しばらく進むと大きな扉の前に三十近い石像が立ち並んでいた。
 「なにかしら、これ? こんなところに美術品なんて、前衛的っていうのかしら??」
 そう言って首を傾げるのはアスカだ。だがそれは石像とは異なるものであると、僕には察しがついた。
 「アスカ、これは美術品じゃないよ」
 「どういうこと?」
 「これは石化した人間さ。まったくこれはまともな人間業じゃない」
 絞り出すようにして僕は呟く。
 石像は全て鍛え抜かれた騎士のもの。
 胸に掘り込まれた紋章は『大剣』、怪力無双な騎士を選抜して採用している第三騎士団であることを示している。
 その中でももっとも大きな、紋章に負けず劣らずの大剣を振りかぶったまま石と化している騎士を僕は調べる。
 「これはクラールですわ。生きているのでしょうか?」
 シシリア姫が閉じた瞳のまま、心配そうに僕の調べる石像と化した騎士に触れた。
 クラールとは第三騎士団の団長。アークス一の剛力の持ち主と謳われる勇将だ。
 そんな彼だが、
 「完全に石ですね。けれど術者を倒して石化の術を解呪できれば元に戻るかも」
 「これは魔族か、それに近い者の仕業だ。同じ所業をかつてザイル帝国で見たことがある」
 シシリアの傍にぴったりと付いて離れない黒装束の剣士ことサルーンが呟く。
 「少年の言うとおり、運が良ければ元に戻るだろう。だが今は彼にかまう暇はない」
 サルーンは言い、目の前の両扉を睨む。
 扉の向こうには複数の人の気配と、それに伴う殺気が感じられた。
 「謁見の間はこの扉の向こうです。行きましょう」
 シシリア姫の決意に満ちた言葉に、従者であるサルーンが動いた。
 完全鎧を着込んだ騎士ごと吹き飛ばしそうな勢いの蹴りを両扉に叩き込む!
 メキィ
 木材がひしゃげる音を立てて、両扉は内側へ吹き飛んだ。
 少し遅れて「ガラン」と何かが落ちる音がする。折れた閂が落ちた音だ。
 扉の向こうには二十名近くの騎士。
 雷の紋章を抱く第二騎士団の精鋭達の視線が、僕達に突き刺さった。
 謁見の間と称されるそこは、広いホール状の部屋だ。
 おそらく様々な行事などが行われるのであろう白い部屋は、主の場所である玉座に赤いシーツを広げ、無粋な鎧を纏った騎士達が占拠している。
 いや、赤いシーツなどではない。それは彼らの振るった剣でできた即興の祝い布だ。
 騎士達の内、鎧すら纏わず抜き身の剣を手に提げた青年の姿が目に入る。
 彼は僕の後ろ――シシリア姫の姿を確認し、不敵な笑みを浮かべてこう言った。
 「遅かったな、シシリア。父上はもうすでにこの通りだ」
 王座の前で首の突き刺さった槍をかざす優男。
 これがウルバーン王子、殺されて晒し首となったのは現王であられるアークス十六世である。
 「ウルバーン、貴方は」
 シシリア姫は哀れむように呟いた。そこに叔父を殺された事に対する悲しみは何故か感じ取れない。
 ただ彼女は従兄弟であるウルバーンを哀れんでいるようにしか見えない。
 「どうだ、シシリア。俺に従うのなら命は助けてやろうではないか」
 金色の髪を掻き上げ、形だけは威風堂々して宣言するウルバーン。
 そんな彼にシシリア姫は首を小さく横に振った。
 「王殺し以前に、親殺しの愚か者に従う気はありませんわ」
 溜め息を伴い彼女は言い放つ。
 ウルバーンは眉を寄せて一瞬不快な顔をするが、次に一切の表情をなくして一言。
 「ならば死ぬが良い」
 素っ気なく言うと、生首の付いた槍を投げ捨てた。
 それを合図として、騎士達が一斉に襲い掛かってくる。二十名以上の正規騎士に対してこちらは三名+戦力外一名。
 これは。
 成り行きとはいえ、これは死ぬと思う。
 ましてやウルバーン王子率いる第二騎士団は、勇名を馳せた前代騎士団長ステイノバの代から精鋭中の精鋭を選りすぐっていたことは有名だ。
 もっともウルバーンが第二騎士団の団長になってからは騎士としての品はそっちのけで、とにかく腕の立つ者を選りすぐっていると聞き及んでいるが。
 だからこそ、今のような場合は余計始末が悪いとも言える。
 「ルーン、こうなったらヤケよ!」
 僕の心情とほとんど同じのような相棒は、剣を抜いて彼らに向かって駆け出した。
 「アスカ、無茶は」
 彼女を目指して襲い掛かってくる騎士達の第一線――およそ五人が不意に閃光と伴に倒れ伏した。
 魔術? しかしアスカもサルーンも、ましてや背後のシシリア姫にしても詠唱していた形跡はない。
 突然の出来事に踏み止どまる残る騎士達。しかしこれは僕らにはチャンスではある!
 「愛しき風よ。その身に鎖を纏い、かの者達の自由を奪って!」
 アスカの召喚に応じて招聘された風の精霊が粘体性の空気となり、まるで水の中にいるように騎士達の動きを遅滞させた。
 「集いし大気の力。我が護法により不可視の盾を形作らん! 力の盾よ」
 僕の呪語魔術が同時に発動。僕達四人に不可視の盾を生じさせる。
 が、相手は謎の光で五人倒れたとはいえ、多勢に無勢は変わらない。
 イニシアティブがこちらにあっても、戦況はきつすぎる!
 ぞむっ!
 金属製の鎧ごと肉を切り裂く音が耳を打つ。
 騎士達の中にサルーンが飛び込み、同時に二人の騎士が致命傷を負って倒れ伏した。
 彼は返す刀で手近の騎士に切り返したが、それは騎士の持つ盾によってさえぎられる。
 そこまでが僕らのターンだった。
 味方を数名失いつつも態勢を立て直した第二騎士団は一斉に攻撃を仕掛けてくる。
 「集いし大気の力。我が護法により我らの束縛を解き放て。解呪清印」
 「大気に集いし万物の元よ。我が導きにより彼らに汝の変化、凝固を与えよ。結!」
 『我が光の神フィースよ、我らに汝の鼓舞を与えん!』
 『我が闇の神カルス、彼らに恐怖を与えたまえ』
 まずは後衛の騎士からの牽制と援護射撃である呪語魔術と神聖魔術が僕らを襲う。
 アスカの風の精霊魔術によって動きを制限されていた騎士達は本来の状態に戻る。
 一方、僕達に大気の水が結露し、動きを鈍くさせた。加えて魔術によって心の底から沸き起こる、言いようのない恐怖。
 「クッ!」
 チラリと後ろに目をやる。この状況でシシリア姫だけでも戦線を脱出してもらえれば、と思ったからだ。
 当のシシリア姫は呪文の詠唱を行っている。僕の視線に気付いたのか、こんな状況であるにもかかわらず微笑を浮かべる。
 起死回生の策でもあるのか??
 視線を前に戻す。
 闇の神の神聖魔術の影響をまともに食らって茫然としているアスカに、剣を振り上げた騎士達が殺到しようとしている。
 ”行きなさい、ルーン”
 「言われるまでもない」
 構えたイリナーゼからの叱咤を受け、僕はアスカの前に出る。
 同時、振り下ろされた大柄な騎士の大剣の一撃を剣で斜め下へと受け流した。
 その返す刀で切り伏せようとするが、横から槍を繰り出してきた騎士の攻撃を避けるのに気が取られる。
 その間に僕の横をすり抜けた二人の騎士が、それぞれアスカとシシリア姫に向かって襲い掛かった!
 駄目だ、全く多勢に無勢だ。
 アスカに至っては状況を認識してはいるが、強制的に引き出された恐怖によって身体が硬直状態に陥っている。
 まずいまずいまずい!!
 目の前の敵を無視し、振り返って駆けるが間に合わない。
 「アスカ!」
 届く声にしかし彼女は硬直状態から脱し得ない。
 騎士達が剣を振り下ろす、その瞬間。
 シシリア姫の呪文詠唱が終わる。
 僕は見る、確かに見た。
 彼女の開かないはずの両の瞳がカッと見開くのを。そこに僕は見たと思う。
 左右で異なる金と銀の瞳を、彼女のありえないはずの瞳の中に。
 途端、彼女達に剣を振り上げた騎士達を含むほぼ半数から殺気が消えた。
 カラン、ガラン
 そこかしこで己の得物を落とす音が響く。それはシシリア姫を中心として近い者達からおよそ十二名。
 強力な、とてつもなく強い戦意喪失魔術だ。
 戦いにおいて相手の戦意を奪うというのは非常に有効ではあるが、生存を賭けた場で本能に基づく意志を捻じ曲げるのは難しい。
 単純な要望ではあるが、魔術としてまともに確立していないはずの技術をシシリア姫は複数の人間に対して一度に成功させたのだ。
 「どうした、剣を取れ! なにを満足げな顔で笑っている!!」
 騎士達の向こうからウルバーンの叱咤が飛んでくる。しかし魔術にかかった騎士達は彼の命には答えない。
 業を煮やしたのか、ウルバーンは魔術の影響下にない後衛陣に前衛陣を打ち倒しての突撃を指示する。
 さすがにためらう騎士達に、不意に衝撃が襲った。
 青く輝く、雷を帯びた球がウルバーンの目の前に。
 騎士達の真っ只中にどこからともなく飛び込み――僕達をも巻きこんで炸裂した!
 ゴウン!
 響き渡る轟音と振動。
 その場に飛び、倒れて爆風から逃れたが……いや、爆風が伝わってこない??
 「あれ?」
 気が付けば今の衝撃で、騎士達のほとんどが痺れて倒れ伏している。
 動けるのは僕とアスカ、サルーンにシシリア姫と、そして部下の騎士を咄嗟に盾としたウルバーンとその傍らに立つ騎士一名だけ。
 気付けば僕達四人の回りには赤いバリアの様な魔術が働いていた。それは強力な結界だ。
 「こうなってしまったのもわしの教育の責任よのぅ」
 声は王座の後ろにある扉から。
 三つの人影が現れ、僕とはっと息を呑む。
 白い顎髭を豊富に蓄え、左右の二人に守られるようにして出てきたのは紛れもなく現王アークス十六世。
 先程ウルバーンの槍に突き刺さっていた生首と同じ顔を持っている。
 もっとも僕はそれだけに驚いた訳ではない。
 王を守る左右の二人――父ルースと母フィースだった。母に至っては僕にそっとピースサインを出していたりする。
 ”出だしの魔術の一撃はあの二人のどちらかの仕業ね”
 溜息交じりのイリナーゼの思念が届く。おそらく最初とバリアが母、残る騎士達を壊滅に追い込んだ一撃が父だと思う。
 何はともあれ九死に一生を得た僕とアスカは、互いに顔を合わせて安堵の一息。
 一方、取り巻きである騎士達の全滅に呆気に取られたウルバーンは、横目で自らが討ち取ったはずの現王の遺体に視線を移す。
 そこには赤いシーツはなく、唯の砂の塊だけが落ちていた。
 「どうでしたか? 私特製の王の人形の切り具合は。あれでも作るのに二ヶ月もかかったんですよ」
 王の傍らに立つ中年魔術師がさらりと言う。そいつにウルバーンは鋭い視線を向けた。
 魔術師のその言葉の中には二ヶ月前からお前のやることは分かっていたという内容が含まれているからだ。
 「ウルバーンよ。己の罪を全て償うというのなら命は助けよう。そのように育ててしまったのはわしなのだからな」
 アークス王の言葉に、ウルバーンはしかしニタリといやらしい笑みを浮かべた。
 「何を勝ち誇った気でいる。もう一度討ち取れば良いだけのことじゃないか!」
 言い放ち、剣を構えるウルバーン。
 王はそれに対してパチンと指を鳴らす。すると僕の後ろの扉から騎士達が雪崩込み、遠巻きにウルバーンもろとも僕達を取り囲んだ。
 「それに加えてここには宮廷魔術師のトップとNo.2が揃っています。チェックメイトですよ、ウルバーン様?」
 宮廷魔術師らしく諭すように告げる父ルース。
 この状況であってもウルバーンは不敵の笑みは消え去ることはない。
 「馬鹿め、俺の力を甘く見たな。ルース!」
 叫ぶウルバーン。不意に彼の背が一瞬輝いた。
 「外の第三騎士団を俺がどうやって片付けたのか、見ていなかったのか? よもや外であのクラールもろとも石像と化していることを確認すらしていなかったのか?」
 父の眉が不機嫌に歪むのが見えた。あれは知らないことが起きたときに見せる苛立ちの表情だ。
 我が親ながら指摘すると、父は不測の事態ということをほとんど想定しない。
 不測の事態が起こらないよう、事前に全ての根を潰し確認しておくからなのだが、その自信がよく仇となって自らに返ってくることに毎度のことながら反省の色が見られない。
 ちなみに母フィースも同じ傾向があるので、ダブルチェックという単語は両親には存在していない。
 ウルバーンの背の光はやがて収束し、3対の白き翼を象った。
 もちろん、アスカのようなファレスの翼ではない。
 どこか神秘的な、実体はなく霊体として存在しているような、淡い光を放つ翼だ。
 ウルバーンは自らの翼を確認すると、何もないはずの頭上に向かってこう叫ぶ。
 「我が主たるリブラスルスの盟約に基づき出でよ、第七位権天使らよ!」
 彼の言葉に反応して四つの光が彼の頭上に現れる。
 それはすぐさま形を取り、四人の人形のような顔を持つ天使となった。
 鉄仮面のような表情をした、鎧のような装束で武装した若者の天使達。
 その手には皆、たいそうな勺杖が握られている。
 『御命令を。マスター』
 機械的な声が四人の天使から響く。
 「天使って、あの天使?」
 アスカがちょいちょいと僕の袖を引っ張って尋ねてくる。
 「あのってどの?」
 「あのっていえばよくお話とかに出てくるあれよ」
 「……どうなんだろう?」
 僕は唖然とする。これは一体どういうことだ?
 謀反を起こすウルバーンが、聖なるものとして知られる天使を呼び出すことができる。
 それって、何が正しいのか??
 僕は自然と父と母の方へ視線を移してしまう。
 父は苦い顔を、母はウルバーンに向かって親指だけを突き出した右手をくいっと下げて何かを合図している。
 ウルバーンに?
 さらに視線をウルバーンへ向ける。彼がそれを受け取ったような雰囲気はないが……あっ。
 母はウルバーンに対してサインを送っていたのではない。
 彼の後ろに立つ、一人だけ残った騎士へと送っているのではないか?
 「あの愚かども達を先程の騎士達のように石に変えてやれ!」
 『キぃィぃ!!』
 天使の翼を生やした元王子の命令に応じて、勺杖を振り上げ吠える天使達。
 よく見れば彼らの杖から淡く赤い光が漏れている。
 そして僕達が異変に気付いた時には遅かった。
 「な、石化?!」
 僕の足からゆっくりと灰色の石と化していく。
 「わわっ、どうしよう、これっ!」
 足が動かないことから倒れそうになるアスカ。ふらふらとしながら僕の背中に抱きついてきた。
 「ふぅ、これで安心」
 「いや、安心じゃないから。僕ら足から固まってきてるから」
 同様に、包囲していた騎士達にも石化が始まりうろたえる。
 しかしシシリア姫やサルーン、アークス王や両親達は石化が始まりながらも、事の成り行きを静かに見守っていた。
 「最後に笑うのは私だ、フフフフ、ハハハッ」
 ウルバーンは騒ぎ始める騎士達を見回しながら、これ以上もない笑い声を上げる。
 が、それは唐突に止まった。
 「ん?」
 ウルバーンは自らの身に起こった異変に視線を移す。その先は自らの左胸だ。
 「え、どういうこと、だ?」
 信じられずに困ったような、泣きそうなウルバーン王子の呟きが聞こえる。
 同様な驚きが、半身まで石化の進んだ騎士達にも広がった。
 そう。
 ウルバーンの ・ 彼の左胸には ・ 後ろから長剣が生えている
 突き出た剣先からは赤い雫が滴り、白い床に赤い水溜まりを広げていった。
 「これ以上はさせませんよ。ウルバーン」
 剣の持ち主である騎士が声に抑揚もなく主に告げる。
 「セレス、貴様、何故」
 ピキ
 ウルバーンの後ろに控えていた、残る唯一の小柄な騎士――セレスと呼ばれた騎士の手によるものだった。
 裏切られた王子は一つ、血を吐く。
 先の短い主に、騎士は淡々と告げる。
 「何故もなにもない。私は貴方に仕えていたのではないのだから」
 そう言って、騎士は表情なく主ではなかった男に突き刺さった剣を捻った。
 大量の血がウルバーンから溢れ出し、足下をさらに赤く染め上げるた。さらに血を吐く反逆の王子。
 ピシィ
 それを機に、ウルバーンの背から三対の翼が消える。気がつけば四人の天使もその姿を消していた。
 「そうか、お前が情報を流していたのか。分からないはずだよ」
 唇の端から血を流しながら、半ば呆れたようにウルバーンは言う。
 セレスは無言のまま、剣を引き抜く。
 元王子はつっかえ棒を無くしたようにフラリと前へ倒れようとするが、たたらを踏んでなんとか持ちこたえた。
 「いや、違うか。俺は釣られたんだな、野心があるかどうかを。そうだろう?」
 血が抜けて青ざめた顔のウルバーンにセレスは何かを呟く。
 告げられた言葉は聞こえないが、ウルバーンの表情が歪む。それはおそらく痛さからではない、言葉によるダメージだ。
 ミシィ
 「そうか。まぁ、いいさ。お前に殺されるのなら、悔いは、ない」
 よろめき、ついにウルバーンはセレスにもたれかかるようにして倒れた。
 パキィ
 「―――」
 最期にウルバーンはセレスに何かを言い残し、果てる。
 ここまで聞き取れるものではなかったが、今まで無表情だったセレスが少し眉を寄せたのが見て取れた。
 「お」
 「足が動く」
 そこかしこで安堵の声とため息が漏れる。
 こうして彼による石化の力は、その死とともに消え去った。
 シシリア姫とサルーンはこの事態を予測していたのだろう。臆することなく息絶えたウルバーンを静かに見つめていた。
 「ねぇ、ルーン?」
 「ん、なんだい?」
 「何かが割れる音がしなかった?」
 「ん? さぁ?」
 アスカの囁きに僕は首を横に振る。そういえば聞こえたような気も。
 「私の空耳かな? ま、いいや」
 そう言った相棒の言葉がどこか気になりながらも、ここにこうしてウルバーン王子の謀反は食い止められたのだった。


 「セレス、ウルバーンを王座に座らせてやりなさい。それがわしからのせめてもの手向けの花だ」
 アークス王が悲しい顔でウルバーンを刺した騎士へ言い放つ。
 そして王は一人、うなだれながら入ってきた扉からこの場を後にした。
 王はウルバーンを権力という毒から解放させたかったのだろうと、僕は推察する。
 ウルバーン王子の権力についての欲望は、僕はエルシルドの学院で聞いたことがある。
 虎視眈々と玉座を狙うウルバーン。出世の為にいくつもの策をめぐらし、幾人もの騎士や実力者を闇に葬っただろうか。
 彼を止めなくてはならない。
 そして本心を知らなくてはいけない。
 そこで王は試した。ウルバーンにとってクーデターを起こしやすい状況をつくることで、完全に道を踏み外すか外さないかを。
 自らの親すら殺し、己の望みを叶えようとするのかを。
 「ルーン、親子ってあんなものなのかな?」
 アスカが寂しそうに王の後姿を見送りながら尋ねる。
 「私、父さんも母さんも知らないけど、もっと暖かいものかと思ってた。でもあんなに冷たいものなの?」
 悲しそうに尋ねる彼女に、僕はゆっくりと首を横に振る。
 「時と場合によるんだよ。アスカの両親はきっと、君を大切に思っているはずさ」
 言葉に、できるだけ優しく答える。
 確かに第三王子ウルバーンと現王アークス十六世との間柄は冷え切っていた。
 こんな親子もいれば、一方でこんな親子もいることをアスカは知るだろう。
 「ねぇ、ルーン。あの白髪の女の人、こっちに手振ってるよ、知り合い?」
 彼女は王が去った扉のところを指差す。
 そこには場違いな程の笑顔で僕に手を振る母フィースがいた。
 白というより銀に近い色の長い髪を持つ、情けないことに僕と同い年に見える変わり者だ。
 「知り合いというか、あれが僕の母だよ」
 溜め息をついて答えた僕の背後に、不意に気配が生まれる。
 「そして父です。お初にお目にかかります、お嬢さん」
 言いながらアスカの手をとって優雅にお辞儀しているのは、いつの間にやら沸いた父ルースだ。
 「あら、初めまして」
 僕と父を見比べながら彼女は答える。その表情は「似てるような似てないよーな」なんて思っているようだった。
 そして父は僕に視線を移すと、
 「どうした、ルーン。ずいぶん逞しくなったんじゃないか?」
 いきなりあご髭を僕の頬に擦り付けてくる中年親父。
 「やめろよ、父さん! 気持ち悪い!」
 引き離して離れる。それでも負けじとくっついてくるので、こちらへ歩いてきた母の後ろに隠れた。
 そんな僕と父を「あらあら」と言いながら母は笑ってスルーし、アスカの前へやってくる。
 「うちの子がお世話になっています。これからも仲良くしてやって下さいね」
 「へ、ルーンのお母さん、ですか?」
 「ええ、ルーンの母フィースです。あまり頼りない息子だけど、見捨てないであげてね」
 「いえ、そんな頼りないだなんて」
 困った顔でアスカは俯き、そして再び父に捕まった僕を見る。
 「全否定できないところがツライですね」
 えー
 「ところでルーンのお母様、なんですよね??」
 「お母『様』だなんて。そうよー♪」
 「失礼ですが、何歳ですか??」
 「あらあら、そんなにおばさんに見えるかしら??」
 「いえ、その逆です」
 「まぁまぁ、若く見ていただけて光栄だわーー!」
 アスカの直球ストレートを、母は微妙な凡打で返している。小手先の話術は年の功(?)で母に上がりそうだ。
 母の歳は僕も知りたい。父によると年上女房らしいので、四十五歳以上のはずなのだが?
 「あと『フィース』って名前、光の神様と同じ名前なんですね」
 「うちの故郷では神様にあやかって同じ名前をつける風習があるの」
 「「へー」」
 アスカと、そして僕も初めて聞く話に思わず感嘆する。
 「まぁ、ともあれ俺達はお仕事継続だ。これで失礼するぞ、ルーンにアスカさん。長い旅路だ、またどこか出会うこともあろう」
 「二人ともあまり無理はしないのよ。断食一週間とか不眠不休の一週間行軍とかなるべくしないようにね」
 なんだか色々僕らとは尺度が違う両親はそう言いながら、無駄に元気に手を振って王の去っていった扉の向こうへ消えていった。
 一言でも「何故旅に出た?」くらいは聞かれるかと思いきや、まったくノータッチなのがやっぱりというか放任過ぎるというか。
 「ところで、どうして私の名前を知ってたのかしら?」
 隣で首を傾げるアスカ。
 「それもそうだね。もぅ、なんでもありなんだと思うよ、あの二人は」
 「はぁ、親子ってこんなものなのかしら?」
 「これも、時と場合によるんだよ」
 アスカの訝しげな問いに、僕はやはりそう答えるしかなかったのだった。
 ともあれ、ここへ来て父と母がアークスで宮廷魔術師をやっているという驚きの事実を確認できた訳だが。
 「びっくりはしたけど、だから何が変わったわけでもないんだよな」
 「でもどこかすっきりはしてない?」
 思わず口に出てしまった独り言に、アスカは笑って問いかける。
 「ん。そうだね、たくさんのもやもやの内の一つが消えた感じかな」
 「ならよし!」
 満足げなアスカに、思わず僕も笑みがこぼれてしまう。
 と、和やかな雰囲気に包まれたそんな時だった。
 「ウルバーンは何処だぁぁぁ!」
 僕達の入ってきた扉を勢いよく開けて登場する一人の騎士と、それに従う数十名の騎士達。
 唐突に現れた彼は巨大な大剣を振り上げながら、必死の形相で部屋を見回す。
 中年の、歴戦の勇者と言った趣の騎士である。この顔は――そう、確かこの外で石化していた男だ。
 シシリア姫が心配気に石像を撫でながらこう言っていた。
 クラール、と。第三騎士団の団長であるアークス一の剛力の持ち主と謳われる勇将、クラール・シキムだ。
 きょろきょろと謁見の間を見回す彼と部下である第三騎士団の団員達に、
 「終わってるわよ、もう」
 アスカが親指で騎士に向かって、玉座にもたれかかるウルバーンの亡骸を指した。
 「あ、あれ??」
 騎士はそちらに視線を向け、そしてアスカを通り越してシシリア姫に戻した。
 「姫様、お怪我は?!」
 それにシシリア姫は優しく微笑んで返す。
 「申し訳ありません。ウルバーンが如きの魔術に呑まれてしまったようです」
 「いえ、クラール。あれは予測できない力でした。こちらの調査不足ですわ」
 シシリア姫は閉じたままの瞳でサルーンに手を引かれながらクラールの前へ。
 「貴方の命を危険に曝してしまい、申し訳ありませんでした」
 「そ、そんなことは! 当方こそ姫君のご期待に答えられなく申し訳ないっ」
 そんなやり取りを見ていると、この一件はシシリア姫も中心に噛んでいたようだ。
 「盲目だから故にまわりが良く見えることがある、ってことかしら?」
 アスカも同じことを思ったのか、二人の様子を眺めながらそうぼそりと呟いた。
 「シシリア姫、『あれ』は魔術だったのでしょうか?」
 僕は彼らの会話に加わる。
 あの時、ウルバーンは特にこれと言った魔力を伴った言葉を放っていなかった。
 まるで何かに命令するような――彼の言葉に出てきた『盟友リブラスルス』という単語が気にかかるのだ。
 「ええ」
 それに答えようとした彼女の言葉が途切れた。
 「どうしました、セレス!」
 ウルバーンに付いていた騎士――確かセレスという名の騎士が、まるでウルバーンに弾かれたように苦悶の表情で床に膝を付いていた。
 彼はアークス王の命でウルバーンの亡骸をつかの間の玉座に座らせ、その傍で待機していたはずだ。
 「クッ!」
 騎士セレスは、鋭い目で剣を玉座に座るウルバーンの亡骸に向かって構える。
 亡骸であるはずのウルバーンの体がうっすらと輝き出す。
 そして。
 「な」
 「むぅ」
 「これは」
 「同じだっ」
 まるで操り人形のように、吊るされているかのごとく立ち上がるウルバーン王子の背に、先程と同じ光の翼が広がった!
 僕達はそこに敵意を感じ、各々武器を手にセレスと同様に構える。
 うなだれたウルバーン王子の表情は見えない。
 三対の光の翼は良く見れば、まるで割れかけのガラス細工のように一面に黒いスジのようなヒビが無数に走っている。
 「っ!」
 「面妖な」
 騎士セレスと双剣のサルーンが、先手必勝とばかりにウルバーンに切りかかった。
 ギギィ!
 「「!?」」
 三つの刃は届かない。
 王子の亡骸の周りに、まるで見えない壁があるかのように数十セリールの所で刃達はきしんで止まる!
 「これは??」
 シシリア姫が閉じた瞳で絶句する。
 ばさっ!
 三対の光の翼が一度羽ばたく。それだけでセレスとサルーンが後ろへと吹き飛ばされた。
 うなだれたウルバーンが顔を上げる。動かないはずの亡骸、その表情は。
 「なんて」
 隣のアスカは息を呑む。
 僕もまた、彼の『死に顔』を見て息を呑んだ。
 欲にまみれて死んだ彼はしかし、今のその表情は全ての欲望から解脱したような、清らかで安らかなものだった。
 閉じられた彼の瞳がゆっくりと開く。
 「なんて神々しく、清らかな」
 シシリア姫がうめくようにこう呟いた。
 「純粋に清らかな、これは天使の力?」
 神々しい光を放ち、瞳に明らかに人のものとは思えない光を宿して……彼は蘇った!

<Aska>
 死者が蘇る。それも清らかな存在として。
 昔話では、邪悪な人間は魔族として蘇るといった話を聞いたことがある。
 その反対の存在である天使もまた然り、と言ったところであろうか?
 けれどどう見ても悪者だったウルバーン王子がどうして清い存在に?
 サルーンが風のように舞い戻り、シシリアの横に控えた。懸命な判断だ。
 セレスと呼ばれる騎士もまた、蘇ったウルバーンから距離を取った。
 魔力を帯びた武器もしくは魔術でしか、魔族や天使といった精神世界の存在にはダメージを与えられない。
 それに加えて。
 蘇ったウルバーンからは、透き通るような魔力の高まりを感じる。
 前に私の村を襲った魔人よりも巨大な魔力を感じた。正直、関わり合いにはなりたくない存在だ。
 私と同じ感覚を有しているのだろう、ウルバーンを囲む騎士達は遠巻きに囲んで息を呑むだけで誰も近寄ろうとはしない。
 賢明だ。
 と思った。
 「どりゃあぁぁぁ!」
 雄叫びを上げながら私の隣を駆け抜けていく馬鹿一人。
 とても普通の人間では持てないような巨大な大剣を振り上げ、三対の光の翼を持つ王子に向かって切りかかる!
 「いけない、クラール!」
 シシリア姫の悲鳴に近い声。
 そんな声など聞こえていないのだろう、クラールはその巨躯に似合わない素早さでウルバーンの背後に回ると、大剣を思い切り振り下ろす。
 無表情なウルバーンは、背後からの一撃に振り返ることなく対処した。
 「え」
 「うそ」
 「まじ?」
 そこかしこで目の前の光景に対する感想が漏れる。
 信じられない光景だった。騎士達もただ茫然とする。
 クラールの大剣の斬撃をウルバーンは右手の人差し指と中指で受け止めていた。
 そして剣先を指で挟んだまま、蠅を追い払うかのように手を振り払う。
 「のひょおぉぉぉ!」
 大剣を持ったままクラールの巨体が浮き上がり、身構える騎士達の中へ投げ飛ばされた。
 そして光の翼を生やしたウルバーンの手には、クラールの大剣が取り残される。
 重さを感じないのか、彼はその剣を片手で持ち直すとこちらに視線を向けた。
 「げ、なになになに?!」
 彼はこちらを見て……違う。
 ウルバーンの視線の先は私の隣の彼――ルーンだ。
 王子の唇が笑みの形を取る。それはまるで何かを見つけた喜び。
 次の瞬間、ウルバーンは光の翼を羽ばたかせる。
 それだけで彼我の距離は0となる。
 「「んな?!」」
 大剣を振り上げ、物凄いスピードでルーンに切り掛かった!
 剣の軌跡は私も含む。
 ルーンは間一髪で身を捻ってかわし、私は天井すれすれまで翼で飛び上がって回避する。
 しかし王子の返す刀がルーンの体を捕らえる。
 「ぐっ」
 彼は手にした魔剣イリナーゼで受けるが、大剣と刀に近い華奢な剣とのぶつかり合いだ。
 彼の持つ刀が普通のものであれば、あっさりと折れて彼を両断していただろう。
 ルーンは三リールほど後ろまで吹き飛ばされる。それ以上飛ばされなかったのは、そこが壁だからだ。
 したたかに背中を壁に打ち付けて、苦痛に彼の顔が歪んだ。頬に小さいが切り傷が付いている。
 間髪入れずにウルバーンの剣がルーンに迫る。何故ルーンを集中して??
 その時、私の魔術が完成し、精霊が召喚に応じた。
 「世界をあまねく大気の精霊、彼の姿を眩ませて!」
 がすっ!
 硬い音を立てて、ウルバーンは石壁に大剣を突き立てた。ルーンのすぐ横だ。
 よし、効いてる。
 けれど、ウルバーンは頭を軽く振ると、今度は確実にルーンに向かって大剣を向けた。
 ギィン!
 響くは空間が軋む音。
 音の元凶はシシリアだ。彼女は厳しい顔をして両手をウルバーンに向けている。
 途端、ウルバーンの動きが止まった。胸から上の部分がまるで見えない何かに張り付けられたかのように停止する。
 空間固定の魔術か?!
 その隙を逃す相棒ではない。
 ルーンの横一線の斬劇はウルバーンの胴体を真横に裂いた!
 切り開かれた傷口からはドロリとした血液が漏れて床を濡らす。
 が、ウルバーンには間違いなく致命傷であるはずなのに狼狽える様子はない。
 王子は光の翼を一つ羽ばたく。
 ギィン!
 割れる音に従い、シシリアが額を押さえて膝をつく。呪縛の魔術が破られたのだ。
 自由を取り戻したウルバーンは、腹から漏れる血以外のモノを無視しながらあきらめずにルーンを追いかける。
 彼は大剣に小さく付いたルーンの血を舐め、初めて表情を浮かべる。
 純粋な歓喜の表情だった。
 「ヒ・カ・リ…ル・シ・フェ…ワレノ…」
 大剣を捨て、ルーンに向かうウルバーン。
 何かを呟いているが内容は分からない。
 ルーンはそれに対して魔剣を逆正眼に構える。
 そして、ゆっくりと歩み寄ってくるウルバーンに向かい特攻!
 刀身が彼の気合いに呼応するかのようにうっすらと青白く輝いていた。
 ドッ
 剣がウルバーンの左胸に突き刺さり、後ろに突き抜ける!
 「ハァ!」
 気合いとともに刀身を中心として、剣に宿る魔力がルーンの意志と同調。
 パリン!
 何かが割れる音が聞こえた。効いている!
 増幅された破壊の意志は、突き刺さったウルバーンの精神を破壊する。
 魔族などの精神世界に存在を宿す者にダメージを与えることができる攻撃方法だ。
 こちらも初めて浮かべた苦痛の表情で、ウルバーンはルーンの腕を掴む。
 ビシッと軽い音を立てて白い火花が見えた気がする。
 「グッ」
 慌てて魔剣をウルバーンに残して、その場から後ろへ五歩ほど立ち退くルーン。
 そこまで行った所で、胸を押さえて膝を付いた。
 一方のウルバーンは、まるで糸の切れた人形のように崩れて倒れる。
 途端に背の翼が消え、神々しいオーラも、当然生気すらない――そう、ただの死体がそこには残る。
 「ルーン!」
 私はルーンに駆け寄る。そして途中で慌てて立ち止まる。
 「これって」
 ウルバーンを包んでいた雰囲気がルーンを取り巻いている。近づくのは危険と頭の中で警告が鳴っていた。
 けれど。
 でも助けないとっ!
 足が意識に反して動かない。そんな私の隣をシシリアが呪文を呟きながらすり抜けた。音の抑揚からすると、神聖語。
 神官の用いる神聖魔術だ。
 『光の神フィースの導きを見なさい、迷える者よ。貴方の帰るべき道はそちらではない』
 魔術を行使した彼女は、うずくまるルーンを背中から抱きしめる。
 嫌な雰囲気は霧の様に消え去り、ルーンは気を失った。
 「ルーン」
 私はシシリアに抱き抱えられるようにして気を失っている彼の頬に手を触れる。
 小さな傷からの出血は止まっていた。当然、そんな傷が彼を気絶に導いたものではないのだが、傷口がないことが逆に恐ろしいものを感じさせる。
 前に彼がゴブリン達から傷を受けたとき以上に、私はうろたえていた。
 あの時は傷さえ治れば、と思えたから。
 「大丈夫。ただショック状態に陥っただけのようです」
 シシリアの言葉は耳には入るが、そのまま通り抜けてしまう。
 ルーンが遠くへ行ってしまう――何か違うものになってしまったらどうしよう。
 そう、今のウルバーンの様に。
 「ルーン、しっかりして、ルーン!」
 彼の手を強く握る。しかしそれが握り返されることはなかった。


[Back] [TOP] [NEXT]