<Camera>
 龍公国の南の要である城塞都市ガートルート。
 難攻不落で知られるこの都市の主はしかし、現在南の帝国ザイルの将軍グラッセへと取って代わっていた。
 完全に外部から人の出入りが遮断されているこの都市の中で何が起こっているのか、かつての主であるアークス皇国側の人間には窺い知る事が出来ない。
 いや。
 知ろうとするだけの余裕がなかったとも言える。そもそもこの地を『奪取』することが目的であり、そこに住まう者達がどうなっているかなどは攻めを率いる上層部には思考の外にあることであった。
 そこを突いてくるのが将軍グラッセであり、非道故に自軍に対しては最も被害の少ない戦術であるとも言える。
 現在、アークス軍とザイル軍はガートルートの北部十キリールの位置で交戦を行なっていた。
 砂漠化が進みつつある、所々にむき出しの岩が転がる荒野を容赦なく豪雨が叩きつけている。
 厚い雨雲のせいで光量も少なく、雨のカーテンにより視界が悪い中での交戦だ。
 この戦場に広がる陣形は、一塊となったザイル帝国軍をアークス第二騎士団及び傭兵団と、龍公国軍が迎え撃つ形である。
 アークス第二騎士団は敵の先鋒隊を向かえ打ち、わざとその勢いに負ける形で引く。
 敵の本隊が出てきたところで、龍公国軍と呼応し取り囲むように周囲から叩くという戦術で進んでいた。
 それはしかし、最初の一手で崩壊する。敵の勢いが計算外なのだった。
 「これは惨いな」
 第二騎士団副官であるセレス・ラスパーンの口から、計算外に立たされた者の言葉が紡ぎ出された。
 次の瞬間にはやはり周囲には初めて見せるであろう表情を浮かべる。それは表情を滅多に現さないことで周囲から認知されていた彼女ですら浮かべた――悲痛な顔だ。
 「そんな馬鹿なっ」
 前線から聞こえてくるのは自軍の騎士の叫び。
 「まさかここまでするとは。私も魔将軍を侮っていたということか。しかし、哀れな」
 最後に彼女は信奉する光の神の名を小さく呟く。
 彼女が対峙するザイル帝国軍の先鋒隊は重装歩兵の様に重たい足取りであった。
 それは視界の悪さも手伝って直面するまで正体に気付くことができなかった。
 セレスの目の前に広がるのは、恐れの表情を浮かべた部下達と、恍惚の表情を浮かべながら押し寄せる元ガートルート市民だったモノの姿だ。
 生ける死体のようにふらつきながら前進する敵兵は、思い思いの武器を持ったガートルートに住まう者達。
 男や女、子供までいる。また捕虜だったのであろうアークス兵も含まれていた。その全員がたどたどしくも、しかし確実に騎士達に襲い掛かってくる。
 「セレス様、これは?!」
 セレスを守護する騎士の一人が恐怖におののきながら尋ねる。
 如何なる難敵や、果ては怪物や龍すらも相手にする騎士だが、よもや守るべき対象に刃を向けられることには急には対処することが出来ない。
 騎士であればあるだけ、その行為は自らの存在意義を喪失しかねないからである。
 「グラッセ将軍が得意の薬を用いたのだろうな」
 淡々と答えるセレス。彼女の目前では右腕を浅く切られた農夫が、己の傷には意も解さずに手にしたクワを騎士に振り下ろしている。
 「自意識を喪失させ、痛みをなくし、己の操り人形とする。そんな魔薬は珍しいものでもない」
 答える彼女だが、それを戦場に投入してくるという考えにはある意味脱帽していた。全く後のことを考えていない。
 「常軌を逸している」
 部下の騎士が声を絞り出すように呟く。
 確かにセレスの言う通り騎士達が切りつけても、例えそれが致命傷であっても彼らは笑いながら襲いかかってくる。
 「セレス様! 我々は一体どうしたら」
 返り血で赤く染まった部下の騎士がその瞳に恐怖を称えて指示を仰ぐ。
 「計画通り退け。我々の士気が低下しては全軍に動揺が走る」
 「ハッ!」
 騎士は笛を吹き鳴らしながら指示を伝える。騎士達は演技ではなく、本気で我を争うように撤退する。
 セレスは叫ぶ。それはいけない、と。
 「愚か者、隙だらけだ! 統率を守って退け」
 しかし豪雨と混戦の中、セレスの声は一部にしか聞こえなかった。全力で逃げる騎士達の背に次々と矢が的確に突き刺さる。
 敵となったガートルートの市民達の間にザイル帝国の弓射手が多数紛れこんでいるのは確かだ。
 「陣形を立て直し、統率を以て退くのだ!」
 セレスの声が戦場に凛と響くが、甲斐もなく雨音と怒号にかき消されていった。


 アークス第二騎士団の副官セレスの発した突撃の合図である発煙筒を確認し、龍公国第二王子ドライクはどこか頼りなく剣を持つ右手を降り下ろした。
 「突撃!」
 それに応じて龍公軍本陣騎馬隊500名は懐深く侵入したザイル軍の左舷を突く。
 それを予測していたザイル軍は、龍公軍の騎馬隊を重装歩兵隊三百名で向かえ撃った。
 一方、右舷では第二騎士団の副官クレイの降り下ろした軍旗の下、アークス騎士団五十名と龍公別働隊三百名が動き出した。それに対するザイル帝国は騎馬民兵およそ四百名。
 またアークスの傭兵隊二百名が大きく回りこんでザイル帝国軍の後方を突く。
 そして後退していたセレス率いる騎士団一百名と傭兵隊一百名はゆるゆるとであるが転進。
 形では、ザイル帝国軍を四方から囲むことに成功したかに見えた。
 「よし、取り囲んだ!」
 副官クレイの勝利に満ちた確信はしかし崩される。
 半死半生の部隊を前衛に持ってきたザイル弓騎士本軍を含む三百名は、勢いに乗ったまま転進した前方のセレスの部隊を壊滅させることに成功。
 そして進路を百八十度変換させ後方へと進む。
 「い、いかん。セレス殿は一体何をやっておるのだ!?」
 クレイが自ら行動できるほどの将ならばセレスも苦労はしなかったであろう。彼はその時ザイル帝国精鋭部隊の弓騎士の照準にあったことを知る旨もなかった。
 答えを出す前に、彼は己が落馬したのを知り、そして額に何かが生えていたのを確認した。


 壊滅した正面隊であるセレス率いる第二騎士団と傭兵隊の混合部隊。
 そこは殲滅戦の様相を帯び始めていた。
 「クッ、こいつはまずいんじゃないかい?」
 ケビンは雨に冷汗を混ぜて呟いた。敵軍の進行方向が自分達の方に変わったことを感じ取っていた。
 「隊長! 引き上げましょう。うちの隊だけで七人もやられてまぁ!」
 「根性でどうにかせんかい!」
 ケビンは叫んで答える。
 彼ら傭兵隊第十八部隊の前にはザイル帝国正規兵が一糸乱さぬ攻撃を仕掛けてくる。
 「ったく聞いてねえぜ。正規兵が不死身部隊に隠れて待機してたなんてよ!」
 手にした斧で帝国兵士一人の頭を叩き割る。その惨状を見た正規兵達はケビンに向かって殺到した。
 「うぉ! やべえ。他の隊も後退を始めてやがるな」
 舌打ちをしてケビンは自分の隊にも撤退命令を出す。それに従い、彼の率いる傭兵達もジリジリと後退して行った。
 そこにケビンを狙って四人の正規兵が襲い掛かる。
 「チッ!」
 手にした斧を投げつけるが兵士達の持つ盾に突き刺さったにすぎなかった。四人の正規兵は同時に槍をケビンに繰り出す。
 「クッ!」
 残りの斧で槍を受けようと半ばケビンは死を覚悟した。
 その時、ケビンは見た。
 四つの槍が斧にぶつかる直前に風の速さで現れた龍が槍を飲み込んだのを。
 「ここは退くぞ、早くしろ」
 白い軍馬にまたがった騎士は手にした槍を血と雨で濡らしていた。
 呆気に取られたケビンは馬の足下に出来上がったばかりの四つの死体があることにようやく気付く。
 「い、一撃」
 「セレス様、あらかたの傭兵は退かせました」
 騎士が一人、白馬に跨った騎士セレスに報告する。
 「そうか。おい、私の声が聞こえているのか、退くぞ」
 龍を形どった槍・龍槍ガウディを手にした騎士セレスはケビンに言い放ち、騎首を背後へと変えて走り出す。
 「へ、へい!」
 ケビンは慌てて二人の騎士の後を追いかけた。


 龍公国第二王子ドライクは脅えていた。
 彼だけではない。龍公国軍兵士の皆が脅えていた。
 魔薬を飲まされたガートルートの市民達は戦闘力は非常に低く、その数こそ一百名にも満たないものであった。
 与える恐怖と耐久性からセレスの率いる正面アークス軍を動揺させた後、左舷を攻めていた龍公軍の前に姿を現した。
 正面にザイルの重装歩兵団、右に不死隊の出現。
 不死隊が与えた動揺は、特に彼ら龍公軍には高い効果を上げていた。
 「あれは俺の兄だ、切るな!」
 「俺の息子がいる、やめてくれ!」
 ほんの少数に過ぎないが、それは大きな声となり心当たりのある者の手を鈍らせていたのである。
 そんな龍公軍に重装歩兵の頑丈さと、忍んだ弓騎士の正確性が襲い掛かる。
 そんな統率なく崩れかけた龍公軍はしかし、余程手慣れた軍師でもいるのか取り合えずの秩序は保っていた。
 「ドライク様、これは撤退の時です。今を逃せば軍の秩序は失われ、我々の完全な負け戦となりましょう」
 軽装の女性が厳しい声で戦いに脅える君主に進言する。
 「しかしローティス」
 「戦術的撤退です」
 ローティスと呼ばれた女性は騎上から確固たる面持ちで言う。
 「いや」
 ドライクはようやくここに来て自信を以って軍師に同じ馬上で対面する。
 「もう少しすれば戦局が打開するような気がするのだ」
 ドライクの言葉にローティスはウェーブの掛かった長い金色の髪を掻きあげ溜め息をついた。
 「殿下、指揮官たるもの戦いを感で行ってはいけません」
 「しつこい、黙って見てろ、ローティス!」
 元来、英雄ドランドの背を見て育った次男のドライクは独断専行の気が強かった。
 また対立する意見については頑として耳を貸さず、己の意志を貫くことを身上としていた。
 それをドランドは褒めはすれど注意することもなく、英雄に欠陥があったとしたら我が子への指導が間違っていた点だろう。
 ともあれこの時点で、これまでローティスが敗走の中で立て直してきた龍公軍の半数が脱落することとなる。
 そして。
 「突撃だ、突撃!!」
 叫ぶことで自らを鼓舞し、己も騎上で走り出したドライクが四方から飛来した鋼鉄の矢に次々と貫かれることとなる。
 「全軍、撤退!」
 ローティスの言葉はドライクの言葉として伝えられ、辛うじて残された伝達網を用いて速やかな撤退が行われた。


 副官クレイを失った右舷。
 胸まで延ばした髭を血で赤く染め、巨漢の中年はアークス騎士団の指揮代行を行っていた。彼の指示は速やかなる撤退である。
 「美髭殿、全班の撤退が完了しました。お早く」
 「おうよ!」
 長い柄の付いた斧でザイル騎士を一人葬り、彼は答える。
 彼の名はガロン・クンスト。仲間内では美しい黒い髭を持つことから東の龍王朝に伝わる英雄にあやかって『美髭』と呼ばれている。
 ブレイドの副官クレイがザイル弓騎士の手にかかり殺されたのは戦いが始まってから間もないことだった。
 それ以来ガロンを中心とした、クレイら上層部からの回し者である縁故派と対極にある実力派が、右舷を攻めるこのアークス軍を指揮していた。
 最もこのガロンの行動はセレスの息のかかった『保険』ではあるのだが。
 「よしっ、引き上げだ!」
 ガロンは部下と供に馬を正反対の方向へと走らせた。


 西の空はすっかりと雨雲が取り払われ、血のように赤い夕日に染まっている。
 あれだけ降った雨はすっかりと止み、戦場は雨か血かで分からないほどにぬかるんでいる。
 この戦いはザイル側の勝利に終わった。だがどちらかが壊滅しないかぎり戦いは終わらないのであるから、最終的な勝ち負けはこの段階で言えることではない。
 最も勝ち負け以前にアークス側は『当初の目的』を果たしたのだから充分であるかもしれない。
 とはいえ、アークス側はこの戦いで甚大な影響を受けていた。戦力の五分の一近くが失われ、怪我人はその倍に上る。そして何よりその士気の低下が問題であった。
 それはザイル帝国が引き上げた後に、未だ進軍を続ける元ガートルートの市民の姿にあった。彼らは結局その足でアークス軍の駐屯地まで押しかけてきたのである。
 駐屯地前に仕掛けた油で火攻めにすることにより倒すことができたが、目の前で生きたまま火葬にされるのを見せられて気分の良い者はいない。
 それも何の罪もない、元は仲間であった市民である。
 その中には子供もいたのであるから軍の士気の低下は見るも明らかであった。
 「やはり火攻めはまずかったのでは」
 ガロンの言葉にセレスは首を振った。
 騎士団長なき幕陣にて、副官クラスが戦況後の報告を交換し合っていた。
 「あの魔薬を飲まされた者は決して元には戻らない。燃やすか首を切り落とすかしなくてはいけないのだから」
 「こちらとしてもこれ以上損害を受けないためにもあれしか方法はなかった、ということか」
 疲れた顔でケビンは息を吐く。
 「殿下も亡くなったし、龍公軍も統率が取れそうにないわ」
 金色の髪を撫で付け、ローティスもまた疲れた声で呟いた。
 「反対にうまく行のではないか? 内心そう思っているのだろう」
 男装の騎士セレスの言葉にローティスは演技だったのだろう、落胆の表情を止めて舌を出す。
 「あら、分っちゃった? ま、弔い合戦ということで連中は丸め込めるわ。でも久しぶりね、貴方とこうして会うのは学院時代以来…」
 「ローティス、そんな話は後だ。ガロン、君は騎士の中から五体満足でそこそこ腕の立つ者を集めてきてくれ。明日の朝までにだ。それと団長の情報が入り次第、私に報告してくれ」
 「了解しました」
 ガロンは答え、幕陣から出て行った。
 「ケビンは傭兵隊の再編成を。今回の戦いでは最もうまく状況に対応できたのが傭兵隊だ。皇国魔術師隊の編成も込みで振り分けを頼む」
 「お、俺で良いのか? ガロンの旦那でなく?」
 「傭兵の方は傭兵である君の方が分かるだろう。それに私にも人を見る目はあるものだ」
 「ふむ、じゃあ期待に応えますかね」
 ケビンは不敵に微笑むと手を振りながら幕舎を出て行く。
 静かな部屋の中に二人の女が残ることとなる。
 「ようやく二人きりになれたわね」
 ローティスは椅子に座り直して目の前の男装の騎士に言った。セレスはその視線に交わる事なくお茶を煎れ始める。
 「学院を出たのは私達が十六の時。もうあれから五年が経ったのね」
 揺れるローソクの炎を眺めながらローティスは呟くように続けた。
 「私は龍公の下で策士として動いていたけど、貴女は一体どうしていたの? 男装なんかしちゃって。今では騎士を気取っているなんてね」
 ローティスの前に紅茶の入ったカップが置かれる。
 「色々とあったのよ。そう、色々とね」
 部下のガロンですら見たことのない柔らかい表情でセレスはローティスの前の椅子に座った。口調が女性のものになっている。
 「私がもう少し、諦めやすい性格だったら良かったのにね」
 寂しそうに笑って、セレスは紅茶を唇に寄せる。
 昼間の豪雨の面影がすっかりと鳴りを潜め、満天の星々がアークスの草原を見下ろしていた。

<Rune>
 僕は暗闇の中で目を覚ました。
 下腹部に水の流れを感じる。どうやらあの一件でどこかに漂着したようだ。
 「良く生きていたな」
 思わず漏れた呟きが、案外大きな声となって辺りに響く。
 地下水路に侵入した際に発動させた魔術の明かりは、光量はかなり落ちてはいるものの、まだ僕の周囲に浮かんでいた。
 仄かな燐光に照らされた周囲を僕は観察する。
 足下には膝までの深さの川が流れている。水底は砂利であり、天井は人工と思われる石の壁であった。
 どこかの建物の隠し地下室と言った感じかも知れない。
 およそ十リール四方の部屋。といっても地面をくり抜いて地下水脈につなげた、いざというときの逃げ道であろうか。
 腐りかけているが小さなボートが置いてあり、食料の残骸や生活必需品のようなものが積まれていた。
 かなりの年代物であるらしく全て崩れかけている。
 用意した人物はよほど面倒くさがりなのか、もしくはこの世にいないのかもしれない。
 ふとボートの陰に動くものを見つける。
 「君はキヅキじゃないか!?」
 僕は駆け寄って起こそうと頭からかぶったフードを取る。中性的な雰囲気のある黒髪の女性の顔が覗いた。
 「う…」
 苦しそうな呻き声が漏れる。
 色白な顔だと思ったが、どうも急激に体温を奪われた為に高熱を引き起こしているようだった。
 「大丈夫そうじゃないな。とにかくどこかで温めないと」
 僕はここからの出口を捜す。地下水脈を腐りかけのボートを使って下るだけの度胸は正直ない。
 するとこの地下室が設置されていると考えられる建物の中に出るしかないか。
 キヅキを水の中から引き出してボートに乗せ、僕は天井の石壁を探る。
 その中に動く石の板を一つ見つけた。ここから外に出られそうだ。
 しかし出た先が一体どこかが問題だ。それこそ敵陣の真っ只中などといったら元も子もない。
 「ええぃ、ままよ!」
 僕はゆっくりと石の板を持ち上げ、外の景色を見る。
 外は夜のようだ。
 大きな礼拝堂にローソクの明かりだけが灯っていた。そして礼拝堂のステンドグラスには光の神が描かれている。
 「ここは光の神の神殿か」
 ガートルートへの侵入は成功したようだ。他の連中は一体どうなったのだろうか?
 はぐれた四人を思いつつ、僕はそっと外に出た。
 光の神の神官ならばアークスの者である僕達を悪くは扱わないであろう。
 「さてと、神官達はどこに」
 「動くなよ」
 男の声。同時に背後から首筋に刃物が突き付けられていた。
 「いつの間に」
 全く気が付かなかった。レナード師の元での修行で人の気配にはかなり敏感になったはずなのだが。
 「面倒だ、消えてもらうぜ」
 慈悲の色は皆無。
 ぞっとする声を耳元で囁き、突然の敵は首筋の刃に力を込めてきた。
 「ガッ!」
 そう呻き声を挙げて離れたのは敵の方。魔剣イリナーゼを通して鞘越しに敵の左腿に電撃を食らわせたのだ。
 「チッ」
 敵は闇に乗じて信じられないスピードで僕に切り付けてくる。
 数合は完全に交わしきれずに衣服を浅く裂かれたが、次第にタイミングがつかめてくる。
 「今だ!」
 僕は敵の繰り出した短剣の一撃が伸びきった瞬間を狙って魔剣イリナーゼの柄頭で叩き折った。
 「やるな」
 相手はそう声を発して再び間合を広げ、今度は背負っていた剣を抜く。いやそれは剣ではなく刀だ。
 天窓から漏れる月明かりに刀身が濡れ光る。それは間違いない、毒が塗られている証だ。
 「!? コイツ、忍者か」
 僕に気配を感じさせない技といい、素早い動き。それに毒塗りの刀という武器は敵が忍者という暗殺者のエキスパートであることを確信させた。
 そもそも忍者とは遥か東方の国で幼少の頃より特別の訓練を受けたスパイの一族であるというが、そのノウハウは盗賊ギルドでも管理しているという噂だ。
 そう言えば下で寝かせてあるキヅキも忍者だったか。出会いが重なることもあるものだ。
 その忍者が刀を抜いて切り掛かってくる。僕はそれをレナード師の教えの通り、最小限の動きでかわし反撃する。
 敵の刀は僕の魔剣を弾き、かつ弾き返す。共に相手への致命傷を狙う軌道ばかりだ。
 力量は僕と同等か。
 攻めるにも攻めきれず、引くにも引けない戦いが継続する。
 そしてこの剣撃を聞きつけて燭台を手にした神官達がやってきた。
 「ザイルの者か!」
 「神域を荒らすとは!」
 神官達の言葉に答えたいが暇がなかった。次々に足音と蝋燭の明かりが集まってくる。
 その時だ。
 「おごぅ!」
 忍者が何か見えない力に突き飛ばされたようにいきなり真横に吹き飛び、壁に激突した。
 「やっぱりルーンお兄ちゃん、どうしてここにいるの?!」
 突如湧き出てきた懐かしい声に振り返るとそこには妹分の神官――クレオソートの姿がある。
 「ク、クレア?! どうしてここに。エルシルドじゃないんだぞ、ここ」
 「当たり前でしょ! わ、私だって旅に出たい時があるんだから。 あ、みなさん、この人は私の兄ですから平気です」
 クレアの言葉に神官達は訝しみながらも胸を撫で下ろして戻って行った。
 「クレアさんよ、何も俺を吹き飛ばすことはないんじゃないか?」
 頭を抱えながら先程の忍者がクレアに抗議する。
 クレアの持つ燭台の蝋燭に照らされた顔は金色の髪を持つ、僕と同年齢くらいの青年だ。
 「ああでもしなきゃ、止まんないでしょ。怪我もないんだから良いじゃないの。あ、ルーン兄ちゃん。あの人はアレフ。アレフ、この人がルーンよ」
 「そうか、すまなかったな。よろしく」
 「はぁ、アンタがルーンか。聞いてたのとイメージが違うな。こちらこそすまなかった、よろしくな」
 アレフという名の忍者は椅子に腰掛けながらそう応えた。取りあえず安全は確保できたということか。
 「クレア、話は後にして僕の仲間を診てくれないか? 熱が出ているみたいなんだ」
 「ええ。で、どこにいるの?」
 「今、連れてくる」
 僕は再び地下に戻り、顔面蒼白でボートの上に寝ているキヅキを背負う。
 背中越しに彼女が小さく震えているのが分かる。
 「こんなところに地下室があったのね。誰も知らないんじゃない?」
 「前の司教が作らせたんじゃないのか?」
 「数年前にぽっくり逝っちゃったらしいの。色々黒い噂があった人らしいわよ」
 そんなクレアとアレフの会話が聞こえてくる。
 「二人とも、手を貸してくれ」
 「ああ、分かった。って、お、お前はキヅキ?!」
 アレフは僕の、いや背中のキヅキを見るなり刀を突き付けた。対してキヅキは当然意識がなくぐったりとしたままだ。
 「はいはい、あんたは引っ込んでなさい」
 「ぐはっ!」
 クレアはアレフは再び魔術で吹き飛ばし、僕にキヅキを奥の部屋へ運ぶように促したのだった。


 僕は修道院の簡素なベットにキヅキを横たえる。
 意識を失いながらも荒い息をするその忍者は、顔を覆う濡れた頭巾でさらに苦しそうだ。
 「さて、殿方は出て行ってもらいますからね」
 クレアの言葉に僕は頷き、入ってきた扉へと向かう。と、目の前には首を傾げるアレフの姿がある。
 「ほらそこのスケベ忍者! さっさと出て行ってよ」
 「ちょ、ちょっと待った、クレア。なんで……ほほぅ」
 何故かニヤリと笑みを浮かべる他称スケベ忍者。
 「男の裸を見たいのならいつでも俺のを見せてや……」
 彼の言葉はまっすぐに飛んできた木製の椅子が、彼の顔面に躊躇なく炸裂することで堰き止められる。
 「この子は女の子じゃないの。見て分からないの?」
 「は?」
 鼻を押さえつつ、投げつけられた椅子に腰掛けるアレフ。
 「おいおい、かつて陰流忍軍で名を馳せる『土遁』のキヅキが女だって? またまたご冗談を」
 「女の子よ」
 「いや、女の子だろ」
 笑って言うアレフに、クレアの「さっさと出て行け」オーラを纏った言葉と僕の感想に彼は表情を凍りつかせた。
 「そんな馬鹿な。俺の最強の敵は女だったって言うのか?!」
 絶句するアレフに、
 「いいからさっさと出て行けー!!」
 クレアの打撃を伴う神聖魔術がアレフを、僕も巻き添えに部屋から叩き出した。
 「ったく」
 暴力司祭は静かになった部屋で一人溜息。
 「あれだからアレフは女の子に逃げられて、お兄ちゃんはいつまでも彼女ができないのよ」
 その呟きはやけに大きく響いたのだった。

<Camera>
 ぴちょん
 自然石の荒さをそのままにした凹凸激しい床に、天井から定期的に水が滴り落ちる。
 居住性など無視をしたその空間は、一本の通路に沿って左右に小部屋が葡萄の房のようにいくつも連なっていた。
 通路と部屋との間を阻むのは、太い鉄格子。
 赤錆が浮いてはいるものの、人の力では変形させることはままならないだろう。
 そこは薄暗い石牢だった。
 ガートルート城地下牢―――もともとは岩山だったこの地をくりぬいた名残を残すのは、街をぐるりと囲む城壁の一部と、そしてこの地下牢だ。
 そしてこの牢獄は、先日の戦に『死兵』として狩出された結果、多くが部屋の主を失ったばかりである。
 灯りはわずかに四、五リールおきに通路に掲げられた蝋燭の明かりのみ。
 そこに彼らは閉じ込められていた。
 「う…む」
 暗闇の中、一つの影がうごめく。
 そして素早く上体のみを起こし、左右に注意を走らせる。結果、捕捉したのは同じような影が二つ。
 「起きたか、ブレイド」
 二つの影のうちの一つがそう、声をかけてくる。
 「ふぅ、捕まったのか?」
 首をコキリと鳴らし、彼―――ブレイドは闇の中の二人に視点を合わせた。
 一人はアーパス。そしてもう一人は見知らぬ女性。
 「間抜けな話だ。城内の井戸に俺らは引っかかっていたそうだぜ」
 「捕まったというより、助けてもらったという方が正しいかもしれませんね」
 答えは彼の後ろから。振り返れば同じく鉄格子。
 正面の鉄格子の向こうには同じような部屋があり、キースとラダーの寝そべっている姿が見て取れた。
 「あの二人は捕まっていないようだな」
 ブレイドはルーンとキヅキの姿が見えないのを確認。そして改めてアーパスの隣の女性に振り返った。
 「で、アンタは誰だい?」
 体躯はアーパスよりも一回り大きい印象を受ける、金色の髪を持つ女性だ。
 陰気臭いこの地下牢にあっても、どこか『栄える』印象が付きまとう。
 ブレイドはこの感覚を知っていた―――生まれながらの貴族のそれである、と。
 「私はセンティナ・ガーネッタ。アークスの使者としてグラッセの元を訪れた者だ」
 乾いた笑いを浮かべて彼女は金色の髪を整えながら言う。
 「そうか、アンタがガーネッタ家の息女か」
 彼はあらかじめ予想はついていたような口ぶりで頷く。
 「救出作戦もまとめてできるってのは、手間が省けて良いな」
 勢いよく立ち上がり、気楽に言葉を続ける。
 「さっそくこんな辛気臭いところから出ようぜ」
 だが同室の二人と別室の二人の反応はない。
 「どうやって鍵を開けるんだ?」
 センティナの言葉にブレイドの動きが止まる。目の前の鉄格子を彼は握り、押したり引いたり、伸ばしたりもしてみる。
 当然、びくともしない。
 「そういやキヅキの奴はいないんだよなぁ」
 忍者である彼女の能力を以ってすれば、解錠など容易いだろうが。
 「なぁ、アーパス。水の精霊とかにお願いしてドカンと開けられね?」
 「大雑把な奴だな」
 アーパスは呆れた顔で一軍の将たる男を眺める。
 「ちょっとそういう系統の魔術は知らないな」
 「そっか、なら仕方ない。剣さえあればこんな鉄格子なんぞ軽く叩き切れるんだがなぁ」
 ぼんやりと呟くブレイドにアーパスは目を光らせた。
 「本当だな?」
 「俺の剣技を知らん奴は皆そう言うんだよなー、いつの時代も天才とは受け容れられがたいものだ」
 ヤレヤレ、とブレイド。他の皆は聞き流している。
 アーパスは「まったく」とぶつぶつ呟きながら、天井から滴り落ちる水滴の行き先―――足元の小さな水溜りに右手を漬けた。
 「出ませい、乙女の八重歯。硬くも脆い、無垢なる刃よ」
 そして右手を引き上げると、まるで浅い水溜りに穴が開いていたかのように、一本の剣が引き出された。
 途端、周囲の温度が強制的に引き下がる。もともと肌寒かった地下牢が凍てつくほどとなる。
 「ほら、剣だ。やって見せろ」
 アーパスは長剣をブレイドに渡す。それは透明な刀身を持った、すなわち氷の刃だった。
 「なるほど、なかなか面白い芸だな。見てろよ」
 氷の剣を下段に構え、ブレイドは目を閉じた。
 数瞬の緊迫した緊張の後、それを突き破るかのように彼の持つ剣が二筋の光を放った。
 「ハァ!」
 掛け声を共にして鉄格子が上下にきれいに寸断され、金属音をたてて石畳に転がる。
 「「おおー」」
 思わず漏れる歓声。
 「本当に切ったな」
 センティナが先程まで鉄格子であった鉄棒を拾い上げ、その断面を見る。まるで熱したナイフでバターを切ったかのような、なめらかな切り口だった。
 「居合い切りという技だよ。剣に全意識を集中させることでどんなものでも切れる、ことにはなっている」
 切れないものもあるのだろう、自信なさげに彼はそう言うと、立て続けにキース達の牢の鉄格子も切り落とした。
 「このまま一気に看守室まで乗り込むぜ!」
 アーパスに剣を投げ返し、ブレイドは鉄の棒を掲げて仲間達に言う。
 それと同時だった。
 騒がしさを耳にした看守が通路に足を踏み込むのは。
 「き、きさまら!」
 その看守の頭に高速回転した元鉄格子の鉄棒がぶち当たり、そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
 一撃を放ったのはセンティナだ。
 「やるねぇ」
 キースは駆け足で通路の向こう、看守室まで移動。現状を確保する。
 「お、運が良いな。ここに俺達の荷物が全部あるじゃねぇか」
 気絶した看守を部屋にあったロープで縛りながらキースは喜ぶ。
 遅れてやってきたブレイドらは自らの武器を回収。
 「センティナさんは剣を使いますか? それとも槍? 斧なんてのもありますよ」
 ラダーが倉庫を掻き回しながら尋ね、それに彼女は剣と答える。
 一通り回収と準備を終え、監守室を占拠したブレイド一行は今後の身の振り方の協議に入った。
 「雰囲気からして俺が団長だって事はバレていないらしいな。城に侵入もできて一石二鳥かもしれん」
 「おい、このままグラッセ将軍の元に押し寄せるつもりか?」
 センティナの驚いた顔にブレイドは大きく頷く。
 「二人欠けちまってはいるが、予想範囲内でもある。この戦力なら行けるんじゃないか」
 「そこは無理でも『行けるだろう』と言うべきだろ、団長なら」
 キースは苦笑いで言った。
 「しかしグラッセ将軍は強いぞ。その取り巻きも手練れが多い。倒せたとしてもその後はどうするんだ、逃げ出せるのか?」
 センティナは心配そうに尋ねる。
 「なぁに。成せばなるさ」
 「なるようになるの間違いじゃないのか?」
 再びキースのツッコミ。
 「若いっていうのはいいことだなぁ」
 「おいおい」
 アーパスは額に汗しながらブレイドを睨んだ。
 「なるほど、こういう連中か」
 センティナは明らめたように笑った。
 「ここまで来たら行くしかないだろ、文句は終わってから言えよな!」
 そして。
 ブレイドはゆっくりと看守室から城の一階とつながる扉を開けた。

<Rune>
 固めのベットの中で、僕は神官達の朝の礼拝の歌声に目を覚ました。
 ここには神官達の他に先のザイル軍ガートルート攻略の際、親を失った子供が数多く保護されている。
 僕は良く眠っている彼らを起こさないように部屋を出た。
 きれいに掃除されている大理石造りの廊下を歩きながら、僕は礼拝の聖句が聞こえる方へと向かう。
 静かに響く多人数の歌声の主の一人は、僕の良く知るものだ。
 昨夜、僕とキヅキが地下から現れた礼拝堂にはステンドグラス越しに朝日が入り、教壇に立つ一人の神官とそれを聞く二十数人の神官達を幻想的な光で包んでいた。
 「良く眠れたか?」
 背中からの声に、僕は驚く事なく振り返る。
 金色の髪を淡い朝日に光らせ、ブラウンの瞳が僕の向こうで歌うクレオソートに注がれている。
 アレフだ。昨夜の様子だと、キヅキとは悪い意味で面識がありそうだ。
 「おはよう。おかげ様でね」
 答え、僕は視線を戻す。神官達の朝の礼拝は終わり、クレオソートが僕達の方へ足早に駆け寄ってくるのが見えた。
 「おはよう、二人とも! ルーンお兄ちゃん、しっかり眠れた?」
 「ああ。おはよう、クレア。キヅキの様子を知りたいんだが」
 「うん、ついてきて。もう起きてるんじゃないかしら。熱は下がっていたし」
 彼女の後に従いながら、僕とアレフは歩を進める。
 クレアは昨夜キヅキを運び込んだ部屋の扉をノックして開く。
 「起きたかい、キヅキ」
 ベットに腰掛けた彼女は、やや眠そうな目で僕に視線を合わせたが。
 「!?」
 僕の後ろの男に気が付き、何処から取り出したのか、短刀を抜いて構える。
 「よせよ、俺は女には手を上げない主義なんだ」
 背後からのアレフの言葉に、しかし当然キヅキは警戒を解かない。
 「何があったかは分からないけど、もし彼が君を殺すつもりなら昨日できたはずだろ? 安心しなよ」
 「……」
 僕の言葉にキヅキは後ろのアレフと交互に視線を運ぶと、ゆっくりと短刀を下ろした。
 ごーん、ごーん、ごーん
 神殿の鐘が鳴り響く。
 「はいはい、朝食の時間よ。今、育ち盛りが多いから急がないと取り逃がしちゃうわよ」
 クレアが思い出したように言ってアレフの襟を後ろから掴んで引きずって行った。
 結果的に、部屋には僕とキヅキが残される。
 「調子はどうだい? クレアの話だと疲労からきた風邪だそうだが」
 「…」
 寡黙なのは性格かららしいな。僕は近くにあった椅子に腰掛ける。
 彼女は短刀をしまってそんな僕を見つめる。その瞳は黒く、深い闇を思わせた。
 寂しい瞳だと、ふと思う。そしてそれは不意に揺らめき、視線は僕から外れた。
 「私の一族は一人の男によって滅ぼされたと言っていい」
 彼女は突然、低く小さな声で語り出す。
 急に身の上話を話し出すのには何か意味があるのだろう。黙って聞き手に回ることにした。
 「その男は私達の里に、偶然にも侵入してきた。大怪我をして川上から流れてきたんだ」
 敵意のある者は侵入できない結界が敷かれているのは、隠れ里にはよくある話だ。
 「当時の私の父、長老は気まぐれにも彼を救うことにした。私の姉の手厚い看護によって、彼は一命を取り留めた」
 遠い目をして語る彼女は、懐かしむような、そして悔いているような複雑な表情をしていた。
 「彼は記憶を失っていた――と言ってたが、それは嘘だった。深い傷を癒しながら、巧妙に村に溶け込んでいった」
 ありがちな話、と言えばそうなのだろう。だが実際に実行に移すとなると、演技の面でも相当の技量が必要だろう。
 「彼は真面目で、優しく、そして天才だった。僅か三年で彼は天性の才能と努力を以って我々の流派で一流の技術を持つ忍者へと成長してしまった」
 遠くで子供達の聖歌が聞こえてくる。僕は静かに彼女の言葉に耳を傾けた。
 「彼は長老の娘、すなわち私の姉を嫁に娶った。私にとってそれは誇りであり、優しい義兄は憧れでもあった」
 そこまで言って彼女は無表情のままシーツを強く握る。
 「しかし奴はある日、村に代々伝わる秘宝の珠を盗み出し、今まで身に付けた技術を私達に試しながら、村に火を放ち去って行った」
 ギリ、と歯を鳴らして彼女は俯いて呟く。
 「私は真っ先に切り殺された姉の骸の下でかろうじて生き永らえた。もう五年も前の話だ」
 そして彼女は顔を上げると再び僕を見る。黒い瞳には強い決意の色が見えた。
 僕には『彼』が誰か分かっていた。いや、今の話で推測ができ、結論に達した。
 その名が僕の口をついて出る。
 「そうか、それがザイルの魔将軍ミレイア・グラッセ」
 五年前に人の行いを逸脱した行動で大戦果を挙げ、ザイルの五大頂の一人に数えられるまでになった謎の男。
 なるほど。キヅキの一族に伝わる忍術を網羅したというのならば、その技術を総動員すれば不可能ではない。
 キヅキ・ヒムロは故に彼を追っている。復讐のために。
 彼女は僕に告げる。宣言するように。
 「一族と、父と、姉を裏切ったあの男を許さない。そして」
 短刀を強く握り締め、彼女は言う。
 「そして、そんな男を一瞬でも慕ってしまった私自身を許せない。だから私はなんとしてもあの男を倒す」
 「そうか」
 今はブレイドもいない。キースも、アーパスも、ラダーもいない。
 ミレイアに立ち向かうのは彼女と僕の二人だけ。倒せるのか?と問われれば、ここは退くべきだろう。
 だからこそ彼女は話したのだ。
 例え一人でも、ミレイアの許に向かうつもりだから。
 「そうだよな」
 僕は苦笑い。一人で行かせることなんて、できるはずがない。だからせめて、少しでも勝率を上げる為に動かなくてはならないな。
 「勝たないと、な。その為にも今の内にゆっくり休んだ方が良い。何か消化の良いものを持ってきてあげるよ」
 「あ…」
 何か言いかけて、しかし言葉を呑んでしまった彼女を置いて、僕は静かに部屋を出た。


 僕とキヅキ、そこにクレアとアレフを含めた四人は、テーブルの上に拡げられた城の見取図を見て模索していた。
 キヅキが持っていたこの地図は、城内の通気口まで記されている細かいものである。
 「侵入者が捕まったっていう情報は確かなのか?」
 「ああ、四人らしい。酒場にたむろしてた昨晩担当の警備兵達が言ってたぜ」
 クレアの淹れてくれたお茶を手にしながらの僕の問いに、アレフはあっさりとそう言った。
 四人の内訳は考えるまでもないだろう。しかしよくも助かったものだ。
 「捕まっているとしたら、この地下の牢屋だろう」
 キヅキが地図上で指し示すのは最下層。岩盤を掘って作られた城の基底部分だ。
 「でもあの面子からして、すでに抜け出してる恐れがあるな」
 「確かに」
 頷き合う僕とキヅキ。そこにクレアが割り込んだ。
 「どの道放っておけないんでしょ? 行くしかないじゃない。私が付いて行くんだから安心なさい」
 「「ちょっ?!」」
 クレアの言葉に僕は飲んでいたお茶を吹き出しそうになる。隣のアレフも同様だ。
 「何でクレアが来るんだ? 関係ないだろ?!」
 「何でまた自ら虎子もいない虎穴に入ろうとするんだ?!」
 僕とアレフの問い詰めに、彼女はアレフを無視して僕に言った。
 「関係あるわよ。孤児達をよこせってザイルの兵隊達が来るんだもの。止めさせるには親玉を叩くのが一番手っ取り早いでしょ?」
 「絶対駄目! 怪我でもしたらどうするんだ?」
 しかしクレアは引き下がらない。
 「お兄ちゃん、言うようになったわね。怪我をしていつも治してあげたのは私の方じゃないの!」
 「おいおい、情けねぇ兄ちゃんだな」
 すみっこで黙ってろ、アレフ。
 「で、でも駄目ったら駄目!」
 昔のことを持ち出されて言うに言えなくなってくるが、ここで引き下がったら負けである。
 「それって、私を心配してくれてるの?」
 声のトーンを落としてクレアは尋ねる。
 「当たり前だろ!」
 「だったら……だったら何で一人で旅に出ちゃったのよ、心配してるんだったら一緒にいてよ! もう、もうお兄ちゃんと離れるのは嫌なんだから!!」
 涙を貯めてクレアは叫ぶようにして言い放つ。
 えーっと、どういうことだ? クレアがここガートルートにいるのは教会からの指示とか、そういうのではないのか??
 助けを求めるようにアレフに視線を走らせるが、知らんと言わんばかりにそっぽを向いている。
 「わ、分かった。連れて行くから……泣くなよ」
 どうしたら分からず僕はつい、そう答えてしまった。
 クレアはぴったりと泣き止み、表情が笑みに変わる。
 「しっかりと聞いたからね」
 「き、汚いぞ、嘘泣きか?!」
 「違うわよ、本当だったんだもの。でもそれよりも嬉しさが多かっただけ」
 「あぁ、もぅ」
 僕は溜め息を吐く。
 「クレアが行くのなら俺も行こう。どうも君の兄ちゃんは頼りなさそうだからね」
 「悪かったな!」
 言うアレフに思わず怒鳴り返す。
 ともあれ、これでこちらの戦力は4人となった。捕まっているブレイド達を救い出せれば―――場合によってはすでに脱出してミレイアの許を目指しているかもしれないが、だが―――ミレイア打倒も現実味を帯びてくる。
 「まずは城への侵入方法だが」
 キヅキが一つの侵入経路を示した。それは今は使用されていない城への水道管を伝って行くというもの。
 かなりの距離を匍匐前進しなくてはいけないし、何より僕やアレフの体格だと厳しいものがある。
 「それよりも、だ」
 アレフが示すのは東の城壁を登っていくというもの。
 ちょうど物見台から陰になるラインがあり、そこを垂直に登ることで侵入は果たせそうだ。
 さて、どうすべきか。
 僕は隣のクレアを見る。
 二つの案を聞いた彼女は笑顔でこう言った。
 「いや、私は人間だから」
 「「え?!」」
 どうやら密閉空間での長距離の匍匐前進も、命綱なしの垂直壁登りもお気に召さないらしい。
 僕も同意見ではあるが。
 「リスク分散ってことで、二人はそれぞれルートで行けばいいと思うわ」
 では僕らは?
 「もっとスマートな良い方法があるの」
 そう言ったクレアの意見は、僕にとっては忍者からの二つの案以上にロクなものではなかった。


 僕はクレアの後ろに隠れるようにして許可が下りるのを待つ。
 「いつもと違うな」
 全身鎧に身を固めた兵士が金色の髪の娘に尋ねた。
 「ええ、担当の者達は今日は書庫の整理に忙しいので我々が参りました」
 「そうか。いいぞ、通れ!」
 「貴方に光の神の加護がありますよう」
 クレアと僕はしずしずと城門をくぐり抜けた。
 慣れない長衣のローブはゆったりとしていて、その下に身に付けた剣なども隠してくれる。
 クレアの提案した方法は、神官として城内に侵入すること。
 城内のザイル帝国兵士にも、彼女の信奉する光の神の信者は多くあり、告解やらなにやらの為に定期的に神官は派遣されるのだという。
 今回の僕達二人の表の仕事は城内にある光の神を祭った祭室の掃除だ。
 しかし、だ。クレアはそのままでいいのだが、僕にとってはこの変装は問題があった。それは……。
 「キヅキとアレフは無事に侵入できたかな?」
 僕達は周りの兵士達に気付かれないように小声で言葉を交わしあった。
 「大丈夫でしょ、自称忍者なんだから。問題は途中で喧嘩になっていないかどうかだと思うわ」
 アレフに聞くところによると、キヅキとは異なる流派で商売敵として頻繁に対立する関係にあるだと言う。
 しかし今ではアレフの所属する団体については、最近上層部がヘマをしたらしく消滅してしまったのだそうだ。
 「あの二人も侵入経路を分けておいて良かった、かな」
 僕は苦笑い。結局、キヅキは水路経由。アレフは東壁経由となったのだ。
 当然、城内での集合場所と時間は決めてある。
 「待て、見ない顔だな」
 城内の廊下で衛兵の一人に呼び止められた。
 「いつもの担当の者は急用ができまして。私達は代理なんですの」
 「そうか。しかし」
 衛兵はクレアの後ろに隠れる僕の顔をまじまじと見つめる。
 「この『娘』が何か?」
 極力平静を装いながらクレアが衛兵に尋ねた。
 「いや、神官っていうといつもの恰幅の良いおばさんが頭に浮かんでな。こんな可愛い娘もいたとは」
 おいおい、僕は額に汗する。
 「ひっど〜い、私は可愛くないって言うの?」
 怒るクレア、論点が違う。
 「いやいや、あんたも可愛いよ。でも俺はこの娘みたいなおしとやかな方が好きでね。まぁいいや、早く行った行った」
 兵士に言われて反論しようとするクレアを押しながら僕は光の神の神殿の部屋を目指した。
 「ったく、どうして女装したお兄ちゃんの方にみんなの目が行く訳?」
 「僕は自分が情けない」
 目的の客室である部屋に誰もいないことを確認して忍び込み、僕達はほっと一息を吐く。
 あれから三人の衛兵に呼び止められ、同じような会話が続いたのである。
 城内の神殿を清めるのは女性の神官に限られている。
 男性では腕力があるので暴動の手助けをしかねない為、と言うのがグラッセから出された命令の一つであった。
 その為に僕はクレアとキヅキによって女装させられたのである。
 神官着の為、服装によっての男女の区別は難しいので化粧を駆使したのであるが、かなりの美人に仕上がったようだ。
 しかしながら鏡で見た自分の顔はやはり自分の顔にしか見えなかったのだが…。
 「ともかく行くぞ、ここが通気口だな」
 壁の下の方にある小さな窓状の鉄格子を外し、四つん這いでその中に入り込む。
 魔術で小さな光を作り、目の前に飛ばした。当然、すでに化粧は落としてある。
 「鉄格子は閉めた?」
 「うん、狭いけど何とか」
 後ろからのクレアの声を確認し、僕は少しづつ前に進む。
 今頃、他の場所では城壁を登り切ったアレフと、水道管を進むキヅキとが、各々地下牢を目指しているはずだ。
 そう、はずだったのだ。

<Camera>
 一、二、三人。
 キヅキは柱の陰から見える三人の兵士に対し、懐のクナイ―――手投げに特化した小剣を確認する。
 狭い城の廊下で声を出されたら、それで終わりだ。
 ゆっくりと近づいてくる三人の衛兵達は、発見すべき曲者がすぐ傍にいようとは思わずに談笑をしながら歩を進めていく。
 「そろそろ交替の時間だよな。昼飯何にしよう…」
 一番後ろを行く兵士の語尾が不自然に途切れたことと、小さな何かが空を切っていったことに前の二人は気づかない。
 「アークスの料理はあまり舌に合わないからなぁ。ダークス、お前は何にする?」
 先頭の衛士のやや後ろを行く兵士は、言葉を放った後ろの仲間に振り返る。
 振り向いた瞬間、彼の喉仏に小さな鉄の刃が生えた。それはうなじから入り、喉に飛び出たものだ。
 同じ鉄色の刃は、彼の振り向いた先にいる兵士の額にも生えていた。
 ごしゃ
 どしゃ
 重いものが崩れ落ちる音に、ようやく先頭の兵士が振り返る。
 「ん、どうした?」
 問うたその瞬間、自らの傍らを何かが駆け抜けていく気配があった。しかしそれが何なのか判別することはできない。
 最後の兵士は質問の語尾の口のまま、その首が廊下にごとりと落ちた。
 首なしの兵士はそのままふらふらと数歩進むと、同僚たちと同様にそのまま廊下に倒れ伏す。
 僅かに血を含んだ、鉛色に輝く短刀を手にしたキヅキは自らが作り出した三つの死体を確認すると、兵士達がやってきた方角へと音もなく駆けて行った。
 行き先は城の奥深く、そして高い位置を目指している。


 天然の地形を利用した地下牢には囚人としての人の気配がなかった。
 「自力で脱出したようだな、それも出たばかりのようだが」
 アレフは床に縛られて転がる一人の看守を見下ろしながら呟く。
 「衛兵に化けて逃げたのか……いや、話では逃げるような連中じゃないな」
 看守用の椅子に腰掛け、彼は溜息一つ。
 「それにザイル側も、捕えた奴らがよもや騎士団長だと気づいていた風でもない」
 それは看守が一人しか配置されていなかったことからも察することができる。
 故に。
 「そのままグラッセとかいう野郎を狙いに行ったに違いないな、こりゃ」
 困った顔をしながらも、彼は予定通り残る『二人』の到着を待つこととした。


 定型通りの武装に身を包んだ5人は城の中を進む。
 やがて階上へと続く階段と思われる場所まで来ると、そこで警備をしていた歩哨に呼び止められた。
 「本国からの伝令だ、将軍の元まで頼む」
 先頭を行く男――ブレイドは歩哨の言葉が出るより先に封書を突きつけながら告げる。
 封書はザイル王家の蝋印で止められており、それはどのような指令にも優先されるべき事案であることを兵士として叩き込まれているが故。
 「ハッ、すぐにご案内致します」
 歩哨は先頭に立って階段を上がる。その後ろでは五人が僅かに顔を合わせる。
 「すげぇな、センティナ姐さん。本当にザイル王家の人間だったのかよ」
 ぼそりと言葉を漏らすのはキースだ。
 「おかげで蝋印は本物を用意できましたし、すんなり行けそうですね」
 こちらはラダー。
 「同じザイルの者としては正直、立場的には微妙だが。まぁ、問答無用で牢にぶち込んでくれたし個人的には許せんから良し」
 言われた本人であるセンティナは渋い顔をしつつも、グラッセ討伐には力を貸すようだ。
 その隣でキースが不意に首を傾げた。
 「しかしザイル王家の蝋印なんて貴重なもの、どこに隠し持ってたんです、姐さん?」
 「フフフ、さぁな。乙女の秘密さ」
 「乙女と言える歳でも性格でもないでしょうに」
 ラダーの言葉を小声で止めたのはブレイドの隣を行くアーパスだ。
 「着いた様だぞ」
 先頭を行く歩哨が立ち止まるのは両開きの扉の前。
 彼は静かにその扉をノックした。


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