瞬間移動の魔術だ。本来ならば転送先の座標をしっかり把握した上で、前儀式を行い、長い呪文と膨大な魔力の消費の結果に発動するものなのだが。
 シリアのことだから面倒な行程は己の魔力の力押しですっ飛ばしているんだろうが、行った先での戦いを考えるとよくも魔力が続くものだと思う。
 「じゃ、行ってくる」
 「留守番お願いね」
 ソロンとシリアはそう言い残し、光の柱へ飛び込んでいく。
 残された僕らはというと、
 「レナさん」
 「なんだい?」
 アスカがレナおばさんに歩み寄る。
 「私にも、守護の神聖魔術をいただけませんか?」
 「アスカ?」
 「ちょ、危ないよ!」
 僕とクレアの言葉を背に、しかしアスカは振り返ることなくレナおばさんにお願いする。
 そんな彼女におばさんは、
 「分かったわ、いってらっしゃい」
 「おばさん?!」
 「お母さん?!」
 「ありがとうございます」
 アスカは小さく一礼。その頭に、レナおばさんの守護魔術をのせた右手が触れた。
 薄く蒼い光に包まれた彼女はレナおばさんと、そしてクレアと僕に一瞬視線を移したかと思うと、
 「いってきます!」
 そう告げて、光の柱に飛び込んだ。
 残されるのは僕とクレア、レナおばさんと一部始終を見ているだけのシフ姐だ。
 光の柱は次第にその力を失い、消えつつある。
 「ルーンお兄ちゃん?」
 と。
 クレアに右手の袖を掴まれたところで我に返った。
 「ん?」
 クレアは小さく首を横に振って、袖を掴む力をさらに強める。
 あぁ、そうか。僕は彼女の表情で気付いた。
 僕も『行きたかった』んだと。
 アスカが飛び込んだその時、彼女を止められない以上、僕も行きたかった。
 行ってもきっと、ソロンとシリアの足を引っ張る事になるだろう。
 けれど、アスカ一人を護る事くらいは出来るかもしれない。
 ”行きたかった?”
 意志は腰の剣から。
 ”過去じゃないわ、現在よ、それは”
 声に、光の柱を見る。それは消えかけてはいるが、まだ………。
 僕は左手で右手を捕らえるクレアの手を握った。
 「お兄ちゃん?」
 袖からそっと離れるクレアの手。
 「ごめんな」
 一言。そして彼女の手を離し、僕は消える直前の光の柱に飛び込む。
 「あっ」
 空を泳ぐクレアの右手。
 そしてその後ろから両手に抱えられるかどうかくらいの大きさのものが投げ込まれた。
 「持っていきな、ルーン」
 「シフ姐?」
 光の中でそれをキャッチ。
 「餞別さ」
 ニヤリと微笑むシフ姐、戸惑い顔のクレア、変わらぬ笑みのレナおばさんの顔が、光の中に消えた。


 奇妙な浮遊感と白濁した視感を数瞬体験した後、場所はレンガ造りの食堂から赤い雪の積もる森の中へと移っていた。
 耳が痛くなる程の静寂が辺りを支配している。
 「ルーン?」
 声と気配に、腰の剣に手を添えて振り返る。
 「アスカ、か」
 ほっ、と溜息。
 「どうして、どうして来たの! 危ないよっ」
 「それは君もだろう。ところでソロンとシリアは?」
 「あ、うん、広場の方へ行ったんじゃないかな。私がここに来た時にはもういなかったし、それに」
 彼女が指差す地面は、赤い雪の上についた二人の足跡。
 「でもルーン。貴方、守護魔術を受けてないのにどうして大丈夫なの??」
 大丈夫、というのは雪による睡魔の事だろう。
 それは確かに心配すべき事なんだけれど、
 ”感謝してよね”
 剣魔イリナーゼの声が思考に響く。彼女の持つ瘴気で打ち消してもらっているのだ。
 「まぁ、その辺は色々な裏技で大丈夫。さて、僕達はソロン達の足を引っ張る事も出来ないし」
 「ところで、それ何?」
 「ん?」
 アスカは僕の抱える布袋に視線を移す。シフ姐に直前に渡されたものだ。袋を開けると、
 「胸鎧?」
 「綺麗な色ね」
 深い青い色をベースに金糸で細かい装飾の施された胸鎧だった。
 「永続魔術での加護がかかっているみたいね」
 アスカの言葉を聞きながら手早くそれを身に着ける。
 「んーと、風の精霊に『矢傷で傷つくことなし、できるだけ』ってお願いして宿らせているみたい」
 「できるだけってところが手落ち感があるね」
 サイズはぴったりだ。多分、僕の仮卒業のお祝いで用意してくれていたんだろう。
 こんなものを用意してくれていたということは、僕が卒業後にやりたいと思っていたことを知っていたというわけで。
 「さて、どうするかな」
 思考を振り払うように僕は言う。
 「じゃ、ルーン。私、おじいちゃんの所へ行ってきていいかな?」
 「おじいちゃん?」
 「私を育ててくれて、この村の村長でもあるの。心配だから」
 「そっか。よし、行こう」
 「うん!」
 笑顔で頷いて、アスカは自然と僕の手を取って引っ張った、その時だ。
 ”ルーン、右へ!”
 イリナーゼの思念。
 「きゃ!?」
 僕はアスカを押し倒し、右へ飛ぶ!
 背後で今まで僕達のいた所に黒い火柱が上がっていた。
 「へぇ、初撃で死なない奴に会うのは何年振りだろうね」
 声の主に振り返りながら、身を起こす。木々の間に広がる闇の中に褐色の肌をした女がいる。
 彼女は白い髪の間に光る赤い瞳で僕達を見つめていた。
 こいつは水晶球で見た、二人の魔人のうちの片割れだ。
 「ソロンとシリアが足止めしてるんじゃなかったのか」
 魔剣イリナーゼを引き抜き、僕は舌打ち。
 「あの二人なら兄さんが相手をしているわ。アタシは目標の気配と、妙な気配の二つを感じたから飛んできたのさ」
 言うと、魔人の女は腰に巻いた鞭を引き抜いて一度威嚇の為にパァンと地面を鳴らす。赤い雪が霧のように飛び散った。
 「アタシの名はネレイド。この妙な気配は魔族じゃないのか、アンタ。何でまたこんなガキの下にいるんだ?」
 ネレイドと名乗る魔人は僕の手に握られた剣――イリナーゼに向かってそう言い放った。
 しかしそれに対して、イリナーゼはだんまりを決め込む。
 「あのおばさん、何言ってるの? ぼけてるのかしら」
 僕の後ろで、小声でアスカは囁く。アスカはイリナーゼの存在を知らないのだ。
 「おい、小娘」
 「うぉ?!」
 ネレイドの闘気がグンと上がった気がした。
 「誰がおばさんかな? 誰がボケなのかな、かな?」
 「ルーン、どうしよう。おばさんがおばさんって言われて怒ってる。自覚ないのかな?」
 えっと、取りあえず僕の背中に隠れながらそんなひそひそ声で言わないでくれるかな、アスカさん?
 「そこの胸なし娘、聞こえてるんだよ!」
 ピシィ!
 鞭を鳴らしてネレイド。
 同時。
 ぷち
 何か切れる音が僕の背中で聞こえた。
 「ひ、人の気にしてることを! アンタみたいに胸が垂れてるよりはいいわよっ」
 アスカ、キレる。
 「なぁにおおぉぉ、男か女か脱いでも分からないような体型よりずーっとマシよ!」
 「こ、殺すっ!」
 すでに二人の間に火花が散っている、僕を挟んで。
 「アンタはどう思うのよ、少年!」
 「そうよ、ルーンはどう思うの?!」
 「えぇーっ、僕に飛び火ですか?!」
 僕は二人に視線を走らせる。
 スレンダー体型のアスカとボディコンなネレイド。
 選ぶのか?? こんなところで何を選ぶんだ?!
 「若いって良いと思わない、ルーン?」
 「大人の女の良さ、思い知らせてあげようか、少年?」
 えーっと。
 「「どっち?!」」
 攻められ、思わず、
 「アスカ、と答えさせてもらうっ」
 「ぬっ!」
 「やったっ! って、えーっと、それって」
 「ふ、ふふふふふ、高位の魔族が憑いてるようだし見逃してやろうと思ったけど、やっぱり殺してあげるわ」
 恐ろしげな笑みを浮かべる魔人ネレイドが右腕を頭上に掲げると、掌に闇の球が生まれる。
 だかすでに僕はこの時、剣を突き立てた格好で地を蹴って彼女の数歩手前まで走り込んでいた。
 「間に合うか!」
 僕は剣を突き出す。
 同時、魔人が腕を僕に降り下ろし、闇の球を僕に叩きつけんとする!
 「ルーン!」
 アスカの叫びが上空から聞こえた。
 「駄目かっ」
 僕は突き出した剣をぐるりと回転させ、魔人の至近距離から放つ闇の球を弾いた。
 すかさず僕は後ろに飛び退き、彼女からの間合いを保つ。
 「へぇ、私の魔力を弾くなんて。その剣魔、なまくらじゃないのね」
 ネレイドの感心したような言葉に、やはりイリナーゼは沈黙を守っている。
 「でも、肝心の持ち主の腕前はどうかしらね、っと」
 ネレイドは不意に右手を突き上げた。
 不可視の魔力の奔流が、上空から放たれた数条の風の刃を消し飛ばす。アスカによる攻撃性のある風の精霊魔術だ。
 「アンタ程度の魔術なんて効かないわよ、胸が洗濯板のお嬢さん」
 魔人は上空に移ったアスカに視線を移して言い放った。
 その隙を突いて、僕は再び切り掛かる。
 「んな?!」
 驚きの声を上げるのは僕の方。魔剣の刃は魔人の右手の人差し指と中指の二本に難なく捕らわれてしまう。
 「アタシを選ばなかった少年は苦しまずに殺してあげるとして」
 「ぐっ」
 指二本で僕は剣ごと持ち上げられた。
 「洗濯板娘は死ぬ手前まで痛め付けて、剣魔はこれからアタシが使ってあげるとするわ」
 言ってネレイドは僕を持ち上げる右手を軽く振る。
 「うわっ」
 まるでホコリを払うかのように投げ飛ばされる僕。信じられない怪力だ。周囲の風景が高速で右から左へと移っていく。
 「風よ!」
 上空からアスカが慌てて風の保護を飛ばすのが見えた。
 しかし遅い。次に見えたのは太い木の幹、まずいっ!
 ミシィ
 軋む、己の背骨と木の幹。
 「くっ」
 肺から漏れ出す僕の息。
 風に守られながらも僕は大木に叩き付けられ、息ができずに呻いた。
 「バイバイ」
 そんな勝利を確信した声が迫る。
 間髪入れず、魔人の強烈なボディーブローが僕を暗闇の世界へと叩き落としたのだった。


 暗転した先の世界には、イリナーゼが腰に手を据えて待っていた。
 「あほう」
 彼女は開口一番、言い放った。
 「な、何だよいきなり」
 「何だよ、じゃないでしょ。無鉄砲に突っ込んで行ったって、勝てる訳ないじゃないの。貴方の今の状態は内臓破裂、脊髄損傷、あばらが六本折れてるわ」
 怒れるイリナーゼ。
 「それって死んでるんじゃないの?」
 「今、私の力で再生してあげてるわよ。代償として貴方の寿命を三年さっぴいておくからね」
 あっさりと言う彼女。怒っている彼女を見ていると、対照的に僕の方は妙に冷静になれる。
 「えーっと、そうすると僕の寿命って??」
 「聞きたい? 聞きたいのなら教えてあげるわよ?」
 「あー、結構です。それはそうと」
 かなり怖いイリナーゼの顔を横見しながら、僕は話題を元に戻す。
 「あの魔人、どうやって倒せばいいんだろう?」
 問いに彼女は「ふむ」と腕を組む。
 魔人ネレイド――魔人の名の通り、超人的な体術を身につけており、扱う魔術については直接法と呼ばれる外法だった。
 この魔術体系は主に精神世界に存在の半分を置く魔族や天使、精霊界の住人である精霊達が操ることのできる方法だ。
 呪文や結界・魔術道具・法陣などを使用せずに、直接魔力自体を魔術として具現するという力技で、物質界の住人には用いる事が不可能だ。
 学院の魔術教授に言わせると、施行者の創造力のみで発現し、なんの縛りもないこれこそが本当の魔術であるそうだ。
 人によっては、あらゆる枷から外れたこれこそが「魔法」であると述べることもある。
 ネレイドの発現した闇の球はイリナーゼを通して弾いた感触から察するに、純粋にネレイドの魔力を破壊の一点にのみ絞った強力な破砕魔術だろう。
 超人的な物質的攻撃力と、縛りのない魔術による攻撃。
 よしんば攻撃が当たったとしても、扱う魔術の性格から察するに彼女の本体は精神世界に重きを置いている。
 致命傷を与える事は難しいだろう。勝ちに繋げる隙が、ない。
 僕はそこまで考えて顔を上げる。
 僕の思考と直接リンクしているイリナーゼには僕の考えていた事は伝わっている。
 彼女は「そうねぇ」と呟いてから、言葉を待つ僕にこう言った。
 「私達のような魔族もそうだけど、あの魔人は精神世界に存在に大きく傾いているって、そう推測しているわね?」
 僕は頷く。
 「だから僕達の振るう武器――物質的な力は、運良く当たっても効かないんじゃないかな」
 「そうね、だから反対のことも言える訳じゃない?」
 「反対のこと?」
 どういうことだろうか、僕は首を傾げる。
 「例えば私達魔族が貴方達――物質界の存在に攻撃する場合は、どうやるのかと思う?」
 「うーん、その時は魔族は実体化してるってこと? なら、その瞬間に攻撃すれば良いのかな??」
 出来の悪い生徒の答えに、イリナーゼは苦笑い。
 「確かに魔族が物質界の者に攻撃する瞬間は、物質的存在に傾くでしょうね。でも貴方にその隙を突く攻撃ができて?」
 「じゃあどうするんだよ」
 彼女は僕の額に右手の人差し指を伸ばし、コツンと突ついた。
 「貴方自身が精神的存在に傾くってのは、どうかしらね?」
 「僕自身が、え??」
 「あとは自分で考えなさい。さ、体の治癒はできたわ。早くしないとあの娘が殺されちゃうわよっ」
 イリナーゼは魔族らしい小悪魔的な笑みを浮かべながら、僕を背後の闇に向って蹴飛ばしたのだった。


 「はっ」
 気がつくと僕にボディーブローをかました魔人が背を向けて、上空からの風の刃を気合いで吹き飛ばしたところだった。
 ”気合いで吹き飛ばすって、化け物だな”
 アスカの放つ風の精霊魔術は決してレベルの低いモノではない。かなり高位の風の精霊を使役して行使しているものの筈だ。
 そんな魔力の刃を魔人は気合いで粉々にしている。
 ”って、それって、精神世界から風の精霊魔術を潰しているってことだよな”
 「ハハハッ! うちわでそよいだような風がアタシに効くかよっ」
 ネレイドの声で我に返る。
 時間はほとんど経っていない。イリナーゼとのやり取りは精神間の時間を伴わないもの、なのか?
 僕は傍らの剣を掴むと、上空のアスカを追わんと飛び立つ魔人の両足を切りつけた!
 「む? アンタ、何故再生している??」
 飛びずさり、魔人ネレイドはアスカから視線を僕に戻して身構える。
 確かに僕の剣は魔族の両足を切りつけたはずだ。しかしダメージはほとんどないようだ。
 何より切りつけた僕自身、何か霧を切りつけたような感触のなさを味わっていた。
 ネレイドは僕を一瞥後、右手に持つイリナーゼに視線を這わせて一人頷く。
 「アタシが甘かったようね。今度は灰も残さず一気にあの世に送ってあげるわ」
 彼女はニタリと笑い、右手にどす黒い炎を生んだ。
 チロチロと燃える小さなそれは、どんどん大きくなって行く。
 「させるか!」
 僕は魔剣を小脇に抱え、魔人に刺突!
 剣先は僅かにネレイドの大きな左胸に埋まるが、彼女は軽くその身を宙に浮かせて僕の反対側に降り立った。
 またも、今度は雲を切るような感触だ。
 「骨も残さず燃え尽きろ」
 彼女は右手を包むほどの大きさになった黒い炎を僕に突き出し……その瞬間だ。
 「村の皆のかたき、死ね!」
 裂帛の声は頭上から。
 細身の剣を抜き放ったアスカが急降下して魔人に刃を突き立てる!
 それはそうと村の人達って死んだのか、アスカ??
 ドスッ
 「ぐっ!」
 アスカの渾身の一撃は、僕に気をそらせていたネレイドの右肩を貫通した。
 途端、彼女の顔が苦痛に歪む。青黒い血液がほとばしった。
 ”あれ??”
 何故だろう? アスカの剣は細身の普通の剣にしか見えないが?
 「き、貴様」
 魔人の顔が醜悪に歪み、特攻をかけた事で体勢を直せないアスカの細い首を捕らえて片手で絞め上げる。
 「うっ」
 アスカは呻き、細身の剣から手が離れた。
 トスッと音を立てて、魔人に突き刺さっていたはずの剣は不意に宙から手を離されたかのように魔人の肩を素通りして土の地面に突き刺さる。
 ”あれ、これって?? 気合いで魔術潰したり、怒ったアスカの剣は魔人に通じて? あっ!”
 そうか、もしかして。
 そうだ、こういうことか?!
 「このっ、食らえ!」
 僕は駆け出し様、背中からネレイドの腹を突き刺した。
 しかしまるで幻に切りかかったようで何の手ごたえもない。
 「この娘をあの世に送ったらすぐに追わせてやるよ」
 ネレイドは僕に目もくれずに言い放つ。その間にもアスカの顔色は赤から紫に変わっていく。
 「その手を放せ、ネレイド!」
 僕は魔剣を魔人に突き刺したまま、柄に力を込めてこう叫ぶ!
 「滅びろ、魔人ッ!!!」
 気合いを篭めた烈裂の叫び。
 滅びを願う強い想いを魔剣を通して魔人ネレイドへと一方的に叩きつけた。
 「グハッ?!」
 盛大に血を吐くネレイド。
 魔剣は確実に彼女の心臓を貫いている。
 「きゃ!」
 どすんと音がする。ネレイドがアスカを手放したのだ。おってゴホゴホと咳き込む声。
 「消えてなくなれぇぇぇ!!!」
 剣の柄に力を込め、僕は叫ぶ。
 「ギャアァァァァ………」
 魔人ネレイドは断末魔の悲鳴を挙げたかと思うと、一瞬で白い灰となる。
 その灰は突如吹き荒れた風の刃によって粉々になり、上空へと吹き上げられて消えて行った。
 ”そう、魔族や精霊のような手合いは気合いで倒すのよ。精神世界の生き物だから想いが力になるの。分かった?”
 イリナーゼの声が脳裏に響く。
 それを無言で聞きつつ、僕は追撃の精霊魔術を炸裂させたアスカに駆け寄る。
 「大丈夫か?」
 喉を押さえながらも、左手をネレイドのいた場所に突き出した体勢のアスカは小さく頷いた。
 「お疲れさま」
 彼女の細身の剣を拾って手渡す。
 その瞬間だった。
 村の中心で大きな爆発が起こったのだ。

<Camera>
 赤い雪が舞い落ちるホワイトファレスの集落。
 その中心にある、噴水広場。
 探索の水晶に映っていた通り、寸分変わることなく魔人の男は待っていた。
 「遅かったな、娘はどうした?」
 魔人の掠れた声の質問にソロンは返答として背の大剣を抜き放つ。
 浅黒い肌を持つ魔人の、その端整な顔に表情が生まれる。眉がピクリと動いたのだ。
 「生憎だったな、置いてきたよ」
 「そうか」
 「女の魔人はどうしたの?」
 シリアの問いにしかし、彼は答えない。苦笑いを浮かべてソロンが続ける。
 「アンタが何の目的でこんな事をしているのか知りたいが、教えてはくれないだろうな」
 「分かっているではないか」
 魔人は言うと、軽く跳躍して噴水の彫像から二人の前に飛び下りた。
 「我を倒せばこの雪は消え、ファレス達は眠りから目覚めよう。それ以上、語る事はあるだろうか?」
 魔人は左手を空に振るう。するとどこから生まれたのか、次の瞬間には銀色に輝く長剣が握られていた。
 「俺の名はソロン。いざ勝負!」
 大剣をぐるんと振りまわし、魔人に向けて彼は告げる。
 魔人はそんな戦士に、口の端を笑みの形に吊り上げた。
 「貴公の名に答えよう、我が名はパスウェイド。静寂の夜を振り撒く者」
 ノーモーションで魔人パスウェイドはソロンとの距離を詰める。
 ギィン!
 剣と大剣とがぶつかり合い、火花が散った。
 「むぅ」
 漏れる声はソロンから。
 片手で剣を扱うパスウェイドにソロンが力負けしている。
 「私を忘れないでよね!」
 シリアが叫び、炎の矢を魔族に向けて飛ばした。
 降り注ぐ幾本もの炎の矢の魔術はしかし、パスウェイドの空いた左手が向けられる。
 途端、魔人の掌からは飛来する炎よりも数の多い氷の矢が発せられてその全てを打ち消し、残りがシリアを襲った。
 そして右手の銀の剣は、ソロンの大剣に対して振り抜かれる!
 剣撃と氷の魔術、そのそれぞれを各々距離を取ることでかわすソロンとシリア。
 ””こいつ、やはり強い””
 二人は同時にそう心で呟いていた。
 「一気にカタを付けるぞ、シリア!」
 ソロンは後ろへ跳躍、間合を取って叫ぶ。
 「む、魔術師の方か」
 瞬間、パスウェイドの注意はシリアへ向かう。それが魔人にとっては思いもよらぬ失敗だった。
 「くらえ、虚空閃!」
 何もない空間に向かって振り下ろされたソロンの大剣は空間を渡り、魔人を肩口から切り裂いたのだ!
 「何?」
 パスウェイドが苦痛の顔でよろめく。
 青黒い血が容赦なしに魔人を斜め一文字に噴き出した。
 「空間を渡る剣術?!」
 よろめきつつ、パスウェイドは後ろへ数歩たたらを踏み、
 「滅びよ、無に帰らん。完全に滅することを!」
 シリアの歌うような消滅の呪文が完成した。
 虚無の宿った杖は、未知の剣術に戸惑う魔人に向けられる。
 「なっ、消滅の魔術がこの短時間で成立だと?! しまっ」
 シリアの杖から噴き出した灰色の雲が、魔人を取り巻き、そして、
 ゴアァァァ!!
 大きな爆発を起こした。土が舞い、土砂がソロンとシリアに向けて飛ぶ。
 「やったか」
 「やったわ」
 身構えながら声を掛け合うソロンとシリア。
 そして土煙が収まる頃、噴水自体がきれいに消滅するサイズのクレーターを残して、魔人パスウェイドは村を包む赤い雪と共に姿を消していた。
 倒したのか、それとも逃げられたのか?
 それは分からなかったが、あっけない。
 思ったよりもあっけない、これが今回の事の顛末である。

<Rune>
 そして僕達は村を救った英雄として――牢屋にぶち込まれていた。
 魔人ネレイドを撃退した僕とアスカは彼女の家へと足を進めたが、そこで待っていたのは激怒している彼女の祖父こと村長さんと数人の若い衆だった。
 どうも赤い雪が降る前から記憶が止まっているらしい。
 帰りが遅い彼女に怒るのと同時、僕という外部の人間を見て大激怒。
 魔人の説明をしてもまったく取り合ってもらえず、今に至るという訳だ。
 なおソロンとシリアにしても同様で、さらに広場の噴水をぶち壊したことで村中の怒りを買っている。
 「どうも牢屋ってのは性に合わないよな」
 ソロンの呟き。性に合っていたら人間失格だろう。
 「ファレスの牢屋って鳥籠なのね、貴重な体験だわ」
 と、こちらはシリア。
 僕達は村外れに生えている大木の梢にぶら下げられた鳥籠の中にいた。
 地上から30リールはあるここは、高所恐怖性の囚人には耐えられないだろうなぁ。
 「しっかし、ルーンが魔人の片割れを倒すとはな。お前、そんなに強かったか?」
 ソロンがまじまじと僕を見る。
 「私達の相手だった魔人パスウェイドは魔人の名に恥じない化け物だったわよ」
 「ま、俺達にかかれば瞬殺だけどな」
 「最初からいきなり必殺技使ってれば、そりゃ相手も不意突かれるわよ」
 威張るソロンにシリアが冷たい目を向けている。
 アスカと聞いた爆発音。あれこそが噴水を吹き飛ばしたというシリアの駄目押し魔術だったのだ。
 「僕一人じゃ無理だったよ、当然。運良くアスカとイリナーゼがいたからね」
 答えに二人は邪気のない穏やかな笑みを浮かべて、逆に僕が引く。
 「ふむ」
 「まぁ、それが誉めてあげたい所なんだけどね」
 「へ?」
 「アスカを奪取されるどころか、怪我一つなしに護れた事ね。素直に誉めてあげるわ」
 「いや、だってアスカは精霊魔術使えるからけっこう強いし」
 「あの化け物レベルと拮抗できるほど強くないぞ、あの娘は。将来的には強くなるかもしれんが、今の段階では魔人相手には瞬殺されるはずだ」
 む。
 僕は瞬殺されましたげどね。
 「過程がどうであれ、本来の目的である『ファレスの娘を護る』ことを貫けたんだ。えらいぞ」
 「うん、えらいえらい」
 「頭を撫でるなーっ!」
 二人してくしゃくしゃと僕の髪をぼさぼさにする。
 うっとおしいが反面、身内であっても他人を誉める事のない二人に素直にそうされることで、今ごろになって魔人ネレイドを倒した達成感が湧いてくる。
 ”倒してないわよ。撃退しただけで、精神世界経由で逃げられたんだから”
 「え?」
 心に聞こえる声に、僕は完全に夜の帳が下りた籠の外を見る。
 「ごめんね、こんなことになっちゃって」
 そう囁くような声が聞こえたかと思うと、羽音を立ててよろめきながら一人のファレスが籠の外に現れた。
 アスカだ。
 両手にソロンの大剣、シリアの杖、魔剣イリナーゼと各々の小さな荷物を一杯に抱えてふらふら滞空している。
 「ご苦労様」
 シリアが言葉をかけるのと同じタイミングで、籠のしっかりした木枠の一部がゴリッという音と共にソロンによって取り外された。
 こんな牢から出ることなど僕達三人にとっては何の苦もないことなのだが、武器や荷物を取り上げられたままこの場を離れる訳にはいかずにこうしてアスカを待っていたのだ。
 「ふぅ」
 荷物を降ろして、彼女は溜息一つ。小さな籠の中に一名来客で、さらに狭くなる。
 「さて、そろそろ行きますか」
 シリアの言葉に、しかしアスカが待ったをかける。
 彼女は荷を受け取ったソロンとシリア、そして僕を一人一人見つめ、姿勢を正してこう言った。
 「村を救ってくれてありがとう。ファレスを代表してお礼申し上げます」
 神妙な顔で深々と頭を下げるファレスの娘を、シリアは止めさせる。
 「いいのよ、あの魔人が映像越しとはいえ私達に喧嘩を売ってきたんだしね、言わば私闘よ、うん」
 「でもこれは受け取ってください。報酬は支払われなければなりません」
 アスカは懐から取り出した小さな麻袋をソロンに手渡す。
 ソロンは中をチラリと見て、
 「多くないか? それにこれは君のじゃないだろう?」
 「だから良いんです」
 村長さん、娘の教育間違っているんじゃないかな?
 「じゃ、受け取っておく。とりあえずここを出ようぜ、シリア」
 「そうね。ここじゃ法円書けないから、街道沿いに出る簡易移動魔術になるけど良い?」
 「充分だろ。てか、よくそんな魔力残ってるな、お前」
 「さっきちょっと、うたた寝したしね。でも街道に出たら、そこからはさすがに歩きだからね」
 そんな事を言いながら、シリアは両手で複雑な印を組み、呪文を詠唱。
 「じゃ、また会うことがあれば良いな、アスカ」
 「時々遊びに来てね」
 淡い魔術の光に包まれる僕達の声を聞きつつ、アスカは微笑んで。
 微笑んで、僕の右腕に抱きついた。
 一瞬、大木に吊り下げられた籠にフラッシュが焚かれたかのような光が生まれる。
 光が消えた後、月明かりに照らされた籠の中には、一つの人影もなかったのだった。


 辿りついた先はエルシルドの街から西へ20キリール(およそ25km)程行ったエルファランドの大森林の中を突ききる街道沿い。
 頭上に僅かに覗く夜空からは、比較的明るい月明かりが僕達を照らしている。
 ソロンとシリア、僕とそしてアスカを。
 「えーっと、アスカ?」
 「ん?」
 「どうしてここに?」
 彼女は転送魔術成立の瞬間、僕に掴まることで一緒に転移してきたのだ。
 「うん、この機会に村を出ようと思って」
 言う彼女は小さな袋を背負っていた。旅の道具が入っているのだろう、全然気付かなかった。
 「村を出て、どうするの?」
 「どうするって??」
 僕の問いに、彼女は問いのまま返してくる。
 「んー、どうしよっかなぁ。とりあえず色んなものを見たいなーってね」
 能天気だ。そして驚くほどに無計画だ。
 そんな彼女にソロンは苦笑いで告げる。
 「俺達はエルシルドにここから歩いて戻るけどさ。どうする、ついてくるか?」
 「歩いて?」
 「さすがに魔力切れよー」
 シリアもまた苦笑いで応える。
 「日の出前には街に着くだろうさ。帰ってさっぱりしたいぜ」
 「そうねー、暖かいシャワー浴びたいわ」
 そんな二人の冒険者を見つめてから、アスカは僕を見る。
 「ルーンはどうするの?」
 「へ?」
 「「は??」」
 アスカの問いはソロンとシリアをも首を傾げさせる。
 それを気にすることもなく、彼女は再度問う。
 「ルーンも街に戻るの?」
 「僕は、」
 そうか。
 お互いにきっかけが必要だった。
 アスカもファレスの集落の中で過ごしてきて、外へ出るきっかけを探ってきたんだろう。
 彼女は今回の件を機会に、外へ飛び出す。
 では?
 では僕はどうか?
 同じ思いを抱いて今日まで過ごしてきた。
 ソロンとシリアのような冒険者に憧れた。いつか自分もああいう生き方をしてみたいと思った。
 そして、今の僕がなりたいもの。それは。
 それは、エルシルドの街に篭もっていては決して目指せないものだ。
 だから。
 「どうしたの、ルーン?」
 「お前」
 シリアとソロンの声に、僕は向き直って応える。
 「僕はいいよ。二人で帰って」
 「は?」
 「ふむ」
 シリアの疑問に満ちた顔、ソロンのどこか誇らしげな顔。
 そして。
 「もしよかったら、一緒に行かないか?」
 アスカに右手を差し出す。
 彼女は満面の笑みを浮かべ、
 「うん、改めてよろしくね、ルーン!」
 僕の手を握る。ほっそりとしたやわらかな手はしかし、しっかりとした力強さを持っていた。
 「え、ちょ、え、えぇー?!」
 戸惑うのはシリア一人。
 「一度帰ると決心が揺らぎそうになるから、このまま行くよ」
 「そうだな、それが良い」
 頷くソロンに、
 「良いわけあるかーー!!」
 ごすっ、とシリアの頭突きがソロンの顎を下から打ち抜いた。
 「ぐぉぉぉぉ?!?!」
 のた打ち回るソロン。
 シリアはキッと僕を睨み、僕の胸に指を突き付ける。
 「路銀に食料はどうするの? 寝袋もなにもかも、旅の必需品を持ってないでしょ? 準備もなく路頭に飛び出て、生きて行けると思ってるの?」
 「あぅ」
 その通りだ。勢いだけで一切合財うまくいくはずもない。正論だ。
 「冬はまだまだ厳しくなるのに防寒具もないのよ、一体どうするつもりなの? 野宿すら出来ないじゃない」
 シリアのツッコミに詰まる僕に、いきなりザックが押しつけられる。それはソロンの私物。
 「そん中に一通り入ってる。がんばれよ」
 「ちょっと、ソロン!」
 「いいんじゃないか? 何とかなるだろうさ、俺達みたいに」
 シリアはソロンを見上げる。しばらく対峙した後、先に視線を逸らしたのはシリアの方だった。
 「あー、もぅ! そうね、そうよねっ!!」
 髪をかき乱しながらシリアは唸る。
 「私達の時も無茶をしたしね。分かったわよ、ルーン。がんばりなよ!」
 言ってシリアはソロンの懐から先ほどアスカから受け取った小袋を奪い取り、中身をざらざらと半分以上手の中に収める。
 手にしたそれを、僕の左手に強引に握らせた。硬い石のような感触が幾つか。
 「餞別よ、計画的に使いなさい」
 見ればそれは宝石だった。かなり価値のあると思われるものが五つほど。
 アスカが村を代表して支払った報酬の半分以上だ。
 「ありがとう、シリア。ソロンも」
 「で、まずはどこに行くつもりだ、ルーン?」
 ソロンの問いに僕はアスカを見る。
 彼女は一つ小さく首を傾げてから、どうぞというジェスチャーを取る。
 僕に任せる、そういうことだ。だから僕は、
 「そうだねぇ、まずはここから西にある首都アークスへ」
 「そうか。まぁアークスなら治安も悪くはないし、色々得られるものも多いだろう」
 満足げに頷くソロン。
 一方でシリアがアスカの手を取って言った。
 「ルーンはこう見えて、かなり抜けてる所があるから。よろしくフォローしてあげてね」
 あれか、お前は僕の姉か??
 言われたアスカは「えーっと」と呟きながら僕とシリアの間を視線で行ったり来たりしながら、最終的には。
 「はい、頑張ります」
 と答えたのだった。
 「じゃ、気をつけて行けよ。縁があればまたどこかで出会うだろう」
 「あんまり無理はしないのよ、しっかりね、二人とも!」
 エルシルドへ向けて歩き始めるソロンとシリアに、
 「あぁ。またどこかで」
 「ありがとうございました」
 僕とアスカは手を振り、彼らとは反対方向に歩き始める。
 やがて夜も白み始め、東の空から星々が消え出す。きっとしばらくすれば青空が拝めるだろう。
 僕達の行く道には何が待っているのだろうか?
 例え何があろうとも、
 「ん、どうしたの?」
 「いや、なんでもないよ。行こうか」
 「うん!」
 一緒に過ごした時間はまだ数えるほどだけれど、隣の彼女がいればなんでも乗り越えられる。
 そう、裏づけも何もないけれど、確固たる自信がこの時の僕にはあったのだった。


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