第四章 城塞都市の魔将軍

<Camera>
 息苦しいほどに吹雪くここは、遥かなる北の地。
 視界が白一色のこの地においては、生物の生存は夏場以外は不可能とされている。
 リハーバー共和国の北に連なるシルバーンの大山脈。その深い雪の向こうに広がる果てしなく広がる雪原は白すぎて、上下左右の感覚すらも失いかけてしまいそうだ。
 何もない、虚無の地――ただ白の地平線だけが伸びる、吹雪の分厚い壁が立ちふさがる死の大地――
 そんな人類未踏と思われたこの大雪原の奥深くに、氷で作られた城があった。
 低温の為に劣化を起こしにくいこの大地にそびえる城は、いつ建立された物かの判定は不可能だ。
 しかしこれだけは言えよう。
 『人の作り出した物ではない』
 沈黙の雪原に鎮座する氷の城から、やや離れた所に人影が一つあった。
 それは若い女。
 吹き荒れる吹雪に、ポニーテールに結った青色の髪を任せて、ジッと虚空を見つめている。
 驚くことに彼女はこの極寒地にも関わらず、非常に身軽な姿――中原の遊牧民が纏いそうな濃い茶色の貫頭衣の、頭部だけはしっかりと出した姿だ。
 そんな姿であっても彼女には寒さを示す表情は一切ない。
 不意に彼女の虚空を見つめる表情に、厳しいものがよぎった。
 「力天使七体に主天使四体。結構手強そう、かな?」
 呟きはやや高めのピアニッシモ。白色のカーテンの向こうに何か見えるのか、彼女は前髪を掻きあげた。
 「でもマスターも酷いわよ。可愛い私をこんな男っ気がないとこに置いてくんだからね」
 怒ったように言う彼女の頭上へと、吹雪に混じって幾つものエネルギー弾が降り注いだ。
 一つ一つが小さな山程度であれば半壊させうるほどの強力な破壊の魔力を秘めている。
 「全く。貴方達も私をなめんじゃないわよ!」
 彼女は右手を振り上げる。同時に薄い紫色の球状の膜が彼女を包み、それはエネルギー弾を全て呑みこんで、彼女の右手に収束した。
 「Application Program/冥王超振動!」
 コマンドを叫びつつ彼女は、赤く輝く振り上げた右手を背伸びをするようにさらに天に突き出す。
 次の瞬間、白かった空は目を開けていられないほどに光り輝く。
 ぼうぅ、と若干遅れて下降気流が彼女を中心に吹き降ろした。
 空の光は数瞬後には消え、後にはぽっかりと夜空が浮かんだ。
 彼女が吸収したエネルギーは、さらに彼女によって倍化され、上空の雪雲をはじめとする水をプラズマ化させたのだ。
 およそ3万℃に達するその中で、彼女を上空から狙った『敵』達はどれだけダメージを負ったことだろう。
 「雪音様の力、思い知った?」
 綺麗な夜空を見て僅かに機嫌の良くなった彼女の前には、剣を持ち鎧を着た翼ある男達が二人立っている。
 彼らの誰もが大きく焼け爛れ、ひどい傷を負っていた。
 そんな傷にも関わらず、彼らは彼女――雪音に切りかかった。
 「悪いけど貴方達、力天使は私の好みじゃないのよね」
 軽く身を捻らせて二体の力天使達の剣戟を全てかわし、両手を合わせる。
 「味はまあまあだけどね。AP/理力吸収!」
 雪音のポニーテールが解け、青色の髪が広がった。
 その髪はまるで生き物のように伸び、彼女を狙う二体の天使達に絡みつく。
 「「キャオオオオォォォォ」」
 絡まれた二体の天使は断末魔を挙げながら、瞬時にして干からびて消えていった。
 吹雪が尽きて星空の下となった雪原は、全くの無音の状況となる。
 静寂はしかし、数瞬の間だけ。
 今の短い戦闘の一部始終を見物していたのであろう――四体の天使が虚空より生まれ出で、雪音を十字に囲んで具現化した。
 先程の二体の天使とは異なり、
 「惨いことをなさいますね。生きたまま食べてしまうなんて」
 「こやつは確かに、この世界に存在してはならん技術でできている」
 「神に代わって我らが罰を下さん!」
 「その通り」
 言葉を持っていた。
 一人はあどけないない少年、筋骨隆々の男に老人、美しい女の姿を持った四人の天使だ。
 そのどれもが、二対の翼を有している。
 「語託は良いのよ、主天使ども」
 雪音は囲む四人の翼ある者達に言った。
 「ところで、どうしてそんなに人間になりたいの、貴方達?」
 雪音はさらに凍りつくような鋭い冷たさを持って言い放つ。彼女の放つ殺気に、天使達は思わず一歩後ずさる。
 「我らは高度な存在。人間などという低俗な存在になりたいなどとと思う訳がなかろう」
 老人の姿をした天使が静かに反論した。
 「天使は第六位辺りから知能を持つようね。第五位の力天使は口が達者だけど姿形が皆一緒。第四位の貴方達は姿が取り合えずは皆、外見が違う」
 「何が言いたいのかしら?」
 女の天使が朗々と語る雪音に、手にした剣の切っ先を向けて尋ねる。
 「つまり私が思うに、貴方達天使はやはり人になりたがっているのでしょう?」
 彼女の言葉に一瞬の沈黙の後、天使達は笑い出す。
 「何度言わせる!」
 「我々が下等な人になりたがっているだと?」
 「笑わせるな、こうして姿形を変えているのは個性を出す為」
 最後に男の天使が叫ぶように言った。
 「その考え方が人に似ているわ。貴方達を指揮しているのは一体誰なの?」
 「そんなことを君に教える必要はないよ。おしゃべりはここまでだ!」
 少年の天使が言い、剣を構える。
 それに呼応して他の三人の天使もまた、剣を握り直す。
 「「我らの道を塞ぐ貴様に、天罰を下そう」」
 「どちらにしろ貴方達は滅ぼされる運命なのね」
 雪音は一人、そう呟くとその姿が揺らぎ消えた。
 「「クォォォ!」」
 生ずる叫び声は二つの共鳴。
 老人と女性の姿を取った天使二体の体が両断されていた。二体は絶叫を挙げて雪のように溶け散った。
 一瞬、雪音の姿が見えた。だがその動きは誰も追えない。
 「何という破壊力だ、異世界の技術はここまで進んで」
 呆気に取られる少年の天使も、その首が雪音の手刀によって飛び、滅ぶ。
 「貴様、このような事をしてただで済むと思っているのか?」
 一人残った男の天使が後退りながら、彼らにとって殺戮者である雪音にに問う。
 「今更何を言っているの? 私に天罰を下すんじゃなかったのかしら?」
 あまりに呆気ない主天使に微笑みながら、彼女はゆっくりと残る一人に近づく。
 「なめるな、木偶人形めっ!」
 切りかかってくる最後の天使を、やはり雪音はその手刀で瞬時に滅ぼした。
 最後の一人もまた、その存在が雪の中に解け崩れる。
 「私が人形なら、貴方達は心を持たない生き人形ってところね」
 忌々しげに雪音は呟いた。
 再び北の大草原は吹雪という沈黙に閉ざされる。
 しかしその永遠とも思われる沈黙はそう長くはないことを、彼女は知っていた。


 大陸西部に位置するアークス皇国。
 その央国の南部と南の龍公国に渡って広大な草原がある。
 フラッツの大草原。太古より百に上る遊牧部族の生活の場となっているここは、現在でも多くの彼らが生活を続けている。
 そんな諸部族にも属さない、一人の遊牧民がいた。凛々しい黒犬の頭を持ったノール族の男だ。
 彼は一人、沈み行く夕日を背にして暗闇に落ちた東の地平線を眺めていた。
 人の目には天と地の境目が朧で、薄闇にしか見えないそこに彼は何かを見出しているようだ。
 やがて地平線の向こうから何か高速で近づいてくるものがある。それはみるみる形を成していく。
 箒に乗った「人」だ。
 高速飛行してきたそれは急制動をかけてノールの前で止まる。
 遊牧民のマントと髭が巻き起こった風に揺れた。
 箒に跨るのは長い銀髪を持つ若い女。その貌にはゆったりとした笑みが広がっている。
 「何年ぶりでしょうね、レナード」
 鈴の鳴るような声がノール族の男に飛んだ。
 「いきなりな珍客だね」
 レナードは彼女に苦笑。かつてともに世界を駆け回り、無二の友の妻となった彼女を前に。
 「息子もお世話になったわね。ありがとう」
 魔女フィースは素直に頭を下げる。対してレナードは見る者によっては威嚇にも取られかねない笑みで答えた。
 「君とルースの間の子だとは未だに信じられないよ。あんなに物分りのいい子が生まれるとはねぇ」
 「よけいなお世話よ、そういう貴方はまだ結婚しないつもり?」
 「私を想ってくれる女性が現れないのでな」
 受け流すレナードのその言葉にフィースは溜め息を就く。
 「ライブラの気持ちが分かるわ。鈍感な人ね」
 「ライブラ? 彼女がどうかしたのか??」
 「何でもないわよ」
 苦笑を浮かべつつ、フィースはレナードに溜息。
 「しかし君がここへ直接来るというのは、ルーンの修行の結果を聞きにきたなんていう単純な理由だけではないようだな」
 呟くようにして言うレナードは知らずの内に、腰の剣に手を置いた。
 「ええ、そうよ」
 フィースの貌から笑みが消える。
 「門は確実に抉じ開けられつつあるわ。『人』が施した仮初めの封印ではやはり何処かに漏れが生じてくるみたいね」
 フィースの夕日に照らされた沈痛な表情に重大さを読み取ったレナードは背を向ける。
 「なるほど、水の子が来たのは風の神の気まぐれという訳でもなかったようだな。すぐに支度をしてこよう」
 言って彼は己のユルトに向けて歩き出した。
 ユルトを取り巻くように十数頭の馬とその倍の数の羊、三頭の犬がいる。
 彼らはこれから始まる主人の旅をまるで知っているかのように、白い珍客を恨めしそうに見つめていた。

<Rune>
 日は天頂にあり、僕らは一面の草原をひたすらに南へ向かって歩を進めている。
 枯れた草は踏みしめるたびにカサカサと乾いた音を立て、途切れることなく吹き抜けていく木枯しの冷たさを音感で助長しているようだった。
 所々に雪が残ってはいるが、弱々しいながらも照りつける陽の光にその勢力は明らかに後退している。
 冬の終わりも近い。
 僕は改めて日の位置から目指すべき方向を再測する。
 進む先にあるのは南の公国である龍公国の副都ガートルート。
 鉄壁の守りと言われる高く厚い城壁都市はしかし、まだまだ地平線の彼方だ。
 距離を思い小さく吐息する。生まれる音は自らのそれと、もう一つ。
 進む僕の右後ろからも、草を踏む音が聞こえてくる。
 金色のやや長めの髪と、透き通るような白い肌を持つ僕と同年齢と思われる冒険者。
 つい先日まで気の使い手であるレナード師の下で共に学んだ間柄だ。
 そしてつい最近まで男と思っていた。
 女だと言われれば、そう見えないこともない。もともと顔が良いのだから美人にはなるのだろう。
 だが中身がアレだ。男勝りとか、そういう軽いレベルではない。
 冒険者仲間の間で「水剣」という綽名を持つほどの実力者である彼女の名はアーパス・ブレッド。
 綽名は良くも悪くもそれなりの戦功を持つものに対して自然と付けられるものだ。
 彼女の場合はどうも悪い部分も多いようだが、そうであってもそれなりの仕事をこなしてきたからこその綽名なのだろう。
 そんな冒険者としては僕の先輩となる彼女の正体は、人魚族である。
 人化の魔力を秘めた首飾りによってその正体を隠しているのだと、彼女はその正体をさらした夜に告げたものだ。
 人にはあまり一般的ではない精霊魔術を行使できるのも、彼女が水の精霊と仲の良い人魚族であれば頷ける。
 そこまで思い返し……改めて何だこの設定?
 男装の人魚で冒険者で。
 そして彼女が僕の前に現れた理由は、僕の旅を止めて街に戻るようにさせること。
 その理由は?
 誰に頼まれたことなのか?
 今まで聞く機会がなんとなくなかったが、ガートルートを目指すこの旅路は二人きりだ。充分に時間はある。
 だから僕は訊く。
 「なぁ、アーパス。君は何故」
 「静かに、ルーン」
 振り返る僕に彼女はやや身を低くして、僕の口の前に右の掌を突きつける。
 黙れということだ。
 僕は彼女の警戒色に気付き、同様に身を屈めた。
 枯れ草はその丈が高く僕らの腰ほどもある。マントの色も手伝い、僕らの姿は草の中に溶け込んでいるように見えるはずだ。
 「聞こえる」
 男にしては高い、女にしては低い声で呟くアーパス。
 「何が?」
 問う僕はその答えを訊く前に気がついた。
 「「なっ!!」」
 驚きに共に身を起こす!
 前方と後方にただならぬ殺気、いや戦気が生まれたのだ。
 続いて地を揺るがすような人馬の足音。だんだんと近づいてくる音は、戦士達の雄たけびだ。
 「これは!」
 「ヤバイぞ!」
 僕とアーパスは背を合わせて戸惑いつつも腰の剣を抜く。
 これまでどうして気付かなかったのか、前方と後方それぞれから見え始めるのは大量の人馬とそれらの巻き起こす土煙。
 互いの距離は二キリールといったところか。その中間に僕らはいる。
 そう。
 ここは戦場だった。


 後方はその旗印からアークス央国軍。
 前方は間違いない、ザイル帝国軍だ。
 「ということは、ガートルートはすでにザイル帝国に陥落されているってことか!」
 僕は判断する。
 アークス皇国とザイル帝国と因縁は根深い。
 両国共に永年戦いを続けており、一時はザイル帝国が南の龍公国を攻め滅ぼしたこともある。
 同様にアークス皇国がザイル帝国の北都ツァークを落した事もあった。
 しかしこの数百年は多少の小競り合い程度でここまでの進撃などなかったはずだ。
 「さて、どうする、ルーン?」
 近づきつつある両陣営の間で、アーパスは僕に問う。
 「そのまま突っ立ってても、両方から敵と見なされるんじゃないのか?」
 そうだな。
 「ならば」
 僕は剣を構える。自らの気を刀身に蓄積し、迫り来る軍勢に向けて力を放った!
 「光波斬!」
 半月状の光の衝撃波が僕の手にした魔剣から放たれた。前方の軍勢に向けて。
 レナード師から教わった十リール四方を吹き飛ばす攻撃系の操気術。
 光は前方、ザイル帝国軍の出鼻を挫くには充分な攻撃だった。
 「なんか狙いがこっちに定まってないか?」
 アーパスの言葉の通り、ザイル帝国軍の攻撃対象が明確にこちらに向かってきている。
 つられるように、背後のアークス軍の先陣もこちらを目指し始めていた。
 「う、やらなくてもいいことやってしまったか?」
 「まったく」
 アーパスが大きく溜息一つ。続けて、
 「光波斬!」
 彼女もまた同様の技を放つ。吹き飛ぶのはザイル帝国陣の兵士達。
 先陣を切っていたザイルの騎馬隊に少なからずのダメージを与えたようだ。
 しかしたかが二人の冒険者にやられっぱなしのザイル帝国軍ではない。
 鬼気迫る表情の帝国軍を眺めつつ、僕はアーパスに叫ぶ。
 「逃げるぞ、アーパス! うわわっ」
 「了解、おっと」
 飛び交う飛槍の応酬を避けながら、僕達は互いを見失わないように戦場から離れようと後退。
 そこへ、
 「「おおおおおおぉぉぉぉ!」」
 僕らの位置を入れ替わるようにアークス軍が目前のザイル帝国軍にぶつかった。
 騎兵同士のぶつかり合いに、僕とアーパスはとにかく後ろ後ろへと下がる。
 騎兵と歩兵とではその戦力は単純に5倍は違う。騎兵は騎兵に任せるしかない。
 騎兵同士の潰し合いが一段落するころ、戦いの第二波である歩兵部隊が両軍共にくる。
 さらにアークスでは皇国魔術師隊、ザイルでは弓射手隊が入り乱れての混戦となった。
 「おっと!」
 僕はザイル側の傭兵が繰り出した槍の一撃を紙一重で交わし、アークスの騎士の放った流れ飛槍を捻って避けた。
 「邪魔だ、光波斬!」
 僕の背後からアーパスの声が聞こえ、ザイル帝国軍の一角が吹き飛ぶ。
 すると報復と言わんばかりに無数の矢の雨がお見舞いされた。
 「不可視の盾よ、我が頭上に現れ出よ!」
 「水よ、氷となり我が盾となれ」
 僕は呪語魔術の不可視の盾で、アーパスは水の精霊魔術である氷盾により攻撃をしのぐ。
 そこに真横からの攻撃が来た!
 「む」
 「くっ」
 僕とアーパスはそれぞれに剣で必殺の矢の一撃を交わし、あるいはへし折った。
 矢の雨とは異なる、重く鋭い一撃だ。
 「ザイルの弓騎士か、殺気すら感じさせない。さすがだ」
 呟くアーパス。
 アークスが魔術の王国であるのと対比して、ザイルは元狩猟民の国である。
 そしてザイル帝国において騎士団と同等の位置にある部隊――それが弓を扱う弓射手隊だ。
 弓騎士の矢一本は人の命三つを奪うと言われているほど、その命中率と破壊力は大きい。
 国の中の位置的には、ザイルの弓騎士はアークスの皇国魔術師隊と同位置にあると言えるだろう。
 「とにかくこんなところからはさっさと逃げよう」
 「そうですね、こんな物騒なところは早く抜けましょう」
 僕の言葉に返る答えは知らない声の持ち主だった。
 「誰だ? お前」
 アーパスと僕の間に深い緑のローブに身を包んだ青年がいた。ちゃっかり矢の雨から身を守る位置にいる。
 いつの間に僕らの背後を取ったんだ??
 銀色の肩まである長めの髪に不思議な金色の瞳を持った青年だった。
 額に銀の魔術文字の刺繍の入ったバンダナを巻き、何か長い金属の筒のようなものをローブの間から覗かせている。
 笑顔で目が細いのは、どうやらそれが地のようだが。
 「私、ラダーと申します。街道を歩いていたら突然戦争でしょう? びっくりしましたよ」
 言葉とは裏腹にのほほんと答える彼。『びっくりしました』と過去形にしているところに只者ではないものを感じさせるが。
 「周囲に旅人の気配は感じなかったが?」
 呟くアーパスの言葉に相槌を打つ間もなく、僕らは十数騎の騎馬兵に囲まれているのを知る。
 ザイルの騎士団に属さない騎馬兵――おそらく局所粉砕を名目に動いている遊撃部隊といったところだろうか。
 各騎ともに長槍をこちらに向けて一斉に突きこんで来た!
 「うぁ、ヤバ!」
 「地の精霊よ、震撼せよ。その顎を開け!」
 アーパスの大地の精霊魔術が僕らを中心として半径五リールに円形の段差を引き起こす。それにつまづいて馬から転倒する騎馬兵が多数。
 しかしその障害をかいくぐり、穂先を届かせる騎馬兵に対しては。
 ラダーと名乗る男がローブの中に構えていた金属の筒を、突撃兵の持つランスの様に構えた。
 刃がないただの筒だ。一体何の武器かさっぱり分からない。
 「弾丸装填確認、照準合わせて―――Fire!」
 ドゥドゥ!
 腹の底を震わすようなくぐもった爆発音が連続して響く。
 音の数だけ騎馬兵がある者は肩を吹き飛ばされ、ある者は馬ごと腹に穴を開けて爆死する。
 「火弾の魔術?」
 いや、それにしては呪語の詠唱も何もなかった。何よりも連続して発動しているなんて、相当な早口でもなければありえない現象だ。
 「いえ、科学です」
 さらりと答える彼に対して詳しく問う暇はない。
 僕は残る背後からの騎馬兵数騎の突撃に対して剣に気を込めて技を放つ!
 「颯風流!」
 振り下ろした剣から幾筋もの突風が生じ、騎馬達をその馬ごと十五リール近く吹き飛ばした。
 光波斬のような破壊力のある技ではなく、効果範囲の広いものだ。
 もっとも吹き飛ばしたのはアークスの兵も含まれていたりするが、気にしないことにしよう。
 「おおっ? そこにいるのはルーンじゃないのか?」
 僕の技で一時的に空白地帯となった場所に躍り出るのは一人の中年の男。
 むさい顎と頬髭、そして両手にそれぞれ持った斧に貫禄のある体。
 懐かしいその姿は、故郷エルシルドの街の警備隊長ケビン・コスナーだ。
 「ケビン?! どうしてここに?」
 やってきた彼に開口一番僕は尋ねた。しかしそれを彼は聞いていない。
 「前線で大騒ぎしてたのがお前だとは思わなかったぜ。しばらく合わないうちに随分と逞しくなったもんだな」
 「ルーン、誰だ、こいつ?」
 訝しげに問うアーパス。直前に騎馬隊の最後に一人に精霊魔術の水弾を炸裂させてからの問いかけだ。
 「同郷の知り合いだよ。ケビン、この人はアーパスだ」
 「よろしくな、ケビン・コスナーだ」
 「そうか。別におっさんと知り合っても嬉しくない」
 ケビンの差し出した右手をそっけなく断る無視するアーパス。ケビンは困った顔でその手を引っ込めた。
 「で、そっちの人は?」
 ラダーを尋ねるケビン。それは僕も聞きたい。
 「ラダーと申します一介の旅行者です」
 「その武器は?」
 ケビンも見ていたのだろう。ラバーと名乗る青年の持つ不思議ながらも破壊力のある武器を。
 「銃と呼ばれるものですよ。初めて見るでしょう?」
 問いにラダーは微笑みながら嬉しそうに答えた。銃?? 聞くのも初めてだが。
 ケビンも同様なのだろう。何よりも乱戦と化してきている周囲を眺めながら、彼は『本題』に入った。
 「ともかく一旦ここを下がろう」
 「何か思惑があるのかな? 僕らは別にこの戦いに傭兵として参加しているわけでもなくて、ガートルートへ向かう途中で巻き込まれただけなんだけど」
 「ガートルートへ行きたいのなら付いてきな」
 ニヤリと笑い、ケビンは続ける。
 「団長がお前らに会いたいんだとさ。多分、今この状況下でガートルートへ行く一番の近道さ」
 僕とアーパスは顔を見合わせ、そしてついでにあまり状況を把握していなさそうなラダーに視線を走らせて。
 「まぁ、いいか」
 互いにそう呟いていた。


 戦線の後方には竹と厚手の布を組み合わせただけの即席の陣屋があった。
 その布地に描かれているのは鷲の紋章。アークス第二騎士団のものである。
 アスカとともに第二騎士団の団長であり、王位継承権を持つウルバーン第三王子と戦ったのがつい二ヶ月ほど前なのに大昔のような錯覚に陥る。
 団長亡き後の今の第二騎士団の団長は誰なのであろうか? ケビンはその新たな団長が僕らに会いたがっていると言っていたが。
 僕らが陣屋に入る頃には戦闘は終息に向かったようだ。怒号や歓声が次第に落ち着いていっているように聞こえる。
 「第四傭兵隊隊長ケビン・コスナー。ターゲット3を捕捉し、帰還しました」
 「ご苦労だった。この三人か、あの奮戦をしたのは」
 ケビンの言葉に答えがある。
 陣屋の中には三人の人物が待っていた。彼らはみな若者の域であるようだ。
 中央にいるのはケビンの言う団長であろう、机に腰かける若いニールラントの青年だ。年の頃は僕よりも若干上だろうか?
 うっすらと右頬に刀傷のある、やや長めの黒髪を持った体格の良い男性である。大剣を足下に立て、騎士団団長を示す簡素な額冠をした剣士だった。
 彼は僕とアーパス、そしてラダーをしげしげと見つめ「なんだ、思ったよりも若いな」と僕と同じ感想を呟く。
 そんな団長の隣。
 「あ、ルーンじゃないか!」
 男の一人、金髪の青年がふと声を挙げた。見るとそれはケビンと同じく、エルシルドの街の警備兵だったキースだ。
 「なんだ、知り合いか?」
 「ええ、同郷の者です」
 キースは団長に答えながら僕に振り向く。
 「キースも街を出たの?」
 「どちらかと言うと追い出された、かな。それはそうとクレアが捜してたぜ。俺達は彼女とはアークスで別れたが」
 「クレアが街を出た? どうして?」
 思いも寄らない彼の発言に僕は声を荒げる。
 「だから、お前を捜してだよ。怒ってたぜ、私を置いて行ったって」
 「置いて行ったって……そんなつもりじゃ」
 「あー、まぁ、積もる話はまた後でってことで」
 団長が困ったような顔で僕とキースとの会話の間に入った。
 彼は僕にまっすぐ向き直り、しっかりと目を見て告げる。
 「キースの友達ということは君はアークスの人間だな。率直に言って力を貸して欲しい」
 まだ若い団長はその鋭い目で僕に言う。
 そんな言葉に僕が返答する、その前だ。
 「俺はアークスの人間じゃないが」
 「私も国を持たない旅人です」
 主張の激しい同行者である二人の意見は、しかし黙殺された。
 「力を貸す、ですか。僕らはしばらくの間、国情から隔絶された所にいまして、ちょっと状況が読めないのですが。説明願ってもよろしいでしょうか?」
 彼は僕の言葉に小さく頷き「まずは」と自己紹介を始めた。
 「俺は新生した第二騎士団の団長ブレイド・ステイノバだ。そしてこっちは君は知っているようだがキース・レンブラント。で、こっちが」
 彼はキースの紹介をし、そして対面に立つ草色の頭巾をかぶった人物を指す。
 露出している部分は目許のみ。今まで一言も発することなく、存在もどこか朧な印象を受ける、男とも女とも分からない人物だ。
 「キヅキ・ヒムロ。主に情報収集に長けた――まぁ忍者という奴だな」
 「よろしく」
 小さいがしっかりと耳に届くその声は男にしては高いもの。どうやら女性のようだ。
 隠密行動を主として行なう忍者という職だけあって、纏う布地の多い衣装は色が暗く、夜には闇に同化してしまいそうな印象を受ける。
 元々は忍者の出自はお隣の龍王朝が基だが、情報が国政を左右する昨今では各国お抱えの一族を有するほどにメジャーな存在になりつつある。
 とはいえその職業柄、おいそれと目にするものではない。現に今目の前にいる彼女は僕が初めて見る忍者だ。
 じろじろと見るわけにも行かず、僕は団長ブレイドへの答えとしてこちら側の紹介を行なうことにする。
 「僕はルーン・アルナート。こっちがアーパス・ブレッドで、ええっとこちらがラダー・アクトルさん」
 「よろしくお願いします」
 続けて答えるのはラダーのみで、アーパスは興味がなさそうに僕の後ろで空なんぞを見上げていた。
 「アーパス?」
 ブレイドが僕の言葉の中の単語の一つに気にかかる部分を見つけたようだ。
 「アーパスと言うと、もしかして『水剣』か?」
 「ほぅ、良く知っていたな」
 彼の問いに彼女はやや誇らしげに頷いた。
 「俺は傭兵上がりだからな。良くも悪くもその名は聞いたことがあるよ」
 「その通り名、有名だったのか」
 思わず漏らした僕の呟きに、
 「だから良くも悪くも、だ」
 苦笑いのブレイド。一体どんな評判なのか、あとでアーパスのいないところで聞いてみようと思う。
 「では水剣殿には後ほど『依頼』という形で改めてお願いさせていただこう。まずは今の状況を説明しよう」
 ブレイドは立ち上がり、背後に掲げた周辺地図を木の枝で差しながら告げる。
 地図は南の城塞都市ガートルートと南の公国首都サザランを描いた物だった。
 「すでにザイル帝国によって龍公国の南の壁であるガートルートが先日陥とされ、その戦いで龍公ドランドを始めとして多くの者の命が落とされた」
 「は?」
 苦しげに言った若き団長の言葉が信じられず、僕は思わず疑問符を発する。
 ガートルートが陥落したのは状況から判断できた。
 しかし南の公国の国主たる龍公が戦死した?
 僕や普通の国民が知る龍公は、老域に差しかかってはいるが戦上手で有名な指揮官であり、かつ勇者と呼ばれる部類に入る人物だ。
 また何よりもその幕僚には有能な人材が揃っており、央国の国王が羨ましがるほどであるとも噂されるくらいである。
 そんな龍公ドランドが死んだ。
 僕が思いつくのは暗殺だが、それはブレイドが否定した。
 「これまでの冷やかし程度の侵略とは異なり、今回はかなり本格的なんだ、ザイルの戦力は」
 彼は敵国たるザイル帝国の布陣を提示する。
 その内容は、遊牧民を祖とするザイルには珍しい重装歩兵団二個大隊、正規弓騎士団と騎馬民兵からなる計一千。
 「この侵略勢力に対し、我々アークスは西は海賊、東は熊公の反乱が発生し、戦力が分散されてしまっている。このままでは龍公国首都どころか、央国にいつザイルの軍が入るか分かったものではない」
 「旅の途中で帝国王族のセンティナ卿が仲裁に入ったと聞きましたが」
 ラダーの言葉に彼は首を横に振る。
 「問答無用で捕まったようだ。後日、センティナ殿と供に向かったアークス騎士達の首が送られてきたからな」
 センティナとはザイル帝国の王族であり、今現在は勘当されてしまった女騎士センティナ・ガーネッタを指す。
 王族の眷属に恥じぬ強さとそして優しさを有し、彼女の自由意志により救われたザイル帝国内の町や村は多い。
 ザイル帝国は殊更に弱肉強食を国是としている部分があり、どうしても弱者の立場が弱い。これをことあるごとに救ったのが彼女と言われており、ザイル国内には勘当された今でも彼女を慕うものは多いと言われている。
 なお勘当理由は長年の仇敵であるアークスの王族と個人的なつながりを持ち、国家転覆を目論んだからとされているが、おそらく彼女の人気を恐れた血族による排他行為であるというのがもっぱらの見解だ。
 和平の為として動いたセンティナを捕えたというのは、随分と思い切ったことをするザイルの将軍だ。
 部下の中にも彼女を慕うものがいるだろうに、と思う。
 僕のこの思考にブレイドは気付いたのだろう、言葉を放つ。
 「今回ザイル帝国軍を率いている将軍の名を聞いて、これまでの奴らの勢いを納得するだろう」
 一呼吸置いて彼は続ける。
 「帝国軍将軍はミレイア・グラッセ。五年前の灼華戦争で龍王朝の民に恐怖を植え付けた魔将軍さ」
 ミレイア・グラッセ―――その名はエルシルドの学院での近代歴史書物にも刻まれている。
 ザイル帝国南部の出身と伝えられる齢三十代後半の男性で、武芸百般に秀でたザイル帝国五大頂の一人。
 世にその名を広げたのは五年前。ザイル帝国北部と龍王朝西部の国境線で生じた領土争いでのこと。
 アークス皇国ともそうではあるが、国境線上のいざこざは日常茶飯事でありこの時の争いも数ある中の一つだった。
 しかし当時、ザイル側守備隊長を務めていたのがミレイアであったことが事を大事に発展させる。
 彼は示威行為として侵攻して来た龍王朝側の一軍に対して、国境線を越えて進軍を開始したのだ。
 結果を言うと、千人規模だった龍王朝軍に対して百人程度のミレイアの一派は快勝。というよりも一方的な虐殺を演じたとされている。
 これを契機にザイル帝国軍は一個師団を国境線に投入し龍王朝に深く侵入。龍王朝側も正規軍を投入し、双方に大損害を与える大きな戦闘へと発展した。
 さてここで、何故数で遥かに劣っていたミレイアにそのようなことが出来たのか?という質問となる。
 その答えは『毒』だ。
 彼は前日に川に猛毒を撒き、下流に位置していた龍王朝軍の逗留する村ともども被害を与えたという記録が残っている。
 毒の症状は強力な全身麻痺。毒の度数が高いと全身から出血して死に至るという、暗殺者や忍の用いるものだった。
 毒は無味無臭であり魚類には無毒である上に分解されにくいという特性を有しており、村に逗留する軍人や村人のみならず、その下流域に住む龍王朝の人々を長きに渡って苦しめたという。
 この一件をしてミレイアはザイル帝国においては昇進の道を拓き、そして他国においては『毒を公然と用いる外道』という認識を広めることとなった。
 彼の行なった行為は間違いなく騎士道や、軍律で縛られている軍人の在り方から大きく逸脱している。
 何よりも非戦闘員である村人や下流域の住人に損害を与えることは、近代の戦闘においては基本的に禁止されていることだ。
 しかし効率面を考えると彼の軍には消耗もなく、何倍にもなる敵を完膚なきまで葬ったという実績が残る。
 実力や実績重視のザイル帝国においては重用されることに文句は出ないはずだ。またザイル帝国にはまだ戦争による略奪行為が禁止されていないこともミレイアが出世できる要因の一つであろう。
 目的の為には手段を選ばないミレイアはその手腕を以ってザイル帝国の実力者となり将軍位を獲得。五大頂の一人に数えられるまでになった。
 そんな将軍が率いたザイル帝国軍。どのようにして城塞都市ガートルートをどう落とし、勇猛を以って知られる龍公ドランドを斃したのか?
 そして、
 「どこまでこのアークスに食い込んでくるのか?」
 僕の思考が口から零れ落ちる。
 「ここまでだ。これ以上は俺が行かせない」
 僕の言葉を拾うのはブレイドだ。
 「で、俺達に何をしろってんだ? 個人の力なんてのは団体の力にはかなわないものだぞ」
 僕の隣で不機嫌そうに告げるアーパスに、若き団長は静かに答える。
 「その通りだ。しかし団体の力というものは個人の力から生まれているのを忘れてはいけない。先程の戦いで君達の活躍を見せてもらった」
 団長ブレイドは僕とアーパス、ラダーの目を順番に見つめながら続けた。
 「君達一人一人は一般の兵士を越えた……武将として起用できるほど充分に強い力だ。そしてそれは君の言う団体の力に大きく影響を与えるだろう」
 彼は僕に片手を差し出す。グローブを外した右手だ。
 「ミレイア将軍を討つ為に、君達のような優秀な戦力が欲しいのだ。力を貸してくれ」
 その言葉に。
 アークスを母国とする僕は彼の手を振り払うことなどできなかった。だから、
 「どうやって斃すつもりで?」
 「少数精鋭で乗り込む」
 「詳しい作戦は?」
 「臨機応変に対応だ」
 言葉を交わす内、僕は彼の手を取っていた。
 自惚れるつもりはないのだが、この団長は誰かが……僕でも良いからフォローしてあげなくてはという気持ちになってくる不思議な魅力を持っている。
 「全く。探し人がいるんじゃなかったのか?」
 ブレイドの手を握った僕に、呆れた声を上げるアーパスはやれやれとその手の上に己の手を重ねてくる。
 「アーパス?」
 「グラッセにはちょっとばかり因縁があるんでな。お前のためじゃないんだからな、ルーン」
 顔を背けるアーパス。そして彼女の手の上にもう一つの手が重なる。
 「これも縁ですね。お付き合いしましょう、貴方の持つ光も見てみたいことですし」
 「ラダー?」
 笑顔がデフォルトのラダーも加わり、ここにミレイア将軍討伐隊が結成されたのだった。


 二ヶ月程前だ。
 ブレイド・ステイノバが率いる第二騎士団を中心としたアークス皇国軍はザイル帝国から攻撃を受けている龍公国へと派遣された。
 前団長により人数が大きく減じていた騎士団は、臨時として傭兵を雇うこととなる。
 その傭兵の中にキースとケビン、そしてキヅキが含まれていたという。
 そしてすでにこの時にはアークス−ザイル間の仲裁役を買って出たセンティナ・ガーネッタが帝国軍へと向かったとされる。
 その返事が送られてきたのが一ヶ月前。
 南の城塞都市ガートルートに戦線を張っていた龍公ドランドの元へ、センティナに付き従った騎士達の首が送られてきていたのだ。
 これを契機にザイル帝国軍と龍公軍の直接の戦闘が始まることとなる。
 詳細は未だにブレイドの元へと届いていないが、彼ら第二騎士団が城壁都市ガートルートにたどり着くよりも先に、都市は陥されることとなった。
 その際に龍公ドランドと息子達である長男と三男が殺され、生き延びたのは次男の王子一人だったようだ。
 ガートルートから命からがら脱出した龍公第二王子は大きく数を減じた龍公軍を再編成し、今度は己のものだった城塞都市の北西側に陣取る形になっているという。
 「第二騎士団と傭兵団の半数が龍公軍と合流してる。俺達は帝国軍の遊撃隊を刈り取る役目についてるってところだ」
 割り当てられたテントの中、ケビンは現状説明をしてくれた。二週間ほど遊撃部隊と押したり引いたりの状態が続いているらしい。
 それはさらに前線にいる龍公軍との間でも同様のようだ。
 「しかしどうやってミレイア将軍は城塞都市を陥落させたのでしょうね? 軍勢を見てもほぼ同数だったようですし、そうしたら守る側に圧倒的に有利でしょう?」
 ラダーが椅子に腰掛けて手にした鉄の棒を布で拭きつつ問うて来た。
 ケビンは「さぁ?」と推理を放棄しているので、僕がそれについては推測する。
 「おそらく五年前の戦闘と同じ事を行なったんだろう」
 僕は地面の砂地にイリナーゼの鞘で絵を描く。
 まずは○の印だ。そして北から南へ曲がりくねった線を描いて○の印を貫いた。
 「ガートルートの水源は一本の河川だ。そのほとんどを地下水脈と化していて表には出ていないが、確かに地下には存在している」
 「アークスの北から流れてくるリュアルクの大河ですね。確かに砂漠に流れ注いでいて、いつの間にかあんな大河が姿を消しているという不思議な現象ですが」
 「地下に潜っているんだよ。そして西の鷹公国に抜けて海に注いでいるんだ」
 ラダーは僕の言葉に「なるほど」と頷く。この辺の知識もやはりエルシルドの学院で学んだものだ。
 学院では学ぶことのほとんどが役に立たない知識だと思っていたが、今こうして旅をしていると実はそんなことはないと認識せざるを得ない。
 「ということは、ガートルートに入る直前の地下水脈に毒を浸透させるか何かしたってことか」
 「そうだろうね」
 アーパスの意見に僕は同意する。
 「おそらく五年前に使用されたのと同系統の無色無臭の毒じゃないかな、自然分解もされにくい厄介なものだ。こうして都市の機能が麻痺して、ザイル帝国軍が攻め入って一気に龍公ドランドの命も奪ったと」
 「しかしそんな毒なんか使ったら、自分達も水が飲めないんじゃないのか?」
 問うのはケビンだ。
 「んー、もしくは前回のものから改良して分解性の高いものにしたのかもしれないね。それこと二、三日はもつような毒に作り変えたのかも」
 「そんなことできるのか?」
 「毒の調合や調整は暗殺者や忍の一族の秘儀らしいよ。もしかしたらミレイア将軍はそのどちらかの出なのかもね」
 もしもそうだとするとさらに厄介だ。
 これから団長ブレイド指揮の下で僕らが行なうのは少数精鋭によるガートルートへの侵入と、ミレイア・グラッセの暗殺。
 相手が本職の暗殺者や忍であったとしたら、成功する確率はガクンと落ちるのではないだろうか?
 「ところでルーン。お前今までどこをほっつき歩いていたんだ?」
 「あー、うん。まぁ、色々と」
 ケビンの問いかけにそれに僕は何となく返して有耶無耶にさせる。
 彼も詳しく聴く気もなかったのか、それとも察してくれたのかそれ以上の追求は避けてくれたようだ。
 「ところで」
 僕は問う。ラダーと名乗る青年に。
 「ラダー、どうして君もこんな作戦に力を貸す気に?」
 彼は鉄の筒を磨く手を止め、姿勢を正す。
 「細かい自己紹介がまだでしたね。私、ラダー・アクトルと申します」
 僕を含む一同に向かって深々とお辞儀。
 「私は科学と魔術の融合を探求するために旅をしているのですよ。この度のミッションは私に何かひらめきを与えてくれるものと感じまして」
 そして彼は手にした鉄の筒―――銃という物を見せる。
 「この銃も科学と魔術の融合の品。でも間違わないで下さい、私の求めているのはこんな破壊をもたらすものではありませんから」
 「科学??」
 聞いたことがない単語だ。学術体系がアークスとは結構異なる龍王朝辺りの技術だろうか?
 考えている間にケビンが前に出た。
 「よろしくな、ラダーさん。ともあれ明日から三人にはブレイド団長の直接の指揮下に入ってもらう。まぁ、直接の指揮下と言っても他にはキースとキヅキの二人しかいないけどな」
 「団長なのに騎士団を指揮しないのか?」
 僕の問いにケビンは笑って頷く。
 「あの人は傭兵あがりでな。騎士達への指揮は専ら二人の副官に任せっきりなんだよ。だからといってやるところはやる団長だぜ」
 実力はあると先程の目通しでは察したが。
 「取り合えずはゆっくりと寝ときな。明日にも特殊任務開始だって言っていたからな」
 そう言い残してケビンはテントを後にした。
 「ケビンさんの言う通り、今日はもう休んだほうが良いでしょう。アーパスさんももう寝てしまっていますし」
 ラダーの言葉にアーパスに視線を移すと、すでに彼女は橋にある簡易ベットで軽い寝息を立てている。
 「そうだね、もう疲れたし。おやすみ、ラダー」
 「おやすみなさい、ルーンさん」
 僕はアーパスに毛布をかけてから、彼女の隣の簡易ベットに身を沈める。
 戦いの疲労が今になって蘇る。僕は間もなく意識を心の底に沈めていったのだった。


 空は暗雲に満ち、叩き付けるような豪雨が大荒野を濡らしはじめたのは一刻ほど前からだ。
 左手。遠く五キリールほどの距離にガートルートの城壁が水煙の中にそびえているのが見て取れる。
 そしてそこからやや後方、南西の場所では二つの大軍がぶつかりあっているのが見えていた。
 アークス・龍公の連合軍とザイル帝国軍の戦いだ。
 「で、どうするんだ?」
 そう問うのはキース。問われたこの一行のリーダーであるブレイドは得意げにこう言い放つ。
 「キヅキの報告によれば、ミレイア将軍が丁度この場所に井戸を掘り、毒を投入した形跡があったということだ。だろ?」
 問われた忍者は頭巾の頭で小さく頷いた。
 「井戸の跡形もないけど」
 僕達六人の足元にはぬかるんだ赤土と、申し訳程度に生える雑草がまばらに見て取れるだけ。
 毒を投入した後、しっかりと埋めていったのだろう。
 「で、どうするつもりだ?」
 キースと同じ意味の言葉をアーパスが放つ。
 「なんだなんだ、ここまで言って分からないのか? いいか、耳をよくかっぽじって聞けよ?」
 「はい」
 素直に耳をほじりながらラダー。それは挑発じゃないのかな?
 「俺達もここに井戸を掘る。そして水脈を伝ってガートルートに潜入する!」
 降り注ぐ雨が一段と強くなったような気がした。
 「「は??」」
 僅かに遅れて疑問符を投げるのは彼以外の五人。
 「ここから忍び込めば街の中の井戸に出て、中に忍び込めるだろ? 俺ってスゲェ策士」
 「いや、バカだろ」とアーパス。
 「ここまでとは、いやはや」こちらはキース。
 キヅキはあさっての方向を見ているし、僕は雨に打たれすぎたのか頭が痛くなってきた。
 「私、カナヅチなんですよねぇ」
 ラダーは訳の分からないことを言っているし。いや、ブレイド案に乗るつもりか??
 「中に入っちまえばこっちのもの。城に忍び込む隠し通路も教えてもらっているんだ。主力が交戦中の今のうちに忍び込んでグラッセを後ろから」
 おおっ、とラダーが嬉しそうに顔を上げる。
 「さくっと暗殺ってことですか、そちも悪よのぅ」
 「いえいえ、殿には足下にも及びませぬ故」
 「フフフ」
 「ククク」
 「案外お前ら二人、気が合いそうだなー」
 ブレイドとラダーを眺め、キースはこちらに振り返る。
 「こんなのに任せたのがダメだった。まぁ、とにかく城壁の向こうに入れば勝機はある。なにか良い案はないか?」
 「「うーむ」」
 僕とアーパスは各々腕を組む。
 ガートルートの城壁は難攻不落として世界的にも有名だ。針の穴ほどの隙間もない。
 そう考えると、ミレイア将軍の案は倫理的にはアレだが賢い方法とも言える。
 そして。
 「ブレイド団長の案も悪くはない、のか」
 僕の呟きに、
 「いやいやいやいや」
 キースが首を強烈に横に振った。
 「地下水脈を五キリール近くも泳ぐとか、無理だろ! 息が続かないっての!」
 「いや、俺の水の精霊魔術でその辺は大丈夫だ」
 「じゃ、じゃあこれから井戸掘るのか? 掘っている間に戦いが終わっちまうぞ」
 激しい交戦中の南西を指差すキースに、今度はキヅキが対応した。
 「拙者の土遁の術でミレイアの掘った穴を再現できる」
 彼女は低い声でそう言うと、両手を濡れた地面に付けた。
 「術式起動:陰流忍術:土遁:掘削」
 一瞬彼女のコマンドに同調するように周囲に光の表示枠が現れたかと思うと、彼女の両手の下から泥水が噴出した!
 始めて見る術式だ。呪語魔術や精霊魔術、神聖魔術のどれにも当てはまらない全く異なる術法のようだ。
 やはり世界は広いと、改めて思う。
 やがて泥水の噴出は収まり、後には人一人が通れるくらいの縦穴が開いた。
 中を覗くと深遠の闇がぽっかりと開いている。
 「仕方ないな」
 僕は肩の力を落として呪語魔術の短句を唱える。
 左手に生まれるのは拳大の淡く輝く光の球だ。明かりの魔術である。
 「まったく」
 アーパスもまた精霊語を呟き、力の宿った左手で僕の肩に触れる。同様にキース、ラダー、キヅキ、最後にブレイドにも行なっていく。
 「なんだ?」
 首を傾げるブレイド。自らの包む空気に質が変容したことに気付いたのだろう。
 「水の精霊に水中での空気の供与をお願いした。激しい運動をしなければ、水中での呼吸が可能だ」
 言いながら彼女は僕を見て顎をしゃくる。先に行け、ということだ。
 僕は足元の真っ暗な穴を見下ろし、覚悟を決めて一歩を踏み出す。
 まず襲い来るのは腹の奥底がむず痒くなる浮遊感。そして数駿後には足元への衝撃と、水に包まれる感覚だ。
 手に灯る明かりが暗黒の周囲を照らし出す。
 巾にして四十リールほどの南北に伸びる地下道に見える。これが地下水脈と化したリュアルクの大河か。
 子供が背を押してくるくらいの力で水は流れを見せている。
 ザバンと音がしてアーパスが僕の隣に降って来た。そんな音は連続する。
 ブレイド、ラダー、キースの順で続き、最後のキヅキが降りてきたところで僕らは流れに乗って南へと進む。
 『ん?』
 地下水脈をおぼつかない足で進んで間もない頃だった。
 最初に異変に気付いたのは水の精霊を操るアーパスだ。
 『ルーン、何か変じゃないか?』
 『変?』
 水の精霊を介しての会話の為、どこかくぐもった声が僕達の間に均等に届いてくる。
 『なんというか、背中を押されているというか』
 『それはそうですよ』
 応えるのはラダーだ。
 『流れに乗って私達は進んでいるのですから』
 『だな。まぁ、段々と足に力を入れずにすんでいくところが便利だな』
 それはブレイドの言葉。確かに彼の言う通り、一歩足を進めるごとに進む距離はここに飛び込んだときよりも飛躍的に伸びている。
 それはすなわち。
 次第にこの地下水脈の流れが早まっているということだ。
 その原因はすぐに思いつく。地下水脈に飛び込む前、砂漠の上ではどうだったのか?
 『それって増水ってヤツじゃね?』
 キースの回答と、
 『砂地は水を吸い込みやすいですしねぇ』
 のんびりとしたラダーの言葉を最後に、僕らは猛然と背後から襲い掛かってきた水勢になすすべもなく呑み込まれていく。
 『私、カナズチなんですよねぇ』
 この時ラダーの漏らした呟きを最後に僕を取り巻く水の精霊達は散り、水をたらふく呑みながら僕は意識を失った。


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