第七章 それぞれの道程

<Rune>
 日中の刺さる様な強い光を弱めてくれた天頂の日は、すっかりと西の水平線の向こうへと傾いている。
 右手にはまばらに背の低い木々の生える大地。左手には穏やかな遠浅の海原と白い砂浜。
 僕達三人はすっかり見慣れたこのほとんど変わらない風景を丸五日堪能しつつ、北へと進路を取っていた。
 いつしか遥か前方に見え始めた街は、ようやくその細部が見え始めてくる。
 ここはアークスの獣公国が一つ、鷹公国の西部だ。
 あと小一時間もすればたどり着けそうな広大な街は鷹公国首都であり、かつアークスにおいて最大の貿易港でもあるミエールの街。
 日の沈む前にミエールに何とかたどり着けそうだ。
 僕は半歩前を行く二人の背中をふと眺める。
 一人は僕と同年代の女性。ショートカットの金髪とどこか少年らしさを纏う端正な顔立ちを持つ。
 青い胸鎧に同色のマントを羽織り、腰には長剣を一振り差していた。武装を固める重戦士と対極にある、僕と同じ軽戦士である。
 彼女の名はアーパス・ブレッド。僕と同じ剣の師を戴く人魚族の女性であり、現在は水の守護者として僕と行動を共にしてくれている。
 その隣、変わったイントネーションで世間話に興じているのは、薄紫色のゆったりとした神官着を着こなす十代前半の女性である。
 澄んだ紫紺の瞳に、同色の腰まで流した長い髪。神官着の上から装着されたいぶし銀色の胸当ては龍の彫り物の意匠が施されている。おそらく美術品としても通用する代物だ。
 右手には柄の長さが二リールほどの斧槍が握られている。そんな彼女が纏う雰囲気は隣のアーパスよりも大人びいて見えた。
 メイセン・リーガル。光の神を信奉する者達が「聖山」として崇める龍の住まう山の巫女であり、青龍の一族だ。
 聖山は神なる知識の象徴とされる龍王が住まいし高山と伝え聞いているが、その所在は光の神の神官の中でも高位の者にしか伝えられていない。
 龍とは遥か太古、人間よりも高度な社会を築いたとされる先文明の生き残りと言われている。
 知識体系、考え方、命、生態構造全てが人間とは異なるが、高度な知的生命体であるとされる。いや、人間よりも遥かに高度なのかもしれない。
 絵本で読むような昔では、龍と人間が争ったり逆に盟約を交わしたりといった伝説が残されているが、近年では接触自体がほとんどない。
 原因としては龍の数が減少していることと、龍達が接触を拒んでいることが挙げられる。
 聖山はそんな龍達が人間との極度な関わりを絶つために光の神官達と約を交わした土地なのだとされる。
 そして龍王はその名の通り聖山に住まう龍達の王であり、光の神官達に知識を授けるのだそうだ。
 なお龍と竜は厳密に言えば異なる存在だ。例えるならば人と猿の違いが近いだろう。
 亜人族の一つに竜人があるが、竜が龍に進化する途中の一族だとか、そんな話だ。
 竜騎士の駆る翼竜は当然、龍とは異なる。
 ああ、クレアが龍王に会いに行ったのか、と想像する。そこでメイセンさんを遣わされたか、もしくは戦力として連れてきたのだろう。
 現在彼女は人の姿をしているが、本来は水を孕んだ恐怖の化身として知られる青龍だ。その実力は種族特性だけで充分に高いものだろう。
 そんな二人を連れて僕が向かうのは、ここからさらに北。
 アークス皇国を越えた北のリハーバー共和国。雪に閉ざされる大地と、さらに北に広がる氷の大地との間にあるとされる地の転移点だ。
 そこで地の力を解放後、氷の大地の果てにある過去のとある魔王が建立したと言われているベフィモス・ガーデンに向かうことになる。
 その為にはまず、大都市ミエールで馬か何かを調達して行軍を速めなくてはならない。
 また防寒具の購入は絶対だ。今現在が夏の日差しを受けているとはいえ、この先ではこの暑さに恋い焦がれることになるだろう。
 僕が馬三頭と防寒具三人分、その他三人分の消費財のリストと大まかな金額を脳裏で計算していると、立ち止まった二人に気付いて足と思考を止める。
 「どうし…」
 た、と問う前に気付く。
 右手前、まばらに木々が生えるその向こうから何者かが駆けてくる。
 そいつはこちらに気付いたようで巻き込むつもりだろう、まっすぐ走ってくる。その後ろに五、6頭の軍用犬を引き連れて。
 優秀な犬たちだ。無闇に吠えることなく、じわじわと男との距離と詰めている。
 駆けてきた男は半身を赤く染めていた。犬の牙だけの傷ではない、刀傷もあるようだ。
 「頼む!」
 身構える僕に、彼は掌に乗る程度の筒を押し付けて進路を反転。迫りくる犬たちに向かって駆けだした。
 「ちょ、おい!」
 「うおぉぉぉ!」
 自らを奮い立たせるための雄叫びを上げ、懐の短剣を抜いて犬達に飛び込む男。
 しかしその雄叫びは、飛びかかった犬の一匹に喉元を噛み砕かれることで消え去った。
 絶命した男を見下ろし、犬達は僕らに視線を移す。
 うち一頭が一歩足を踏み出した時だ。
 まるで夕立前に天が唸るような振動がメイセンから一瞬発せられたようだった。
 「「?!」」
 軍用犬達は一斉にその全てが後ろに飛び退いた。
 「ほぅ」
 感心するようなメイセンの溜息。龍の咆哮を聴いて逃げないとは、相当訓練されていると言えるだろう。
 その間にすでに僕の呪語魔術は完成していた。
 パタリパタリと軍用犬達はその場に倒れていく、僕の眠りの魔術だ。
 驚くほどによく効き、全頭が眠りについてしまった。おそらくメイセンの龍の咆哮で精神にヒビが入っていたのだろう。
 アーパスが伏した男の首筋に手をやって首を横に振る。
 「ダメだね、死んでる」
 「何を預かったんや?」
 メイセンは僕の手にある筒に目をやった。
 「一体何だろう?」
 「手紙かなんかじゃないのか?」
 アーパスは僕から筒を奪い取り、先端部を思いきり引っ張る。
 するとポン、と音を立てて先端部が取れた。筒の中身には羊皮紙が数枚入っている。
 「これは見なかった方が良いんだろうな」
 苦々しく呟くアーパスは僕に羊皮紙の束を押し付けた。
 僕は目を通しから、目頭に思わず指を当ててしまう。
 「同感だな」
 「何や、何が書いてあるん?」
 メイセンが僕の肩越しに書類を覗きこむ。しかし彼女には人間の文字が読めないのか、困った顔で僕に説明を求める視線を向け直した。
 「これはね、メイセン」
 道端に倒れた男の死体を苦々しく眺めながら、僕は手紙の中身――正確には鷹公国公主直々の指令書――を短くかいつまんで説明を始める。
 伝説となった英雄談と、あさましい人間の覇権争いを絡めて。


 海賊クローの物語はあまりにも有名だ。
 元来このアークスの西海岸は沖合いには、無数とも思われるほどに点在する小島を拠点としてフィリポス族という海洋民族が古より生計を立てている。
 海に住まう彼らは王を持たず、国を形成しない。これまでの歴史の中では常に森に住まう亜人の如く、支配に組みこまれることはない。
 海賊クローはこのフィリポス族から生まれた英雄の一族であるとされる。
 僕が知り合ったミース・クローはその一族。彼女が五代目のクロー]世を襲名したのは先日のことだ。
 さて、その中でも彼女の先祖である海賊クローと鷹公の王子・王女とが手に手を取り合った青の魔王討伐譚は、数ある英雄譚の中では群を抜いて高名である。
 およそ二百五十年前に発生した、海の魔物を支配下においた魔王『青』。
 その姿は一角鯨の如く巨大で、蛸を思わせるような巨大で大きな八本の腕を持ち、咆哮は天高く轟くのだ。
 穏やかなアークス西海岸を66日もの間、大嵐を身に纏って付近一帯を暴力で沈めた魔王『青』。
 そんな魔王に対して立ちあがるのは、海の覇者として声を上げたばかりの剛斧の使い手であり若き海賊頭であったブルース・クロー。
 彼は荒れくれ者の海賊達をまとめあげ、魔王に対抗した。
 対して海を司る鷹公国も黙ってはいない。
 当時の公主の三男であるフランツェは三叉の槍の使い手。
 さらに公主の長女ヒューロもまた、フランツェに負けず劣らずの槍の使い手だった。
 二人は抜群の戦闘力を誇る鷹公海軍を率いて魔王に立ち向かう。
 敵同士でもあった二つの勢力がこの時ばかりはお互い手を取り合うのは当然のことだった。
 三人の英雄は66隻の船を駆り、666匹の魔物に向い行く。
 戦いは熾烈を極めた。
 66刻の後に、とうとう魔王と相対したのは三隻の船。
 そのほとんどを犠牲にしながら、フランツェとクロー、ヒューロは魔王を一つの岩に封じこめる。
 そうして魔王『青』はその身を岩に変えられ、永遠に封じられることとなった。
 その時に出来た岩の名は『鬼岩』。
 海から突き出した高さ十リールの尖塔のような岩は、魔王『青』のなれの果てとして、そして海の守り神として海の民と鷹公国の国民の畏怖と尊敬の対象となっている。
 しかし戦いから三人の英雄は揃って戻って来なかった。
 戻ったのはクローと、そしてヒューロ。
 フランツェは66の魔物と魔王の一人娘を打ち倒し、全身に傷を負いながらも最後の一撃を魔王『青』の心臓へ。
 魔王の力を奪うのと引き換えに、その命を広大な海に散らせたのだった。
 公国民はフランツェの功績を称え、悲しんだ。そして彼に『海勇』の贈り名を与えている。
 そしてこの事件以来、海賊クローは鷹公国より一目置かれることとなったとされている。
 だがミースのお爺さんであるクロー[世ことクライザ・クローが現役を退き海賊達の制御ができなくなった頃、かつ公主が現王であるミシガンに変わった頃から、アークス西海域での治安は一気に悪化の一途をたどる。
 私奪船が横行し、魔獣が跋扈する。次第に交易も減り、公国の国力は低下する。
 すると海軍の力も弱まり、さらに治安が低下する、その繰り返し。
 その中でミースは己の血の使命に基づき、海域の南半分の治安と勢力をその手に収めたのは先日のことだ。
 同時に海域の北半分は新興の海賊であるエトラング・メルクランという男がまとめあげた。
 西海岸の北と南の、これから起こるであろう対立。
 その中で共倒れを狙いつつ一気に勢力挽回を図らんとする鷹公国海軍。
 と、言いたいところだが実際のところ、鷹公国は全く無視されていると言って良いだろう。
 実力・錬度ともに、現在のところ直接対立している実戦叩き上げの北側海賊達に、海軍は歯も立っていない状況だと聞き及んでいる。
 鷹公国民にしても海の治安を保てなかった海軍よりも二大勢力の海賊に期待してしまうのは無理もないことだ。
 そこで公主ミシガンが発したこの指令書。おそらく複数が製作され、その内の一つを死んだこの男が己の命を引き換えに盗み出したのだろう。
 中身はこうだ。
 『青を駆り、賊を討て』
 すなわち魔王『青』の封印を解き海賊を殲滅させろと、そういうことである。


 「ほな、この男は公主の海軍への指令書を盗み出して北か南の海賊に情報を持ち込もうと?」
 「だろうね。各地の海軍への指示書の一つだと思うし、海軍の上の方にも海賊に情報をリークしてるだろうから、海賊の方も公主の意思はいずれ伝わるとは思うけど」
 「ミースも大変だな、今度は伝説の魔王と対決か」
 「封印が解かれないことを祈るしかないんだけれど、来たね」
 僕らは改めて身構える。
 街道の向こうから立ちあがる土煙が近づいてくる。
 やがてその姿が捉えられる。騎兵隊、その数五騎だ。
 軍用犬を放った奴らと見て間違いないだろう。
 この辺は見晴らし良いので身を隠すことも難しい、対峙するしかないか。
 敵でないと説得できればいいのだが。
 そんな思惑は一瞬にして砕け散る。騎兵隊一行はこちらを視認するや否や、一斉に槍の切っ先をこちらに向けて突撃をかけてきた。
 細かく視認できる、鷹公国の重騎士だ。身に纏う揃いのフルプレートが、夕日を浴びて赤く鈍い光を照り返している。
 「問答無用、やねぇ」
 言葉はどこかのんびりしているが、瞳に鋭いものを走らせてメイセンはハルバードを構えなおした。
 「どうする?」
 アーパスもまた、腰の剣を抜き放つ。
 相手は正規軍、殺してしまっては僕達がお尋ね者だ。
 となれば。
 「アーパス、メイセン!」
 僕は手短にこう伝えた。
 「馬を奪う」
 僕は腰の魔剣イリナーゼを抜き放ち、体内の気力を刀身に集中。応じて仄かに光が宿る。
 「光波斬!」
 破壊を帯びた光の孤が、今まさに僕達三人に槍をつっかけんとする騎士達の手前の土をえぐった。
 「「「うわっぁぁ!!!」」」
 どしゃっと重い音が土煙の中から連続する。
 そんな中から飛び出た馬は4頭、背の上には主人はいない。今の衝撃で落馬したのだ。
 1頭はメイセンが飛び乗り、あっさりと手懐ける。
 僕もまた1頭に駆け寄り、飛び乗った。
 「うわっ」
 主人が違うことを認識した軍馬は僕を振り落とそうと跳ねまわる。
 これは乗れそうもない。
 と、メイセンが上手に馬を駆って僕の隣に並んだ。身を乗り出し、僕の乗った馬に何かをささやきかける。
 途端、馬はおとなしくなる。
 「何、やったの?」
 「おとなしくせんと食べるで、って言ったんよ」
 龍って馬語を話せるのか?
 残るアーパスを探すと同時、僕の後ろに飛び乗ってきた。
 「馬はうまく操れないだよ」
 背中にしがみついて、小声で言ってくる。
 そう言えばアーパスが馬に乗ってるところを見たことがない。乗れなかったのは意外だ。
 「ま、待て」
 そう告げた、唯一落馬せずに残っていた騎士はメイセンの斧槍の柄で叩かれ、他の4人と同様に落馬する。
 重たい鎧を着ての落馬は、それだけで大きなダメージだ。
 僕達二騎は倒れ伏した騎士達を飛び越え、先に見えるミエールの街目がけて全力で馬を駆ったのだった。


 「?!?!?」
 ふと目を覚ませばメイセンの寝顔が二セリールほど前にあった。
 慌てて逆へと寝返りをうてば、同じようにアーパスの寝顔がある。
 「むぅ」
 そんな寝言だか唸りだかを吐き出し、アーパスは僕の胸元に顔を埋めてきた。
 どこか落ち着く柔らかな彼女の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
 「っ!」
 今度は後ろから首筋に腕が回された。背後からメイセンが腕を絡めてきたのだ。
 何がどうなってる?!
 夕暮れにようやく見つけ出した古い宿。ベットが三つ並ぶ一室だが、僕の左二つは当然もぬけの殻だ。
 なんで僕のベットにこの二人が潜り込んできてるんだ??
 起こさないように抜け出そうとするが、前と後ろから半分しがみつかれた格好になっているために動きようがない。
 そもそもなぜこんなことになったのか、僕はここに至るまでを思い返した。


 ミエールの街は鷹公国の首都であることもあり、かなり広大だ。万が一、他国からの侵略を防ぐために設けられた壁がぐるりと囲んでいる。
 その為に街に入るには、船のみになるが西の港か、北と南、東に設けられた門から入るしかない。
 騎士から奪った軍馬でそのまま入る訳にもいかず、南門を外れた茂みの中で馬を放し、僕らは大きく迂回して東門から検問して入場した。
 おかげで街に入れたころにはすっかり日が暮れており、大都市のどこでも言えることだがこの時間からの宿探しには難儀した。
 ここミエールはアークス最大の貿易港であるだけあって、かなり大きな街だ。
 最近は海の治安も海賊がまとまりだしたことによって以前に比べ格段に良くなっていることもあり、活気も急速に戻ってきている。
 その影響あるのだろうどの宿も満室だった。
 結局、西の港門近くにある寂れたこの宿に空きを見つけてたどり着いたのは、深夜に入る手前だった。
 「疲れた」
 アーパスは部屋に入るなり、真ん中のベットに身を投げ出した。
 「しかし店の主人がおかしなこと言うてませんでした?」
 左端のベットに腰かけて、メイセンが首を捻る。
 「おかしなこと?」
 「なんや、出るとか出ないとか」
 思い出す。
 先程、冴えない顔をした宿の主人は一泊の料金を示したのだが、これがまた格安だった。
 丁度この部屋だけが空いていたとか言っていたが、料金を受け取るときに「出るのでお気をつけて」とかなんとか。
 気にせずに一階の酒場で晩飯を摂り、こうして部屋に入った訳だが。
 「幽霊でも出るんじゃないかな? そうでもないとこの時間に部屋が空いてるとかないし、妙に安かったし」
 その言葉でアーパスとメイセンの呼吸が一拍止まるのを感じ取れた。
 「出たら出たで祓えばいいわけだし。メイセンは神聖魔術使えるんだろう?」
 「え、えぇ、まぁ。ぇー」
 なんだか歯切れが悪い。
 「明日も早いし、もう寝よう。おやすみ」
 そう言って灯を落としたのだが、二人からは応えはなかった。
 だか歩き通しで疲れていたのだろう、僕はすぐに深い眠りについてしまったのだった。


 で、目が覚めればこれか。
 僕が眠ったあと、何かあったのだろう。天井の木の節目が顔に変化したとか、風に揺れる窓が人の声に聞こえたとか。
 アスカもそうだったが、亜人は幽霊系には弱いのだろうか?
 一方でクレアなんかは強制的に成仏させてしまう娘だし、シリアは捕まえて魔術の実験に使うような女性だ。二人には彼女たちを見習って欲しいものである。
 とは言え、この状況をどうするかだ。
 「ルーン」
 胸元からのアーパスの声に、思わず全身が凍りつく。
 しかししばらくそのままで、やや乱れた寝息だけが聞こえてくる。
 「寝言か」
 「ルーン」
 アーパスの寝言は僕の名だ。何の夢を見ているんだろう?
 「ずっと、ずっと見ていた。水の向こうからずっとずっと」
 僕の胸元の服を掴みながら小さな蚊の鳴くような声で言う。
 「アスカよりもずっと前から、見ていたんだから。お前が生まれてからずっと、アクラよりも真剣に」
 「水の守護者として?」
 思わずそんな彼女の寝言に尋ねてみる。
 「違うよ」
 答えが返ってきた。
 「違うんだ」
 もう一度同じ意味の言葉を呟いて、そして彼女の寝息は規則正しくなる。
 ほっとした。
 これは卑怯なことに違いない。何となく答えが分かっているから、そう思う。
 そしてほっとしてしまったのは、きっと彼女の気持ちに応えられないからだろうな、と思うのはやはり僕は高慢なんだろう。
 彼女の頭を軽く撫でつけながら、僕は小さく息を吐く。
 「む〜」
 今度は僕の首に腕を回したメイセンだ。
 思ったよりもふくよかな胸が僕の背に押し付けられる。
 「おばけ怖い」
 彼女の龍の腕に力がこもった。
 めき
 そんな音を身近に聞いて、僕は意識を失ったのだった。


 「まさか出るとは思わなかった」
 「怖かったでぇ」
 朝、宿を出て露店で朝食を摂りながら二人はあの部屋で起こった恐怖体験を僕に語って聞かせた。
 恐怖というか、完全に騒霊の手口である。ベットが揺れたとか、変な声が聞こえるとか、急に窓を叩かれたとか。
 部屋は三階だったので、確かに真夜中に窓を叩かれたら怖いだろうなぁとは思う。
 それでも気づかずに起きなかった僕は色々とダメかもしれない、主に危機感とか。
 朝、目を覚めると当然僕のベットには二人の姿はなかった。僕の首が微妙に角度で曲がって痛いことを除けば、昨夜の夜のことは夢である。
 そんな二人の話を聞き流しながら、僕は温めのミルク茶をすする。
 すでに日は東の空から顔を出し、眼前に広がる港では朝一で入ってきた漁帰りの漁船や、南もしくは北からの商船の荷物の積み下ろしで忙しい。
 それらが全てまっとうな船と言うわけではない。中には海賊につながる、もしくは海賊そのものの船が紛れているはずである。
 「アレ?」
 アーパスの指差す船に、僕は唖然。
 下がった帆には黒地に白い骸骨マーク。
 後部に立った旗にも同様のものが目立つ。
 そして船首にはやっぱり髑髏のホーンが付いている。あからさまに海賊船だ。
 「コテコテや」
 メイセンが僕の心を代弁。
 「どうする、ルーン?」
 アーパスは昨日僕が得た書簡のことを言っている。ミースと過ごした時間を考えれば、無視することもできないだろう。
 「乗組員の人に話してみようか」
 僕達は朝食を片付けてから船に近づく。近くに人はいない為、甲板へのはしごに足をかけた。
 その時である。
 背後にガシャンと重い音。振り返れば、
 「あ」
 アーパスの絶句。
 そこには四人の鷹公国騎士。そして頭上の甲板には一人の騎士の姿。
 しまった、この船、海賊寄せのオトリか?!
 仕掛ける奴も奴だが、引っかかる僕達も僕達だ。
 「貴様ら、昨日の!」
 騎士の内の一人が僕達を確認して声を荒げる。
 どうもこの五人、昨夜の騎士達のようだ。
 「動くな、武器を捨てて両手を挙げろ」
 小隊長格と思われる甲板上の騎士がはしごを下りて僕達に警告した。
 背後の騎士達は各々に弩を構えていつでも撃てる体勢だ。逃げられない。
 「さて海賊ども、長官から奪ったものを出してもらおうか?」
 小隊長格の目の前の騎士が言いながら僕に歩み寄る。
 長官っていうのは海軍の総責任者のことかもしれない。
 僕は周囲に視線をめぐらす。包囲網には隙がない。
 「仕方ないか」
 懐から筒を取り出す。小隊長の騎士はそれを奪い取る様に右腕を振り上げて。
 ギシィ!
 空間が軋んだ。
 「!?」
 「これは?」
 「あやや?」
 目に映るもの全てから色が消える。
 動くもののないモノトーンの世界に、僕達三人は色を残したまま存在していた。
 「結界だ」
 腕を振り上げたままで固まった騎士には目をくれず、僕は魔剣イリナーゼを抜き放つ。
 ”高位魔族の仕業よ、私も見たことない術式ね”
 剣魔の警告。
 僕達三人はお互い背を合わせる。動くものも色のあるものもこの世界には他にない。
 意識の和を周囲に展開させる。気を用いた察気術を限界まで引き上げるが。
 「クソッ」
 アーパスの舌打ちが僕を代弁する。この結界を施した本人の気配は全く掴めなかった。
 「なぁ、ともかく今のうちにここから逃げ出した方がええんとちゃう?」
 メイセンの言葉が終わるか終わらないかのうちだ。
 唐突に生まれた巨大な気配に僕とアーパスは一歩後ずさった。耳を澄ませていたところに大声をかけられたような、そんな感覚だ。
 気配は真正面。
 通行人と思っていた灰色の男が、こちらに向って歩いてくる。
 歳の頃は僕より上だろうか、二十代前半のやや褐色の肌を有した青年だ。
 黒い髪に白いチェニック、無彩色に見えるが彼の中に唯一色があった。
 血の様に赤い瞳だ。
 「魔族?!」
 身構える。
 ”いえ、違うわ。ハーフ、いえクォータ”
 イリナーゼの声が聞こえたのだろう、青年は器用に右の眉だけを上げてシニカルな笑みを浮かべた。
 「おや、遠い親戚がいるのかな?」
 敵意はないこをと示す様に両手を軽く振りながら、彼は僕達の前へとやってきた。
 「お前か、結界を張ったのは?」
 剣先を向けるアーパスに青年はおどけた表情を見せる。
 「助けてあげようって『人間』にそんな態度はないんじゃないかな?」
 「アーパス」
 しぶしぶ彼女は剣を鞘に戻す。おそらく彼はアーパスには向かない男だろうと直感。
 「君がこんな結界を張ってくれたのか?」
 僕もまた剣を戻して彼に問う。
 青年は視線で街への大通りへと僕達をいざなった。
 「海賊に用があるんだろう、君達は。 俺も海賊の端くれだからさ」
 無音の中を歩きながら、彼は後ろ向きに歩いて尋ねる。
 「ああ。北の海域を治めるエトラング・メルクランって男に渡したいものがある」
 ミースではなくエトラングの方を告げたのは、この海域はエトラングの影響下にあるからだ。
 そんな僕の言葉を聞くや否や、海賊を自称する男は爆笑。
 「なぁ、ルーン。コイツ、ヤバくないか?」
 「変わった方やなぁ」
 二人の意見に同感。
 「北の海域、か。海は一つだぜ、兄ちゃん」
 目に涙を溜めるほど笑いながら、しかし言葉に凛としたものを響かせて彼は僕の背をバシバシ叩く。
 彼はそのまま僕の脇を通り過ぎ、路端で露天商の売る飲み物の入った小さなボトルを四つ、掴み僕達にそれぞれ投げ渡した。
 代わりにアークス金貨を一枚、動かない店のオヤジの前に放り投げる。
 「海は一つと、ミースに教わらなかったのかぃ、ルーンさん?」
 ボトルに口をつけようとした手が止まる。
 男はボトルの中身を一気に飲み干し、ニカッと微笑んだ。コイツはミースを、僕を知っている。
 「もっとも、陸のモンが海のコトが分かるはずねぇか。でもアンタは人魚の匂いがするぜ、アーパスさん」
 アーパスはしかし、彼の言葉に動揺を見せることもなく同様にボトルの中身を飲み干していた。
 「北の海賊は魔法を駆使するって言ってたな。遠見の魔法さえ使えりゃ、なんてことはない。俺達も有名にはなるさ、ルーン」
 静かに言い放つアーパス。
 まぁ、ミースさんの下で光波斬をぽこぽことぶっ放してれば、それをやってるのは誰か?なんてのは調べるだろう。
 しかし僕が驚いたのはそんなことじゃないんだ、アーパス。
 僕達が暴れていたのはあくまでミースさんの名が広まる前の段階での仕事だ。それ以降に僕達は表だったことに手を貸していない。
 すなわち北の海賊――いや、メルクラン一派は北を制圧する以前にすでに南側を視野に入れて行動していたことになる。
 言っては悪いがこのことからメルクラン一派はミースのようにその日暮しに近い制圧ではなく、しっかりとした計画と下準備を重ねて制圧を行ってきたのだろう。
 僕とアーパスの名を知っている北の海賊、その事実だけでここまでのおそらく真実に近い予測を立てることが出来る。
 こんな奴らに勝てるか、ミースさん?
 「まぁ、良いさ」
 僕は言う。
 「君が海賊だと言うのなら、これをエトラング・メルクランに渡して欲しい。それとミースさんとは出来れば戦わない様にね」
 僕は彼に筒を手渡す。彼は僅かに瞳を大きく開き、そして当然というように中身を取り出した。
 「おい、勝手に見るんじゃ…」
 アーパスの言葉を彼は視線だけで詰まらせる。赤い瞳に黒い炎が燃えている、そう見えた。
 「おかしなことを企んでいるとは感じていたが、ご先祖さんを復活させようってか、馬鹿者どもがっ!」
 叫び、筒と中身の書類を地面に叩き付ける青年。
 途端、街が動き出す。全てに色が灯った。
 僕達と青年の間に人の波が生まれて二つに別ける。あっという間に路上に散らばった書類は人々によって踏み散らされた。
 彼の姿が人の間にチラリチラリと見え隠れする。
 「わざわざありがとよ」
 そんな彼の声がしっかりと耳に届く。
 「このエトラング・メルクラン、確かに受け取った。あとは任せろ」
 え?
 君が??
 思わず足が一歩、前に出る。
 僕の右肩をアーパスが軽く掴んで止めた。
 「海のことは海の者に任せる、そうだろう、ルーン」
 彼女は、そう耳元でささやく。
 人込みの間から、赤い瞳が見えた。
 「そうだぜ、海には海の流儀がある。ミースと戦うかどうかも、陸の者が口出しすることじゃねぇよ」
 エトラングを語る青年は続ける。
 「今回の『青』もな、陸の者に手を借りるまでもねぇよ。それにオレの人間側のご先祖は一度、やっこさんを倒してるんだ。子孫が負けるわけにゃイカンだろ」
 笑い飛ばすような、軽快なエトラングの声。
 え? ちょ、ちょっと待て、ご先祖? 孫??
 「オレは青の子孫であり、海勇フランツェを先祖に持つ――何より今の海の覇者エトラング・メルクランだ。まぁ、憶えておいてくれや」
 そうして現れた時と同じく唐突に彼の気配は消えた。
 北の海の、いやミースさんとその覇を二分する海の覇者の一人エトラング・メルクラン。
 嘘か誠か魔王『青』と、死んだはずの海勇フランツェの血族。一体それはどう言うことだ?
 「へぇ、有名人やったんやねぇ。サイン、もろといた方が良かったんちゃう?」
 場違いなメイセンのボケなんだろう、天然だな。
 「おぃ、ルーン」
 背中をアーパスに引っ張られる。
 「人の心配、してる暇はないぞ」
 彼女が指し示す方向には騎士達五名。彼らは周囲を見回している。
 「早くこの場を離れよう、アーパス,メイセン」
 「ああ」
 「はいな!」
 「「どこだ、どこに消えた?!」」
 怒号と鎧の響く音を背後に聞きながら、僕達三人はミエールの繁華街を駆け抜けて行った。

<Aska>
 天が高く感じる。頭上は青く、どこまでも青い空。
 そよ風が私の頬を撫でて行く。その身に含んだ香りを私に届けて。
 採れたての果物の香り。
 私の横を走り抜ける馬車の香り。
 行き交う人々の汗や香水の香り。
 それは生活の香り。
 私はゆっくりと目を開く。
 「すっごい街……!」
 感嘆の吐息が漏れる。
 今まで見た街の中で最も活気があると言っても過言ではない。
 行き交う人々、道沿いに並ぶ露店の数に、そこで売られる商品の種類に至っては途方もない種類だ。
 ここはこの大陸の中心地と呼ばれるアンハルト公国の唯一の都市であり首都であるロン。
 ありとあらゆる人々と物品が交錯する大陸のへそであり、大国間に囲まれた権力の緩衝地帯でもある。
 「ふぅん」
 そして私のいるここは、ちょっとした高台になっている街中の大通り。
 都市の中心には直径十キリールほどの湖があり、その中心にはアンハルト公国の壮大な城が構えている。
 これを中心としてこの都市は同心円状に広がっており、放射状に石畳で舗装された道路が規則正しく走っている。
 街もそのほとんどが石造りで、計った様に区画整備されていた。
 特徴的なのは他の国々に見られるような、街をぐるりと囲む城壁はないこと。
 いや、これは正しい表現ではないかもしれない。
 目に見えない城壁がある。それは経済という名の果てしなく高く、強大な壁だ。
 この国は軍を持たない。あるのは警察機構である公主の私軍だけ。
 何故か?
 北のアークス、東の清、西のザイル、南のササーン。
 ちっぽけなこの国は強大過ぎる国々によって囲まれていることを逆手に取り、微妙なバランスの上に成り立っている。
 どの国家にとっても、アンハルト公国に攻め入ることは他の三国を正面切って敵に回すこととなるのだ。
 そんな緩衝地帯に私達は入った。
 ここから南へ。私の中にある父の知識によるところの、炎の転移点であるファレイラ火山と呼ばれる活火山帯に向う為だ。
 「キレイな街ね」
 様々な文化が心地よく入り混じった、都市くらいの大きさしかない、小さいながらも活気のある国。
 私は街を飛び交う生き生きとした精霊達に目を細めて…。
 「アスカ! なにぼぅっとしてんの!」
 「アスカ殿、危ない!」
 「お姉ちゃん!!」
 人が感慨に耽る暇も与えてくれないのか。仲間達のそんな声に小さくため息一つ。
 「なぁ…に??」
 振り返ると同時、
 「とめてぇぇぇ!!」
 「はぐぁ!」
 自分のものとは思えないうめき声を挙げながら、私は泣き叫ぶ女性の操る暴れ馬に跳ねられて宙を舞ったのだった。

<Camera>
 時同じくアスカ達と同じ風の中、茶色の髪を揺らしながら苦い顔をした若い男が一人。
 ここは湖の中洲にそびえる城の中。
 男の名はケイン・アンハルト。このアンハルト公国の公主である。
 まだ三十にもならない若き当主だが、新たな魔導機をシステムごと公国に取り入れるなど大胆な技術革新により、その手腕は高く評価されている。
 そんな彼の目の前には宙に浮かぶ厚みのない大きなスクリーン。これも彼が商売を行う上で取り入れた技術の一つだ。
 スクリーン上でひっきりなしに映り行く各種数字やメッセージに眉をしかめているのである。
 「今日もいい天気ね、ケイン。調子はどう?」
 陽気な女性の声が部屋に生まれる。
 ケインはちらりとそちらを一瞥して、しかし再びスクリーンに見入った。
 「どうしたのかしら?」
 二十代後半の金色の髪が美しい女性だ。その容姿はザイル帝国に良く見られる民族ディアルである。
 タイトなスーツのような紫紺の服の襟には、公主の私軍である警察機構の士官であることを示す木の葉の銀糸が縫い込まれていた。
 鋭くも、柔らかさを伴った青い瞳でスクリーンを眺める彼女。
 次第にその表情に驚きの色が広がって行く。
 「どういうことよ、これ」
 「読んだ通りのことさ、センティナ」
 センティナ・ガーネッタ――ザイル帝国王族の外戚である彼女はかつて出奔した姫君である。
 出奔したとはいえ、その前からもその後からも彼女の品行公正な行いと礼節に乗っ取った立ち舞いはザイル帝国騎士のみならず、永遠の敵対国であるアークスですら尊敬の念を抱いている者は多い。
 現在彼女は先日行われたアークス南公国での屈辱を晴らす為にここアンハルトに身を置いていた。
 「読んだ通りって、ブラッド王子がそんなあっさりと死んだって訳?」
 スクリーンに流れるのはザイル帝国で起きたある戦の緊急速報。
 魔導による情報ネットの発達したこのアンハルトで近年あっという間に定着した技術だ。
 「そう。それも対抗であるガルダにじゃあない、全く見知らぬ勢力にね」
 呟くケインの声が僅かかすれているのは緊張のためか。
 ザイル帝国は先代国王の死去により、後継者争いが勃発した。
 血の粛清と呼ばれるこの争いはザイル帝国にとっては必然の事項であり、この争いによってより硬い支配体制を築けるのである。
 今回の血の粛清がおよそ三ヶ月ほど経過した現在、ザイル帝国首都イスファンの王城シンクロトロンの主は第五王子ガルダ・フラグマイヤーに決していた。
 そんな彼に真っ向から対抗する、唯一の王族は第一王子ブラッド・フラグマイヤー。ガルダより三つ年上の実の兄である。
 ブラッドはザイル帝国の南西に位置する魔の森と、そのさらに南にササーン王国に接するファレイラ活火山帯を背負ったタスタリア地方を本拠としていた。
 そんなブラッド王子は、鷲軍を率いるグラッセ将軍を指揮官としたアークス南公国との戦いを視察している際に血の粛清が勃発した為、たまたま首都を取ることが出来なかった不運の男でもある。
 彼はザイル帝国を支える四人の軍師の内三人と、その下に従う八人の将軍の内六人を従えている。このことからも彼の人望はガルダを抜いていたと言って良いだろう。
 しかし、である。
 帝国首脳部はブラッドに付き従ったが、その下である軍の中核・軍士級の大半がガルダに従ったのだ。
 このことは『強い者に従う』というザイル帝国に住まう人間の根底に流れる気質が、ガルダの個人戦闘力を純粋に認めた事に他ならない。
 これにより戦力比率はガルダが六に対してブラッドは二。他勢力である残り二はいち早く動いたガルダ勢によって駆逐されつつある。
 すでにガルダ王子はタスタリア地方に退いたブラッド王子率いる鷹軍に対して、自らに従ったレード虎軍将軍に二千の正規騎士を派遣し地方境界線上で対峙を続けている。
 その一方で鷹軍が行ってきたアークスへの威嚇としても一軍を国境線上に配備している周到さだ。
 また彼の下の唯一の軍師であるナーカス・リーを宰相に命じ、軍の一部を預けて経済封鎖を行うアンハルトに対して懐柔策を行っていた。
 一方で身内から不穏な動きを取られぬ様、各地に部隊を分散配備することとなる。
 ある程度ザイル国内の状況が落ち着き次第、ガルダ王子自らが先頭に立ってブラッド王子のこもる城塞都市ムガルのブレード城に総攻撃を仕掛けることになるだろう。
 アンハルト公ケインはブラッド王子にササーン王国経由で支援をしている。
 戦いはガルダに軍配が上がるであろうが、長引かせることによって経済封鎖を長期的に持続でき軍事力も疲弊、その間に今後のザイル=アンハルト間の取引条件などの交渉を有利に進めることが出来るはずだった。
 しかしそんな彼の思惑はあっさり崩れることになる。
 ブラッド王子とレード将軍が衝突する以前に、ブラッドの軍が堕ちたのである。
 南に対する砦的な役目も有していた防御の硬い城塞都市ムガルのブレード城と周辺の町を占拠したのは、南に広がる魔の森の勇。
 グラムバールという男だという。
 「誰、そのグランバザールって?」
 「グラムバールだ。私も聞いたこともない、情報は今集めているところだよ」
 ケインの頭の中ではブラッドの代わりにグラムバールと名乗る男が『使えるか?』の評価/調査に移っている。
 予定は彼にとって『そうであってほしい』ものであって依存するものではないが、これほどの予想外のファクターは初めてだった。
 「まぁ、どうとでもなる」
 アンハルト公ケインは小さく誰ともなく呟く。
 彼の横顔を見つめるセンティナは、そこに垣間見えた冷徹な気配に満足げに頷いたのだった。


 暴力王と彼は名を冠されていた。
 グラムバール――姓はない。
 そこかしこに血の跡の残るブレード城。質実剛健を基調とした城の王座にどっかりと腰を下ろしているのは身の丈二リールを越える上半身裸の男だ。
 年の頃は二十代前半であろうか。まるで鎧のような赤銅色の筋肉を惜しげもなく晒し、短いややカールのかかった黒い剛毛の下には青みがかった瞳がぎらぎらと輝くような眼光を放っていた。
 その彼の隣には四人の男女達が控える。
 赤黒い法衣を身に纏ったスキンヘッドの巨漢。
 くたびれた東方の衣装に身を包んだ隻腕・隻眼の中年剣士。
 薄い麻製の服の内から豊満な胸を強調した、狼の頭と灰色の毛皮を持つノール族の女性。
 剥げあがった頭にでっぷりとした腹を持つ、初老の男。
 その誰もが黒い雰囲気を身に纏っていた。善人では、ない。
 彼らの前には同じようなならず者に引っ立てられた男が一人。青白い顔をさらに青白くしている。
 知る者が見たのならば知るだろう。
 品の良いローブに身を包んだこの男は、ザイル帝国の四大軍師の一人であることを。
 「使えそうもないな、殺せ」
 王座に身を預けて軽い調子で言い放ったグラムバールの一声で、男は恐怖の表情を浮かべたままその首を床に落した。
 鮮血が床を濡らすが、赤く汚れた床は彼の血だけではなくすでに何人分かの血を吸っているようだ。
 「グラムよぉ、殺しちまって良いのか? ザイル相手にマジで喧嘩売るつもりかよ?」
 スキンヘッドの男が足元に転がってきた軍師であった男の首を蹴り上げながら呟く。
 巨漢の男はニヤリと微笑み、彼を一瞥。
 「破戒僧なんていう仇名が付いてるわりには弱気だな、チェルパン」
 「ダサいねぇ」
 「おいおい、リゼラ。お主はもっと女らしく思慮を持って行動した方が良いと拙僧は思うわけだが」
 ノールの女性にも笑われ、チェルパンは彼女に毒づくが軽くいなされるだけだった。
 そんな一同の前に次の捕虜が引き立てられてくる。
 「女、か?」
 チェルパンは一瞥。
 金髪、碧眼という典型的なディアル民族の少女は十代半ば。
 前の男の血だまりの中で、無理矢理膝まづかされながらも毅然とした敵意を目の前の男に、グラムバールに向けている。
 「こいつは誰だ?」
 面倒くさそうに声を放つ巨漢。
 「ブラッドの妻、第十四位王位継承者のリプリー殿ですな」
 グラムバールの傍らの初老の男がニタリと嫌らしい笑みを浮かべて彼の王に告げた。
 「リプリー、あのブラッドの妻というのは本当か?」
 グラムバールは城門に掲げてある、三十に差し掛かろうとしていたの男の首を思い浮かべながら少女に問うた。
 「わらわはザイル帝国国王ブラッドの妻、リプリー・ヘルンノイズ。早急に我が夫の遺体を丁重に葬り、己の犯した罪を償う為にここで自らの首を刎ねなさい!」
 恐れを心の端に追いやり、少女は叫ぶ様に訴える。
 しかしグラムバールはつまらないものを聞いたかのように、自らの耳をほじって再び問うた。
 「よく身内で結婚できるなー。それに歳の差も結構ないか?」
 「無礼な!」
 激昂するリプリー。
 グラムバールは彼女の言葉を聞くことなくその処遇を仲間に尋ねた。
 「どうする、コイツ?」
 ビクリとリプリーが大きく一つ、震える。
 「切っちまおう」
 隻腕の男が腰の刀に振れながら言う。
 「犯っちまおう」
 チェルパンが答えた。
 「売っちまおう」
 リゼラは嘲りの笑みをリプリーに向けて言う。
 「うむ、リゼラの案を採用して売っちまおう。ゼーレ、頼むぞ」
 「承知しました、グラムバール様」
 隣で控える初老の男が、兵士に押さえつけられたリプリーに近づく。
 彼女にあからさまな恐怖の色が映った。
 「わらわを売るとな?! 貴様、王家に泥を」
 彼女の言葉はそこで途切れる。
 ゼーレが彼女の長い髪を片手で掴んで部屋の隅へと投げたのだ。
 老人とは思えない力で彼女の体は優に三リールは飛び、控えていた商人風の男達に捕らえられる。
 「王家の女は高く売れますぞ、王よ」
 ゼーレの嬉しそうな笑みとは対称的に、両手両足を四人の男に捕捉されたリプリーからはとうとう悲鳴と泣き声が響く。が、すぐに声は遠く消えて行った。
 「戦後処理なんぞ面倒くせ〜な、そう思わないか、腐丸?」
 グラムバールは鼻をほじりながら隻腕の異国の剣士に尋ねる。
 剣士は答えることなく、面倒くさそうに欠伸を一つ。
 「だよな! よし、俺は止めた。あとはエメに任せよう」
 立ち上がるグラムバール。そんな彼にチェルパンとリゼラからは「やっぱりな」と苦笑が漏れる。
 同時、巨漢グラムバールの体がくの字に折れ曲がった。そしてその態勢のまま五リール向こうの壁に向かって真横に吹き飛ばされる。
 「エメ『様』だろうが、糞ガキが。あとテメエの職務を勝手に放棄すんじぇねぇよ」
 文字通り壁にめり込んだグラムバールに向かってそう怒声を放つのは、年端もいかない少女だ。
 5〜6歳だろう。クリーム色の腰までの髪を三つ編みに編んでいる。雪のように白い肌はシミ一つなく、手足の細さも年相応のものだ。
 可愛らしいその顔は将来美人になることが約束されている。
 そんな少女が小さな頬をぷくっと膨らませて、瓦礫の中から身を起こす巨漢に説教を垂れていた。
 「このババア、マジ蹴りしやがって」
 「ババアぁ??」
 「申し訳ございません、エメ様。ババアなんて言ってません、多分ババア様の耳が遠くてそう聞こえただけだと思います」
 「誰がババア様だ!」
 少女の目にも止まらぬ右の蹴りがグラムバールの顎にクリーンヒット。巨体が1リールほども浮き上がって彼は糸の切れた人形のように頽れた。
 禿頭をかきながらチェルパンが少女の前に出る。
 「あー、エメ様。頭は駄目ですよ、頭は。アホなグラムバールがさらにアホになります」
 「あちゃー、しばらく目を覚ましそうもないねぇ」
 リゼラが白目を剥いたグラムバールを突きながら言った。
 「困りましたね、公務がまだ結構残っているんですが」
 こちらはゼーレだ。
 「……」
 無言でエメを見つめる腐丸。
 全員に見詰められ、幼いエメは大きくため息。
 「分かった分かった、あとは私がやるから。そこのバカをさっさと医務室でもベットにでも連れていくがいいさ」
 幼い外見から大きく乖離した大人の表情で、エメは彼らを追い払うように右手を振る。
 禁忌収集家、呪いの大家、凶悪の具象物。
 これは大魔術師エメ・ラジアーナの二つ名である。
 種族は人間にもかかわらず、その歳は三百とも五百とも言われており、ササーン王国北部に広がる魔の森の奥底に住まうと噂される。
 時折、人里に降りては災厄をまき散らすこの魔術師はすでに天災扱いされていたが、ここ数十年は息をひそめており半ば存在は伝説化していた。
 一方で魔の森には様々な亜人や妖魔が暮らしており、常に拮抗した勢力上で暗黙の治安が保たれていた。
 そこに一石を投じたのが怪人グラムバールである。
 彼は大魔術師エメの館へ乗り込み、その命を奪ったとされる。しかしその話は半分が噂であり、半分が真実だ。
 グラムバールとその一味は森の諸種族を巻き込んで老いたエメを大乱闘の末に打ち倒すが、エメは用意してあった予備の複製体に転生。
 しかし複製体は魔力を扱えない欠陥品であり、かつ未成長であった。
 その隙を狙ってグラムバールは再度襲い掛かるが、新生エメは魔力が使えない代わりにその秀でた能力と才能の全てを肉体強化に振り分けており、再び魔の森全てを取り込んだ大乱闘に発展して最後に立っていたのがエメだったとか。
 真実はよく分かっていないが、これを機に魔の森はグラムバールによって統一されて今に至る。
 「ったく、地獄耳なババアだぜ」
 「アンタのタフさもそれに負けて劣らずだよ」
 あっさり復活したグラムバールにリゼラは呆れた目を向ける。
 「ま、計算通り逃げ切れた訳だし。街に何か食べに行くとしようぜ」
 「拙僧は肉を食いたい、肉だ」
 「……米」
 「アタイも肉だね」
 言いつつ、グラムバールを中心にチェルパン・リゼラ・腐丸の四人はブレード城を出て城下町ムガルへを足を運んだ。


 タスタリア地方は草原と荒野の混在する、ある程度肥沃な土地だ。
 その南部にはササーン王国との国境という位置付けとなるファレイラ火山帯が東西に伸びる。それを包みこむようにして亜人や妖魔の息づく未開の土地『魔の森』が太古より広がり、人族の侵入を阻んでいる。
 この魔の森に住む種族は北のシルバーン共和国の北方森林帯に住まう亜人達とはその性質は全く異なり、大抵が人間に対する敵意もしくは征服欲を有していた。
 これは北は亜人の割合が多いのに対し、南のこの地には妖魔の割合が多いことに起因していることと思われているが定かではない。
 ところで亜人と妖魔の違いであるが実は大きな差はない。人間の視点から友好的な種族を亜人、敵意ある種族を妖魔と呼んでいるに過ぎない。
 このことから例えば、北の大地では亜人と分類される朴訥なドワーフ族は、南のこの地では強力無比な怪力を振るう妖魔として目に映ることとなる。
 そんな生まれながらにして人間とは身体・魔力能力的に遥かに発達した彼らからの侵入を防ぐ為にザイル帝国建国当初に作られた砦たる街――それがここ城塞都市ムガルだ。
 人族の威厳を誇示するかのようなどっしりとした構えで威嚇するブレード城を中心としたムガルの街を今、妖魔達が闊歩していた。
 そこかしこに火の手が上がり、住まう人々の悲鳴が時折聞こえてくる。
 「良い感じに荒れてきたじゃねぇか」
 無人となった屋台の棚から林檎系の果物を一つ取って口に運びながら、グラムバールは街を見渡す。彼に従うはノール族の女性リゼラ、異国の隻腕剣士腐丸の二人。
 昨夜葬ったザイル帝国兵の死体に混じって、新しい市民の死体も転がっている。おそらくグラムバールの配下である妖魔の仕業であろう。
 不意に彼の前に気を失った人間の女性を肩に二人担いだ巨人が現れる。
 身の丈はグラムバールより大きい3リールほど。筋肉の塊のようなその男の顔には牙が覗いていた。人を食らう一族――オーガの戦士だ。
 彼はグラムバールに視線を向けて慌てて頭を垂れる。そして肩に担いだ女性の一人を差し出した。
 「あ〜、いらんいらん。まぁ、ほどほどにしておけよ」
 オーガの戦士は恥ずかしそうに毛のない頭を掻いて彼の前から立ち去った。
 「しっかしなぁ、さすがに視線が痛いな」
 グラムバールはオーガの背中を見送りながら、隣のノール族に苦笑する。
 「だったら殺しちゃえば良いじゃないの」
 「そうもいかんだろ」
 大通りから外れたグラムバールは隠れた無数とも思われる視線に気付いていた。
 それは家にじっと隠れて様子を伺うムガル市民の目だ。
 「やりたいことをやってきたアンタらしくないわね。アンタもそう思うでしょ、腐丸?」
 リゼラの問いかけに剣士は無表情。
 ただその意に賛同するかのように腰の刀の鞘をカチンと鳴らす。
 「そりゃ、ここら一帯をぶっ壊しちまえばスッキリするだろうな」
 グラムバールのその一言に、隠れていた周囲の視線にあからさまな恐怖が生まれる。
 「市民の一斉放棄が起きたらどうすんだ?」
 「そん時は皆殺しにしちまえば良いじゃない。簡単でしょ? 現に今だって『お情け』で生かしてやってるだけなんだから」
 「一応、王を名乗る以上はなぁ」
 苦笑いのグラムバール。彼は知っていた。リゼラのセリフは半ば本気であり、そして半ば演技であることを。
 噂の伝播は早い。
 ましてや、彼のおよそ人間離れした戦闘力は昨日直に見たムガル市民にとって忘れられない光景だったはずだ。
 この談笑が耳をそばだてているムガル市民に伝わるのは明白である。
 そこへ三人に向ってやってくる複数の人影が生まれた。
 「ん? ありゃあ?」
 グラムバールの前に現れたのは五人の亜人。
 「どうしたんだ? 雁首揃えて」
 微笑むグラムバールに五者五通りの笑みが帰ってくる。
 一人はシルク地の法衣を纏ったダークエルフ。見た目は男か女か分からない若者だが、齢三千は優に過ごしているダークエルフの長・レーベン。
 信じられないことにその隣で屈託のない笑みを浮かべているのは斧を担いだ、こちらも齢三千を過ごしているドワーフ族の長・ゴドラム。
 生まれながらにして宿敵たるエルフ族とドワーフ族が一堂に介する――それも長同士、すぐ隣にというのは信じられない光景ではある。
 そして猪の頭を持つオーク族の長・バオゥ。コブリンを率いるホブコブリンのゲオルグ王。
 最後にオーガ族の長・ダイダラ。
 この五人が魔の森での代表的な有力者達である。
 「王よ、北に新たなザイルの一軍が姿を現しております」
 頭を垂れ、臣下の礼を取って発言するのはレーベンだ。
 「まだ襲ってくる気配はないが、先手を取った方が良くねぇか、旦那?」
 「ジュンビハ、デキテイル」
 ゴドラムの言葉にダイダラが嬉しそうに戦意を露わにして畳み掛けた。
 「そうだな、ちょっと考えるわ。取り敢えず昨日の疲れもあるだろうから休んどけよ」
 五人は頷き、各々姿を消して行った。
 「ところでチェルパンの奴は何処行ったんだ?」
 グラムバールはスキンヘッドの破戒僧の姿がないことに首を傾げる。
 「アイツなら神官狩りに行ったよ」
 つまらないものを話すようにリゼラ。
 チェルパンの信じる神は自由と力の邪神テラーヌ。信者は少なく、危険な思想に染まった破壊系の偶像神だ。
 テラーヌは他の神を嫌う。信仰すらも束縛と考え、他の神の神官を殺すことによって神の信仰から解き放ち自由とすることを美徳と考える、ひたすら迷惑な神である。
 「今日、帰ってこないかもな」
 「あら、どうして?」
 「この街の主神である水の神の神官長はえらい美人なんだそうだ」
 「その人も可哀相にねぇ。あ、一つ呼び寄せる方法があるわ」
 リゼラはニタリと狼の笑みを浮かべて呟いた。
 「女よりも好きなものを餌にすれば良いのよ」
 その言葉に腐丸もまたリゼラと同じ笑みを思わず浮かべる。
 グラムバールは「しょ〜がねーなー」とぶつぶつ言いながらも城の外へと歩を進める。
 新たな戦いが始まろうとしている。

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