<Camera>
 深い闇。
 そこを支配しているのは、ただただ闇だけだった。
 まるで空気自体が闇であるかのような空間の中、色白の男が存在している。
 病的なほどに白い肌に、痩せた相貌。
 暗紫色のローブを身に纏った彼は、中年も後半に差しかかっているように見える。
 彼の持つ黒く長い髪は闇の中に広がり、同化していた。
 また、彼の白い右手には複雑に歪曲した杖が握られている。
 「ん?」
 男は閉じていた目を開く。
 灰色の瞳が其処に生まれる。闇の向こうで起こっていることを見つめることができるような、不思議な虹彩を放つ瞳。
 「これはまた計算違いだな」
 言葉とは正反対の、どこか嬉しさを込めて彼は呟く。
 彼の前の闇には、いつからか二人の男女が膝を付いている。
 浅黒い肌を持つ男女。その身には軽くはない怪我の存在が確認できる。
 魔人パスウェイドとネレイドだ。
 「娘は集落を離れました。私を撃退した二人の傭兵はおりません。今度は手間なく拉致できるでしょう」
 「いや、必要ない。お前達二人は、今はその傷を癒すことに務めよ」
 パスウェイドの言葉に闇の男はそう応える。
 「しばらく様子を見よう。これはこれで、あの子を育てることのできる良いステップだ」
 「カルス様、あの娘は一体?」
 魔人ネレイドの思わず口をついた問いを、パスウェイドが無言で窘める。
 カルスと呼ばれた闇の男は彼女の問いに答えることなく、灰色の瞳で闇の先を見つめた。
 「行くが良いアスカ、そして世界を見るのだ。全てがつながっていることを体感する為に」
 満足げな笑みを浮かべ、男は再び目を閉じた。


 カラン♪
 玄関のカウベルが鳴る。
 「おかえり、ルーンお兄ちゃん、ってお兄ちゃんは?」
 クレアは帰ってきた『二人』に尋ねた。
 午前六時、そこではクレアとその母であるレナ、吟遊詩人のシフが眠らずに待っていた。
 いや、違う。
 レナとシフは起きているようで寝ている。レナはグラスを磨きながら、シフもまた竪琴を磨きながら目を閉じていた。
 戻ったソロンはあくびを一つ。
 「ルーンは冒険者になった。このまま旅に出るとよ」
 「ちょっ、ちょっと、どういうこと? それって!」
 「面白そうね、聴かせなさい」
 クレアと、起きたシフが問い詰める。
 「へいへい、分かったよ。順を追って聴かせるから、って、シリア?」
 ソロンは立ったまま、彼の背にもたれるように眠ってしまった魔術師を抱き抱える。
 「何気に大きい魔術を使いまくったからな。こいつを部屋に置いてきてから聴かせるよ」
 「お話はいつでも良いわよ。今はゆっくりとおやすみなさい」
 優しい、しかし他の意見を受け付けないほどはっきりとした声が響く。
 クレアの母、レナの言葉だ。どうやら起きたらしい。
 「でもお母さん」
 口を開こうとするクレアはしかし、レナの無言の視線で黙らされる。
 「じゃ、夕方ごろな」
 レナの言葉にソロンは感謝しながら、二階にとってある部屋へと階段を上がって行く。
 「クレア、貴女も全然寝てないで、今日の授業は大丈夫なの?」
 「う、今からちょっと寝るもん!」
 レナに追いたてられるようにして、クレアもまた自室へと去って行く。
 静かになった一階のロビーは、レナとシフの2人きりとなる。
 「行っちゃったわね、ルーン」
 グラスをカウンターに置いて、レナはしみじみと呟く。
 「そうね。いいきっかけだったのでしょう、喜ばしいことだわ」
 シフは竪琴をテーブルに置いて、小さく溜息を吐きながら答えた。
 「怪我、しないといいのだけれど」
 お茶を煎れながら、レナはちょっと困った顔をする。
 「大丈夫でしょう。魔剣も懐いていることだし」
 吟遊詩人は微笑み、そして。
 「なによりあの子の旅路は祝福されているわ」
 「へぇ、旅を司る風の神さまにそう言ってもらえるのなら間違いないわねぇ」
 レナは煎れたてのお茶の入ったカップをシフのテーブルに置いて目を細める。そんな彼女にシフは微笑んで言う。
 「だからせいぜい貴女も祝福なさい。信じる光の大神の名の下に、あの子の往く道が光に照らされることを」
 「んー、『そっち』に加護を祈っちゃうと、より試練が増えそうだからやめておくわ。目も見えない獅子の子を魔窟に突き落とすような教育方針な神様だしね」
 「違いない」
 二人は微笑み合いながら、窓から差し込む朝日に目を細める。
 暖かな朝日はカップから立ち昇る湯気を優しく照らし、小さな七色の掛け橋を作り出したのだった。


 所変わってここは、ありとあらゆる情報と文化が集まる文明のるつぼ。
 アークス皇国首都アークスは、山間の盆地に広がる大都市である。
 難攻不落の城と噂の高い王城は都市の北側に位置し、その背後には切り立った標高300リールの天然の岩山――通称『フラッドストーン』を有している。
 堂々とそびえ立つ王城は白亜の城として名高く、美しさと威厳を千年以上も放ち続けている。
 初めてこの街を訪れた者達の中には、その迫力に見惚れる者も少なくない。
 王城の南側をおよそ20キリールにも渡って城下町が扇状に広がる。
 構成内容は充実しており、首都の名にたがわない、アークスの文化と経済・魔導の中心であった。
 アークスが他国と異なるのは主に発展した魔導技術である。
 魔導技術、すなわち魔術は大別すると次の三つに別けられる。
 『言葉』を通じて生じる精神の振動により、精神世界から魔力を引き出す呪語魔術。
 人々の信仰と言う力――すなわち神の力を借りる神聖魔術。
 自然界に留まらず、全てに存在しているという不可視のエネルギー『精霊』の力を借りる精霊魔術。
 この中でアークスは学問という分野に近い呪語魔術を古くより開発し、文化・軍事、全ての分野において活用してきた。
 呪語魔術は『言葉』の振動数によって精神世界のエネルギーを具現化する法である。
 『言葉』には簡易的な下位呪語と、かつては会話にも用いられた上位呪語があり、下位呪語による魔術は知識がなくとも暗記していれば、万人に使用できるとされる。
 では誰にでも魔術師となる素質はあるのだろうか?
 答えは否である。
 魔力を導き出す言葉の組み立ての知識を有し、より力の強い上位呪語、さらに魔力を補助する魔陣や魔導の杖、詠唱時の振りつけなどをマスターするとなると、半端な努力では真の魔術師にはなることはできない。
 だがこのアークスにはそういった魔術師が数多く生まれている。
 その秘密は文化レベルの高さだ。
 国民には五年間の基礎教育が義務付けられており、小さな村にすら学び舎が設置されている。
 これにより魔術師はもちろん、様々な技能者を育て得る下地を整えているのである。
 かつてこの地域に存在したといわれている伝説の魔導王国スエードもまた、このアークスのような制度を採っていたと記録されている。
 そんな魔術の発達した白亜の宮殿に、一人の青年が早足で廊下を駆けていた。
 廊下の右側はそのまま中庭に通じており、そこに出ればすぐ真上に城の東を守る塔が見て取れる。
 塔のある位置――王城の東の一角にあるのは第七騎士団待機室。
 王城を守備する七つあるアークス皇国騎士団詰所の一つだ。
 その隣にある団長控室の扉の前で、男は足を止めた。
 青年からは堅いイメージを受ける。
 端正な顔に黒くやや長い髪と同色の黒い瞳は、アークスの多くを占めるニールラント民族だ。
 長身であり、体格もしっかりとしている。歳は二十代前半であろうか。
 腰には片手持ちの剣を一振り下げ、清潔感のある城詰めの騎士である事を示す黒いチェニックを纏っていた。
 その上にマントを羽織り、そこには桐の葉を形どった紋章が銀色の糸で刺繍されていた。
 桐の葉は第七騎士団に所属していることを示し、銀色の糸はその中でも団長の次に位が高い副団長であることを示している。
 なお騎士団の紋章は第一から第七まで、『剣と盾』『雷』『大剣』『十字』『蹄』『大蛇』『桐の葉』だ。
 桐の葉と副団長を示す証を持つ彼は、第七騎士団団長室の扉を軽くノッキング。
 「入れ」
 中からやや高めの声が応じるると、青年は静かにその扉を開けた。
 「エナフレム様、緊急招集が掛かりました。急いで御用意を」
 大きな執務机を前にして、背を向け椅子にもたれかかる団長に彼は告げた。
 「どうした? またザイルの奴等がちょっかいを出してきたのか? それとも海賊の件か?」
 耳に心地好い、凛とした女性の声が団長席から発せられる。
 「いえ、北の方でかなり厄介なことが生じた模様で」
 「そうか」
 やや怪訝そうに団長は答えた。
 その様子を眺めながら扉を閉める青年。彼が振り返ると同時、
 「それはそうとな、シャイロク」
 凛とした声はやや柔らか味を帯び、そして親しみのある感情が灯る。
 「二人きりの時はその丁寧語はやめろって言ってるだろう」
 拗ねたようなそんな団長の言葉に、青年は椅子に腰掛けた『彼女』を見た。
 まず目に入るのは、灼熱の炎を思わせる燃えるような赤い髪だ。
 背中にまで届くほどのある、わずかにウェーブのかかった真っ赤な髪。
 それを無造作に後ろに束ねた中に白い顔が覗く。茶目っ気のある茶色の瞳が見て取れた。
 赤い髪と茶色の瞳は西方の民族――レイズの血を濃くひいていることを示していた。
 レイズ民族は一様に高い身体能力を持ち、数々の英雄や勇者と呼ばれる人物を輩出している。
 しかし反面、繁殖能力が低いとも言われ、多民族にはなれないとされている。
 そんな彼女の歳の頃は十代後半だろうか。
 年ごろの娘にはあまり見られない、鋭い眼光と無意識に周りを突き刺すような雰囲気を纏っていた。
 「あくまでも職務中ですから。それに今回はどうでもいいって訳でもないようですね」
 応対する青年はしかし、彼女の持つ鋭さを軽くいなして、さらに背筋が凍るような冷たい視線を突き刺し返した。
 「何より姫。いくら寒いからといって、そのダルマのような格好は何ですか?」
 言われた椅子に座る彼女、胸も腰もその境界線が分からないような体型になってしまっていた。コートの上にコートを羽織っている……そんな重装備だ。
 「まったく。そんな格好を他人に見られたら、誰でも百年の恋が冷めますよ」
 「あー、分かった分かった」
 両手で両耳を押さえながら姫と呼ばれた彼女。
 「分かったから、もう小言はやめてくれよ、シャイロク。本当に口うるさい奴だな」
 溜息一つ。
 「で、何枚脱げばいい?」
 コロンと椅子から下りて、いかにも寒そうに両肩を抱いて言った。
 「少なくとも十枚は脱いで下さい」
 シャイロクと呼ばれた彼は額を押さえて言う。
 「そんなことしたら、たったの十二枚になってしまうではないか!」
 「前言撤回。十五枚は脱いで下さい」
 「と、凍死するぞっ!」
 「しませんよ」
 小さく首を横に振りながら、シャイロクは彼女に迫って行く。
 「あ、こら、やめ……いやっ! そんなトコロ触って、あん」
 「変な声を出さないでください。無駄ですから」
 「うぅ。うわっ、寒いって。いや、ホント、いーやー!!」
 女性の拒絶と暴れる声がしばらく執務室に続く事となる。
 彼女の名はリース・エナフレム。
 現アークス王の弟系の血筋に属する、いわゆる王子から見て従兄妹である。当年とって十九歳。
 美しい容姿からは想像もできないほどの男勝りな荒々しい剣技を身につけており、騎士の間では烈火将軍の異名を持つ。
 畏怖と敬意でそう呼ばれる事は、それが彼女が王家に連なると言う血筋による力からではなく、実力で第七騎士団の団長にのし上がったことをも示していた。
 その副官であるシャイロク・ラスパーンはリース姫に従士として付いて11年。
 現在二十四歳であり、商人出の貴族として力をつけているラスパーン家の長男であった。
 醜く腹黒いと評判の父親とは似ても似つかない彼は、その表面上は柔らかな性格と端正な容姿で、城内の女官達を始めとして人気が高い。
 またリースの片腕として第七騎士団の副団長という地位に甘んじてはいるが、その実力は烈火将軍をも凌ぐとも劣らないと噂されていた。
 もっともこの噂は彼をひいきする女官達の間でのことであるが。


 「寒いぞ、シャイロク」
 すっかり身軽になったリースは両肩を抱きながら、副官の後を追う。
 「夏は暑いと言っていたではありませぬか」
 振り返りもせずに答えながら早足で進むシャイロク。
 「だから何だというのだ?」
 「その時の事を思えば、涼しくなったではないですか」
 「それもそうだな……って、えーー??」
 取り留めもないことを言い合いながら、二人は会議室へと向かう。
 会議室は暖房が効いていた。席も半分ほどが埋まり、それも次第に埋まって行く。
 リースは席につき、ようやく一息ついた。
 席が埋まる頃、誰ともなく口をつむぐ。
 その状態のまましばらくすると、国王が宰相と軍事顧問を従えて席についた。
 会議室には国王直属の軍事代表が一同に会していた。
 七つの騎士団の団長とそれぞれの副官の、計十四名。
 呪語魔術のエキスパートを集めて作られた少数精鋭の宮廷魔術師団の団長と副長。
 騎士団とは別管理となる、一般魔術師を統べる皇国魔術師隊隊長と二人の補佐。
 そしてそれら全ての上に立つ、軍事顧問兼国王の相談役が国王の右隣に。
 左隣には、文官を取り仕切る宰相。
 一同を見渡して満足げに頷いた国王は、その老域の長いことを示す白く長い顎髭を撫でつけながら告げた。
 「皆集まっておるな。急ぎ集合してもらいご苦労。それでは緊急会議を始める」
 国王は視線を右へ。
 頷いた軍事顧問グレイム・イラは会議を進行する。
 初老の域を向かえた彼は、かつて騎士の中の騎士と称された英雄であり、派閥を超越した存在である。騎士達の間で最も尊敬されている男と言っても過言ではないだろう。
 彼は小さく咳を一つ。
 「北の同盟国であるリハーバー共和国から先月、次の様な報告があった」
 一息。
 「北の酷寒の地として皆も聞いたことはあろう。シルバーン大山脈の向こうで魔族達が集結を始めたと」
 彼の言葉に一同はざわめく。
 リースもまた不安げな顔を隣の副官に向け、そして表情は怪訝に変わる。
 シャイロクには何の表情も見られないからだ。
 魔族とは文字通り、魔に属する一族。
 人間のように物質界に住まう者ではなく、むしろ精神生命体に近いとされているが諸説は色々である。
 ただ一様にして、人の敵であるという点では間違いはない。
 それが集結とすると、考え得るのは一つだ。
 魔王の誕生、である。
 有名なものでは、およそ百年ほど前に西の海に発生した魔王『青』。
 同時期に隣国の龍王朝で発生した魔王『赤』。
 小さなものを含めれば枚挙に暇がないが、魔族たちは力ある魔族に従って集団行動をすることが多々ある。
 それを人は魔王誕生と呼ぶ。
 魔王は人の世界に侵攻し、度々人の王国すら滅ぼす事もあるのだ。
 「魔族か。どのくらいの規模で集まってるんで、旦那?」
 第三騎士団団長であるクラール・シキムが問う。
 問うまでもなく、その規模は大きいものと予測は出来た。
 何故ならばわざわざ他国での魔族の動きなどで緊急の会議が催されるはずもなく、また全騎士団団長や関係者がこのように一同に揃う事など滅多にない事であるからだ。
 「うむ。真偽を確かめるため、宮廷魔術師団長ルース殿に探索を頼んだ。後はルース殿に引き継いでもらう」
 全視線は老騎士から中年魔術師に移る。
 「ルース様、か。いつも見ても渋い魅力のある人ね」
 ルースを見て、リースが思わず年齢相応な事を呟く。
 「少しは緊張感を持って下さい」
 団長の囁きにシャイロクは副官として注意を与える。
 はいはい、とリースは聞いているのかいないのか、そんな返事をしたようだった。
 「では皆様。まずはこれをご覧ください」
 魔術師は杖を取ると軽く何かを呟く。すると会議室の中心―――宙空に巨大な球状の映像が写し出された。
 移見映像投影機と呼ばれるそれは、アークスにおいては一般的なものだ。
 記録した映像や、議事進行の為のボードにもなる。
 今ここで移見映像投影機に映し出されているのは、巨大な城のようなものだった。
 絶えることのない猛烈な吹雪の中に、氷でできている巨大な城の姿が映し出されている。
 「地元の伝承にすぎませぬが、シルバーン山脈の北にはかつて魔王と呼ばれる程の高位な魔族がいたと伝えられております」
 一同がざわめく。
 魔王関連の情報については再発防止も含め、アークスでは逐次情報を収集しているがこの地域での情報は初めてであったからだ。
 「しかし魔王はある英雄により地に封じ込められたと伝えられておりました」
 ざわめきを抑えるように、ルースは告げる。
 「何分古い伝承ですので、口伝程度にしか情報は残っておりません。また魔王のいた当時、この地はこのような酷寒の地ではなく、温暖であったということも補足までに」
 「それで魔術師殿。この城にはその魔王とやらが住んでいると考えてよいのか?」
 第五騎士団団長のハノバ・テイスターが問う。
 「おそらく。この城からは多くの強い魔力が感じられました」
 「彼ら魔族は何を企んでおるのだ? ただ、そこにいるだけとは考えられんのか?」
 ハノバの副官が尋ねた。
 「分かりませぬ。魔族が集結しつつあることは確かですが、どのような行動を起こそうとしているのかまでは不明です。魔術にも限界があります故」
 「グレイム殿。それでは我らに何をしろとおっしゃるのでしょうか?」
 困り顔で問うのは、学者肌の第一騎士団団長エノリア・アムアだ。
 「この地は酷寒の地。我ら騎士の足では進むこともままならぬでしょう。夏を狙うとしても、この地の夏はおよそ一週間との情報があります。それも吸血性の羽虫が大量に発生し、冬以上に足を踏み入れるのは危険とされているはずです」
 彼は右手で眼鏡を上げ、溜息と共に一気に捲し上げた。
 「うむ。我々の手の届かぬところで魔族が行動しておっては対策を練ろうにも練れぬな」
 軍事顧問グレイムはその意見を受けて顎に手をやった。
 「集結しつつある魔族にしても、必ず攻め込んでくるという確信が得られた訳でもないしのぅ」
 「グレイム殿! 魔族がその内に人を襲うのは目に見えております。ここは無理を承知で攻め込み、滅ぼすべきでは?」
 神官出の聖騎士の称号を持つ第四騎士団団長ハーグス・イスナが俄然と言い放つ。
 「おいおい、エノリアの言葉を聴かなかったのか? どうやって行くのだ?」
 隣に座るクラールが苦笑いで告げる。
 「魔術師殿に瞬間移動の術を使ってもらえばよかろう。我々が一気呵成に襲いかかれば、如何な魔族ともひとたまりもありますまい」
 得意げに答えたハーグスに、ルースは小さく首を横に振った。
 「転移魔術で大人数を転移させるなど無茶な話です。また転移魔術は実際に行った事のある場所でないと確度が低くなるのですよ」
 「できれば戦は控えて貰いたいものですな。今年度は海賊の被害で資金が不足しております故」
 ルースの言葉を継いで、国王の左隣に座る宰相パルテミス・アリが、禿げ頭を撫でながら憮然と言う。
 「しかしリハーバーへの体面と言うものがあるしのぅ」
 そんな国王の呟きに会議室に沈黙が訪れる。
 「それでは」
 沈黙を破ったのはシャイロクだ。
 「シルバーン大山脈の麓に、必要最小限の兵を監視として駐留させるしかありませぬな」
 「ふむ、もしもの侵攻に備えた前線基地ということか」
 第六騎士団長シュール・アクセが言葉を繋ぐ。
 「魔族相手となると、宮廷魔術師団からも一部割いてもらった方が良いな」
 その案に国王が、グレイムが、そして渋々ながらもパルテミスが頷いた。
 「それが一番だろう。では細かい点を煮詰めて行くとしよう」
 国王のその言葉の下、細かい点が詰められていく。
 最終的に、半年交替で騎士団が一部隊出向することとなった。
 シルバーン大山脈の麓で北の大雪原を監視。場合によっては魔族との交戦を念頭にされたその計画には、騎士団の他に皇国魔術師隊から二隊。他に宮廷魔術師団からも二名派遣ということで決定される事となる。
 駐留地の名はブラックパス。
 そこはシルバーン大山脈をすぐ北に臨む小さな村。
 遥か太古に人の国と魔族の国とが争った最前線と言い伝えられる、古き時代の遺跡のある地であった。


 「ということで、我ら第七騎士団がまず始めに向かうことになった」
 リースは第七騎士団待機室で待機していた一部の騎士――およそ十分の一である三十名に告げた。
 議論を重ねる中、結局は言い出しっぺが向かうということになったのである。
 「出立は二日後、他の者にも伝えるように。では、解散!」
 騎士達は肩の力を落として部屋を出て行く。
 ただでさえ今年の寒さは例年より強いというのに、さらに北へ向かわねばならないのである。
 これが遥か南方への出向ならば皆、喜び勇んで出立の用意をすることだろう。
 「ったく。シャイロクが余計なことを言わなければ」
 愚痴をこぼしながら、リースは団長室に戻る。
 そこでは出立に際しての書類の整理をしているシャイロクの姿があった。
 「シャイロク! お前が余計なことを言わなければっ」
 ヒュン!
 言い掛けたリースの言葉が途切れる。
 振り向いたシャイロクの手が光り、次の瞬間にはリースの頬に一筋の赤い線が走っていたのだ。
 「なっ!」
 硬直するリース。
 シャイロクはリースの後ろの壁に、ナイフで縫い止められた赤い蝙蝠を手に取る。
 貫かれたそれは、動きをやがて緩慢なものにし、そして動かなくなった。
 「姫の命を狙う者がいます」
 厳しい表情でシャイロク。
 「それは?」
 「牙に毒を持っています。暗殺に使われるドレインリアーと呼ばれる特別な蝙蝠ですよ」
 シャイロクはナイフを引き抜き、蝙蝠を窓の外に捨てた。
 「私が? 一体何者に??」
 「何者かが王権を狙っているという情報が入っていまして。王家の血をひく者を皆殺しにする、というね」
 険しい目でシャイロクは血の付いたナイフを拭う。
 「シャイロク……そうか、だからわざわざ私達を遠征に?」
 「半信半疑ではありましたが、多方面から集約すると確度が高めな話だったものでね。話に乗らせてもらった訳ですよ」
 額に皺を寄せながら、彼は考え込むようにして言葉を続けた。
 「こうして実力行使してきた以上、出立までの二日、私は姫の警護に当たらせてもらいます」
 そんなシャイロクの言葉にリースは思わず後ずさる。
 「え? だ、大丈夫だって。自分の身くらい自分で…」
 「今の蝙蝠に気が付かなくてよく言えますね。今夜は姫の家に泊まりこみますよ」
 ナイフを懐に戻し、シャイロクは戸惑うリースに問答無用に言い放った。
 「えーと、私、一人暮しなんだけど?」
 「ならば、余計に心配です」
 書類を整理しながらシャイロクは即答。
 「え、えと、そうじゃなくて!」
 頬を赤らめてリース。部屋はそんなに暖かくはない。
 「ほら、一つ屋根の下に若い男女が一緒にいるってのは…さ?」
 リースは必死になって何かを訴えようとするが、シャイロクは小さく首を傾げるだけだ。
 と。
 「あぁ」
 彼は何かに気付いたようにポンと手を打った。
 「泊めてもらうのですから、晩御飯は美味しい物を作りましょう。この腕によりをかけてね」
 実はシャイロク、料理の腕は有名レストランのシェフ並みだ。
 「あー、もう違う! もういい……」
 再び首を傾げるシャイロクを諦め、リースは先程脱いだ15枚の上着を再び着込み始めたのだった。


 首都アークスのほぼ中心に位置する高級住宅地。
 そこは貴族や大商人、国から貸し与えられる公宅などが整然と並んでいる。
 ここは下町と違い、夕暮れになると街灯である魔術光が灯り、品の良い静寂が辺りを支配する。
 そんな住宅街の中。
 鮮やかな夕焼けを受けて、整然と敷かれた石畳の道を二人の騎士が各々の馬に乗って進んでいた。
 「ほ、本当に来るのか?」
 夕日に赤い髪をさらに赤くしたリースが、隣を行くシャイロクに声を掛ける。
 彼は眩しそうに彼女に視線を移した。
 「何か見られてはいけないものがあるので?」
 「そんなんじゃない。一つ屋根の下に二人だけっていうのは……ま、まぁ、お前とだったら…いいかなぁ」
 何をだろうか、勝手に納得するリース。
 「まぁ、それはとうと、話は変わるが」
 馬上でリースは深まって行きそうになる思考を停止するため、彼に問うた。
 「お前の所のラスパーン家には十七歳の時に決めたある宝物を持ち帰らないと、大人として認めてくれないっていう決まりがあるんだって?」
 リースの振ったその話にシャイロクの顔が僅かに硬張る。
 「どこからそんな情報を? ラスパーン家以外の者は知らないはずなのですが」
 彼の言葉にリースは口許でチッチッと人差し指を横に振った。
 「どうもお前は私を子供扱いしがちだな。私にもお前の知らない情報網くらいあるぞ、女官達の井戸端会議だとか」
 「井戸端会議なんかでラスパーン家の門外不出である情報が話されるとは、ね」
 苦笑いのシャイロク。正否はともかく、女官達の情報量は確かに半端ではないことは彼も知っている。
 「お前の弟、確か第二騎士団だったよな?」
 「ええ」
 やや苦い顔でシャイロクは頷く。その表情は夕日の逆光で彼女には見えないでいた。
 「弟は一人で、北にあるフィプノス荒野で暴れていた一つ目巨人サイクロプスを倒したそうじゃないか」
 「そんなこともありましたね」
 「王がその褒賞として何が欲しいか言ってみろとおっしゃったそうだ」
 思い出しながらリースは答える。
 「へぇ、それで何を頂いたんです?」
 知っているにも関わらず敢えて尋ねるシャイロク。
 「お前の弟は倉庫の奥に眠ってた龍槍ガウディとかいう槍を貰ったそうだよ。それが成人になるための彼の宝物だったって話」
 「そうですか」
 「で」
 クルリと、馬上でシャイロクに反転しながら彼女は問う。
 「シャイロクは何だったんだ? 手に入れた宝物って?」
 好奇心旺盛な彼女は身を乗り出して彼に問い詰める。
 ラスパーン家はシャイロクの父が一代で成り上がった商人の家系である。
 現王の恩恵の下、彼の父は己の勢力増大のために十三歳だったシャイロクを王族の従兄妹であるリースの付き人とした。
 それは商人上がりの彼と反目する貴族達への布石である。
 こんな商売一筋であったラスパーン家には、元来の商人家系の為にこのようなしきたりが未だに残っているのだ。
 当初はこれをクリアする事で自立し、一人前の商人になるための試験だったのかもしれない。
 リースはシャイロクが宝物と定めた物が何であったのか、それが知りたいのだった。
 シャイロクは小さく笑って答える。
 「何だった、じゃなくて何だ、ですよ」
 「え?」
 「何故ならまだ手に入れていませんからね」
 答えるまでは話題は変えない、そんな雰囲気のリースに仕方なしにシャイロクは答えた。
 「手に入れていないって……一体何を狙っているの?」
 意外、と言いたげにリースは首を傾げる。
 そんな彼女に彼はにっこりと笑って、
 「手に入れるまでは他人に口外してはいけない決まりなんですよ」
 「気になるじゃない。教えてくれたっていいでしょう?」
 「ダメです」
 「上司の命令!」
 「バレてしまっては、私は家から一人前として認めてもらえなくなりますから」
 「うーー」
 そんなことを騎上でとめどなく話すうちに、二人はリース所有の屋敷の前まで辿りついた。
 馬を裏にある馬屋につなぎ、二人は屋敷に入る。
 と。
 「どうしたの?」
 玄関の扉の前でシャイロクは腕を横に延ばし、リースを止める。
 「何か気配がする。誰か家に泊めてるのですか?」
 「え? 誰もいないわよ」
 ガチャリ
 リースが答えるのと同時に玄関の扉が開いた。
 シャイロクは戸惑う彼女を庇うように前に出ながら腰の剣に手を伸ばした。
 「あら」
 シャイロクの鋭い眼光を一身に受けたのは、一人の少女だった。
 「お帰りなさい。シャイロク様も御一緒でしたか」
 エプロン姿の可愛らしい少女だ。
 歳の頃は十七、八だろうか。黒いポニーテールと、大きな黒い瞳が印象的な美少女と言って良い娘だ。
 「え、と。誰?」
 屋敷の主であるリースが尋ねる。
 「申し遅れました。私はユーフェ・フロイス」
 ペコリ、彼女はポニーテールを揺らして頭を下げる。
 「宮廷魔術師団長ルース様の命により、リース姫様の力になるように言われました」
 「宮廷魔術師ルース殿の? すると君は高位の魔術師なのか?」
 シャイロクの問いに「えぇ」と満面の笑みで答えるユーフェ。
 「泥棒なら扉も窓も開けずに家に入ったり、仕事場で夕飯を作ったりしませんよ」
 彼女の言葉通り、家の奥から美味しそうな香りが漂ってくる。
 「で?」
 怪訝な表情でリースは問う。
 「魔術師さんがどうして人の家で夕飯作って待ってるのか?」
 不機嫌にリースは尋ねた。ユーフェは対して笑顔で答える。
 「宮廷魔術師団独自の情報に、リース姫様の命を狙っている者がいるというものがありまして」
 言葉に、シャイロクの目に力がこもる。
 「王様からルース様を通して護衛も命じられたんです。これが指令書です」
 言って差し出す羊皮紙には、王からルース宛に今のことが書き記してあった。
 無論、王直筆のサインもある。
 「む、そうか。それで私の命を狙う奴の名は分かったのか?」
 リースは手紙を返して問うが、ユーフェは首を横に振るだけだった。
 「そうか、では今日はもう帰るがいい」
 「え?」
 首を傾げるユーフェに、リースは畳み掛けるように告げた。
 「今夜はシャイロクが護衛しててくれるから、問題はない」
 言ってシャイロクに視線を移す。
 対するユーフェはシャイロクにも訴えるように反論した。
 「しかし刺客は魔導師も雇っている様子。この屋敷に魔術的な罠を四ヶ所発見しました。シャイロク様の実力を疑う訳ではありませんが、魔術に関しては私もいた方が良いかと」
 「し、しかしな」
 返事に困るリース。
 その赤き姫君の様子にユーフェはさらに小首を傾げ、シャイロクを一瞥。
 そして再びリースに視線を移し、「あぁ」と呟くと納得したようにポンと手を叩く。
 「それもそうですね、せっかくのお二人だけの時間を邪魔しちゃ悪いですし」
 「へ、いや、そんなことはないぞ。あくまで上司と部下、上司と部下だ。なぁ、そうだろう、シャイロク??」
 しどろもどろになって答えるリースはシャイロクを見る。
 二人に見つめられているシャイロクは、思い出したように「あぁ」と顔を上げた。
 「そうですね。宮廷魔術師がいるのは心強いですね、姫」
 「……そ、そう、かな?」
 「それに姫、先程一つ屋根の下に二人きりというのは良くない、だとかおっしゃっていましたし」
 「え、あ、うー」
 怒ったような、困ったような、なんだか良く分からない表情でリースは僅かにうろたえた後、
 「ああ、そうだな。シャイロクの言う通りだよ。ったく!」
 暮れきった夜空の下、夕日の残光と街灯の魔術光とを受けて、リースは疲れた声で言い放ち玄関をくぐる。
 後には素直にリースの態度に首をひねるシャイロクと、彼を中に誘うユーフェの姿が残された。
 屋敷を囲む冬枯れの木々は彼らを守るように、北風を受けて軽く音を立てる。
 やがて日は沈み、屋敷の中からは暖かい光と笑い声が聞こえてきてくるのだった。

<Rune>
 日が沈み始める。しかしそれよりも早く辺りが暗くなっていった。
 「やばいな、雨が降りそうだ」
 「これじゃ、早めに野宿する場所を確保した方が良いわね」
 隣を歩くアスカが言う。
 昨夜の魔人騒ぎから一路、街道を西へ西へと僕達二人は進んでいる。
 睡眠を取っていないこともあり、所々休憩を挟みながらの歩みだった。
 現在地から無理をすれば後三時間程で宿場街たる小さな村にたどり着けるのだが、ずぶ濡れになるのはどうかということで今日は野宿になりそうだ。
 「雨宿りができそうな…そうだな、木の下あたりがいいかな」
 森の中を走るこの街道は、おそらくどこかの山の麓なのだろう。木々に混じって大きな岩も覗いていた。
 「ねぇ、ルーン。あそこに洞窟があるわよ」
 袖を引っ張られて彼女の指さす方向を見ると、木々に隠れた微妙な位置にそり立った岩壁があり、そこには人がしゃがんで入れる程の小さな洞窟が口を開けていた。
 「あそこで野宿かな、いいかい?」
 「野宿は慣れてるから」
 あっさりとしたアスカの答え。
 どうして慣れているのか不思議に思ったが、取り合えず僕達はその小さな洞窟へと向かう。
 洞窟は固い岩壁をくり抜いた形で、ずっと奥まで続いているようだった。
 「先客とか、いないかしら?」
 「大丈夫そうだね、動物の足跡の痕跡もないし。アスカは火をおこしてて。僕は薪を集めてくるから」
 「分かったわ」
 ソロンから渡された背負い袋を渡し、僕は薪を集めに森の中に足を進める。
 半刻も経たないうちに両手いっぱいの枯れ木を集めることが出来た。
 持てる限りの木の枝を縄で巻き付ける。
 「こんなものでいいだろ、兎も取ったし」
 兎を偶然見つけて捕らえたのは幸いだった。
 おそらくソロンから渡された袋には携帯食料が入っていたと思うが、あまり美味しくはないし。
 ”ルーン、ちょっといい?”
 イリナーゼが話しかけてくる。
 「どうしたの?」
 ”私のこと、しばらくはあの娘には内緒にしてて欲しいんだけど”
 「そうだね、仮にも君は魔族だし」
 イリナーゼの言わんとしていることを悟り、答える。
 道中に魔族がすぐ傍にいるというのは、あまり印象の良いものではないだろうし。
 ”そ・れ・と♪”
 何故か声を躍らせて剣魔は問いかけてくる。
 ”どうして貴方はあの娘の誘いを受けたの?”
 冷やかしの口調で魔剣は言う。
 「聞かなくても分かるだろう? 君は僕の心を読めるんだから」
 薪を背負い僕は返す。
 ”プライベートなところは触れないのよ。それに直接言葉で聞いた方が面白いしね”
 「近所のおばさんみたいだなぁ」
 魔族への認識がまた変わった。
 ”好きなの? あの娘が。一目惚れってやつ?”
 「ん〜、分からないな。そうかもしれないし、全然違うものかもしれない。だから心を読んでくれた方がいいんだよ」
 実際そうだった。アスカは異性として確かに魅力的だが、それ以上に何かを感じてこうして旅を共にしているのだ。
 彼女もまた、僕に同じものを感じているのかもしれない。
 む、それは自惚れかな?
 ”ふ〜ん、この件に関しては私は触れないことにするわ。それじゃね”
 答えて、イリナーゼの意識が消えていった。
 途端、僕の鼻に冷たいものを感じる。
 「やばい、降りだした!」
 僕は急いで洞窟へと走る。


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