風に切り出した。
 「ウマの中の王な訳よね?」
 猫を彷彿とさせる彼女にそう話を振られ、ぼんやりとしていた赤い髪の戦士はそのノリで頷いた。
 「キング オブ キングスでしょうね、ウマの」
 「って、ことはさ!」
 目をらんらんと輝かせて彼女は身を乗り出した。
 「走る速さも早い訳よね? 『ハイヨー シルバー!』って声かけると返事するわけよね??」
 「返事するかどうかは疑問ですが、そんな感じかと思いますよ」
 どことなく投げやりに答える戦士。
 その彼の陰陽服の襟首を彼女は掴むと、ずるずると引きずって歩き出す。
 「……あのー、どこへ?」
 「決まってるじゃない」
 ニカリと笑って彼女は猫のように目を細める。
 「キングウマの洞窟よ」


 「って訳で連れてきた訳です」
 「誰に向かって解説してるの?」
 「いえ、なんとなく」
 赤い髪の戦士はふと我に返って現実に引き戻る。
 ここは扶余の城下町の南門。
 人通りの少ないここには1頭のウマが草を食んでいた。
 ウマ―――上等な服を着て、二速歩行をする年老いたウマだ。
 その両の瞳は深い黒色,どこか知性すら感じさせる。
 「さて、さっそくキングウマのスペックを測定するわよ」
 「……本当に乗るんですか?」
 「何の為にここに連れてきたのよー」
 ジト目の仙人から視線を外し、戦士はウマを見る。
 はむはむと草を食むウマを、猫な仙人はじっと様子を見つめ……
 「今よっ!」
 ばっ!
 その背中に…
 飛び…
 乗った!
 『ぐき!』
 なんか嫌な音が戦士の耳に届く。
 目の前には地面に腹ばいになったキングウマと、その背に乗っかる仙人の女性の姿が広がっていた。
 「なによー、全然ダメじゃない」
 「年寄りに何をするっ! 重いんじゃーー!」
 しわがれた声を出すキングウマ。
 「お、重くなんかないもん!!」
 必死に否定する彼女に、キングウマは冷たくこう言い放つ。
 「良く効くダイエットを教えてしんぜようか?」
 「あ……」
 戦士が止める間もなく、猫な仙人の何かが切れる音が聞こえた。
 なお、この日は新鮮な馬肉が晩御飯だったとか………?


【クリーニング】
 長く赤い髪で右目を隠した戦士は、いつにもない厳しい目で前方を見つめた。
 ここは怪しい雰囲気の漂う旧家。
 今では当時の恨み辛みが実体化し、立派な化け物屋敷となっている呪われた地だ。
 「さて、行きますよ」
 「はーい」
 赤い陰陽服を纏った戦士の影に隠れるようにして応えたのは同じく陰陽服の仙人の女性だ。
 猫目の彼女は、手には魔力のこもった扇子を握っている。
 そのいでたちは戦士のよく知る女魔術師のものだ。
 どうやら猫目の仙人の彼女が着ていたものはクリーニング中らしい。
 戦士は慣れない服装でギクシャク動く仙人の彼女を眺めながら、ふと彼女の妹である女魔術師を思い出す。
 ”そういえば、着るものを貸してしまったら今ごろなに着てるんでしょうね??”
 おしゃれな彼女のことだ、まさか裸でうろうろしているはずもない。
 「??」
 ふにふに
 戦士の頬が横から引っ張られた。
 「はんでふか?」(なんですか?)
 仙人の彼女が首を傾げて引っ張っていた。
 「ぼーっとしてるから。何考えてたの?」
 「……いや、別に。では行きましょうか」
 「今の一拍の間は何??」
 「なんでもないです」
 「なになになに?」
 「おぶさらないでください、重いし」
 「レディに対して重いは失礼でしょー」
 「レディは化け物屋敷で、じゃれたりしませんよ」
 少なくとも、2人の半径2mはいつ飛び出してくるか分からない化け物に怯える雰囲気は微塵もないようだった。


To be continued ...


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