<Rune>
 「旅は道連れとは良く言ったもんですねぇ」
 ラダーの陽気な声が春の匂いを含んだ風の中に響いた。
 アークス軍の駐屯地を去った僕達は、ガートルートを越えてひたすら西の街道を進んでいる。
 旅のメンバーは五人。僕とアーパス、クレア。そして何故かラダーとアレフもくっついてきている。
 アレフはクレアからの流れ的なものだが、ラダーはどこか見せていない何かを感じる。
 「ところでお兄ちゃん、私達は具体的には何処へ向かうの?」
 クレアが高い日の光に目を細めながら僕に尋ねる。
 「西へ、海に突き当たるまで。そこから遠見の鏡があるっていう水の祠を探す」
 「ふぅん、聞いたことがないなぁ」
 僕と同様の感想を漏らすクレアだが、その後ろで。
 「人魚達が崇め奉っている水の精霊の聖地ですね」
 「海の底にあるんだよな、アレ。どうやって行くんだよ」
 ラダーとアレフが言葉を継いだ。
 「え、なんで知ってるの?!」
 と言う僕の驚きと、
 「チッ」
 舌打ちするアーパス。もしかしてこいつも知っていた……そりゃそうか、人魚だもんな。
 「いえ、知り合いにその管理者の関係者がいたもので。大昔ですけどね」
 「俺の方は昔、諜報関係の仕事してたときに聞いたことがあってな」
 案外みんな知ってるのか、運が良いのか。
 「ただなぁ」
 「場所は知らないんですよねぇ」
 少しでも期待したのが馬鹿だったようだ。そんなにこの世は甘くない。
 「おい、ルーン。宿場町が見えてきたぞ」
 唯一場所を知っているであろう、アーパスはわざとらしくそう言って足を速めた。教えてくれるような気がしない。
 白く薄く霞んだ空はその暖かくやや湿ったそよ風から、近くに夏の到来を告げている。
 そんな風と光の向こうに、僕はアスカの無事を祈った。

<Aska>
 「あっ」
 「どうしたの、アスカ?」
 「ん? ううん、何でもないよ」
 不意にどこか暖かいものを感じたのだが途切れてしまう。私は我に返って額に手を置いた。
 人の動きが流れとなって路地を進む。路傍では行商人達が珍しい品物を並べている。
 ここはアークス皇国の東の公国。熊公首都ブルトンだ。
 先月までこの熊公国は央国であるアークスに反旗を翻し、このブルトンでかなり派手な攻城戦が繰り広げられたというが、現在ではその爪痕もすっかりと落ち着いている。
 熊公ヌーガンシュは討ち取られ、その後を暫定的に央国の第六騎士団長と北の虎公国の息子だか娘だかが治めているらしい。
 その首都ブルトンは今、春の妖精達を迎える祭り・迎春祭の真っ只中である。
 七日間続くこの祭りの中日である今日は、そのお祭り騒ぎもまるでアークス中の人々が集まってきたかのように賑やかだ。
 この様子を見る限り、暫定的ではあるが公主代理はしっかりと仕事をしているようである。
 「ほら、ぼうっとしてんじゃないよ!」
 商人の珍しい商品につい目が行ってしまった私の腕を、彼女は強引に引っ張った。
 私の名はアスカ。失われた記憶を捜す旅をしている、『人間』の冒険者だ。
 「ほら、今日はここの宿に泊まるよ」
 引っ張られた先にはかなり繁盛していると思われる一件の宿。その名も出会い亭。
 「おっちゃん、いつものお部屋お願いね」
 「おや、ネレイドさん。お久しぶりですね、どうぞどうぞ!」
 宿の一階は一般食堂として開放されているようだ。
 祭り騒ぎもあって混雑しているが、私の腕を取る彼女の一声で宿屋の主人らしき禿げた中年男が満面の笑みを讃えて出迎えてくれた。
 「連れの方もいらっしゃるので? では二部屋お取り…」
 「合い室で構わないって。この時期に稼がなきゃいかんだろ」
 彼女はそう言うとおっさんを部屋に案内させる。どうやら顔見知りのようだ。
 そもそもこの祭りの中、飛び込みで部屋を頼んでも普通は門前払いを受けるはずだ。
 「どうぞゆっくりしていって下さい」
 最上階、七階の街の眺めが素晴らしい部屋へと案内してくれる。
 「ああ、ありがとよ」
 「ありがとう、おじさん」
 おっさんは照れたように笑って階段を降りて行った。
 「さてと、夜までまだ時間があるな。私は一眠りするか」
 彼女はそう言ってマントと、身にぴったりと合った革のスーツをその場に脱ぎ捨て下着姿になると、ベットの一つに潜り込んだ。
 彼女の名はネレイド・マーカス。
 私が記憶を失って放浪しているところに、私のことを金持ちのお嬢様と間違えて一緒に行動した仲だ。
 ……うん、出会いとしては最悪だなぁ。
 彼女のシナリオでは、私には兄か弟がいてその玉の輿に乗ろうとした、とのことである。今でもそのシナリオは継続中だとか。
 なおそんなネレイドの旅の目的は玉の輿に乗ること。
 当年婚期を逃しそうな二十八歳のイケイケね〜ちゃんだ。
 彼女は珍しい南国の出のようだ。浅黒い肌に白く長い髪、そしてやや切れ長な青い瞳。
 女性の私から見ても美人の類ではあるが、何か近寄り難い雰囲気がある。
 「ネレイド、お祭り見に行こうよ! 楽しそうよ」
 毛布を頭から被った彼女を揺する。
 「だったら一人で遊んでらっしゃいよ。私は疲れたわ」
 「ったく、そんなんだから男が寄って来ない…」
 「一人でさっさと行ってこんかい!」
 部屋から蹴り出された。
 そして気がつけば私の手には軍資金としてであろう、お金の入った袋が握らされている。ネレイドが予め、わけておいたようだ。
 「お金かぁ、どうも使い方が分かんないんだよな」
 取り合えず袋を懐に入れ、私は下へと続く階段を降りて行った。
 人込みの中、私は流れに身を任せて進んでいた。気に入ったものを買い食いするうちに、両手には串焼き関係を中心に持ちきれないほどになっていた。
 恐るべし、お祭りとそのテンション!
 「あれは?」
 ふと目の隅に入った露店商に私は足を向ける。
 「いらっしゃい、お嬢さん。念画に興味があるのかね?」
 そこには中年のひょろりとした男の下、額縁に飾られた様々な絵が売られていた。
 絵といっても呪語魔術による念画と言うもので、実際の風景を取り込んだ物のように描かれている。
 その一つ――片隅に翼を持った人々の絵があった。彼らはそれぞれに槍を持ち、猪を追いかけている。
 「それはファレスという鳥人の絵だよ。珍しいだろ」
 「ファレス?」
 引っかかる言葉を自分で口にしてみる。
 「亜人だよ。森の奥深くに住んでいて、特にこの絵のような白い翼のファレスっていうのは滅多に目にすることはできないんだ」
 得意気に説明する商人。
 「ふ〜ん、そうなんだ」
 心の奥に引っかかる言葉だが、どうにもならない。
 ファレス、ファレス……んーむ。
 「ううううっ」
 雑踏の中で不意に聞こえる呻き声。
 私はふと視線を露店商の奥、路地裏に逸らした。
 「おじさん、後ろに誰かいる?」
 「え?」
 私は露店のおじさんが振り返るより早く、路地裏のごみ箱の近くに駆け寄る。
 そこには丁度隠れるような形で、頭からすっぽりと薄汚れたボロボロのローブを羽織った人が苦しそうに壁を背にして倒れていた。
 「どうしたんですか?」
 「腹が減って」
 返ってきた男の声に、私は手に持っていた肉まんと呼ばれる珍しいまんじゅうの入った袋を手渡す。
 ネレイドへのおみやげだったのだが、どうせあの女は太るとか言って食べないだろう。
 「ありがとう、この礼は必ず」
 大切なものを扱うように受け取り、男は早速一つを頬張る。
 「うまい、生き返るようだ」
 「良かったね。それとこれあげるわ」
 私はネレイドから受け取ったお金の入った袋を渡す。まだ残っていただが、使い切る気でいたから構わない。
 「? これは受け取れ…」
 「じゃあね」
 袋の中身を見た男は何かを言おうとしていたが、私は聞かずにその場を後にした。


 「アスカ、サイフは? 私の渡したサイフわぁぁ?!?」
 血走った目で私の肩を掴むネレイド。
 宿へ帰り着くなりこれである。
 「あげちゃったよ」
 そして彼女は白くなった。
 私達は冒険者として生計を立てている。ネレイドは手先の器用さと戦士としての強さ、私は剣と精霊魔術の使い手として、かなり高給の仕事をしてお金には困っていなかった。
 しかし今、手元にあるのは銀貨1枚。
 ネレイドが私に渡すはずだった小遣いだけである。私が行き倒れの男にあげた財布こそ、全財産の入ったものだった。
 幾ら入っていたのかは知らないけどね。
 「また稼ぎ直しだね」
 「あぅ〜〜、この祭りの夜に金持ちの男を捜して玉の輿に乗る夢がぁぁ!」
 取り合えず宿の心配はしなくて良いみたい。だが、ネレイドの野望は潰えたようであった、合掌。
 「ギャオォォォン!」
 膝を付くネレイドを起こし上げたと同時だった。
 窓の外から、唐突に獣の叫び声が響いた。
 それに伴って湧き起こるは、人々の悲鳴。
 「何?」
 「どうしたのよ」
 窓を開けて顔を出す。
 ぶわっ!
 風が頬を凪いだ。
 「何アレ?!」
 私は空を見て、そう呟いた。
 街の上空。そこには10リールはあろうかという飛竜が旋回していた。
 時折、決して強くはない炎を街のあちこちに吐き散らしながら人々を襲い出す。
 この付近には人跡未踏の険しい山々が多く存在し、そこには龍も住まうという。この祭りの陽気に誘われて寄ってきたのか??
 「警備隊はいないの!?」
 宿の窓の外から見えるほの火事と悲鳴に、私は叫ぶようにして言う。
 「忘れた? ここを治める熊公はついこの間、謀反を起こして鎮圧された際に命を落としたのよ。それ以来代わりにアークスの騎士団が治めているみたいだけど戦力は余りないみたいね」
 ネレイドの冷静な分析を聞きながら、私はベットの横の剣を取った。
 「何する気? 飛竜なんてアンタの手に負えるもんじゃないわよ」
 「倒せば、その騎士団とか言うところから謝礼が貰えるわよ。そうすれば玉の輿資金が手に入るじゃない」
 「急ぐわよ、アスカ。正義と私の未来のために!」
 言ってネレイドは武器であるムチを引っ掴んで部屋を飛び出した。
 「風よ、私達に貴方達の翼を与えて!」
 私の呼び出した風の精霊は、私とネレイドに見えない翼を与える。
 「アレはワイバーンね。げ、こっちに来るわよ」
 宙に浮かぶ私達の姿を見つけた飛竜は、まっすぐこちらを目掛けて飛んできた。
 「凍れる氷の精霊よ、切り裂け竜を!」
 私の精霊魔術は氷の精霊を呼び出し、幾刃もの氷の刃を飛竜に放つ。
 ワイバーンは正確には亜龍に属し、龍族のような鉄壁の防御を誇る龍鱗がない。
 「ギャォォ?!」
 氷の刃に少なからずのダメージを受けたワイバーンは、その動きを止めた。
 そこにネレイドのムチが飛竜の首に強く巻きつき、彼女は馬乗りになる。
 まるで暴れ馬に跨ったカウボーイのようだが、この場合は馬たる飛龍から落ちれば地上十リール下にまっさかさまだ。
 「アスカ、ワイバーンの急所は右にある心臓よ! アンタの氷の魔剣ならその魔力で簡単に貫けるわ」
 暴れるワイバーンを何とか乗りこなしながら、ネレイドが叫んだ。飛竜の意識が彼女に行っている今がチャンスだ。
 私は剣を抜く。途端にひやりとした冷気が氷のような刀身から私の腕に伝ってくる。
 この剣は私が記憶をなくす以前から所有していたものだ。伝説の、までにはいかないが簡単に手に入るような業物ではない。
 細身のこの剣は、一体どのような経緯で私の手にあるんだろう?
 もしかして、ネレイドが今でも抱く幻想の通り、私はどこかお金持ちのお嬢様だったのかな??
 ともあれ剣を構える。が、ワイバーンの動きは激しく、下手に近づこうものなら尾の一撃を食らいそうだ。
 「ちょ、アスカ、早くなさいっ。って、うひゃー」
 ネレイドが暴れ馬を御し切れなくなったかのように吹き飛ばされる。
 自由になったワイバーンはこちらを見た。瞳が怒りに燃えている、ヤバイ!
 飛龍がくわっとその顎を開いたと同時、
 「ゴァァ?!」
 下顎から鼻先にかけて、太い鋼鉄の矢が縫い止めた。
 吐き出されんとした炎のブレスはそこで小爆発。
 今がチャンスだ!
 私は切っ先をワイバーンの右にあるという心臓に定め、風の精霊を促す。
 風の早さで私は弾丸のように飛竜に向かって飛ぶ。
 己のブレスの爆発と、開けない顎に苦痛を示す飛龍は唐突にその尾を振り回した。
 「え」
 空を行く私は横からの強い衝撃に意識が白濁する。
 まるでバットへ突き進むボールの様に、私は飛竜の振り出した尻尾に弾かれたのだ。風の精霊による結界によって大部分のダメージは免れたものの、私は強く叩き付けられて肺の中の空気が全て出たそうな感覚を受ける。
 叩き落された大通りの石畳の上、私は仰向けに寝た体勢から浅い呼吸を繰り返しながら上半身を持ち上げる。
 風の精霊の結界は切れ、浮力もまた消失する。
 上空から殺気が降ってくる。
 口を封じられた飛竜は、地上の私に向かって鋭い爪を付いた後ろ足を振りかざして急降下!
 「!!」
 龍の首が横から叩かれる様にブレた。
 そのまま飛龍は私の右手にある建物の屋根に激突。壊れた屋根の上でキッと一点を見据える。
 遠くにそびえる時計台。その短針に人影が一つ。
 龍の見つめる右目は、その顎を封じているのと同じ鋼鉄の矢が突き刺さっていた。
 傷ついたワイバーンはその両の翼を広げなおした、その瞬間。
 ドッ
 重い音が響く。
 月明かりを受けたワイバーンのその右胸にまっすぐに突き立つのは鋼鉄の矢だ。
 そしてそのまま、飛龍は半壊した建物の屋根の上で、その巨体を倒したのだった。
 「誰?」
 私は遠くの時計台、矢を放った主を見る。
 月明かりの逆光の中、月と同じ色の長い髪を風になびかせ、人の背丈ほどある長弓を手にしたローブ姿の人影。
 それ以上はよく見えないが、そいつは手を振るとその場からかき消す様にいなくなった。
 「生きてる? アスカ」
 路地裏からよろめきながらやってくるのはネレイド。髪にごみやら藁くずやらを付けている。
 運良く、藁葺きの屋根かゴミ箱にでも落ちたのだろう。
 私はそれに無言で答え、矢の主のいなくなった時計台を見つめていた。


 「あれはイーグルだぜ」
 隣で朝食を取る客達の声が聞こえてくる。
 今朝から昨日の飛竜を倒した名も無き英雄の噂で持ち切りだった。
 「伝説のザイルの弓騎士か。俺も聞いたことがあるぜ、奴の一矢は六人の兵士を倒すんだろ?」
 「あのサイクロプスも一撃で倒したって噂も聞いたことがあるな」
 「奴は狩猟の女神に愛されてんだよ」
 「でも死んだから伝説なんだろ」
 どこでも話題に登るのはイーグルという騎士である。弓=イーグルという方程式がこの地方の人々にはできているようだ。
 もちろん私やネレイドもあの時、飛竜に挑んだのだがそちらは全くと言って良いほど話題にはならないし、報酬など出なかった。
 しかし噂の男にはすでに熊公代理の騎士から謝礼が出たとのことである。
 「ねぇ、ネレイドは知ってる? イーグルっていう騎士のこと」
 昨夜のシルエットを思い出しながら、私はパンをバスケットから取って眠気眼の相棒に尋ねる。
 「知ってるわよ。百年くらい前にザイル帝国内で恐怖を撒いていた吸血鬼に一人で立ち向かって結局帰ってこなかったって言う弓騎士よ」
 「へぇ、隣の国のことなんだ」
 「それだけ有名なのよ。でも吸血鬼を倒したのかどうか分からない。彼も吸血鬼も消えてしまったそうよ。享年二十四歳、なむー」
 朝から赤ワインのグラスを傾け、ネレイドはつまらなそうに答えた。なむー、じゃねぇよ。
 「ふぅん、そうなの。昨日の人は噂の人とは違うみたいね」
 朝食代わりの果実を絞ったジュースが注がれたコップを取り、私は呟く。
 生きていたら百二十四歳くらいということだ。人間はエルフとかと違ってそんなに長寿じゃないし。
 前に座るネレイドの視線が私の後ろに移った。同時、私は背後に人の気配を感じて振り返る。
 「ここにいたのですね、昨日はありがとう御座いました。これはお返しします」
 言ってテーブルに金貨の入った袋を置くのは、ボロボロの長いローブを羽織った男だ。
 それは紛れもない、昨日私が肉まんとサイフをあげた行き倒れの男である。あの時と変わらずに目深にフードを被っている。
 「え、どういうことよ、アスカ」
 ネレイドはそれを取り、中を見る。
 「多いわよ、前よりも」
 「お礼です」
 男の顔はフードで隠れているため口元くらいしか分からないが、二十代くらいの若者のようだ。
 「アンタ、昨夜の弓使いだね」
 ネレイドの言葉に男の口許が歪む。
 「何故そうだと?」
 「サイフの中にアークスの未使用金貨がたくさん入っているからね。昨日の飛竜の一件の謝礼なんだろ」
 いい加減に見えるネレイドでも実は鋭い目を持っている、と思う。時々だけど。
 「………」
 「それにアンタ、人間じゃないね」
 追い討ちをかけるようにネレイドは追求する。これには男が一瞬硬張ったのが分かった。
 「アンタからは血の匂いがするよ。生き血を食らう魔物だね」
 「私は、魔物ではない」
 男は強い意志を乗せて、ネレイドに言う。
 「んー、難しい話は後にして、一緒に朝食はどう? おいしいよ、ここのパン。焼きたてだし」
 言って私はパンを一つ、男に差し出した。
 「え? は、はぁ」
 「アスカ、アンタは口出さないでよ。緊張感がそがれるでしょ!」
 しかし緊迫した状況は避けられたようだ。


 ある所に名を捨てた男がいた。
 通り名はイーグル――狙った獲物は逃さないその腕から付けられた名だ。
 そしてそれは騎士として士官した後も彼についてまわっていた。
 ザイルの弓騎士としてその名を馳せ、慢心していた彼は当時ザイル北東部から熊公国にかけて猛威を奮っていた吸血鬼の王を単身、討伐に向かった。
 幾多の困難と敵を倒し、吸血鬼達の根源へと彼はついにたどり着いた。
 結果、彼の射る銀の矢で吸血鬼達の王を滅ぼしたものの、彼自身吸血鬼に噛まれて吸血鬼となってしまうというという失態を犯してしまったという。
 彼を噛んだのはザイル帝国第三王女。彼が士官する原因となった女性である。
 吸血鬼と変わる途上で第三王女を倒した為、彼は中途半端な吸血鬼となってしまった。
 それ以来、イーグルと呼ばれるその男は身を隠して、人間に戻る方法を捜す旅に出ているという―――
 「それで百年近く経った今でも吸血鬼のままなの?」
 私の問いに彼は無言で頷く。
 吸血鬼は言うまでもなく歳を取らない。
 しかし太陽に弱く、十字架とニンニクも苦手というのは本当のようだ。フードを目深に被って長いローブを羽織っているのは日光対策だという。
 「ネレイド殿の感じた血の匂いというのは、昨日私が魔術品の店で買った生き血を飲んだことからきているのでしょう」
 彼は性質上、一月に一回は新鮮な血を飲まなくては発狂してしまう。だからと言って直接人を襲うことはできず、魔術用として売られている血を買って飲むのだそうだ。
 「苦労してんだね、アンタ」
 ある意味、ネレイドのこの言葉は彼の百年を『苦労』の一言でまとめてしまう残酷なものではあった。
 「じゃあ、昨日行き倒れてたのは?」
 「あれは普通に空腹と、さらに血を買うにもお金がなくて。危うく人を襲ってしまうところでしたよ」
 疲れた声で彼は答えた。
 「ねぇ、ずぅっと一人なの? 誰か友達とかいないの?」
 「吸血鬼に友達は必要ありませんよ」
 「そんなことないんじゃない? 私達と一緒に行動してみない? 一人じゃ見えなかったものが見えるかもしれないよ」
 「貴方は俺が怖くないんですか?」
 困ったように問うイーグルに、私は首を捻った。
 「どうして怖いの?」
 「貴方の血を吸って吸血鬼にしてしまうかもしれませんよ」
 「吸うつもりなの?」
 「いえ、そんなこと。絶対にしません」
 はっきり言うイーグル。
 「だったら良いじゃない。ね、ネレイド?」
 話を急に振られて戸惑うネレイド。
 「私にも聞いてよ、怖いかどうかとか」
 「ネレイドの血なんか吸ったら、イーグルさんの性格が歪むわ。絶対」
 「ここで血、抜かれたいのかしら? アンタ」
 いつやらムチを手にするネレイド。
 「じゃ、決まり。よろしくね、イーグルさん。私はアスカ、こっちはネレイドよ」
 S嬢と化しつつあるネレイドから視線を移して、私は右手をイーグルに出す。
 彼は困ったように私の手を見ていたが、やがてその血の通っていない冷たい手で握り返した。
 「私はイーグル。呼び捨てで構いません、今後ともよろしく」
 フードの奥の表情は微笑んでいるように、私には感じられた。


 「君達に仕事を頼みたい」
 そう男が声をかけてきたのはイーグルが仲間に加わって朝食が終わりかけたときだった。
 イーグルと似たように頭から深いローブを羽織り、顔の表情は見えない。
 しかしその声のトーンからして中年以降に差しかかった男――それも『頭は禿げている』と私は直観した。どうでもいいことだけれども。
 おまけに怪しくも強力な魔力を感じる。私の六感は告げていた、関わってはならない。
 男はテーブルの上に重そうな袋を置いた。
 「前金だ」
 ネレイドは無遠慮に袋を開けてから驚いた顔をする。横から中身を覗いたイーグルからも同様のものを受ける。
 私の六感は再び告げていた。関わっちゃいけないものは儲かる、と。
 「前金ってことは後金の方は?」
 問うネレイドに、
 「それと同額だ」
 「やりましょう」
 即答しやがった。
 「ちょっとちょっと」
 ネレイドの輝いた目に私は横槍を入れるが、まるで聞こえていないようだ。
 「依頼内容次第ですね」
 イーグルの言葉に男は頷くと空いた席の一つに腰を下ろし、仕事の内容を語り出す。
 「さる御方の護衛をやってもらいたい」
 「さる御方?」
 誰なのかと誘導するが彼は答えない。引き受けたと決まった訳ではないから当然ではあるが。
 「さる高貴な血族の方、と言っておこう。そしてそれを狙う者達を倒して欲しい。詳しいことは引き受けてくれたらお教えする」
 そして男は口を噤んでしまった。さて、どうする?
 「私ははアスカ殿に従いましょう」
 「きっとさる高貴な方は金持ちね、玉の輿のチャンスよ」
 寡黙なイーグルと詰め寄るネレイドに私は悩む。
 「ま、いいわ。ネレイドの好きにして」
 多分私が断っても、ネレイド一人で引き受ける勢いだからなぁ。
 目の前の男の名はイルハイム・プラットと言った。フードを払うと、禿頭の老域に差し掛かった中年の顔が現れた。当たりだ。
 イルハイムの名にイーグルは若干の反応を示したが何も言わない。後で聞いてみる価値はありそうだ。
 そして私達はさる高貴な方に会いにイルハイムに従い、とあるアパートの一室に連れて来られた。
 そんな人が住むような所とは思えない、町外れのボロアパートだった。
 「連れてきた」
 イルハイムはそう言って二階の部屋の玄関の一つを開ける。六畳一間のその部屋には一組の男女が力なく座っていた。
 二人とも顔が青く、調子が悪いようだ。
 一人は人間の男。二十代後半だろうか、前髪の一房のみ銀髪の精悍な若者である。
 そしてもう一人はターバンを巻いた少女。気の強そうな感じを受ける。
 私達を一通り眺めた一部銀髪の男は私達に座るよう、座布団を渡した。そして微笑んで語り始める。
 「ようこそ、俺はアルバート。アークスの第一王位継承者だ」
 こうして私達の時間が冷たく凍った。
 どう考えても、ヤバ過ぎる話に足を突っ込んでしまったようである。

<Camera>
 何もない荒野を一人のドワーフが北西へ向かって黙々と進んでいた。
 まるで彫像のような深い皺の刻まれた顔には何の表情もない。その唯一人の彼に冬の冷たい風が吹きつけた。
 ガイダルの野と呼ばれるこの荒野は、リハーバー共和国の首都より南へと向かった所に広がる地。
 伝説によると火の巨人と水の巨人が果たし合いを行なったとされる血にまみれた土地だ。
 その彼の前に天から七色の光の柱が大地に突き刺さり、行く手を阻む。
 しかしドワーフはそれに臆した風もなく立ち止まった。
 光が止むとそこには一人の中年魔術師が立っている。アークスの国章の入った純白のローブを羽織っていた。
 「地の守り部ヴァルダ・マーナですね」
 魔術師は尋ねるがドワーフは何も言わずに彼を見つめている。
 「地は責任もって我々が守ります。貴方は確実なる力を求めて下さい」
 その言葉に彫像かに思われたドワーフの眉が僅かに動いた。
 「風の守護者の世代交替が行われようとしています。そして精霊達は騒ぐでしょう」
 「リャントが、か。そうか、その地には闇が来るのだな」
 「おそらく」
 寂しげに魔術師は言った。
 「分かった。では私は光を見極める準備をさせてもらう。縦糸を紡ぐに相応しいのかをな。地の守護は任せたぞ」
 ヴァルダと呼ばれたドワーフはそう言い残すと来た道を戻る。
 それを確認し、魔術師は荒野を走る風に吹き消される灯のようにその姿を消していった。

Temporary end & continuation ...


 ―――ふぅ、さすがに疲れたわね」 青い髪の吟遊詩人は息をつく。
 ふと視線を前に向けると期待した面持ちの三人の少年少女の六つの瞳があった。
 そしてその向こう、窓の外は赤い夕日が顔を覗かせている。
 「続きはまた明日。早く帰らないと親御さんに怒られちゃうぞ」
 吟遊詩人の言葉に三人はどうしようか、などと小声で話し合う。
 「私は明日になってもここにいるから」
 彼女は微笑み掛けると三人は無言で頷き、酒場の扉の方へと駆けて行く。
 「お姉さん、また明日ね」
 「絶対だよ!」
 「今夜眠れるかなぁ」
 三人はそう言い残し、酒場を去って行った。
 そして入れ代わるように仕事に疲れた男達が一時の快楽を求めていつもの酒場へと姿を現す。
 静かだった小さな村の酒場は一日で一番賑やかな時間に入ったのである。
 吟遊詩人は仕事に疲れた彼ら、そして自らへ安らかな音色の竪琴を奏で始めた。
 こうして小さな村の一日は、いつもと変わらずにまた過ぎ去って行く。


 吟遊詩人はカップに注がれたストレートの紅茶を軽く口に含み、試すように胸の竪琴の弦を軽く弾く。
 レン♪
 澄んだ音が朝の彼女と店の主人しかいない酒場に響いた。
 その音につられて、また三人の子供達がやってくる。
 「「おはよう、お姉さん」」
 彼らは思い思いの場所に座る。
 「おはよう、昨日はちゃんと眠れた?」
 「うん、夢の中にルーンとアスカが出てきたの。二人で楽しそうに笑ってたわ」
 「僕はなかなか寝つけませんでしたね、はい。歴史の一部を垣間見たような気がしました」
 眼鏡をかけた少年が言う。
 「俺は…って早く続きを聞かせてよ!」
 少年の言葉に吟遊詩人は静かに微笑み、竪琴を奏で出した。



   少女は全てを思い出す、それが良くも悪くもそれは彼女次第。 
   命とは、時間とは、生命とは?
   少年は役割という名の運命は認めず、ただかの娘の為に命を掛ける。
   正と悪、光と闇、そして男と女は表裏一体、心につながりしもの。
   全ての束縛から放たれること、抗わず………



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