<Camera>
 「虚空閃!」
 ソロンの無造作に振う大剣が10リールは離れた所で呪文の詠唱をしている魔術師の二人を切り裂いた。
 「な、何だ?!」
 狼狽える残りの魔術師達。
 そこにシリアの氷の矢の魔術が一団を貫いた。
 うめき声を上げて、一団は沈黙する。
 「ここからどう行くんだ?」
 「ちょっと待って。真理へと導く聖堂の騎士の名を以て正しき道を我に与えよ
 探査の呪を紡ぐシリア。
 表口から堂々と神殿に入り込んだ二人は、半生半死の魔術師達を踏みつけながら通路を駆けて行く。
 二人の足音のみが石造りの通路に木霊する。
 だが、それは通路いっぱいに広がる炎の嵐の轟音によって破られた。
 「大丈夫? ソロン」
 まともに飲み込まれた前を行く剣士に彼女は回り込む。
 「ああ、お前の持っているその炎の杖のお蔭でな」
 多少驚きながら、剣士は黒く焦げた通路の床を見回した。丁度二人を中心として半径三リールの円状だけが焦げていない。
 シリアの持つ魔杖ドラゴニアは千年生きた炎竜の喉骨から削り出された魔導具である。
 この杖の特殊効果として、あらゆる炎を一定半径内は寄せ付けないという能力があった。
 「構えろ、シリア。次の相手は一筋縄じゃいかなそうだ」
 通路の先には大型犬サイズの敵影が数体見て取れる。
 「ゴーレム、ね」
 シリアは小さく舌打ち。それらは石造りの小型龍のゴーレムだった。二足歩行をするそれらはボクサーのようなフットワークを取りながら、じわじわと近づいてくる。
 スパイラル特製のそれらは単なる腕力を振るうだけのゴーレムではない。今のような炎を「吐く」こともできるし、
 「来るぞ!」
 ソロンは大剣を構える。飛びかかってくる石の竜は3体。連携してその鋭い顎を大きく開いて彼ら二人を狙う。
 そしてその後ろにいる残り三体は、炎のブレスから氷のブレスに切り替えて援護射撃に入った。
 そう、個々に連携できるのだ。これまでのゴーレム技術では見られない厄介な能力である。
 ソロンの振るった大剣の横薙ぎで、三体のゴーレムはそれぞれに小さい傷を負いつつも後ろに下がって一旦間合いを取りなおす。
 「厄介な相手ね、こんな時に」
 「全力でいくぜ」
 ソロンは鋭い目で一団を睨つけながら大剣を構え直す。
 それに合わせるかのようにシリアもまた炎の杖を両手で前に突き出した。


 二人は迷っていた。体力の限界に近づいている。
 今まで何人の魔術師を倒したことだろう。二人にとっては赤子の手を捻るようなものだが、とにかく数が多い。
 アスカとともに穴に落ちた先はスパイラルに雇われた傭兵の控室だった。
 ここで軽く一戦を終えて確認すると、ネレイドとイーグルの二人しかいないではないか。
 頭上に開く落ちてきた穴を見上げれば、どうやら途中で分岐しているようだ。
 「いったいどうなってるのよ、この建物は。イーグル、何とかしてよ!」
 「どうしようもないな、ともかく先に進むしかないだろう」
 「さっきから同じ所を回ってるのよ、分かってるの?」
 「俺達二人はまともな魔術が使えんだろう。どうしろと言うんだ?」
 「だからって闇雲に進んでちゃ」
 「そんな馬鹿なことはしていない。ほら、次のT字路を左だ。この行き方はまだ試していない」
 言いながら黙々と進むイーグル。
 そう、二人は神殿の中と思しき通路を進んでいるのだが、どこまで行っても同じ壁が続いているのだ。
 試しに通路の分かれ道の壁にナイフで傷をつけて見ると、しばらくして同じ場所に出る。
 どうも魔術で通路をループさせているらしい。防犯の魔術の一種なのだろうが、この手の魔術は一定の法則で突破することができる。
 それは分岐路において特定の順序で進むことだ。
 イーグルが試しているのはまさにそれだった。
 「へぇ、一応考えてたんだ」
 背中を追うようにネレイドは足早に続く。
 「しかし残念だったわね、隣にいるのがアスカじゃなくて」
 「ああ、残念だ」
 タイムラグの皆無な返答に思わず鞭に手を掛けるネレイド。
 「ん?」
 不意にイーグルは足を止める。そのイーグルの背中に止まらないネレイドは顔から激突した。
 「コラ、急に止まんないでよ」
 鼻を押さえる彼女にイーグルは無視して鋭い視線を前方に向ける。
 「ループは抜けたようだが、この先で争いの声が聞こえる。誰かがやりあっているな」
 彼はそう言うと駆け出した。遅れじとネレイドがその後を追う。
 そして右に通路を折れたときだった。不意に冷気が立ち込める。
 剣戟が聞こえ、魔術の炸裂音が広いとは言えない石造りの通路を振動させた。
 二人の目の前にはまるで生きているように動く石造の竜3体の背があった。
 その向こうでは一人の剣士と一人の魔術師が竜に対して留まる事のない攻撃を送っている。
 イーグルは迷う事なく、背中を見せる竜のゴーレム目掛けて矢を射った。
 一度に矢は三本放たれ、それぞれが後ろから竜それぞれの首元に突き刺さった。
 三体のうち一体はまるでエネルギーが切れたかのように動きを止め、一体は転倒。
 残る一体は意にも介していない。
 転倒した一体は即座に剣士の大剣の一撃と、魔術師の圧力破砕の魔術で砕かれた。
 矢をもろともしなかった一体はしかし、同じく背後から放たれた鞭によってその両足を拘束される。
 ウィップ・バインド。ネレイドの持つ全長三リールの鞭による拘束術だ。
 ネペンテスと呼ばれる伸縮性の触手を持つ食人植物のつるで作られたしなやかな鞭は、ゴーレムの怪力でも千切れることはない。
 怒り狂う竜のゴーレムはその口から冷気の息を辺りに吹き散らすが、やがて剣士の大剣の前に崩れ去った。
 大剣を持つ剣士は剣を収め、イーグルに歩み寄ってくる。
 「助かったよ、礼を言う」
 「いや、俺達もここを通りたかった。礼には及ばん」
 板金の鎧を着こなした銀の短髪の剣士を一瞥すると、イーグルは彼ら二人の脇を通って先に進もうとする。
 が、その襟元をネレイドが掴んだ。そして剣士と魔術師に問う。
 「もし良かったら一緒に行かない? そっちも二人じゃ心許無いでしょう?」
 「私達は直接、教祖のカーリを狙っているの」
 女魔術師の言葉にネレイドは微笑む。
 「私らも似たようなもんだって。ね、イーグル」
 「俺達はまずはアス…」
 「あの娘もカーリを捜すでしょうよ、十中八九ね」
 イーグルの言葉を途中で突っ撥ねる。確かにネレイドの言い分にも一理ある。
 「分かった、好きにしろ」
 「という訳で、私はネレイド。こっちがイーグル、よろしくね」
 「俺はソロン、こいつはシリアだ。仲良くやろうぜ。ちなみにイーグルさんとやら、やっぱりあの鷹の瞳のイーグルなんだろ、あんた?」
 ソロンの言葉にイーグルは小さく溜め息を就いて頷く。
 「そりゃ、心強いぜ。よろしくな」
 そしてここにソロン−シリア&ネレイド−イーグルの即席パーティが結成された。


 「神殿に見えたが完全に迷路だな、こりゃ」
 駆けるアルバートは額の汗を拭う。
 「しかし感じぬか? フレイラース」
 「ええ、分かってる。強い風の力を」
 魔術師イルハイムの問いにターバンの少女フレイラースは頷いた。
 「ここには強い風の力を感じるわ、何なのかしら? この感じ」 
 「分からん。分からんが、この力の中心に教祖カーリがいると考えられぬだろうか?」
 二人の会話に首を傾げるアルバートは、
 「何言ってんだか良く分からんがフレイラース、頼むわ」
 言って先頭を譲る。
 そしてフレイラースは一旦立ち止まり、目を閉じた。
 周囲に充満する風の精霊力を見出すような力の流れが遠くに感じる。
 「こっち、ついてきて」
 目を開いたエルフの娘は軽やかに駆け出した。


 両開きの石の扉がそこにはあった。表面には巨大な二匹の蛇の紋章が彫り込まれている。
 「ここだな、多分」
 ソロンは呟きながら背の大剣を抜く。獣殺しの異名を持つ大剣の刃には一点の曇りすらない。
 「それじゃ、行ってみますか」
 褐色の肌の女性は腰の鞭を確認しつつ言って、扉を勢いよく押した。
 バン!
 その細腕からは想像のつかないほどの勢いで両扉は開かれる。
 扉の向こうに合ったと思われる閂をへし折られて、開かれた扉の向こうで跳んで落ちた。
 殺気を身に纏いつつ四人の戦士達は素早く部屋に入り込む。
 「ほぅ」
 弓に矢をつがえた状態でイーグルが嘆息する。
 部屋は彼らが思っていたよりも広かったのである。広大なその部屋は向かいの壁までおよそ三十リールはあろうか。
 さらに天井までの高さは二十リール程もある。特に天井は奇麗に磨かれており、ほんのりと光を発していた。おかげで部屋全体がまるで晴れの日の外にいるようだ。
 そして必見すべきは、彼らの入って来た扉の向かいの壁に複雑なレリーフの施された巨大な両扉が閉ざされていることだ。
 生来の特性として自己位置認識能力のあるイーグルが嘆息したのはこの扉の存在にである。
 彼の感覚では、この扉の先は岩肌のはずであるのだ。
 「よく来たね、シリア・レイ・マークリー。そしてアラン・エリシアンの息子よ」
 大扉の前からの声だ。
 扉とのスケールの違いからか小人のように見える白衣の男が、扉の前に据え付けられた一つしかない玉座のような椅子に腰を下ろしていた。
 中年のやせぎすな男だ。顔には特徴はないが、しかしどうしても目を離せないオーラが漂っている。
 それはまるで無理矢理振りかけた香りの強い香水の様に、周囲の者の視線を捉えて離さない。
 「アンタがカーリ?」
 ネレイドの問いに白衣の男は不敵に頷く。そしてその表情がわずかに曇った。
 「おや、招かざる忌むべき存在がこの場いるとは。神殿には結界が張ってあるというのにどういうことか?」
 彼の視線はネレイドとイーグルに向いていたが、やがて興味を失ったようにシリアとソロンに視線を戻した。
 「二年ぶりですね。だが以前とは違うことをここで示しましょう」
 「それは私のセリフよ」
 シリアが叫ぶようにして言う。
 「今度は決着をつけるわ、カーリ叔父さん!」
 シリアの態度をカーリは満足げに確認すると、立ち上がって軽く指を鳴らす。鳴った右手の人差指にはまった指輪が一瞬光る。
 「来るぞ!」
 ソロンの声。軽い風を巻き起こし、カーリの前に七つの『もや』が現れた。
 そのもやは瞬時に物質と化す。
 カーリの白衣とは対照的な、真っ黒なローブに身を包んだ者達だ。
 それぞれに魔術師の証たる杖を手にしていた。目深にかぶったフードを七人は一斉に取り払う。
 「??」
 イーグルは訝しむ。七人ともそれぞれバラバラな印象だった。
 男もいれば女もおり、老人がいれば子供もいる。だが共通しているのが、
 「目がイッちゃってるわね」
 ネレイドは苦笑を浮かべながら腰の鞭を解き放った。
 「「我ら、偉大なるカーリ様の為に!!」」
 七人はそう叫び、人間とは思えない瞬発力でソロン達に肉薄する。
 まず先頭のソロンが抜いていた大剣を背の鞘に戻し、手前の一人に強烈なボディーブロー。次の一人に振り向きざまの左足での蹴りを放つ。
 攻撃を食らった二人はソロンから文字通り吹き飛ばされる。
 同様にその隣では、ソロンと同様に弓矢を背に戻したイーグルが一人に手刀を放ち、もう一人に返す手刀を放っていた。
 こうしてカーリ配下の四人が戦闘不能に陥ったかと思われたのも束の間。
 「な?!」
 手刀を食らい、気絶したと思われた二人がイーグルにそれぞれ抱きついた。さすがにイーグルは驚きに一瞬気を取られる。
 それが大きな隙だった。
 「「我らが理想の元に!」」
 二人は叫ぶと同時、内側から爆発する。むろん、イーグルとて無事では済まない。
 「イーグル!?」
 ネレイドの叫びは爆発音にかき消される。
 爆発の横では爆風などもろともせずに残る三人と、ソロンに攻撃を食らったはずの二人が何事もなかったかのように起き上って再び襲い掛かってきた。
 「限度を越えた身体強化か」
 「盲信の末の自己犠牲ね」
 ソロンは今度は背の大剣を抜き放って迎え撃つ。その後ろでシリアが光の矢の魔術を解き放った。
 煌めく大剣がすれ違いざまに、鮮やかに二つの首を切り落とした。
 残る三人はソロンに接近する以前に光の矢によって左胸に大きな穴を開けて即殺される。
 パチパチパチ
 不意に拍手が一つ、鳴り響く。
 カーリだった。
 「お見事です。手加減できぬと判断すると同時、瞬殺に切り替えるとは素晴らしい判断能力だ」
 彼は笑いつつ、再び指を鳴らす。
 途端、先程と同様に周囲にもやが七つ生まれ、再度七人の魔術師達が召喚された。
 「手駒はまだまだいます。果たしてその全てを刈り取れるのですかな?」
 「舐めるなよ、小僧」
 その声はソロンとシリアからではない。先程の自爆の中心にいたイーグルからだ。
 全身に火傷を負いつつ、しかし両足で立っている。半分焼け爛れた美しい顔には怒りと、長い長い牙があった。
 彼の右手には先ほど自爆した魔術師と思われる、まだ子供の頭だけが握られていた。
 「お前、すでに『人』ではないな」
 言ってイーグルは手にした頭に『食らいついた』。まるで果実から水分を抜くようにその頭はしぼんでいき、そして彼の手の中で散る。
 同時に損傷した彼の体の各部位から湯気が沸き立ち、瞬時に修復する。
 それを目の当たりにしてカーリは眉間にしわを寄せて言い放つ。
 「吸血鬼である貴方に言われたくないですね。それもどうやら随分と中途半端な吸血鬼のようだ」
 カーリの言葉が終わらないうちに二人の魔術師が強化されたその体でイーグルに詰め寄り、それぞれに杖を大きく振りかぶった。
 二つの連撃はイーグルの足元の石畳を叩き割るほどの強力なものだった。しかし当たらなければ意味はない。
 イーグルはすでにその二人の背後に回っており、それぞれの首筋を後ろから掴んでいた。
 左右両手の長く伸びた爪が信者二人の首に食い込む。同時、先程の頭の如く。そこから水分が抜けるように二人の魔術師は干からびていく。
 「悪いが手加減していられないのでな、遠慮なく行くぞ」
 二つの死体を放り投げ、本来の武器である弓矢に手を伸ばすイーグル。
 必中のその標準をカーリの額に合わせた。
 だがカーリに焦りは見られない。彼の前に欠けた分、追加で二人の魔術師が召喚されていく。
 「確かに私はすでに『人』ではない。知識を探求し、真理を解き明かすこのスパイラルの理念そのもの。理念を体現したこの私は、かつてのあの女の様に崇拝の対象なのです」
 吸血鬼イーグルを一瞥した後、シリアに視線を向けて教祖は言う。
 「教祖ラ・カーリの名においてレイ・シリアに改めて命じます。貴女の両親を殺した戦士を殺しなさい。大剣『獣殺し』を持つその戦士を。スパイラルの障害を取り除くのです」
 対してシリアはキッとカーリを睨みつけて叫ぶ
 「すでに両親の敵であるアランはこの世にはいないわ!」
 「その意志を継ぐ子はいる。憎々しい獣殺しをアランと同じように使う子が」
 「違う! ソロンは…」
 シリアの言葉が途切れ、そして杖に身を凭れかける。
 「貴女は我らスパイラルの一員。魔力を尊び、探求する者であり、それを脅かす者達を駆逐する者」
 滔々とカーリは演説するように続けた。
 「そしてそこにいるソロンこそ、前首領である貴女の父と母を殺した者の息子。貴女の苦しみは全てその男から来ている」
 「…ソロン」
 シリアは呟く。その様子をソロンは静かに見守っていた。
 彼は信じている。自分の相棒がその身に刻まれた呪いという名の誓約に負けないことを。
 「ソロン?」
 「なんだ、シリア」
 魔術師の女は勢いよく顔を上げて微笑みながらこう言った。
 「殺す!」
 「全然ダメじゃねーかっ!」
 シリアの額には誓約の証である紋様が淡く光り輝き浮かんでいた。これまで見たことのない程の強い光だ。
 彼女の魔術である光の矢がソロンに叩き込まれる。それらをソロンは愛剣で全て叩き落とした。
 それが引き金となり、イーグルの矢がカーリに放たれる。
 一本の矢の影にもう一本を忍ばせた影矢だ。例え一撃を交わされても残る一撃で仕留める、そんな技だ。
 しかしそれは周囲の魔術師たちの放つ魔術である炎の嵐によって焼き落とされた。
 「ネレイド、ちょっとマズいぞ。君も『本性』を見せたらどうだ?」
 目標をカーリから周囲の魔術師に切り替えざるを得なくなったイーグルは、同様に鞭を早速焼き切られたネレイドに叫ぶ。
 「ちょ、どうしてアンタがそんなこと知ってるのよ」
 「吸血鬼の嗅覚を嘗めるな」
 「ちっ、アスカには内緒だからね!」
 言った途端、ネレイドに魔術師達からの冷気の魔術が叩き込まれる。一瞬で氷漬けになったネレイドだが、瞬時に氷は湯気となって散った。
 ネレイドの全身がうっすらとした熱気に包まれている。魔人としての本性を解放したのだ。
 彼女は兄のパスウェイドとは正反対の特性を備えている。兄が冷気を操るのならば、妹である彼女は炎である。
 「私は力の加減が苦手なのよ」
 右手を振りかざすと同時、三人の魔術師が全身を炎に包まれる。だがなお彼らは命を賭して攻撃魔術を放ってきた。
 だがそのどれもがネレイドには通じない。魔人である彼女は、魔族並みに主体を精神世界に置いている。
 彼女の耐魔能力は中レベル以上の冷気系の攻勢魔術でないと突破できないのだ。
 イーグルとネレイドは自身の能力に頼った肉体での直接攻撃に移行する。
 しかし続々と召喚され続ける狂信者達を相手に、ギリギリの均衡はいつまでも続けられるとは思えなかった。
 一方で、ソロンは状況を再確認する。
 目の前にはありったけの魔術を駆使して襲い来る相棒の姿。
 「適当にやりあってシリアの魔力が尽きるのを待つ…しかないか」
 だがシリアの攻撃はいつにも増して激しい。カーリから直接呪いに衝撃を与えられたせいだろうか?
 「しかしそれまでカーリの野郎が動かないとも限らんし。イーグルからの支援はありえないしな」
 ソロンは防御の構えで視線をすぐ隣に逸らす。そこでは全身傷を負いながらも、魔術師七人を相手に善戦する二人の姿があった。
 狂信者と化した魔術師たちは身体強化と魔力増幅の加護を受けているらしいが、精神は狂化しているようで連携攻撃や程度の高い魔術の行使は難しいようだ。
 しかし個々に人間離れしていることには変わりはない。そんな狂信者を文字通り人間ではない二人は比較的容易く葬っていく。
 だが常に相手は七人召喚され続けているため、イーグルとネレイドは押しはしないが押されてもいない。
 どちらにしろ、あの二人の現状ではカーリを脅かすだけの余力はないようだ。
 そしてもちろんソロンもシリアの相手で手いっぱいである。
 「他人の心配より自分の心配をしなくちゃな。親父との約束、守らんといかんし」
 シリアによって放たれた炎の矢を避けながら、ソロンは遠き日の約束を噛みしめる。
 いつの頃からだっただろうか。ソロンはいつからかアランという名の剣士と供に旅をしていた。
 中年も後半に差しかかった彼は腕利きの冒険者であり、ソロンの親代わりでもあった。
 色々あってアークス皇国のエルシルドという町に腰を据えることになった。当時ソロン6才である。
 そこにアランの命を狙ってシリアが暗殺しに来た。当時シリアもまた6才であった。
 子供の皮を被った小さな暗殺者にアランは驚いたが、それが亡き知己の娘と知り、育てることとする。
 その際に普段はかなりい加減なアランが、真面目な顔でソロンにこう頼んだのだ。
 『シリアを守ってやってくれ』と。
 その時は頷いてしまったが、弱々しい女の子ならまだしも、自分よりも強い子をどう守ったらいいのかと当時頭を悩ませたものだ。
 「まぁ、今でも悩みは続いているんだがな」
 苦笑いするソロンの足元を氷の槍が一本、二本と貫いた。
 いくら魔術を使わせてもシリアの魔力の底は見えない。そのことは相棒であるソロンの最も知るところではあるが。
 「やはり呪いの根元を断ち切るより他はないか」
 ソロンは教祖カーリに目を向ける。カーリはイーグルとネレイド達の戦いに視線を移している。
 常に七人の戦力を用いているにもかかわらず、押し通せないことに苛立ちを隠せないようにも見えた。
 カーリを向こうにして、シリアが己の魔力を収斂した剣を用いて連続して突きを放ってくる。
 ”今か!”
 ソロンは剣をかわしながら、懐をまさぐりつつ魔力を練った。
 シュッ!
 短剣の投擲。それは彼の魔力で速度と貫通力が強化されたものだ。
 高速で飛ぶそれは、シリアのこめかみを軽く掠って髪を数本切り落とした後、カーリの頭部へ炸裂する、はずであった。
 が、予想に反してそれは金属特有の澄んだ音を立てて、カーリの目の前に落ちた。
 「魔力障壁か、いつの間にそんな強力なものが?!」
 ソロンはその瞬間を見ていた。短剣が力を失う寸前にカーリの人差指の指輪が強い光と魔力を放ったことを。
 ”なんの魔導具だ? 召喚もあの指輪で行っているようだが”
 「そんなことをしている暇があるのかね? ソロン君」
 カーリはイーグル達からソロンへと視線を移す。足元に落ちた短剣を拾って、
 「これは君に返そう」
 無造作にそれを放り投げる。すると短剣は目にも止まらぬ速度でソロンに飛び込んできた。
 そして自ら意志を持ったかのような軌跡で、ソロンの脇腹を鎧を突き通して刺さる。
 「ば、馬鹿な!」
 足元をふらつかせつつも、なんとかシリアの魔力剣と同時に放たれた炸裂弾をかわすソロン。
 だがその足運びは格段に落ちている。
 「くそっ、俺では奴には手が出せんか。やはりシリア並みの強い魔力が必要だな」
 ”シリアを守れ、ソロン”
 アランの言葉が頭に浮かぶ。
 「方法はあるがシリアは殺せんからな。危険な賭といこうじゃねーか」
 剣士は呟くと向かってくる魔術師に対して、その大剣を引いた。そして魔術師の突き出した魔力剣が剣士の左胸に吸い込まれて行く。
 ソロンは飛び込んできたシリアをその剣ごと抱きしめた。
 パキン!
 乾いた音を立てて、長年シリアの心の中にあり続けた『それ』は弾けて消えた。


 シリアは顔に暖かい何かを受けて、我に返る。
 「あれ?」
 彼女は相棒の剣士に抱かれていた。そして自らの手に生んだ魔力剣を伝って彼の血が魔術師の手を濡らしている。
 「目が覚めたか、シリア。気分はどうだ?」
 ソロンは確認する。彼女の額にあった誓約の紋様が完全に消え去っているのを。
 「嘘、ソロン? これ…嘘?!」
 唖然としたシリアの手から魔力剣が消える。
 途端、ソロンの砕けた鎧越しに、どくどくと胸から赤い血が溢れ出す。
 「そ、ん、な。私、結局逆らえなかった」
 「落ち着け、シリア」
 ふらりと後ろへ下がる彼女の血に塗れた右腕を剣士は掴む。
 シリアは茫然と相棒の顔を見つめた。
 「ともあれ、使命を果たしたと認識してようやく制約が解除されたようだな」
 「それでソロンが死んじゃ、意味がない」
 「おいおい、こんな傷で俺が死ぬわけないだろ。ちょっと傷は深いが。いや、思ってたよりも結構深いかも?」
 そう軽口を叩く言う彼の顔色は、しかし青い。
 「私の魔力剣は確かにソロンの心臓を突き破ったはずよ。傷が深いとかそういう状況じゃ…」
 そこまで言って、シリアは疑問。普通なら即死だが、ソロンは派手に血は出ているが生きている。
 「おっと考えるのはそこまでだ。よもや誓約が復活なんぞしたらたまったもんじゃない。今はまだ騙されたままにしておけ」
 ソロンは続ける。
 「カーリを倒せ。俺の力では奴の魔力障壁を破れそうもない」
 言いながらも彼は膝をついた。
 「決着をつけろ、シリア。本当の自分の生き方を選ぶんだろう? さっさと行って、自由になったお前を俺に見せてくれ」
 「分かったよ、ソロン」
 シリアは彼から、教祖カーリへとまっすぐに視線を移した。
 「行ってくる。それまで死なないでよね」
 彼女の言葉に、ソロンは駆けていく彼女の背に無言で小さく頷いた。


 シリアはカーリに向かって駆ける。
 しかしその間を三人の信者が立ち塞がった。
 「どきなさい!」
 シリアの魔力剣が一閃、二閃。だが三人は傷つきながらも連携を取り、各個魔術の攻撃を仕掛けてくる。
 氷の矢が二本、シリアの身体能力を絡めて鈍くする風の魔術が一つ。
 「っ、戦力が足りない」
 どのようなプロセスで行っているのかが不明だが、カーリは常に七人の信者を『召喚』できるようだ。
 厄介なことに召喚された信者は人間ではあるのだがトランス状態に陥っており、致命的なダメージを受けても怯むことなく立ち向かってくる。
 他方で四人の信者を先程合流したネレイドとイーグルが受け持ってくれているが、倒すごとに新たに召喚されてくるためにきりがない。
 いや、信者がいなくなれば召喚は終わるのだろうが、それはこの場の四人でスパイラルを壊滅させるのと同義であるので、無理があるだろう。
 「ええい、うっとうしい!」
 握る炎の魔杖ドラゴニアの魔力を一部解放し、目の前の三人を一瞬にして焼き尽くし、一歩前に出た。
 途端、減った分だけ三人が新たに追加される。
 シリアは後ろを一瞥する。やや離れたところでソロンが左胸を手を添えて片膝をついていた。致命傷を負わせた感触はまだ両手に残っている。
 目の前の信者三人の向こうには悠然と佇む教祖の姿があった。
 届く距離だが、届かない。シリアは怒りを込めて叫ぶ。
 「カーリィィィ!」
 そして突如生まれるのは背後からの殺気。
 その二つがシリアを素通りして目の前の三人の魔術師を討った。
 「行くが良い、シリア」
 「ガンバ!」
 彼女の両隣に立つのは、禿頭の魔術師イルハイムとエルフの精霊使いフレイラースだ。
 シリアは小さく頷き、再びカーリに向けて駆けた。
 途端、三人の魔術師他召喚されるが。
 「お前達の相手はこちらだ」
 「こっちこっちー!」
 イルハイムとフレイラースが引きつけてくれる。
 シリアとカーリとの間に障害はなくなった。
 「ふん、愚かな女だ。お前にもう用はない。我が手にかかって死ぬことを誇りに思うがいい」
 カーリは冷たく言い放ち、魔力剣を突き出して走り来るシリアに右腕を突き出した。
 そこから静電気が生まれ、それは雷となってシリアを打つ――はずだった。
 雷はシリアの目前で何かにぶつかったように弾けて消える。
 「我が魔力よりも強力な魔力障壁だと?!」
 カーリの無表情だった顔に、初めて驚きの色が浮かぶ。
 「ハッ!」
 シリアはカーリの手前で手にした魔力剣を振った。
 それは彼女にとって何かを砕く感触を受けたはずだ。シリアは後ろを振り返ることなく、こう叫ぶ。
 「アルバート、カーリの魔力障壁は破ったわ!」
 「応!」
 力強い声は彼女の真後ろから。
 いつの間に忍び寄っていたのか、彼女に隠れるように駆けてきたアルバート王子が飛び上がり、大上段の構えで星剣レイトールをカーリに向かって振り下ろした!
 「ぐはっ!」
 左肩から袈裟懸けに叩き切られ、カーリは血を吐いて後ろへたたらを踏んだ。
 「とどめよ」
 アルバートの脇から炎の魔杖をカーリに突きつけるシリア。
 一言、呪語を呟くと同時。
 彼女の心を象徴するかのように、杖から生まれた炎の嵐がカーリを包み込んだ。
 「グアァァッ!」
 教祖カーリは叫び、顔の半分を押さえながらさらに後ろにさがるが、その背が壁にぶつかって止まった。
 巨大な両開きの扉が彫刻がなされた背後の壁だ。
 カーリは紛い物の扉を背にして片膝をついた。ローブの半分が黒く焦げ、炭化している。
 その黒い部分から、彼の赤い血が滴り落ちていた。
 カーリはシリアとアルバートを見上げる。その瞳は空虚しか映っていなかった。
 しかしカーリの表情は瞳の空虚さとは別に、苦悶に満ちたものだった。
 「信仰こそが、最も強力な力ではなかったのか? 私はどこで間違った?」
 カーリの細い首筋にアルバートの剣先が突きつけられる。
 「最初からずっと間違っていたんじゃないのか? お前らは知識欲を信仰対象にしているが、それは実体も何もないものだろう?」
 「実体などなくとも良いのだ。信仰の対象であれば何でも…」
 命を絞り出すような声量でスパイラルの教祖は呟く、が。
 「いや、違う。最初に私が信仰したのは光の聖女だ。どこで何が」
 そこでカーリの言葉は途切れる。アルバートは今までにない戦慄を覚えた。
 「む」
 「あら」
 そんな声が背後から聞こえてくる。いつの間にか魔術師の召喚がなくなったのだ。
 「終わったか?」
 それはイーグルの声だった。聞き覚えのあるその声にアルバートは叫ぶ。
 「まだだ、何か来るぞ!」
 「え?」
 戸惑うシリアの腕を掴んでカーリから離れるアルバート。
 睨む彼の視線の先、動かなくなったカーリから白い煙が立ち上っていた。
 「何だ、あれは?」
 フレイラースの召喚した癒しの精霊によって傷を癒されたイーグルがアルバートの下に駆け寄り尋ねる。
 「分からん。ただ凄まじい力を感じるな」
 「信仰の力だよ、あれは」
 イルハイムに肩を借りたソロンがアルバートに言った。
 「スパイラルが崇める魔術の力という神に対しての、信仰の力だ」
 「それだけじゃないわね」
 ソロンの言葉にネレイドは異論を唱えた。
 「力は力に過ぎない。その信仰の力を取り込んだ生命力がこの脅威を感じる力の正体よ」
 「生命、か。力を集めたその母体とは一体なんだ?」
 イルハイムの呟き。
 「さぁ? でもきっと、ロクなもんじゃないわね」
 ネレイドの言葉に答えるかのように、白い煙はやがて「もや」となり、人の形を取って物質化した。
 「お前たちが我が宿主を死へと追いやった者達か。まったく人とは強いものだな」
 そいつはそう、人の言葉を放った。
 虫の息のカーリの身体のやや上に浮遊するのは、三対の純白の翼を持ち、仰々しい白い鎧を身に付けた壮年の男だった。その額には十字を形どった額飾りをつけている。
 「天使、か?」
 アルバートは額にシワを寄せて呟いた。伝え聞いたウルバーンのことを思い出したのだろう。
 天使は上からの視線を彼らの投げかける。
 「アークスの王子か。我が刺客にそのまま殺されていれば、これから苦しみを味わうこともなかろうに」
 天使に銀の短剣が飛ぶ。それを天使は翼の一つで絡め取った。投げたのは肩で息をするソロンである。
 まるで意に帰さず、といった体である。
 「何者だ、お前」
 星剣を構えながらアルバートをは問う。
 「我は熾天使ラファエル。万能者リブラスルス様に仕える者」
 それに異を唱える者がいる。
 「かつての天界聖戦で散った四大天使の一人の名を名乗るとは、大それたものだ」
 魔術師イルハイムだ。
 「なに、そんな減らず口はここで叩き潰しちゃえばいいんだろう?」
 鞭を一発鳴らし、ネレイドが不敵な笑みを浮かべる。
 彼らを無視し、天使はアルバートに向かって続ける。
 「カーリは教祖として良い宿主であった。しかしそれが死した今、お前を新たな宿主にさせて頂こう。こんな小さな教団ではなく、国という大きな組織を束ねることができるお前を」
 「で、残った俺達はどうするんだ?」
 尋ねるソロン。ラファエルはそれに答える事なく、唐突に雷を放った。この大講堂全体に広がるほどの大雷である。
 だがそれは一瞬。
 雷はソロンが床に突き立てた大剣に取り込まれ、地面へと発散される。
 すぐにその隣にシリアが駆け寄った。
 「ソロン、傷は?」
 「フレイラースの癒しの精霊の召喚で傷は塞がったよ。心配かけたな」
 軽く頭を撫でられ、しかしシリアは憮然と彼の左胸を見る。
 そこには斜めに傷の入った銀色の胸鎧があるが、
 「いやぁ、日頃から鎧を磨いておいて良かったよ。おかげで魔力剣の刃が屈折してくれた。危険なカケだったが」
 「バカ! そんなカケしないでよ」
 心臓は貫かなくとも、肺は確実に持って行ったはずだ。
 「お前の呪いを解くには、お前自身を騙さないと解けないだろって…痛いって、叩くなよ」
 ソロンは言って、魔術師の瞳に浮かぶものを指で拭き取った。
 「さて、ラスボスとの対戦といこうや。アルバート、やるぜ!」
 大剣『獣殺し』を地面から抜いてソロンは叫ぶ。
 「気張れよ、ソロン!」
 アルバートが叫び返す。
 「私自身が表に出ることは禁じられておるが、仕方があるまい。私によって天に召されることを喜ぶが良い!」
 熾天使ラフェエルもそう叫び、翼を大きく開いた。戦闘開始だ!
 アルバート以下、七人は各々にまるで決められたかのように動く。
 ラファエルが左腕をかざすと、
 ゴォ!
 振動を伴って今までネレイドとイーグルのいた床が大きく抉り取られた。無論、すでに二人はそこにはいない。
 「猛き炎の精霊サラマンダーよ、かの者に汝の尾の一撃を!」
 フレイラースが試すように炎の精霊魔術で熾天使に炎の一撃を与える。
 が、その炎の嵐は彼を包むことすらなしに水を浴びたかのように消し飛んだ。
 「一人一人の魔力などたかが知れておるわ、信仰の力をこの手に納めた私に敵うとでも思ったか?」
 雷をソロンに駆け来るソロンに向かって放つラファエル。
 それを大剣で軌道を逸らし、壁面へと屈折させながらソロンは言う。
 「信仰半分、服従半分と言ったとこだろ。スパイラルのメンバーに予め服従の魔術を施して、使命という呪いの下地を作った、入信の儀と称してな」
 「その通り、しかしよもやシリアに対してかけた呪が解呪されるとは思わなかった。なかなか面白いことをする者達だ」
 「おしゃべりが多い奴だぜ!」
 叫ぶアルバートの剣がラファエルを襲う。しかし天使は最小の動きでそれをかわし、カウンターを仕掛けようとする。
 が、アルバートの連続した切返しには身をかわすことしかできない。
 「我が下僕たる霧よ!」
 背に生えた翼で中空で弓を構えるイーグルの叫びに応じて、熾天使に切り掛かるアルバートと、追撃を行うソロンを淡い霧が包みこんだ。
 「吸血鬼の霧か、笑止」
 五つに分身して見えるソロンとアルバートの虚像計十体に対してしかし、熾天使は静かに佇んだ。
 十の剣が一斉にラファエルに突き刺さる?!
 ガキッ
 堅い音を伴い、熾天使の周囲に張られた不可視の盾がその侵攻を難なく食い止める。
 痺れた腕を押さえながらアルバートとソロンの二人は改めて間合いを取った。
 「このレイトールでも弾くか!」
 「俺の獣殺しを弾くくらいだから当然だろう?」
 「そんななまくらと一緒にするなよ」
 「おいおい、キラキラした装飾品のそれと実用性を備えたこれと比べるなって」
 「なにを自分の獲物の自慢をしあってるのよ」
 「後にしなさい、後に!」
 二人の剣士にシリアとフレイラースがツッコミを入れる。
 「カーリよりも強い魔力障壁ってことか。厄介だな」
 呟くアルバートとラファエルの視線が合った。
 「あ、ヤベ」
 瞬間、狂気の天使の目が赤く光る!
 「グアッ!」
 アルバートは強力な力に弾かれた。その背後にはソロンがおり、二人まとめて十リールほど後ろへ軽々と吹き飛ばされた。
 「くっ、効いたぜ」
 「なんだよ、今の技は?!」
 床の上から立ち上がるアルバートとソロン。
 その間にも戦いは先に進んでいく。
 「光は闇より生じ、闇は光より生ずる! 全ての力はそして負の流れとならん」
 イルハイムが呪を紡ぐ。呪語に応じて黒い闇の幕が熾天使の頭上に現れた。
 「ほぅ、虚無の空間を呼び出せるのか。しかしその制御はできるのかな?」
 イルハイムに注目しながらラファエルは楽しげに彼を見つめる。
 彼の期待通り、黒い闇から灰色の空間が生まれ、それは天使を包み込んだ。
 「なかなかの魔術技術だ。シリアに次いで殺すには惜しい者だな」
 灰色の空間の中から熾天使の呟きが聞こえる。
 だが次の瞬間には灰色の中にヒビが入り、まるでガラスが割れるかのように空間は砕け散った。
 その中からは全く無傷のラファエルが現れる。本来であれば『何もない』概念空間の中でその身を無に帰すはずだったのだが。
 無傷であることを予測していたのか、魔術が晴れた瞬間を狙ってネレイドの鞭がラファエルの全身を拘束した。
 「四天滅殺! 地水火風の精霊達よ、力を均等に配分し全てを無に返せ」
 同時、フレイラースはありったけの魔力を込めた精霊魔術で不意打ちを食らわせる。
 雷を伴った小さな暗黒の波動が熾天使を打った。
 「グオッ!」
 熾天使が見せた苦痛の表情はやがて、イルハイムと原理は異なるが理屈は同じ4大精霊により生み出された虚無の空間に再び覆われた。
 追い討ちと言わんばかりに、イーグルの紡ぎ出す矢とシリアの魔力結界が完全に天使の動きを封じる。
 「どう?」
 「どうかしら?」
 シリアの問いにフレイラースは答えられない。
 「手ごたえがないわ」
 鞭を握るネレイドが告げて続ける。
 「あまり効いていないみたい、どうも奴の周囲に薄い空間隔絶の結界みたいなものが張られているみたいね」
 鞭の先の感覚から読み取るネレイド。
 「ならばその結界ごと叩き潰す」
 イルハイムは熾天使が包まれた虚無攻撃中の繭に向かって新たに呪を紡ぐ。
 「魔よ魔よ、人の根源に存在する混沌の力を食らい、破滅への道へと導くがいい!」
 「ちょっと、そんな大きな魔術を」
 呪語を理解するシリアはイルハイムの魔術の大きさを知って非難の言葉を挙げた。
 虚無より深い闇が地面から染み出すように浮かび上がり、灰色の空間の中に溶け込んでいく。
 虚無により閉鎖空間となったいる内部では、今頃純粋な「悪意」そのものの嵐が巻き起こっているはずである。
 魔族と同様に精神世界に比重を置く天使であれば、空間隔絶の防御があっても精神世界面から恐ろしいほどのダメージを受けるはずだ。
 「うおおぉぉぉ!」
 消え掛かっていた灰色の空間がはっきりとした実体を取り戻し、それは先程よりも激しく砕け散った!
 「今のは効いたぞ、この私に傷を負わせおって!」
 打って変わった怒りの表情で灰色の空間を引き千切ってラファエルが現れる。彼の六つの翼の内、半分の三つがまるでもぎ取られたかのように引き千切られていた。
 「気を抜くな、引き続き仕掛けろ!」
 イルハイムの叱咤に一同我に返る。
 「魔導の長きに渡っての研究を有した信仰心を持つこの私に、このような魔術が効くとはなっ!」
 忌々しげにラファエルは吐き捨て、右腕を振り上げる。
 すると彼に向かう全ての呪力が掻き消え、その衝撃はイルハイムを激しく打った。
 「ぐぁっ」
 血を吐きながら倒れ伏すイルハイム。
 「そんな、キャ!」
 ラファエルと視線の合ったフレイラースはその瞬間、何かに殴られたかのように背をのけ反らせそのまま床に倒れた。
 「この化け物め!」
 切り掛かるソロン。それに合わせるかのようにネレイドもまたイーグルの援護の下、接近戦を試みる。
 「我と契約を結びし炎の杖に宿る…」
 シリアの呪文が完成段階に入る、しかし。
 「がぁぁぁ!」
 「くっ」
 「きゃっ」
 「うっ」
 両腕を広げて叫ぶ熾天使から球状の衝撃波が全員を襲う!
 それぞれが避け切れず、それが収まる頃全員が床の上に倒れ伏せていた。
 「これが…教団全員の祈りの、信仰の力だと言うのか? 人の力とは集まればこんなに強いものなのか? 一体どうすれば」
 青い血を一筋口許に流して、ネレイドは一人起き上がった。


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