周囲の緊迫の中、まずはキースが動いた。冬の日の光に鈍く輝く穂先がブレイドの首元に迫る。
 遠慮の一切ない急所攻撃だ。
 しかしそれをブレイドは大剣の背で返し、剣ごと押し出すようにして一気に間合を縮める。
 「もらった!」
 ブレイドは大剣を振う事なく、縦に構えた体勢から横――突きの体勢でキースに突き立てた。
 瞬間、キースは不敵に微笑む。
 「!」
 ブレイドは危険を悟り、大剣の進行方向を瞬時に切り変える。
 キィンと澄んだ音が幾つか鳴り響き、若き剣士は再び間合を広げた。
 大剣は再び縦に構えられ、キースの放った突きは全てその背で受け止められたのだ。
 「ほぅ、これを避けるか。なかなかの腕だな」
 感嘆の溜息を漏らしたキースは槍を『二本』その両手に持っていた。
 一つは今まで使っていた長さ一リール半程の変哲のない槍。そしてもう一つは連節の跡が伺える一リールの長さの槍だった。
 「伸縮する槍とは。本当の得物はそっちだったのか」
 「まぁね、特注品さ」
 キースはそう告げると槍を持つ右手を軽く動かす。するとその連節槍はカシカシという音を立てながら、三十セリール程の小さなワンドとなった。
 「しかしあのタイミングをかわせるとは思わなかった」
 「かわせなかったさ、あの四段突きは」
 答えるブレイドの頬に赤い線がうっすらと走った。
 「まぁ、引き分けだな。剣圧で俺の胸当てにヒビを入れるんだからな、あんたは」
 なめし皮をニカワで固めて硬質化したキースの胸当てには大きなヒビが入っている。
 「俺の名はキース・レンブラント。あんたの命令に従おう、団長殿」
 差し出す右手。それをブレイドはしっかりと握り締めた。
 傭兵達の間にはこの勝負を見届けて殺気は消え去っている。どうやらキースと同様にブレイドを認めたようだ。
 「何をやっている、休止の命令は出していないぞ!」
 不意に響き声は馬上から。
 行軍が止まり、騎士団から物見が来たのだろう。
 声を発した指揮官らしき騎士は騒ぎの中心にいる人物を見つけ、頭を抱えた。
 「団長! 貴方が軍規を乱してどうするんですか?」
 中年に差しかかった騎士は悪戯をした子供を叱りつけるように怒鳴りつける。
 「ま、まぁそう怒るなって、クレイ。持ち場に戻れば良いんだろう、戻れば」
 ブレイドは騎士の顔を直視しないよう、走って列の前列に戻って行く。
 「何事だ? クレイ殿」
 少し遅れてやってきたやや小柄で若い騎士が、同じく馬上からクレイと呼ばれた指揮官の騎士に問いかけた。
 「セレス殿。団長が乱闘騒ぎを起こしたようで」
 中年騎士の態度から、この小柄な騎士の方が立場はやや上のようだ。
 「団長殿がか? まぁ良いではないか、部下とのコミュニケーションでも図っていたのであろう、な?」
 騎士は近くにいた傭兵の一人に尋ねる。それに傭兵は笑って首を縦に振った。
 「そろそろ休憩を出した方が良いかも知れぬ。クレイ殿はその件を団長殿にお伺いし次第、指令を全軍に発してくれ」
 「了解した」
 そう言い残すと二人の騎士はそれぞれ反対の方向に進む。
 「ところでホモ疑惑はどこから出てきたんだろうな?」
 呟くキースに、
 「あぁ、話題づくりのために俺が適当にでっち上げたんだが」
 答えるケビンの後ろ頭に、再びどこぞから飛来した剣の鞘が炸裂した。
 やがて休憩の指令が全軍に発せられたのだった。


 アークス皇国国王より親展としてしたためられた指令書が届いて二日後。
 司令官に任ぜられた第三騎士団騎士団長クラール・シキムは、予備役を含めた己の団員六百名を率いて東の熊公国を目指して行軍を開始した。
 それに続くのは高い殲滅力に定評のある第六騎士団。団長シュール・アクセ率いる、こちらも予備役を含めた騎士八百名は歴戦の勇者であり、任務完遂率の高いことで一目置かれている。
 加え、民兵一千名と皇国魔術師隊五十名が同行する大部隊だ。
 クラールの猛勇はアークスの騎士として他国にも聞き及んでいるが、シュールそれも彼に負けずとも劣らない。
 女騎士として名高いシュールはしかし、赤髪の将軍であるリースと同じ女性の団長ではあるが性格及び容姿は全く異なる。
 『その体、熊より大きくその腕、熊のそれより強し。またその意気、戦の神の如き豪胆さなり』
 兵士達の間ではこのような唄い文句までがが広まっていた。戦闘スタイルとして、クラールとシュールは非常に似通っている。
 しかし似たものを持つ二人はこれまで、王の前で顔を合わせる程の接触しかなかった。
 それ以前に騎士団の中でも安定した強さを有する第三と第六の共同作戦は今回が初である。それだけに熊公国の平定には央国としての優先度が高いことが察せられる。
 さらに戦力として、北の公国である虎公国からも援軍が出てくる予定だ。
 対する熊公国の戦力は公国騎士五百に民兵三千。民兵の士気はすこぶる低いとの報告が上がっていた。
 総司令官であるクラールの使命は熊公国を「負かす」ことではなく、いかにスマートに敵味方の損害を少なく公主を取り押さえるかである。
 高い戦力を持つ二つの騎士団が作戦に参加することは、熊公国の戦意喪失を促す一環でもあると言えよう。
 「全軍止まれ、今日はここで野営する!」
 クラールは予定より早く目的の野営場に着いたことを後悔し、それ以上先に進むことをやめた。
 戦場へのはやる気持ちはそのまま行動に現れており、いたずらに兵に疲れを与える結果となってしまったからだ。
 せめて早めの休息により兵士達を癒すべきであると彼は判断した。
 自ら幕屋を従士と共に立てる彼の背中に声がかけられる。
 「クラール殿、荷物の中に妙な客人が入りこんでいたのだが」
 金色の巻き毛の上に団長を示す額冠を巻いた大柄な女――シュール・アクセが一人の少女を片手で引っ立ててくる。
 ターバンが不似合いな小柄な女だ。それを見てクラールは額に手を当てた。
 「本人は貴殿の知り合いだと喚いていたのだが……あながち間違いでもなかったようだな」
 「ご苦労だった、シュール殿。こやつの身柄は責任以て俺が確保しよう」
 シュールはそれを聞いて彼女をクラールに渡し、後ろ手に手を振りながらその場を後にした。
 「フレイラース、何やってんだ? こんなとこで」
 「別にいいじゃない。荷物に紛れこんで入ってても」
 先程までシュールに捕まれていた右手首を痛そうに撫でながら、彼女は不満を漏らす。
 白く細い手首はシュールの大きな手の形がそのまま印刷されたかのように赤くなっていた。
 シュールが力加減を誤ったか、もしくはフレイラースが相当暴れたかのどちらかだろう。
 クラールは脳内の討議時間1秒で結論を後者に決定して彼女に愚痴る。
 「またアルバートと喧嘩したのか。保護者が向かえにくるまで俺が面倒みてやるから厄介事を起こすなよ」
 溜め息を就いて言う彼にエルフの娘は噛み付いた。
 「誰が保護者よ! アルなんて大嫌いなんだから!」
 ”まったく、いつものことだな”
 クラールは内心で「どうでもいいが邪魔はしないでくれ」と祈りつつ、しかしきっとそれは無駄な祈りであるなぁと、しみじみ感じながらも仕事に戻ったのだった。
 その頃。
 当のアルバート第一王子はアークス城下にある、唯一ドワーフが経営する鍛冶屋に単身赴いていた。
 偏屈で変わり者のドワーフの翁だが、彼はその腕を買っている。
 「おっちゃん、こいつを頼むぜ」
 郊外にある隣家のまばらな中に建つ石造りの平屋。
 頑丈な樫の木の扉を開け放つと共に、彼は腰の剣を中にいた老人へ手渡した。
 そんなアルバートの態度に対して特に眉一つ動かさずにドワーフの老人は受け取ると、おもむろに鞘から引き抜いた。
 刃の長さは一リールと四分の一。外見は典型的な片手持ち用の長剣であるが、その刀身は鋼の色をしていない。
 深い深い、透き通るような黒色だ。
 そして所々、その吸い込まれそうな黒色の中で光点が見受けられる。
 それはまるで、新月の夜の空を切り取ったかのような材質だ。
 「相変わらず良い剣じゃな、こやつは」
 星剣レイトール――アークスの国宝であるこの剣は黒水晶で作られ、透き通る両刃の刀身には星のようなたくさんの輝く粒が散りばめられている。
 その様はまるで宇宙の様であることから『星剣』の名が冠せられていた。
 性能的には扱いを誤ると、相手が通常の剣であれ切り結んだ際に割れる可能性がある。
 物理的強度は極めて低いが、対魔術抵抗力に関してはまさしく『聖なる剣』の如く高い能力を秘めており、地水火風光闇のどの属性であっても攻性のある術に対しては消去もしくは反射を行なうことができるとされている。
 高い剣の技量を持つ者でなくては、扱いが非常に困難な逸品と言えよう。
 「しかしな、この間もこれに勝るとも劣らぬ刀を見たぞ。もっとも魔剣じゃったがな」
 キセルを加えつつ、研ぎ石を取り出たドワーフは続けて言った。
 「ほぅ、この黒水晶のレイトールのレベルの魔剣か」
 「素材は鋼だったが完璧な混合率じゃった。持ち主はお前さんより若かったかのぅ、人の良さそうな殺生を好みそうもない男とファレスの女の二人連れじゃ」
 「ふぅん」
 この地方にファレスの一族が姿を現すのは珍しいとも言える。
 もっともここはアークス皇国の首都。逆に「いない」種族を探す方が困難かもしれない。
 ともあれ、現物も当人もここにないことにアルバートは興味が沸かなかったようだ。
 「なぁ、おっちゃん。ところでアイツ知らないか?」
 「アイツ?」
 砥石にレイトールを合わせながら、ドワーフは首を傾げる。
 「フレイラースだよ、口うるさいエルフのさ」
 壁に掛かった刀剣を眺めながら何気なさそうにアルバートは尋ねた。
 「あのうるさい娘っ子か。知らんぞ、お主に愛想を尽かしでもしたのかの?」
 研いだレイトールを光にかざしながらドワーフは言う。
 そもそもドワーフ族とエルフ族は太古から犬猿の仲であるというのが世の常だ。
 とは言っても、個人レベルに落として考えた場合、必ずしもそうではない。このドワーフの鍛冶師とエルフのフレイラースのケースがそうだ。
 共に人間世界で多種多様な人種に出会って来たからというのもあるのだろう、衝突するどころか半妖精同士ということもあってアルバートの見る限り仲は良いと思っている。
 「ふん、愛想を尽かしたのはこっちの方さ。我儘ばかり言いやがって」
 アルバートはいつも周りをうろちょろしているエルフ娘の顔を思い出してふてくされた。
 「なら捜す必要ななかろう?」
 キセルを吸い込みながら、鍛冶師は問う。
 「ん? べ、別に捜してなんかいないが」
 どもるアルバート。そんな彼を見て、彫像のようだったドワーフの表情は苦笑いのそれへと変わる。
 「お前さんはとやかく無神経じゃ。一番大事なものにもう一生会えないとしたら悲しいじゃろ? 手遅れになる前に手を打っておくべきじゃよ」
 研ぎ終わった剣を鞘に戻し、ドワーフは好々爺として年下の彼にそう告げた。
 「誰がフレイラースなんかに」
 「わしはこの星剣レイトールのことを言ったんじゃがのぅ」
 剣を差し出すドワーフを前に、アルバートは言葉を失った。そして笑い出す。
 「ありがとよ、おっちゃん。礼はここに置いてくぜ!」
 愛剣を受け取って彼は来たときと同様に突風のように店を飛び出した。
 鍛冶師は代金と称して置いていったエール酒のボトルを掴んで呟く。
 「あの男がこの国を継承すれば、おもしろくなるだろうにの」
 ギィィと自重でしまる樫の扉を眺めつつ、ドワーフはボトルの栓を開けた。

<Rune>
 降り注ぐ瀑布に対し、僕は剣を構えたまま両足に力をこめる。
 少しでもバランスを崩すか、気を抜いてしまえばそのまま流されてしまうだろう。
 実際、これまで何度流されたことか分からない。
 「はぁぁぁぁ!」
 丹田で練った気を、両手で構えた木刀に注ぎ込む。
 ほのかに輝く木刀を視界の隅に、僕は頭上から降り注ぐ滝の流れに対して力を振るう!
 「光波斬!!!」
 ドッ
 切り裂いた水は五リールほど。高さ十リールはある滝の半ばまでは切り裂くことが出来た。
 半分と言えど、失敗は失敗だ。
 次の瞬間には僕は多量の滝の水によって川に流されていった。


 ここはフラッツの大草原の中ほどに存在するダイムベルド山。
 緑の草原の中にぽっかりと浮かぶ、新緑の美しい山だ。標高は三千リール、この頂上からはアークスはおろか南のザイル帝国まで一望できそうだ。
 僕らの修行場をここに移して七日が過ぎた。
 僕もアーパスもまだ少しではあるが『気』の扱いができるようになってきていた。
 現在は仕上げの最終段階。雪解け水の流れるこの滝の流れを、攻性気術である光波斬で真っ二つにすることが課題である。
 今の僕の実力は見て貰った通り。
 足場や状況が落ち着いた際の威力は滝の流れを両断し得るほどだと思っているが、あのような体勢ではうまく集中できず半分以下の実力しか出すことが出来ない。
 あともう少し、何かコツのようなものがあることは感じているのだが、なかなかその域まで到達できないでいた。
 そしてコイツも。
 「光波斬!」
 やはり僕と同じくらいの高さまでは水を両断することが出来たが、同様に流されてしまう。
 アーパス・ブレッド――水剣の通り名を持つ冒険者だ。
 年の頃は僕と同じくらいに見える。出身などは不明。
 ここ数年、冒険者としてそこそこの実績を挙げているようだ。
 そしてシフ姐の知り合い、らしい。
 きっとシフ姐から僕の何かを聞かされ、喧嘩を売ることになったのではなかろうか?
 今では当初のような殺気を持たれる事はないが、何でも話せる仲にまではなっていない。
 ただこうして剣を合わせる修行仲間として付き合う分には、悪い人間ではないと思われる。
 「二人ともまだまだですね。しかし基礎の実力はもう付いている筈、一歩進んだ集中力を身に付けてください」
 川岸でレナード師が焚き火に当たりながら川の中にいる僕らにそう告げた。
 この辺りは比較的温暖とはいえ、暦の上ではまだ春の初め。
 まだまだ大気は冷水を浴びて気持ちよくなるほど暖かではない。
 僕とアーパスは早々に水の中から這い出し、火に当たる。
 「暖まったら再度いつもの訓練を二セット行いなさい」
 レナード師はのほほんとした表情でそう僕らに告げる。
 レナード・セザム――シフ姐が言うには龍王朝で剣聖の地位に就いたことがあるという剣の達人。
 真偽はどうであれ、僕らがこうして『気』を使えるようになったのは彼の指導があるからだ。
 シフ姐との関係性はかつての友人としか教えてもらえなかったが、過去に色々ありそうな人だ。
 そもそも高い地位を捨てて世捨て人のように一人、遊牧民となっていること事体に相当なことが過去にあったのだろう。
 「さて、いくか」
 「ああ」
 僕とアーパスは立ち上がる。
 これから十キリールの長距離マラソンと筋力トレーニング、アーパスとの剣戟を半刻のセットを二回行なわなければならない。
 まだ身体は冷たいが、すぐに汗だくになるはずだった。


 草原の夕暮れ空は広大で美しい。
 しかし毎日見ればその景色にも飽きてしまう。
 僕はレナード師とアーパスとの夕食を終えた後、一人魔剣イリナーゼを手に自主練習に励んでいた。
 丹田で気を練り、溜めた力を身体の中で循環させる。
 そして剣先に意識を集中し、刀身へと力を集中する。
 ”良い感じで力がみなぎってきているわよ”
 刀身に映るイリナーゼが心の中で語りかけてくる。
 だが。
 「ふぅ」
 僕は脱力して気を大地に流す。
 イリナーゼが「力がみなぎってきている」と言う状態に持っていくまでの時間が長すぎる。
 もっと早く、もっと凝縮して力を練らなくてはいけない。
 「一枚、目の前に壁がある感じだ」
 ”それがあると分かっているだけ、可能性があるじゃないの”
 魔剣からフォローが入る。
 確かに数日前までは今の3倍以上の時間がかかっていたはずだ。それに比べれば時間も短縮できたと思える。
 「今日はここまでにするかな」
 気がつけば日はすっかりと暮れ、そして僕は汗だくだった。
 「先生!」
 「なんだい?」
 焚き火の前で書物を開いていたレナード師は僕に視線を向ける。
 アーパスは……いない、もう寝たのか?
 「ちょっと滝で汗を流してきます」
 「暗いから火を持っていくと良いよ」
 「はい」
 僕は答え、イリナーゼを置いて代わりに松明を掴んで焚き火で着火させる。
 そしていつもの滝に向かって歩を進めた。


 夜の滝は満月を水面に照り返し、幻想的な光を放っていた。
 松明を焚き火跡に置き、僕は衣服を脱いでいく。
 ぱしゃん!
 「?」
 水面を叩く音が聞こえ、僕は滝を見る。何か大きなものが跳ねた様に見えたのだが。
 「魚かな?」
 呟き、衣服を脱ぎ捨てて僕は川に飛び込んだ。
 一気に身体の熱気を奪っていく。冷たさの中に爽快感があった。
 「ふぅ」
 身体を沈め、ふと目を滝にやると。
 ぱしゃん
 「?!」
 巨大な――人の大きさほどのある魚が跳ねた。
 なんだ、こんなものがここに住んでいたのか? 川の主??
 僕は思う。
 捕まえれば一週間分の食料になるのではないか、と。
 しかし捕まえるにしてもどうやって??
 ふと視界に滝の近くにある岩に目が行った。滝つぼ近くにある、僅かに水面から顔を出した岩。
 あれを『気』のこもった拳で思い切り殴りつければ、その衝撃波で川の主が捕らえられるのではないか?
 ガチンコ漁というやつだ。
 思い立ったが吉日、僕は滝の前の巨岩に向かう。
 岩まであと数歩の時だった。
 ぱしゃん!
 音を立てて「それ」が水面から飛び出した。
 銀色の鱗と透明に透けた美しい尾びれを持つ『人』だ。
 それは岩の上に座り、水に濡れた髪を両手で絞る。
 下半身は魚、上半身は……僅かに膨らむ胸から女性と見て取れた。
 そして顔は。
 「え?」
 顔はアーパスに似ていた。もともと女顔な奴だが、妙に違和感なく似ている。
 「え?」
 僕と同じ呟きが、岩に腰掛けたそいつからも漏れた。
 視線が交錯する。共に始めは驚きに。
 そしてアーパスに似た人魚はその瞳に怒りをこめてこう叫ぶ。
 「キャーーーーーーー!!!!!」
 同時、彼女の振り上げられた両手から無手の光波斬が発せられた。
 それはとてつもない威力を秘めている。滝すら真っ二つに出来そうなくらいに。
 「死ぬっ?!」
 襲い来る巨大な力に、僕の中の何かが弾けた。
 僕もまた無手のままに右手を横になぎ払う!
 「光波斬!」
 そして。
 周囲が光で包まれた。

<Camera>
 轟音が滝の方から鳴り響く。
 少し遅れて雨が降る。
 いや、違う。相当量の滝の水が散らされてここまで届いているのだ。
 「滝の水どころか、滝そのものまで真っ二つにしたようだね」
 犬のように頭をプルプルと揺らして水を払ったレナードは、傍らの魔剣に言う。
 ”アーパスの水浴びにわざわざルーンをぶつけたの? 趣味が悪いわね”
 「ふむ。ルーンはアーパスが女の子だと知らなかったようだし、アーパスもアーパスで隠しているのかどうなのか分からなかったからな。この機会にと思ってね」
 ”まぁ、二人とも貴方の思い通りに基本的な『気』の操法をマスターしたようだし、文句は言わないわ”
 二人はやがて口論しながら戻ってくる男女に気付かない振りをして眠りについたのだった。


 「やっぱり」
 剣戟が地下神殿に響き渡る。そして時々、爆音と供に何かが崩れる音。
 「何がやっぱりなんだよ!」
 絶えることなく襲い来る土の人形を叩き潰しつつ、ザートは叫ぶ様にして言い放った。
 「ここにはほとんど無尽蔵に近いマナが眠っているのよ。噂でしか知らなかったけど、四大転移点(ラグランジュポイント)の内の一つね」
 「マナ? ラグランジュ…何だって? 美味いのか、それは?」
 「マナとはエネルギーの塊、魔力の塊とも言うわ。私達みたいな魔術師や、天使や魔族なんか精神世界に近い存在にとっては喉から手が出るほど欲しいものよ。そしてそのマナが湧き出るとされている場所が転移点」
 ユーフェは松明の明かりで目の前の壁を照らす。
 巾三リール、高さ五リールはあろうかという純白の大理石で作られた扉。
 扉の表面には龍や天使、魔族などを象徴した複雑な文様がびっしりと刻み込まれている。
 ユーフェはもちろん、扉を前に戦闘を繰り広げているザート、駿牙、徨牙は知っている。
 この地下神殿の構造的に、この扉の先には何もないことを。むしろ掘り進めることすら困難な岩盤でふさがれている筈だ。
 故にこの精緻な意匠の施された扉は、直接壁に掘り込まれた扉を模した彫刻なのだ。
 しかし。
 ユーフェは松明を持たない方の左の掌を扉につける。
 ドクン!
 彼女の心臓の鼓動と扉の『向こう』にある力が共振した。
 「ようするに、それが天使達の目当てだったって事か。さっさと封印するか何かしてやってくれ」
 「封印? 何を言っているの?」
 ザートは魔術師の様子がおかしいことを感じる。
 「貴方にはこの充実感が分からない? 体中から力が湧いてくるようよ!」
 魔術師の声には尋常ならざるものがあった。歓喜のそれのようにも取れる。
 「ユーフェ、どうしたんだ? おい、本気か?」
 ザートは右手を切り落とした土の人形の頭を大剣で叩き割りながら、後ろの少女に問いかける。
 そこにもう一人の魔術師の鋭い声が飛ぶ。
 「マナに当てられすぎたようだな。ザート、あの娘を何とかしろ。マナの操り人形になるぞ!」
 「操り人形だって?」
 「ここはアタイらに任せて、早く!」
 ザートは二人のダークエルフにこの地の守護として設置された土人形達の相手を任せる。
 彼が振り返れば、
 「どうしたの、ザート? そんな顔して」
 巨大な扉の彫刻を前にユーフェは心からどうしたの、と問いかけてくる。瞳の色が尋常ではない。
 彼女程の術者が飲まれるのだ、気を付けねばなるまい。
 「その扉から離れろ、ユーフェ!」
 白銀に輝く大剣を構え、ザートは叫ぶ。
 少女は青年の要求に困った顔をして答えた。
 「ザート、貴方にも分けてあげるわ、マナの力を……精神の根源を司るマナの力をね。だからそんな剣をしまうのよ」
 「力ずくでもその場所からどける」
 じりじりとザートは恐るべき力を有する少女に近づいていく。
 「そう」
 少女の顔から表情が消えた。
 「ならば力ずくで貴方を排除するわ、土の矢よ!
 ユーフェは杖を振るう。
 すると背後の大理石の扉からダース単位で扉と同質の矢が騎士に向かって打ち出された。
 「むぅ!」
 ザートは大剣を床に差し、その幅広の刃に隠れることで射撃から身を守る。
 「ザート、守護者の数が増えた。もう時間がないぞ!」
 ダークエルフの魔術師がそう叫びながら、大きな炎の球を迫り来る土の人形達に投げつける。
 爆発が起き、守護者である土人形達がなぎ倒されるがその後が続いてくる。
 破壊された土人形たちは一旦、土くれに戻るがやがて時間が経つと再び五体を取り戻して戦列に加わるのだ。
 扉から漏れ出す魔力が遮断されるか、止めない限りは永遠に続くだろう。
 「脱出路も限界だ。その娘をひっぱたいちまいな、アタイが許すよ!」
 もう一人のダークエルフの女剣士がそう怒鳴りながら剣を振う。
 「できたらとっくにしている! 手がつけられんな、これは」
 連射される大理石の矢を大剣の腹の向こうに感じながらザートは舌打ち。
 もしもこれがユーフェでなく普通の魔術師ならば隙もあるだろうが、宮廷魔術師の名は伊達ではない。
 「仕方がない、その娘は置いてくぞ」
 エルフの魔術師が叫ぶ。
 「待て、すぐ連れて行く!」
 ザートは言い返し、一瞬連射される矢の感覚が薄くなったのを見計らってユーフェに向かい突進した。
 「死ね!」
 ユーフェの杖から待っていましたとばかり、光り輝く矢が飛ぶ。実体のある石のそれではない。
 光の矢はザートの大剣を突き抜け、彼の左胸に突き刺さった。
 「え?」
 ユーフェの表情が固まる。
 ザートの突進は止まる事なく、矢をその胸に刺したままユーフェの杖を奪う。そして勢いのまま、彼女を肩に担ぎ上げた。
 「は、放せ!」
 「徨牙、駿牙。撤退だ!」
 「「おう!」」
 ザートはユーフェを暴れるままに肩に担ぎ、ダークエルフの剣士が確保した脱出路を駆ける。
 その後をのろのろと土人形達が追いすがる。だが速度の差は明らかだ。
 次第に彼我の距離は広がっていく。
 脱出に成功した彼らの背後では、地の底からの呻き声がいつまでも鳴り響いていた。


 凍てついた大気の下、遺跡の転移魔術陣の上で四人の戦士達が各々荒い息で空気を白くしながら座り込んでいた。
 ここはアークス−リハーバーの駐屯地から南に一キリールほど進んだ場所。
 かつて魔王の統べる出城があったとされた朽ちた遺跡『ベフィモス・ガーデン』だ。
 今では建屋などはなく、太古の石柱や石畳などが無造作に雪に埋もれるばかりである。
 「守護者は追っては来ないようだな」
 駿牙は埃が積もった床の上に座ったまま剣を鞘に納める。
 「ザート、傷は大丈夫か?」 
 「ああ、光の矢はユーフェが気を失うと同時に消えたしな。何よりユーフェの奴、急所は外していたよ。完全に操られていた訳じゃないようだ」
 ザートは傷薬を左胸の傷に擦り込みながら答えた。
 そして当のユーフェはザートの膝を枕として、固い床の上で気を失っている。
 「しかし四大転移点の一つがこんな所にあるとはな」
 厄介なものを見てしまった顔でダークエルフの魔術師は溜息と共に呟く。
 「徨牙。良く分からないんだが、そのマナとやらがあると何が出来るんだ? それに四大なんとかって??」
 ザートは包帯をし終わって、尋ねた。
 「俺達のようなレベルから言うと、魔術が疲れる事なく使うことができるな。例えば隕石召喚の魔術をマナが充分にあれば、無制限に平気で実行できる」
 徨牙は淡々と語る。
 「そりゃすごいな」
 「そしてラグランジュポイントとは精霊界からこの世界へ流れ込むマナの入り口のようなものだ。特に地水火風の四大精霊の力がこの世界に流入するマナの出口は四大転移点と呼ばれている」
 ふと駿牙が気付いて問う。
 「そんな出口を塞いだりなんやりしてしまったら、この世界のマナのバランスが崩れるんじゃないのかい?」
 その通りと徨牙は頷く。
 「だからこそ、特に四大転移点レベルの場所には守護者の一族がいるはずなのだが……先程の土くれがそうとも思えぬし」
 徨牙は続けて自身の思考を確認するかのように呟く。
 「もっともラグランジュポイントの特定は困難でもある。何年かもしくは何千年か、地脈の変動と共に周期的ではあるが場所も変わるとされていることもあるし、もしかしたらここ――土のラグランジュポイントも移転してから気付く者がいなかったのかも知れぬか?」
 その呟きを聞くことなしに、駿牙が言う。
 「しかしそれだけに、反対にマナに操られることもあるってことか。少量ならそんなこともないがあれだけ大量にあると、この娘程の力量があってもマナに振り回されてしまうようだな」
 「金みたいなものだな」
 ザートの感想に駿牙が笑う。
 「魔族や天使なんかの精神世界の存在にとっては金そのものだろうな。マナは奴らにとっての力の源。下位の魔族であってもあれだけのマナがあれば、かつて世界を滅ぼしかけた魔王程の力が手に入るだろう」
 徨牙がそう締めくくった。
 ザートは胸に走る痛みに耐えつつ、胸に溜まった神殿の中の重い空気を吐き出すように呟く。
 「だからこの像みたいなもので封印してあったのか。しかし誰が封じたんだろうな」
 四人によって破壊された高さ二リール程の龍を象る像が、彼らを囲むように四体配置されていた。それらを破壊することによって足元の転移魔術陣が現れたのだ。
 その転移先は土で作られた人形――ゴーレムと地霊によって守られていた。
 「しかしその封印も解けかけていたのではないか。これ程の力を隠す魔力を俺達が物理的に壊せるはずがない」
 徨牙はゆっくり立ち上がりながらザートに答える。
 隣で駿牙も立ち上がりながら言った。
 「ともあれ、このことをお前達の代表に知らせたほうが良い。アークスは魔術が発達しているから、宮廷魔術師とやらが何人か集まれば再び封印できるかもしれんしな」
 「ああ、そうだな。しかし封印したところで天使達に目を付けられていることには変わらんな」
 困ったようにザートは頭を掻いて立ち上がろうとして。
 その膝にユーフェを抱えていることを思い出す。
 「ザート、あんたのお姫様が目を覚ましそうだよ」
 駿牙の言葉もあり、ザートは膝の上を見る。
 まだ幼さの残る少女の眉間に皺が寄り、ゆっくりとその瞳が開かれる。
 ぼんやりした茶色の瞳には、疲れた顔のザートが映っていた。
 「うっ、あれ? ザート、怪我は? 傷は平気なの?!」
 目を覚ますとともに彼女は起き上がり、ザートの胸を叩く。
 「あがっ! ば、ばかやろう、叩くな」
 目に涙を貯めてザートは魔術師を突き放した。
 「ご、ごめん。傷は?」
 「大丈夫だ。お前の魔術なんて俺に効くか」
 強がりと知って、しかしユーフェは彼の心情を汲み取り立ち上がる。
 「ふ〜ん、後でゆっくりと私特製の治癒魔術で癒してあげる。でも取り合えずは」
 「そう、シャイロク様に報告してくれ。俺には説明できそうもないからな」
 言ってザートは腰を上げる。一度フラリと揺れるが、しっかりと二本の足で立ち上がった。
 「アタイらはここを見張ってる。衛兵達も連れてきてくれ」
 駿牙の言葉にザートは頷き、ユーフェとともに総司令であるリースと副官シャイロクのいるテント目指してへ歩を進めた。


 時は多少遡る。
 リハーバー軍が合流した夜、二回目の天使襲撃のあった二日前の夜のことだ。
 シルバーン大山脈の麓に集う騎士達の目的は当初、北の極寒地との境界でもある山脈から魔族の侵攻を食い止めるといったものであった。
 しかし実際には魔族は未だ現れずその対極にある存在――天使達が現れて、あろうことか攻撃を仕掛けてきた。
 そもそも人間にとって魔族は悪であり、滅ぼすべきものというのが定説。そして魔族はその性質から人前に現れることが比較的多いが、善の象徴である天使――神の使いであるとされるそれは、ほとんどその姿を現すことがない。
 故に天使は人間の想像力によって美化されてきていた。天使は幸福を運ぶ存在、そして善の象徴として。
 そんな先入観を持った人間達が面と向かって神聖なる天使と戦うなどうまく行くはずもない。それはリハーバーの兵士側に先日の戦いの中において特に顕れていた。
 自らが悪そのものであるかのような罪悪感が膨らんでゆくそんな中、吹雪く雪をすり抜けて一人の珍しい客がやってきた。
 青く長い髪に雪のように白い肌。そして片手には竪琴を手にしている。
 「私は旅の吟遊詩人。この土地に伝わる唄を歌いましょう」
 風のように現れた彼女は竪琴を響かせた。そして先日の戦いに疲れた兵士達にその唄を聴かせる。
 不思議な感覚を伴った唄と音色は、聞く者達の心を容易に捉えた。

  月が一千満ち欠けるより昔。この地に魔王が舞い降りる。
  其は美しき面を持ち、月の輝きを放つ髪を風に泳がす乙女の姿を取りし者なり。
  そしてその力、魔王の中の魔王。何者も屈伏させし強き魔力を持つ。
  その者、尽きることなき魔力を用い、全てを我が物とせん。
  その者の力、神の使いたる天使達の長をも引き裂きこれに勝るものはなし。
  魔王たる者。その力を以てして最期の力を求めたる。それぞ滅びと生成。
  ある勇者、光をかざし、天使の長の力を携え、魔王に立ち向かわん。
  勇者、地の神アースディの作りし、四の精霊王達と力ある天使達の祝福せし聖剣を手に魔王を滅ぼしたる。
  勇者の名をリブラスルス、気高き覇王の子。
  天使の長の名をルシフェル。四大天使を従えし者。
  そして聖剣の名こそ、高名なる光の剣。
  世に混沌を呼び起こせし魔王の名をヤシャの者イリナーゼといふ。

 「魔王? この地に?」
 唄から我に返ったシャイロクは誰ともなく呟いた。
 「尽きることなき魔力…天使の長をも引き裂く…ねぇ」
 ユーフェは詩のフレーズを反芻。
 「太古より強い力の集う場とか言っていたか」
 こちらはザート。彼の背負う大剣を与えた智天使の言葉が脳裏をよぎる。
 彼らの様子を一瞥して、吟遊詩人は席を立った。他の観客達からのリクエストを背に受けてつつも。
 そしてシャイロクからユーフェへ、近くに存在した遺跡の情報がもたらされ、ユーフェからザート達へ調査の依頼が下りたのが今朝の話。
 「尽きることなき魔力、確かにこの村にありました。地の精霊力という名のマナが溢れる四大転移点の一つです」
 転移点とは精霊界からこの世界に供給される力(マナ)が、世界に実在する力に変換転移される噴出点を指す。
 例えば風の転移点ならば風の精霊力が『風』として、炎の転移点ならば『炎』として。
 このことから転移点は世界各地に存在する。そしてこの世界には複数の転移点と共に四つの大転移点が存在するとされている。
 すなわち地水火風の四大精霊王が直に司る転移点。
 今回ユーフェ達が発見したのはこの四大転移点の一つ――地の転移点だ。
 転移点は地脈の変化と共に場所が変わるためになかなか特定できないという背景もあり、保護が難しい。
 また例え見つけたとしても力の占有は世界のマナのバランスを崩してしまうことにつながり、管理も難しいだろう。
 「それを天使達が狙っているというのか?」
 燃えるような赤い髪の女性の言葉に魔術師は頷き答える。
 「マナは天使や魔族といった精神世界に重心を置く存在にとって、力の源なのです」
 「分かった。ともあれそのマナとやらを天使に渡す訳にはいかんな。ひょっとすると魔族よりもタチが悪いかも知れない」
 リースは顎に手をやり難しそうな顔で呟きながら顔を上げる。
 その視線の先には副官であるシャイロクがいる。後は任せたと言わんばかりの視線だった。
 「ともあれ、ご苦労だったな、ユーフェ。早急に何とかしよう。今は取り敢えず休むといい」
 赤毛の女性の横に立つ青年は、顔色の青いユーフェにそう告げるが彼女は首を横に振る。
 「自負する訳ではありませんが、魔術に詳しい者は私とミアセイア王子です。皇国魔術師隊の者達ではむしろ操られる可能性が高く…」
 「今さらどうこうできるものではないだろう? それよりも休める時に休んでおいた方が良い。この遺跡を中心に我々は駐屯しているのだから、特に今これといってできることはなかろう。いいかい?」
 言葉を遮られてシャイロクに諭され、魔術師は逡巡の後に小さく頷いて退出して行った。
 再び部屋に二人きりになったリースは相棒に言う。
 「ではここからが私達の仕事だな、シャイロク。至急通信球を用意して宮廷魔術師の団長殿につなげてくれ」
 専門的な魔術という分野にリースは少し閉口しながらも、頼りになる副官に指示を下す。
 「転移点――尽きることなき魔力という名の力か、本当に尽きないのだろうか? どうだろうか、シャイロク?」
 「さぁ、ちょっとこの辺りは専門ではないので。しかし限界のないものなどこの世の中にあるとは思えないな」
 通信球を用意しながらの副官の答えに、リースは軽く頷くに留めた。


 親愛なる我が友、ブレイドへ
 昇進おめでとう。俺は今、雪国リハーバーで楽しくやっている。お前の方はどうだ? 氷室の奴は元気か?
 昇進して嬉しく思っているお前だろうが、訃報を伝えねばならない。
 俺達が騎士団の門を叩いた時に、歓迎してくれた騎士タイラスが天使との戦いでここリハーバーに倒れた。
 彼は同じ騎士団の俺にとって、良き忠告者だった―――


 ザートはここまで書いてペンを置く。彼は先程ユーフェから受けた傷の為に軍医から安静を告げられていた。
 「うっ」
 彼は唐突に頭を押さえる。
 先日の天使達との戦いのから、彼は不意に襲う頭痛に悩まされている。
 熱はないのだが、いかんせん本調子ではない。天使達との二度目の戦いは熾烈を極め、頭も何度も打ったと記憶している。
 ぶつけどころが悪かったのか?
 彼はまだ気付いていない。
 傍らに置いた智天使シーケンスから受け取った大剣の刀身が僅かに光を帯びるたびに、彼の頭痛が引き起こされていることを。
 テントの外で果てる事なく雪が降り続いている。
 魔術で暖房処理されているこのテントの中でさえ、その寒さを完全に防ぐことはできない。
 ザートは一人、ベットで寝転んで南で同じく戦っている友に手紙を書いていた。
 先方は手紙などは書くのを嫌うが、受け取るのは好きという無精者ではある。
 一回目の天使の襲撃の後、ザートの住むテントは焼かれてしまったので他の仲間のいる四人用のテントに移り住んでいる。
 しかし二回目の天使との戦いで、このテントはザート一人の物になってしまっていた。


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