僕ら四人はゾンビ達のやってきた方向に見当を付けて進むこととした。
 「どうやら、やっこさんは近いようだね」
 腰に提げた革のムチに手を延ばしながらイリッサが呟く。
 やがて僕らが進む下水道は、上にも拓けた半円状ドームの明るい地点に出る。
 「魔術光?」
 低いレイバルトの呟きが響く。ドームの最上部には薄く青い拳大の光の弾がいくつも浮いている。
 熱量を感じさせない、しかし直接見るには眩しすぎる照明魔術だ。
 その光に照らされて、侵入者である僕らに叫ぶ者が居た。
 「か、帰れぇぇ!」
 ヒステリックな中年の男のしわがれた声。
 声の中心は視認できない。なぜならゾンビやスケルトンといったアンデットを問答無用でけしかけてきたからだ。
 ぱっと見ただけで二十体以上はいる。
 「皆、私のことなど理解していないんだぁ!」
 ゾンビの向こうでそんな言葉が続く。
 「あれがターゲットだよね?」
 アスカの両目を押さえながらの僕の問いに、
 「霊術師ナクラスでビンゴのようだ」
 「完全に精神はお花畑に旅立ってるみたいだね」
 レイバルトとイリッサが答える。盗賊ギルドの頭領は、アスカの視線をさえぎる僕を見て、
 「ルーン、アンタ何をしてるのよ?」
 「まぁ、人には苦手なものがあるってことでさ」
 彼女の問いに僕は適当に答えておく。
 「行きなさぁぁい、アンデットの皆さん! あの侵入者達を仲間にしちゃいなさいな!!」
 ナクラスの命令に応じて、多量のアンデット達が一斉におぼつかない足取りで明らかな殺意を込めて殺到してくる。
 「こりゃ、厄介だな」
 僕はアスカを後ろに向けて、呪語魔術を開始。
 「大丈夫よ。レイバルト!」
 イリッサの命令に従い、スキンヘッドの大男はズイと前に出る。
 『幸運を司る偽神の威光を以って命ずる。彷徨える魂よ、あるべき所へ幸運を持って帰れ』
 右手をゾンビ達に突き出しつつ、偶像神である幸運の神ラックスを奉ずる神聖魔術の詞を叫ぶレイバルト。
 思った以上に彼の信心は深いらしく、アンデットの浄化魔術により半数のゾンビ達が一瞬で塵と化した。
 「人は見かけで判断しちゃいけないんだなぁ」
 このスキンヘッドの大男は司祭級の力を持っていると思われる。見た目は神をも信じぬ顔をしているのに。
 「そゆこと。さ、片付けるわよっ」
 「おぅ!」
 応えつつ、僕の手斧とイリッサの鞭がそれぞれ二体のゾンビを葬った。
 ゾンビやスケルトンといった使役されるアンデットは、動きが非常に鈍重だ。
 見た目のインパクトさえ慣れてしまえば、囲まれない限りは脅威にはならない相手と言える。
 「松明に宿る炎の淑女、腐っているのを貴女の炎で綺麗に滅して」
 後ろからアスカの援護射撃が入る。彼女の持つ松明から紅蓮の炎に包まれた手が二本伸び、二体のアンデットを紅蓮の炎が包んだ。
 「遠目だから大丈夫!」
 びしっと親指を立てて彼女。それって僕らとアンデットを見間違う可能性もあるんじゃ??
 「む、私の下僕達をよくもぉぉ!」
 叫ぶナクラスは己の両隣にはべらせていた二体のスケルトンを僕らに向ける。
 だがそれは僕とイリッサが交戦する事もなく、レイバルトの浄化魔術とアスカの炎の精霊魔術によって消滅させられた。
 「さぁ、観念しろ、ナクラス!」
 「むほぉぉ、こうなればっ」
 奴に駆け寄る僕に、青白い顔の霊術師は切り札を呼び寄せる。
 「来なさい、私の最高傑作フランケンよっ」
 ずしん
 ずしん
 重苦しい音がナクラスの背後から聞こえてきたかと思うと、彼の背後にある両扉が開いてそれは姿を現した。
 「何だ、あれは」
 思わず僕は唖然としてしまう。
 「レイバルト! 浄化しろ」 
 イリッサの命に、しかし無口なスキンヘッドの男はお手上げのポーズを取る。
 それは身長三リールはあろうかという、巨大な人型のゾンビだ。死体をつなぎ合わせて作成したものと思われる。
 ただ、この下水道の高さが二リール弱しかない為、屈んでの登場ではあったが。
 「そうだろう、効かないだろう? これが私の研究成果!」
 巨大なアンデットの影に隠れて、霊術師の声が聞こえてくる。
 「ウォォ!」
 巨大人型アンデットは、咆哮をあげて中腰で向かってくる。
 「ど、どうしようか、あれ」 
 「どうすると言われても」
 狼狽えるイリッサと顔を合わせつつ、僕は取り合えず手斧を構える。
 フランケンと名づけられた巨大なゾンビは、その太い腕を横にないだ。
 僕達二人はそれを難なく交わすが、太い腕から繰り出された一撃は下水道の壁をいとも簡単に粉砕した。
 「近づけないわ」
 額に汗し、イリッサ。
 「そうでもない。動きは単調だし、鈍い」
 彼女に答え、僕はフランケンを中心にイリッサと左右に分かれるよう合図する。
 ターゲット二つが各々反対方向に分かれたことで、アンデットの元々拙い思考が一瞬混乱したようだ。
 「フォォォ!」
 迷いを振り切るかのようにフランケンは再び吠えた。
 「親愛なる風よ、かの怪物を存分に切り裂くが良い!」
 声はすぐ背後から。刃と化した空気がゾンビの四肢を切り裂く。
 至近距離からの風の精霊魔術だ。
 「腐ってなけりゃ、大丈夫なの」
 振り返る僕に、そうアスカが笑って答えた。
 ずるり
 動きを止めたフランケンの巨大な手足が、胴体から離れて巨体が揺れる。風の精霊は思ったよりも良く切ってくれたようだ。
 「へ?」
 フランケンの巨体はその体を後ろに――主である霊術師に向かって傾けた。
 霊術師は驚愕と間抜けた叫びを残して、
 ずしん
 潰された。
 「あらら、間抜けな結末ね」
 苦笑いのイリッサは鞭を腰に戻しながら、切り落とされても蠢くフランケンに視線を移した。
 「レイバルト、今のうちにあの大きいの浄化して」
 「分かった」
 時間をかけてレイバルトは浄化の呪文を紡ぐ。それに応じてフランケンは次第にその姿を塵と化していった。
 「さて、後は霊術師を引っ捕らえておしまいね」
 フランケンの塵の中、イリッサはピクリとも動かず倒れているナクラスの元へと歩む。
 体の間接の至る所がありえない向きに曲がっていたりするが、しっかり生きていた。
 こうして仕事は終わった、かに見えた。
 「キャ!」
 突然悲鳴が僕の後ろから響く。声の主は、
 「アスカ!?」
 驚いて振り返る。
 「むーん」
 僕の名を呼んだのだろう、アスカは一人の男に羽交い締めにされていた。
 その男の右手には短剣が握られ、彼女の細い首筋に当てられている。
 白い髪に褐色の肌の青年。彼の持つ瞳は真紅――忘れもしない、アスカの村を眠りに落とした魔人に相違ない。
 「貴様、何者だ!」
 手斧を構えようとするが、男の短剣の動きにそれを押し留めた。
 「我が名はパスウェイド。人の子よ、この娘は頂いていくぞ」
  言う魔人のその姿がアスカ共々闇に溶けようとする。
 「待て!」
 「む?」
 アスカがパスウェイドの腕に噛みつく。そちらに注意が飛んだ瞬間、僕は手斧を投げ付けた。
 そしてそのまま現在使える最も強力な魔術を口ずさみ始める。
 ザス
 そんな音を立てて手斧は魔人の左肩に突き立った。
 「ほぅ、人の心とは強い力だ。この私に痛覚を与えるのだからな」
 しかし平然と魔族は呟く。その間に僕の魔術は完成した。
 「黄泉の門、開く所にそれはあり。位相よ、我が力となれ!」
 指定のものを別の場所へと移動させる簡易転移魔術だ。
 魔人パスウェイドのみを転移先未決定のまま移転させてやろうという、本来の使用方法とは異なる危ない使用方法だが。
 しかし魔族の周囲が少し揺らめいただけで、効果がなかった。
 「何故?!」
 「面白い魔術の使い方だ。だが空間を渡ることができる私には通用はしない」
 パリッ!
 パスウェイドの右手に蒼白い電撃が小さく走った。
 「うっ」
 それを首筋に食らったアスカは一瞬にして気を失う。魔人は彼女を後ろから抱きかかえながら燃えるような紅い瞳をこちらに向けて言った。
 「少し遊んでやろう、人と魔人の違いを知るがいい。そして」
 魔人パスウェイドの空いた左手に黒い光としか表現できないものが生まれる。
 それは人の頭ほどの大きさにまで育ち。
 「ルーン、なんかやばいぞ!」
 「防壁を」
 後ろ、イリッサとレイバルトの言葉が終わらないうちに。
 「そして圧倒的な力の差を前に、策もなしに打って出る事は無謀であると学ぶがいい」
 パスウェイドはその黒い光を僕に向かって軽い動作で投げ放った。
 レイバルトが幸運の神の加護による防壁を張ったのがほぼ同時。
 しかしそれはまるで紙のようにあっさりと破れ、凶悪な黒い光は弾と化して爆破の衣を纏い僕を貫ぬかんとする!
 「っ!」
 「全く無茶をするわ。判断ミスするのはあの娘が絡んでいるからかしらね?」
 僕の前に人影が飛び込む。
 そいつは迫り来る黒弾を右手で掴むと、
 ドッ―――
 黒い閃光が炸裂。僕たちを避けるようにして黒の瀑布が周りを包む。
 視界が一瞬にして黒く染まり、耳は爆音によって何も聞こえなくなった。
 無音の闇の中、右手一本で黒の衝撃を防いだその人は、苦笑いを僕に向ける。
 「シフ姐?」
 それは顔なじみの吟遊詩人。シフ・ブルーウィンドだった。

<Camera>
 ―――という訳」
 一息ついてイリッサはワインを一口、瓶のまま口に運んだ。
 「それで、その後ルーンはどうしたの?」
 せっつくように問うのはクレオソートだ。
 「ああ、何でも南に向かうらしい。その女の子を助けるんだって」
 「魔人か。あの時、逃がしていたのか」
 「でも、どうやってファレスのあの子をこんな大都市の中から見つけ出せたのかしら?」
 ソロンの呟きと、シリアの問いに答える者は当然居ない。
 そんな一同を見渡し、若き神官の乙女は早々に荷物を手にする。
 「私は行くわ。皆はどうする?」
 クレオソートは旅の仲間に尋ねる。しかし、それに答える声はなかった。
 「私達はやらなきゃいけないことがあるの。ごめんね」
 シリアの言葉にソロンもまた頷く。
 「俺とキースもこれ以上はついて行けねぇな」
 「なんでも東の熊公国と南のザイル帝国、西じゃ海賊が暴れてて、お役人は傭兵を高い金で雇いまくってるらしいんだ」
 ケビンの言葉にキースが付け足した。そして心配そうに問う。
 「マジでルーンを追うのかい? そうムキにならなくても…」
 そこまで言って彼は言葉を止める。
 そもそも彼女が兄と慕っていたルーンをここまで来て追わないようなら、初めからエルシルドの街を旅立ったりはしていないはずだから。
 「私は一人でも行くわ。イリッサさん、情報をありがとう」
 彼女は盗賊の長に一礼。そして、
 「それじゃ、みんな。また何処かで会いましょう」
 光の神官クレオソートはそう言い残し、酒場を早足で去って行った。
 「忙しい娘だね。いいのかい、行かしちまって」
 イリッサは彼女の去っていった扉を見つめながら、ソロンに問う。
 それに戦士は軽く微笑み、こう応えた。
 「どの道、クレアとはここで別れる予定だったんだ。それにあの娘は見かけによらず強いから、大丈夫さ」
 ふーん、とイリッサは呟き、興味はそこで途切れたようだった。
 「ま、今日のところはどんと呑んでくれ。羽目を外せるのは今日までなんだからさ」
 盗賊の長はその瞳に一瞬苦いものを浮かべて一同に、主にソロンとシリアに告げる。
 当然その瞳の意味に気が付いたのは、ここにいる二人だけだった。


 アークス城。その正門から五人の騎士と思しき一行が堂々と入場した。
 思しき、というのはどう見ても騎士ではない装束の者もいるからだ。
 一人は先頭を行く、意匠の込んだ胸鎧を着込んだ青年。その後ろにはターバンを巻いた軽装備の少女。
 そして板金の鎧を着込んだ中年の男に、同様の鎧を着てフルフェイスの兜をかぶった年齢不詳の騎士。
 最後に頭から茶色のフードをかぶって杖を手にした、まさに不審者そのもののいでたちをした魔術師然とした者が一人。
 しかしその一同を見るやいなや、門番がこう叫んだ。
 「アルバート王子が帰ってきたぞ!」
 その声に放浪王子を一目見ようと文官や兵士達が群がってくる。
 アルバートは群がるそのうちの一人を捉え、こう尋ねた。
 「父上は何処にいる?」
 「ハッ、陛下は今、将軍達と会議室にいらっしゃいます」
 「ありがとよ」
 言って、アルバートと四人は会議室へと足を向けた。
 「王子、会議中に乗り込むおつもりですか?」
 狼狽えるナセルの問いに答えず、足を進めるアルバート。
 それを肯定と受け取ったナセルは顔を青くして彼の前に立ち塞がった。
 「や、止めて下さい! いくら王子と言えど無礼にも程がありますぞ、ってうっは!」 
 あっさりと跳ね飛ばされるナセル。彼の必死の食い止めはさっぱりと功を成さず、一行は会議室に近づいていく。
 不意にアルバートの歩みが止まった。
 「お帰りなさい、アルバート殿下。陛下は今、重臣達と会議中ですわ」
 赤く長い髪を後ろで結った麗人が、両手に花を抱えてアルバートの前に現れた。
 その隣には黒装束の男が存在を消したかのように控えている。
 「おぅ、シシリア。久しぶりだな。サルーンも相変わらず不気味だし、変わりないなぁ」
 笑顔を浮かべ、アルバートは応答した。
 赤髪の姫は、その閉じた目であるべき視線をアルバートからその背後へと向ける。
 「あら、そちらにおられるのは帝国のセンティナ様では?」
 魔術師イルハイムの後ろで隠れるようにしていた全身鎧の騎士に、シシリアは誰可の声を挙げた。
 騎士はしぶしぶといった様で冑を取って素顔を露にする。
 風に金色の髪が揺れた。
 「何故、私だと?」
 素顔も見ずに分かったことに、センティナは驚きの表情を見せた。
 もっとも目の見えないシシリア姫に素顔も何もないことが考えに至り、センティナは己の浅はかさに黙って俯いてしまう。
 シシリアは再びアルバートに視線を戻し、困った顔の笑みを浮かべてこう告げた。
 「殿下、陛下にお会いしたいのは分かりますが、一応場所をわきまえて下さいね。今回の会議は非常に重要なものと聞いています。終わるまで私の部屋で、貴方の旅のお話を聞かせてもらえませんか?」
 シシリアの言葉にアルバートは否定に首を振って、その脇を通り過ぎる。
 「あら、面白いお話を詩人からお聞きしましたのに。ヤシャという魔族の物語を」
 変わらない笑顔のままのシシリアの言葉に、アルバートの足が止まった。
 「どういうことだ?」
 アルバートは振り返り、尋ねる。
 彼の鋭い目線をシシリアは笑顔のまま受け止める。それは僅かな時間、しかし先に視線を外したのはアルバートの方だ。
 「分かったよ、アンタの部屋に行くことにしよう。父上から聞き出すよりも、よっぽど早そうだ」
 ムッとした顔でアルバートは方向を180°変換する。
 ずんずんと先に進んでいってしまうアルバートを見ながら、シシリアはセンティナに再び顔を戻した。
 「センティナ様、今日はこの城でおやすみ下さいな。陛下もきっとお会いしたがると思います」
 労わるようなその声の旋律に、センティナは思わず頷いてしまう。
 「ナセル殿、センティナ様を客室にご案内して差し上げて」
 「ハッ、承知いたしました」
 答え、ナセルはセンティナをアルバートとは反対の方向へと導いて行く。
 「え〜と、私達は?」
 行き場を失ったフレイラースは、取り合えず沈黙したままの魔術師イルハイムに向き直る。
 当然、無口系の魔術師からは返答はない。
 そんな二人にシシリアは微笑んで言った。
 「さぁ、フレイラースさんもイルハイムさんも私の部屋へいらっしゃって。とびきりのお茶をお煎れいたしますわ」



 「さぁ、紅茶をどうぞ」
 「わぁ、いい香り」
 「茶なんてどうでもいい、さっさとヤシャの事を教えろ!」
 どん!
 アルバートが眉間にしわを寄せてテーブルを強く叩く。白いテーブルに乗せられた四つのカップから紅茶が溢れた。
 「アル、どうしたの? 変だよ」
 フレイラースが心配そうに青年に尋ねる。
 「すまん、とにかくヤシャとは何なんだ? 母上と関係のある事なんだろう?」
 顔をしかめ、アルバートは感情を努めて抑えて尋ねる。
 対して笑みが消えた顔でシシリアは問い返す。
 「どうしても、お聞きになりたいのですか?」
 彼女の雰囲気に一同の間に張り詰めた空気が満たされた。
 「止めておけ、アルバート。世の中には知って良いことと悪いことがある。シシリア殿がナセルとセンティナを退けたのも…」
 「良いから教えてくれ。大体予測はついているんだ」
 イルハイムの言葉を遮って、アルバートは身を乗り出してそれに答えた。
 シシリアは溜め息を一つつき、しかし意を決したようにこう言った。
 「ヤシャとは皇位魔族。魔王としての力を持つ魔性です」 
 答えを放つ彼女以外の三人が、息を飲む。
 「よりにもよって魔王かよ」
 確認するようにアルバートは呟いた。それにシシリアは無言で頷き、
 「しかし貴方の御母上は、貴方の御母上以外の何者でもありませんわ」
 「分かっているよ、痛いくらいにな。しかし何故父上は母上を后に迎えたのだろう?」
 「さぁ、色々あったのでしょう。でも王は貴方の御母上を確かに愛していたと思いますわ」
 「確証はあるのか?」
 「王もお若い頃はアルバート殿下と同じように身分を忘れて世界のあちこちを回っていたそうです」
 「それは聞いたことがある。だからなんだというのだ?」
 「旅路では様々な出会いがあるのでしょう。殿下と同じく、ね」
 言ってシシリアは紅茶を熱そうに啜るフレイラースに見えない視線を向けた。
 「それが魔族を后に迎えるのと何か関係があるのか?」
 そんな改めてのアルバートの問いに、シシリアは困った顔で言う。
 「こればかりはご本人の口から直接聞かないとご自身納得されないかもしれません。父上とゆっくり話し合ってみてはいかがですか?」
 む、とアルバートは言葉を詰まらせる。ここでようやくシシリアは微笑みを戻した。
 「ねぇ、シシリアさん。どうしてアルが知らないことを知っているの?」
 フレイラースがふと尋ねる。しかしそれはシシリアの無言の微笑みによってかわされた。
 「ところでアルバート殿下、今のこの城内の状況はご存じですか?」
 思い出したようにシシリアはそう言って話題を変える。
 「ああ、ここに来る前にあらかた聞いた。ウルバーンの奴が天使、だったかを操ってたんだって? 石になった奴もいるそうだが」
 「ええ、でもウルバーン殿下が亡くなると同時に元に戻りましたわ」
 シシリアは小さく息をつくと、カップを手にして紅茶を一口含む。
 「アルバート殿下、陛下を手伝ってあげて下さい。今は力が不足しているんです」
 彼女の申し出にアルバートは視線を逸らす。
 しばらく無言の時間が続く。それを破るのはやはりアルバートだ。
 「フレイラース、イルハイム」
 「なぁに?」
 「なんだ」
 「しばらく城の生活になるかもしれんが、いいな」
 少女と魔術師は顔を見合わせ、
 「アルがそうしたいんなら、つき合うよ」 
 「依存はない」
 「よっしゃ! いっちょ、王子らしいことでもやるか」
 アルバートはそう言って、紅茶を一気に飲み干したのだった。

<Aska>
 気が付くとそこは闇の中だった。
 上も下もない、闇の世界。
 その中に一人の男が現れる。歳は分からない。中年と言えば中年にも見え、青年と言えばそうも見える。
 透き通るような白い肌と長い黒い髪を持った男だった。
 「アスカ、ようやく会えたな」
 曇った意識が私を支配する中、彼はおそらく普段は表情のない顔に、嬉しさを表して言った。
 「誰、貴方は?」
 呟くような声が闇の中に僅かに響く。
 「私をさらった魔人の仲間?」
 そう、確かパスウェイドとか名乗った魔人だ。
 「残念ながら私は魔人に属するものではないよ。忘れたかい?」
 問う男に、私は小さく首を横に振る。
 「私はお前の父だよ」
 静かに、しかしはっきりと彼は言った。
 私の父?
 混濁する意識を掘り返しても、私には父親の記憶はない。
 「嘘、証拠はあるの?」
 「……私がお前を娘と認める。それは揺ぎ無い事実だ」
 一方的にそう押し通した彼は、私の額に右手で触れる。
 「何をするの?」
 体がまともに動かない。しかし目の前の男は怖くはなかった。
 「私の知識をお前に託す。多少混乱はあろうが、これが一番早い方法だと思うのでな」
 ふと、彼の手を通して何等かの知識が舞い込んでくる。
 「え……いやっ!」
 そして、まるで関を切ったかのように雪崩込む記憶と知識。その中に私は呆気なく埋もれて行ったのだった。


 そこは美しい野原だった。
 そこで幼い私は父に抱かれている。
 隣には母。白い翼を持つ彼女は、光輝く翼を持ったファレスの少年の手を引いていた。
 優しい春の風が私達家族を包む。それは膨大な記憶から、唯一見出せたもの………

<Rune>
 アスカ、きっと助け出してみせる。必ず僕のこの手で。
 僕は首都アークスから南に広がるフラッツの大草原の真っ只中に延びる南の街道を進んでいた。
 この草原には遊牧民が住んでいる。
 その遊牧民の中にレナードという剣士がいるのだという。僕はその剣士に会いに行こうと思う。
 魔人パスウェイドにアスカが連れ去られ、僕は彼の圧倒的な力の前に手も出せず屈した。
 本来ならば力の差にこの命はなかったことだろう。それを救ってくれたのがシフ姐だった。
 彼女が何故あの場に現れて、都合よく僕を救えたのかは正直よく分からない。
 だが。
 彼女はアスカを失った僕にこう言った。
 『力が欲しいのなら、剣士レナードに会いなさい』
 レナードはフラッツ大草原で遊牧を営んでいるという。
 彼はシフ姐の古い友人で、かつて隣国である龍王朝において特殊な技法を備えた剣技の師範を務めていた腕前なのだそうだ。
 彼女曰く、彼に師事すれば僕は間違いなく強くなれる、らしい。
 アスカをさらった魔人の目的が何なのか、そして何よりアスカは無事なのか?
 分からないことだらけだが、シフ姐はこう言ってくれた。
 「分かることから、やっていくしかないじゃない?」
 「分かることから、かぁ」
 「それにしても娘を取られると思って強硬手段で来たのかしらね」
 「強硬手段?」
 「ん、こっちの話」
 後半の意味が良く分からなかったが、僕に分かることは今は一つだけ。
 魔人パスウェイドよりも強くならなくては、アスカを取り返せない。
 これだけだ。
 「アスカは本当に無事かな」
 夜の街道から星空を見上げながら、僕は一人呟く。
 ”無事よ、安心なさい”
 無駄に力強い応答は心の声、イリナーゼだ。
 「根拠は?」
 ”女の感。そもそも彼女に害をなすようだったら、初めからあのファレスの村を焼き放ってるでしょうに”
 「そう言われればそうかもしれないけど」
 何か見えないものに僕が…アスカが、そして世界そのものが動かされているような気がする。
 しかし僕が見えない決められた運命の上を通っているとしても後悔はしない。
 運命であろうが宿命であろうが、これが僕の選ぶ道なのだから。
 僕はアスカを愛している。
 始めのうちは理由のない懐かしさがあったなどと思ってはいたが、それは彼女を好きだという事を隠すための言い訳に過ぎないことを彼女をさらわれた今、知った。
 草原の乾いた冷たい風が、僕の髪を揺らす。
 僕はシシリア姫から渡された、心をつなぐという指輪を強く握った。
 だが、そこからはいつもの明るいアスカの声が聞こえてくることはなかった。

<Camera>
 闇一色の空間で、唯一の色彩が一筋あった。
 男の口からは赤い血が止めどなく流れている。彼は苦しげに何かを呟くと闇から声に応じて一つの人型が生まれた。
 それは褐色の肌に白く長い髪、そして歪な耳の形。
 魔人ネレイドだ。
 彼女は召喚主を見止めると、慌てて彼の傍らへ駆け寄った。
 「カ、カルス様! 一体何が?」
 彼女は口を押さえて屈み込む男に走り寄るが、男は手でそれを静止させた。
 「ネレイドよ、お前はあの娘をお前なりに守るのだ。私はしばらく眠らねばならぬようだ」
 闇の中にはファレスの少女――アスカが浮いていた。
 その表情は穏やかに眠っている様に見える。
 「ファレスの娘に何をしたのです?」
 納得のいかない顔のネレイドにカルスは呟くように応えた。
 「私の知りうる知識を全て与えた。今、あの娘の頭は知識によって混乱している」
 「カルス様の知識を全て??」
 「その混乱の中からあの子が何かを見つけ出すまで、お前は守るのだ。分かったな」 
 「はい、カルス様。しかし貴方のお身体は?」
 「私のことは心配するな。その気持ちはあの娘に向けてくれ。頼むぞ」
 言い残し、男は闇に消えて行く。
 「そこまでしてあの娘に一体どれだけの価値が?」
 苦しげに呟き、ネレイドは眠るファレスの娘の傍らに立ち。
 「では行こうか、闇の神に見初められし姫君よ」
 そう呟くと二人はともに闇に消える。
 誰も居なくなった闇はあるべき静寂を取り戻し、沈黙の中へと沈んで行った。

Temporary end & continuation ...


 吟遊詩人に酒場の主人は本日五杯目の紅茶を注いだ。
 日は傾き、普段ならば野良仕事から帰ってきた村人の野次と罵声で占拠されているはずのこの酒場は今、吟遊詩人の竪琴の音だけが静かに響き渡っている。
 「さぁ、続きは明日。あなた達はお家にお帰りなさい」
 銀色の髪の詩人は客である三人の子供達に優しく告げた。
 「え、でも続きが気になるよ!」
 眼鏡を掛けた男の子が叫ぶように抗議する。
 「私も疲れちゃったわ。聞かせてあげたいけど、途中で私の声が出なくなったりすると、困るでしょう?」
 吟遊詩人の言葉に子供たちは顔を見合わせる。
 「うん、じゃあまた明日ね。絶対だよ!」
 少女が言って、酒場を出る。
 「でも」
 名残惜しそうに眼鏡の少年。
 「お姉さんに迷惑だろ、おめえはよ!」
 リーダー格の男の子が、その子の頭をこずいて引っ張って行く。
 「明日、絶対来るからね!」
 リーダー格の男の子は扉の外でそう叫んだ。
 そして酒場には、いつものざわめきが戻ってきた。


 「おはよう、お姉さん!」
 朝一番に酒場にやって来たのは女の子だった。すぐに遅れて二人の男の子がやってくる。
 「ねぇ、お姉さん」
 眼鏡の子がおずおずと尋ねる。
 「何かしら?」
 紅茶を一口、含んでから吟遊詩人は笑顔で聞き返す。
 「ずっと、ずっと昨日の夜考えていたんだけど」
 そして彼は意を決したようにこう問うた。
 「お姉さん、詩の中に出てきてるよね?」
 「フフフ、私かも知れないしあなたかもしれない。それはそれぞれ聴く人によって違うの」
 言葉に子供たちは顔を見合わせて、そして各々に首をかしげた。
 「昨日あなたの聞いた私の詩も、そっちの男の子には違った話に聞こえているのよ。それが物語というものなの」
 彼女の言葉に三人の子供は目をパチクリさせる。
 それを見て、吟遊詩人と店の主人は含み笑いを漏らした。
 「さぁ、昨日の続きを歌うわよ―――


   少年は目的に向かって進む。回る世界の中で
   世界は一つの物語を作り出し、多くの物語は一つの世界となる
   回る世界は何処へ行く? それは秩序か混沌か?
   運命の糸を手繰り寄せ、それと供に生きるのか? それとも………



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