風の王国 −vol.7 花見の定義/夜想(A Day 2/4)
―――で、言い訳はそれだけですか?」
彼女は冷たく問いかける。
腰まであるまっすぐな長い髪が、どこから入ってきたのかほんのりと暖かな春の風に僅かに揺れた。
「あぅ……」
詰問されたもう一人の少女の表情は、きな臭く薄暗いこの部屋の中でははっきりとは読み取れない。
ここは広大な高句麗城の一角。
壁一面にきっちりと整頓された資料の杜の中。
そこで二人の少女が向き合っていた。
正確には違う。
一人はこの部屋唯一のどっしりとした机で手を組んで。
そして残る他方は、机の前で立ち竦んだまま、落ちつきなくそわそわと床を見つめていた。
「だ、だって!」
そわそわと立ちすくんでいた方――浅葱色の着物を着込んだ陽の雰囲気を持つ少女は、意を決したように顔を上げて一言。
「暖かかったんですよー」
「そうですか」
彼女を見上げる形で机に向かっている、陰陽を司る道服を羽織った陰の雰囲気を纏う少女は、無表情にそれを受け流した。
「こんな薄暗いところにいるから分からないんですよっ。外に出てみれば私の言ってることも分かりますって!!」
必死に弁を振るう着物の少女。
それに無反応ながらも、じっと彼女を見つめる道服の少女。
年頃は同じのように見えるが、その性質は全く逆に思える。
言い替えれば、着物の少女がヒマワリのような明るさを持っているのに対して、道服の少女は日陰に咲くスミレのような美しさを有していた。
「ようするに」
道服の少女は一言、そう切り出して着物の少女の言葉を遮る。
「貴女は『良いお天気で、桜が満開だったから』遅刻したと、そうおっしゃりたいのですね?」
「あ、いや、その……」
着物の少女は首を横に振ろうとして、しかしできない。
実際にその通りであるからだ。
「はい、その通り…ですぅ」
がっくりとうなだれて肯定する。
「貴女のその軽率な行動で、今回の計画に大きな支障をきたす可能性があります」
机に伏せた書類を手にしながら、道服の少女は抑揚のない声で続ける。
「実際にすでに一名、重傷を負ったとの報告も入っています」
「ええっ?!」
机に手を掛け、身を乗り出すように陰の彼女に詰め寄る着物の少女。
そんな少女の額を人差し指一本で押し返し、道服の彼女は溜め息一つ。
「我々の仕事はどれほど危険なものかを再認識なさい」
言って、彼女に手にした一枚の書類を渡す。
「今回、貴女を部隊から外した代わりに他の仕事をやっていただきます。詳細はその書類に記載されておりますので、良く読んで行動なさってください」
「はい……」
肩の力を落として着物の少女は答えた。
そんな彼女に追い討ちする。
「二度目はありませんから……分かりましたね」
「は、はいぃ!」
道服の少女の放つ言葉の中に込められた迫力に、慌ててビシッっと背筋を伸ばして敬礼する少女。
「では、失礼しますっ!」
おもちゃの人形のように反転、着物の少女はこの薄暗い部屋から退出しようとする。
その背中に道服の少女から声がかかった。
「貴女がおっしゃっていた桜は、どこのものをご覧になってきたんですか?」
着物の少女はクルリと反転。
「えへへ♪ やっぱり気になるでしょう? 春ですものねぇ、桜くらい見ないと!」
「……綺麗な桜だったのでしょうね」
「ええ、すごい綺麗でしたよぉ〜。場所、知りたいですか?」
えへへと笑って、着物の少女は問う。
だが彼女は勘違いしているようだった。
道服の少女は羨んでいるのではなければ、桜を見たいと思っているわけでもない。
着物の少女に纏わりつくようにして存在する、『見えない何か』を冷静に見つめながら続けた。
「なるほど、乾山園の桜を見てきたのですね」
「な、何で分かったんですか?!」
着物の少女は驚きに大きい瞳はさらに大きく広げる。
「知っていますか? 和国には美しく咲く桜には、ある秘密があるという格言のようなものを」
「?? 何ですか、それ?」
首を傾げる着物の少女。
道服の彼女は相変わらず無表情のまま、解答を呟いた。
「綺麗な桜ほど、その根元には人が埋まっているものなんですよ」
着物の少女は思わず一歩、後ろに退く。
そんな彼女に冷たい視線を向けながら、道服の彼女は続ける。
「乾山園は霊園。貴女、仙術を習得しているにも関わらず、そこで雑霊に取り憑かれてきているみたいですね」
「え?!」
慌てて己の周囲に目をこらしてみる着物の少女。
すると
薄く白いもやのようなものが3つ、彼女に纏わりつくようにして張りついているではないか。
その頭らしき部分には、落ちこんだ眼窩とだらしなく垂れさがる口のようなものがあり……
「きゃーーー!!」
着物の少女は部屋を駆け出して行った。
「全く……雑霊如きで騒がしい」
道服の少女は、今まで着物の少女が立っていた場所を一瞥。
そこには置いて行かれたように一匹の雑霊が漂っていた。
「失せなさい」
抑揚のない声で、印を切ることもなく一言。
白いもやは薄暗い部屋の闇に溶ける様にして消え去った。
「あら?」
床に白い何かを見つけて、彼女は目をこらす。
「桜?」
椅子から立ち上がり、それを拾う。
それは先程まで着物の少女が髪にさしていた桜の小枝だ。
桜の花が二輪、その存在を咲かせていた。
「春、ですね」
小枝を手にしながら、彼女は部屋の外――高句麗城の広い中庭を見つめた。
そこには春のうららかな日差しの下、木蓮が大きな花を枝の節々に咲かせている。
風に乗ってその仄かに甘い香りが彼女の元まで届けられてきていた。
「春だからと言って、花を見ることに大きな意味はあるのでしょうかね?」
机の上に桜の小枝を置き、彼女は席に戻ると再び書類仕事に戻って行った。
幾許の時が過ぎただろうか?
机の上で小さな顎に手をついて、規則正しい息をつく彼女がいた。
黒に近い赤の長い髪が春の風に揺れ、机の上へと広がる。
その色は漆黒の宝石として名高いヴィクトリアンジェットに、絵の具の赤を無理矢理上から塗ったような不自然さだ。
風で顔にかかった彼女の髪が、そっと手で払われた。
「せっかくの黒髪が台無しだな」
苦笑を伴った小声で、その髪を一房だけ手にした男は呟く。
「ん……」
道服の少女はうっすらと、その細い瞳を開いた。
目の前には、肩までかかる真紅の長い髪を持った隻眼の男の姿がある。
少女と同じようなデザインの髪と同色の道服を纏い、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「おはようございます、姫君」
「兄様……あはっ、夢でなら会えるのね」
彼女はぼんやりとしたまま、しかし嬉しそうに微笑んで目の前にあった彼の手を取った。
「あ、触れる」
「そりゃ、夢じゃないからねぇ。そろそろ起きなさい」
男は空いている方の手で少女の額にデコピン一発。
僅かな衝撃に少女は一瞬面食らう。
「え…兄様? どうしてここに?!」
慌てて掴んでいた手を離し、彼女は自分の顔を覗きこんでいる彼を見る。
お互い忙しくて滅多に会うことも出来ない、しかしこの世で唯一、家族と言える人。
彼の長い前髪の奥には、永遠に閉ざされた右目が隠されている。
しかし今、そこにあるのは穏やかな、自分だけに向けられている笑顔。
思わず甘えてしまいたくなる衝動を内心こらえた少女に彼は答えた。
「ちょっとこの国に仕事があってね。時間が空いたから寄ってみたんだよ、何よりこの城にも用があったしね」
その言葉に少女は僅かに頬を膨らませる。
「ホントに『ついで』なのね。それに兄様は知っているでしょう? この時間は私は仕事中だって」
「仕事中に寝ているのは歓心しないな」
「だって……春の陽気が」
先程、着物の少女が言っていた言葉を自らが使っていることなど気にも止めずに彼女は呟く。
「そんなことより。兄様はいつまでこの国に?」
「明日には発つと思う」
「……忙しいのね」
「今度、ゆっくり時間を取って遊びに来るよ」
そう言ってきた試しがない、そう出かかった言葉を飲み込み、少女は頷く。
「ん、分かったわ」
俯く。
その時、少女の目に机の上の桜の小枝が映った。
想いがそのまま言葉になる。
「そうだ、兄様! 今夜、桜を見に行かない?」
顔を上げ、兄の唯一の左の瞳を見つめながら言う。
「桜?」
「そう、お花見。綺麗に咲いている所を知っているの!」
「今夜、か」
困った顔で青年は顎に手を当てる。
そんな彼を見つめ、少女は己の言葉を心の中で反芻して、そして後悔。
「…ごめんなさい、兄様にも都合があるのに無理言ってしまって。夏にでも花火見に行きましょう、うん。そうしましょう」
あくまで笑顔のままで少女は一人、そう締めくくろうとした。
「いや、途中で仕事入って行かなくちゃいけないけど、それまでなら」
「え……」
少女は振り返り、青年に視線を戻す。
「いいの?」
「ああ。でもこっちこそごめん。せっかく会えたのにあまり時間が取れなくて……今度はもっとゆっくり出来るように時間作ってくるからね」
「そんなことない! じゃあ、今晩、仕事が終わる羊時に高句麗城の前で待ち合わせで…良い?」
「ああ。飲み物とつまみを買って待ってるよ。じゃ、また後でね」
「うん!」
小さく微笑み、青年は部屋を去っていった。
再び一人残された少女は今日の仕事を終わらせるべく、早速机に向かう。
「お花見、か。楽しみね」
自然と笑みの零れる彼女は、やはり数刻前と言っている事が違うのだった。
To be continued , next character ...
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