<Camera>
 騎士は相変わらず泣いていた。己の人生に、待遇に、そして無謀な行動とその立場に。
 「生きて帰った人間のいない雪原を何の準備もなしに踏破して、こんな城にたどり着くとは」
 ハラハラと涙。その涙も流れるたびに凍って行く。
 「ああ! 土の神アースディよ、向こう見ずな我が行動を許したまえ!」
 「何祈ってんだよ、ナセル」
 「王子、どうもこうもないです。どうするんですか、城の主は怒りますよ! 城門は焼き尽くすは、やたら滅多らに破壊行為に勤しむは」
 「いいじゃねえか。こんなとこに建ってる城なんざ、どうせロクなもんじゃない」
 前髪だけ白い青年は中年剣士の説教を中断させる。
 彼らアルバート王子一行は無茶な探索の旅の末、リハーバーの北に位置する山脈を僅か三日で踏破。
 その先に広がる無限と思われた雪原をその吹雪の中、歩き続け四日目。
 とうとう一つの氷でできた大きな城を発見したのである。
 こいつら人間じゃない――誰もが口を揃えて言うことだろう。
 実はこの城こそ現在アークス皇国で対策が講じられていた城である。
 そんなことを知る由もなく、彼らは固く閉ざされた城門を魔術師イルハイムの魔術で爆破し、中に乗り込んだのである。
 「アルぅー、早く来なよぉ」
 ターバンを巻いた少女の声にアルバートは手を振って答えた。
 「じゃ、行くぜ。ナセル!」
 「お、王子。一体何を…ぎゃああああぁぁぁぁぁ〜〜〜」
 アルバートに思いきりタックルを受けた騎士は、その板金の鎧を軋ませながらアルバートを乗せて氷の回廊を滑って行った。


 フレイラースが何とはなしに開けた氷の扉の奥には、氷で作られた巨大なパイプオルガンが設置されていた。
 そしてその透明なオルガンを通して、外の吹雪の様子が見て取れる。
 「何だろうね、これ?」
 「さぁ?」
 彼女は隣を行くフードを頭から被った魔術師に尋ねるが、気のない返事だけが帰ってくるだけだ。
 思考を止めたのか、彼女は扉を閉めアルバートがナセルと滑ってくるのを待った。
 「…ぅゎぁぁあああああぁぁぁぁ…」
 「先、行ってるぞぉぉぉぉ…」
 そのまま彼ら二人は止まることができずに回廊の先にある大扉を破壊して、その部屋へと突っ込んで行く。
 「ほんとに仲が良いわね、あの二人」
 「本気で言っているのか?」
 と勝手なことを言いながら、二人は回廊の奥の部屋へ小走りに向かう。
 城の中心部に位置する部屋――つまり回廊の突き当たりの部屋であり、アルバートとナセルの入った部屋は天井の高いドーム型の礼拝堂のようだ。
 「なんだろう、ここは」
 フレイラースは部屋に踏み込めずにいた。
 広いその部屋の床には二重に描かれた五芒星が赤く描かれている。
 今まで白しかなかった世界で唯一の有彩色だ。
 しかしそれがフレイラースの、いやイルハイムもまた部屋には入れない理由ではない。
 五芒星の中心辺りから感じる巨大な魔力――悪意すら感じる強力な圧力によって、本能的に近づけないのだ。
 だがアルバートとナセルは違うようだ。
 むしろ魔力関係は鈍くて気付かない、そんな感じすら受ける。
 「イルハイム、これは何だ?」
 その文様の上でナセルに乗ったままのアルバートはフレイラースの隣にいる魔術師に尋ねた。
 「…」
 アルバートの言葉に魔術師は警戒しながら部屋に足を踏み入れ、床の文様を一心不乱に観察する。
 その態度に声を掛けても無駄と知った青年は、立てない騎士を引っ張って扉の前に立ち竦む二人の前まで戻ってきた。
 「ねぇ、アル。何だか暑くない?」
 少女は先客達から目を離さずに、汗を浮かべてターバンを取った。
 すると金色の長い髪とその中に突き出る長い耳が現れる。少女はエルフ族の様だ。
 「確かに不自然です。妙に暑さを感じますね」
 アルバートの足下で、滑って立ち上がれないナセルが呟いた。
 『ヤシャの血を受け継ぎし者とその仲間達よ』
 ドーム状の部屋いっぱいに声が響く。声の感じは特徴のない男のものだった。しかし単語の一つ一つが心に刻まれるような、不可思議な印象を持つ。
 アルバートは剣を抜いて警戒するが、声の主らしきモノは見当たらない。
 『今はまだ、お主が訪れるのは早すぎる。その真なる力に目覚め、ここに来る意思が芽生えたならば再び訪れるが良い』
 声が終わるか終わらないかの内に、アルバート達を黒い光が包む。
 「ちょっと待て、ここは一体何なんだ? お前は誰だ!」
 アルバートの叫びは虚しく、黒の光が彼らを包んみ終え、そして消える。
 奇妙な浮遊感に襲われたかと思うと、彼らはどこかの川のほとりに立っていた。
 「あ、れ? ここは?」
 見慣れていたはずの雪の形が全く無く、また今までの猛烈な寒さという感覚が無くなって、フレイラースは戸惑いの声をあげた。
 「ここはアークス皇国中東部。首都から50キリールばかり行った所だ」
 イルハイムがぼそりと呟いた。
 「ちっ、転移されたようだな。それにしてもあの城は、んがっ」
 考えるアルバートの髪を引っ張り、フレイラースが前方を指さす。
 「誰か倒れてるよ」
 「あれはザイル帝国の皇女様ではありませぬか?」
 ナセルは近づいて確認した。
 二十代後半の金色のショートカットの女性――そして身に付けた板金の鎧の胸の所にはザイル王家の分家の一つ、ガーネッタ家の家紋である三本の剣の紋章が刻まれている。
 「あ、センティナだ」
 フレイラースが駆け寄り、その名を呼ぶ。
 「おい、センティナ。生きてるか?」
 アルバートは言って、その頬をつつく。それに女騎士は呻きながら目を覚ました。
 「ん? アルバート、どうしてここに?」
 右手で頭をさすりながら騎士は身を起こす。
 「旅の途中だ。お前こそ何でこんなところで倒れてるんだ?」
 「武者修行。負けたんだよ」
 ふてくされたように彼女は吐き捨てた。手には折れた聖剣が握られている。
 「お前がか? 相手はどんな奴だ?」
 しかしアルバートの問いに彼女は答えなかった。
 ただ一度、地面を叩き付けると頭上に広がる曇り空を見上げる。
 「アルバート、お前はこれからどこ行くんだ?」
 不意に女騎士――センティナ・ガーネッタが尋ねた。
 「一度アークスにでも戻ろうかと思ってる。一緒にくるか?」
 「ああ」
 そして彼女は何かを振り払うように立ち上がった。
 センティナは遠く、街道の果てを見つめる。そこに何かを見い出すように。
 しかし彼女を倒したあの男はもう、その影すら残してはいなかった。

<Rune>
 立ち寄った山間の小さな村からは、あちこちに白いスジ状の煙が立ち昇っている。
 しかしそれは別に火事と言うわけではない。
 「なんか、ちょっと変な匂いするね」
 隣でアスカが顔をしかめてそう言った。
 「うん、ここは温泉街だね。今夜は暖まって眠れそうだよ」
 「温泉? それって、地面から湧き出す暖かいお湯のこと?」
 「そうそう、アスカの村には…そうだよね、あの辺は温泉出ないしね」
 「そっか、温泉かぁ。楽しみ楽しみ♪」
 旅路に疲れていた彼女の足取りが軽やかなものになる。
 小さな活火山の麓にあるこの宿場町は温泉をウリにしている。
 道を行き交う旅人は僕達のように単純に移動の途中として立ち寄った者の他に、ここの温泉を目的としてきた者も多いようだ。
 そしてそんな観光客相手に露店を出す商人も集い、村の大通りはちょっとした規模の市場のようにもなっていた。
 いくつかある宿屋の一つにチェックインし、部屋で一息つく。
 「ねぇねぇ、ルーン。早く温泉行こうよっ!」
 「あ、うん。そんなに楽しみ?」
 「うん! それに例の変な騎士のせいで風邪引きそうだしね。早く暖まりたいの」
 「それもそうだね。まさか寒中水泳するとは思わなかったし」
 思い出して僕は思わず身震い。
 僕達はタオル片手に、宿に附帯されている温泉へ直行する。
 男/女と、のれんのかけられた温泉の入口で立ち止まり、僕は腰の剣をアスカに渡した。
 「?」
 「私も冷えちゃったから」
 イリナーゼが言う。実は温泉に浸からせろとうるさいのだ。錆びないのかな?
 「う、うん。じゃ、後で一階の食堂でね」
 「ああ、ゆっくり暖まろう」
 そして僕達は、各々中に入る。
 更衣室の外は石造りの露天風呂になっていた。ありがちな竹の柵で男湯と女湯を仕切ってある。
 風が吹いていないせいか、湯煙で真っ白だ。数セリール先も見えない。
 「ん?」
 荷物からして先客が二人ほどいるらしい。
 衣服を脱ぎ、タオルを持って中に入る。白くて見えないが先客は湯船に浸かっているようだ。
 僕は桶でお湯をすくい、体に掛ける。
 「ふぅ、生き返る〜〜」

<Aska>
 「え〜っと」
 イリナーゼを見て困る。
 「? どうしたの?」
 「え、いえ。どうやってお湯に入るの?」
 「湯船に放り込んでくれれば良いわよ」
 「そう?」
 私は衣服を脱ぎ、鞘から抜いたイリナーゼを持って入る。
 まだ時間が早いのだろうか、この風呂にも私一人しかいない。
 まずは桶にお湯を入れ、イリナーゼを抱えたまま体にかける。
 「ふぅ、あったかい」
 「生き返るわねぇ」
 私はそのままイリナーゼを湯船の中に立てかけた。
 「風よ、その偽りの衣を脱ぎ捨てよ」
 隠された翼をゆっくりと延ばす。湯煙で翼が次第に重たくなって行くのを感じた。
 普段、人とすれ違うことの全くない旅路では、ルーンがキレイだねと言ってくれるので隠してはいないのだけれど。
 さすがに人間の多い街や村では目立つのを避ける為にこうして隠している。
 視覚的な問題だけなのだが、やっぱりこうして大きく伸ばせるのは気持ち良い。
 「まだ人は来ないわよね」
 湯船で鼻唄を歌い始めた剣魔に、私は言った。

<Rune>
 「人を捜しているんだ」
 湯煙の先の人はそう言った。声の感じからして若そうだ。
 「へぇ、見つかると良いですね」
 「ええ、多分すぐ近くまで追いついてはいると思うんです」
 もう一人が言う。こちらも若そうである。
 「二人して捜してるってことは、偉い方なんですか?」
 「いえ、私達の幼馴染みなんですよ。無茶なところがあって、捕まえておかないとすぐ何処かへ行ってしまう、そんな人なんです」
 「そして本当に何処かへ行ってしまった訳ですね」
 「ああ。いなくなって俺は自分の気持ちに気が付いた。例え戻ってこなくても俺のこの気持ちだけは、耳に入れて貰いたい」
 「へぇ」
 思わず感嘆してしまう。
 「と、いうことは女性なんですね」
 「ええ、そんなところです」
 もう一人も同じ気持ちなのだろう、照れながらそう言ったように思えた。
 二人の男性からそこまで想われる女性とはどんな人なんだろう?
 僕の周りは我の強い女性ばかりなので、そう思われるような人も見てみたいと思う。
 「それでは、貴方の旅に幸運があらん事を」
 「お先に」
 のぼせそうなのか、二人はそう告げてお湯を上がって行く。
 「がんばってください」
 「「ありがとう」」
 そう声を重ねて言い残し、二人は湯船から出て行った。
 「ふぅ」
 一人だけになった湯船で、僕は改めて手足を伸ばす。
 旅には人それぞれ目的が存在している。
 すれ違った今の二人は家出してしまった女性を探し、自らの思いを伝えるため。
 冒険者であるソロンとシリアも、何らかの目的があって旅を続けているのだろう。
 もちろん、僕もこの旅に目的はある。
 シフ姐とイリナーゼからは誰に遠慮することでもない、やれば良いだろうと言われたこと。
 けれど、それは出来たら良いなと思っても、別にやらないで一生を終えてしまっても良いような事だ。
 果たして旅に出るだけの価値あるものなのだろうかと、未だに自問してしまう。
 ソロンやシリアだったらきっと即答するだろう、価値のないものなんてこの世にあるものか、と。
 そこまで思って、僕は小さく笑ってしまう。
 「この旅に出れた事に、感謝しないとな」
 僕は旅の巡り合いと安全を司る風の神に小さく祈る。
 「そういえば」
 アスカはどういう目的で旅を選んだのだろう?
 やはり外の世界を見てみたいという欲求からだけだろうか?
 そうするとその欲求が満たされたとき、彼女は森に帰ってしまうのだろうか?
 この間、母親を捜すような事をほのめかしてはいたが、当初はそのことを全く考えていなかったようだし。
 僕は空を見上げる。湯煙の間に見えるどんよりとした空から白い何から飛来し、僕の鼻の頭で解けた。
 雪だ。
 積もらなければ良いのだがと思いながら、アスカの旅の理由を思う。
 「考えたって分かる訳ないよな」
 思考を停止して、お湯に鼻まで浸かる。
 ふと、頬に何かが触れた。
 「羽?」
 白い羽が一つ、水面に浮いている。アスカのものだろうか?
 それとも、もしかして……僕はふと浮かんだもう一つの考えを即、却下する。
 「ルーン、そっち石鹸あってる?」
 と、竹の柵の向こうから声が聞こえる。
 「ああ、あるよ。投げるぞ」
 「OK」
 弧を描いて石鹸が竹の柵を越える。
 「痛っ、どこ投げてるのよ」
 ゴツとやや痛そうな音がした。頭にでも当たったのかな?
 「ごめんごめん、でもこっちから見えないしさ」
 「もー」
 そんなアスカの声に続いて、
 「そうそうルーン」
 こちらはイリナーゼの声。遠慮なく声を出すということは、向こうもこちらと同じく他に人は居ないみたいだ。
 「どうした、イリナーゼ?」
 「アスカの胸って思ったより大きぃゎょ」
 その声の最後の方は消える。おそらく沈められたのだろう。
 「へぇ、そうなのか」
 小さく呟く僕の頭に、まるで見えているかのように柵の向こうから石鹸がヒットした。
 「まったく、平和だなぁ」
 頭を撫でながら、僕は湯船に戻ったのだった。


 草を編んだ『畳』と呼ばれるマットの敷いてある座敷で、僕は足を伸ばして待っていた。
 お湯に火照った体に、さらさらとした畳の手触りが心地良い。
 テーブルの前には注文済みの大皿三枚。この辺りの山で採れる山菜や野鳥、猪を用いた郷土料理だった。
 「遅いな」
 心なしか再び冷え始めた体に、僕は浴衣の襟元を絞め直す。
 「何やってるんだろう?」
 もしかして浴衣の着方を知らないとか、ありえそうだ。
 この畳にしても浴衣にしても、隣国である龍王朝のさらに東方で多用されているものらしい。
 ここの温泉街では独自色を出そうとその文化だけがこうして伝わってきているが、他の土地では畳の浴衣もないはずだ。
 部屋を覗いてこようかと腰を上げようとした時だ。
 「ごめんごめん」
 やってくる声に視線を移す。視界に入るその姿を彼女と確認するのに数秒を要した。
 「ん、どしたの?」
 「いや、髪を上げると雰囲気が変わるね」
 何故だろう、直視するのが恥ずかしい。
 「ふーん、そうかな?」
 アスカは僕と同じ浴衣姿に、僅かに濡れた髪を束ねて上にあげていた。
 いつもと比べてやや大人びいて見える。
 そんな彼女は僕を見つめて小さく首を傾げてから、自らのポニーテールに触れる。
 「そっか、こんな髪形も時には良いかもね、えへへー」
 上機嫌に下駄を脱いで、座敷に上がりながら彼女は言う。
 「おまたせ。いやぁ、暖まったわ」
 「湯冷めしないように気をつけないとね」
 言いながら僕は暖かいお酒の入った徳利を彼女の前に置かれたお猪口に傾ける。
 この徳利とお猪口も東方のものだ。酒も穀物を発酵させたものらしい、独特な甘さがある。
 「この村ってちょっと変わってるわね。建物とか、この着るものにしても」
 お猪口を舐めつつ、野鳥のから揚げを取りながらアスカは言う。
 「そうだね。もともと、この村は観光客を集めるために東方の文化を真似てるんだ。奇抜なアイデアなんで、アークスでは有名なんだよ」
 この村がこうしたスタイルを取り始めたのは二年前。その頃に僕はソロンとシリアに引っ張られてここへ湯治に来たことがあるのだ。
 実はここの村長さんの村興しの相談に乗ったのがソロンとシリアだったらしい。
 「東方って、龍王朝?」
 「そう。龍王朝でもさらに東の先に浮んでる島国が出自らしいよ。火山で出来た土地なんだって」
 「へぇ」
 お猪口を一口で空け、すでに徳利から直接呑んでいるアスカ。
 頬を赤らめて、どこか夢見心地な視線だ。
 「行ってみたいな」
 「え?」
 「今すぐって訳じゃないけど」
 徳利をクィっと一本空けて、アスカは穏やかな笑顔で告げる。
 「いつかルーンと一緒に行ってみたいな。私達のことなんか誰も知らない、遠い遠い所に」
 「ここもアスカの住んでいる所から遠い所じゃないか?」
 彼女は小さく首を横に振る。
 「もっともっと遠い所がいい」
 「どうしてまた?」
 「……嫌?」
 「そんなことはないけど」
 「ルーン、ちゃんと呑んでる?」
 若干ろれつをおかしくして、目前の相棒は言う。
 あぁ、分かった。
 これは酔っ払いだ。完全無比なほどの酔っ払いだ、目が据わってしまっている。
 「ほら、この美少女様がついであげるから。お猪口を出しなさい」
 「あ、ああ。アスカ、ほどほどにしておけよ」
 すでに空いていたお猪口を恐る恐る出しながら僕は忠告。
 「ほどほど? 男だったらパァ〜っと行かなきゃ! パァ〜っと」
 どぼどぼとお酒を案の定お猪口から溢れさせて彼女。
 「女性でしょうが、君は」
 思わず苦笑いを浮べつつ、僕は呟く。
 そしてお猪口の中身を一口。大皿のから揚げを取る為に手を伸ばす。
 しかしその手は、僕に向けられた敵意の視線に止まった。
 箸を落として身構える。
 視界の隅、テーブル席の方で浴衣を着た二人の男がこちらを睨んで同じく身構えていた。
 その二人の顔には、確かに見覚えがある。
 「まさかこんな所にいるとは思いませんでしたよ」
 金色の髪の若者。ヤヨイが言う。その声にはやや呆れたものが入っていた。
 「アスカ、見つけたぞ」
 一方黒髪の男―――ヤマトが呟く。
 先程、風呂では声がくぐもって聞こえていたせいで気付かなかったが、一緒になったのはこの二人のようだ。
 どこかで聴いた事のある声のような気はしていたのだが、盲点だった。
 二人のファレスは席を立ち、僕達の方へと歩み寄ってくる。
 「アスカ、俺達の所へ戻ってこい」
 黒髪のファレス――ヤマトはその強い意志を黒く澄んだ瞳に込めて、アスカに言い放った。
 「やだ」
 徳利をそのままラッパ飲みして彼女は即答。答える目付きが怖い。
 「アスカ、俺はお前のことを」
 「ヤマト!」
 ヤヨイの制止、しかし彼の言葉は止まらない。
 「お前のことが好きなんだ!」
 「っくしょ!」
 可愛らしいくしゃみが店内に響き渡る。
 一瞬遅れて、くしゃみの元凶は眠たげな目を黒髪のファレスへと向けて問うた。
 「は? スキヤキがどうしたって?」
 沈黙が店内を包む。
 硬直したヤマトと額を押さえるヤヨイ。
 どうリアクションしたら良いか分からない僕と、思わず同情の涙を流す店の他の客と店員達。
 「確かに湯冷めしちゃいそうね。食べたらまたお風呂入ってくるね」
 「あ、あぁ。そうしなよ」
 とりあえずそれは、目の前の二人をどうにかしてからの話だけれど。
 金髪のファレス――ヤヨイが少し濡れた金色の髪をかき上げながらアスカに強い視線を向け、問う。
 「何故、村を出るのです? 旅の目的は何ですか?」
 「私が風の精霊の影響を大きく受けているのは知っているでしょう?」
 「守護精霊のことですか?」
 ヤヨイは言う。
 守護精霊はどんな生き物でも持っている性質、つまり相性の良い精霊のことだ。
 精霊使いにとってはそれが大きな特性となり、自らを常に守護する精霊を守護精霊というというらしい。
 ちなみに精霊とは縁のない僕達人間にも精霊とは相性があり、僕と相性の良い精霊を後ほどアスカに見てもらった。
 僕もまた風の精霊と相性が最も良いそうだ。それを知ってアスカがとても喜んでいたのを忘れない。
 「風は多くを見て、聞いて、そして実践することを基調としているわ。そうでしょ」
 「それが理由とでも言うのですか? 私が聞きたいのはそうではなくて、君の気持ちです」
 ヤヨイはアスカの行動の理由を知りたがっている。
 ヤマトとは違い、ちゃんと説明すればアスカのこの旅も認めてくれるのではないだろうか?
 僕はアスカを見る。
 彼女はというと、困った表情で僕へ伏せ目がちに視線を移したところだった。
 困っている?
 自らの旅に対する気持ちを言えば良いだけなのに。
 僕はアスカを見つめ返し、小さく囁く。
 「思っていることをそのまま言えば良いと思うよ」
 聞いて、彼女は目を伏せる。
 そして小さな声でこう呟いた。
 「理由、理由なんて…外の世界を見たいの、ルーンと。それだけよ」
 口早に言って、徳利のままで一気にお酒を飲み干した。
 「アスカ?」
 僕と? どうして僕と、なのだろう?
 それとも、初めに外の世界で知り合った人間が僕でなかったなら、出会った誰でも良かったのだろうか?
 しかしそれらを聞くことはできなかった。彼女はいきなりテーブルに突っ伏したかと思うと小さな寝息を立ててしまっている。
 「そんな理由では外に出すことはできませんね」
 ヤヨイの殺気が僕に届く。
 「人間の男よ、宝石は差し上げよう。しかし彼女という宝石は返してもらう。ヤマト!」
 「お、おぅ!」
 ヤヨイの声に我に返るヤマト。まずい、武器は何も持っていない。
 あるのはテーブルの上にある料理用ナイフとフォークのみだ。
 対する相手はすでに旅の服装。ヤマトは腰に剣を、ヤヨイは槍を持っている。
 「クッ」
 僕はアスカを背にするように立ち上がる。この危機的状況をどう逃げるか?!
 バタン!
 玄関の両扉が不意に開く。
 しかしヤマトとヤヨイの注意は反れない、さすがというか何というか。
 「アスカを返してもらおう」
 ヤマトが剣に手をかけ、座敷に上がる。僕はアスカを背にして一歩下がる、隙がない。
 「!」
 不意にヤマトの動きが止まる。
 「??」
 僕は彼を凝視する。殺気立っていたヤマトの瞳には生気が宿っていなかった。
 視線を横にずらすと、ヤヨイもまた同様に目が虚ろになっている。
 そのまま二人は何事もなかったかのように僕達に背を向け、店を出て行った。
 「な、何だ? 一体」
 彼らが出て行った扉から視線を移すと、僕達と同世代くらいの少女が杖を手にこちらを見つめている。
 先程扉を開けてやってきたお客のようだ。
 「君が助けてくれたのか、ありがとう」
 彼女の持つ魔力を第六感で感じ、僕は頭を下げる。
 彼女はそんな僕に戸惑ったような表情をしていたがそれも数瞬、小さく微笑みながら僕の前までやってきた。
 「あの二人は大丈夫ですか?」
 僕の問いに彼女はしげしげと僕の顔を見る。
 黒く長い髪を後ろで一つに束ね、髪と同じ黒い瞳は僕の瞳を見つめている。
 その瞳を見ると何故か自分と向かい合っているような錯覚に陥るような気がした。
 「大丈夫ですよ、意識のコントロールに介入を行っただけですから、二日くらいで解けると思いますわ。エルシルド方面へ歩くように指示しておきました」
 何でもないようなことを告げるその答えに、背に冷たい汗が流れた。
 二日も影響を受けるのか。どういう魔術なんだろう? 死霊使いにそんな術系があった気がするが。
 「でも優しいんですね、敵を思いやるなんて」
 座敷に腰かけ、彼女は不思議そうに尋ねてくる。
 「思いやるなんて、そんな気は」
 僕は視線をそらせる。だが彼女のその言い方はよくソロンやシリアに言われるからかわれ方とは違った。
 咎める気持ちはそこには全く含まれておらず、言葉の意味のままの意思を感じる。
 彼女は僕の隣のアスカに視線を移し、
 「そちらの方は寝ていますね、ぐっすりと」
 「ええ、やっぱり酒のせい、かなぁ?」
 何の夢を見ているのか、少し微笑みながら眠るアスカ。
 「そうなんですよ、酒癖が悪いんです」
 「? 何でそんなことを?」
 「あ、いえ、そう思っただけ。多分明日まで起きないから、寝かし付けたほうが良いですよ」
 慌ててそういう言う彼女。アスカを見つめる彼女の視線はやはり何か懐かしいものを見るような感じだ。
 「そうだね。寝かしつけたらお礼をしたいんだが」
 しかし彼女はゆっくりを首を横に振った。
 「いえ、お礼の代わりに一つ、質問に答えては頂けませんか?」
 僕はアスカを担ぎながら頷いた。質問って?
 「もしも貴方が結婚して、そして娘が生まれたとしたら、その娘に何を望みますか?」
 表情は微かに緊張したような感じを受ける。
 「どうしてそんなことを?」
 「知的好奇心です」
 微笑む彼女。僕は不思議に思いつつも質問に正直に答えることにした。
 「望むことか、そうだなぁ。遠慮なく自分の思う通りに生きて欲しいな、ってこんなんじゃ駄目かな?」
 「それが世間一般で言う『悪いこと』でも?」
 「世間は関係ないよ。自分がそれで良いと思っていればね」
 僕もそうでありたい、それは自分に対しても言っておきたい言葉だった。
 「そう、ありがとうございました」
 どこか嬉しそうに彼女は言う。
 「そう言えば自己紹介してなかったね、僕はルーン・アルナ−ト。この寝ているのがアスカ・ルシアーヌって言うんだ」
 アスカを担ぎ、立ち上がって僕は言った。
 「私はルーフ、ルーフ・サイデリアです」
 ルーフと名乗る彼女の表情は変わらないが、偽名だと気付く。嘘はそんなにうまくないように思えた。
 「今日はありがとう、サイデリアさん。おやすみ」
 「ええ、さようなら、ルーンさん」
 互いに小さく会釈。
 サイデリアさんは出ていった二人のファレスの後を追うようにしてここを出て行く。
 後ろ姿に見えた、長い髪を束ねる黒い髪飾りが妙に印象的に心に残る。
 「う、眠いよ。ルーン」
 「はいはい、部屋に戻るよ」
 軟体動物のようにぐにゃぐにゃになったアスカを肩に担ぎ、僕達は部屋に戻ったのだった。
 そして翌朝、僕達二人は宿場街を発った。
 サイデリアと名乗る少女の姿はすでに街に見出すことは出来ない。
 しかし彼女と話すのはあれが最後でないと心のどこかで感じていた。きっとまた何処かで会うような、そんな予感が。
 ちなみにアスカは昨夜の一件を全く覚えていなかったことを付け加えておく。

<Camera>
 白亜の城と知られる王都アークスの王城。
 その騎士達の駐屯する七つの騎士団控え室の内の一つ。悪趣味と思われる程に高価な品で飾り立てた第二騎士団長室。
 そこにおよそ騎士とは思えないほど着飾った一人の男が机に足を組んでいた。
 眼鏡をかけ、戦いとは無縁と思える細身な体格のニールラントの青年。それこそウルバーン第三王子である。
 そしてもう一人。
 やはりニールラントの青年だが、やや小柄な騎士がその隣に控えていた。
 不意に扉がノックされる。
 「入れ」
 やや高めの声で控えている青年が言った。それに答えて一人の騎士が入る。
 騎士は敬礼をすると書類をウルバーンに手渡した。騎士の肩に付いている紋章は十字をあしらったものである。
 それはハーグス・イスナの率いる第四騎士団に所属していることを示していた。
 「分かった。ハーグスには満足だと伝えておいてくれ」
 ウルバーンは書面を読み終えると、笑みを讃えて騎士を送り出した。
 「どうだ、セレス。私の策は実現しつつある。あと少しだ」
 二人に戻った部屋で、ウルバーンが笑いを堪えながら言った。
 「私が王となった暁には、お前を」
 「まだ貴方の計画が成功したわけではありません」
 言葉を遮って、騎士セレスは忠言する。
 「そうだな。では私は動くとしよう。書類の件は頼むぞ」
 「はっ」
 そしてウルバーンは部屋を出る。
 セレスは席に就いた。そして手を延ばして紙を取る。その紙は書類ではなく、白紙のものである。
 セレスはペンを取り、そこに何かをしるし始めた―――


 白亜の城のほぼ最上階に近い位置。そこからはアークスの街が一望できる。
 眼下に広がる街並みは、ここからではまるで箱庭のようだ。
 テラスに立ち、赤く長い髪を風に泳がせている女性が一人。
 シシリア・エナフレム。アークスの王位継承権を持つ王女の一人だ。
 沈む夕日に眩しさの為ではなく、彼女の両眼は閉じられている。
 幼い頃の熱病による後遺症、そう囁かれていた。
 不意に彼女は部屋の方へ振り返る。
 「どうしました? サルーン」
 彼女の影に隠れるかのように黒装束の男が膝を付いていた。
 腰まである長い黒髪をなびかせた、暗く冷たい雰囲気を纏う男だ。
 王女たるシシリアに仕えているということは騎士には違いないのだろうが、感じ取る者はこう感じるだろう。
 サルーンと呼ばれる男は騎士などではなく、むしろ暗殺者のそれに近い、と。
 彼は無表情にかつ無言のまま、手にした手紙を彼女に手渡す。
 シシリアは何か小声で呟き、手紙の表紙に手を当てた。
 「そうですか。あの娘には辛い思いをさせてしまいました」
 盲目の彼女は手紙を魔術で一読し、彼女は再び城下を見る。
 「辛い思いとは?」
 サルーンが尋ねる。
 しかしそれにシシリアは答えない。唯、悲しげに空を仰ぐ。
 黒い騎士は思い出すようにこう声をあげた。
 「彼女は言っていました。私は上司に仕えているのではなく、王に仕えているのだと」
 「そう。彼女は覚悟が出来ているのね」
 寂しそうに微笑むシシリア。
 「それに比べて、私は覚悟が出来ない未熟者ね」
 サルーンは答えない。
 「私は辛いわ。兄弟で殺し合いをするなんて」
 騎士は知っている。彼が仕える主は、感じていることと決断することとに隔たりを持っていることを。
 そしてその隔たりを知った上で、心を殺して決断することを。
 だからこそ、彼は何も言わない。言う必要がない。
 シシリアとサルーンは無言のまま、供に暮れ行く空を静かに見つめていた。
 盲目の彼女にはそれがどのように映っているのだろうか?


 草原に三つの大きな影が過ぎて行く。
 三隻の帆船がその帆に風を受けて大空を飛んでいた。
 その帆には鷲を形どった紋章が大きく描かれている。
 ガルーダ・シップ―――アークスの魔術研究の粋を集めた産物である。
 魔術鍛練によって精製される飛行石と呼ばれる火と風の呪力の結晶体を動力として飛行する、アークス軍が三年前に取り入れた輸送機である。
 乗員は百二十名まで可能。
 馬のおよそ二倍以上の速度を出し、かつ揺れがほとんどない。
 また高度八百リールまで調節できるため、弩砲に落とされることはまずない究極の移動手段である。
 その操縦も魔術を知らぬ者でも可能であり、むしろ操船技術のある者の方が巧いくらいである。
 反面、この造船には多大なコストがかかり、大量製造は不可能であった。
 戦艦程度ではない、小型艦であれば地方領主や豪族、商人などでも所有していることはある。
 南方のザイル帝国や北のリハーバー共和国にも小型艦であれば数隻、所有していた。
 しかしガルーダ級となると軍に取り入れているのはアークス皇国のみであり、六隻も所有している。
 そんな虎の子ある六隻中三隻が向かっているのは、首都アークスから北北西に千二百キリールほど行った所にあるリハーバー共和国領。
 北の壁として知られるシルバーン大山脈の麓に点在する小さな村の一つ、ブラックパスだ。
 北の魔族に対する防衛として派遣が決定してから三日後には、アークス第七騎士団と皇国魔術師隊他、計三百余名は船上の人となっていた。
 およそ四日の航空で目的地に到着予定である。
 その甲板で赤い髪を風に流しながら一人の女性が、次々と過ぎ去って行く景色をあてもなく眺めていた。
 まだここはアークス領だ。ごつごつした岩地が眼下に広がっている。
 「姫様、どうか致しましたか?」
 不意の言葉に彼女は声の聞こえた後ろを振り向く。
 そこにはポニーテールを解いて、リースと同様に髪を風に流した黒髪の少女が微笑んでいる。
 「ユーフェか、どうもこうもない」
 言って溜め息を吐くリース。
 「一年だぞ。一年も私の大っ嫌いな寒い所にいなきゃならないのだ」
 溜息の中に、ふつふつと湧きあがるような怒りの炎をうっすらとユーフェは感じたりする。
 「当然、魔術映像も入らないし。一体どう過ごせばいいんだ!?」
 魔術映像とはこの世界でのテレビ番組のようなものである。
 これもアークスの魔術技術が生んだもので、当然のことながらアークスの外では圏外だ。
 「何をやればって…魔族に対しての警戒でしょう?」
 首を傾げるユーフェ。
 「警戒と言ったって、実際に魔族を見た者はいない。またいたとしてもだ、魔族は空気みたいな切れ味で、切ってもなかなか切れないしのがどうもな」
 愚痴まみれのリースの言葉にユーフェは苦笑を漏らす。
 「あ、そうだ。それじゃ、いっそのこと旅行と思えば良いじゃないですか」
 ポンと手を叩いてユーフェ。
 「旅行?」
 「はい。嫌と言う程、雪を見る旅とか」
 その提案にリースはさらにげんなりとした。
 「それに、旅行先でカレシとさらに深い仲になるというが一般論ですよ」
 ニッコリ笑って魔術師の娘は言う。
 「か、かれし? わ、私にはそんなものはいないから、よく分からんな、うむ」
 ユーフェから視線を逸らし、彼女は再び景色を眺めながら呟いた。
 「え? シャイロク様と良い仲なんじゃ?」
 「は」
 肘をかけた手すりを滑らせるリース。続けて堰を切ったように叫んだ。
 「ば、馬鹿言うな。何で私が奴と…なんというか、そんな仲?」
 「あら、そうなんですか」
 そんなリースを冷静に見やり、小首を傾げるユーフェ。
 彼女の次の言葉に、再度リースは手すりから肘を滑らせる事になる。
 「じゃ、私がシャイロク様と付き合っても文句はなかったんですね」
 「ち、ちょ、ちょ」
 「ちょ?」
 「ちょっと待て、どうしてそうなる?」
 細いユーフェの肩を捕まえて、リースは言った。
 「だって私、前からシャイロク様のこと好きでしたし」
 「はぃ?!」
 「でも姫様との仲が噂であったものですから。でも噂は噂にすぎなかったんですねぇ」
 小さく微笑みながら、さらりとユーフェはそう告げた。
 「シャイロクは……お前の思っているような男ではないぞ」
 苦しげにリースが呻くように告げる。
 「どういう意味です? 少しくらい変わった性癖があっても、私は全く問題ありません」
 「変わった性…癖…」
 もろともしないユーフェの返しに、リースは目が点になる。
 僅かに考え、直後顔が真っ赤になり、
 「とにかく!」
 だん!
 木の甲板を踏み鳴らし、彼女はユーフェに向かって叫ぶように言った。
 「シャイロクと付き合うなど許さん。そんなこと考えてる暇があるのなら仕事をせんか!」わめくだけわめいて、リースは足早に甲板を降りて行く。
 その後ろ姿を眺めながら、ユーフェは必死に笑いを堪えていた。
 「目的地までは、しばらくはこのネタで暇は潰せそうね」
 頭上に広がるは冬の青空。
 青の中、そんな若き魔導師の呟きが風に流されて行ったのだった。


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