熱い溶岩の河が彼の側を流れていた。そして天井に見える大きな穴からは太陽の光と風が入りこんでくる。
 その穴の下には赤々と燃える溶解した岩が深い穴の中で脈動していた。しかし彼のいるこの場所――火の門の周辺にはその熱は伝わってこない。
 そこは火口の内部だった。
 ザイル帝国の南に位置するササーン王国。その北部――ザイルとの国境であるが、山脈群にファレイラ火山と呼ばれる活火山帯がある。
 そして知る者は知っている。その火口の一つの中にいつ造られたのか分からない、神殿のような建造物があることを。
 だが何時噴火するか分からない、この危険な場所に立ち寄る者はいるはずもない。
 つい先日までは。
 「急激に力が弱まったと聞いたが、長い年月を経ても結界の力はこれ程までにあるのか。龍族の魔力というものは侮れないな」
 火口の中程で横穴が掘り抜かれており、そこに溶岩が固まったできたような小規模な神殿があった。
 神殿は明らかになんらかの意志に基づいて造られたものである。そして奥には固く閉ざされた巨大な門があった。
 その門を見上げながら、彼は刀を鞘に納める。彼の足下には武装した天使の屍が消え掛かろうとしている。
 彼はシェパード犬のような鋭い眼光に黒い毛、遊牧民を思わせる貫頭衣を着こんだノールの剣士であった。
 人間の歳に直せば三十代後半であろう。
 不意に彼に戦慄が走る。軽く刀を動かし、振り返る事なく背後から飛来した金属片を打ち落とした。
 「お久しぶりね、レナード」
 来客は女性の声でそう、彼に声を掛けた。
 「ほぅ、ライブラか。随分なあいさつだ、元気そうでなにより」
 レナードと呼ばれたノールは刀を再び鞘に戻して懐かしい来客に振り返る。
 そこには彼と同じノール族の女性が数本の短剣を空中に投げながら微笑んでいた。
 彼女の茶色の毛並みは、この結界に入るまでの熱による汗からであろうか、しっとりと濡れている。
 二人はしばらく見つめ合う。一瞬ライブラの瞳に寂しいものが映るがすぐに消えた。短剣をしまってライブラが言う。
 「腕が落ちていないか確認してあげたのよ。でも何よ、ここ。暑くてやってられないわね、結界の中は涼しいけど。これが火の転移点なのね」
 門を見上げて確認するように呟くライブラ。
 「しかしお前が来るとは思わなかったな、村の方は良いのか? 守備頭のお前がいないとあのジジイ達が困りそうだが」
 レナードはライブラに尋ねる。
 「良いのよ、困らしておけば。それに私の代理くらい育ててるわ。ったく、アンタが出て行かなければ私がこんなに苦労することなかったのに!」
 「だからあの時、私はお前を誘っただろ」
 それにライブラは口を閉じる。
 レナードは気まずい顔になり、門に視線を移した。
 「フィースの奴め、相変わらず面倒な役を押しつけおって」
 レナードの呟きを聞く事なく、ライブラは門に近づこうとする。そんなライブラをレナードは片手で制した。
 「近づくと危ないぞ。マナの虜になる」 
 「そうなの? だからこういう奴等が狙うのね」
 ライブラは腰に指した短刀を数本抜く。同時にレナードもまた剣を抜いていた。
 彼らの背後には五体の神々しい姿を持った人型、天使達が手に剣を構えながら虚空から姿を現す。
 そのどれにも人形のような雰囲気が漂っている。
 「確かにアンタ一人じゃきついわね、何せこの結界を越えてくるんだから」 
 「私はお前の知ってる昔の強さじゃないぞ、お前こそお荷物になるなよ」 
 「言ってくれるわね。見せてもらおうじゃない、錆付いていないアンタの力を」 
 「「光波斬!」」
 振り向きざまの二人のノールの技が一体となって天使達に襲い掛かった。
 再び、今度は二人での戦いの始まりである。

<Aska>
 盗賊ギルドでの戦い方は小人数制を重視し、機動力の高いとされる三身一体制である。
 あっと言う間に二日が過ぎその翌日の早朝、私達は盗賊ギルド仲間およそ二百人とともに街の北、三十キリール程行った所に並ぶウライシル山脈の一角へと歩を進めた。
 残る三百は別働隊の様である。
 「明日の夜に麓の村レガルで落ち合うことになっています」
 イーグルが言う。私はネレイド、イーグルとともに三人で行動していた。
 盗賊とあろう者が軍隊ではあるまいし、二百人で並んで行くことはない。こうして三人一組になって目的地で落ち合うことになっているのである。
 ちなみにアルバート達はあの三人で私達より一足早く街を出ている。
 アルバートとフレイラースはギルドから渡された例の妙な薬で、体力が昨夜にはすでに完全に回復していた。良薬口に苦しという諺は事実であったと思わざるを得ないが、基本的に有している基礎体力が尋常ではないのだろう。
 ともあれ朗らかな小春日和、私達が森の中の街道に差し掛かった時である。
 「ふむ」
 フードを頭から被って日の光を避けるイーグルが急に立ち止まる。
 「どうしたの? 貧血?」
 「囲まれたわね」
 隣ではネレイドが呟き、腰の新調した鞭に手を掛けた。
 不意に拳大の火の球が一つ、飛んでくる。
 「伏せろ!」
 イーグルの叫びに私達三人はその場から身を投げ出した!
 ゴゥ
 背中に熱と爆風を感じながら私は地面に伏せる。数秒後に収まったのを感じると、私は立ち上がり腰の剣を抜き放った。
 「スパイラルの刺客?」
 盗賊ギルドの行動は彼らに漏れていたのであろうか。そして多勢に無勢となる前に各個撃破を狙ったものか?
 辺りは舞い上がった土埃に視界は奪われているが、殺気は感じ取れる。
 ネレイドとイーグルはすでに剣を交えているようだ。争いの音がする。
 「後ろかっ!」
 私は剣を突き出す。固い衝撃とともにそれは弾かれた。すぐに構え直す。
 「我らが主に仇成さんとする者に死を!」
 土埃の向こうから大斧を持ったスキンヘッドの巨漢が、まるでスイカ割りでもする如く得物を振り下ろしてきた。敵は魔術師かと思いきや、バリバリの肉体派なのには正直驚く。
 「おっと」
 一撃を軽く身を捻ってかわす。大斧は地面にめり込むがしかし、土を付けたまま再び私に横から襲い掛かってきた。無理な体勢からの攻撃である。
 その一撃も大きく空を切る。大斧は状態を反らした私の鼻を掠めていく。
 その時、すでに私の呪文は完成していた。
 「雷撃よ!
 叫んで伏せる。上空から風の精霊が伴った光が飛来し、大男の斧や『他の何か』に炸裂した。
 「ぐおぉぉぉ!」
 絶叫を上げて体中から煙を上げる男の胸に、立ち上がった私は剣を突き刺した。
 「次。風よ、真空の刃となってかの者を打て!
 剣を大男の胸に残したまま私は風の精霊の力を借りて、後ろで剣を持ったまま痺れて動けなくなっている二人の戦士に真空の刃を投げる。
 二人は絶叫を挙げる間もなく、その場に倒れ伏せた。
 土埃も晴れ、同じようにネレイドやイーグルの周りにも教団の刺客なのであろう、戦士達が倒れているのが見て取れた。
 「ちょっと、アスカ! もしも私達が金属を持ってたらどうすんのよ!」ネレイドがわめく。さっきの雷撃のことか、惜しいことをした。
 「今、惜しいとか思わなかった?」
 「ううん、別に」
 絶命した男から剣を引き抜いて、私は適当に答える。
 「まだだ。火炎球を投げた魔術師の姿がない」
 イーグルの注意に私達二人は周囲に集中する。
 するとどこからか呪文が流れてくるのが聞こえた。どこかに隠れている、そしてこの呪文は。
 「風よ、私達を貴方の腕の中に!」
 精霊の力を借りるのが早いか、突然地面が巨大な顎と化し、地面の上にあるあらゆる物を飲み込まんとするのが早いか。
 「な、何よ、これ」
 ネレイドがおぞまし気に言う。
 風の精霊によって地上から二リール程の高さに浮いた私達は、街道の固い地面が巨大な顎と化して倒された戦士達を飲み込み、無慈悲に貪っていくのを見た。
 倒した敵の中にはまだ生きている者がいたはずだ。
 「仲間を仲間と思ってもいないの?!」
 「そこだ!」
 イーグルが空中で安定を取れないながらも、矢を森の中へと放つ。それが吸いこまれるや否や小さな叫び声が挙がった。
 それとともに地面の胎動は終息へと向かう。
 「終わった、わね?」
 地面に足を付けて私は呟いた。今まで戦っていたのが嘘のようにその跡は地面に吸いこまれてしまっていた。
 「レガルの村までは本当に力のある者だけがたどり着けそうだ。気を付けよう」
 イーグルが日の光によろめきながら言う。心配が増す。
 「奇襲がばれてるのに勝ち目はあるのかな?」
 まだ見ぬ敵の本拠地に、私は言い切れぬ不安を隠し切れなかった。

<Camera>
 シリアは懐にしまったペンダントを服の上から強く握りしめた。
 その中には彼女の両親の肖像画が入っていることをソロンは知っている。
 「良いのか、シリア?」
 隣に心配そうに座る剣士が言った。
 「これは私自身で決着をつけなきゃならない。そうしないと一生後悔するわ。そして本当の意味で新しい自分になれない――だからソロン、約束して」
 彼女はまっすぐに若き剣士を見据えて言った。
 「私が呪力に捕まったら、貴方の手で決着を」
 迷いのないシリアの瞳をソロンは寂しげに見つめる。そして静かに頷いた。
 「分かったよ、シリア」
 小さく笑ってソロンは言う。
 「そういうことだ。行くぞ、イリッサ」
 立ち上がる彼の後に、一人の女性が続いた。
 「だから二年前、最後まで決着をつけるべきだったんだ。そうすればシリアだってここまで苦しむことは」
 赤毛の女性の言葉をしかし当のシリアは止める。
 「イリッサ、やめて。あの時はあれで良かったのよ。ああするしかなかったのだから」
 熊公国首都ブルトン。ここに盗賊ギルドの別働隊が動き始める。
 先発隊はいわばオトリ。盗賊ギルドの動きが読まれているのは周知のことであった。
 だから出発直前にイリッサはバインを呼んで隊を半分にし、先発隊と後発隊とに別けたのである。
 彼女達後発隊は踏破するには向かない迂回経路である山岳ルートを通り、レガルの村に入る予定だ。
 先発隊のルートと比較して距離は1.5倍ほどとなる上に、時間も一刻遅れる為、行軍はかなり厳しいものになる。
 これは直前に彼女ら首脳陣が独断で決定したことなので、教団サイドに情報として漏れている可能性は低いと考えている。
 故に教団からの強襲はないはずなので、戦闘力の劣る者でもレガルの村までは到達することはできるだろうと踏んでいる。
 「さ、私達も行くわよ」
 イリッサの後にソロンとシリアは続く。
 春の芳香を含んだ風が舞い、三人の影が街道に長く延びていた。


 アルバートの星剣が魔術師の一人をなぎ払う。
 その隣では、彼を狙って飛来した魔術による光の矢を水の精霊を呼び出して跳ね返すエルフの姿がある。
 そしてその後ろにはまるで影の様に襲い来る三人の戦士を火炎球の魔術で吹き飛ばすイルハイムがいた。
 「ざっとこんなものか」
 「私も体調は万全!」
 病み上がりの二人は嬉しそうに空を仰ぐ。
 「こいつら、俺達だから狙ったという訳ではなさそうだな」
 「どうやら盗賊ギルドの動きがすでに教団の方に漏れてるようだ」
 地面に倒れる刺客達を蹴飛ばしながら言うアルバートにイルハイムが答える。
 「レガルの村にたどり着く者の数が減りそうだ。もっともこれしきの奴等にやられるような者は邪魔なだけだが」
 杖を握り直してイルハイムは呟く。
 「でも大丈夫かな? アスカ達」
 「こんな奴等にやられる程、おしとやかじゃないだろ。それにあの鷹の瞳と名高いイーグルがついてんだからな」
 剣を鞘に戻しながらアルバートがフレイラースの背中を押した。
 「さっさとレガルに行こうぜ。俺を狙ってる馬鹿者の面をとくと拝んでやる」
 拳を握りしめ、若き王子はその足を早めた。


 翌日早朝。
 寒村であるレガルの村外れに、およそ四百数十名の腕に技のある者達が沈黙の中で集まっていた。
 彼らの表情は多少疲れの色が濃い者が多い。
 盗賊ギルド上層部の機転が直前で効き、先発隊は3分の1程度が脱落したものの、後発隊はほぼ無傷でこの寒村にたどり着くことが出来た。
 戦闘力の高い者を先発隊として送り出したことが大きな成果の一つだろう。
 「………」
 人間の発することのできる最も高い音を用いてのギルド専用の言葉で、彼らは組織的に動いて行く。
 それは聞く者には都会のざわめきの様にうるさいものだが、一般人には聞こえにくい音域である。
 彼らは二つに分かれその二つもやがてさらに二つ三つと分かれて、目的地である山脈の奥地を黙々と目指して行く。
 五刻(十時間)も経った頃であろうか、十数人の比較的大きいグループにアルバート達はいた。
 「元気そうだな、アルバート。あんまり遅いから途中で死んじまってるかと思ったぜ」
 「嫌になるほど刺客が多くてな。結局途中で1刻も寝てねぇよ」
 眠た気な目をこすって、アルバートは男――獣殺しの大剣を背負う剣士ソロンに答えた。
 「シリアの顔色が悪いが大丈夫か?」
 少し離れた所でフレイラースとともに歩く女性を見て、彼は尋ねる。それにソロンは軽く頭を縦に振っただけだった。
 ふと彼らの進軍が止まる。先頭を行く赤毛の女性の小さな声が伝わってきた。
 「私達は本日夜半、正面から乗り込む。本拠はここから1刻程度進んだところにあるはずだ。今から最後の休憩を入れる。皆、心して掛かってくれ」
 イリッサの休憩の指示に一同から多少、緊張が緩む。
 「俺程の囮はいないだろうな。ソロン、お前もだぜ」
 「俺はそれほど顔が割れてないから効果はないよ」
 不敵な笑みを二人は漏らして呟き合う。
 「生きてまた会えたら、酒でも飲もう」
 「ああ」
 ソロンはそう言い残しアルバートの元を後にした。
 彼の視界の片隅には入れ替わるようにしてアルバートの元に駆け寄るフレイラースの姿が入る。
 そして彼の前には青い顔をした相棒の姿がある。
 「気分はどうだ? シリア」
 「うん、ぼちぼちね」
 そのまま二人はその場に座り込む。魔術師は剣士の背中に寄りかかったまま目を閉じた。
 「ソロン、しばらくそのままでいてね」
 背中に受ける感覚を頼りに彼女は自分自身を再確認していく。
 この行軍の中、シリアは自分の中にもう一人の自分が生まれ、今の自分を突き破ってしまう感覚に襲われていた。
 もっともそれは今日に始まったことではない。
 今までは年に一度だけ――かつてこの呪いを受けた日であり、かつ自らの魔力の最も低下する誕生日にだけこの感覚に捕らわれていた。
 しかし今はその呪いの制約に直に対面している為、終時自らを魔力で制していなくてはならない。
 呪い――すなわち血の制約と呼ばれるそれは、教団・スパイラルに一生の忠誠を誓い、具体的に示された使命を果たすこと。
 彼女に課せられた使命とは、かつて教団に多大なダメージを与えた『獣殺し』の大剣を持つ剣士を殺すことだ。その剣士の名はアラン・エリシアンであり、ソロン・エリシアンの父である。
 もっとも正確にはソロンはアランに拾われた子であるため、義理の親子になるのだが。
 シリアにかけられた呪いという制約はしかし「獣殺しの大剣を持つ剣士」を殺すことなので、アラン亡き後の現在は今の持ち主であるソロンがターゲットとなっている。
 だがしかし、彼女は自身に課せられたこの制約を破ることも果たすこともできないままに現在に至っていた。
 そして今、彼女は自分自身の意志の下にこの制約を破ることを決意した。
 破った上で実の親を殺した男の息子であるソロンを殺すのかどうか――本当の自らの意志を知るつもりだ。
 「ソロン?」
 「ん?」
 寄りかかっている先からの声に彼女は安堵する。
 ”何故安心するの? やっぱり私は”
 目を逸らすと隣では携帯食を摘むアルバートとイルハイムの姿が入った。
 いつもならここに渋い表情の中年騎士がいるはずだが、彼は仲間の命を狙い、そして仲間によって命を奪われたということを聞いていた。
 シリアはこの数日、ナセル・ウルトと自分を重ね合わせていた。
 自分は自らの意志でナセルと同じように仲間に、ソロンに剣を振り上げることができるだろうか?
 そしてその命を奪うことができるだろうか?
 アランもソロンも知らなかった十五年前。ただ「親の敵を討て」と教団から派遣された当初ならば何の疑いもなく実行できるだろ。
 いや実際に実行した。そして失敗した。
 だが今はどうだ?
 時々なにかの拍子に、自分の命を失ってでも彼を救いたいと思うような事件も多々あった。いつからそんな風に考えが変わったのか、それすらも分からない。
 そして年に一度の呪いの最も強くなる聖夜である誕生日。感情に任せてソロンに戦いを挑むのは恒例となりつつある。
 そのどれもが当然、敗退に終わっているのは事実である。
 しかしこの呪いを解いて挑んだとすれば、彼女は自身が勝てる事を知っている。
 ソロンは決して自分を殺すことはないし、彼は殺すくらいなら殺された方が良いなどと本気で思っているからだ。
 だからこそ本気で戦えないのではないか?
 例え両親の仇の息子であったとしても、自分を誰よりもよく知り、大切に想ってくれている人に手を上げることはできないのかもしれない。
 ”私はソロンが好きなのだろうか?”
 だからこそ決着をつけるのだ。呪いを解き、自分の制約された心の中の本当を見極める為に。
 「時間だ、シリア」
 背中からの声に顔を上げる。休憩時間が終わったようだ。
 時間的には長めの休憩だったはずだが、呪いに耐えながらあれこれ考えていたらあっという間に終わってしまった。
 しかし休憩前よりは少し体が楽になったようだ。立ち上がり、歩き出したソロンの背中を追う。
 その横を緋色の髪を後ろで束ね、革鎧を身に付けた女が通り過ぎざまに言う。
 「覚悟は良い、シリア?」
 アークスのギルド長イリッサ・ハーティンの言葉に、シリアは不敵に微笑んでこう答えた。
 「ええ。さぁ、行くわよ!」
 全てを振り払うように、愛用の杖を握る左手に力を込めながら彼女は歩みに力を込めた。

<Aska>
 フクロウの寂しい鳴き声が木霊している。
 眼下に広がる風景はどう見ても目的地レガルの村ではなかった。
 簡素なレンガ造りの建物群が整然と列を成している。
 高所から臨む眼下の家々は、沈んだ夕日で藍色に染まり、かつ明るい月によって冷たく彩られていた。
 外出禁止令でもあるのか、生活臭のある住人の姿は見出すことが出来ない。
 そしてその小さな村は、私達の丁度真下にある石造りの神殿の前に広がっていた。
 すなわち私達のいるほぼ垂直の絶壁を背に――どちらかと言うと半分埋め込まれた状態で神殿は存在していた。
 その雰囲気から、前に並ぶレンガ造りの家々とは異なる時代の建物のようである。
 神殿の正面入口にはローブ姿の衛兵らしき者達が、ここからでも小さくながらも2、3人見て取れた。
 神殿の屋根まで、足下およそ五十リールくらいであろうか。
 また私たちのいる岩山は所々洞窟のようなものが小動物のサイズから人の入れるサイズまで口開いており、どうも下の神殿内につながっているように感じる。
 洞窟からはどこも強烈な風が噴き出しているが、いわゆる風穴というものなのだろうか?
 不意に足元に穴が開いていると、風に足を取られて下へ滑り落ちかねない。物騒な風でもある。
 「どうすんのよ、何処よここは!」
 「今更レガルに戻ったところで一日遅れだな。どうする?」
 ネレイドとイーグルが同時に尋ねてくる。
 「うーん、私が思うにここってスパイラルの本拠地じゃないかと思うのだけれど」
 「何言ってるのよ、そんなに都合の良いことあるわけないじゃない」
 そもそもの発端は私がイーグルから地図を奪って先頭を変わったことが原因だ。
 こんなに自分が方向音痴だとは思わなかった。
 「ん? 神殿の前に掲げられてる旗みたいなものがあるが」
 「それが何よ?」
 「俺は夜目が効くから見えるのだが、二匹の蛇の紋章が描かれているな」
 「言われてみれば、衛兵みたいな人たちは魔術師みたいな服装してるわね」
 二人の言葉に、改めて私達は考えて足を止める。
 双蛇はスパイラルの証であると、アルバートに教えてもらったのは記憶に新しい。
 「ま、まぁ、そういうことで。ほら、ここで待ってれば盗賊ギルドの皆と合流できるじゃない?」
 「そうはいかないニャ、お姉さん」
 不意な返事は上空から。
 突如月光が遮られ、私達は何かの影の下に入った。イーグルが本能的に矢を番える。
 数瞬遅れて私とネレイドが武器を構え、空を見上げた。影は翼をもった獣、マンティコアだ。
 その姿は記憶に新しい。背には猫の姿が一つある。
 「この先は行っちゃダメニャ」
 独特な語尾を付け加えた小さな声に、私はこう返す。
 「どうして?」
 「ご主人のお友達が外の人を近づけちゃダメって言ってるのニャ。だから外の人のお姉さんたちは来ちゃダメなのニャ」
 うーん、猫だと思っていたら、やっぱり思考レベルは猫程度のような気がする、なので。
 「私も貴方のご主人のお友達なんだけど?」
 「……」
 マンティコアの翼の滞空音だけがしばらく続く。
 「そうなの?」
 その問いかけはネレイドから。アンタは黙ってろ。
 「そうニャの?」
 「そうなの。むしろ貴方のご主人のお友達っていう人は正しいことをしているの?」
 「正しいこと? 人の言葉はよく分からないニャ」
 そうきたか。
 「じゃ、貴方に優しいの?」
 「……ご飯はくれるニャ」
 呟きに近い声。続けて「時々」とか聞こえる。
 私は背負い袋から保存食の干し魚を取り出す。
 「これ、貴方へのお土産よ」
 マンティコアの上で唾を飲む音が聞こえてきた。
 「ところで貴方のご主人はどこにいるの? この神殿の中?」
 マンティコアの背から顔を半分だけ覗かせて、猫の子は言った。
 「と、『扉』の向こう側ニャ。ボクでは会えないのニャ。ご主人のお友達は会えてるって言ってるのニャ」
 扉?
 「でもボクの力は弱いから、会えないのニャ」
 違う、私は思う。
 多分この子のご主人とやらはこの神殿のどこかに監禁されているか、もしくは最悪の場合殺されているのかもしれない。
 しかしこの子には知らせず、ご主人の友達とやらはこの子を利用しているのだと思う。
 「だから」
 「じゃあ、私は貴方をご主人に会わせてあげるわ」
 「?? なんで?」
 「だって」
 私は上空で顔を出した猫の子に得意満面でこう言い放った。
 「私は貴方のご主人に会いに来たのだもの」
 私の言葉を聞き終わるや否や、ズシンと音を立ててマンティコアはその巨体を私達の前に下ろした。
 その背の上で、三毛の猫は私を見る。
 「ご主人の友達はボクの友達ニャ」
 そう、猫が笑った時だった。
 ガラリ、なにか大きなものが崩れる音がして。
 「え?」
 「なに?」
 「へ?」
 「ニャ?」
 「ウガ?」
 足元の岩場が唐突に崩れた。それは神殿側に落ち込むような崖崩れではなく、地面の内側に落ち込むような崩れ方。
 あちこちに風穴があるとは思っていたが、どうもマンティコアの重量によってこの一帯が内側に崩れこんだようだ!
 襲い来る浮遊感と同時、風が吹き出す風穴とは逆方向、すなわち吸い込む方向の強い風を受けて私達は口を開けた大きな穴の中へと吸い込まれていったのだった。

<Camera>
 月が雄牛の角を示す星に差し掛かる。
 時は来た。
 「突撃、派手にやって奴等の目を引き付けるわよ!」
 イリッサは生き生きとした表情で、従う十数人の同胞達の先頭を駆け出した。
 彼らの前には茂みの間から薄い明かりが見える。それはスパイラルの集落からの物だ。
 スパイラル側にはこの奇襲はすでに察知されていると考えていいだろう。
 レガルの村までの移動の際にあれだけあった襲撃が、一転して村からこの集落までには罠すらなかった。
 ということは彼らの勢力が手ぐすねをひいて待ち受けていると考えて良いだろう。
 「私達は私達の仕事をするわよ。せいぜい奴らを引き付けましょう!」
 気合を入れて仲間に叫ぶ、その返事は。
 「へいへーい」
 「なるべく頑張ります」
 「命を大事に」
 大丈夫か?

 
 ソロンの大剣が振われる度に魔術師が一人倒れていく。
 案の定、奇襲は失敗していた。スパイラルに行動が筒抜けだった。
 この奇襲を企画した盗賊ギルドは、確かに外部へ情報は漏らしてはいないが、スパイラルには独自の高度な魔術技術があった。
 それによってギルドの行動は適確にトレースされていたのである。
 だがこれはある程度予想されていた事であり、現在のギルドの行動は初手としてイニシアティブが取れなかった程度のダメージだ。
 基本的にはイリッサのように表立って戦闘をするチームと、その背後で隙を窺って中央の神殿に潜入し、教祖であるカーリを倒すソロン達のチームとで役割分担されている。
 奇襲の成否に捉われず、各々が着実に任務をこなすだけのことだ。
 現在のスパイラル陣営は、レイの称号を持つ魔術師の合図に従って下級魔術師達が攻撃魔術を紡ぎ出してくる。
 この集落にする全ての住人――女子供も――全てが指示通りに動く魔術師なのだ。非情が売りである盗賊ギルドですら、さすがにこれには閉口せざるを得ないだろう。
 「秘めたる力を解放せよ、炎よ!」
 剣を振るうソロンの横で、シリアが荒い息を吐きながら炎の魔術を解放する。
 荒れ狂う炎の嵐に四人の魔術師が飲み込まれて沈黙した。
 「とにかく白兵戦に持ち込む。一気に行くよ!」
 イリッサの弾んだ声が赤く照らされた夜空に響く。
 だがスパイラルはギルドの接近を許さない。盗賊ギルドの腕利き達は次々と魔術師達の遠隔魔術に倒れてゆく。
 接近の途中である者は足元を土に捕らわれ、またある者は空気がまるで壁のように立ち塞がる。
 「弓兵隊、何ぼさぼさしてるんだい!」
 イリッサの叱咤にも弓兵隊からの援護は芳しくない。散発的に矢が魔術師たちに飛ぶばかりだ。
 そこへ弓を携えた男が体のあちこちを焦がして、緋色の髪の彼女へ駆け寄り叫ぶように言った。
 「弓隊…壊滅!」
 告げて、男は彼女の足下に倒れる。
 「敵さんも戦略立てて潰しに来てるってことよね、魔術馬鹿って訳じゃないか。オマエら、もう少しの辛抱よ、へばんじゃない!」
 叫び、イリッサは時を待つ。今は彼女の側が魔術師たちを引きつけなくてはならない。
 と、不意に戦局が変わった。イリッサ達一点だけを狙っていたスパイラルの注意が四方へと広がったのである。
 イリッサの顔色が青くなる。
 「まだ早い、これはまずいわよ!」
 スパイラルを囲むようにして少数の別動体が茂みから次々と飛び出してくる。
 だがそこへ、待っていたと言わんばかりに魔術の応酬。ギルド別動体は出鼻を挫かれた。
 しかし一方で、神殿に侵入する部隊に関してはうまく行ったようだ。念の為に持たせておいた探査魔術遮断のマントが功を奏したようである。
 「でも結果的には私達はスパイラルの奴等を囲んでる訳よね。派手に騒ぐよ!」
 そう言って彼女は部下を数人引き連れて飛び出した。戦局は混乱の方向へと向かおうとしている。


 「ったく、イリッサの奴は相変わらず感覚で動きやがる」
 ソロンは愚痴る。すでに戦闘は互いに組織だった動きから混戦へと突入している。
 指揮官であるイリッサからして、独自に行動し始めたようだからギルド側の指揮系統がなくなるのは当然だ。
 そしてバラバラに動くギルド軍に対して、スパイラル側も対処しきれなくなったようである。だがこれはイリッサの狙いだろう。
 ここでスパイラル側にしっかりとした指揮官がいればギルドを各個殲滅と言う形を取り、勝利へと導けたかもしれない。
 だがそんな名将がこのような場所にいるはずもない。
 「シリア?」
 確認するように相棒の名を剣士は呼ぶ。
 「大丈夫よ、ソロン。ちょっと苦しいけどね」
 そう答えるシリアの視線が、不意に夜空の一点を睨つけた。二人の足が止まる。
 「やれやれ、まさかの反逆ですか? 一度警告しましたよね、二度目はないと」
 夜空に緑のローブを羽織った一人の中年男が現れていたのだ。
 「レイ・セイルっ!」
 シリアは杖を構えてそいつを見上げた。不敵な笑みを浮かべた魔術師の男はそれなりの実力者のようだ。
 「貴方のお父上は偉大な指導者でした。その敵の血族を抹殺することが貴女の使命です、そうでしょう? レイ・シリア」
 「うるさい! 私は、私はお前達とは違う」
 「いえ、貴女は私達の同志です。さぁ、その剣士を殺しなさい。そうすれば貴女は使命を達することができる。何よりそいつは貴女の父上の敵の息子。迷うことがありますか?」
 微笑む魔術師。ソロンはやりとりを続ける二人を静かに見つめている。
 「使命を果たしなさい。使命の達成は貴女を苦しみから解放する、そしてラ・カーリ様に再び受け入れられるでしょう」
 「風よ、切り裂け!」
 突然のシリアの風の刃の魔術がセイルを切り裂いた。ローブを血で赤く染めながら魔術師は中空から落下して地面に叩きつけられる。
 「人を失う苦しさに比べたら、こんな苦しみは何でもないわ。そして何よりも、使命を果たしても教祖カーリは私を殺すのでしょう?」
 「確かにその通り。やはり貴女を何年も放っておいたのはカーリ様の誤りですね」
 血を吐きながらセイルは言った。彼は自らの血で、這いつくばった石畳に何かを描き始める。
 「聞きたいことがあるわ。何故カーリは私を何年も放っておいたの? 私は邪魔な存在じゃなかったの?」
 シリアの質問にセイルは動きを止めて苦笑する。
 「もちろんですとも。あの方は貴女がのたれ死ぬものと頭から決めつけていたようですが、私達レイの位を持つ者の古参者はいつだって貴女の命を狙っておりましたよ」
 答えに眉を寄せるシリア。
 「気付いていなかったんですか」
 笑うセイル。
 「貴女はそこの剣士に守られていたんです、いつだってね」
 震える右手でソロンを指さす魔術師の顔色は青白い。
 「ソロン?」
 しかしソロンは彼女には答えず、セイルを見るように促す。
 「親の敵の息子に守られ、仲間から狙われるとは滑稽。その不幸な境遇に免じて忠告します。このままその剣士と二人で逃げたらどうですか?」
 「二年前と同じように? それはできない相談よ」
 「そうですか。カーリ様の前に行けば貴女は制約の下で行動し、全てを終わらせることになるというものを」
 出血で生気が消えていくレイ・セイル。そこには死相が見えているが、己の血で地面に描く手は止まらない。
 「だからこそ行くのよ、全てを終わらせに。叔父を倒し制約を解呪するためにね!」
 シリアは毅然とそれに答えた。それに魔術師は最期に血を一つ吐きながら呟く。
 「無理ですよ、マークリーの名を持とうが…カーリ様は…強い。何よりも、私がここを通さない!」
 地に濡れた右手でバン、と石畳を叩くレイ・セイル。
 途端、彼を包み込むようにして石畳が剥がれて組みあがっていく。
 数瞬後にそれは全長五リールはあろうかという石人形となっていた。セイルを核として動くそれは、彼の命を糧として二人に向かう。
 「私一人では勝てないかもしれない、でも」
 ゴーレムとなって、改めて二人の前に立ちふさがった亡きレイ・セイルに彼女は言い放つ。
 「私には仲間がいる、決して負けない!」
 「ああ、お前は負けない。俺の知ってるシリアは、な」
 ソロンはシリアに肩を回して言う。
 「ソロン、行きましょう。そして手伝って、本当の私を取り戻すために」
 シリアの瞳の中に強い決意を感じ取ったソロンは満足気に頷いた。
 「おう、力ずくで行くぜ!」
 ソロンは背の大剣を天に掲げる。
 途端、明るい月の見えていた夜空に局所的に暗雲が立ち込める。
 状況の変化を見てか、ゴーレムがその巨体を響かせ、両腕を振り上げながら二人に襲い掛かってきた。
 「道を開く。ちゃんとついてこいよ、シリア。いくぜ、雷の舞い!」
 大剣に天から落ちた稲妻が収束する。そしてそれを剣士は大きく振りかぶった。
 ゴウゥ!
 白光と轟音。
 二人と神殿の入口まで、剣から発せられた雷がゴーレムを含む全ての障害物を吹き飛ばした。
 入口の石段をも小規模ながら崩すその威力にスパイラルは勿論、盗賊ギルドの面々もその動きを止める。
 ソロンとシリアは手を取り合って、自ら作り出したその道を駆け出した。


 「さすがに呪語魔術を研究しているだけあるな。暗殺なんて生業にしていなければ良いギルドになるだろうに」
 多少戦列を離れて、アルバートはスパイラルの陣営を眺めながら呟く。
 「アルぅ、ソロンとシリアが見当たらないよ?」
 「イリッサ殿はおられるがな」
 フレイラースとイルハイムの言葉にアルバートは適当に合槌を打つ。イリッサは盗賊ギルドの手錬れを率いて陣頭指揮を執っているのが見えた。
 それはともかく、三人にとってここをどう乗り切るかが今後の鍵だ。
 首謀である教祖のカーリさえ倒してしまえば、ここの信者達を皇国の魔術師隊に加えるのは苦ではない。
 ランクによっては宮廷魔術師レベルの者もゴロゴロいるのではなかろうか? そしてそれはシシリアへのいい土産になるだろう。
 「裏口とか捜してみるか」
 呟き、アルバートは剣を片手に腰を上げる。
 その時だ、白い稲妻がスパイラルのど真ん中を突き抜けた。
 呆気に取られるスパイラル陣営とギルドの両方を尻目に二人の男女が駆け抜けて神殿へと侵入する。
 「あ、あれソロンとシリアだ」
 「そうですな」
 「チャンスだぜ、行くぞ」
 他と同じく茫然とする二人の仲間を引っ張ってアルバート達もまた、閉じつつあるその道を駆け抜けた。

<Aska>
 いつの間に気を失っていたのか、私は落下している時のあの嫌な感触が消えていることに気が付いた。
 辺りは穴の中での暗闇はではなく、ぼんやりとした光に満ちた空間となっている。
 方向感覚が、何より上下の感覚がなくなっていた。
 「何処なの、ここ。あら?」
 優しげに頬を撫でていく風が私の側を駆け抜ける。その風は朧げな人の形を取っている。
 風の精霊だ。風は私に微笑むとある一点を指さした。
 「そこへ行けば良いの?」
 風の精霊はコクリと頷く。もっとも精霊とは感覚として捉えるものなので、頷いているかというのは人としての感覚だ。
 私はその方向へ向かって足を一歩踏み出した。だがふわふわとした感覚で、進んでいるのかどうか定かではない。
 どうもその場で足踏みをしているような感覚さえ覚える。
 ”チガウ、チガウ”
 先程の風の精霊は見かねたように私に語り掛けた。
 「違う?」
 ”ココハ私達ノ世界。無限デアリ一次元的デモアリ、四次元的デモアル風ノ精霊界”
 「風の…精霊界? 物質界の住人の私がどうして?」
 入りこめたのか、そんなことができるはずが。しかしその私の驚きを精霊は軽く微笑むにとどまった。
 ”貴方ガ私達ノ友デアル限リ、私達ハ貴方ト伴ニアル”
 ”サァ、風の声ニ耳ヲ傾ケテ”
 新たな風の精霊がもう一人現れて囁く。次々と彼らは現れては消えて行く。
 「風の声?」
 私は目を閉じ、耳を澄ます。
 ”貴方ヲ待ッテル人ガイル”
 ”ソレハ私達を守ッテクレテイル人”
 ”今度ハ私達ガ守ル番”
 自分の意識を無限に広げ、この風の精霊界に溶け込ませた。
 風の精霊達が私の第六感となって全てを教えてくれる。
 そして見つけた。この世界の中心に私と同じ『人』としての感覚を。
 この世界の力の主である風の精霊王と、向かい合って王と談話する『人』の存在。
 頭に浮かぶ光景は風の精霊達の見る景色。
 大きな風の王と、初老の人間の男だった。
 男は歳の頃は五十代前半、優しい瞳をした細身の中年男性だった。
 高山民族の纏うような貫頭衣に身を包み、体の露出している部分には不可思議な紋様の入れ墨が見て取れた。それはまた顔面にまで及んでいる。
 白髪の混じった腰まである茶色の長い髪は後ろで一つに束ねられている。
 彼は風の王にこう言った。
 「私は風の守部。紋様師のリャント」
 と。
 そして彼はこの世界の中心で将来訪れるであろう『私』を待っているということを。
 ”貴方ハココデアリ、ソコデアル。コノ世界ニ場所ハナイ”
 隣を行く精霊の思念を耳に、私は彼らのいるその場所を強くイメージする。
 すると。
 「扉?」
 目の前に巨大な両扉が出現する。
 それはこの風の精霊界の中心までの道筋を堰き止めるイメージだ。
 ”王様ハ、コノ向コウニイル”
 ”道ハ塞ガレテイルノ”
 ”鍵デ開ケテ”
 「鍵?」
 そこで腰に提げていた小物入れから何か光が漏れているのに気づく。
 袋を開けると、古びたキセルから淡い光が放たれていた。
 「これってどうして持ってるんだっけ?」
 ”ソレガ鍵”
 ”開ケテ”
 「これが鍵? でもどうやって」
 見たところ、立ち塞がる巨大な大扉には鍵穴どころか把手すらない。
 ”鍵穴ハ現世ニアル”
 ”開ケテ”
 ”扉ヲ開イテ”
 精霊たちの言葉が次第に遠くなっていく。同時に周囲がどんどん暗くなっていき。
 「え?」
 私は再び落下の感触を覚えたのだった。
 ドサッ、と私は自身が何かの上に落ちた音で我に返った。
 薄闇の中、私は大きな麻の袋が積み重なる倉庫のような所にいるのに気付く。
 周囲に人の姿はない。いや、あった。
 私の胸にしがみつくようにして、召喚術を用いる猫が爪を立ててくっついている。
 本人は目を回しているようだ。
 「ここ、どこだろう?」
 上に目をやれば石造りの天井に大きな穴がある。穴の向こうは暗闇だ。
 私は崖上で足元が崩れたのを思い出す。あの時に飲み込まれた穴と、この天井の穴がつながっているような気がしない。
 よくよく見れば周囲には不自然なほどに風の精霊達が舞い踊っている。
 先程の夢?も考えると、この一帯に風の精霊界が漏れ出てしまって、物質界と一部混同してしまっているのかもしれない。
 「ここは神殿の食糧庫ニャ」
 声は胸元から。
 「なんでボク達、こんなところにいるニャ?」
 「さぁ? とにかく私にもやらなきゃいけないことが出来たし、こんなところでボーっとしてられないわ」
 私は猫を下ろして立ち上がる。
 「リャントさんに会わないとね」
 あれが夢とは思えない。
 夢の中で精霊たちが呼んでいると言っていた彼。会うためにはどこかにある扉を開かなくてはいけない。
 「ボクもご主人に会うのニャ!」
 足元のその声に首を傾げる。そしてつながった気がする。
 「ところでご主人の名前って」
 「リャント・フェムル様。紋様師なのニャ」
 なるほど。この子はやっぱりスパイラルにいいように使われていただけのようだ。
 「ところで君の名前は?」
 「ボクはミーヤ。ファブルー族のミーヤですニャ」
 ファブルー族。
 南のササーン王国に端を発する少数部族だ。人よりも猫寄りと見られ、思考は単純。
 しかし獣じみた高い身体能力と、ドワーフ並みの手先の器用さ、そして見かけによらない高い魔力が特徴だ。
 昨今は人間を含む他種族からいいように扱われ、数を減らしているという情報もある。
 「ヨロシクね、ミーヤ。私はアスカ。一緒にリャントさんを探しましょう」
 「はいですニャ!」
 「ところで、この辺に大きな扉があるところって知らない? 扉っぽいものでも良いんだけれど」
 「扉、ですかニャ?」
 まぁ、そんな簡単に見つかるものでもないだろう。精霊界では大きなものだったが、物質界では全然違う形をしているかもしれないし。
 「ありますニャ」
 「ありましたかー」
 「カーリさんの後ろに大きな両扉がありましたニャ。そういえばご主人もその扉を開けて向こうに行ってしまった気がしますニャ」
 「……カーリってスパイラルの教祖の?」
 「そうですニャ」
 「そうですかー」
 そこでラスボスか。一筋縄ではいかないようである。
 「とりあえず」
 私は麻袋の山からひょいと飛び降りる。
 「ネレイドとイーグルに合流しないとね」


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