小男は糸の切れた操り人形のようにガクン、とその場に崩れ落ちた。
 「生憎、お前らが俺を突き飛ばした時点で関係者だ。怪我したくなかったらさっさと出て行きな」
 トレイに載った残るナイフを右手で回しながら、彼は三人の男達に対峙する。
 「もっともこの姉ちゃんを泣かしておいて、無事に帰す気はないがな」
 青い瞳に殺意の色を込め、彼は不敵に微笑んだ。
 その挑戦に飛びかかろうとした二人の男を抑え、リーダー格である男が前に出る。
 カウンターに拳の痕をつけたのは伊達ではない。二の腕の筋肉は隆々とし、なまくらな剣ならば弾きそうだ。
 「おもしれぇ、サシで勝負してやるよ。オレに勝てたら二度とこの店には踏み込まねぇでやる」
 言って男は腰の剣を抜き放つ。
 「死んで自分の無力を思い知るんだな!」
 青年の答えを待たずに剣を振りかぶる男。
 ガスッ!
 振り下ろされた剣は、硬い音を立てる。
 が、それは金髪の男の背後のカウンターを断ち切ったに過ぎなかった。
 「ぬ、抜けんっ」
 硬い木のカウンターに剣をめり込ませて両手で引き抜こうとする男。
 と、男の動きが不意に凍りつく。
 その首に、男が食事に使っていたナイフが深々と突き刺さっていたからだ。
 「て、てめえ」
 カウンターに突き刺さった剣を握り締めながら、男はその隣で平然と彼を見る金髪の男を睨みつける。
 不思議なことにナイフが突き刺さっているというのに血が一滴も出ていない。
 「不用意にそれを抜こうとすると死ぬよ」
 静かに言い放つ青年の言葉に男の顔色が一瞬で青くなった。
 「貴様ぁ、よくも兄貴を!」 
 「殺せぇ!」
 残る二人が青年に襲いかかる。その二者の間に黄色い影が割り込んだ。
 『神の手よ、愚か者どもに鉄槌を』
 短句とともに黄色い影は両腕を襲い来る二人の男の方に突き出す。
 バキッ!
 派手な音を立てて二人の男達は入ってきた両開きの扉を突き破り、外へ投げ出された。
 まるで見えない猪にでも体当たりされたかのように飛ばされたのだ。店の外では二人とも完全にのびている。
 「全く。どこにでもこういう方々はいるものね」
 黄色い影――神官の少女は勝気な表情でならず者一党を見渡した。
 「……!」
 声を出すことすらも恐れ、リーダー格の男はカウンターに剣を残したままに倒れている小男を掴むと、ほうほうの体で店から飛び出して行った。
 そして酒場は何事もなかったかのようにいつもの喧噪を取り戻し始める。
 「ありがとう、心からお礼を言います」
 カウンターの影から顔を出した看板娘は青年と神官の少女の二人に頭を下げる。
 「気にしなさんなって」
 「これも神の与えた修練ですから」
 二人は言って看板娘に笑顔を向ける、そして。
 「アナタ、見かけより強いんですね」
 黄色い法衣の少女は金髪の青年に改めてそう感想を述べた。
 「アンタもな。光の神かい? 信仰してるのは」
 「はい、まだ駆け出しの神官に過ぎませんが」
 そこまで言って彼女は思い出したように懐から一枚の念画を取り出した。
 「ところで私、ある人を捜して旅をしているのですが。この人をご存知ではありませんか?」
 念画に描かれているのは人のよさそうな青年の顔だった。当然、彼にとっては見たことのない顔である。
 「さぁな、どうも特徴がない顔だ。これ、あんたの恋人か何かかい?」
 「い、いえ、兄…です」
 返答に青年はその答えが異なることに気付く。
 「ふーん、ま、いいか。俺の名はアレフ・レイファ、お近づきの印に酒でもおごらせてくれ」
 「いえ、私はお酒は」
 断わろうとする前に、彼女の前にジョッキになみなみと注がれたエール酒が置かれた。
 看板娘がグッと親指を立てている。
 「お嬢さん、お名前は?」
 「クレオソート・マイアと申します」
 「クレオソートか、良い名だ。それじゃ、君と俺との出会いを祝して、乾杯!」
 ジョッキを合わせるアレフ。そして彼はエール酒を一気に飲み干した。
 「やっぱり、飲まなくちゃいけないかなぁ」 
 ジョッキを手にしたまま、困り顔のクレア。
 「どうした、酒は飲めないか?」
 「そんなことはありません!」
 アレフの言葉に、クレオソートは一気にジョッキを飲み干した。
 中身を空にすると同時、頑丈な木のジョッキをテーブルにゴスっという音を立てて叩き付ける。
 「い、いい飲みっぷりだな」
 多少たじろぐアレフは突如、下から上に向かって己の顎が強い衝撃を受けたのを知る。
 「いい飲みっぷり? 誰がだ! こらぁ」
 いきなりアレフにアッパーカットを食らわせるクレオソート。アレフは両足の力を抜けそうになるのを2歩後ろへ下がることであとは気合で抑え込んだ。
 「な…」
 驚愕に目を見開く彼の前には、反対に目の座った少女がいた。
 「誰が寂しいだってぇ、別に寂しくなんかない。ルーンお兄ちゃんの馬鹿野郎ぉ!」
 そして神官の少女は豪快に泣き出した。
 「どうなってんだ? 一体」
 殴られた顎を押さえ、アレフは困り果てる。
 「こんな酒癖の悪い娘、初めて見たわよ」
 こちらは呆れ帰る看板娘。
 やがて不意に静かになったかと思うと、クレオソートはテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。
 アレフと看板娘は突如降り始めて唐突にあがった夕立に遭遇したかのような顔で互いに見詰め合う。
 「こんな娘が一人旅か。放っておけないな、こりゃ」
 アレフはふと、彼にしては珍しくそう呟いていた。


 クレオソートは頭に多少の痛みを伴って目を覚ました。
 いつの間にやら神官着のままでベットで眠ったらしい。
 ぼんやりした頭で彼女は思う。
 眠る前の記憶がぽっかりを穴を開けていることを。
 天井の木の節目をぼーっと見つめている中、不意にドアがノックされた。
 「どうぞ」
 眠気眼を擦りながら彼女は上体を起こす。
 「よう、調子はどうだい?」
 お盆に湯飲みを一つ乗せて、金色の髪の男――アレフが入ってくる。
 「あら、貴方は」
 「二日酔いでもしてるんじゃないかと思って飲み薬を作ってもらったんだが、大丈夫そうだな」
 言いながら彼は湯飲みを彼女に渡す。湯飲みからは湯気とともに苦そうな匂いが漂ってくる。
 クレオソートは何も言わず、それを一気に飲み干した。味に思わず顔をしかめる。
 良薬口に苦しをいうのか、ぼんやりとした彼女の頭の中は一気に霧が晴れたかのようだ。
 「ありがとう。え〜と、昨日は…あ!」
 断片的に失われていた記憶が戻ってくる。それとともにクレオソートの顔が次第に赤くなっていった。
 「昨日はすまなかった。俺が無理矢理飲ませたばっかりに」
 「いえ、私こそ貴方を殴ったみたいで…ごめんなさい!」
 殴った以上にとんでもないことを叫んだことには触れないらしい。
 「あれから考えていたんだが、アンタ一人旅だろ。俺も同行しようか?」
 「え?」
 突然のアレフの言葉に、驚くクレオソート。
 「一人旅、それも女となると色々大変だろ? 俺にしてもちょうど大きな件を片付けたところで暇なんだ。次の仕事が見つかるまでってことで」
 アレフのその言葉にいぶかしむクレオソート。その視線に気付いたのか、アレフは慌てて言う。
 「言っておくが、下心などはない。俺はフェミニストなんだ。アンタの神に誓ってもいい」
 「ふぅん、フェミニストってところは信じてあげるけれど」
 クレオソートは目の前の男を上から下まで値踏みするように見定めた。
 「私を心配して、ただ好意だけで旅を共にしてくれるなんていう、私にとって『だけ』都合の良い話があるわけないでしょう?」
 笑みが消え、周囲の空気すら凍りつきそうな無表情と雰囲気を纏った彼女に、アレフは表情を切り替える。
 慌てながらも相手を持ち上げるようなそれから、感情の薄い静かなそれへと。
 「まったく以ってその通りだ。俺は『君』と旅をすることで利を得る」
 「どんな利かしら?」
 答えによっては昨夜のアッパーカットでは済まさないとでも言いそうな挑戦的な笑みでクレオソートは答えを急かす。
 「うむ」
 ベットの脇にあった椅子に座りつつ、アレフはこう答えた。
 「まさかこの俺が女と二人で旅をしているとは誰も思うまい」
 クレオソートはアレフの瞳に確かに見た。
 普通の旅人や冒険者にはない、冷酷な殺人者や使命に忠実な間者としての色を。
 「そう、それならば納得できるわ」
 言って、彼女の表情には笑みが戻った。そしてアレフの両手を握りしめる。
 「改めて自己紹介します。私はクレオソート・マイア。クレアって呼んでくださいね」
 満面に笑みを讃える彼女と同様に、アレフもまた今までと同様の微笑み返す。
 「アレフだ。よろしくな、相棒」


 強い香料の効いた茶の入った二つの湯飲みを前に、ノールの剣士は傍らの大地に突き刺さる刀と話し合っていた。
 すでにこの光景は五日間続いている。
 ―――の息子だけある。やはり血筋というものは剣の才能も伝えるのだろうかね?」
 レナードは日の光に目を細めて、お茶を啜る。
 「そうね、でも私はあの子に剣を教えたくはなかったわ。剣は所詮、死を司るモノ。あの子は確実に死に近づいていくことになるもの」
 鏡のような刀身に写る魔性の女性はそう呟いた。
 「伝説と言われる魔王イリナーゼ殿からは想像もつかない言葉ですな」
 「だってあの子は特別だもの」
 「ほぅ、私にはスジの良い生徒くらいにしか見えないが、貴女にはどう見えるのだろうね?」
 不思議そうにレナードは魔剣に問う。
 「そうね。純粋な人…かしらね。普通ではないくらいにあまりにも普通なの。だから魔族である私すら、問題なく受け入れてくれる。魔族にも通じる優しさがあるわ」
 「そんなものかね?」
 呟き、レナードはお茶を一杯。
 「ええ。おかしいと思うでしょうけど。だから私はルーンが好き。だから例え運命といえど、死へと向かう剣は教えたくなかったわ」
 寂しそうにイリナーゼが呟いた。しかしその表情にまた別のものがあるということにレナードは気付く術もない。
 「そうですか。ですが何も剣は死へと向かうだけではないと思います。生へと向かう剣があると、私は信じていますよ。そしてルーンやアーパスといった新しい者達がそれを見い出してゆく運命にあると」
 「運命はルーンの嫌いな言葉よ。もちろん私達魔族にとっても。かつてルーンが思っていたわ、運命は後から分かるものだって」
 「確かに。それは強い考え方だ、それが決して曲がることがなければ、ね」
 微笑み、レナードは湯飲みを置き、立ち上がる。
 「さて、そろそろ本題に移りますかね」
 腰の剣を抜いて、レナードはぎこちない打ち込みを行なっている二人の弟子の元へと向かうのだった。

<Rune>
 両腕の筋力が麻痺し、肩から先の感覚が薄い。
 だからか、手のひらで掴んでいる物を振り回すことにさほど苦痛を感じなくなってきている。
 僕の目の前の青年にしても同様だ。やや虚ろな目で僕と同様の木刀を手に打ち込んでくる。
 ガッ、ゴッ!
 重い音がぶつかり合う。音を聞き、本能で身体を動かしながら僕は朦朧とした意識の中で思い返す。
 それは五日前のことだ。
 「取り合えずこれを使って二人で打ち込み稽古をしなさい」
 言ってレナードは僕とアーパスにそれぞれ木刀を手渡した。長さ一リール程度の、細身の木刀だが。
 「なっ!」 
 「お、重い!?」
 軽く片手で受け取れると思いきや、あまりの重さに二人ともその場に木刀を落としてしまう。
 「一千年を経た神木の幹を圧縮して作った木刀だからね。筋力で持っちゃいけないよ。こう…そうだね、気合いを入れて持つんだ」
 「「気合い??」」
 呟き、僕とアーパスはお互い難しい顔で見つめ合った。
 それから朝昼晩と、僕はアーパスと延々と打ち込み稽古をしている。
 互いに遠慮なく打ち合うのだが、この木刀がクセモノだった。
 なにせ重い、重すぎる。おまけに当たればトロールに殴られたかのごとく、とてつもないダメージを受けるのだ。
 ここまで思い返してみて、記憶の脱落があることに気付く。
 なんで目の前の男、アーパスが一緒に剣を学んでいるんだ?
 というか、なんでコイツは最初に僕に攻撃を仕掛けてきたんだ?
 さらにレナードはシフ姐とどういう関係なんだ??
 「流されてるなぁ」
 思わず出た溜息とともに、
 「死ねぇ!」
 僕に隙を見出したアーパスがふと我に返ったように中段突きを繰り出してくる!
 慌てて自身の木刀の背で受けるが、まるで僧侶が5人がかりで打鐘したかのような打撃に、僕は後ろへ吹っ飛んだ。
 衝撃に意識を持っていかれないように耐えながら一つだけ気付く。
 コイツ――アーパスは遠慮がない以前に殺意があることから、打ち合いの稽古相手としては申し分ないということに。
 「ぐっ」
 よろめきつつ、僕は転ぶことなく踏みとどまった。
 「はい、そこまで」
 のんびりとした声とともに、僕とアーパスの間にレナードが立ち入ってくる。
 途端、僕はその場に疲労で座り込む。目を向けるとアーパスもまた同様だった。
 「大体その木刀にも慣れてきたようですね」
 「慣れません」
 「重いものは重い」
 僕とアーパスの答え。
 「しかし初日に比べるとしっかり振り回せるようになってきているではありませんか?」
 確かに。
 しかしそれは剣の重心を捉え、力学を応用しているだけで腕力で操っているわけではない。
 「別に腕力をつけろと言っているのではありません、というかマッチョ養成所ではありませんしね」
 レナードは小さく笑って続ける。
 「剣の重心と流れをその身に叩き込んでいただくのが、この稽古の目的でした。それはもう果たせた思いますので次に移りましょう」
 彼は僕から木刀を受け取ると、特に重さを感じないように軽く振る。
 そして僕らの右手側にあった二リール程の大きさを持つ岩の前に立ち、剣を構えた。
 「よく見ておきなさい。これが『気』というものです」
 レナードの剣を持たない方の右の掌に淡い光が灯る。そして剣を両手で握るとその光は刀身を包んだ。
 「ハァッ!」
 彼の息吹きに合わせ光が強くなる。そして光が閃光に変わった。
 レナードが剣を振り下ろすと半月状の光が発し、岩を粉々に砕く!
 「「!」」
 僕とアーパスは驚きのあまりに声が出ない。魔術に属する術ではないのは確かだ。
 「これが気を用いた技の一つ『光波斬』。貴方達程の剣の使い手ならすぐに覚えられるでしょう」
 彼は軽く牙を見せて笑う。
 「覚えられるって…どうやって??」
 唖然と問う僕に、彼は答える。
 「これまでの訓練で剣技は腕力ではないとその身をもって認識したと思う」
 レナードは僕に木刀を返しながら続ける。
 「そして君達は今、その剣から伝わる神木の神気を強く纏っている。今ならば、己の中にある気の根源、生命の中心を探し当てやすくなっているはずだ」
 レナード曰く、気とは魔力の根源たる精神エネルギーの相対の立場にある生命エネルギーをその源にしているものだという。
 東方では主に山に籠もり修行を重ね、悟りというものを拓いた修行僧が自らの生命エネルギーを蓄積、増幅して怪我を治したり、素手で鉄板を打ち砕いたりする事ができると聴いた事がある。
 それを応用して東方の剣の達人達――侍と呼ばれるそうだが――このように剣から衝撃波を出したり、破壊力を大きくしたりできるのだという。
 しかしそれを操るには生まれて持った素質が大きく関係し、いくらやっても上達しない者もいればあっという間に習得してしまう者もいる。
 気の存在は武芸の上級者ならばある程度はその存在をおぼろげながらに感じることができるので、何も東方伝来のみという訳ではない。
 周囲の気配を探る察気術もまたこの部類に入るものなのだ。
 「では、頑張ってもらおう。まずは己の中の最も熱い部分を探し出すことから始めなさい」
 立ち竦む僕ら二人の肩を叩き、レナードはそう言ったのだった。

<Camera>
 この大陸には大きく分けて五つの国家がある。
 大陸北部域の大部分を占めるリハーバー共和国。しかし広大なその国土は険しい山々と絶対零度となる凍土雪原に覆われ、居住域は僅かしかない。
 その南に位置する、やや狭めなアークス皇国。こちらは四つの公国に囲まれた一つの央国の体制を維持しており、四季の変化が多彩で過ごしやすい国だ。
 そしてアークスの東とその南を占める草原の帝国ザイル。もとは遊牧民からなる戦闘民族で構成され、アークス皇国との戦が絶えない。
 そのザイル及びアークスの熊公国の東、リハーバーの南部に隣接するのは他大陸からの異文化色の強い龍王朝だ。こちらは南北に長く伸びた国土を有しているが、その国土の多くは東に存在する大海とそこに浮かぶ数々の島国だ。
 海洋国家として長い歴史と様々な文化が入り混じった独特の文明を有している。
 そして最後に、大陸の南部とその南に広がる幾千もの小島を領土とするササーン王国がある。
 こちらは龍王朝よりも海洋国家の色合いが強い。収入の90%以上を海洋貿易でまかなっていることからもそれは言えよう。
 そんな大陸の最東部にある龍王朝の首都――大陸有数の港街『央京』に白の魔女が訪れていた。
 央京の街外れ、北に三キリールばかり行ったところに小さな森がある。
 この地は冬の今の時期でも気温は穏やかだ。アークスとほぼ同じ緯度にあるも関わらず、温暖であるのは海から受ける季節風と暖流の影響であろう。
 そんな暖かな昼の最中、森の中に光り輝く柱が衝撃音を伴って突き刺さった。
 光の柱はしばらくした後に跡形もなく消え去り、森は元の静けさを取り戻す。
 この小さな森にはいつからか、一人の学者が腰を下ろしている。名を書院といい、かつては龍の皇帝お抱えの学者であったと専らの噂だ。
 この学者住む森は時々こうした珍現象をもたらし街の者を驚かせたものだが、今ではもう驚く者と言ったらたまたま珍事に出くわす旅の者くらいであろう。
 しかし今日の珍現象には普段見られない観客がいた。
 「他力本願な」
 白衣に身を包んだ女性は去って行く久々の客に、厳しい視線を投げ付けた。
 腰まである黒色の艶やかな髪をそのままに後ろに流し、対象的な桜色の色彩を基調としたキモノと呼ばれる龍独特の服装にその細身を包んでいる。
 年の頃は二十代後半であろうか、芯のしっかりした印象を受ける。
 「またそれも良かろう。ところで乙音さんや、昼飯は何かの?」
 その隣。細い目を日の光にさらに細くして老人は女性に尋ねた。老人は齢八十付近。腰は曲げずにしゃんとし、白いボサボサの髪に同色の髭を胸元まで流している。
 やはり彼もまたキモノという、この国では普段着を身につけていた。
 「まだ作っていませんわ、書院様。それに……お食事の時間がありますでしょうか?」
 乙音と呼ばれる女性はそう答えて視線を九十度変える。
 彼女の視線の先には鬱蒼と広がる森の木々。
 だが木々は自らの意志を持って道を開いて行く。そこからやってきたのは白い法衣に杖を手にした銀髪の美女であった。
 「久しぶりね、書院。乙音も元気そうで何よりだわ」
 白の魔女フィース・アルナートはそう声をかけて微笑んだ。
 「おお、フィースか、何年振りかのぅ。ルースとはうまくやっておるか?」
 「お蔭様で。ところでさっき、扉を開いたわね」
 やや厳しい顔付きでフィースは老人――書院に詰め寄る。
 「まぁのぅ。皇帝の奴が妙な予言者の言葉を信じおってな。異界から害にも益にもならん男を一人召喚した」
 語尾を濁らせて、書院はぼそぼそと呟くようにして答える。
 「不用意に穴を開けるなとあれほど言ったでしょう! 乙音、貴方が付いていながらどうしてそんなことをしたの?」
 「武器で脅されたのとここの居住権を持ち出されたので」
 書院とは違い、はっきりとした口調で答える乙音。それに対しフィースは溜め息をつく。
 「全く。新しい皇帝はかなり若いようね。まぁ、良いわ。それで乙音、その予言者って何者なのかしら?」
 「現王の側近の一人です。『世界の滅亡近し、危機に際して異界より異界より勇者現れ、これを退けるであろう』と進言したそうですね」
 「何? そのありがちな英雄憚の始まりは??」
 乙音の言葉に茫然とするフィース。
 「まぁ、それで害のなさそうな少年を一人、召喚したという訳だ」
 書院は胸を張って言う。全然自慢することではないのだが。
 「よくその少年も皇帝の他力本願を聞き入れたわね」
 「本人も余り考えていなかったようですよ。時給千円と言ったら、あっさりと引き受けてくれましたし」
 と乙音。千円というのはその男のいた世界の通貨単位である。
 むろん、彼らに異界の通貨などというものは持ちえず、虚言に過ぎないのであるが。
 「そぅ? とにかく! もう穴を開けないようにね」
 フィースは改めて老人にそう言い聞かせる。
 「そぅ神経質になることもないじゃろうが。穴と言ってもすぐに修復されてしまうほどの小ささじゃよ。もっともそれ以上大きな穴を作る方法など知らんがな」
 ぶつぶつと書院はぼやく。その白髪の頭にフィースの蹴りが飛んだ。老人を敬う気持ちなどあったものではないらしい。
 「ところで書院、ラダーはいる?」
 額に青筋を立てながら、フィースは本題に入る。
 「人を踏みながら物を尋ねるなんてとこ、ルースに見つかったら嫌われるぞ」
 言いながらも慣れているのか、魔女の足元でもぞもぞ脱出の機会を伺いながら老人は反撃。
 「見てないから良いの」
 微笑みながら白の魔女は返した。
 「残念だがラダーの奴は半年ほど前から旅に出とるよ」
 「科学と魔術の融合に挑戦すると息巻いていましたわ」
 乙音が付け加えた。
 フィースはやや思案し、再び今度は乙音に問いかける。
 「じゃあ、乙音。貴方のお姉さんを借りていくわね」
 「ちょ、それは危険です! 白の魔女様も御存じでしょう?」
 乙音は顔を青ざめさせて叫ぶ。それに書院もうんうんと頷く。
 「初期化はしてあるのでしょう? 私はそこの狂った科学者のようなミスはしないわ。何て言ったって、実際に息子を育ててるんだから」
 「勝手に育っているのと違うか?」
 「私は自由放任主義なの」
 「絶対危険です、止めて下さい!」
 書院のツッコミにフィースが一筋の汗を流したことを乙音は見逃さなかった。
 「乙音。事は迫っているの」
 突如真顔で迫られ、乙音は思わず後ずさる。
 「ラダーの足取りが掴めないとすると、それに匹敵する戦力がなくちゃいけないのよ。頭の良い貴方なら分かるでしょう?」
 「わ、私に聞かないで下さい。全ては書院様の判断なさることです」
 諦めたように乙音は言い捨てた。
 狂った科学者の異名をもつ書院が白の魔女に決して逆らわないことはいつものことである。
 それが何故なのか、彼の娘のような存在でもある乙音にも知る由もなかった。
 三人は屋敷へ戻る。屋敷は石造りの二階建て。木造の多いこの国では珍しい構造だ。
 屋敷の地価へ通じる階段を下りると白く滑らかな壁に囲まれた、埃一つない広い部屋へと至る。
 そこには所狭しと良く分からない器具が数々設置されていた。
 部屋の片隅に置かれた器具の前で、三人の男女は足を止めた。
 二リールはあろうかという水の詰まった縦に長いガラス容器の中に、足下まである青い髪を泳がせた少女が眠っていた。
 歳の頃は十代前半、身動き一つせずに裸のまま額にコードのような物を挿して浮いている。
 その面影は三人の中の一人、乙音にどことなく似たものを感じさせた。
 「さてまずは性格設定じゃ。どうする?」
 書院はガラス容器の下にある装置を動かしながらフィースに尋ねた。
 「そうね、ベースはJ。ちょこっとDを混ぜたところにAとUを薬味程度に」
 フィースの指示の通り、書院はコンソール叩く。その後ろでは乙音が頭を抱えていた。
 「どうしたの?」
 「好戦的でかなりドジ。ちょっとHで信心深い…そんな性格ですか」
 乙音の溜息にフィースは笑顔で頷いた。
 「では起動させる。こやつは乙音と違って骨格は機械じゃ。パワーが半端ではない分、柔軟性がないからの。気を付けるのじゃぞ」
 書院の警戒の言葉と供に水槽内の水が抜け、額のコードが外れた。
 膝立ちの状態で少女は虚ろな目をしてガラスの向こうの3人を見つめる。
 「ゆにっとなんばー『P』。キドウシマシタ。ナマエヲニュウリョクシテクダサイ」
 水槽内の少女はそうフィースに尋ねた。
 「貴女の名前はそうね、雪音がいいわ。私が貴方のマスターになるフィースよ。よろしくね」
 「イエス、ますたー」
 答えた少女は水槽のガラスを掌で溶かして外に出た。そんな彼女に乙音が上着をかける。
 「いきなり壊しましたね」
 「ま、元気があって宜しい」
 乙音のツッコミをフィースは笑って吹き飛ばしたのだった。


 二人の影が延びる。心地好い冷たさを帯びた風が乙音の長い髪を揺らす。
 「今日は珍しく二組もお客が来ましたね」
 「そうさのぅ、どうでもいいが昼飯がまだなのじゃが」
 「じゃあ、昼ご飯の分、晩ご飯を増やしますね」
 乙音は答え、屋敷へ戻って行く。その後ろ姿を眺めながら老人は微笑みながら一人、呟いた。
 「フィースの息子か。乙音の為にもがんばってもらいたいものじゃな。本当の破滅を回避する為にも」
 書院の脇を風が西へと向かって吹いて行く。彼はその風に向かって幸運を祈った。


 ここ最近のアークス城の謁見室は、特定の人物により頻繁に使用されていた。
 この日もほぼ終日、人が出入りしている。
 出入りする人物の職種は様々だ。学者や騎士、名士といった城への出入りが珍しくない者もいれば、人夫頭や盗賊まがいの者、大手鍛冶組合の現場一徹主義の職人などの姿も
 見える。
 彼らが会っているのは一人の男――アルバート第一王子だった。
 彼に呼ばれた者のほとんどが文句一つ言うことなく召喚に応じ、そして密室で依頼されたことを文句一つ言うことなく、むしろ協力を惜しまない。
 何か大きなことをやろうとしている。
 アルバートから仕事を依頼された者達は皆それを感じ、そしてそんなイベントを逃してなるものかという表情を浮かべて去っていく。
 そして今も、三人の男女が部屋から出たところだった。
 「ん?」
 そのうちの一人、大柄の戦士が扉のところでうろうろしているターバンを頭に乗せた娘の姿を見つけた。
 「フレイラース、何やってるんだ?」
 声をかけられた娘はかけた本人の顔を見て驚きの表情を見せる。
 「ソロン? あ、それにイリッサとシリアまで。どうしたの、こんなところで」
 「アルにちょいと頼まれごとがあってな。それが昨日ちょうど済んだ事を報告にな」
 「頼まれごと?」
 「それ以上は言えないよ、盗賊ギルドは信用重視だからね」
 二人の間に入って話を止めるのはイリッサだ。
 「で、何やってるのよ。アルなら中よ?」
 シリアの言葉にフレイラースは弱気な表情を見せ、そして。
 「ううん、やっぱり良いの。アルはシシリアの方が大事なんだし」
 「なんだそりゃ?」
 ソロンが首を傾げると同時、エルフの娘は廊下の向こうへ駆けていってしまう。
 その後姿を眺めつつ、シリアは苦笑い。
 「何を妬いてるんだか。まぁ、気付かないアルもアルよね」
 「ほっとけほっとけ」
 どうでもいいと鼻で笑いながらイリッサは帰路に着く。
 ソロンとシリアもまた同意見であるようだ。いつもの二人の仲違いだろう、と。
 確かにそうなのだが、フレイラースの無駄に高い行動力をここで止めなかった為に後ほど面倒なことになる。
 もっとも、この三人は無関係であり困ることはないのだが。


 白く塗装された革鎧を着こんだ兵士達、その数およそ四百。
 雪の中を徒歩で行軍してくるその姿と速度はしかし、全員が軽やかなものだった。
 そのほとんどがアークス兵独特の黒髪・肌色の肌ではなく、北国特有の茶色の髪・白い肌であることからも分かる通り、この北方出身の戦士達だ。
 「リハーバー共和国第三及び五遊撃隊、到着いたしました」
 二人の士官らしき男達が、赤い髪の女性の前で敬礼する。
 烈火将軍の異名を持つ女将軍を前に、百戦錬磨の雰囲気を持つ二人の中年士官の顔には緊張が走っている。
 女将軍は二人を見つめてから、静かに問うた。
 「御苦労、我々はアークス皇国第七騎士団。私は団長を務めるリース・エナフレムだ。諸卿らの代表者はどちらか?」
 彼女の問いかけに二人の指揮官は困った顔をする。
 「いかがした?」
 烈火将軍の隣に控える副官の男性騎士が怪訝な顔で問い直す。
 それに対し、二人の士官のうちの片方がこう答えた。
 「いえ、代表者というか、今回の我々を直接率いている方がおられるのですが」
 「はっきりと申せ」
 士官のはっきりしない言葉に業を煮やしたのか、リースは叱りつける。
 「はっ、我々を束ねているのは拳皇オライアン様です」
 敬礼をし直し、士官ははっきりとそう答えた。
 「オライアン? シャイロクは知ってるか?」
 リースの問いに隣に立つ副官たるシャイロクは冷たい目を上司に向ける。
 彼女は一瞬目を泳がせ、
 「で、だ。そのオライアン殿は今何処に?」
 二人の士官に話を降ることで話題をそらせる。
 「ここへ来る途中、ある盗賊の一団に絡みまして…その…追いかけ始め…」
 もう一方の士官がはっきりしない口調でしどろもどろに答え、ついには言葉が紡げなくなる。
 「何故止めるか追いかけるかしなかった?」
 シャイロクの問いに、彼は額に僅かに汗しながら回答する。
 「楽しみたいから、決してついてくるなと」
 答えにシャイロクは溜め息をついた。
 そして気を取り直したように姿勢を正すと、増援たるリハーバー共和国第三及び五遊撃隊の士官に敬礼する。
 「長い行軍ご苦労でした。しばらくゆっくりとお休みなさい」
 「「はっ!!」」
 副官シャイロクの言葉に二人の指揮官は敬礼を返すと下がって行った。
 こうして二人に戻った宿屋の一室。二人だけになったことを確認すると同時にリースは尋ねる。
 「シャイロク、拳皇とは何だ?」
 「リハーバーの四皇を知らないのか?」
 聞き返すシャイロクには呆れの色が見える。それに対して特に気にすることなく頷くリースは、
 「龍王朝の四聖なら知ってるんだけど」
 と答える。
 リースの言ったのはアークス及びリハーバーの東の国境に接する大国「龍」王朝。その皇帝直下の四将軍のことだ。
 ここでは直接の関係はないので説明は割愛する。
 「リハーバーの軍事力が低いからって舐めてるだろう?」
 「私達が出張ってくるくらいだから、正直低いと思ってるけど」
 関係者がいたら喧嘩沙汰になりそうなことをサラリと言う上司に、シャイロクは大きく溜息をついた。
 「まあいい。確かにリハーバーの軍事力は低くて質も悪いが、一部に関してはそれが当てはまらないと考えて欲しい」
 「一部?」
 「リハーバーの四皇がそれに当たる。オライアンという武芸の達人である拳皇と、魔術一般を操る魔皇。剣術の達人の剣皇に、リハーバーの頭脳と言われる知皇の四人が実質上この共和国を支えているといって良いだろう」
 リハーバー共和国は合計九つの自治体によって統合された国である。
 遊牧民、亜人などが人口の30%を占め、国の上部にはエルフやドワーフの古老も籍を置いている。
 アークスやザイル、龍王朝などの列強に吸収されんが為に手を取り合ったようなものだ。各国にはそれほど団結力のようなものはなく、いざと言う時は中央政府がこのような遊撃隊を下すという体制が取られる。
 その国柄からこの地には異才が多い。アークスには使い手の少ない精霊魔術が、この地においては亜人が多いために一般的な「魔術」と呼ばれてしまうくらいである。
 今回は魔族の襲来という世界的な問題の可能性が出たために、魔導王国であるアークスに協力が要請されたのであるが。
 「その一人の拳皇が来たってこと? というか、もしかしてシャイロクの知り合い??」
 リースの言葉にシャイロクは頷く。
 「昔、旅先でいろいろあった仲だ。オライアンは後先を考えない性格だから姫と良いコンビが組めるだろう」
 「どういうことよ、それ」
 リースのジト目を軽く流しながら、シャイロクはユーフェの名を呼ぶ。
 すると間もなく、ポニーテールの髪を揺らして魔術師の少女が部屋へとやってきた。
 「お呼びですか? シャイロク様」
 「リハーバーの進軍途中で油を売っている拳皇オライアンを探してきて欲しい。年の頃は二十代後半、多分この寒空の下で半袖短パン姿だ」
 シャイロクの言葉に、ユーフェの顔が曇る。
 「へ、変態?」
 「紙一重というやつだ。なんでも二日前に野盗の一団に一人で殴りこんだらしい」
 「豪気な方ですね。シャイロク様のお知り合いなんですか?」
 「そんなところだ。頼んだよ」
 「分かりました」
 微笑んでユーフェはその場から煙のように消える。
 「ところでいろいろ合った仲とは一体どんなことだ? 何処でその拳皇とやらと知り合ったんだ?」 
 「姫を護っていると色々と顔が広くなるんだよ」
 「いつお前に護ってもらった!」
 顔を赤くして怒るリース。
 「それもそうだ。姫にか弱いお姫様ってイメージはないからな」
 苦笑いのシャイロク。
 「それもどういう意味だ!」
 「どうしろというんだ、我が姫様は」
 シャイロクは困った顔で頭を掻いたのだった。


 書類仕事を終え、一息ついたリースとシャイロクの間に部屋の扉ほどの大きさの黒い楕円が出現した。
 前触れも、音すらなく現れたそれは厚みがなく、不気味な直立する影のようだ。
 それを見ても特に動揺することのないシャイロクを見てか、リースもまた取り乱すことなく興味深げにそれを眺める。
 やがて黒い楕円から唐突に人間が現れた。その数は七つ。
 最後の七人目である魔術師ユーフェが直前の男の背中を蹴飛ばしながら、荒い息をついて影の扉をくぐると同時に楕円の暗黒はきれいに消え去った。
 魔術師ユーフェによる『空間転移門』の魔術だ。
 魔術師としての高い技量を必須とするこの高等魔術によりもたらされたのは、六人の酔っぱらいであった。
 瞬時にツンと鼻の奥に刺激を感じる安物の酒の匂いで部屋が満たされる。
 「うぁ」
 しかめ面に加えて思わず声を漏らすリース。
 「最悪の再会だな」
 こちらは無表情のシャイロクだ。無表情ゆえに周囲が憚るほどの強烈な冷たさを湧き出している。
 六人の酔っ払い――正確に言えば五人のダークエルフと一人の人間の組み合わせであった。
 ダークエルフの方は男女混合なのだろうが、一人を除いて種族ゆえの特徴のためにどの顔も同じに見える。人間の感性で言えばまるで絵に描いたような美男美女である。
 その中心でひたすら声を上げて意味の分からない笑いをあげるのがしっかりした体格の人間の青年とおっさん顔のダークエルフ。
 人間の方の纏う衣装は厳寒の中にあるにもかかわらず、所々金属で補強されたなめし皮で作られた半袖短パンだ。
 北の民族とは全く異質の浅黒い肌に赤黒い髪を持ったその青年は、酒臭い息を吐きながらシャイロクに胡乱な視線を向けた。
 と、その瞳が次第に大きく見開かれていく。
 「おぉ? シャイロクじゃねえか、何でこんなところにいるんだ?」
 絶対零度の雰囲気をまとうシャイロクの、その空気を読めないのかはたまた読まないのか、親しげに近づきそのの背をドシドシと何度も叩く。
 そして彼は隣のリースに気付き、
 「おおっ、これはこれはリース姫様。お会いできて光栄です」
 深々と頭を下げた。
 下げた。
 下げて、
 ゴトリ
 そのまま糸が切れたかのように床に崩れるようにして倒れた。同時に高いいびきが沸き起こる。
 その様子をニヤニヤ見ていたダークエルフ達は何故か拍手喝采。芸術的な美しさを持つエルフ族に似合わない、野卑めいた笑いにはどこか屈折したものを感じる。
 「ユーフェ、何なの、こいつら?」
 どう反応したら良いか分からないといった顔で、リースはげんなりした顔の魔術師に問うた。
 「はぁ、拳皇オライアン様と野盗と思われるダークエルフの一団です」
 「あ、うん。そうなんだろうけど」
 床で寝息を立てる半袖短パン男を見下ろしつつ、リースの視線は副官であるシャイロクへと向いた。
 「っ」
 慌てて目を背けるリース。
 「どうしました、姫様?」
 抑揚のない硬質な声の元に視線を向けず、リースはスタスタと執務室として調達した宿屋の一室を出ようとする。
 が、その肩を後ろからがっしりとつかまれた。
 「ひぃ!」
 「何を怯えているのです?」
 能面の如きシャイロクにリースは逃げたしたい気持ちで一杯だった。


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