第五章 狂信教団の探求者

<Camera>
 首都アークスの北部をまるで壁のように切り立った岩山が臨む。
 自然の城壁であり、フラッドストーンの名で親しまれる断崖である。
 その巨岩の遥か地下に徐々に力が集まりつつあった。例えるなら大きな空の湖に一滴一滴、雫を落としていくかのように。
 「充填率八十七%です。ここまで来ればあと十七%程度は急げば二ヶ月程で回収できるでしょう」
 「ペースは今まで通りでお願いします。ここにきて急いでしまえば三年間の全ての苦労が水の泡になってしまいますわ。彼らに気付かれる訳にはいかない、もちろんルース様にも」
 そう告げるのはシシリア姫だ。対応する作業員である若い魔術師は神妙に頷いて作業に戻っていく。
 シシリアは目下に広がる巨大な古代建造物を見下ろす。
 そこは縦長におよそ五十リールはあろうかという、巨大な直方体の空間だった。
 金属に見まごうばかりのつるりとした岩壁で覆われたその空間は、フラッドストーンの丁度真下、二十リールの地下にある。
 そしてそこに巨大な筒状の武器が上を向いて安置されていた。
 武器の根元には、やはり金属性の道具が連結されており、それによってこの武器を操作するようである。そこには数人の作業員たる魔術師達の姿がある。
 もしもこの場に何も知らない魔術師がいれば、必ずや恐れおののくであろう。その筒の中央には大陸一つ沈める程の純粋な魔力が現在進行で溜まっていっているのだから。
 そして地上では万単位の人々が生活しているにも関わらず、この強大な魔力の片鱗すら漏らしてはいない。恐るべき魔力隠蔽の技術力だ。
 「全く大した科学力です、古代人は。これだけの魔力の気配を全く外に漏らさないのですから。しかしこれだけの力を持った者達が何故滅亡したのでしょう?」
 作業員の一人が盲目の姫君に尋ねた。
 「それ以上の力を持っていたからではないでしょうか? 大きな力はそれ以上の力を呼びますからね。おそらく太古、この武器によっていくつもの破壊を呼んだのでしょう」
 「しかし今はこの武器に頼らざるを得ない、来る破滅の日を回避するために。それは仕方のないことです」
 作業員の言葉に、シシリアは閉じられたままの瞳で太古の破壊兵器を静かに見つめていた。

<Aska>
 俺はアークスの王子だ、そう目の前の男は言っているのだ。
 顔は余り悪くはない。しかし王族の気品さだとかそういった高貴っぽいものはその姿からは感じられない。
 受ける印象はどちらかと言うと傭兵団の頭領といった感じだ。
 「証拠は?」
 私も思っていた疑問をネレイドは臆面もなく口にする。アルバートと名乗るその若者は指に嵌めていた指輪を外して彼女に放った。
 それは金製の簡素な指輪だ。表面には磨耗してはいるが、確かにアークス皇国の紋章である鷲の姿が見える。しかし。
 「これだけで信じろって言うの?」
 ネレイドは指輪を投げ返して呆れたように言う。
 王家の紋章を許可なく持つ者は厳刑に処される。なぜなら王家ということで詐欺事件が横行することを防ぐためだ。
 それ故、たかだか些細な詐欺で王家の紋章を用いるのはデメリットが大きすぎる。
 だが言い換えれば人を騙す材料としては効果的ではある。この程度の王家の紋章であれば、彫刻に若干の自信があればすんなりと作れてしまうだろう。
 一方で、そこまでして私たちを騙すメリットなんてないとも言えるのだけれども。
 「う〜ん。じゃ、これでどうだ?」
 アルバートは今度は傍らに置いてあった自分の剣を見せる。その剣の柄には確かに鷲の紋章が美しい装飾とともに刻まれていた。
 剣をアルバートは静かに抜く。
 「ほぅ」
 「きれい」
 ネレイドと私は溜め息を漏らす。
 その刀身は鋼ではなく黒水晶。武器の価値を見る目の低い私ですら、これが逸品の中の逸品であることが知れる。
 「星剣レイトール――古代の魔術師が異空間を収縮して剣にしたという伝説を持つ剣ですね」
 イーグルが納得したように呟く。隣では同様にネレイドも頷いていた。
 黒い刀身の中には、まるで星のように白い輝きが瞬いている。それを見ていると吸いこまれてしまうような錯覚に陥りさえする。
 「納得してくれたか」
 王子は満足そうに頷くと剣を鞘に戻し、座を正した。
 「王族のくせに威厳ってもんがないからね。仕方無いわ」
 そう言った傍らのターバンを巻いた少女を彼は睨みつける。
 その視線をさらりと受け流し、ターバンの彼女は彼に代わってこう告げた。
 「さ、イルハイムが認めた貴方達を信頼して、依頼内容を話しましょうか」
 彼女―――フレイラースが語る依頼内容は次のようなものだった。


 六日前のこと。
 この地で彼らは反乱鎮圧に加担していた。自らの身分は隠してである。
 紆余曲折の末に反乱の首謀者・熊公ブルスランを倒し、ほっとしたのも束の間、アルバートは思いも寄らなかった暗殺者に襲われる。
 その場は何とか命は取り留めたものの一時は危篤状態となり、仲間の必死の看病と強い生命力によって3日後、ようやく意識を取り戻した。
 しかし彼を襲う刺客は尽きることなくやってくる。
 一体誰が彼の暗殺を目論んでいるのか? そして何処の団体が請け負ったのか?
 この町外れのアパートメントに身を隠したものの、これまでの経験上刺客達にこの場がばれるのは時間の問題である。
 また、ついこの間まで生死の境をさ迷っていたため、彼はまだ立ち上がるのもやっとの状態であり、彼に治癒の魔術を掛け続けた魔術師も同様の衰弱状態にある。
 依頼内容はそんな彼らを体調が回復するまで護衛すること。
 そしてあわよくば暗殺の依頼人もしくは暗殺を請け負っている団体の正体を掴んで欲しい、とのことだった。
 「なるほど。もちろん相手の正体を掴んだら?」
 「後金ははずませてもらう」
 ネレイドの問いにアルバートが弱々しい声で引き継いだ。
 「しかし相手は相当危険よ。昨日の飛竜騒ぎもおそらく、私達をいぶり出そうとして取られた処置の1つ」
 「本日の裏市場に火竜の卵がいくつか流通していた」
 フレイラースの疲れた言葉とそれに続くイルハイムの情報に、ネレイドの眉が歪む。
 「昨日のアレは親竜が奪われた卵を取り返しに来たってだけだったの? 後味悪いわね」
 「見境なしの考え方も好かないですね」
 イーグルも苦い顔を浮かべた。
 「相手はこの辺りはおろか、全国的にも盗賊ギルドと関連のない連中だ。まぁ、そうじゃなかったら王族の暗殺なんて起こらないがな」
 アルバートは溜息一つ。
 それは当然だ。盗賊ギルドとは言え、国家があるから現状が成り立っているのだ。王族を暗殺などすれば盗賊ギルドの転覆にもつながる。
 昨日の飛竜が本当に絡んでいるとしたら、厄介な相手に違いはない。竜の巣から卵を盗み出せるだけの技量があるということなのだから。
 「!」
 「!?」
 不意にイーグルとイルハイムが緊張の色を示し、突如立ち上がる。
 「俺達は俺達なりに善処を尽くすまで。俺は早速、外を見てきましょう」
 「二人は護衛を頼むぞ」
 不意にイーグルはイルハイムと供にそう言い捨てて部屋を出て行った。
 そして部屋には私とネレイド、そして王子と少女の四人が残る。
 「急にどうしたっていうの? あいつら」
 「さぁ?」
 ターバンの少女フレイラースが小さく首をかしげてネレイドに答えた。
 二人とも何かに気づいたような素振りだったけれど。
 「そう言えば」
 私は引っ掛かっていたことを尋ねる。
 「話にあった衰弱している魔術師ってイルハイムさんじゃなくて貴女よね」
 フレイラースを見て問いかける。彼女は小さく頷いた。
 改めて私は彼女をよく見る。
 乳白色のターバンから金色の髪の端がちょこっと覗いている。顔立ちは端整で、色は絶不調を示しているように青白い。
 年の頃は私と同じくらいだろうか? けれど体の線は細く、幼さを残している。
 その服装からは神の使途たる神聖な紋章の類は見受けられなかった。
 「精霊使い?」
 ふと思いつきが呟きとなる。
 「ええ、お蔭で私の生命の精霊が弱っちゃって」
 「おい、フレイラース」
 「あ」
 アルバートの制止に、しまったと手を口に当てるフレイラース。
 精霊使い・端整な顔立ち・金色の髪・線の細い体、これらから想像できるのは。
 「貴女はエルフね。そのターバンは耳を隠すためのものだったの?」
 私の言葉に彼女は微笑みながら溜め息をついてターバンをほどいた。
 その下からは長い金色の髪と、尖った長い耳が現れる。
 「あ〜あ、ばれちゃった」
 ペロッと舌を出すフレイラース。その隣ではアルバートが、
 「まぁ、ばれるのは時間の問題だとは思っていたが、早かったな」
 そう言いながら感嘆の息を吐いた。それに私は苦笑い。
 「誰にも言わないわよ、ね? ネレイド」
 隣の相棒は懐から出した手帳に何かをメモしていた。咄嗟に私は肘鉄をかます。
 「でも三日間も生命の精霊を使い続けるなんて。本当に好きなんだね、この人のこと」
 彼女の脇の青年に目を向ける。私のしみじみと言った一言に、エルフの彼女は耳の先まで赤くして、
 「な、何言ってるの?! そんなわけないじゃないっ」
 怒鳴る。表情が乏しいことで有名なエルフ族らしからぬ、表情豊かな娘だ。
 「私も精霊使いだから分かるけど、好きでもない相手に精霊を呼び続けられないわよ」
 私の言葉にアルバートとフレイラースは少し驚いたようにこちらを見た。
 「珍しいな、人間の精霊使いなんて。その格好だと剣と呪語魔術も使えるんだろう? イルハイムが選んだだけのことはあるな」
 アルバートは感心したように呟いた。そんな精霊を知らない王子の、のほほんとした態度に私はフレイラースの件に戻す。
 「それはともかく、アルバート王子はちゃんとお礼は言った?」
 「え、も、もちろん」
 「女性しか使えない生命の精霊は、術者の命をも簡単に左右するんだからね」
 私の言葉に王子はたじろぐ。生命の精霊は命を生み出すことが出来る女性にしか扱えない存在だ。
 自らの内に潜む存在に、それこそ自らの命を切り分けて使役する。故に三日も続けていたら、普通の術者は体力がもたない。
 「そうなのか、フレイラース?」
 「え、あ、その」
 その時だ。私達は空気が変わったことを知る。
 「アスカ!」
 「えぇ。二人はここでじっとしてて!」
 私とネレイドは外に飛び出す。その際、私は風の精霊に命じて部屋に風の結界を張っておく。
 こうしておけば敵意を持つ者は、簡単にはこの部屋に入ってこれないはずだ。
 外には誰もいない。右手の道の端に猫のようなものが一匹、道に爪を立てているくらいだった。
 ネレイドに目配せして、私達は二方向に分かれた。この部屋は二階建てのアパートの東端の一階に位置している。
 四部屋+四部屋の全八部屋構成のこのアパートには昼間の現在、人の気配はアルバート達の一室のみ。
 部屋から見て私が右手のアパートの表、ネレイドが左へ回り込みアパートの裏を受け持つ。
 鋭い殺気が襲い掛かる。
 私はその方向を見る間もなく、呪語魔術を呟きながら腰の剣を抜く。冷やりとした冷気が頬を撫でる。
 それはアルバートの星剣に及びはしないが、私の記憶を失う以前の持ち物である魔剣だ。
 「「ガァ!」」
 沈黙を打ち破るそれらはアパートの屋根の上から私達それぞれに飛び掛ってきた。
 アパートを挟んで私とネレイドは同時に「それ」に対峙する。
 鋭い爪の一撃を、私は氷の魔剣を斜めに下げて受け流す。
 攻撃をかわされながらも力強い四肢で地面に降り立ったのは青い鬣を持つ地獄の猛犬。
 それは私の記憶の奥深く、出所の知れない知識に名が記されていた。
 「幻獣ケルベロス?!」
 一方でアパートの向こうのネレイドの前には、ケルベロスとほぼ同じ力を持つ赤い鬣の狂犬が唸っている。
 彼女の鞭の連戟を前に続いて飛び掛るタイミングを逸していた。その名も幻獣オルトロス。
 幻獣とは、精霊に近い存在にある獣達の総称だ。
 精霊に近い性質ゆえに、この物質界に現界することは稀である。
 主に精霊界と物質界の狭間にある、いわゆる妖精界や人跡未踏な森の奥深く等に生息する存在だ。
 そんな彼らが私達を襲ってくるということは、
 「理力の刃よ、夢つ現を離反せよ、青弾通剣光!」
 私の執行した呪語魔術である青いレーザー光がケルベロスの左前足を貫く。
 が、青い血を流しながらも幻獣は構わず、そのまま私に体当たりを仕掛ける。避けられない!
 ケルベロスはまともに動かない左前足ごと私を押し倒すと、その鋭い牙で私の首筋を引きちぎろうと迫った。
 「クッ」
 間一髪、ケルベロスの開いた顎に氷の魔剣の刀身をかませる。顎を両手の間に挟んだ格好で押し返すが獣の馬鹿力には敵わない。
 じりじりと魔獣の牙が私の首筋に迫ってきた。血生臭い匂いが近づいてくる。
 「いやっ!」
 私は無意識に手にした剣に念を込める。すると、
 「ギャン!」
 悲鳴を挙げて獣は後ずさった。何が起きたか分からないがその間に私は立ち上がり、剣を取って間合を取る。
 魔獣の口は凍っていた。同時に私の剣に込められている魔力が、心なしか弱くなったような気がする。
 「剣に封じられてた魔力が解放されたの?」
 原因よりの結果が重要だ。今、イニシアティブは私にある。
 「これで終わりよ。丈き闇の精霊よ! かのものに汝の安らぎと困惑を、包容せよ!
 私の召喚に応じて幻獣の地面に落ちた影が別の生き物のようにゆるりと動き、そのままケルベロスをぱくりと飲み込むようにして包み込む。
 黒い塊と化して動かないことを確認した私は、それに剣を突き立てた。
 パキン、そんな硬い音を立てて闇は砕け散る。
 砕け散った影の下から、現れた幻獣はその額を私の剣で貫かれている。
 こうしてケルベロスは声を挙げる事なく倒れ、青い煙と化して風に消えた。
 その跡には、小さく砕けた赤黒い宝石のようなものが散らばっている。
 「これは??」
 そのうちの比較的大きなものをつまむ。小指のツメの半分の大きさもないそれは、触れたところから塵になって消えてゆくくらいの強度しかない。
 「なにこれ?」
 「依代よ。魔力を含んだ血液の結晶体、魔晶石ね」
 ネレイドが得意のムチを腰に収めながらやってくる。その後ろではオルトロスが赤い煙を昇らせながら消えつつあった。
 「こいつらを操っていた幻獣使いが近くにいるはず。魔晶石を複数持っていたとしたら、また出てくるわよ」
 「厄介な相手ね」
 私は呟き、周囲を見回す。人の気配そのものが周囲にはない。あるのは向かいの建物の壁に背を預けた猫のような生き物だけだ。
 「猫?」
 私はその猫に近づく。
 近づいて分かる。大きさは人の子供くらい。茶トラの毛皮の上に大きめのなめし皮の鎧とマントを羽織っている。
 座る地面には、直径半リール程度の複雑な円形の文様が立てたツメで描かれていた。
 その中心には私の手の中にある魔晶石と呼ばれるカケラではない、きれいな楕円の結晶体が1つ。
 「あのー、すいません」
 かけた声に猫のような生き物は顔を上げる。
 「はい、なんですニャ?」
 ぱっちりとした毛皮と同じ茶色の瞳。ふわふわっとした猫の顔。
 「もしかしてアナタが幻獣使い?」
 問いに、猫は首をを小さく傾げ、
 「いえいえ、まだまだボクはボク自身を幻獣使いなんて言えないですニャ」
 答える彼(?)の前に、手のひら大の二足歩行する兎のようなものが走りこんでくる。
 うっすらとピンク色をして額に赤い宝石を埋め込んだそれは、私の知識の中にこうあった。
 幻獣カーバンクル。得意技は二つに分身し、その一方を爆発させること。
 爆発?!
 「ご苦労さま、ポチっとニャ」
 猫はそう言うとカーバンクルの額の宝石をツメの先で押した。
 途端、カーバンクルはブルっと小さく震えて消失。同時に私の後方、アパートが大爆発を起こした!
 「んなっ!」
 「アスカ、そいつを逃がすなっ!」
 叫ぶのはネレイド。私は爆発炎上するアパートから慌てて猫に視線を戻す。
 結果的に言うと、遅かった。完全に外見で侮っていたと言って良い。
 猫の前の魔術陣が光り、魔晶石をコアとして幻獣がすでに生み出されていた。
 それは老人の頭を持ち、虎の胴体、蛇の尻尾、サルの手足と鷲の翼を持った化け物。幻獣マンティコア!
 猫はその背にふわりと乗り、視線を私より高くして言った。
 「仕事も済んだんで帰らせてもらうニャ」
 「逃がさないよ!」
 ネレイドの鞭が私の頭を飛び越してしなった。
 「ゴァァ!」
 だが幻獣マンティコアが吐きだした良く分からない吐息がムチを半ばまで黒炭と化す。
 どういった攻撃なのかは身を持って知りたくはない。
 だが私も黙って見過ごすわけにはいかない。
 「風の精霊よ、滞空する者共を汝の力で翼を奪い給まえ!」
 「キェェェェ!」
 逃がすまいとする私の風の精霊魔術に対抗して、マンティコアは奇声を発する。
 その甲高い奇声はいとも安々と私の風の精霊の力を打ち砕いた。幻獣は精霊に対する干渉力がケタ違いだ。
 バサリ、とマンティコアが背の翼を広げる。
 「それではさらばニャ」
 猫らしい生き物はそう告げると空高く昇っていく。
 それを私とネレイドはただ見送るしかなかった。


 炎上を続けるアパートに、私は水の精霊を召還して消火にあたらせる。
 木造ではなく石造りであったことが幸いしてか、燃えるものも少なかったことも幸いして四半刻もたたずに消火が完了する。
 幻獣カーバンクルの爆破は、私の風の精霊の結界などシャボン玉程度のものでしかなかったらしい。建物の一階東側部分の根元から土台に使用されている石自体が砕けていた。
 「これは死んだわね」
 そんなネレイドの呟きは次の瞬間には破られる。
 「だれがこの程度で死ぬか! ったく、酷い目にあったぜ」
 黒く炭化したアパートの建材の下から、埃と灰で黒くなったアルバートが立ち上がった。
 「けむいよぉ。あ〜あ、アパート、弁償しなきゃね」
 そのアルバートに抱かれるようにして起き上がったのは、見たところ怪我一つどころかアルバートのような煤ホコリ一つついていないフレイラースである。
 「無事だったのね、怪我はなさそうだけど」
 私は二人に駆け寄る。しかしながらこの爆発でどうやって無事で済んだのだろう?
 「フレイラースが君の風の結界をさらに強化してな。しっかしこれほどの爆発だとは思わなかったぜ」
 笑いながらアークスの王子は辺りを見渡した。
 「イルハイムの魔術が失敗するのに比べれば、どうってことないじゃない」
 顔色を青くしたエルフは言う。彼女は魔力が底を付いている状態で今のように無理して魔術を使った為か、アルバートに肩を借りてどうにか立っていると言った感じだ。
 軽口を叩くだけの余裕があるので心配はいらないだろう。しかし強化とはいえ、よくこれだけの規模のものを防げたものだ。
 簡単に言うとフレイラースは幻獣カーバンクル以上に精霊界寄りであり、その加護を強く受けているということである。さすが森の妖精と謳われるエルフといったところか。
 一方で先ほどの私の風の精霊魔術はマンティコアの一喝で消し飛んでしまった。もしもフレイラースと私の立ち位置が逆だったらどうなっていただろうか?
 そんな仮定を思索する私の肩をネレイドが叩く。
 「だからこそ王族を守れるだけの力があるってことでしょ。無事なら良いじゃない」
 そして瓦礫の中からこちらに向かってくる2人を迎える。
 「とりあえず今夜の宿を捜さなくちゃね」
 フレイラースがお気楽に言う。祭りの期間である今、宿など簡単には空いていないが。
 「宿なら今私達の泊まっている所が顔見知りだから手配できるわよ」
 とネレイド。それしかないだろうなぁ。
 「そうか、頼むぜ。早いとこそこへ急ごう。野次馬に絡まれたら後が大変だからな」
 アルバートの言葉通り、両手では数え切れなくなった野次馬達を掻き分けながら私達は宿へと小走りに向かった。

<Camera>
 熊公首都ブルトンの町外れにある商人達の倉庫街。
 その倉庫の一つに死臭が漂っていた。
 幸か不幸か、今日は休息日ということもありこの地区は人通りがない。
 倉庫でイーグルは弓に矢を番えながら、視界の悪い暗い倉庫の奥を睨つけていた。
 殺気が生まれる。
 「上か!」
 仰ぎ見ず、彼は光と化した矢を頭上に放ちつつ、その場を飛び退く!
 数瞬遅れて先程まで彼のいた床が魔力による光弾で小規模に吹き飛び、ガレキを撒き散らす。
 遅れて人が上から落ちて来た。イーグルは破壊された床に転がる人影に歩み寄る。
 黒いローブに身を包んだそれは、喉を射抜かれ絶命した中年の男だった。
 男の懐を探る。首から下げた蛇をモチーフにしたネックレスが現れ、彼はそれを引きちぎり苦々しく呟く。
 「スパイラルか」
 額には気温からではない汗が浮かんでいた。
 「!」
 死んでいたと思っていた魔術師の男が血走った目を見開いたかと思うとイーグルの腕を掴む。
 「まだ生きて? しまった!」
 男は壮絶な笑みを浮かべて奥歯をカチリと鳴らしたかと思うと、内側から強烈に光を放った。
 次の瞬間には轟音を立てて倉庫が一つ吹き飛んだ。
 「危ないところだったな」
 瓦礫が飛び散る中、埃すらかぶることなしにイーグルはその腕に魔術師の腕だけを残して立っていた。
 隣には闇を纏った魔術師が立っている。彼ら二人を中心として一リール程の円内は爆発をもろともしていない。
 「スパイラルの狂信ぶりを改めて感じた。常に自らを爆弾代わりにしているという噂は本当だったとはな。礼は言う」
 己の腕を掴んだ魔術師の腕を投げ捨て、イーグルは魔術師イルハイムに言った。
 「我々の相手がやつらだったならば、こいつらは囮だったと考えた方が良さそうだ」
 イルハイムの言葉にイーグルは頷く。
 「しかしおそらく無事だろう。この程度でやられるようなタマじゃない」
 「そうだな」
 二人は不敵な笑みを浮かべる。イーグルの手に握られたネックレスは、彼の人間ばなれした握力によって醜く歪められた。

<Aska>
 宿に辿り着いた私達はそのまま一階の食堂で早めの晩ご飯を取っていた。
 品物を注文し、待っている間に宿の主人と話し込んでいたネレイドが戻ってくる。
 「話はついたわ。大部屋を二つ用意できて、一つは私とアスカ、フレイラース。もう一つの方は男共ね」
 そう告げた先、アルバートは苦い顔を浮かべる。
 「ぬかったぜ。つけられていたようだ」
 彼の言葉に三人は一斉に彼を、そして彼の後ろに立つ男を見る。
 彼の後ろに立っているのはにこやかな顔をした、しがない中年の人の良さそうなおじさんだった。
 しかしにこやかなそれは場に合わないものであり、逆に不気味なものを感じさせる。
 「捜しましたよ、アルバート王子にフレイラース次期王妃」
 「誰が次期王妃よ、誰が!」
 フレイラースがエルフ特有の白い顔を可能な限り赤くして反論する。が、アルバートは男に振り返る事なく厳しい顔で答える。
 「盗賊ギルドに捜索される覚えはないのだがな。え、バイン?」
 王子の言葉に男は眉を動かす。が、それは一瞬のことで言葉を続けた。
 「我々は貴方には期待しているのですよ。だからお力になりたい、それだけのことです」
 言って、中年男バインは手に提げていた袋から六本の小さな瓶を取り出しテーブルへ置いた。中には青い液体が入っている。
 「これを毎食後の服用して下さい。明日の夜には体力は完全に回復している事でしょう。それまで微力ながら陰で貴方方を御守りさせていただきます」
 「で、条件は何だ? 俺は王になる気など毛頭ないぞ」
 「我々にお力を貸していただきたいのです。貴方様の御命を狙う輩の盗伐に加わってもらいたい、それが条件です」
 それにフレイラースが抗議の声を挙げる。
 「前に私達を狙っている奴等の情報を買いに行った時は、分からないって言ってたじゃないの」
 「あれから我々も本格的な調査を開始したのです。結果が出たのは昨日ですが、貴方方が何処に潜伏しているか、足取りが掴めなかったもので」
 「で、何者なんだ? 俺を狙っているのは」
 アルバートの言葉にバインは今まで以上に声を小さくして答えた。
 「スパイラル」
 答えにアルバート、フレイラース、そしてネレイドまでもが緊張の色を見せる。
 「これ程の力をつけるまでに復活してやがったか。で、お前達盗賊ギルドの戦力は?」
 ここで初めてアルバートはバインに顔を向けた。
 「このブルトンのギルド仲間二百とアークスなどの他都市からの増援が同じく三百。この中には魔術師が多く含まれています」
 そこまで言ったところでバインは言葉を区切りアルバートの顔色を見る。彼は言葉を続けるよう、無言で返した。
 「出撃は明後日の早朝、ブルトン郊外の北の広場にて集合し翌日夜半にはレガルの村に再集結と言う形を取っています」
 しばらくの間、店の雑踏が私達の耳にいやに大きく届く。それをアルバートの言葉が破った。
 「お前の期待通り参加してやる。奴等とアークス王族は因縁みたいなものがあるしな。それに俺達に手を出してタダで帰らす訳にはいかん。だろ、フレイラース?」
 「ええ、今度は決着をつけなくちゃね」
 答えるエルフの顔には決心が見て取れた。
 「ありがとうございます。では手順の方は私の部下から後ほど順を追ってお知らせ致します」
 一礼する中年の男。そして私の方へ顔を向け、
 「お仲間のお二人にはここの場所をお伝えしておきましたので。それでは私はこれで」
 盗賊ギルドの男・バインは現れた時の自然さをそのままに、去り際も人ごみにまぎれるように消えていった。意図して印象を薄くしているように感じる。
 「みんな無事だったようだな」
 入れ替わるようにイーグルとイルハイムがやってきた。
 「何処行ってたの、二人とも。それよりアルバートを狙っている奴等のことなんだけど」
 「スパイラルだ、もう知っていたのか?」
 ネレイドに答えるイーグル。そこで私は、ずっと抱いていた疑問を口にした。
 「ねぇ、スパイラルって何なの? 私、知らないんだけど」
 一同、「え、知らないの?」という視線で一斉に私に振り向いた。知らないものは知らない、何が悪い。
 後にネレイド曰く「小難しいことは知っていて、世間の噂とか知らないってのはどこの誰に似たんだかね」とのこと。そんなのは私も知りたいものだ。


 アークス皇国が今の姿、すなわち魔術王国と呼ばれる以前。
 およそ五百年程前のことだ。この時代は魔術が体系化しておらず、感覚的に行使されていた時代であった。
 それよりさらに以前には今よりも魔術の発達した時代があったが、今をもって分からない原因で滅び、その遺跡を「先時代の遺物」として各地に残すに至っている。
 話がずれたが、かつてこの地は少数の農耕民族と亜人、そして魔力を崇め、魔術を盲目的に学ぶ教団が存在した。この教団が今の呪語魔術の基礎を築いたとされている。
 その教団の始祖は先時代の知識を継承した者とされており、やがて彼らは魔術師と呼ばれるようになり、魔導を操る暗殺を生業とするようになっていった。
 やがて魔導を極めようとしたこの教団は呪語魔術のみに留まらず、精霊魔術・神聖魔術・果ては霊術と呼ばれる生成と消滅を司る世界の領域にまで手を延ばしたという。
 暗殺を生業とする傍ら、探求者である彼らは偉大な発明・発見をしていったのは言うに及ばない。
 そして当時彼らの研究テーマであった『生成と消滅』、その果てにある生命の起源、不老不死の研究から、人々は畏怖と敬虔の念を込めて彼らを永遠の輪廻『スパイラル』と呼ぶこととなったという。
 そんな時代のある時、現在の地名でザイル帝国からやってきた若者が当時のスパイラルの長の娘と恋に落ちた。
 彼はこの地で生きる農耕民達の王となり、またスパイラルの方針から脱落していった魔術師達を保護し、その力を以って建国した。
 これがアークス皇国の誕生であり、彼こそがカーグ・アークス。すなわちアークスT世である。
 やがてアークス皇国とスパイラルとの間に目に見える争いが生まれた。
 これは教団が幾人もの人を攫って、魔術の実験に多用するようになったことが原因とされている。
 国と教団との争いは激戦を極めた。が、長く続くと思われたこの戦いは、予想に反して僅か半年で幕を閉じることとなった。それはスパイラルの長の娘ラーラの活躍によるとされる。
 後にカーグの妻となった彼女の説得により、教団の魔術師達のほとんどがアークス側に就いたと伝えられている。
 こうして暗殺者を生業としていた教団・スパイラルを滅し、逆にそれを戦力・知識力として取り入れた強力な国家がここに生まれたのである。
 だが太古の歴史は未だ終わりを告げてはいなかった。生き残ったスパイラルの狂信者達がまだ各地に存在したのだ。
 秘密結社と化した彼らを取り締まる術はなく、取り締まるとしても多大な犠牲を要することから長く黙認せざるを得なかった背景もある。
 そして教団は細々ながらも、昔ながらの暗殺を生業とする団体としてブルトンの西にある人里離れた山の中でひっそりと息づいてきた。
 しかし今からおよそ二十年前、新たに教祖に就任したオレガノ・マークリーにより、スパイラルの活動は活発化。周辺地区の村々に魔術生物の出現や人さらい、略奪などが横行する。
 逆らう者は皆殺しという過激な思想の下で行動する彼らへの恐怖は、周辺諸国にまで及んだという。
 アークス軍も出動したが先発隊全滅という無残な結果に、宮廷魔術師団を含めた大軍隊の導入が決定されるまでに事は進んでいた。
 そこに一人の剣士が現れる。
 『獣殺し』の異名を持つ大剣を下げた放浪の中年の剣士――アラン・エリシアンは単身、スパイラルの本拠地に乗り込み、教祖オレガノとその首脳陣達の首を提げて帰ってきた。
 一人の英雄の働きによって、教祖を失った教団は大きく力を失い、そこにアークス軍が本格介入し、とうとう消滅したと伝えられていたのだが。
 「それがしっかり残っていたって事ね」
 私はパンを一齧りすると、イーグルに言った。
 「話はまだ続く。二年ほど前だったか、スパイラルの奴等がアークス皇国と北の公国の国境にある通称『迷いの森』に腰を据えようとしていたことがあった」
 「半壊くらいはさせたんだけど、結局逃げられちゃったのよね」
 多分討伐として実際に参加したのだろう、当時の状況を思い出すようにフレイラースが言う。要はそのころからの縁ということか。
 「スパイラルの噂はちらほらとは聞いていたんだ。しかし今度はこのブルトンの北に巣くってるとはな。今回こそ息の根を止めてやるぜ」
 言ってアルバートはバインの持ってきた薬瓶の中身を一気に飲み干した。
 「スパイラルは厄介な相手だ。一度敵と看做した相手はどんな手段でも、どんなに時間がかかろうとも必ず殺す、執拗な奴らだ。アスカ達を巻き込むつもりはない。契約はここで破棄していいぞ」
 親切心からだろう、アルバートの言葉を私は一笑に伏した。
 「何言ってるの? ここまで聴いて放っておけるわけないでしょ。ねぇ、ネレイド?」 
 「ええ、あのネコにバカにされて黙っていられるかっての。イーグルはどうだい?」
 話を振られた彼は小さく微笑み、
 「俺にも縁がないわけではない。参加しよう」
 「という訳。そもそも貴方たちを狙っていた相手の正体が分かっても倒さないと依頼達成にもならないじゃないの。分かった?」
 そう言う私にアルバートは苦笑い。その横で、
 「にが〜い、何これ?」
 小瓶を片手に、フレイラースが本当の意味で苦い顔をして話に横槍を入れた。
 「いいから飲め! 良薬口に苦しって言うだろうが」 
 「でもこれは…毒じゃない?」
 ぼやくフレイラースにアルバートは立ち上がったかと思うと、いきなり羽交い締めにして無理矢理飲ませた。
 「ごほっごほっ、うえ〜、何すんのよ!」
 「内容物:マンドラゴラ・グラハムイチイの実・マーマンの鱗・水竜の舌・アシッドコブラの毒…強力な体力回復剤だ」
 瓶に書かれた文字を読み出したイルハイムの言葉に、フレイラースは机に突っ伏す。
 本当に中身は全部毒なんじゃ、と思うが飲むのは私ではないので考えるのを止めた。
 「では出発は明後日だ。それまでに用意をしておいてくれ」
 フレイラースに抓られながら、アルバートは私達にそう告げた。


 その夜、彼は苦虫を噛み潰したような顔で私の前に現れた。
 「危険だ、止めろとは言わないが十分に気を付けるべきだ」
 半透明の霊体で、ルシフェルと名乗るその人はベットに腰かける私に告げた。
 「具体的にはどの辺りが危険?」
 「呪術だ。一度これを掛けられるとなかなか解けないだろう。実際、教団の団員は暗殺の指令を受ける際、その指令自体が呪術だとされている」
 ルシフェルは怒った顔で続けた。
 「目的を遂行するまで血の呪いというものを掛けられ、追い詰められる。他にも死霊を使った魔術なんてのがある。アスカは多分、見た途端失神するのではないかな」
 「そ、それは怖いわね」
 どうも私はグロいものは苦手なのだ。何度かネレイドやこのルシフェルに助けてもらったことがある。
 「でもどうしてそんなに良く知ってるの? 何十年もあの暗闇中に閉じ込められていたのに」
 出会った頃のことを思い出して私は言った。
 ルシフェルは闇の精霊界の最も深い所に封じられていた。そもそも精霊界は縦に六つに分かれていて、一番上に光の精霊界。次に火・風・水・土と続き、最後に闇が来る。
 また光と闇の一部と四大精霊界を通じて他の精霊――例えば精神の精霊などが行き来しているとされている。
 この精霊界の成り立ちは私たちの世界にすぐ隣であり、かつ最も遠い所でもある。近くて遠いが故に日常の私たちを大きく左右しうるのだ。
 言葉では上手く言い表せないが、精霊使いならば誰でも知りうることであり、だが一般の人は気付くことも知る事もない世界の構成である。
 「精霊使いなら分かるだろう? 最も近くて遠い所に精霊界はあるという事を。私は闇を通じて世界を見て来たんだよ」
 寂しげに笑って彼は言った。あまり触れて欲しくないようだ。
 「ごめん、変なこと聞いちゃったかな」
 「それは構わない。ともかく、気を付けなさい」
 表情を改め、ルシフェルは言い残し消えて行った。
 「アスカ、お風呂入ってきたら? ここのは結構広いわよ」
 フレイラースがこれまでとは打って変わって元気な顔で部屋に入ってきた。
 ゆったりとした服装に着替えた彼女は、相も変わらず頭にタオルを巻いて耳を隠している。
 「早くしないとアルバートやイーグルに先に入られちまうよ」
 白色の長髪をタオルで拭きながら、ネレイドが続く。
 この部屋は私とネレイド、フレイラースが泊まり、隣にはアルバートとイーグル、イルハイムが泊まりこんでいる。そして今、この宿に一つしかない浴場は女性客の時間なのであった。
 私は二人が入っている間、荷物の番とスパイラルの刺客に備えていたという次第だ。
 「ねぇ、フレイラース?」
 ベットに腰かけたエルフに私は尋ねる。
 「どうして耳を隠すの? エルフ族ってこと、ばれるのがそんなにいけないことなのかな?」
 言ってしまって後悔した。フレイラースは黙って俯いてしまう。
 ルシフェルの件にしても、どうも私は無神経であることを改めて思い知る。
 「ごめん、余計なこと言っちゃって。聞かなかったことにして」
 「あの人が私のせいで好奇の目で見られるのは耐えられないの。だから」
 顔を上げて、フレイラースは私に答えた。
 「確かにエルフ族はあまり珍しい種族ではなくなったわ。でも、やっぱり人間の視線は違う。私は気にしてないけど、その視線をアルにまで向けられたくないの。アルも気にするなって言ってくれるんだけど、ね」
 フレイラースの言葉に、私の頭の奥に痛みを覚えた。それはだんだんと大きくなっていく。
 「それは…私?」
 「え?」
 「ちょっと、どうしたのアスカ?」
 二人の声が遠くなる。
 痛みはやがて記憶の壁を打ち破り、私は襲い来る過去の記憶に飲まれる。

 闇の記憶・翼・破壊・魔族・精霊と魔術・父・友達・冒険・初めて見る人間の街・探求心・優しく懐かしい人ルーン・父と名乗る男カルス。

 それはまだ肌寒い、冬の道中でのことだった。
 私は彼と二人で旅をしていた。
 「いいよな、アスカは」
 ある日、彼は私を見ながらしみじみと言った。
 「何で?」
 どうせいつものようにどうでもいいことを言うのだろう、私は軽く受け流す。
 「僕もアスカみたいに自由に空を飛んでみたいな」
 「そんなことが良いの? でもその分、体重を気にしなきゃならないのよ」
 「それにしては良く食べるよな、君は」
 「前にも言ったでしょ、私は特別なの。太らない体質なのよ」
 「出合った頃から比べるとなんか太った気が」
 そこで彼の言葉は何かに殴られたように途切れる。何故かは気にしない。
 「と、ところでどうして翼を隠すんだい?」
 懐かしい人はそう私に言った。
 「目立つのが嫌だからよ」
 そっけなく答える私に、
 「きれいなのに勿体ないなぁ」
 懐かしい人はそう私に言った。これに私は答えない。
 答えると悪態をついてしまいそうだから。
 誰の為に隠しているのか? その人からきれいなんて言われたら、何のために隠しているか分からなくなってしまうから。
 そんな過去の記憶は私を飲み込み、そしてそのまま何処かへと流れて行ってしまう。
 掴もうと思っても掴まる事なくただ流れ落ちるだけ。


 「アスカ、アスカ!?」
 肩を強く揺さぶられて私は我に返った。心配そうに二つの顔が私を覗いている。
 そのうちの一つに私は視線を向けた。
 「フレイラース、私もね、同じことがあったみたい。でもまた思い出せなくなっちゃった」
 二つの顔が不意に歪んで写る。
 「あ、あれ? どうして涙がでるんだろう?」
 そして遅れて言い切れない寂しさが私を襲い、涙が止めどもなく溢れた。
 「ちょっと、アンタ」
 「ご、ごめん。お風呂入って来る」
 急に一人になりたくなった私はネレイドの止める声を背に、タオルを持って部屋を飛び出した。

<Rune>
 木々の枝には青々とした葉が付き始め、所々花すら咲き始めている。
 冬が過ぎ、この地にはいよいよ春が到来しようとしていた。
 思えば僕がエルシルドの街を出たのは、雪が降り始めそうな秋の終わりだった。そしてその頃は隣にあの娘がいた。
 「もうすっかり春だな、ルーン」
 アーパスが目を細めて言う。
 西の港町サマートまでの街道。その途中で僕達は木陰で一休止していた。
 日は沈みかけ、そろそろ出発しないと宿場街まで間に合わなくなってしまう。
 「ここはすでに西の鷹公国に入っていますからね。この地方は海に面していまして南から来る暖流のお蔭で冬も比較的温暖なんです。だから春が来るのも早いと」
 「暖かいに越したことはないな」
 「水着のネェちゃんもそれだけ早く見れるというわけか」
 隣ではアーパスとラダー、アレフが何やら言い合っている。
 「お兄ちゃん、眠そうだね」
 僕の顔を覗き込むようにクレアは僕の隣に座った。変わることのないその笑顔は僕を昔から安心させてくれるものだ。
 「ん? ちょっと今までのことを思い出してたんだ。色々あったなって思ってね」
 僕は答える。確かにこの数ヶ月間エルシルドの学院では決して体験できない数多くの事を学び、そして聞いた。もっともそれだけ危険な目にもあってしまったが。
 「ねぇお兄ちゃん、前から直接聞きたかったんだけどさ」
 「ん?」
 「お兄ちゃんは何で旅をしてるの? どうして遠見の鏡なんて捜すの?」
 クレアは騒ぐ三人衆を眺めながら尋ねた。そう言えば彼女に鏡を捜す目的を話した覚えがない。
 「ある人を捜してるんだよ。僕が不甲斐ないばっかりにさらわれてしまった人をね」
 「その人は、生きてるの?」
 言い難かったのだろう、しかし当然の疑問に僕は真実を言うべきかどうか迷ったが口に出た言葉はこうだった。
 「生きているよ、間違いなく。僕はそう信じている」
 理由も何もない説明だった。
 だがクレアは長年の感からだろう、何かを読み取りにっこり微笑んでくれる。
 「そっか。うん、私も生きているって信じることにする。お兄ちゃんがそこまで想っているんなら。でもお兄ちゃん、アスカさんってどんな人?」
 尋ねるクレア。って、ちょっと待て!
 「どうしてクレアがアスカを知ってるんだ??」
 「ソロンに聞いたの。で、後を追っかけて行ったら一緒に行動しているって聞いて。探しているのはアスカさんなんでしょ、お兄ちゃん?」
 見事なほどの情報収集能力と推理力だ、感心してしまう。
 僕は苦笑いしながら素直に彼女の質問に答えることにした。アスカってどんな人か、か。
 「うーん、一言じゃ言い表せないな。普通の娘のような気もするけどやっぱり普通じゃないし、そうそう、何だか昔っから側にいたような気のさせる娘だよ」
 「それじゃ、どこが好きなの?」
 その時の僕はクレアをまっすぐに見ていかなった。そして気付くべきだったかもしれない。いやもし見ていても敢えて気付かない振りをして、この問いには答えなかっただろうか。
 「どこって、アスカがアスカだってところかなぁ」
 クレアは僕のその答えに、寂しそうに呟く。
 「私も小さい頃からお兄ちゃんの側にいたよね? どうしてお兄ちゃんは私をそのアスカっていう人と同じようには見てくれないの? やっぱりお兄ちゃんにとって私は、ずっと妹なのかな?」
 「クレア?」
 話の意図が分からず彼女を振り返る。
 そこには見慣れたはずの笑顔はなく、頬に一筋の涙が伝わっていた。
 僕は言葉を失う。
 「私はお兄ちゃんが好き。だからアスカっていう人には渡したくない。絶対にお兄ちゃんの目を私に向けさせるからね!」
 吐き出すようにそう言うと、クレアは勢いよく立ち上がり街道を走る。
 「出発しようよ。お兄ちゃん、みんな!」
 涙の見えない遠くから手を振り、クレオソートは元気良くそう叫んだ。

<Aska>
 心がズキっと痛んだ。
 何故か分からないが、誰かから戦線布告されたような気がする。
 「どしたの、アスカ?」
 フレイラースが尋ねる。
 「ううん、何でもない。ね、フレイラース、街を見てまわらない? 補給品なんかも揃えておきたいし」
 「そうね、アル達も呼んで来ていいかな?」
 「もちろん。じゃ、下で待ってるね」
 そして私達は部屋を出る。なお、ネレイドは寝ている。こいつは一度寝ると蹴っても起きないので無視するに限る。
 これは先程もフレイラースにより実証済みだった。
 混乱していた私の記憶は風呂に入って落ち着くことですっきりした。言い換えるとすっかり忘れてしまったということなのだが。
 ”きっといつかはっきりと全てを思い出せる、よね”
 私は一階への階段を軽足で下りて行った。


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