風の王国 −Vol.10 あいすくりーむと翠色(ショートストーリー)


 高句麗の東海岸には大海へ乗り出す港がある。
 その港をやや南に行くと、海底帝国への入り口があることを知っている冒険者はいるだろうか?
 竜宮と、その地は呼ばれている。海の生物が集う楽園である。
 その最深部、この竜宮を治める長の息子である彼は自室でおもむろに立ち上がった。
 彼の足元には投げ捨てられた町の情報誌『丸呑み高句麗vol11』。
 開かれたページにはこんな情報が載っていた。
 『これは美味い! 遥か西方伝来の氷菓子、格安の15銭』
 あいすくりーむと言うらしい。人間の女性達が美味しそうに食べている写真付きだ。
 彼は扉を開けて部屋を出る。
 と、そこにお化けのような大きなクラゲが立っていた。
 「殿、どこかにお出かけですか?」
 「……ちょっとな」
 「駄目ですよ、良い加減大人なのですから、ちゃんと施政していただかないと…ってあれ?」
 クラゲの化け物が説教を始めた途端、彼の姿は消える。
 「逃げたっ?!」
 クラゲの化け物――竜宮では結構偉い将軍なのだか――が非常事態宣言を発する前に、彼はこの地を後にしていた。
 彼の名は清皇太子。竜宮の女性の誰もが憧れる人気のプリンスである。
 「しかしこの姿はさすがにマズイな」
 愛用の武器である大鎌を肩に担いだ清皇太子は、海面に映る自らの姿を見つめて呟く。
 紫紺の長い髪の間に覗く自らも惚れ惚れしてしまいそうな凛々しい目鼻。
 年の頃は見た目は20歳前半。だが人族でなく海洋族である彼の実年齢は200歳を越える。
 「無害な子供にでも姿を変えるかな」
 ボソリと呟いて懐から取り出したのは薄緑の液体の入った小瓶だ。
 その中身を一気にあおる清皇太子。
 途端、彼の身長はカクンと縮み、顔立ちも幼げになる。
 12.3歳くらいだろうか?
 彼が大鎌を軽く横に振ると、ダブついていた服装も海洋族独特なものから人間の着る変哲もない長衣へと変わった。
 「さぁて、行くかな」
 清皇太子は高句麗の町へと向かって歩き始める。
 すでに頭の中は、人気の氷菓子のことでいっぱいだった―――


 『ポルコのあいすくりーむ屋さん』
 そんな看板のかかる店舗は、高句麗の街でもっとも人通りの多い中央通沿いにある。
 繁盛する店内に少し子供になった姿の清皇太子はいた。
 2人用のテーブル席に座り、皿に盛られた氷菓子をつつく。
 氷菓子は確かに美味い。
 ”美味いが……何だ?”
 視線が痛かった。周囲の人間がみな彼を見つめている。
 憧れの羨望では当然、ない。
 奇異の視線だ。
 注がれる視線はしかし全て女性であるという一点には残念ながら彼は気付いていなかった。
 ”居心地悪いなぁ”
 そう思い始めた頃である。
 「お待たせ,ごめんねー」
 快活な声と共に、目の前の空いた席に着物姿の女性が腰掛けた。
 手には彼と同じ氷菓子。
 清皇太子は目の前の女性をまじまじと眺める。
 年の頃は20を前にしたくらいではなかろうか?
 長い髪を二箇所でくくり上げ、大きめな瞳は烏色。
 傍らには力ある仙人のみ所有が許された三叉弦棒を立てかけている。
 美人という訳ではない、が印象の良い女性だ。
 当然、清皇太子はこの娘を知らない。
 彼女は清皇太子にだけ聞こえる小声で話し掛けてくる。
 「アナタ、旅行者でしょ。男一人でこのお店入るなんて馬鹿ねぇ」
 「……む」
 馬鹿呼ばわりされて清皇太子は内心、ムカッとくる。
 が、同時に気付いた。今までの奇異の視線がなくなったことに。
 「ここは男子禁制か?」
 「んー、そんなことはないんだけどね。男の子は買っても中で食べないと思うなぁ」
 苦笑する仙人の娘。
 そして清皇太子は小さく頭を下げる。
 「わざわざの心遣い、感謝する」
 「良いのよ、そんなの。って変な言葉使いね。アナタどこからきたの?」
 アイスを一口、仙人の娘は問う。
 清皇太子はやや口篭もるが、しかし軽く指を東に向ける。
 「もしかして和国から?」
 「そんなところだ」
 「小さいのに偉いねぇ」
 頭を撫でられる,さすがにこれは清皇太子はさっと避けた。
 「ガキ扱いしないでもらおう」
 「……子供じゃないの」
 微笑んでアイスをまた一口。
 「お前は何歳だ?」
 「お前じゃないでしょ、お姉さんって呼びなさいよ。私は17,椿水っていうの。君は?」
 「私は清…」
 はっと彼は口を紡ぐ。本名など明かそうものなら……まぁ、多分うそつきと馬鹿にされる程度のものだろうが、それもそれで嫌だった・
 「清岱という、13歳だ」
 「そか、良い名前だね。で、清岱は高句麗は初めて?」
 彼は小さく頷く。周辺ならば出向いたことはあるが、こんな中心地は確かに初めてだ。
 「じゃ、お姉さんが案内してあげようか?」
 「? 暇なのか?」
 問われて椿水は思案顔。
 「そーでもないんだけど、なんとなく、ね」
 笑ってアイスを最後の一口。
 「清岱はこのお店の成り立ち、知ってる?」
 椿水に問われ、彼は首を横に振った。
 「実はね、三月十四日のホワイトデーにここの店長がバレンタインデーのお返しをしようとお菓子を作ったの」
 清皇太子は思いだす。2/14は女性が気にかけている男性にチョコレートを渡す日。
 3/14は男性が女性にそのお返しをする日であると。
 去年辺りから西洋の文化の流入と共に竜宮でも流行ったのだ。
 「ここの店長はシルクロードの向こうから来た人なんだ。だから西洋のお菓子の作り方も知っててね,あいすくりーむを作ったんだけどこれが失敗に続く失敗」
 身振り手振りを加えながらの椿水の話に清皇太子は自然に笑みが浮かぶのに気付かなかった。
 「その失敗の中からとうとう大成功の逸品が出来たんだけど、その時には日が過ぎちゃってたんだ」
 「ほぅ、それは浮かばれない話だ」
 「で、傷心の店長は勢いに任せてあいすくりーむ屋を開いちゃったって訳。今では大成功してこの状態」
 言って店内を見渡す2人。席は全部埋まり、客は店の前にちょっとした列を作っていた。
 「良くそんな話を知ってるな」
 「だって、私の兄ぃがここの店長の知り合いなんだ」
 「兄がいるのか? 椿水は」
 「ええ。兄ぃと2人暮らし」
 「そうか」
 「さて、清岱。食べ終わったんなら出ましょ。面白い名所を案内してアゲル♪」
 椿水は半ば強引に清皇太子の二の腕を捕まえると、引きずる様に引っ張って店を出ていった。


 日も暮れる頃、二人は高句麗城の城門上から街を見下ろしていた。
 沈み行く夕日に碁盤目状に整地されている高句麗の城下町が赤く染まる。
 「良い眺めでしょー」
 「ああ、美しく、広大な街だ」
 清皇太子は純粋に感銘を受ける。
 人という種は力も弱く寿命も短い。
 だが数が揃えば自分達のような神に近い力を有する海洋族などよりも大きな力を持つのではなかろうか?
 そしていずれは自分は倒されるという道を辿るかもしれない。
 その時を待つのではなく、今行動を起こさなくては手遅れになるかもしれない。
 暗い、紫紺となった西の空よりも暗い考えが浮かぶ。
 「ん、どうしたの? 考え込んじゃって?」
 椿水に至近で顔を覗きこまれ、清皇太子は思わず顔を赤らめた。
 「疲れたの?」
 ”我々の脅威、か”
 目の前の、一日彼の姉貴分を演じてきた少女を見つめて、思う。
 人全てが同じではない。全ての人間が攻撃的とは限らない。
 共生の道もあるのではないか、と。
 そこまで考えて彼は苦笑。まったくもって大げさな話だ。
 「いや、大丈夫だよ」
 彼女に応える。椿水はほっと溜め息。
 「今日はありがとね、清岱」
 「え?」
 唐突な言葉だった。
 なぜ礼を言われるのか、彼には分からない。
 「私には兄がいるって、あいすくりーむ屋さんで話したよね」
 「ああ」
 街を眺めながら呟くようにして言う椿水の横顔は夕日に赤く染まっている。
 「私、お兄ちゃんっ子なんだ。だからね、一度お姉さんになってみたかった」
 「で、私が弟役ってことかい?」
 「そのとーり」
 にっこり微笑む椿水。
 「やっぱり迷惑だった、よね?」
 おずおずと問う椿水に清皇太子は大きく頷いて肯定。
 「まったく迷惑なくらい姉っぽかった。楽しかったよ、椿水」
 清皇太子は清岱として子供っぽく微笑んで続ける。
 「今日はありがとう」
 「ん、そか。清岱は良い子だね」
 「だから頭を撫でるなよっ」
 しかし清皇太子は彼女の手を振りほどくでもなく、撫でられるに任せる。
 彼女の頬に一筋の涙が見えたから。
 と、その時だ。
 椿水の表情に鋭いものが走る。
 「え……白骸骨の洞窟で……みんなが?」
 「椿水?」
 独り言を呟く彼女の袖を引っ張り、清皇太子は不安げに仙人に問う。
 「ゴメン、清岱。私の仲間がヤバイみたい。また……縁があったら会いましょう!」
 「お、おい!」
 椿水は城門の外へ向かって駆け出した。
 一人残された清皇太子は困った顔で懐に持っていた『それ』を夕日にかざす。
 夕日の赤は彼の手の中の澄んだ緑色と混ざって不思議な光彩を放つ。
 「お礼くらい、させろよ」
 呟くその表情は年相応の子供ではなく、彼本来の雰囲気を漂わせていた。


 白骸骨の洞窟と呼ばれる場所が高句麗の北部に存在する。
 そこは無念のうちに死んだ亡霊が骸骨となって放浪する地。
 彼らが外にあふれ出ないよう、潜入し彼らを退魔/調伏するのが冒険者達の仕事だ。
 その洞窟を椿水は一人、駆けていた。
 足取りは目的地へと向かうものとは異なる。何かに追われ、逃げている動作に近い。
 ガシャ!
 目の前を白い骸骨達に塞がれて、彼女は後ろを振り返る。
 ガシャガシャ……
 彼女を追ってきた骸骨達が後ろを固める。
 「くっ」
 三叉弦棒を構える椿水。だが仙人である彼女は他者を癒すことはできても傷つける術を知らない。
 ガシャ
 「?!」
 唐突に横合いから現れた骸骨が両腕を振りかぶって彼女の首筋を叩きつける!
 視界が歪む椿水。
 思わず右膝を洞窟の冷たい地面に付いた。
 それを機と見た骸骨達は椿水に向かって一斉に殺到する!!
 ”これまで…かぁ”
 比較的冷静に、白くぼやけ始めた視界いっぱいに映る白い骸骨達を眺めて椿水は嘆息。
 それぞれ得物を振り上げた骸骨達は次の瞬間―――
 ごしゃ!
 一斉に横に吹き飛んだ。
 強い、まるで空間そのものが敵意を剥き出しにしたような凄まじい打撃に骸骨達の一角が粉と散る。
 「な…に?」
 薄れ行く意識の中、椿水はどこか聞き覚えのある、しかし知らない男の声を聞いた気がした。


 「椿水!」
 清皇太子は叫ぶ。
 彼女の呟きを思い出して追ってきたのだ。それは吉と出たのか?
 骸骨達に囲まれ、肩膝をつく椿水の姿が見えた。
 「貴様ら、椿水に何をしたっ!」
 声に数体の骸骨が振り返る。
 彼らがそこに存在したものを認識する前に、大鎌が正確に頭部を寸断する。
 内沸する怒りに本来の姿を取り戻した清皇太子は、仙人の少女に殺到する骸骨達を大鎌から放った旋風で滅殺。
 彼女まで一直線に拓いた道を駆け、胸に抱く。
 気を失っているが、大きな傷はないようだ。
 「よかった」
 ほっと溜め息が思わず出る。
 気を取りなおし、彼は目の前の骸骨達を睨み、
 「消えろ、下郎!」
 大鎌の一閃に、全てが灰と散った。


 椿水が目を覚ましたのは自宅の自室だった。
 「??」
 窓からは朝日が差し込んでいる。
 「あれ?」
 ”昨日、骸骨の洞窟で囲まれて……??”
 身を起こす、自分の姿が昨日の着物のままであることに気付く。
 そして、
 「何かしら、これ?」
 胸に翠色の輝きがあるのに気付く。手に取ると、それは首飾りだった。
 手のひらよりも一回り小さい平らな翆柘榴石が銀製の枠にはまっている。
 翆柘榴石とはガーネットの変種、希少な宝石だ。
 「きれい……」
 朝日を分散させる翠の輝きに目を奪われることしばし。
 はっと我に返る。
 「お、目が覚めたか?」
 青年が部屋に入ってきたからだ。
 「兄ぃ、私、昨日どうしたのか知ってる??」
 青年――彼女の兄は小さく首を傾げて、
 「なんか玄関で寝てたぞ、お前。あれほど呑むのは押さえておけって言ったのに」
 「の、呑んでないよー」
 「じゃあ、何で家の前で寝てたんだ?」
 「それが分からないから聞いてるんじゃないのさ」
 「知らん」
 「じゃ、これは?」
 首から下がった首飾りを見せて椿水。
 兄はそれを、見つめて唸る。
 「高そうなものだなぁ、どうしたんだ、それ?」
 「さっぱ…り?」
 呟く椿水は一瞬、記憶が蘇る。
 清岱を大きくしたような男性が自分に首飾りをかけて微笑むのを。
 「……あれ?」
 「思い出したのか?」
 「……やっぱり良く分からないや」
 能天気に椿水は笑い、しかし大事そうに首飾りを懐にしまった。
 「また、会えたら良いね、清岱」
 窓の外、青空を見つめて椿水は小さく呟く。
 「誰だ、それ」
 「兄ぃには関係ないよっ」
 笑って彼女はベットから飛び降り、兄の腕を取って部屋を後にする。
 兄が開けた窓からは秋を偲ばせる涼やかな風が吹き始めていた―――

 清皇太子と椿水は敵同士として再会するのだが、それはずっと後のことである。


To be continued , Next Issue ...


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