「遅いよ、ルーン」
 洞窟の入り口では、山菜を籠に詰めたアスカが火種を落ち葉で絶やさないようにしながら待っていた。
 「ごめんごめん、兎を追いかけてたからさ。アスカは山菜を?」
 「うん、近くにたくさんあったからね」
 さすがは森の民。
 「私、ルーンの手料理が食べたいなぁ」
 じっと上目づかいでこちらを見つめるアスカ。
 「それって料理当番を押しつけようってこと?」
 「そんなことないよ、でもおじいちゃんが私によく『お前は料理を作らないほうが良い』って言うからね」
 「…僕が作る」
 怖いものを感じて、僕はナイフを取り出した。
 やがて香ばしい匂いが火を囲んで立ち込める。
 焚き火の上の小さな鍋の中には山菜と肉のスープ。
 その鍋のまわりには二本の兎のふともも焼きが小麦色に焼き上がっていた。
 器にスープを盛ってアスカに渡す。
 「「いただきま〜す!」」
 僕は焼き上がった肉を口に運んだ。
 アスカはスープを一口。
 「うん、おいしいね! ルーンって料理うまいねぇ」
 感心したようにアスカは言う。
 「両親とも家にいることが少ないから自分でよく作るんだよ。アパートの食堂も多いけど」
 ふと怒ったクレアの顔が目に浮かんだ。
 「家にいることが少ないって?」
 不思議そうに尋ねるアスカ。
 「仕事らしいけど、僕にも教えてくれないんだ。探ったこともあるけど尻尾が掴めない」
 不思議な父と母ではある。
 「面白いね、それって。私は両親とも知らないからなんとも言えないんだけど…」
 不意に言葉を区切るアスカ。
 「確か村の長老がアスカのお爺さんなんだよね」
 それに彼女はコクリと頷く。
 「父さんは私が生まれた時に旅に出て帰ってこなくて、母さんも私を少しの間だけ育てたらすぐどこかへ行っちゃったんだって。理由はおじいちゃん、絶対教えてくれないんだけどね」
 寂しげに呟く。
 「きっとどこかで出会えるよ、この旅できっと見つかる。いや、見つけようよ、この旅でさ!」
 しかしアスカは首を横に振った。
 「ありがとう、でも良いの。今は寂しくないから」
 「でも、いると良いものだよ。ご両親の名前は?」
 「父さんは結局分からないけど、母さんはレイナ。私にそっくりなんだって」
 「性格が、でしょ?」
 ふと思いつく。
 「どうして分かったの?」
 驚きの顔で彼女。なんというか、お約束だなぁ。
 「あと3つ上の兄もいたらしいんだけど、父さんと一緒に旅に出ちゃったらしいの」
 「兄弟かぁ。そちらの名前は?」
 「カイ。そうおじいちゃんが寝言で言ってたのを聞いたわ」
 何故村の長老はアスカの家族について秘匿しているのだろう?
 何か理由がありそうだが、どちらにしろアスカにとっては知らない方がいいことなのかもしれない。
 「お兄さんともひょんなところで出会うかもしれないね」
 「でもお互い気付かないかも」
 そんな話をしているうちに外は暗くなっている。
 同時に、雨は本格的に降り始めてきていた。
 「でも、どうしてルーンは私と一緒に旅をしてくれるの?」
 スープも肉も食べ終え、雨と焚き火の燃える音をBGMにしながらのことだった。
 「それは僕も聞きたかったんだ。どうしてアスカは僕なんかと一緒にきてくれるんだい?」
 お互いに焚き火越しに見つめ合う。
 しばらく無言の時間。息苦しいわけでもない、むしろ安穏とした時間が流れる。
 雨音と、焚き火の木のはぜる音が随分と長いこと流れた後。
 同時に僕達二人は微笑んだのだった。

<Aska>
 眩しい。
 一体何なのだろう?
 その眩しさに目を細めながら先を見る。
 顔は分からない。しかしそれは紛れもない父と母の気配。
 そしてその隣にあるのは、小さな男の子の存在だ。
 体の自由が利かない。一体どうなっているのだろうか。
 「かわいい女の子だね」
 私達二人を見つめる父と母は男の子のその言葉に優しく微笑んだ。
 しかしこちらに向けられていた3つの視線はやがて方向を変えて遠くへ行ってしまう。
 ”マッテ、ワタシヲオイテイカナイデ!”
 強烈な孤独から来る不安感。いつの間にか閉ざされた闇の中に私はいた。
 ”ダレカ、ダレモイナイノ?!”
 闇の中、私は叫ぶ。
 その叫びに応じて、先程とは異なるが暖かい光が近づき、私を包む。
 ”アナタハ、ダレ?”
 「僕は………


 「アスカ、おい!」
 目が覚めるとルーンのあせった顔が映った。
 「? どしたの?」
 眠気眼をこすりながら私は身を起こす。
 「すごいうなされてて、何か変な夢でも見たの?」
 ほっとした表情でルーンは言った。
 「変な夢? そう言えばそんな気がしないでもないような」
 まるで掌から溢れ落ちる泡のように、私は何かを忘れ去っている。
 あれ? 一体何の夢を見たんだろう。
 「アスカ。慣れない旅だし、心配なら村まで送るよ。やっぱり」
 「何言ってるの? たまたま変な夢を見たのよ。気にしないで」
 心配気に見つめるルーンに、私は何か妙に安心したものを感じてそう答えた。
 洞窟の外は雨が上がり、すっきりとした夜空が冬の寒さをさらに厳しいものとしていた。
 まだ夜半だ。中途半端な時間に起きて……起こされてしまったようだ。
 「目が冴えちゃったなぁ」
 「じゃ、見張り代わってもらっても良い?」
 焚き火に薪をくべながら言うルーンに、私は頷く。
 「ごめんね、すっかり忘れてたわ」
 「いや、どっちみちこの辺りで見張りは必要はないと思うんだけどね。念の為に、ね」
 「そうだ。だが念を入れても気付かなければ無意味だな」
 「「?!」」
 唐突に、ここにあるはずのない声が響く。
 「一体、どこへ行くつもりなんだ、アスカ?」
 声に私は、そしてルーンは剣に手を当てる。
 「っ?!」
 「ルーン?!」
 しかしすでにルーンの首筋に彼らの剣が当てられていた。
 私とルーンの間の空間が不意にぼやけて、やがて二つの人影が現れる。
 私と同じ翼を持つ、二人の男だった。
 大気の精霊にお願いして姿を隠してもらっていたのだろう。二人の顔は当然私の知るものだ。
 「ヤマト、それにヤヨイ」
 私を追ってきた同族の二人が厳しい目で睨んでいる。
 仕方無く、私は剣から手を放した。
 「一体、どういうつもりですか? 森を抜け出すだけならまだしも、宝石を盗んだ上に我々を襲った罪人まで逃がし、あまつさえその一人と一緒に行動しているとは!」
 ヤヨイは普段の冷静さを失って私に詰め寄る。
 なお、ルーンはその間にもおとなしく縄でがんじがらめにされて木に縛られていた。
 「帰るぞ。お前もいい加減、大人なんだから責任を持った行動をしろよ」
 こちらはヤマト。
 同年代のこの二人の青年は普段からお互い仲が悪い。性格がまるで対称的だからだ。
 そんな二人が協力して私を捜しに来るとは、相当おじいちゃんも焦っているのかな?
 「ルーン達は村を救ってくれたのよ。貴方達がグースカ寝てる間に! ってもう何度も言ったわよね」
 私は溜め息を就く。結局、誰も信じてくれなかったのだ。
 そもそも魔人の赤い雪によって眠らされていたこと自体、信じていない。
 「私はあんな村にいるのはもう嫌なの。命の恩人を罪人扱いするなんて」
 「それだけじゃないだろ?」
 ヤマトが言う。
 「そこの人間と伴に旅をする理由は他にあるはずだ。何故人間などと」
 「大体、その人間などと、っていう考えがおかしいのよ。あの人はルーン。私達と同じ」
 ドン!
 ヤマトがルーンを縛り付けた木に拳を叩き付けた。
 「同じじゃない。ただの人間だ!」
 彼は叫ぶ。
 「何故俺達には心を許さず、こんな人間にお前は笑顔を見せるんだ? 俺の何処がこの男より劣っている?!」
 「? 何言ってるの? ヤマト」
 何か違うことで怒っているような気がする。
 「私、ルーンを信用してるわ。自分のことしか考えていない貴方達と違うから」
 「む」
 「そんなことはっ」
 そもそも。
 そもそも、あの魔人達の狙いは、何故だか分からないが私だった。
 ならば私が村にいる限り、魔人達はまたやってくるかもしれない。
 「はっきり言われたな、アスカは村には戻りたくないんだってさ」
 「貴様!?」
 振り返るヤマトの首筋に剣の塚を叩き付けるルーン。
 そのままヤマトは気を失い、倒れた。
 「どうやって縄を解いた?」
 剣を抜き、ルーンに向けるヤヨイ。
 それにルーンは小さく微笑んで、私に向かって言った。
 「縄抜けだけは昔から得意なんだ」
 「ルーン!」
 私は武器を拾い、ルーンの脇へと走り寄る。
 「アスカ、どうあっても帰る気はないのか?」
 残るヤヨイの言葉に私は頷く。
 「では、力ずくでも帰すまでですね! 眠りの精霊よ!
 眠りの精霊が私達を襲う。
 『闇よ、霧よ、全てを覆い尽くし我らの姿を眩ませよ!』
 同時にルーンの呪語魔術がヤヨイを覆い尽くした。
 その間にも、ヤヨイの眠りの魔術により、猛烈な睡魔が私を飲み込む。
 「これは…駄目…」
 閉じかけるまぶたの向こう、手を差し伸べるルーンの姿が目に映る。
 薄れる意識の中で、私は彼の腕を捕まえた。
 暖かい、それは子供の頃に感じたもの。
 どこか懐かしい雰囲気に包まれながら、私は安心して意識を体から放棄した。


 リズム良く揺られながら、私はうっすらと目を開けた。
 私はルーンに背負われている。
 辺りの景色は森から平原へと変わり、茶色に枯れた草と所々に雪が積もっていた。
 空はまだ月と星が見える。東の空は僅かに白んでいた。
 ルーンと見る、二度目の夜空だ。
 村を出たのが昨夜のことなのに、随分長く時間が経ったように感じる。
 誰もいない街道。追跡の気配はない。状況からして無事にヤマトとヤヨイから逃げおおせたようだ。
 「アスカ、起きたかい?」
 ルーンが囁く。
 しかし私はもうしばらく眠ったフリを続けさせてもらうつもり。
 ルーンの背の温かさを感じながら、目を閉じる。
 「まぁ、いいか」
 騙せたのか、彼はそう呟くと再び歩き出す。
 朝方には着くだろう宿場町でこのお礼はさせてもらおうと思いつつ、私は彼の背で再び眠りについたのだった。

<Camera>
 結局、ソロンとシリアが大あくびをしながら現れたのは、ホワイトファレスの村へ乗り込んだ夜から翌々日の朝だった。
 シリアの魔力回復に丸一日、眠りこけていたことになる。
 この日の朝の忘れられた風景亭には、朝食を摂る為もあるが珍しく大人数が揃っていた。
 ソロンの話に耳を傾けるのは、街の警備隊長ケビンとその部下であるキース。
 偶然帰ってきていたルーンの両親も、朝のお茶を口に運びながら話を微笑みながら聞いている。
 「ほほぅ、ルーンがなぁ。若い内に色々経験しておくものだ、うん」
 これはルーンの父であるルースの言葉だ。
 「追うわよ! 一人でなんて危険すぎるわ!」
 こちらはクレア。しかし彼女の言葉にすぐさま否定が投げかけられた。母のレナである。
 「学院はどうするの、クレア?」
 「あぅ、えーっと、そうだ、休学よ、休学! 修道女として修行期間である程度お休みを貰えるの!」
 「それ、前にもう使ってしまったって言ってなかったかしら?」
 「あー、えー、うー」
 母娘のそんな会話の隣では、ケビンとまだ若い部下のキースが腕を組んでいた。
 「追いかけるわけでもないけど、首都アークスに行くのはいいかもしれませんね」
 「だな、それもいいな。警備隊長、首になったことだし」
 「どう言うことだ?」
 さらりと言うケビンに、ソロンは訝しげに尋ねた。
 「二人して、武器の横流しがばれたんですって」
 シフの言葉にケビンとキースはうな垂れる。
 「ま、まぁ!」
 復活してケビン。
 「人生山あり谷ありさ。いつものことよ」
 「隊長は谷しかないような気がするんだけど」
 キースの言葉にケビンは無言のエルボーを食らわす。
 「よ〜し、お兄ちゃんを追うわよ!」
 話がついたのか、元気良く声を張り上げるクレアに、
 「「おーー!」」
 ケビンとキースが鬨の声をあげる。
 「若い子はいいわね、若いって力よねぇ」
 そんな様子を眺めて呟くルーンの母フィースは、夫とレナを囲んで二杯目のお茶をいただいていた。
 こうして。
 その日のうちに三人に引っ張られたソロンとシリアを加えた計五人が、エルシルドの街から西へと進んで行ったのだった。


 アークス皇国。
 この国は他の周辺諸国には余り見られない軍事力がある。
 魔導技術――すなわち呪語魔術と呼ばれる力であった。
 呪語魔術とは言葉に含まれる魔力を抽出し具現化するという技術であり、主に知識量と個人の体質により、その強さは変わってくる。
 アークス皇国は他の国家からは魔導の国とも呼ばれ、恐れ、敬遠されてきた。
 このことがアークス皇国が三百年にも渡って栄え続けてきた理由であろう。
 魔導にはそれなりの知識を学ぶ施設や、術を行使する為の道具が必要である。
 魔術師達の連合体である魔術師ギルドが深くアークスとつながっていることから、呪語魔術はアークスでしか学ぶことのできない、ほとんど専売特許になっていたのである。
 それに伴い、アークスの軍事では呪語魔術の使い手達を集めた。それは皇国魔術師隊と呼ばれ、戦役に大きな役割を果たしている。
 そして特に魔道に秀でた者を集めて作られた魔道のエリート集団が、宮廷魔術師団であった。
 宮廷魔術師団の現在数は四十名。
 各々が使いようによっては一騎当千に値する術師達である。だが人名や構成などは王とその近辺の者しか知らぬ、国家機密の固まりのような集団であった。
 団長であるルース・アルナートと副団長でありその妻フィースは、息子が去った後の自宅へと足を踏み入れた。
 エルシルドの街――失われた風景亭の四階の部屋だ。
 「賽はすでに振られてしまったな」
 顔立ちの良い中年の男――ルースは窓から外を見つめる妻の横に立つ。
 ルーンの母・フィースは長く淡い光を放つ銀髪を持つ、二十代前半にしか見えない女性であった。
 宮廷魔術師団の副団長でもある彼女は『白の魔女』という敬称を魔術師の間に広めている実力者である。
 「結局、親らしい事は何一つできなかったわ。そしてこれからも」
 フィースは呟き、窓の外で新たな冒険の旅路へと急ぐ五人の若者達の姿を見送る。
 ソロンとシリア、フレイラースにケビン、キースだ。五人ともルーンとは親しい間柄であることは、息子と接する時間が少なかろうとも二人はしっかり把握している。
 「私は今でも思うの。あの子が本当にこの生き方を望むのかを」
 「違うぞ、フィース」
 ルースは即、否定。
 「ルーンは自分で自分の道を進んで行くんだ。私達はそのレールの上に扉とその鍵を置いたにすぎない。扉を開けるか、開けずに他の道を行くかはルーンが決めることだよ」
 「その通りだけれど。私はあの子の母である以上、幸せになってもらいたいから」
 窓の外から入ってくる、昼の街の雑踏が部屋を満たす。
 「大丈夫だろう。ルーンには前代のアッティファートやクロースターにはなかったものがあるからな」
 ルースは窓を開けながら言った。冷たいが心地好い微風が二人を包んだ。
 「幼い頃からの闇との接触? でもそれだけじゃ」
 「いいや」
 彼は妻の言葉を否定する。
 「運命を信じない心だ。私達には決してできない考え方さ。まぁ、しばらく様子を見よう」
 ルースは言い、窓から離れる。
 「そうね。貴方と私の子だもの。きっと」
 フィースの呟きは街の雑踏にかき消される。
 彼女はいつまでも窓の外を眺め続けていた。

Temporary end & continuation ...


 ――――どうだった?」
 一区切りついたのか、吟色の髪の詩人は竪琴の手を止め、紅茶を口に運ぶ。
 「でもルーンって人、誰かに似てない?」
 女の子は眼鏡を掛けた男の子に尋ねた。
 「それよりも…」
 「続き、お願い! 早く聞かせてよ」
 眼鏡の子の言葉を遮って、リーダー格の男の子が話を急かす。
 吟遊詩人は竪琴を確かめるように一回掻き鳴らす。
 「はいはい、しっかり聞いていてね―――



   少年は少女と出会った。それは運命か、混沌からの産物か
   二人は進む。永遠の夢に向かって
   取り巻く世界も巡る。時間と供に、住んでいる命の数だけ………



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