<Camera>
 「寂しい」
 「おやじ! ビールおかわり! 
 「こっちは焼き鳥三つ追加なー」
 「もぅ! 今夜は聖夜だってのに、どうしてこんな野郎共と一緒にいなきゃならないのっ。私はほっけ追加ね」
 「そのフライ貰い!」 
 「誰がやるか、フォーククラッシュ!」
 「ああ、俺のチキンがぁ!」
 「あのー、お客さん、騒がないで下さいね」
 追加注文を持ってきた店のおやじが呟く。が、そんな言葉などテーブルで料理を貪る三人には届いてはいなかった。
 「ちょっと、ケビンのおじさん! 私の鳥の足、取らないでよ」
 「クレアさん、俺の大切にとっておいた目玉焼きを持っていきながら言わないでくれ」
 「いいじゃねえか、少し位よぉ。なぁ、キース」
 「隊長も俺のポテト盗みながら言うなよ」
 アークスへ向かう街道にある宿場街の一つ。
 首都を目前に控えたその小さな村の宿屋にソロン達一行はやってきていた。
 「ところでソロンとシリアは何処へ行ったの?」
 食後のフルーツをかじりながら、クレオソートは二人の元警備隊に尋ねる。
 「さぁ、どこかでちちくりあってんじゃないのか? いいのぅ、若い奴等は」
 ソースで汚れた似合わない口髭を拭きながら、ケビンが言う。
 「そうそう、全く羨ましいもんですなぁ」 
 「こうなったら現場の写真でも撮って、街にばらまくってのはどうだ?」
 「さすが、隊長。言うことが違う。いよっ、大将!」
 「はっはっはっ、それ程のものではあるよ」
 「ええい、二人して馬鹿なことばかり! だから誰にもモテないのよ、あんたらは!」
 「ストレートに言うねぇ、クレアさんは」
 クレオソートにジョッキの底で殴られた頭を擦りながら、キースは涙声で非難。
 「全く、今年の聖夜は最低だわ。ルーンお兄ちゃんはいないし、あまつの果てはケビンだとかキースなんていう下衆に囲まれるわ」
 「下衆って、そこまで言うかな。それにしてもクレアさんの兄スキーは半端ねぇぜ」
 次の瞬間、キースの金色の髪が赤く染まった。
 「むごいことをするな。一応だけど神官だろ、お前」
 「今夜はやけ食いよ! じゃんじゃん料理、持ってこい! でもキースのツケね」
 「悪魔だな、お前さん」
 言いながらケビンもどさくさに紛れ、注文をしていたのは秘密である。


 彼女ら三人が飲食いでそれなりに楽しんでいる宿場街の南。
 地平線が見えるほどの草原が広がっているそこに、大剣を手にして鎧を着けた青年が立っていた。
 太陽はとうに沈み、降り始めた雪が青年の顔に舞い落ちてくる。
 それを払い落とすこともなしに、青年は待っている。遠い街の明かりだけを光源とした闇の中。
 表情には戦意をみなぎらせて、彼はそれを待っていた。
 不意に彼の右で風が動く。呼応して、青年は手にした大剣を自らの目線に持って行く。
 ギィン!
 細い刃と化した閃光が、その大剣に弾かれ四散した。
 「来たか」
 彼は夜空を睨む。雪雲で厚く覆われた暗黒の空を。
 「救われぬ刺客、シリア・マークリー!」
 青年は大剣を中段に構え直す。彼のおよそ五リール前方で一人の女性が立っていた。
 「教団の使命、遂行させていただく。我が『レイ』の位に賭けて!」
 闇の中、目に見えるくらいの魔力を放出させながら彼女は純粋な敵意を露にする。
 「行くぞ、アラン・エリシアンの憎むべき息子よ」
 「応、来て見やがれ!」
 シリアは右手に生まれた光の球を剣士ソロンに投げ付ける。
 それはソロンの手前でカクンと落ちて、爆発を引き起こした。
 「クッ!」
 ソロンは爆煙に飲まれ、土煙に消える。
 「行くぞ、ソロン。速き光よ、その力と供に全てを解放せよ!
 魔術の杖を振りかぶり、シリアは呪文を解き放つ。
 その言葉の呪力は無数の光の球となり、土煙の中に飛び込んで行った。
 ゴゥ!
 炎と爆風が柱となって曇天の闇に立ち上がる。
 轟音を伴って、草原の一部が完全に焦土と化した。
 だが。
 その爆発の中心には大剣を天に掲げ立つソロンの姿があった。彼の足下は青々とした草が以前と変わらず茂っている。
 「甘いぞ、シリア。重力よ、その力を倍増せよ
 今度はソロンの呪力がシリアを包み、彼女を大地に縛り付ける。思わず魔術師は膝を地面につけた。
 「チッ」
 シリアは舌打ち一つ。中腰の姿勢から矢継ぎ早に短剣をソロンに投げ付けるがそのことごとくを大剣に弾かれた。
 「この剣に掛ける俺の命の下に。颯切風!
 「大いなる大地よ、風よ、その力を修練し、かの者を破壊せよ!
 ソロンが大剣を降り下ろし、シリアは杖を振りかぶる。
 目が潰れるような閃光と共に、ソロンの剣から発せられた青いエネルギー波とシリアの魔術が生み出した緑色の巨大な槍が空中で激突し、大爆発を起こした!
 「うっ」
 緑色の槍はわずかに力の大きかった青いエネルギーによって粉砕される。
 余波がシリアを包み、彼女を固い大地に叩き付けた。
 軽く昏倒したシリアに、ソロンは大剣をその細い首に突き付ける。
 その切っ先に軽く赤いものが生まれ、それが冗談ではないことを語る。
 シリアは敵意のこもった瞳でソロンを睨みつける。それをソロンが無表情で見下ろす。
 ソロンの視線はシリアの額に。
 そこには普段はない、親指大の黒いひし形の刺青が刻まれていた。
 しばらくそのままにらみ合いが続く。
 長いように感じた短い時間、脱力と同時に目をそらしたのはシリアの方だ。
 額のひし形の刺青がすぅっと消えたところでソロンは剣を引く。
 同時、彼女は気力を使い果たしたように完全に大地に身を預けた。
 「また、負けちゃったわね。好きにして良いわ」
 戦意を消失させたシリアはソロンに告げる。
 「好きにして良いなんて魅力的なコト、簡単に言うもんじゃないぞ」
 ソロンは大剣を背に戻し、手を差し伸べた。それを彼女は掴み、頼りない足取りで立ち上がる。
 「それに力を抑えていただろう、最後の魔術なんて普段の威力の半分以下だ」
 「そりゃあ、いくら貴方を殺せという呪いであっても、意識がある以上は抑制に努めるわよ。でも」
 彼女は一つ咳き込んでから続ける。
 「でも、年々抑制が効かなくなってるわ。強制力は年々果たされないたびに強くなってる。来年には私の呪力が最も弱まる誕生日でもある聖夜、命が尽きるまでの魔力を搾り出して貴方を殺すかもしれない。いえ」
 シリアは俯く。
 「普段の生活でも、発作的に貴方を襲うかも」
 「違う意味でなら嬉しい限りなんだが。マジで命狙うってのは厄介な呪いだよな」
 「そうね。貴方を好きにならなきゃ、こんなくだらない呪いで苦しむことなかったのにね」
 「だがそれがあったからこそ、こうして出会えたとも言えるから。まったくホント厄介なものだなぁ」
 「ほんとね」
 小さく笑ってシリア。
 「私はアランを殺すために血の誓約を受けて現れた。でもアラン亡き今、その遺志を継ぐ貴方に目標が変わってしまった」
 「その血の誓約はお前や俺の力ではやはり解けないのか?」
 ソロンの問いにシリアは何も言わない。
 「お前を縛りつけるものは俺が切り放ってやる。そのために俺達は旅をしているんだろう?」
 魔術師は無言のまま首を横に振る。表情には安堵と悲しさ、様々な感情が入り混じっていた。
 「後悔しても知らないよ。今、私を殺しておくことに」
 ソロンの胸にもたれかかりながら、彼女は小声で呟く。
 「俺は君よりは早く死にたいからな」
 憮然と彼はそれに応え、シリアを抱き上げた。
 彼女は抵抗することなく、疲れきった体を彼に任せて目を閉じる。
 「やはり全ての根源に殴りこむしかないのか」
 曇天を見上げてソロンは苦々しく呟く。思い出したくもない、ましてや足を運びたくもない場所が見えるかのように。
 「スパイラルの地へ……」

<Rune>
 聖夜の空には星はなく、代わりに粉雪が舞い落ちて、僕の頬に当たって溶ける。
 街は多くの人々が己れの幸せを堪能するように溢れ反っていた。
 無論、僕と隣の相棒も例外ではない。
 「ね、ルーン。あれは何?」
 まるで子供のようにはしゃぐアスカに、僕は一つ一つ答えていく。
 閉鎖された森で暮らしてきた彼女にとってこの祭りは、あるもの全てが未知のものなのかもしれない。
 そしてそれを一緒に見る僕にも、いつもはない新鮮さを感じていた。
 そんな僕達は今、アークス城へと向かって歩いている。
 白亜の城として名高いその王城は、城下のお祭りを見守るようにしんと静まり返っている。
 夜とはいえ、不眠の街を御する城はそこかしこにかがり火が焚かれて夜の暗闇の中にぼんやりとその白い姿を現していた。
 周囲を騎士や貴族の邸宅に囲まれたこの巨大な王城は、人の出入りが激しい昼間ではないこともあり、城下町の喧騒に比べて驚くほど静かだ。
 無論、こんな時間に中に入ることはできないし、城下に見られる酔っ払いや観光客の姿は皆無だ。
 むしろ門前払いされるだろうし、面白みのないこんな場所に来る人などいるはずもない。
 だが。
 「あの城、大きいね。見に行きたいなぁ」
 そんなアスカの言葉に沿って、城下で賑わっている各商店を見て歩きながらこうして街の中心にある王城に向かってきたのだ。
 静かな騎士や貴族達の高級住宅地を抜けると、やがてアークス城の巨大な城門の前にたどり着く。
 と、同時に僕達は妙な感覚を感じ取っていた。
 「妙だな」
 「そうね」
 歩哨二名が両脇を固める静かな城門を遠めに見つめながら、僕達は足を止めた。
 なんの変哲もない光景だが、空気が違う。
 それは戦いを前に控えた獣の吐息に似たもの――殺気に満ちていて、それも物凄く大きい。
 ”これが感じ取れるくらい成長したのね。うれしいわ”
 不意に今までずっと黙っていた――眠っていたのであろうか、イリナーゼの思念が伝わってくる。
 彼女の言う通り、エルシルドにいる頃の僕ではこの感覚は感じ取れなかっただろう。
 ある程度の経験を身に叩き込まねば感じ取れない、そんなものだ。
 「帰ろう、ルーン」
 強引にここに来たことに責任を感じてしまったのか、アスカが申し訳なさそうに呟いた。
 「そうだね、何かに巻き込まれる前に」
 だが。
 僕のその言葉を遮るように、いきなり城門が開いた。
 内側からだ!
 同時に、武装し戦馬に乗ったアークスの騎士達が飛び出して来る。
 彼らはまず手始めに、驚く歩哨二名を抵抗する暇も与えずに手槍で打ち倒した。
 「デル隊、イルア隊は予定通りに。クアン隊は私に続け!」
 手にした槍を赤く濡らし、先頭を行く指揮官クラスの男が手早く後続の部下に指示を与える。
 訓練されていることが傍から見ただけでも分かる彼らは、二十名づつに分かれて一つが城門を出て西へ、もう一つが東へ向かう。
 指示を与えた指揮官とその直属四名は、この場で彼らを見送った。
 「どうする、ルーン?」
 目の前を過ぎ去って行く騎士達を前に、アスカは小さく囁いた。
 この時には僕達は、とばっちりを受けることを恐れて近くのゴミ箱と思わしき影に身を潜めている。
 「どうすると言われても」
 城の中で良からぬ事が起こり、それが外へと飛び出したというのは衛兵が問答無用で殺されたことから推測できる。
 だからといって、僕達がどうこうできるかというと。
 「クーデターでも起きたのかな? まぁ、さわらぬ神にたたりなしってことで」
 「でも無理みたいよ」
 アスカのその言葉が放たれた直後、目の前のゴミ箱が横に吹き飛び、僕達の姿は残る彼ら騎士の前に晒された。
 手槍の一本がゴミ箱を貫き、中身を豪快に散乱させている。
 「何者だ、貴様ら!」
 叫ぶようにして問うのは指揮官と思われる騎士。
 「庶民のようですが」
 隣で助言する騎士の鎧の胸に刻まれた紋章は銀色の十字。それは第四騎士団を意味する。
 彼らは僕らを一瞥すると、
 「面倒だ。準備運動にもなる、殺せ」
 「「ふぇ?!」」
 指揮官の号令の下、各々から問答無用で手槍が投げ付けられる。
 その数、指揮官以外の四。
 準備運動代わりにされてはかなわない。騎士たちの剛力により襲い来る手槍は、アスカの風の精霊の力によってあらぬ方向へと捻じ曲げられて、石畳に突き刺さった。
 「私を準備運動代わりにするなんて、八年程早いわよ」
 額に四つ角の怒りを浮かべて、怒りの微笑みを浮かべながらアスカは腰の細身の剣を抜き放つ。無論、年月はいい加減だ。
 抜刀と同時、夜気以上にひんやりとした冷気が隣の僕の頬を撫でる。
 橋の上の騎士からいただいた彼女の剣は、氷紋剣と呼ばれる代物だった。
 氷の呪力を込めて打たれた魔術剣で、無銘ではあるが高い呪力を有しており、物理攻撃の効かない魔族に対してもその打撃は有効打になり得るだろう。
 当然、人間相手に対しても十分に殺傷能力は高い。
 けれども、だ。
 「待った。殺したりしたら、僕達は賞金首になるぞ!」
 「そう言われても」
 互いに躊躇する。
 その間に騎士達は騎士とも思えぬ行動――すなわち五対二の戦いをすべく、各々剣を片手に馬上から僕らに襲いかかる!
 ”どうするの、ルーン?”
 「どうするの、ルーン?!」
 イリナーゼとアスカから同時に問われる。
 背後は運悪く、一面の壁。裏道への小道なんてものもない。
 そして相手はアークスの正規騎士。
 昨今は騎士の技量が下がっているとの噂も聞いているが、それは充分すぎる力を持った者たちの間での話だ。
 今の僕達に勝てるだけの技量があるかどうか? 何より、相手は五人だ。
 迷っているのを待っていてくれる相手ではない。
 何より、彼らにとっては僕らはただの障害物でしかない認識だ。
 そんな相手になんの遠慮があろうか。賞金首になったらなったで、それから考えればいい。
 今はとにかく、
 「アスカ」
 「どうするの」
 イリナーゼを抜くことで答えとなる。
 「生き残るぞ!」
 「うん!」
 僕らは左右に分かれ、騎士たちに相向かい合って駆ける。
 殺到する馬上の騎士達はその動きを予測していようがいまいが、対応するだけの訓練を積んでいた。
 指揮官が馬を止め、左右二人づつ僕らを各個撃破にかかってくる。
 「ハッ!」
 気合いの声を上げるのはアスカ。
 彼女は飛び上がる。その高さは人の可能な高さではない。
 彼女の翼が夜気をかき乱し、馬上の騎士達よりもわずかに上に体を運んだ。
 闇の中で走る氷の刃は、アスカに迫る手前の騎士の首をいとも容易く刈り落とした。
 デュラハンとなった騎士は馬の勢いに任せてそのまま何処かに走り去っていく。
 「なっ?!」
 後ろを走る騎士はファレスの少女の意外な強さに目を見開く。
 驚きは隙となり、一つ目の首を刈り落とした彼女の氷の刃は勢いのままに、彼の分厚い鋼鉄の鎧の胸に斬撃を与える。
 一般的な剣よりも細い刃だ、彼にとってそんな一撃などわずかに胸に衝撃があるものだと思っていたのだろう。
 場合によっては鎧の硬さに折れてしまうとも期待していたはずだ。
 だが。
 期待は裏切られる、悪い方へと。
 馬上で鮮血が飛び散った!
 剣を振り上げたまま、騎士は何が起こったのか理解もできぬままに上半身と下半身とを分かたれて絶命する。
 「あらら、凄い切れ味だこと」
 夜空に舞いながら不敵に微笑むアスカ。剣に魅入られたようにも見えて、かなり怖い。
 一方、同時並行して僕の方はというと。
 馬を走らせる二名の騎士の剣を、石畳を転がって回避する。転がりながら、イリナーゼを低く振りまわしていた。
 交錯と同時、騎士達が過ぎた背中で二つの衝撃音と馬のいななきが聞こえてくる。
 騎士達の剣が届かない地面から、戦馬の足を切り裂いたのだ。騎士同士の戦いでは馬を狙うことは卑怯この上ない行いだが、今のこの場はその常識は通じない場所だろう。
 落馬した二名の騎士は装甲の厚い鎧を身に着けていたこともありダメージを受けたのだろう、石畳の上で苦しそうにもがいている。
 「むぅ」
 残る指揮官は唸り声を上げる。彼は起き上がった僕と、上空のアスカを見やり。
 騎士は剣を構えなおす。やはりやるしかないか。
 「ルーン」
 「あぁ」
 僕の隣に降り立ったアスカに小さく頷く。
 指揮官が馬の手綱を空いた方の手で握りなおした、その時だった。
 彼は不意に後ろから突き飛ばされたように落馬する。
 主人の行動に驚いた戦馬はいななきとともに前足を大きく振り上げる。
 落馬した指揮官の胸には、槍の穂先が生えていた。背後からの手槍の一撃だ。
 目の前に広がる光景は、数瞬前のものと重なった。同様に城門から騎士達が飛び出してくる、しかし先程の数の比ではない。
 その中の一人、黒い眼帯で左目を覆った騎士が一騎、こちらに近づいてくる。進みながら端的に周囲に指示を与えていることから、指揮官クラスと予測した。
 やがて彼の脇から飛び出した一群は、先程僕が落馬させた二名の騎士達に殺到し、問答無用で始末した。
 まるで雑草を刈り取るような、仲間であったはずの者に対して一片の慈悲すらない処置だ。
 同時、先程の倍にも勝る数の騎士達が先陣した者を追うように二つに分かれて城下へと走っていく。
 「何者だ? そなた達は?」
 僕達の前へやってきた隻眼の騎士は、そう誰何の声を上げる。
 どう答えようか逡巡している内に、
 「騎士というのは自分の名も言わずに、人の名を尋ねるのかしら?」
 アスカが挑戦的に言い放つ。
 「む、これは失礼した。私は第五騎士団団長ハノバ・テイスターと申す者」
 言って、彼は兜を取る。その下から現れたのは壮観な白髪交じりの中年男性。燻し銀の魅力がある男だ。
 その顔は雑誌で見覚えがあった。間違いなく第五騎士団の団長、殲滅の大隊長の通り名をもつハノバ・テイスターその人だ。
 鎧の胸の所には、鈍く銀色で馬の蹄を象った紋章が彫りこまれている。第五騎士団の紋章だ。
 ハノバの態度に納得したのか、アスカは剣を収めて僕の隣に。
 「私はアスカ・ルシアーヌ、一介の旅人よ。そしてこっちが」
 「む、そなたはルーン殿ではないか?」
 アスカが僕の名を言う前に、ハノバがさらりと僕の名を呼んだ。
 「なぜ、僕の名を??」
 僕は慌てて自身の記憶を探るが、彼とこうして直接話したことなど一度もない。そのはずだ。
 ハノバは「おぉ、そうか」などと言いながら僕に親愛を込めた笑みを浮かべてこう言った。
 「お主の父、ルース殿からよくお主の姿見を見せ付けられておってな。ついついお主もわしを知っているものと思ってしまったわ。申し訳ない」
 ちょっと、ちょっと待った!
 何故そこに僕の父の名が出てくる??
 父が殲滅の大隊長と知りあいだなんて、初めて聞いたぞ?!
 「ルーン、姿見って?」
 隣のアスカが初めての単語について問いかけてくる。
 「姿見っていうのは、魔術で描いた詳細画のことさ。まるで実物みたいに描かれてるんだ」
 「へぇ。ルーンのお父さんって騎士団長と知り合いだったのね」
 アスカの言葉にハノバが首を横に振る。
 「ルース殿は宮廷魔術師の団長ぞ。わしなどよりも位は上だ」
 「宮廷魔術師?! 団長って父が、ですか??」
 「何を驚いている、ルーン殿??」
 宮廷魔術師とは王族を直接サポートし、ここアークスにおいては国策にも深く関与する重要なポストだ。
 常人とは一線を画す巨大な魔力を持つことは前提条件として、各方面に深い造詣を持つことが必須とされる。
 いわゆる王の参謀職であり、国の知恵袋といって良いだろう。
 それを?
 父が勤めている?? そんなにすごい人間だったのか?!
 そこまで考えて、僕は父どころか母までも実際はどういう人間なのか知らない自分自身に気付く。
 エルシルドでの生活は、普段から両親がいなくても僕は回りに支えられていた。
 普通ならば考えるべきことを、いつも周りが騒がしいからと理由をつけて考えずに生きてきてしまっていた。
 いつもいない両親を思うのは、寂しかったからというのが根底にあったのだと思う。
 その寂しさを考える暇も与えてくれなかったあのアパートでの暮らしに感謝すべきなのか、はたまた悔いるべきなのか。
 「もしかして、ルース殿は自らの職をルーン殿には明かしていなかったのか?」
 「は、はい」
 僕とハノバの間に微妙な空気が流れる。
 「……ルーン殿。なにはともあれ、ここであったことは他言無用、なかったことということにして、何も言わずに立ち去ってはくれまいか?」
 「え……」
 騎士達が僕達を襲ったこと、その騎士達を彼らハノバ率いる同じ騎士達が始末したこと。
 ついでに加えて、ハノバが僕の父の職業を教えてしまったことも含めて。
 ここは何も見ず聞かず言わずに去ってくれ、彼はそう言っている。
 僕の推測が正しければ、今この時、アークス城内では謀反が現在進行形で起きている。
 そしてハノバ達第五騎士団は予めそれを察知しており、備えていた。
 殲滅の大隊長の名を示すとおり、彼が動くときは大抵事体が収拾する方向であり、すでに後始末に入っている場合がほとんどだ。
 「なにもなかったこととして、ですか」
 「そうだ。何も君達もこれ以上意味のないごたごたに首を突っ込むつもりもあるまい」
 「そうね、まさにその通りだわ」
 そう割って入ってきたのはアスカだ。
 彼女は僕の右腕を胸に抱くと、ハノバに一礼。
 「それでは失礼しますわ、騎士様。おつとめご苦労様です」
 「協力、感謝する」
 ハノバの視線を背中に感じながら、僕達は城門前を後にする。
 僕を引っ張るようにして先行していたアスカは、騎士達から完全に見えなくなった路地裏に入ると足を不意に止めた。
 くるりと僕に振り返り、やや見上げるようにして僕の目を捉える。
 「忍びこもう、ルーン」
 「へ?」
 「忍びこむのよ! あ〜んな偉そうな事言われて、はいそうですかって引っ込んでいられると思って?」
 「えーー?!」
 「城の中で何が起こっているのかこの目で見てやるの。それになにより」
 彼女は僕の胸を、人差し指でつんと突く。
 「あなたは自分の父親のこと、知りたくないの?」
 「う」
 宮廷魔術師だと指摘された父。果たして本当なのか?
 何故今まで教えてくれなかったのか??
 聞きたいことはたくさんある、けれど。
 「多分、いや間違いなく今の城内は内乱状態だぞ」
 「だからじゃない」
 胸を張ってアスカ。
 「だから、忍びこめるんじゃないの」
 なんとも力強い相棒を持ったものだろう。
 溜息一つ、城門前を路地裏から眺め見る。ハノバをはじめとして騎士達の姿はすでにない。
 おそらく城外へ散っていった騎士達の討伐に向かったのだろう。殺された見張りの代わりがいないのは、それだけ人的に不足していることを物語っている。
 忍び込むとしたら、今を逃して他にはないだろう。
 「さっと入って、お父さんを見つけて話を聞いて、見つからなかったとしたらさっと城を出る。どう?」
 珍しいものが見れることに期待しているのだろうか、わくわくした顔のアスカの提案に僕は、
 「わかった、その案に乗ったよ」
 今動かなければ、一生父のことを知ろうとは思わないだろう、そう改めて思う。
 僕は彼女に苦笑いを浮かべながら腰を上げたのだった。


 おさらいしよう。
 アークス皇国は四つの公国が中央の央国を守るような形で形成されている。公国もそれらを統べる央国も基本的には世襲制である。
 そして央国の王族、つまりこのアークス城に住む王族は全部で七名いる。
 まず言うまでもなく、国王と王妃。またその三人の子(男子3名)と王の弟系の子が二名(女子2名)だ。
 先程の宿で情報誌に目を通す機会があったのだが、それによると現在の城中にいる王族は四名。
 国王と王妃、一人の息子と一人の従姉妹だ。
 この一人の息子――第三王位継承者であるウルバーン王子が今回の騒ぎの元であると僕は予測する。
 まずウルバーンは第二騎士団の団長も務めており、武力を行使できる立場にある。
 完全に推測であるが、ウルバーン王子は今夜のこの城の警備の当直である第四騎士団を仲間に引き込み、クーデターを起こしたのではなかろうか?
 原因はもちろん王位に対する欲望。
 とにかくこのウルバーン王子、世間の評価は極めて悪い。
 第二騎士団の団長の座にしても、まっとうな方法で手にしたのではないのは証拠無き事実であるともっぱらの噂だ。
 また彼は非情で、かつ排他的性格も手伝って第二騎士団のメンバーを己の信奉者で固めてしまっている傾向がある。
 その彼がおそらく計画的に今日の騒動――皆の緊張の薄い聖夜を狙って国王の命を奪おうとしているのではなかろうか?
 だがその計画は結局のところは漏れており、西の公国へ海賊討伐の支援に向かっていたともっぱら噂されていたはずの第五騎士団が実は城内に控えていたあたり、クーデターは失敗だと予測する。
 「しかし前以て分かっていたとしても、戦闘は止められなかったようだなぁ」
 城内は悲惨な状態にあった。所々に騎士の死体が転がり、自慢の白い壁がその血で赤く染まっている。
 さらにどこかで火災が起きているらしく、焦げ臭い匂いと煙がうっすらと充満していた。
 「で、要はそのウルバーンって奴がこの騒ぎの発端な訳ね?」
 「あくまで推測だよ。でも大きく外れてはいないと思う、いつかやるだろうって一部コミュニティでは話題になってたしね」
 だが引っ掛かる。僕や素人達でも推測できそうな事態に何故陥ったのか? 止める事はできなかったのか??
 「ふーん。ところでルーン、倒れてるのは騎士ばっかりね、普通の人の姿を全然見ないわ」
 部屋の一つを開けてアスカは言う。
 そこはおそらく宿直の文官の部屋の一つなのであろうが、まるっきり慌てて逃げ出したという形跡がない。
 ここに限らず、きちんと整理整頓された上で人の姿がない。まるで避難訓練のお手本を見ているような状態だ。
 忍び込んだという表現であるはずの僕達だが、今のところ生きている者には出会っていない。
 時々見かけるのは、屍と化している『十字』の紋章を持つ騎士達だ。
 ウルバーン率いる第二騎士団の紋章である『雷』の紋章は今のところ見受けられないのが不気味ではあるが、謀反はほぼ阻止されているように感じられた。
 「アスカ、やはりここを出よう。火事場泥棒に間違えられてお縄につくなんてことになったら目も当てられない」
 「でも」
 彼女は不満げに僕を仰ぎ見る。
 「ルーンは気にならないの? 父親のことは」
 「うーん、気になるには気になるけど、別に知らなくても今までと変わらないし」
 「そっか」
 残念そうな、困ったような顔のアスカ。
 その横顔を見て思い出し、気付く。
 彼女は自身の両親のことをよく知らないということを。
 もしも僕の立場が彼女だったら、きっとなんとしてでも知ろうとするだろう。
 知ろうと思えばいつかは知れる立場と、知りたくとも知れない立場。
 その違いを感じて、だから僕は。
 「もう少し、奥の方へ行ってみていいかな? 向こうに見える突き当りまでに何もなかったら、戻ろう」
 思わず出たそんな提案に、
 「うん!」
 アスカは少し嬉しそうに頷き、思わず僕も笑みがこぼれる。
 視線の先、うっすらと漂う火災の煙のはるか向こうに石畳の廊下の突き当りが見える。
 そこまでゆっくりと歩を進める途中、廊下に等間隔に並んだ両扉の一つが開いていた。
 カタン
 そこから何か物音が聞こえてくる。咄嗟に足を止め、僕とアスカは剣を構えた。
 部屋の窓の向こうから入ってきているのか、一段と強い煙の向こうからうっすらと、次第にその姿が現れる。
 「?!」
 隣のアスカのわずかな驚きを感じる。
 この状況で汚れ一つない白いドレスに、長く赤い髪を背中にゆったりと流した女性が一人、現れる。
 彼女は杖を手に僕達の方へゆっくりと歩いてくる。
 その杖の動きと端正な顔に閉じられたままの瞳から、彼女が盲目であることに気付く。
 彼女は僕達の前、およそ二リールの所で立ち止まり、首を小さく横に傾げた。
 そんな細かい行動の一つ一つに気品が感じられる。
 「貴方方は、どちら様でしょう?」
 驚いた風もなく、この場に似合わない優しい声で尋ねてきた。
 「この城では見ない方々ですね、でもそちらの男性の方は誰かに似ているような…」
 「え?!」
 思わず声が漏れてしまう。この人、盲目のように見えるのだけれど。それに、
 「城の人のことを全員覚えているんですか?」
 「それはまぁ、自分の家のことは覚えませんと」
 そんなのほほんとした言葉に、彼女の名前が僕の脳裏に浮かんだ。
 彼女はシシリア・エナフレム――現王の亡き弟の長女であり、幼い頃の病気による盲目の為、公式行事以外は極力姿を見せようとはしない、その人であると。
 穏やかで、視覚がないことも手伝ってか、分け隔てなく人々に接する性格からその人望は厚い皇女だ。
 時に、まるで性格は正反対である妹の烈火将軍と比較されている。
 「シシリア姫様、ですね」
 僕は慌てて剣を鞘にしまう。その僕の行動をアスカはなぜかつまらなそうに見ていた。
 「はい、それで貴方方はやはり城の者ではありませんね。しかし悪意は感じられない」
 「僕は」
 言いかけて一瞬躊躇。しかし、ハノバの言葉が真実であるとするならば、今この人に問うのが一番早いはず。
 「僕は宮廷魔術師ルース・アルナートの子、ルーンです。初めまして、姫様」
 恭しく一礼する。
 「あらまぁ」
 驚いたのか驚いていないのか、マイペースさを感じさせる反応だ。
 「そう、ルース様の息子さんでしたか。雰囲気が誰かに似ていると思ったら、どちらかというとフィース様に似てらっしゃるのね」
 と。
 何故、母の方まで知ってる??
 「えーっと、どこで母と??」
 問いに、シシリアは不思議そうにこう答えた。
 「フィース様は宮廷魔術師団の副団長ですもの。なにより私もよく魔術の手ほどきをしていただいているのですよ」
 嬉しそうにころころと笑った。
 母が副団長?? 父と一緒になにをやってるんだ、あの人たちは?!
 ふと視線を感じて僕は隣を見る。
 「どうしたの、アスカ?」
 まじまじと僕を見つめていたアスカは「べつにー」と言いながら僕の後ろに回りこんで会話に参加することを避けているように思えた。
 「??」
 とりあえず彼女はそのままにしておいて、
 「ところでお願いがあるのですが」
 視線をシシリア姫に戻した途端、彼女はそう切り出してきた。
 「なんでしょう?」
 「私を父の元へ連れて行ってもらえませんか?」
 「父というと、アークス王…ですよね?」
 「はい。私は王家の者として、血族の最期を見届ける義務がありますの」
 「最期、ですか」
 それは彼女の父である王のそれではない。
 王の命を狙った、彼女の血族。すなわち、
 「ウルバーン王子の、ですか」
 シシリアは否定も肯定もせず、杖を持っていない左手を僕に差し出してくる。
 「父の元にルース様とフィース様もいらっしゃるでしょう。お会いに来たのでしょう、ルーン様は」
 微笑で告げる彼女の案内を断れるほど、僕は強くなかった。
 差し出された姫君の白い左手を取ろうとして手を伸ばす。
 「案内するわ、シシリアさん」
 しかしそのか細い手は、翼を持つ少女に先に持ち去られた。
 「ありがとうございます、ええっと」
 「私はアスカ。アスカ・ルシアーヌっていうの」
 「アスカ様ですね。アスカ様は翼をお持ちなんですね」
 「あら、もしかして目、見えるのかしら?」
 「いいえ。気配と、なにより風がアスカ様の背中から吹いてきますので」
 「そっか。私は大空を駆ける種族、ファレスなの」
 スタスタと、二人は僕を置いて先に進んでいってしまう。
 「まぁ、一度ファレスの方にお聞きしてみたかったことがあるんです!」
 「あら、なにかな?」
 「ファレスっていくら食べても太らないって、本当ですか?」
 「んー、そんなことないわよ、でも私もそうだけど太りにくい人は多いわね」
 「わぁ、羨ましいですわ。私なんか、寒くて部屋に閉じこもってしまって、この数月でちょっとお腹が」
 「えー、そうは見えないわよ。大丈夫大丈夫!」
 伸ばした行き場のない手で空を掴みながら、僕はしばし彼女らの背中を見送って、
 「あれ? なんかアスカ怒ってないかな??」
 一人、僕は呟いてから慌てて彼女らの後ろを追いかけた。
 並んで歩いて雑談する二人は、こうして見るとどこにでもいる街娘のようだ。
 もっとも、不穏な気配で息の詰まる今の城内でそんな雰囲気を醸し出せる二人は普通じゃないというか……もしかして大物なのか??
 「大丈夫じゃないんです。冬は服で隠せますけど、暖かくなると薄着になりますし」
 「みんなの視線を感じる?」
 「はい、特に殿方達の視線が痛いんです」
 そんなシシリアの声が聞こえてきたかと思うと、こちらを振り返ったアスカに何故か睨まれた。
 無言で僕は首を横にぶんぶんと振る。
 するとアスカは「そうかしら?」的な表情で僕を一瞥するとシシリアに視線を戻し、二人してひそひそと話し出した。
 むぅ、疎外感。
 と、その時だ!
 ”ルーン”
 「分かってる、イリナーゼ。二人とも、そこの部屋に入って!」
 背後から急速に近づいてくる複数の気配。
 殺気を伴ったそれは間違いなくこの城の騎士のものだ。
 問題はどこの騎士団のものか、だが。
 ダダダダダ…
 騎士達が走り去って行く。僕達は部屋の影に隠れてそれをやり過ごす。
 今通り過ぎたのは銀十字の紋章をつけた第四騎士団、総勢五名。
 「行ったな」
 去って行く騎士達の背を眺め、僕達は通路に戻る。
 僕らと彼らが目指すのは、この先にあると思われる謁見の間。
 おそらくそこに命を狙われているアークス王がいる。そして狙う側のウルバーン率いる第二騎士団も。
 シシリアの口調からはウルバーン側に詰みがかかっているようだが、それは実際に見てみないと分からない。
 今向かった騎士にしても、ウルバーン側についている者達だ。
 心なしか、騎士達を追う格好となった僕らの足も速くなる。
 「ギャ!」
 前方からそんな叫びが聞こえたところで、僕らの足はぴたりと止まった。
 「がはっ!」
 「ごふっ!」
 次々と続く断末魔の響き。それは先程僕らを追い抜いた騎士達のものに相違ない。
 五つ目の叫びが聞こえ終わり、一拍の間をおいて『それ』はきた!
 黒い影。
 猛烈なスピードで前方から迫ってくる。
 ”ちょ、ヤバいわよ”
 黒い影から伸びる二つの黒い牙。それを僕は鞘から半分引き抜いたイリナーゼで何とか受け止める!
 ガガギィ!
 剣を構える暇すらない、重たく耳に痛い二連奏。
 受け止めた腕には重たいものが届く。重たさは影のように動く刺客からの双剣の剣戟だ。
 僕はその威力に跳ね飛ばされ、壁に叩き付けられた。
 シシリアを守るようにしてアイスブランドを構えるアスカにもまた、黒い剣戟が息つく間もなく襲いかかる!
 「お待ちなさい、サルーン!」
 シシリア姫の叱咤、影の動きがぴたりと止まった。
 隙あり!
 壁を蹴って僕は『それ』に向かって肩から体当たり。
 「クッ」
 後退するその影に僕は剣を構える。相手もまた双剣を構えなおし。
 なんとシシリア姫が僕達2人の間に割って入った!
 「この人は味方です!」
 僕と対峙する影、双方に告げる彼女の言葉。
 「味方?」
 「む」
 こうして唐突に生まれた殺気は、生じたとき同様に消え去ったのだった。
 影にしか見えなかったのは黒装束を着込み、黒い曲刀を両手に携えた二十代後半の男。
 色白の整った顔に銀の瞳を有している。表情は乏しく、しかし常に剃刀のような薄く鋭い殺気を纏っている。
 「こちらはサルーンと言います。私に付いていてくれる人なんです」
 笑顔でシシリア姫。それは護衛と言うことだろうか?
 王族付きの護衛だとすると、上位騎士の位を有していてもおかしくない。
 しかし彼から感じるのは騎士の気高さとはまったく正反対の、まるで殺し屋のそれだ。
 闇に生き、闇の中で死ぬべき者が有する負のオーラを纏うこの男は、万人に愛され得るシシリア姫には不釣合いに見えるが。
 「探したぞ、シシリア。ここは危険だ、まずは城を脱出する」
 低く、小さな声で呟くようにサルーンはシシリア姫に告げた。しかしそれに彼女は首を横に振る。
 「私は王の元へ向かいます。ウルバーンの動きを知っているのなら教えて下さい」
 サルーンはしばしの沈黙。主に教えるべきかどうか、内部で葛藤しているようだ。
 しかしやはり彼女の命令は絶対なのだろう、相変わらずの小声でこう答えた。
 「ウルバーンは手勢二十名の精鋭を連れ、謁見の間へ向かった。途中クラールの率いる第三騎士団の精鋭を軽くあしらったところまで俺は見ていた」
 シシリア姫に寄り添うように片膝をつけて報告するサルーン。
 それはまるで常に主の傍にあらんとする猛犬のようで、もしかしたらこれはこれでお似合いなのかもしれないと思ってしまう。
 「ルーン様、アスカ様、急ぎましょう」
 わずかに焦った様子で盲目にも関わらず、彼女はサルーンを伴って通路を早足で進んで行った。
 僕らもその歩調に合わせてスピードを上げる。


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