爽やかな甘さを含む暖かな風が、街中を行く彼女の前を吹き抜けて行った。
 「あ……」
 彼女は一人、足を止める。
 和国伝来の浅黄色に染まった着物に白い蝶が一匹、止まっていたのに気付いたからだ。
 蝶は吹き抜けて風に乗って、空へと飛び立ってゆく。
 ひらひらと舞う小さな姿を目で追う。
 視線はやがて右手に伸びる細い道へ。
 その間も大通りの人の流れは、彼女を避けながらも止まることなく続いていく。
 彼女の大きめの瞳はこの高句麗の中央大通りから無数に分かれる枝道の一つに注がれていた。
 細い路地裏へと続く道…だろうか?
 「んー」
 着物の少女は細い人差し指を顎に添えて、瞬考。
 「うん、まだ時間あるし、ちょっと遠回りしてもいいよね」
 ようやく歩き出す。
 方向を90度変えて、温かな風の吹いてきた細い道へ向かって。
 季節は春。
 日差しは柔らかく、命の息吹をそこかしこに感じさせるそんなお昼時であった。


風の王国 −vol.6 桜に唄えば/椿水(A Day 1/4)


 もしかしたら私は、私の知らない舞台の上で踊っているだけかもしれない。
 よくそう思うことがある。
 だからいつも何気なく通っている道でも、もしかしたら足を運ばない横道は「何もない」のかも?
 なーんて思うことがある。
 そう思うと怖くなって、行ったことのない横道に入ったりするのだけれど、当然そこにはちゃんと景色があって、人がいて、生活があるわけで。
 そんな時は、ホッとするのが半分、知らない景色にわくわくするのが半分。
 こうして今日も悪い癖(?)が出て、私の知らない景色に飛び込んだのでした。


 「わぁ」
 細い路地裏かと思われたが、そこは結構広い道だった。
 そして少女が今目にしているのは、一軒の店。
 砂漠を越えた遥か西方で用いられている服の数々が所狭しと並んでいた。
 呆れるほどにカラフルな物もあれば、まるで紐のようなきわどいものもある。
 そんな見たこともない数々の異国の服の中で、彼女の目の前に飾られているものは一際目立つもの。
 北方山脈に降り積もる粉雪よりも白い生地で、触っている感覚もないほど柔らかい、腰のくびれた「ドレス」と呼ばれるものである。
 これを模したものなら、彼女は友人の魔術師から見せてもらったことはあるのだけれども、こうして本物を見るのは初めてであった。
 「これはずっとずっと西方にある仏国って所で新婦が着る婚礼服なのよ」
 「へぇ…え?」
 背中にかけられた声に振り返る少女。
 そこにはゆったりとした白い長衣をまとった女性が一人。すらりとした背の高い、すれ違えば必ず目が向いてしまうタイプだ。
 猫――いや豹のようなキツめの両の瞳はしかし、穏やかに微笑んでる。
 「綺麗でしょう?」
 「ええ…こんなの着て結婚式やったら、幸せでしょうねぇ」
 「カレシに買って貰ったら? 滅多にお目にかかれないわよ、コレ」
 「え、いや、それはちょっと」
 少女は苦笑い。値札を見て内心驚いたからだ。
 「おまたせしました、ありましたよ」
 店の奥から男の声。少し遅れて店主と思われる青年が姿を現した。
 「おや、いらっしゃいませ」
 「あ、こ、こんにちわ」
 少女はぺこりと頭を下げる。
 店主は青い瞳と絹のような白い肌、金色の長い髪を持つ西洋人だった。
 ”うぁ、綺麗な人…”
 西洋は中東よりもさらに西方にあると言われる土地だ。
 まだ高句麗ではこの人種は珍しい。少女が驚いても無理からぬことである。
 「ゆっくりご覧になっていってください」
 少女の反応にも物腰柔らかに青年は少女に微笑み、婚礼服を見上げている先程の女性に手にしたものを広げた。
 それは豹柄のケープである。
 「これは如何です? さすがに前と同じものは見つかりませんでしたよ」
 「んー、そうねぇ」
 女性は振り返り、派手と思える豹柄ケープを纏う。
 だが実際に纏ってしまうと、もともと備えているきつめの雰囲気と馴染んで違和感はなかった。
 ”私だったら…”
 少女は己の着物を見つめながら、同じケープを羽織った自分を想像。
 子供が無理をして背伸びをしているような姿が脳裏に浮かんだ。
 ”うー、ダメだなー”
 考えを振り払うように首を横に振る。
 「ま、これでいっか」
 女性の諦めたような声が響いた。
 「もぅ代えはありませんから、次回の仕入れまで燃やしたりしないでくださいね」
 「次回の仕入れっていつよ…」
 「私が国に帰って、またこちらへ戻ってくる頃です」
 「だからそれっていつよ」
 呆れ笑いの女性と、困ったように頭を掻く店主の青年。
 どこか絵になる2人をぼぅっと見つめていた少女は、ふと我に返る。
 「あ、おじゃましました!」
 「あら、もぅ行ってしまうの?」
 「何のお構いもできずに申し訳ありません。またのご来店お待ちしております」
 少女はもう一度、ペコリと頭を下げて店を後にする。


 通りの左右は先程の衣類店と同じく、小さな商店が並んでいた。
 少女は出店の一つで焼いたトックを砂糖でまぶしたものを買い、それを頬張りながら進む。
 少し歩くと小川にかかる橋に出た。
 橋の上から水面を見下ろす。
 北方山脈の雪が解け出た冷たく澄んだ水が流れている。
 「水浴びにはまだまだ早い時期よねー」
 呟く。
 その水面に流れ行く桜色の小片を見つけて、顔を上げた。
 「あ、これだったのね」
 再び仄かに甘い香りが彼女を包んで、風とともに川下に流れ行く。
 顔を上げた先、川上には大きな桜の樹が一本、満開で咲き誇っていた。
 手にした残りのトックを慌てて口に詰め、早足で橋を渡って桜の木のふもとに向かう。


 塀の向こうから桜の大樹の枝が伸びていた。
 枝の下ではまるで雪のように桜の花びらが降り注いでいる。
 「これが本当の桜吹雪ね」
 「そう、全くお嬢さんは運が良い」
 「おおぅ?!」
 唐突にかけられた声に、少女は驚き思わず後ろへ一歩。
 そこは小川への側溝だった。
 「きゃ!」
 「おっと」
 右手を引っ張られ、危うく落ちるところを寸での所で止められた。
 「驚かせてしまったようで、すみません」
 苦笑いで彼女の手を掴んでいるのは一人の青年だ。
 革製の鎧を纏い、壮観な感を受ける。腰には一振りの刀を提げていた。
 「お、驚かせないでよ」
 少女はホッと溜息一つ。瞳に非難の色を浮かべて彼を睨んだ。
 「申し訳ない。お詫びにコレをどうぞ」
 彼は言いながら、桜の花が二輪だけ咲いた小枝を彼女の長い髪に挿す。
 「…運が良いって?」
 貰った櫛代わりのそれを確認しながら、少女は睨むような視線と言葉を彼に向けた。
 「は?」
 男は首を捻る。
 「運が良いって言ってたじゃない。一体何のこと?」
 「ああ、それか」
 青年は笑って上を見上げた。
 つられて少女も上を見る。
 そこには当然、落ちてきそうなほどの桜の花。
 「今日明日がこの桜の見頃なんだよ。この高句麗で隠れた名所なんだ、ここは」
 「へー」
 彼女は塀へと視線を移し、塀の途切れ目にあった門を見る。
 そこには「乾山園」と書かれている。
 ”ふーん、この向こうって庭園か何かかな?”
 「確かにすごいわね、この桜。いいもの見たわ」
 「そう言ってもらえるときっと喜ぶと思うよ」
 「…? 桜が?」
 男のそんな言葉の意味に少女は首を傾げる。
 「あー、まぁ、桜が、だね。そう。桜がだよ」
 「ふぅん」
 彼の苦笑いを浮かべたその反応にますます内心首を傾げながらも、少女は最後に桜の花を見上げる。
 「また来年も見に来るわ、きっと」
 「ではまた来年、運がよければ会おう」
 「そーね」
 彼と彼女は最期に笑い合い、お互い背を向けて歩き去る。
 不意に少女は足を止めた。
 そして日が僅かに傾いたお昼の空を見上げて、
 「あああ!! 遅刻じゃないのっ!!」
 駆け出した。
 少女の道はやがていつもの見慣れた道となり、いつもの生活に戻り行く。
 風に吹かれて、桜の花びらは少女とともに高句麗城へと吹き流れた。


To be continued , next character ...


[BACK] [TOP] [NEXT]