自分が怒られているわけではないが、怒りを外に出さない状態の彼女の副官はその半径二リール内を無言のうちに精神的にダメージを与えるエリアとするのだ。
 「しかしまいりましたね。ここまで酔っ払っているとは」
 「そ、そうだな」
 リースはとりあえず雰囲気を和ませようと相槌を打つ。
 気付けばダークエルフたちもいつの間にか各々その場で寝こけてしまっている。
 シャイロクは足元の拳皇オライアンを見下ろし、おもむろに。
 ごす!
 「ひゃ!」
 側頭部を蹴飛ばした。思わず上がる声はリースのものだ。
 蹴飛ばされたオライアンはしかし、まるで気付いた様子すらなく高いびきをかいていた。
 シャイロクの蹴りは決して軽いものではない。単にこのオライアン自体が人知を超えたレベルで頑丈なのだ。
 だが今ので少し気が晴れたのか、シャイロクは困った顔のユーフェに薄い笑みの乗った顔を向ける。
 「すまなかったね、つまらないことをさせてしまって」
 酔っ払いの送迎などに貴重な魔術師の力を借りてしまったことに、だ。
 「いえ、そんな。また何かあったらいつでも私をお呼びくださいね」
 ユーフェは微笑みながらそう言い残し、そそくさとその場を去って行く。
 小走りに部屋を去って行く魔術師の後ろ姿を眺めながら、リースはふと疑問を口にする。
 「そういやあの娘、近頃何処に行っているのかしら? いつもはシャイロク、あんたの側にくっついていたのに」
 「さぁ、そうでもないと思うが?」
 「ふぅん、あれは挑発だったのかな」
 「何がだい」
 「いえ、こっちの話よ」
 ふと出てしまった言葉を流して、リースは改めて部屋を見渡す。
 酔っ払い六人が思い思いに寝そべる雑魚寝部屋と化してしまっていた。
 「それより。どうしよう、これ?」
 「厄介だが明日まで寝かせておこう。今日はもう遅い、執務はこれで切り上げて夕飯にしよう」
 「そうね、そうしましょう」
 リースは嬉しそうに答え、信頼する副官の右腕を抱いて引っ張るように部屋を後にした。


 リハーバーよりの増援にアークス軍の緊張が僅かに緩んだとしても誰も文句は言えまい。
 敵はまさにその油断を突いてきたと言っても良かろう。
 粉雪の降り続ける重苦しいほど静かな深夜、唐突に爆音がアークス−リハーバー連合軍キャンプに連続して鳴り響いた。
 一方的に戦陣が開かれ、指揮系統確立に未だ至らぬ中。
 雪が踏み固められた道を、リースは足を滑らせながらも副官であるシャイロクの背中を追いかけていた。
 厚い雪雲で覆われた曇天の空、星の如きの光点が明滅する。
 その明滅の数だけ、上空から破砕の力を帯びた光弾だ降り注ぐのだ。
 「くそぉぉ、何なんだ? ぐぁぁ!」
 爆発音を伴って見張りの兵士が四散する。彼の断末魔により待機する兵士達が各々武器を手に招かざる客に向かって構えていく。
 天使――上空百リールより一方的に鉄槌を振り下ろす者達。
 リースとシャイロクは部隊の中心にたどり着く。
 そこでは指揮官クラスの騎士達が総司令官の命を待っている。
 リースは傍らのシャイロクを一瞥。彼女の信用する副官が小さく頷くと同時、彼女は指令を下した。
 「皇国魔術師隊は宮廷魔術師ミアセイア殿の指示に従い、奴等を地上に下ろせ!」
 「「はっ!!」」
 ローブに身を包む魔術師然とした2人の男が返答。
 「セタ部隊は村の西を、カイル部隊は東から回り込み挟むように奴らが戦闘圏内に入り次第潰せ」
 「「了解」」
 騎士二人が答え、足早に陣屋を出て行く。
 「リハーバーの第三、第五遊撃隊は正面から当たってほしい。防御に専念し、我らの挟撃が成功し次第、一気に殲滅を」
 「「承った」」
 二人の司令官が頷き、そのうち一人が返答する。
 「まずは我らが長、拳皇オライアンが正面より出撃済みです。見事、囮役を引き受けましょうぞ」
 「頼む」
 続けて細かい指示が隣に立つ青年指揮官から下される。
 彼のの言葉は正確に部隊の隅々にまで届き、実行に移されて行った。
 「アークス軍に呼応し、我々は正面より天使達を倒す。支給された剣を使え! 魔術剣でなければ奴らには通じぬ」
 「狼狽えるな、今となっては魔族も天使もないのだ」
 並行してリハーバーの第三、第五それぞれの指揮官が部下を叱咤激励していく。こちらはアークス程の連携感はないが、そつなく命令を実行に移していく。


 緒戦は上空より天使サイドの一方的な掃射により、人間サイドには多大なる被害が生じた。
 百リール上空にいる天使に対して弓矢の射程も範囲外であり、被害は人間サイドが一方的に受けるのみだ。
 だが黙っている人間サイドではない。
 「「摂理に逆らいし力よ、退き混沌へと戻るが良い!」」
 同一の呪語が複数の魔術師達によって唱えられ、暗天の下に響き渡る。軍キャンプを中心として半径二キリールに渡り、魔術的力場が発生した。
 それは高い魔力を誇るミアセイア王子を中心として皇国魔術師隊が連携して想起した結界だ。
 この結界に捉われた物体は、浮力をなくす。
 故に。
 上空から攻撃魔術を解き放つ翼を持つ者達は、次々と見えない力により引きずり落される。
 天使という名の、白銀の鎧を纏うそれらは総数三百余り。
 地上に引き摺り下ろされても、彼らは戸惑う素振りを見せない。
 次の作戦に移行したとみなし、仲間同士で縦列の陣を取り始める。
 こうして戦闘の中盤戦に入ったと同時、天使達の陣の最前列で爆発が起こった。
 赤と青の閃光を放つそれは一部の天使達を、それと戦う少なからずの人間の兵士達と供に地面ごと吹き飛ばす。
 一斉に天使達の注目と敵意がそこに集中した!
 そこには直径十リール程の、大きく口の開いたクレーターが生まれている。
 その底、すり鉢状となった真ん中で二人の男が何やらポーズを決めていた。
 一人は半袖短パンの戦闘服を纏う、赤いオーラを背中から湧き上がらせた偉丈夫・拳皇オライアン。
 一人は哺乳類最凶で知られる八手熊の白い毛皮をまとった、端正ながらもおっさん顔の右頬に刀傷を刻んだダークエルフ。こちらも可視しうるほどの青いオーラを沸き立たせている。
 クレーターを発生させるほどの攻撃を行なった二人はしかし、共に無手であった。
 一瞬唖然とした天使達であったが、二人の姿を確認するや彼らはまるで飲み込まんと列を成して殺到する。
 近づく天使達に対しオライアンは不敵な笑みを浮かべて彼らを指さした。
 「アイツら、オレ達の鉄拳を美味しく食らいたいようだぜ、刀牙よ」
 それに合わせて隣のダークエルフ――刀牙も同じ種の笑みを美しい顔に浮かべて天使達を指さした。
 「そうだな、オライアン。我らの魂の叫びをしっかりと聞かせてやろうではないか!」
 二人がゆらりと動く。一斉に剣を振り上げた天使達は次の瞬間、再び二人の起こした爆発によって塵もなく消え去っていく。
 こうして人間サイドの反撃が始まった。


 「シャァ!」
 白い革鎧に身を包んだ人間――リハーバーの兵士はほのかに淡く輝く魔術剣で天使の一人に切りかかる。
 が、それは天使の持つ剣に安々と砕かれた。
 「グ、腕が」
 強烈な剣勢に腕を思わず押さえる兵士に、天使の無慈悲な一撃が襲った。
 一度とは言え戦闘の経験のあるアークス軍は馴れない戦いにもそれなりの戦果を挙げている。
 しかしリハーバー軍は人外の力と、また聖なる者として認識していた天使に対しての狼狽えがはっきりと表れていた。
 アークスとの連携待ちのリハーバーは挟撃体制が完成するまでは防戦だが、天使達の突撃は軍の腹に深く深く食い込み始めている。
 その一方で。
 「失せろ!」
 赤髪の鬼神が振り降ろした剣の前に天使が一体崩れ落ちる。
 だがそれを乗り越えてもう一体の天使が彼女の前に立ち塞がった。
 「こいつら、前の時と違って強いぞ!」
 同じく背を合わせるようにして戦っている七人の騎士達に彼女は吐き捨てるように叫んだ。
 「この前より一階級上の七位・権天使でしょう。気を付けて下さい」
 彼らに囲まれた真ん中、ユーフェがリースの言葉に呪文の合間を縫って警告する。
 「権天使か。滅多にお目にかかれるもんじゃないんだがな」
 剣を構え直してアークスの騎士の一人が呟き、神々しい彼らを見つめ直す。天使達は各々に白い仮面を被り、その瞳には色はない。
 ほのかにそれ自体が発光する全身鎧に身を包み、手には曇一つない長剣と聖なる十字架が彫られた方型の盾を身に付けていた。
 「天使一体に対して四人以上で当たるように伝えろ!」
 リースの指令にその隣で同じように剣を奮っていたシャイロクが頷き、その場を離れた。
 離れ際に二体の天使達が消滅する。
 「シャイロクの奴、私より強くなったんじゃないのか?」
 後ろ姿を眺めてリースは呟く。そんな彼女も強いはずの天使を軽くあしらい、消滅させている。
 「姫様も十分にお強いですよ」
 一体の天使を無に帰して、ユーフェは微笑みを浮かべてそれに答えた。
 「俺たちも」
 「負けていられぬな」
 お付の騎士達もまた、上司に負けぬよう互いに連携しながら襲い来る天使達を切り伏せていく。
 だが途切れることのない波状攻撃に、彼らの体力は確実に削り取られていった。
 リースは感じている。騎士達に限界が来ていることに。
 地上に降りた天使達を挟撃すべく、必死に陣を動かしているがどうやらこのままでは難しそうだ。
 天使達、個体の力が強すぎる。
 陣が完成する前に、そこかしこに綻びが生じてそこから崩れていくだろう。
 「焦ることはありません。第十二小隊を前方二十リールへ、第八小隊を後方十五リールへ、第二十四小隊を右舷へ三十リール動かしてください」
 喧騒の中、リースの耳にそうはっきりと声が聞こえる。
 「なに?」
 いつの間にか、彼女の隣には一人の青年が立っていた。
 ゆったりとした紺色のローブをまとった姿は、とても戦場におけるものではない。
 加えて絵画のような端正な顔立ちに腰まである長い金髪はどこかの貴族のようだ。
 そして耳。それは妖精族に見られるような、長く尖ったものだ。肌は浅黒く、アークスでもあまり見ない色だった。
 「ダークエルフ?」
 リースは思い至る。オライアンが連れてきた野盗の一団を。
 彼は彼女に再度声をかける。戦場でよく通る声を。
 「私の名は秀牙、だまされたと思ってやってみてください。私が提唱する魔陣はこのようなときにこそ、役に立つというものです」
 ゆったりとした口調で告げる彼。一方では、
 「ぐぁぁ!」
 リースの脇を固めていた騎士の一人が天使の一撃に耐え切れずに血を吹き散らしながらその場で果てる。
 切った天使はユーフェの魔術により頭部が吹き飛ばされて灰燼に帰した。
 「魔陣?」
 これまでリースには聞いたこともない単語だ。訳の分からないダークエルフの言葉にすがるようではおしまいだ、と彼女は思う。
 だが化け物じみた体力を誇る彼女でも、今の戦いに息が上がりかけている。普通の騎士達は限界を超えているだろう。
 だから。
 「聞け、第十二小隊は二十リール前進!」
 リースは黒の要請の言葉に遠慮なくすがり、指示を下す。
 満足げに頷くダークエルフの言葉通りに陣形が変化していく。すると、
 「お!」
 「な?」
 「むぅ」
 騎士達が一様に呻いた。感嘆の吐息だ。
 「これは」
 リースは己の身体に走る例えようのない力場に驚嘆する。
 疲れが僅かではあるが払拭され、身体が軽くなった。それは自軍の全ての騎士に共通しているようだ。
 「どうやらお力添えが出来たようだ」
 ダークエルフは微笑んで続けた。
 「魔陣『剛力招来』。さぁ、今のうちに挟撃体制へ持ち込みましょう」
 「言われるまでもなく!」
 リースは力を取り戻した騎士達に続けて指示を下していった。


 ザートは傷を負っていた。
 左肩から背中を深く切られている。鋭利なその傷は天使によるものだ。
 団長からの指令で四人以上で一人の天使に当たるように言われたが、すでに組んでいた二人はものの数瞬でその命を落とし、今さっき残る一人も首を刎ねられていた。
 「でゃぁ!」
 ザートの繰り出した剣は彼の目の前の天使の右肩を切り落とす。しかし傷痕からは血すら出ない。
 彼の切り掛かった瞬間を突いて、背後に構えていた天使の剣がザートの革鎧の胸の部分を浅く切り裂いた。
 「クッ、まずいな」
 前と後ろを挟まれ、ザートは動きを止める。その間にもジリジリと二体の天使の間が縮まっていく。
 攻めるとするならば隻腕となった前方の天使か。切り伏せられないまでも脇をすり抜けて包囲を脱出することが出来れば。
 彼のそんな思いを読み取ったかのように、目の前の天使は防御の構えに出る。
 対して背後の天使は上段の構えだ。
 氷点下の空気ながらも、ザートの額に汗が浮かぶ。
 天使が動く、背後の天使だ!
 「ままよ!」
 ザートは背後を無視し、前方の天使に向けて突撃を開始する。
 背中に生まれた殺気は凶器となって彼の背に迫る、と思われたが。
 ジュ!
 切りつけようとした目の前の天使の背中から胸に赤い光線が突き出した。
 その光はザートの頬を軽く撫でたまま、背後に迫る天使の額を打ち抜くに至る。
 光に貫かれた目の前の天使の体勢が崩れた隙を見計らい、ザートはその手にした剣で首を刺し貫いた!
 ボスッ!
 ホコリの詰まった袋を破裂させたような、そんな音を立てて首を貫かれた天使は消滅する。
 構えを立て直したザートは背後の天使に振り返る。こちらは先程の赤い光に頭部を吹き飛ばされ、徐々にその身体を崩していく最中だった。
 「やるじゃない、人間にしてはね」 
 「しかし一人では危険だ」
 「何者だ?」
 ザートの誰何の声。助太刀したのは二人のダークエルフだった。剣士風の女と、魔術師風の男だ。
 もっとも彼にとってエルフの顔に性別の差があろうとなかなか区別が付きそうもなかったが。
 彼は二人に敵意のないことを悟ると剣を下ろす。
 「助かったぜ、ありがとよ」
 ザートは剣士風のエルフに礼を言う。その間に魔術師風のエルフがザートに回復の魔術をかけてくれる。
 「しっかし天使ってのは切り応えがないな、まるで魔族を切ってるみたいに空を切るみたいだわ」
 うっすらと上気した左頬に古傷であろう、薄く刀傷を浮かばせてエルフの女剣士は呟く。
 右手には一リールサイズの曲刀を提げ、左の二の腕には円形の受け流し盾(バックラー)を装着している。
 「まぁ天使も魔族と同じ精神世界側の生物だからな。呼び出しの方法が異なるだけで本質は同じだ」
 魔術をかけ終え、エルフの魔術師は仲間に答えた。
 そしてザートにフードの奥から視線を向けて告げる。
 「私は徨牙。そしてこちらは駿牙だ」
 「よろしくな、そうこうしてる内にお次が来たぜ」
 駿牙と呼ばれたエルフの女剣士は再び剣を構える。
 ザートはそんな二人の遠慮のない態度に好感を覚え、自らも再び剣を抜く。
 「俺はアークスの騎士ザートだ。後で礼に酒でもおごらせてくれ」
 三体の天使が二人の剣士と一人の魔術師の存在を認め、襲い来る。
 「酒か、酒は懲りたからしばらくはいい。飯にしてくれ」
 そんな駿牙の呟きは剣戟の喧騒に呑み込まれ、ザートに聞こえることはなかった。


 ザートの剣が天使の剣を交い潜り、その肩を一閃する。天使の剣を持つ腕が根元から吹き飛んだ。
 攻撃手段を瞬間的に失う天使の胴体を、駿牙の曲刀が一閃。天使は風と共に崩れて消え行く。
 「風と炎の精霊よ、躍動せしその力を解放せよ!」
 徨牙がその後ろに控えた天使の内部で爆発を起こすと、ザートは高く跳躍して首を跳ね飛ばして止めを入れる。
 即席の組み合わせとは思えないほど、三人の攻撃バランスは揃っていた。
 「アンタ、アークスの騎士の中でも強い方じゃないか? それに魔術に馴れてるな」
 「アークスは魔導王国だ。誰でも馴れている」
 駿牙の言葉にザートは苦笑して答える。
 「ふぅん、そうなの?」
 「気をつけろ、この感覚は!?」
 徨牙がローブの奥から叫ぶ。彼の感じた鋭い重圧感はザートと駿牙も同時に感じ取っていた。
 「「?!」」
 天上からゆっくりと降下してくる重圧感は形を伴っていた。なんと近くにいた天使達が次々と潰される様に消滅していく。
 やがて三人の目の前には一人の女性がゆっくり降って現れた。彼女の周囲が陽炎のように歪んで見える。
 秘めた魔力が漏れ出し、まるで結界のように周囲の天使を近づけさせない。
 目の前に舞い降りた女性は天使だ。それも今までの権天使、当然その下の階級のものではない。
 ミアセイアの魔術が効いているこの空間の中で飛んでいたこと自体、それは証明されていると言えよう。
 その天使は二羽の白い鳩を両肩に止まらせた若い女性だった。
 薄い衣を身に纏い、小さな短剣を腰帯に指している。そしてその背には二対、計四枚の白い翼が拡がっている。
 三人は動かない、いや。
 動けなかった。彼女から放射される圧力によって。
 対する彼女はその瞳に優しげな色を浮かべて、目の前の一人の騎士――ザートを見つめてこう述べる。
 『強き戦士よ』
 今までの天使達になかった強い意志と個性とがその両目に宿っている。
 「こいつ、隙がねぇ」
 駿牙が額に汗を浮かべて呟く。
 『安心なさい、私は貴方と争う気はありません』
 神々しいその顔は戦場に似つかわしくない。彼女の微笑みはしかし、ザートから離れていなかった。
 彼は天使の顔を凝視する。
 「そんな、バカな」
 思わず声が漏れる。天使の顔は彼の知る人物のものだったのだ。
 だからザートは天使の無防備な接近を阻む事は出来なかった。
 『ザート、大きくなりましたね』
 天使は硬直する剣士を優しく抱きしめようとする、が。
 「くっ、やめろ!」
 ようやく我に返り彼女を払うザート。騎士の態度に天使はやや悲しい表情を浮かべて言った。
 『そうですね、今の私は天使。貴方と敵対するものです』
 駿牙と徨牙もようやく圧力からの呪縛を逃れるが、目の前の天使から敵意を感じない為か、構えにも力が入っていない。
 『ですが『今』の私はまだ敵ではありませんよ。私は智天使シーケンス、勇者ザート・プランよ、私は貴方に助言と力を与えましょう』
 彼女は地に足を着きながら、こう続ける。
 『この地は太古より強い力の集う場。今は封じられておりますが、それを解放する鍵もまたこの地にあります』
 「力? 鍵?」
 『貴方がたは力を天使達――いえ、我らが長から守るのです。その為にザートよ、これを貴方に託しましょう』
 智天使は右手で虚空を掴む。
 すると淡い光を伴って一振りの剣が出現した。
 白鞘の両手持ちの長剣。柄には複雑な文様が刻まれた、強い魔力を帯びたものだ。
 ザートは自然とその剣を両手で受け取っていた。
 智天使は嬉しそうに、かつ哀しそうに2つの感情が入り混じった表情で彼だけを見つめ続ける。
 『私はこの意志が保てるかぎり、貴方を見守っていますよ、ザート。貴方は貴方の信じる道を行きなさい。そして信じたものを信じ抜きなさい』
 シーケンスは最後にそう微笑むと、ゆっくりとその身を上昇させていく。
 「ま、待ってくれ!」
 ザートの叫びは叶わず、智天使は十リールほど舞い上がったところで光の粒子となって跡形もなく消えた。
 途端、元の喧噪が三人を包み込む。
 「何だったんだ、夢だったのか。今のは?」
 「夢じゃない。ザートの手に握られている剣はを見ろ」
 駿牙の呟きに徨牙は騎士の手に握られた剣を指摘する。
 両手でも片手でも持ち代えが可能なそれを、ザートはゆっくりと鞘から引き抜いていく。
 現れたのは鏡のように磨き抜かれた刀身だ。そこには白い顔をしたザートが映っている。
 「敵が来るよ、ザート!」
 茫然としたザートを駿牙が叱咤。我に返った彼は襲いかかる敵に剣で一閃を送る。
 今までならば受け止められ、その次の動作に移ろうとしていたザートは戸惑うことになる。
 サクッ
 ザートの剣は、一撃を受け止めようとした天使の剣ごとまるで紙をナイフで断ち切るかのように両断した。
 「なっ!」
 切ったザート本人がその威力に驚き戸惑う。その隙を突いて別の天使が彼の右肩に向けて剣を突き入れる。
 「油断するなよ」
 徨牙の破裂の魔術によってその天使の剣を持つ腕が吹き飛ぶ。
 そこに駿牙の一撃が天使の首を切り落とした。
 「凄い切れ味だな、そいつ」
 「あ、ああ」
 駿牙に気のない返事をするザートを眺めながら、徨牙は戦いが終盤戦に入っていることを知った。
 「何故奴等は俺達に戦いを挑む? この地に何かあるというのか? それに」
 勇者と呼ばれた騎士ザートは、心に沸き上がる疑問を言葉として漏らす。
 しかしその答えを知ると思われる智天使シーケンスはすでにこの場にはいない。


 地上では苦戦しつつも、アークス軍による挟撃の体勢が整いつつある。
 リハーバー軍の頑張りとオライアンによる囮作戦が効果的なこともあった。
 何より天使たちの猛攻の中で、その左右と背後に回り込んだアークス軍の気力も大したものだ。
 上空から戦況を見下ろしながら、魔道師ミアセイアはしみじみと思う。
 途中、左右背後へと展開するアークスの陣形全体から妙な魔力力場が働いたのを感じた。
 ミアセイアが皇国魔術師隊と共同で張った結界に近しい性質を持ったもののようだが、陣を形成する騎士一人一人から微々たる魔力流出が確認できた。
 どうやら人の配置により発揮されるようで、彼の知識によれば古代に存在した戦略魔術師の執る術であると考えられる。
 「まぁ、その辺りは後ほど調べればよいか」
 彼は最後の呪語を詠唱し、その力を解放する。
 「大気を泳ぐ水よ。封じよ、かの者達を」
 ミアセイアの放った呪語魔術によって、地上を攻める天使達のリーダーであった三人の力天使達の最後の一体が氷の結晶に封じ込められた。
 そしてそのまま地上に落下して澄んだ音を立てる。
 今回、これら天使を率いていたのは前回の能天使より格が一つ上の力天使だった。それも三体である。
 しかし彼らもまたミアセイアの魔力の前に屈せざるを得なかったようだ。それだけミアセイアの魔力は強力であると言えよう。
 この天使は能天使と違い、人語を理解しているとミアセイアは分析している。だからこそ彼は彼らを氷漬けにしたのだ。
 ミアセイアは地上に落ちた氷に近づく。
 氷漬けにされた天使達の三人の内、一人だけ割れていない者がいた。
 そして赤い魔術師は変わることのないポーカーフェイスで氷の中に天使に向かって呪文を紡ぎ出した。
 人語を解するのならば、その思考も読み取れるのではないか?
 彼の、魔道師の右手が氷に伸ばされ、そして氷に潜り込んで天使の頭すらを通り抜けて直接脳へと接触していった。


 そして、とうとう陣が整った。
 アークス軍は多大な犠牲を出しながらも、天使達の左右背後を取ることに成功したのだ。
 リースは叫ぶ、喉がつぶれそうなほどに。
 「全軍、突撃!」
 「「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」」
 地面を揺らす雄たけびが響く。
 アークスおよびリハーバー軍は、囲んだ天使達に向かって一斉に突撃を開始した。
 それは殲滅戦の様相を呈していた。
 もともと天使達に逃げるつもりはないようだ。しかし。
 総司令であるリースの突撃後、ある程度の陣形を保っていた天使達は急にまとまりがなくなったように統制が消えうせた。
 それ故にアークス−リハーバー連合軍も多少は余力を持って戦うことが出来たのだ。
 「誰かが天使達を率いていた者を倒したんでしょうね。多分この間と同じくミアセイア殿だと思いますが」
 ユーフェの分析に、リースは答える事なく曇天の夜空を見上げていた。
 まだ所々で天使の生き残りとの戦端が開かれているが、まもなく天使達の全滅を以って戦争は終結するだろう。
 戦はまだ終わっていない。全ての戦闘行為が終わるまで、彼女はここ――雪原の真ん中で待つつもりだ。
 「私は、いや私達は何のために戦っているのだろう?」
 そう口を開いたのはユーフェやお付の騎士達が去り、彼女の副官が隣に現れた時だった。
 「姫らしくないな、それは」
 右腕を力なく垂らしながら、シャイロクは小さく微笑む。
 「それじゃ私がまるで馬鹿みたいじゃないか」
 彼女は怒って相棒に抗議する。が、その顔を見て微笑みに変わる。
 「今調べているところだ。この地に一体何があるのかを、な」
 「何があるのかしらね。何を守っているのか分からないまま、今度の戦いでまた仲間が減ったわ。胃が痛くなりそう」
 「私は頭が痛いよ」
 二人は所々炎上する雪原の駐屯地を見つめる。夜空を照らすその炎は送り火のように見えていた。


 夕暮れのアークス王城。
 シシリアはテラスから空に広がる薄い雪雲を見上げて風に吹かれる。その両眼はやはり閉じられ、開いてはいない。
 「そう、動きだしたのですね」
 彼女は風に向かって語りかけていた。
 「ミアセイア、今まで以上に気を付けて下さい。貴方のいる場所は―――」
 風を介してのその会話の中、まるでシシリアの影から現れたかのように一人の騎士が彼女の肩にコートをかけた。
 シシリアは閉じた瞳で男に目礼を一つ。近衛騎士サルーンは静かに彼女の隣に控えた。
 彼女は再び風に向かって語りかける。
 「そうそう、昨夜占ったんですけど貴方、近々素敵な人に出会うそうですよ」
 打って変わって風の向こうに嬉しげに話す彼女に、サルーンは見えない男の渋い顔を予測した。
 その顔は、きっと話の内容とゴシップモードに入った彼女の話の長さの二つに対してのもののはず。
 しかしきっと風の先にいる無愛想な魔術師は最後まで話しに付き合うのだろう。
 黒衣の騎士は雀の涙ほどに彼に同情の念を抱くのだった。


 その風の先――リハーバー共和国内、シルバーン大山脈の麓の森の中で。
 ダークエルフの彗牙は肩まである白い髪を風に揺らしていた。
 ダークエルフは容姿はエルフと同くそのほとんどが年齢に左右される事なく、永遠の若さを保つ。
 そしてその顔は人間の感覚では、同じ顔――絵画のような美男美女がほとんどである。
 半妖精であるエルフ族は一般的に、体力的には人間に劣るが魔力は恐ろしく強いとされる。
 特に生まれながらにして精霊魔術を体得しているという点では、魔力の基準値が他種族の追随を許さない。
 唯一のエルフとの違いは、エルフの特徴である白い肌と金色の髪ではなく、褐色の肌と金、もしくは銀の髪という特徴を備えているという点であろう。
 一般的にはエルフ族は精霊魔術を使うという特性から精霊と亜人の間の存在と考えられている。そしてエルフは光の精霊を、ダークエルフは闇の精霊の側にいるのではないかとも。
 だが特段、エルフとダークエルフの間に確執などは存在していない。精霊は万人に平等なのである。
 雪の積もる木の上に腰を下ろし、風の精霊達の言葉を聞いていた彼女はふとその声の一つに耳を傾ける。
 「誰かが近くで風の精霊を使って交信してるのかしら?」
 彼女はその風の言葉を聞こうとするが、相手の術者の方が魔力が高いらしい。雑音によりその声は聞くことは困難だった。
 「あっちね」
 気になる彼女はその術者を直接その目で見ようと立ち上がり、細い木々の枝の上を飛ぶように駆けて行った。
 不意に視界が広がる。
 雪の積もるうっそうとした木々が消え、円形に拓けた場所に出た。
 良く見れば人工的に拓かれた場所だ。魔術による戦闘の痕跡がある。
 ”昨夜の天使との戦闘の痕かな? でも結構離れているよね”
 彼女の視線は円形の広場の中心に一つの人影を確認する。
 ”あの人?”
 精霊の存在を認めるものにはその存在を第三の目で見ることができる。精霊使いである彗牙には当然それが可視し得る。
 ”赤い人? 私より風の精霊に愛されているのね”
 彼女には目をつむる。精霊を通して何者かと交信する赤い法衣の男を、多くの風の精霊が囲んでいるのがはっきりと見えた。
 ”へぇ”
 思わず感嘆の息が漏れる。
 精霊達の誰もが微笑んでいる。すなわち精霊自らが進んでこの男に力を貸しているのだ。
 長年、特に風の精霊を中心としたる精霊使いをやっている彗牙ですら、精霊自身が進んで力を貸してくれることなど一度たりともない。
 ”人間、よね? でも精霊使いって訳でもなさそうだけど”
 彼女は男の持つ杖を見て思った。その杖は呪語魔術を実行する際に必要なものだ。精霊語のみで実行される精霊魔術には道具は不要である。
 ”ははぁ、この人がアークス皇国の宮廷魔術師ね。確かオライアンが言うにはユーフェとミアセイアのどちらか。誰と交信しているのかしら?”
 見たところ顔は悪くないと思う。しかし性格は暗そうだとの第一印象を得る。
 彗牙は一歩足を踏み出した。
 ザッ!
 「あっ」
 精霊の声に集中していたため、足下の枝に積もっていた雪を落としてしまった。
 案外大きな音を立てた為、気付かれてしまう。
 まるでエサに群がる鳩がいっせいに飛び去るように、風の精霊達は赤い魔術師から散っていった。
 「何者だ、貴様」
 音の主を見つけ、男は木の上で状況を見つめていた彗牙を睨みつけた。彼女は強い殺気を感じる。
 だがそれに彗牙は悪びれた様子もなく、木の上から下りて彼に接近した。
 「私は彗牙。あなた、精霊に愛されているのね」
 「こんな所で何をしている?」
 表情を変えないまま、男は続けた。
 「それはお互い様でしょう?」
 微笑んで答える彗牙に、男は手にした杖を向ける。そしてすでに呪文は唱えられていた。
 杖から光り輝く矢が三本、ダークエルフの女性に向かって飛ぶ。
 「ちょ、ちょっと! 風よ!
 彗牙は風の精霊を呼び寄せて、魔術の矢の進路を変えようとするが努力は徒労に終わった。
 「ふぇ?!」
 風の精霊をあっさり貫き、迫る光の矢に屈み込んで彗牙は絶叫する。
 「な、何もしてないわよぉ!」
 光の矢に刺し貫かれる激痛――はしかし彗牙には感じられなかった。
 恐る恐る目を開いてみる。光の矢は彼女の寸前で全てその動きを止めていた。
 男が杖で地面を軽く叩くと、光の矢はかき消える。
 「今度盗み聞きするのならその命、ないと思え」
 赤い法衣の男は言い残し、その場を立ち去ろうとする。
 「待って」
 彗牙は慌ててその後ろ姿を追う。男は立ち止まり、面倒くさそうに振り返った。
 「あの、ごめんなさい。盗み聞きする気はなかったの。でも安心して、私の魔力が弱かったから何も聞こえなかったから」
 微笑み、彼女は言った。
 「そうか」
 答えて、魔術師は立ち去る。
 彗牙はその後ろ姿をじっと見つめ、そして意を決したかのようにその後を追って駆け出した。


 風はあらゆる景色をその身に焼き付け、大地を吹くと言われている。
 太古より「風」という概念は自由と見聞、そして音楽の象徴とされ、風の神の信徒から崇められてもいる。
 だが風とて勝手気儘に動いているのではない。ある法則、規則に乗っ取って吹いていると主張する風の神の信徒もいる。
 実際のところはどうなのか?
 それはやはり、風にしか分からない。
 だがきっと。
 きっと当の「風」は例え法則や決まりがあろうとも、特に考えずに流れに身を任せながら好き勝手に吹き抜けていくのだろうと。
 大抵の風の神の信徒はそう思っている。
 「ん?」
 「どうした? キース」
 「いや。今、耳元で誰かに笑われたような気が」
 「は?」
 「あー、気のせい気のせい。何でもないよ」
 戦士はそう告げ、隊列に戻る。
 ケビンとキースは盗賊ギルドで斡旋してもらった『うまい話』に乗って、南へと向かっていた。
 うまい話――傭兵である。
 現在、アークスとザイルの南の国境間で小競り合いが起こっている。実際は小競り合い程度で済まされるものではないであろう。
 故に大事に発展する前にまずは傭兵をあてがい、戦線を補強する。
 うまい話というのは、ここで手柄を挙げれば騎士として国に雇ってもらえる可能性があるという点だ。
 先日起きたアークス第三王子の謀反により、彼の率いていた第二騎士団の半数以上が戦死・あるいは除名、降格された。
 それを補うため、騎士が新たに補充されるというもっぱらの噂である。
 「しかし、この人数で大丈夫か? 南の公国の戦力を当てにしすぎだぜ」
 ケビンは白いものが目立ち始めた短い髭を撫でながら呟く。
 彼らの加わる戦列は、その人員整理が行なわれたばかりのアークスの第二騎士団だ。
 戦力は新団長ブレイド・ステイノバが率いる新生第二騎士団およそ百五十名。
 そこに加えるのは傭兵三百名余りと、皇国魔術師隊四十名程の軍勢だ。
 すでに南の国境沿いに展開している龍公軍は一千と聞き及んでおり、数日中に合流する予定だ。
 対するザイル帝国の軍勢は龍公国軍と同数の一千。
 数の上では彼ら援軍の分だけ勝る事にはなるのだが、質はどうかというと正規軍として派兵してきているザイル軍には見劣りすること否めない。
 騎士団の派兵を決定した央国にしても「とりあえず要請に応じて兵は出した」という建前的なものが強い。
 団長に就任したてのブレイドをいきなり任に当たらせること事体、その裏づけと言えよう。
 国内のバタつきで央国が苦悩していることを知る龍公国としても、要請は形式だけという考えもある。
 どちらにしろ、増援である彼らは戦力的にあまり期待されていないと受け取ってよかろう、それゆえに。
 「その分、活躍の場が多いと思えばいいんじゃないかな?」
 「それもそうだな」
 キースの意見にケビンは笑って答えた。
 これまでどのような不利な状況で『なんとか』してきた2人だ。
 たとえ戦いで殲滅の憂き目にあったとしても、どのような手段を用いてでも生き延びる自信があった。
 「しかし、新団長とやらには色んな噂があるようだぜ」
 ケビンはいきなり声を潜めて告げる。
 「何それ? 俺知らないわ」
 「俺もはっきりしたことは知らないんだが、実はホモだとか」
 「誰がホモだ!」
 ケビンの後頭部に剣の鞘が激突する。激痛に頭を抱えて地面を転げまわる。
 それを怒りに燃えた目で見下ろすのは、全身鎧に身を包んだ少年だ。
 「何だ、てめえは! ガキの分際で俺の後ろ頭に鞘を投げ付けるったぁ、いってぇどういう了見だ?」
 涙目でケビンは怒りを爆発させて叫び、少年に鞘を投げつけた。
 しかしその鞘は、空中で少年の抜き身の剣に納まり、彼の腰に戻る。
 「本人を目の前にホモだと? てめぇこそ、いってぇどういう了見だ?」
 「本人? 何を言ってやが…本人?」
 頭の痛みを忘れて目が点になるケビン。
 「てことは、あんたがブレイド・ステイノバその人か?」
 キースの問いに少年は鷹揚に頷いた。
 ケビンとキースだけでなく、周囲の傭兵達は一瞬の沈黙。
 そして怒号と爆笑が沸き起こった。
 「適当なことを言いやがって! てめえみていなガキんちょが勇者ステイノバを語るなんざ一億と四千年位早いぜ」
 「その一億と四千年ってのはどういう根拠だ?」
 素直に首を傾げる少年。
 「いや、そこは聞き流せ」
 ステイノバ――騎士のみならず傭兵や冒険者達の間でも今や亡き彼の武勇は敬う所である――の血族を名乗る少年のツッコミにケビンは口ごもる。
 そんなケビンと彼を囲む戦士達に少年は続けた。
 「騎士と違って傭兵は人を外見で判断することがないと思っていたが、そんなことでもないらしい」
 バカにした口調で少年はケビンにではなく、周囲全員にそう呟いた。
 言葉は突如吹いた風のよう。沸き起こっていた爆笑や怒号は火が消えたように鳴りを潜める。
 沈黙の中、殺意と怒りの濃度が高まっていく。
 「そんなことないぜ。俺達傭兵は自分より強い者を認める」
 密度の高い沈黙中で言葉を発したのは、担いでいた槍を手にしたキースだ。
 「あんたが本当に騎士団長ブレイド・ステイノバその人だってことを証明したいのなら…」
 中腰に槍を構えるキース。磨かれた穂先が鈍い銀色の光を放っている。
 「お前を負かして腕を見せろと、そういうことか?」
 ニヤリと微笑んで少年は再び大剣を抜き放つ。こちらはひどく幅広の、鋼鉄の塊のような大剣だ。
 場合によっては盾としても機能しうるだろうが、秘める超重量は扱う者に人離れした筋力を必要とすることだろう。
 いつやら始めは小さかった傭兵達の輪は、行軍する騎士を立ち止まらせるほど大きくなる。
 そしてその中央には二人の戦士が相対した。
 「かかってきなよ」
 キースは槍を上段に構えなおす。それに呼応してブレイドは大剣を下段に構える。
 二人の距離がジリジリと縮まり、それに伴う緊迫感に観戦する戦士達は静まり返った。
 射程と速度から言えば槍を使うキースが有利だが、中距離までに入ってしまえばブレイドに軍配が上がるだろう。
 問題はブレイドが超重量の大剣を果たして使いこなせているのかどうかと言う点だ。


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