風の王国 −vol.5 来訪者達(小話集)


 黒い幽霊の群れが、洞窟の一角に蠢いていた。
 その中で、小さく声を発するものがある。
 「くっくっく……」
 笑い声だ。声を殺すような低い低い笑い声だ。
 黒い幽霊達の動きがざわめく。
 響いてくる声に脅えているようだ。
 幽霊を怯えさせるとは、この声の持ち主は、もしかしたらとんでもない人物なのかもしれない。
 その時だ!
 「ひゃーっはっはっはっは! あははははは!!」
 大爆笑に変わる,いや、どこか壊れた笑いである。
 黒い幽霊達の群れの中にドーナツのように輪が出来た!
 その中心に人間らしき者の姿がある。
 陰陽服を纏った中肉中背の男だ。
 瞳の色は茶色,西方の民族のように思われるが彼の頭髪は北の遊牧民に見られる独特のもの――辮髪だった。
 くっきりとした目が血走って見開かれ、手にした大魔霊魂棒を振り上げながら大豪快な爆笑。
 しかし目は笑っていない,顔は狂ったように笑ってはいるが。
 幽霊達はその異様な魔術師の姿に明らかに怯えて散って行く。
 暗闇の中に一人、彼は残された。
 やがて哄笑は収まる。
 「……勝った!」
 勝ってどうするのか、小一時間ほど問い詰めたい。


【高句麗からの兄妹】
 高句麗から扶余へと続く道。
 そこはかつては両国を何度となく戦へと駆り立てた道であり、また異なる文化を溶け合わせた道でもある。
 その扶余へと至る道を2人の男女が肩を並べて歩いていた。
 1人は黒服の魔術師の青年。背に青龍の刺繍を入れている。
 腰には鉄製の刀を提げてはいるものの、彼本来の能力にはおそらく用いられることのない、言わば威嚇用だろう。
 その隣を行くのは着物姿の女性だ。その顔立ちは隣の男とどことなく似ている。
 彼女は仙人のようだ。高価な法具である忍風扇子で己を煽っていた。晩秋とは言え、扶余は高句麗よりも気温が高いためだろう。
 「ねぇ、兄ぃ。まだなの?」
 疲れた声で女性は問う。やはり兄妹のようだ。
 「そろそろだよ……ほら、見えてきた」
 兄の指差す先には扶余の町の遠影がぼんやりとあった。
 仙人は目を凝らしてそれを見る。
 「田舎みたいね」
 「田舎だよ、扶余は」
 「……田舎かぁ」
 ため息をつく妹に、魔術師は笑ってその長い髪の頭を撫でた。
 半刻後、2人は扶余の街に到達する。
 同時、兄の方はある場所へ一目散に向かっていく。
 何も知らない妹は彼の背中を追って付いていった。
 やがて目的地に到着する。
 着物を羽織った仙人は、兄の魔術師がくぐった建物を眺めて呆然としていた。
 ここは扶余の南門から歩いてしばしの場所。
 目の前の建物は人で賑わっている。尋常ならざる雰囲気だ。
 建物の看板にはこうあった。
 『くじ屋&宝くじ』
 「兄ぃ、わき目も振らずにここにきた理由って??」
 仙人の彼女は傍らにいた魔術師に視線を移し……
 いなかった。
 忽然と姿を消していた。
 恐ろしい直感が働き、仙人の彼女はくじ屋ののれんをくぐった。
 そこには……
 真っ白に燃え尽きた彼女の兄の姿がある。
 「兄ぃ!!」
 がくがくと彼の肩を揺さぶるが、白くなった彼は反応しない。
 彼の周囲には山のように残念賞である八十歳酒が積まれている。
 「いくら…いくら使ったの?!」
 兄はゆっくりと両手を広げて妹に答えた。
 10、だ。
 妹はくじ屋の価格を見る。
 『一回10000銭』
 「10万も使ったのかぁぁ!! この馬鹿兄ぃぃ!!!」
 「いや、100万です」
 「死んでしまえぇぇ!!!」
 げしげしと兄を足蹴に仙人。
 「ご、ごめんよぉぉ、どうしても、どうしてもお前に退魔棒を誕生日プレゼントにしたかったんだよ」
 「……」
 彼女は再度、くじ屋のカウンターを見る。
 そこには一等の退魔棒が置かれていた。そしてその隣のものも見つめ、決意。
 彼女は懐に手を入れると、小さく頷きカウンターヘ向かった。
 「一回お願い」
 「はい、どうぞ」
 くじ屋に手渡された3つのつづらのうち、一番左を指差した。
 くじ屋の店員は仙人に問う。
 「ファイナルアンサー?」
 「ファイナルアンサー」
 ぱかり
 あけると、そこには数字の書かれた一枚の紙。
 5とある。
 カランカラン♪
 店員は鐘を鳴らす。
 「おめでとうございます! 3等の四角盾です!!」
 仙人はその盾を受け取り、呆然とする兄へそれを手渡した。
 「はい、私からの兄ぃへの誕生日プレゼントっ。今年はまだ渡してなかったからね」
 「お前……」
 魔術師は視線をそむけて言う妹に感涙。そして、懐の財布を振り上げてくじ屋の店員に叫んだ。
 「よぉし、退魔棒、絶対出すぜ。もう一丁!」
 「終わっとけ!!」
 仙人の綺麗なストレートパンチが魔術師の顎にクリーンヒットしたとか、しなかったとか。


 扶余の宿に高句麗から来た兄妹はやってきていた。
 母国の都心にある宿とはかなり異なり、藁葺き屋根のその宿は人で賑やかながらもしかし、どこかのんびりとしている。
 晴れた日差しのせいばかりではなかろう。
 「なんでこー、田舎かなぁ」
 「落ち着くじゃないか」
 「ん。まぁ、そういう取り方もあるけど」
 妹の不満げな口調に兄は苦笑。
 たしかにこの国には母国のような華やかさが少ない。
 だがそれ故に、素朴な良さがあるのだ。
 それに、だ。
 「こんにちわ、お嬢さん」
 「は、はい、こんにちわっ!」
 仙人の彼女は唐突に声をかけられて慌てて返答。
 そんな彼女の慌て振りに声をかけた方が驚いたようだ。
 兄の魔術師は笑って溜め息一つ,妹に一言。
 「扶余は狭いからね。ここに住んでいる人達はお互いの顔をほとんど知っているのさ」
 「はー」
 だからだろう、彼女の目の前に立つ青年が気軽に声をかけてきたのは。
 西洋の刺繍を施した修行者の服を着た、長い黒髪の男だ。
 手には大魔霊魂棒を杖代わり。
 しかし彼はもともとこの地のものではないのだろう、青みがかった瞳は服装と同じく西のものだ。
 総じて一言で表すと『かなりの美形である』。
 「驚かせてごめんなさい、お嬢さん」
 小さく会釈、彼は去って行く。
 その背中を仙人の彼女はぼーっと見つめていた。
 「どうした?」
 兄が彼女の視線を手で遮断する。同時、我に返った。
 「扶余も良い国かもねー」
 「………動機が不純だな」
 人それぞれだろう。


 魔術師の彼が約束のその場に現れたのは丑三つ時だった。
 妹である仙人の少女は宿に寝かせてある。
 彼が訪れたのは扶余の北東にある黒幽霊の住む洞窟だ。
 その入り口のホール状の場所にすでに彼らは待っていた。
 1人は剃髪、独眼の坊主。やたらと人相は悪い。
 1人は西方出身と思われる青みがかった瞳を持つ優男。西洋の刺繍を施した
 修行者の服を着ていた。
 1人は陰陽服の男。辮髪という騎馬民族独特の髪型だが、その瞳は青。西洋の
 血が混じっているようだ。
 「遅かったな」
 「まぁ、色々あったのさ」
 坊主の問いに男は苦笑いで答えた。
 そして4人の輪ができる。
 4人は容貌、服装は違えど共通した部分があった。
 それは皆、魔道を歩む者。
 「では1年ぶりの魔術発表会を行いましょうか」
 修行者の服の優男の言葉に残る3人は頷いた。
 「ではまずはワシから……見るが良い!!
 ―――――以降、術の公的公表にストップがかかりましたので記述は差し控えさせていただきます。


 翌朝。
 馬上の人となった兄妹は故郷である高句麗への帰路についていた。
 背後に小さくなってゆく扶余の街を、妹の仙人がふと眺める。
 「どうした?」
 「ううん、また、また来ようね、兄ぃ」
 「そうだな」
 朝日に明るくなりつつある扶余の街を、2人は一拍の間、眺める。
 そして2人は馬を駆った。


【宿敵とかいてライバル】
 赤い髪の戦士は久々に総甲冑に腕を通していた。
 それを仙人の少女が見つけて首を傾げる。
 「どうしたの? そんな重装備して??」
 戦士は彼女に振り返る。
 「え……」
 少女は思わず後ずさる。戦士の表情は今までに見たことも無い
 厳しいものであったからだ。
 「一体、どこへ行こうとしているの?」
 戦士は厳しい顔のまま一言。
 「人生最強の敵に会いに行くんですよ」


 これまで彼は様々な強敵達と戦ってきた。
 もちろん彼と共に戦った戦友の力が多大に影響しているのは言うに及ばないが。
 例えば竜宮で謀反を企てた清皇太子一味。
 または鮮卑族を率いる北の眼鏡の将軍。
 はたまた水龍や火龍といった怪物まで。
 そんな彼をして「人生最強の敵」である。
 少女はおっかなびっくりに彼の後をつけていったのは言うまでもない。


 戦士がやってきたのは十二支の洞窟の一つだ。
 「なんでこんなところに?」
 仙人は首を傾げる。
 彼が入っていったのはキングブタの洞窟。
 中からは「ブーブー」と豚の鳴き声が聞こえてくる。
 怪訝に思いながら、彼女もまた中へ進む。
 洞窟のそこかしこには子豚に始まり、鹿児島辺りの名産っぽい黒毛のブタや肉の柔らかそうな白ブタが走りまわっていた。
 「お腹が空いた時には時々来たわね、ここには」
 獣…というか家畜そのものの生き物達を眺めつつ、どう考えてもここに戦士が言う「最強の敵」がいるとは思えない彼女はしかし、とんでもない場面に出くわすこととなる。


 「これまでお前には何度も挑戦してきたものですね」
 身の丈ほどある巨大な斧――金剛戦斧を構えた戦士の声が聞こえてくる。
 仙人の少女は物陰からそっとそれを覗き見た。
 彼が立ち向かう相手、そいつは………
 肌色の毛のブタだ。
 「ブタね」
 ブタだ。
 「ブタ以上でも以下でもないわね」
 四足歩行のブタである。
 「………最強??」
 と、相対するブタもまた戦士に応えるかのように鳴いた。
 「ふご、ぶぶぶー、ふごふごふごっ!(何度来ても貴様はワシには勝てんよ。帰ってママのおっぱいでもしゃぶってな、ベイベー)」
 「貴様っ! 今日こそは絶対倒す! これまでの修練を見るが良い!」
 戦士は切れた。
 「へぇ、今の言葉が分かるんだぁ」
 仙人の少女は色んな意味で感心した。
 「ぶふぃ、ぶひー!(あしらってやらぁ)」
 ブタは端から見るとただ鳴いているだけだった。
 ともあれ、戦士は先日習得した奥義を発動する!
 大斧の刃に偉大なる白虎の魂が宿った。
 彼はブタに向けって駆ける!
 ブタもまた彼に向かって突進する!!
 「大尽力!」
 「ぶひーー!」
 交錯した!!!
 がくりを膝を付く戦士。
 技が決まったのを確信した彼は、ゆっくりと後ろを振り向き……
 「ぶっひー!(何を格好つけてやがる!)」
 ブタの2度目の突進を顔面にまともに受けて、後ろに倒れこみ、踏みつけられた。
 「ば、ばかな!」
 戦士は驚愕に満ちた瞳で見た。
 彼の絶対の自信を持った破壊技は、ブタの右足にかすり傷を小さくつけたのを。
 ブタの目がニヤリと笑みに形に変わる。
 「ぶひぶひぶひ!!(おとといきやがれ!)」
 突進!
 「うぎゃーー!!!!」
 「ああ、まるでボロぞうきんのようにっ!」
 戦士の断末魔を聞きながら、仙人の少女は知った。
 飛べたいブタは、やっぱりただのブタじゃないの?
 と―――


【工作】
 「でっきるっかな♪」
 「でっきるっかな♪」
 「さてさてほほーん♪」
 「さてほほ〜ん♪」
 何故か赤い帽子をかぶった長い髪の戦士と、奇怪な生き物を模した
 かぶりものを纏った仙人の少女は作業台を前に工作をしていた。
 口ずさむ歌は聞いたことがあるようなないような歌である。
 その2人の行動を解説するように、猫のような風貌の仙人がマイク
 片手に語り始める。
 『のっ●さん、今日は何を作るの?』
 仙人の少女が口パクで戦士に問う。
 『ゴ●太くん。今日はね、とある義賊からもらった材料で忍風扇子を
 作るんだよ』
 やはり口パクで答える戦士。
 『うわぁ、楽しみだねぇ』
 『さぁ、テレビの前のみんなも、頑張って作るんだぞー』
 古い松の枝を振りかざし、異様な笑みを浮かべつつ戦士。
 再び2人は歌い出す。
 「でっきるっかな♪」
 「でっきるっかな♪」
 「さてさてほほーん♪」
 「さてほほ〜ん♪」
 枝を磨き、メノウを擦り、そして竹の枝をまとめる。
 「でっきるっかな♪」
 「でっきるっかな♪」
 「さてさてほほーん♪」
 「さてほほ〜ん♪」
 ベキ!
 そんな、音が、した。
 「………」
 「………」
 硬直する2人。
 『あれー? 枝が折れちゃったみたいですねぇ』
 のほほんと解説。
 硬直していた2人は涙を浮かべ、顔を上げて叫ぶ。
 「「できるかいなーーーー!!!」」


【工作結果】
 「聞いてくれませんか?」
 「ああ」
 珍しく深刻な顔の赤い髪の戦士に、剃髪の魔術師は首を傾げつつも頷いた。
 「実は、久々に精製をしたんですよ」
 「ほぅ」
 「妹に霊石の仙手袋を作ろうとメノウの仙手袋と青銅の仙手袋を作りました。もちろん成功です」
 「ほほぅ」
 「大工の石を購入し、この3つを用いて精製をかけましたが」
 「失敗だな」
 「ええ。けれど、大工の石は残ったんです。手元に五善槍と、五酸のカメ、柴木がありましたから五雷槍を作って五奇槍を作ろうと思ったんです」
 「なるほどな」
 「五雷槍は見事に成功しました。これからです、前に五奇槍は失敗したことがあるので、慎重に行いました」
 「結果は?」
 「大失敗です」
 肩の力を落として戦士。
 「前にも五心の手袋を作るときに霊石の手袋までは成功したんですが、五心は2回連続して失敗したんです」
 「まぁ、不運だな」
 「ここで問題なんです。これまでの精製の成功確率は五分。しかし、『何1つ手元に残っていない』この現状は、何がおかしかったのでしょう??」
 戦士の言う通りだった。
 いくつかの精製には成功している。けれども結果的にそれを用いているため、失敗したら何も残らないのだ。
 「それはな、お主」
 剃髪の魔術師は気の毒そうな顔をして、戦士を見つめてこう言った。
 「単にお主の運が悪いだけさね」
 要は、それだけのことである。


【赤と白の悪魔】
 「ゆーきやこんこ、あられやこんこ♪」
 ずば!
 「ふってもふってもまだふりやまぬ♪」
 ざしゃ!
 「いーぬはよろこびにわかけまわり♪」
 ごめす!
 「ねーこもよろこびかけまわる〜〜♪」
 どげし!


 白い雪原に、壊れた雪だるまが多数転がっていた。
 ここは極地、雪と氷に閉ざされた獄寒の地だ。
 そこに陰陽服の襟を立てて全身をがたがた震わせている赤い髪の戦士と、にこにこと極上の笑みを浮かべながら動く雪だるまに対して必殺の「猫パンチ」を浴びせる女仙人の姿があった。
 共に歩いた後にはこの地の生物である「雪幽霊」と呼ばれる雪だるまのお化けの壊れた残骸が積もって行く。
 吹雪の吹き荒れる中、壊れた雪だるまの中に赤い色が見えた。
 「あ、あったわ!!」
 興奮の色を隠し切れなく猫のような仙人がそれを取り上げた。
 赤いそれはぬくぬくとしたフェルト地の帽子。
 サンタクロースのかぶるそれと酷似している。
 「やっぱり出たか、ということは……」
 戦士の表情が厳しくなる。
 「そうよ、確かにこの奥に……サンタさんがいるのよっ!!」
 「化け物鍛冶師並みに強いと噂がありますねぇ」
 「何よ、怖気づいたの?」
 「まさか」
 戦士は仙人に微笑む。
 「私達がここへ着たのは『打倒・サンタクロース!』でしょう?」
 「神出鬼没のサンタクロース……どれほどの剛の者か、楽しみねぇ」
 2人は進む。果てなき白の地を。


【美容室での兄妹】
 赤く長い髪の青年戦士と、紫色の膝まである長い髪の仙人の少女は談笑を交わしながら高句麗にある美容室に向かっていた。
 クリスマスキャンペーンということでいつもの10000銭がなんと2000銭に割引なのだ!
 「うわ、混んでますね」
 「そりゃそうよ」
 普段は高いこともあって閑古鳥が鳴いている美容室だが、
 さすがに本日は入り口にまで行列ができていた。
 「兄様は髪、染めるの?」
 「んー、どうしましょうかね」
 「お次の方、どうぞ」
 そのうちに仙人の少女の番になる。
 「お次、どうぞ」
 他の従業員に呼ばれて戦士もまた中へ入る。


 「さて、髪の色はどのような色にいたしましょうか?」
 「そうねぇ」
 仙人の少女は一瞬躊躇した後、思い切ってこう言った。
 「紅く、してください」


 「髪の色も染めてあげるけど、どんな色にします?」
 「そうですね」
 戦士は数秒考えて、そして言った。
 「紫色にしてもらえませんか?」


 「「ありがとうございましたーー」」
 戦士と仙人は店を同時に出た。
 そしてお互いの顔を見て……
 「何よ、その髪の色わぁぁ!!」
 「お前っ、何ですか、その色は?!」
 もともと癖のある色である2人の髪は妙な色になっていた。
 すなわち地毛が赤い戦士は紫色を加えて、明るめの微妙な黒に。
 紫色だった仙人の少女は、赤みのある茶色に。
 「何色にしようとしたんです?」
 「兄様こそ、何色にしようとしたのよ」
 「「………」」
 二人はお互い顔を見合わせ、
 そして何も言わずに扶余へと戻る。
 夕日が2人の影を長く長く地面に長く伸ばしていた。


【バレンタイン・リベンジ】
 高句麗の東、そこには「百恵の洋菓子食材店」がオープンしていた。
 中心街にある「カフェ百恵」の出張店である。
 来るバレンタインで、想いを込めたチョコレートを作るための材料を 販売する期間限定のお店だ。
 そこへ仙人の少女は赤い髪の戦士の襟首をひっ掴み、訪れていた。
 「なんで私も来なきゃ行けないんです?」
 首を傾げる戦士に、少女は両手を突き出した。
 「去年のリベンジなの、それに……お金貸して」
 「私は財布ですか…」
 肩の力を落して、心もとない財布を開ける戦士。
 その財布ごと少女は奪って、店員の百恵に駆け寄った。
 「とりあえずチョコと型と…」
 こうして両手一杯の材料を買い揃えた少女は、自信をもって宿へと戻ったのである。


 「あ、あれれ??」
 「どーしたん…うわっ!」
 焦げ臭い厨房で戦士の彼は少女の生み出した謎の生命体に開いた口が塞がらなかった。
 「なんです、それ?」
 「ちょ、ちょこ…?」
 自信なさそうに言う少女。
 べとべとした球状のモノがまな板の上で蠢いていた。それだけではない。
 まるで台風が散らかしたような厨房はチョコを溶かして型に入れるという作業だけにもかかわらず、ありとあらゆる物がひっくりかえっていた。
 そもそも中華鍋はチョコに使わないはずなのに、油までひいてある。
 「だいたい、溶かして型に入れるだけでしょう? どうしてここまで失敗するんですか?」
 「しょーがないでしょ、なんか失敗するんだからっ!」
 逆上している少女に、戦士は肩の力を落して歩み寄る。
 「まず湯せんでチョコを溶かします、ほら」
 「あ、はいはい」
 「溶けたら型に流し込む」
 「ほいほい」
 「で、冷やして完成」
 「あ、できた」
 ちょっと苦めのビターチョコの完成だった。
 「リキュールを混ぜるのも効果的ですよ」
 「ふぅん」
 出来あがったチョコを、少女は戦士に押し付ける。
 「え? 私にくれるんですか?」
 「ち、違うわよっ,取り敢えずこれは義理チョコね。 今度は自分でちゃんと作るから!」
 言いつつ、パン生地やバターを取り出す彼女。
 「今の説明、分かってなかったんですか?」
 使っていない材料を使い始める少女に、戦士は首を傾げた。
 「ただ溶かして固めるなんて、簡単過ぎて失敗してたのっ。 チョコドーナツに挑戦するわ」
 「………溶かして固めるだけで10回近く失敗していた人の言葉とは、ぐえ」
 失敗したチョコもどきを戦士の口に押し込めて黙らせ、少女は再び修羅の道に入る。


 「なに、コレ??」
 「ほら、みなさい」
 できあがったドーナツらしきモノに首を捻る少女。
 ドーナツらしきものは、ふるふると震えている。まるでこれも生き物の様だ。
 「材料も尽きちゃったわ。買ってくる」
 「無駄だと思うのでやめた方が…ぐえぇぇ」
 そのドーナツもどきを戦士の口に再び押し込んで失神させ、再び財布を奪った少女は材料店に足を向けた。
 「いらっしゃいませ」
 「えーとね」
 材料棚を見つめる少女。その視界の隅にこんな商品が目に入った。
 『恋の秘薬』
 「これだーーー!! これ、これちょうだい!」
 「え……あ、ありがとうございます」
 3万銭という高額と、少女の雰囲気にヒキながら、百恵は商品を差し出した。
 「これで究極無欠のチョコの完成よ、ふっふっふ…」
 「呪いのチョコはやめた方が良いですよ」
 おずおずと囁く百恵の声は届いてはいない様だった。


 「で、それが恋の秘薬、ですか」
 「うん!」
 空になった財布を押しつけ、少女は再び厨房に立った。
 チョコを湯せんで溶かし、そこに恋の秘薬を少量。
 型に注いで固める。
 「で、できたー!」
 「……あれ?」
 戦士は首を傾げる。
 見た目、先ほど一緒に作ったビターチョコレートと同じモノだったからだ。
 ”温度が高すぎて秘薬の成分が飛んでしまったみたいですね”
 苦笑い。
 「それでそれを貰える幸せ者は誰なんです?」
 チョコを満足げにラッピングしていた少女の手が、止まった。
 「じ、自己満足…」
 引きつった笑みで彼女は答える。
 「恋の秘薬の意味とか、ないですね」
 溜め息と伴に戦士。
 「自分で食べたらナルシストになるのかなぁ」
 しみじみと彼女は呟き、チョコを齧る。
 ほろ苦い味がした。


To be continued ...


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