ムガルの街から北に五キリール。
 陣の敷かれた虎軍の司令官室で将軍レードは収集したばかりの情報に目を剥いていた。
 ブレード城には彼が『狩る』べきだった謀反人ブラッド第一王子の首が掲げられているというのだ。
 それだけならばより良い。戦を恐れたムガルの街の市民が一斉蜂起を起こしたものだと思えるからだ。しかし現状は全く異なっていた。
 『魔の森より様々な妖魔達を率いた大男が城を落した』
 報告書の内容は信じられないことである。
 魔の森の妖魔達は互いに敵対している。その妖魔達のしがらみすらも無視してまとめあげた大男。
 グラムバールと名乗るこの男は果たして人間であろうか?
 何よりも、ブラッドの率いていたのはアークスに対して前線で戦っていた鷲軍の第一級兵士を主体とした正規騎士ばかり。
 妖魔どもをまとめあげたと言っても、意思疎通もまともにできずプライドだけは高い妖魔達など烏合の衆のはずだ。
 いくらアークス南公国との戦闘で疲弊していたとは言え、訓練を積んだザイル帝国の正規騎士二千余りがこうもあっさりと負けるはずもない。
 それだけ妖魔の数が膨大だったのか、それとも。
 「本当に魔の森の妖魔を従えていると言うのか?」
 ならばとレードは考える。
 この大男を懐柔したならば、魔の森の妖魔を味方に付けることが出来るのではないか?
 それはアークスとの国境争いで泥沼化している北の戦線に活を入れる結果となるかもしれない。
 ”任務で失敗し、秘密裏に処刑された同僚の将軍グラッセのようにはなるまい”
 現在の正統ザイル帝国において唯一の将軍位となってしまったレードは、目の前のチャンスに信じもしない神に感謝した。
 だが慣れないことをしたその瞬間、彼は自らの冥福を神に祈ることとなる。
 「将軍! ムガルの街より敵勢力が出陣いたしました」
 緊迫した騎士の声がレードの耳に届く。
 ”味方に引き込むのは無理か”
 舌打ち一つ。
 「数は?」
 「およそ二千五百。うち一千がブラッド王子の率いていた鷲軍騎士の模様!」
 「なに?!」
 レードは眉をしかめる。一千という数はブラッドの手持ちだった兵士の半数だ。
 これはブラッドとグラムバールとの戦いが、攻城戦でありながら素晴らしいほどの短期決戦で終結したことを物語る。
 また敵勢力である亜人が残る千五百あまりということだが、この内の8割方がコブリンやオークといった人間よりも遥かに生命力の低い種である。ザイル正規騎士にとって雑魚でしかない。
 ”しかし”
 レードは考える。
 亜人は中には強敵もいるだろうが問題はグラムバール側に就いた正規騎士達だ。
 そもそも謀反人扱いされているとはいえ、王族に仕えていた騎士がどこの馬の骨とも分からない男に従うものだろうか?
 ザイル帝国民には流れる狩猟民族の血として『強い者に従う』というものがある。
 だがそれにも限度はあるはず。この点が彼には理解し難かった。そしてこの時良く考えておくべき事でもあったのだ。
 ”ともあれ”
 レードは短慮にも思考を中断し、部下に指示を下す。
 「戦闘準備! 騎馬隊を右翼と左翼に。歩兵隊を正面に配し、弓騎兵隊を後方へ配置せよ」
 前面で敵を受けとめ、弓で数を減らしつつ、左右から騎馬隊で囲むという典型的なザイル特有の陣だ。
 「相手が動くまでこちらは動くな、決してな」
 立ち上がるレード。
 この時彼はまだ、グラムバールを味方に引き入れる術を考えていた。


 ブラッド王子の遺産である一千余りのザイル騎士は右翼と左翼に騎馬隊を展開して正面に歩兵隊、やや後方に弓騎兵隊を配置するという、目の前のザイル虎軍と同じ陣形であった。
 しかしその数はおよそ半分。さらに士気の低さからも勝てる見込みは少ない。
 降ったザイル帝国騎士だけでは。
 そのさらに後方に展開した妖魔で構成された軍の中でザイルの将軍位と思しき3人の騎士達は、戦場を前にしているにも関わらず上半身をそのままさらけ出しているグラムバールの前で膝まづいている。
 「約束、確かに守っていただいているのですな?」
 頭を下げたままの騎士の一人の詰問に、大男は面倒くさそうに答える。
 「リプリーの命を守ってくれってやつだろ。分かってるっての」
 「証拠はございますか?」
 もう一人の騎士の問いに、グラムバールの眉がピクリと動く。
 「死んだ証拠ならすぐ作ってやるぞ。あの細い首を落せば済むことだからな」
 騎士達に緊張が走った。
 「ぐだぐだ言ってねぇで、さっさと出陣して来い。嬢ちゃんの命なら絶対安全だからよ」
 大男の言葉に3人の騎士達は敬礼一つ。自ら率いる軍団に戻って行く。
 その後ろ姿を見ながら暴力王の隣に立つ、スキンヘッドの大男がニヤリと微笑む。
 彼が杖代わりに手にしている、棘のようなイボのついた凶悪なメイスにはまだ暖かさを有した血が滴っている。
 「ひでぇ話だな、グラムよぉ。守るべき主が奴隷として売られちまってるって知ったら奴ら、どんな顔するか」
 「チェルパン、オレは嘘は付いてないぞ。小娘の『命』は守ってやった。よもやガルダとかいうザイルの新しい王も、自らの血族が市場に並んでるとは思いもしまい。というか、これ以上もないほど安全な場所じゃないか?」
 そんな暴力王にリゼラは含み笑い。
 「でも売られた先は安全かしらね?」
 「そんなんは知らんよ」
 あっさりとグラムバール。
 「まぁ、二度と表舞台には出てこれんだろうがな。金持ちには特殊な趣味持ってる奴が多いって聞くし」
 そこで興味を失った様にグラムバールは幕僚であるダークエルフのレーベンに視線を向ける。
 「それ以上にアイツらの顔はもう見ることはないだろう。レーベン、乱戦になってきたら頃合を見てお前達の炎でアイツらもろとも焼き払え」
 「承知」
 悪魔のような笑みを浮かべるレーベンに暴力王は満足げに頷いた。
 「野郎ども! その炎が突撃の合図だ、せいぜい楽しもうぜ!」
 「「応!!」」
 雄叫びともつかない、野生の叫びが響き渡った。


 レード将軍は混乱していた。
 同じ陣形で有無を言わさず戦いを挑んできた元同僚達に。
 それ故に敵味方区別の付きずらい今の状況に。
 何より、後方で全く動かない妖魔の軍団に対して。
 現在乱戦になりかけてはいるものの、数の差と疲労度などの点でレードの軍が圧倒的有利になっていた。
 レードは後方で妖魔の軍団を見る。
 動きはない。
 ”よし”
 「左翼右翼の騎馬隊に指示。完全に包囲し、謀反人達を殲滅せよ!」
 数は倍。彼の指示は風の様に伝えられ、数を減じつつある元ブラッド配下のザイル騎士達に追い討ちをかける様に囲み、その包囲網は収束して行く。
 その時だ!
 円形になりつつある戦場の、その中心で黒い炎の柱が吹き上がる!
 一本、二本、三本。
 次々と吹き上がり、瘴気を纏った暗黒の炎は敵味方関係なくザイルの騎士たちを焼いていった。
 その炎を契機としたように、妖魔の軍団が動き出す。
 正面にオーガ・ドワーフの混成軍。右翼にコブリン達、左翼にはオーク達。
 後方にはエルフやダークエルフといった魔術を操る妖魔達が続く。
 動きは速い。
 騎馬ほどではないが、人間の歩兵隊の倍以上の早さを有している。
 ”イカン!”
 レードは思わず叫びそうになる。
 現在自軍は、慌て逃げ惑う敵ザイル兵の影響もあって完全な乱戦状態だ。
 妖魔を率いる暴力王は『全て』のザイル兵を殺すつもりだろう。
 ブラッドの配下であった元ザイル騎士達が何故に暴力王の指示に従ったかは不明だ。
 しかしこれだけは言える。
 ”このままでは全滅だ”
 部隊を立て直すのはこの状況から時間が掛かる。
 有能である将軍レードの頭の中は冷静な一つの答えを導き出していた。
 ”今は部隊を立て直し、退くべきか”
 判断力の速さでは並みいる将軍たちの中でトップクラスだった彼がその意思を言葉として発しようとした、その時だ。
 襲い来る妖魔軍団の中から突出してザイル帝国軍を切り裂き先に進む一部隊を見た。
 正面のオーガやドワーフを遥か後方に置いて、飛び出している四人の姿だ。
 その内一人は身の丈二リールは越す、赤銅色の筋肉を鎧も付けずに露にした巨漢だ。
 その両手にはこちらも二リールを越す巨大で肉厚な大剣が握られている。
 後ろに従うは凶悪なメイスを手にしたスキンヘッドの大男。
 加えて東方伝来であろう『切る』ことを目的とした武器『刀』を振りかざす隻腕の異国の剣士。
 斧槍を頭上で振り回す、狩人の目をしたノール族の女性戦士。
 その四人の誰もに、狂喜の表情が浮かんでいた。
 レードは直感する。
 「暴力王グラムバール」
 そして彼は指示を下す。
 「全力で向かい来る敵勢力を叩け、突撃だ!」


 戦場を疾駆する四人。
 「来るぜ」
 体全体で気配を感じ、グラムバールはいち早く対処した。
 四人に向って飛び来るはザイル帝国名物の弓騎士による正確な弓矢による遠隔攻撃。
 そして電光などの下位呪語魔術の遠隔攻撃魔術だ。
 殺到するそれらに対し、グラムバールは鉄の塊である大剣を下段に。
 上段へと人間とは思えない怪力とスピードで振り上げた!
 ゴゥ!
 純粋な力。
 巨大な質量が空間を移動することによって生み出される、魔術でもなんでもない物理法則。
 巨大な鉄の塊の音速を超える移動は、衝撃波を生み出して迫り来る全ての敵意を粉々に粉砕した。
 一瞬、沈黙が訪れる戦場。
 一瞬の後に訪れるのは妖魔軍からの歓声と敵味方入り混じったザイル騎士達からのざわめき。
 その間を逃さずに四人は乱戦の中に突入した!
 四人は真っ直ぐに乱戦の中を突っ切って行く。ザイル帝国軍の虎軍騎士も鷲軍騎士も区別なく切り裂きながら前へ前へ。
 そうして道ができる。
 グラムバールの剣の一振りは、その空間に存在しているものを種類を問わず上下に切断。
 チェルパンの赤黒いメイスはまるで果物を割るかのように秒単位で対象を破壊して行く。
 腐丸は返り血一つも浴びずに血糊も付かない刀で屍の山を築き上げ、リゼラの斧槍は前を行く三人の攻撃から運良く漏れた騎士を刺し貫く。
 近寄れる者はいなかった。
 いや、まるで暴力の嵐に騎士たる者達は自ら道を進んで開け始める。
 「死ね!」
 騎士達の間から紫電がグラムバールに向って走り抜けた。
 騎士団に付き従う魔術師からの攻撃だ。
 紫電はグラムバールに突き進み、
 「ふん!」
 ぱし
 まるで蝿を払うかのように、軽く暴力王の右手で叩き落された。
 「そんなバカな!」
 叫ぶ魔術師の口に次の瞬間、グラムバールの大剣が突き刺さり、彼ごと地面に縫い付ける!
 投げたのだ。
 隙ができた、そう騎士達は思ったに違いない。
 丸腰になったグラムバールにここぞとばかり、引き腰だった騎士達は襲いかかる!
 グラムバールは不敵に笑う。
 「やっとまともに戦ってくれるかい?」
 振りかぶった右ストレートが、殺到する騎士の一人の兜に突き刺さる。
 グシィと金属とその中身の柔らかいものがひしゃげる音を立てて、幾人かの騎士を巻き込んで吹き飛んだ。
 人間業ではない。まるでオーガ族――いやそれ以上の怪力だ。
 間髪入れずに拳を繰り出すグラムバール。拳だけでなく蹴りも交え、あっという間に殺到した騎士達の数が減じた。
 「んだよ、かかって来いったら」
 愚痴るが全身暴力な大男に死ぬのを承知で近づけるほど、命を粗末にする者はいない。
 彼はしぶしぶ大剣を拾い、仲間達が彼を追いかけてくるのを待つ。
 すでに戦況は妖魔の軍がザイル軍を半分以上包囲し、本格的な乱戦を呈し始めていた。
 その真っ只中で彼は戦場から離れて行こうとする一団を発見する。
 「んだぁ、ありゃ?」
 「どうした、グラム?」
 追いついてきたチェルパン達三人に、戦線を離れつつある三百リール程先の騎上の騎士達を指差した。
 「んー、あれってこのザイル軍の指揮官じゃないのかしら?」
 将軍位を示す旗を担いだ小姓の姿を見つけてリゼラは目を細めて言った。
 「そうなのか?」
 その言葉にグラムバールは大剣を肩に。
 「どっちにしても、逃げ出すのはイカンよな」
 大剣を振り上げ、彼はまるで川面に石を投げるかのように二リールはあるそれを投じた。


 「何だ何だ、あの怪物は?!」
 馬上で冷や汗を流し、僅かな部下を伴って戦場を離脱するのは虎将軍レード。
 彼はこの時に初めて知った。それは彼の指揮官として育った人生を否定する事実だ。
 一番戦場で強いものは、戦略でも陣形でもない。強力な魔術でもないのだ。
 圧倒的な一人の暴力、純粋な破壊の力。
 それは戦を構成する全ての要因を根底から叩き潰し得る、最大の力だ。
 その暴力が味方ならば、これ以上もない戦意の高揚。
 敵ならば、死を予感する恐怖という名の戦意の喪失。
 理論的には間違ってはいない。
 だが、そんな存在などこの世にあるはずはないと彼は今まで思っていた。
 ありえない言葉の代名詞である、一騎当千という言葉すらあの暴力王には陳腐だ。
 真っ直ぐ向ってくる暴力。レードは初めて戦場に出た時以上の恐怖に包まれた。
 結果、乱戦を目の前に逃げ出したのである。指揮官としての責で処刑されても、彼にとってはそちらの方が恐ろしさの点ではまだマシだ。
 「ぎゃぁ!」
 「ぐわぁ!」
 「ぐあっぁぁ!!」
 背後で起こる悲鳴。徐々にそれが近づいてくる。
 思わず振り返るレード。
 彼が人生の最後に見たモノ。
 それは草刈り機のように人を切り取りつつ飛び来る、巨大な鉄の塊だった―――


 鮮血と伴に映像はそこで途切れる。
 薄暗いその部屋には二人の男女の姿がある。
 一人は黒い髪と黒い瞳、白い肌のディアルとニールラントの混血である若い男だ。
 彼の名はガルダ・フラグマイヤー。三ヶ月前までは第五王子であったが、つい先程ザイル帝国帝王の座を得た男だ。
 「惨敗、だな」
 感情の現れない声で呟くガルダ。
 パチンと指の鳴る音はもう一人の女性から。
 汚れ一つのない真っ白な翼と、白い仮面を付けた黒髪の美しい魔女。彼女の合図と伴に部屋に明かりが灯る。
 ここはザイル帝国首都イスファン――王城シンクロトロンの東端にたつ尖塔の最上階に位置する会議室である。
 映像を操っていたのは黒の魔女レイナ。彼女の監視の魔術は将軍レードにあらかじめ仕掛けられ、彼の目に映る映像をこの場へと転送し続けていた。
 「魔術が効かない、そんな人間が存在するのか?」
 椅子に身を預け、ガルダは年齢不祥の仮面の魔女に問う。
 彼女はほっそりとした人差し指を己の形の良い顎に当て、瞬考。
 「おりませんわ。ただ我々が用いている『魔術』というのは人の意志力を呪語という特定の振動数を用いて力へ変換する行為を差します。術者の意志力を遥かに越える意志力を持った者ならば、手で弾くという芸当は出来るかと」
 「ほぅ、お前は出来るか、レイナ?」
 「無理ですわね」
 「そうだよな」
 ガルダはその鋭い目を窓の外、遠くタスタリア地方へと向けた。
 「グラムバールか。戦いたくないタイプだ」
 「弱気ですね、貴方らしくもない」
 くすりと小さく微笑んでレイナはガルダを見つめる。
 言葉とは裏腹に黒騎士は瞳を輝かせていた。
 まるで新しいおもちゃを与えられた子供の様に。
 彼は振り返る。そしてレイナの仮面を見つめ、告げた。
 「今の俺には手駒が足りん」
 「私では貴方の力となれませんか?」
 楽しむ様にレイナは問う。ガルダは首を横に振った。
 「違う。お前やエルーン、ゼナは力ではあるが戦力にはならん。結局現在のところ『使える』のは唯一の軍師であるナーカスだけだ。それも有能というわけではない」
 「我が侭ですね」
 「我が侭の一つぐらい言っても良いだろう?」
 「その一つが大きすぎますわ」
 レイナは軽く身を翻し、黒いローブを揺らしてガルダの頬に右手を差し伸べた。
 ひんやりとしたレイナの指の感触が緩衝材となって、ガルダの中で思考をゆっくりとしかし確実にまとめあげて行く。
 「俺が納得する者はやはり俺自身で探さなくては駄目か」
 彼は苦笑い。ガルダはレイナの右手を優しく払い、軽く彼女の頭を撫でる。
 「私はエルーン殿のように頭を撫でられても嬉しくありませんわ」
 柄に合わず、やや拗ねた様に魔女は言う。
 「ではどうすると嬉しい?」
 「決まっていますでしょ?」
 仮面の下は微笑み、彼女は後ろへ二歩。
 「強い貴方を私に見せてくださいな。それだけが、この黒の魔女の喜び――」
 言葉を残し、彼女は背中の翼を軽く動かしたかと思うと虚空へと溶け込む様に消え去った。
 「強い俺、か。注文されなくともお安い御用だ」
 ガルダは呟き同じく一人、部屋を後にした。


 アークスの南公国こと龍公国は首都アンカム。
 そこから南に三十キリール下れば、南のザイル帝国からの防衛線たる城塞都市ガートルートが居を構えている。
 アンカムはガートルートのような無骨な城塞都市とは異なり、全体的に優雅で華やかな造りの都市だ。外壁はなく、なだらかな傾斜の少ない土地に都市が同心円状に広がっている。
 普段は平和そのものであるこの優雅な都市は現在、戦々恐々とした面持ちだった。
 都市のそこかしこに戦支度を始める龍公直下の騎士団、雇われ戦士や魔術師といった傭兵達の姿がある。
 彼らは都市の北側にそびえる、現在の龍公が腰を据える剛健優雅な城を中心として集っていた。
 現龍公は先日のザイル帝国侵攻によって前龍公ば亡くなった結果、若干四歳のゲラルドがその任に就いてはいる。
 当然、四歳の子供にその実力があろうはずもなく、権限は母親である元王妃リラと彼女の弟であるフラッツが握っていた。
 そしてその城の中では、全く似合わない全身鎧に身を包んだフラッツが神経質そうに口髭をいじりながら小さく震えている。
 近頃、街の周囲を脅かしている盗賊達。それらの排除というのが今回の挙兵の名目である。
 実際は異なる。
 先日、ガートルートに放っていた密偵からもたらされた情報によると、ガートルートにあった戦力は10分の1以下になっているはずだ。
 理由は二つ。一つは一部の元龍公軍をアンカムに引き上げたこと。国防を名目にだ。
 もう一つは、ガートルートの南にまで引いていたグラッセ将軍率いるザイル帝国鷲軍が、帝国内部の騒乱によりザイル帝国内の遥か南へ退避。
 入れ替わる様にして新生帝国軍の一軍がやってきて、二国間の国境付近にまで軍を下げたのだ。
 実質、今回のザイル帝国のアークス侵攻は失敗に終わったということになる。
 そしてガートルートに駐留していた残りの龍公軍と央国から派遣されていた騎士団の一部は国境付近の警備の任に就いてザイル帝国軍と睨み合いを続けるに至る。
 国境間の威圧である。
 これらの動きによってガートルートの現在の鎮守は、力を失っている現龍公ゲラルドの要請によりアークスの央国の騎士を中心に管理されている。
 その責任者とはアークス央国直下の騎士団長であるブレイド・ステイノバ。
 彼は先々代の龍公であり、央国の第二騎士団長であったエッジ・ステイノバの忘れ形見であった。すなわち龍公となり得る資格を持つのだ。
 リラとフラッツらにしてみればブレイド本人にその気はなくとも、世論はブレイドの働きを好意的に評価しているため気が気ではない。
 さらに最近の盗賊騒ぎで治安を回復できない現龍公の評価は、地に落ちてしまっている。
 そこで元王妃リラはブレイドを亡き者にしようと暗殺団を仕向けた。
 結果は失敗。
 しかし虎視眈々と機会を窺い、盗賊討伐の名目で私兵を募ってきた。
 そしてつい先日のことだ。お家騒動でごたごたしている国境付近のザイル帝国軍はその大部分の兵を本国へと引き上げたのである。
 城塞都市ガートルートはその性質上、最終の砦であって兵を置いておくものではない。兵を置くのは国境付近である前線だ。
 ブレイドは本来の守護の目的の為に大半の兵をザイル帝国侵攻以前のように国境近くに追加配備。
 もともと先日の戦で騎士や一般兵士を大幅に減らしていた所に、出来得る限りの国境付近への警備体制を取った為、現在のガートルートの守備力はかなり弱いはずだ。
 そこをフラッツが突く。盗賊狩りと称した大部隊によって。
 彼が集めたのは総勢二百。おそらく今のガートルートにまともに動ける戦闘員は五十はいないと彼らは算定していた。
 勝てる戦だ。
 ブレイドを亡き者にし、勝った後の処理はおそらく非難の的となることだろうが、その辺りはリラの手腕が光るはず。
 だが、フラッツは恐れていた。
 全てが彼ら以外が書いた筋書き通りに進んでいるように思えてならない。自分でも気づかないうちに見えない糸で操られているような気がしてならない。
 その誰かが彼の脳裏にぼんやりと映っている。
 今は亡き先代が三顧の礼を以って迎え入れたローティスという名の女だ。
 類稀な先読みの能力と、独自の情報網を持つ女性。彼女から時々漏れて見える野心はフラッツやリラと同類のものであることを記憶している。
 味方にいる間は何かと便利な存在だったが、おそらくそれが敵に回っているとなるとどこから刃が飛び出してきてもおかしくはない。
 彼女の出世欲を満たし得る存在が相手側にいるということだ。
 「だがもうすでにサイは振られている」
 もともと体力勝負ではなく知力勝負のフラッツは直接の戦いに参加するつもりは毛頭ないが、やはりその場に出るということは恐ろしい。
 彼は自分自身の頬を軽く叩いて喝を入れると、兵を率いて城を出る為に立ちあがった。
 なおこの日を境に、何故か討伐もされていないのに盗賊達の姿はすっかりと消え去ったという。


 ブレイド・ステイノバは南の地平線を眺めていた。
 太陽が右手に沈みゆく。
 城塞都市ガートルートの修復されたばかりの城壁の上。
 生暖かな強い風が彼の黒い髪を撫でて行く。
 背後に気配を感じて彼は振り返る。銀色の長い髪を同じく風に泳がせる若い女性がそこにいた。
 「なんだ、ローティスか」
 「なんだとは酷い言われようね。緊急の要件だというのに」
 「緊急にしては口調がのんびりしてるな、お前」
 指摘されてローティスは苦笑。
 「北のアンカムが動き出したわ」
 「ふむ」
 関心なさそうにブレイドは小さく頷く。視線を再び地平線の向こうへと向けた。
 暗紫色から黒へと変わり行く西の空、風はそこから吹いてくる。
 ローティスは今の主の横顔を見つめた。
 彼はすでに彼女の行なっていることを全て知っているが、彼女は教えたつもりはない。
 全ての状況を把握した上で自分なりの分析を行い、知ったと考えていいだろう。
 ”成長したわね”
 ローティスは心の中で主を誇りに思う。同時に惹かれている自分を意識する。
 「俺は決めたよ」
 「え?」
 突然の言葉に彼女は思わず声を漏らす。
 彼女に振り向くブレイドの瞳には、いつにも増して強い力が宿っていた。
 「何を、決めたの?」
 己の胸の音が強く聞こえ始めたローティスの問いに、彼は一通の手紙を手渡した。
 汚く無駄に大きな字が書かれた一枚の羊皮紙。羊皮紙も安いものではない。この内容ならば4分の1の大きさでも充分に内容は伝えられるだろうに。
 一読したローティスは首を傾げる。
 「これは?」
 「昔の親友からだよ、文面の通りさ。ザイルの南方に広がってる魔の森を〆たから、ザイルを征服するそうだ」
 「事実かどうかの確認はしないの?」
 「ザイルの本当のところの撤退は血の粛清のせいだけじゃない。そいつの影響もある」
 再び視線を南に戻してブレイド。
 文面は簡潔に、こう書かれていた。

  『 ブレイドへ
      魔の森を〆たから本格的にザイル帝国を盗る。
      お前はそっちで援護に回れ。
                    グラムバール 』


 「私の情報網にはまだ掛かってないわ」
 憮然とするローティスにブレイドは軽く笑う。
 「そうか。そのうちに引っかかるさ」
 「それで? 何を決めたのかしら?」
 「王になる」
 一陣の強い風がローティスの銀色の髪をかき乱した。
 「え?」
 風の音と聞き間違えようもないが、思わず問い返す軍師。
 「俺には大した力もない。そんな俺でも周りの状況を今よりも良くするためにやるべき時期があり、それは今だと思う」
 そう言って微笑むブレイドに、ローティスは無言。
 「そんなわけで頼むぜ」
 ぽん。
軽く彼女の肩を叩いて、ブレイドは城壁を後にする。
 成り行きの上でブレイドが王たる龍公に成らざるを得ない状況を作り出そうとしていた彼女の思惑は、良い方へと期待が裏切られて訳だが。
 風の中、ローティスは呆然と呟いた。
 「まったく。本気で好きになっちゃうかもしれないじゃないの」


 アークス皇国第一王位継承者であるアルバート・アークスは、中年の男と初老の男を前に唸っていた。
 中年の男とは宮廷魔術師団の団長ルース・アルナートであり、初老の男は軍事顧問のグレイム・イラである。
 三人の前に並べられているのは、山のような書類群だ。
 一枚一枚、それぞれ国内外で発生している問題について記された報告書であり、まさにそれが山積みである。
 「ちなみにウチの禿げオヤジは何やってんだ、こんなときに?」
 アルバートは愚痴る。禿げオヤジとはアークスの宰相であるパルテミス・アリのことだ。
 「彼には彼の仕事があるのだろう。先に始めようではないか」
 グレイムの言葉にアルバートは頷くしかない。
 軍事顧問である彼はアルバートにとっては剣の師でもあり、幼い頃に母を亡くして孤独だった彼の保護者を買って出た親代わりでもある。
 はっきり言ってアルバートにとっては苦手な存在だ。
 「分かったよ。じゃ、ルース。手近なところから」
 「はい。まずは西の鷹公国で発生している海賊騒動です」
 「鷹公に任せておけ」
 「その為の公主ですな」
 ルースは同じ意を吐く二人の剣士を前にあからさまに溜息を吐く。
 「あっさりとおっしゃいますね。まぁ、その通りではありますが」
 ルースは海賊問題について書かれた書類群を一つのファイルに挟んで傍らに。
 「西の海は昔からの大きな通商路じゃ、常にガタついておるわ」
 「アレだろ、英雄クローの孫娘だとかが出てきたりしてるんだろ。さながら群雄割拠状態だとか聞いてるぞ」
 グレイムの言葉にアルバートが引き継ぎ、そして続ける。
 「公国海軍も動きが怪しいって話を耳に挟んでな、確認も込めてちょっと腕っぷしの強い奴を行かせといた」
 「ふむ、あの者たちの動きは王子の手によるものでしたか。良くも悪くも状況に決着がつきそうですね」
 ルースは微笑み、次の議題に。
 「次は南の龍公領及びザイル帝国の侵略に対してです。現在の龍公は若干四歳のゲラルド、実際は母親である元王妃リラとその弟であるフラッツが実権を握っております」
 ルースはここで一息。
 「そしてザイル帝国からの最終防衛線である城塞都市ガートルート。ここには央国の第二騎士団が減衰した龍公軍の代わりに駐屯しておりますが、先の都市奪還の戦いとその後の国境警備のために大きく人員が欠乏しています」
 「それはザイル帝国においても同じことだろう? 奴らはさらに南で離反者を出しててんやわんやだと噂で聞いているぞ」
 アルバートは皮肉っぽく笑いながら言った。噂というが市井にはそんな話は出ておらず相当に早い情報だ。彼独自の情報網があることを暗に匂わせている。
 「我々もザイルも戦いどころではない状況ということだ」
 「その通りです。ですからザイルとの一時和平を提案しては如何かと」
 グレイムの言葉にルースは提案。
 「いや、無理だな」
 あっさり否定はアルバート。彼は続ける。
 「その際の条件で、もめるのは目に見えているだろう、ルース」
 アルバートの意見にこうグレイムが付け加える。
 「確かに。お互い牽制しあってあの国境は成り立っているようなもの。今のような状況はかつて何度もあったのだ。このような際には権勢のみで下手に口は出さぬ。暗黙の休戦というものじゃ」
 「ただし新たに派遣を握ったガルダとやらが何をしでかしてくるのか想像がつかねぇ。キツイかもしれねぇが、央国から騎士団を少しばかりガートルート南方に派遣しておいたほうが良いな。クラールとかシュールは熊公国から帰ってきてるんだろう?」
 ルースは頷くが。
 「ですが彼らにはしばし休息が必要です。怪我人も多いですからね」
 「仕方ねぇ、三と六は一旦休みだな。四はこの前にはっちゃけてくれたから、しばらくここにおいとかんと危ねぇしな。七は北に遠征中だから」
 「第一もしくは第五騎士団しかありませんね」
 「ハノバの第五は先日の第四騎士団との内乱のおかげで、人員補充と訓練が充分ではありませんな」
 困った顔のグレイム。
 「荒事はハノバが最適なんだがなぁ」
 こちらも困った顔のアルバートだ。思考の方向性はまるで親子のように似ている二人であるとルースはしみじみ思う。
 もちろん口には出さないが。
 二人の言う第五騎士団団長のハノバ・テイスターは傭兵上がりの隻眼の男だ。
 個人戦闘力に関しては化け物揃いの他の団長達よりも劣るが、統率力や瞬間的な決断力など団長として重要な要素をほぼ完璧に兼ね備えた歴戦の勇士だ。
 ここで断っておかねばなるまい。
 戦闘というものは対個人戦闘と対団体戦闘のそれがある。
 古代には往々にして前者の寄り集まりが、国同士の戦いであった。
 しかし人というものはコミュニケーションの取れる生物である。
 一人に対して二人で当たった方がより敵を確実に粉砕できるのは言うまでもない。
 故にここに戦術というものが発生するのだ。
 その戦術があっても、それを行使するには主導者の統率能力と場の見極めが重要であるのはもちろんのこと、当然それに伴う人徳も必要である。
 すなわち猛勇や技量だけでは団長にはなり得ない。
 しかしながら例えば第六騎士団の団長であるシュール・アクセはその猛勇の為に人徳はあるが個人戦闘に走りがちだ。
 この場合は副団長に戦闘を見極められる軍師が就く事になる。弓と軍略の天才として知られる彼女の副官ブラドがこれに当たることになる。
 しかしやはり団長自らが判断した方が戦闘はスムーズに行く。
 優れた主導者は何か一点でも目立つ必要は無く、逆に全ての基準を越えていなければならない。
 これがすなわち、後に伝わる名将というものであり、アークスにおいては案外目立ちはしないがハノバ・テイスターがこれに相当するのである。
 「では消去法で第一騎士団ということになりますね」
 「「うーむ」」
 思わず唸るアルバートにグレイム。
 第一騎士団はエノリア・アムアという学者出の騎士が務めている。
 三十代に差し掛かる、どこか若輩者の域を出ていない部分があり、また出自が出自だけに彼とその首脳部には戦闘力は皆無に近かった。
 すなわちシュールやクラールに相対する能力の持ち主なのである。
 「ま、それしかないわな。現地での実行役には新参のブレイドくんに頑張ってもらうしかない」
 「そうですな。第一騎士団は質は高くはないが三百近くの騎士がいるはず。頭数は問題無いはずじゃ。では次の課題に行ってみようか」
 流すような二人の言葉に、ルースはこの日何度目かの溜息。
 なお、ここで話し合われているのは決定事項ではない。後に軍略会議を通して決定されるのであるが、その草案である。
 しかしルースは分かっている。簡単に決めたようではあるがこの決断と判断以外に、適した案が無いことを。
 判断は早ければ早いほどその結果が大きく左右される。
 軍事顧問であり専門家であるグレイムはもちろんのこと、アルバートの決断の速さと選択の仕方には間違い無く指導者の血がルースには垣間見れた。
 ”もっとも、この方は王にはなろうとしないでしょうね”
 ルースは思う。
 そして、もしもその通りの判断をこの王子がしたとしたら、ルースは全力を以って彼の力になるつもりであった。
 閑話休題。
 「龍公国に関しては国内の問題もございます。実は第二騎士団の団長であるブレイド氏はステイノバの家の出。すなわち龍公になる資格があるのです」
 「それがどうした?」
 冷たく言い放つアルバートにルースは息を呑む。
 「王子、それがどうしたとは。おかしなことを申されるな」
 グレイムは怪訝な顔をした。ルースの言わんとしていることはすなわち、ブレイドと現龍公との間で戦いが起こり得ることを示唆している。
 「グレイム、お前も何を言っている?」
 心底呆れ顔でアルバートは続ける。
 「公領の侵害や離反に関しては我ら央国と他の公領は全力を以ってこれに当たる。しかしだ」
 アルバートはすっかり冷えてしまっている紅茶を一口啜る。
 「公領内での後継ぎ争いに他領および央国は一切の手出しは無用。これは昔からの暗黙の約定だ。それを央国が侵してどうするというのだ?」
 「しかし、のぅ?」
 グレイムは困った顔をルースに向ける。
 「それこそブレイドくんのこれからの動きに乞うご期待、ってところだろ」
 アルバートはこの件はこれで終わり、といった風に膝を両手で叩いた。
 グレイムとルースもまた、この件に関してはこれきりとする。
 「次は北の魔族に関してです」
 「あー、天使だったってやつだな」
 「はい」
 アルバートの言葉にルースは頷く。
 「これに関しては先日、私の手の者を派遣して詳しく調べさせました。魔道の事ですので詳細は省きますが、かの地は魔力の涌き出る井戸のようなところ。それを狙って精神体である天使がその地を奪おうとしているようです」
 「魔族でなく天使か。しかしやつらは一体どこから来たのか?」
 「どうも北の山脈のさらに先。絶対零度の氷原に建つ城から来ているようです」
 「城? なんだそれは?」
 「過去に発生した魔王の造りし居城、としか分かっておりません」
 「あー」
 ルースとグレイムの話を聞きながら、アルバートは不意に声を上げた。
 「そこ、前に行ったわ。なんか魔術で追い出されたが」
 グレイムは神妙な顔で王子たる男に向き直った。
 「世界各地を放浪していると思えば、そんなところまで何しに行っているのか」
 「夏は湿地帯となり虫だらけ、冬は油すら凍りかねない地ですよ。何をしているのだか」
 ルースもまた呆れた顔だ。
 「まぁ、結局なんだかよくわからなかったんだがな。その件はミアセイアの奴が調べ上げるだろうからそれ待ちだ」
 腕を組んで言うアルバート。
 「しっかりと調べてくれると思うぜ、なぁルース?」
 「そうですね、そこに期待するとしましょう。さて」
 ルースの声が一段、低くなる。
 「本題です。先日のウルバーン王子の反乱と、熊公国及びザイル帝国の侵略。これらは」
 「裏で糸を引いてる奴がいるってんだろ?」
 「それも身近な者ですな」
 アルバートは鼻で小さく笑った。
 「何だよ、この話するから禿げオヤジ呼ばなかったのかよ」
 すなわち宰相パルテミス・アリのことである。
 「北へ遠征中のリース様の元へも刺客が送り込まれたと、副長であるシャイロク氏より私へ極秘裏に連絡が入っております」
 ルースは言いながら一枚の念画を机に広げた。
 それは精密に描かれた、重なるようにして倒れている忍者達の姿だ。
 「忍者というものは流派によって独自性がありますので、この念画を王子の紹介で詳しい方に調べていただきました」
 アルバートは小さく頷く。
 彼はアークスの盗賊ギルド長であるイリッサに調査を依頼している。この件に加えて未来予知をして自殺してしまう多くの占い師達についてもだ。
 彼女のギルドの諜報力で分からないものは、誰がどんなことをしても決して分からないだろう。
 「この忍者はアークス北東部に居を構える一族。ただそれだけでは証拠を掴んだと言えません」
 「あのオヤジが尻尾を出すもんかよ。それより奴は何が狙いなんだ?」
 アルバートは腕を組んで唸った。
 グレイムに至っては首を傾げるばかりだ。
 「おそらくではございますが、今回の一連の騒動。王子がナセル氏に刺されたことも含め、命の危険にさらされていなかったのはシシリア様のみ」
 「ちょっと待て、ミアセイアはどうなんだよ」
 「私への報告ではシシリア様が狙われた時期と前後して、やはり刺客が現れたようですがあっさりと撃退しています」
 「じゃあシシリアが禿げオヤジに命じて俺達をってか?」
 己の首をかく仕草をするアルバート。
 「まさか」
 それに失笑するルース。
 「今回のウルバーン王子の反乱は、彼の副官であったセレス氏からシシリア様を通して告発があったのです」
 「それは信用を得るための演技とは?」
 こちらはグレイムだ。
 「むしろ『本気』で来られたら危なかった。いや、王の殺害は成功していたと思います」
 演技までする必要はないということだ。
 「では何故?」
 「禿げオヤジの独断だったりしてな」
 ボソリと呟いたアルバートの言葉が、実は正鵠を得ていたことに気付くのは先のことである。
 「分からぬことは分からぬまま進めるべきじゃな。今は分かることからやって行こう」
 「そうですね」
 グレイムにルースは頷く。
 「さて次は」
 こうして三人の会議はこの日、夜半にまで及んだのだった。

<Aska>
 私は寝返りを打つ。
 半ば夢の中で、ここがふかふかのベットの中だという感触ははっきりと分かる。
 このまま寝ていたいけれども、そろそろ目を覚ました方が良さそうだ。
 それ、1・2・3!
 そうしてぱっちり開いた私の視界に映るのは、巨大なトカゲのドアップだった。
 「うきゃぁぁぁ!!」
 「うおぉぉぉぉ?!?!」
 お互いに叫び合う。
 驚きの大きかったのはトカゲの方だったようだ。床にひっくり返っている。
 「えと」
 上半身を起こし、私は冷静に彼(?)を見た。
 トカゲの姿をした二速歩行の生物。リザードマンと呼ばれる種族だ。
 人間から見ると恐ろしげに見える彼らだが、外見に似合わない繊細な心を持った種族であると私の知識にはある。
 繊細というか、気が小さいだけかもしれないなぁ。
 「ええと、大丈夫?」
 私の問いかけに、リザードマンはおずおずと立ち上がった。セリフが逆の様な気がしないでもないけど。
 「気が付きましたデスか。早速皆さんにお知らせシタイところデスが、夕食を摂りに外出をしておりマシテ」
 かなり訛りのある言葉で答える彼(?)。
 「ここはどこ?」
 「アルマ運輸の従業員用の臨時寝室でございますデス」
 「君は誰?」
 「イーザ・ガランと申しますデス」
 「私はアスカ・ルシアーヌ。よろしくね、イーザさん」
 「よろしくデス」
 ニッコリと微笑んだのであろうが、私からするとかなり恐いイーザさんの笑顔だった。
 はて、ともあれアルマ運輸って何だろう?
 「アスカさんは数刻前にウチの従業員であるハルモニアさんの操る馬車に跳ねられたのでございますデス」
 言われてみれば薄い記憶の片隅に、女性の悲鳴のようなものが残っているのを思い出した。
 「至急手当を施しましたが、頭を打ってらしたので皆さん心配してましたデス」
 「心配していながら皆いないっていうのは、ちょっと疑問だけど」
 「腹が減っては看病は出来ぬと皆さん申されてましたデスヨ」
 あぁ、それはネレイドだろうなぁと溜息一つ。
 イーザさんの話をまとめると、私はこの会社で働くハルモニア。シーレという女性の馬車に跳ねられたそうだ。
 その場に居合わせた私の仲間達曰く『アスカがぼーっと天下の往来で突っ立ってるのがイケナイ』だそうで。
 そしてハルモニアさんは慌てて私を医者に連れていき『安静に』と言う医者の言葉に従ってここへ運び込んだ。
 だが私がいつまで経っても目を覚まさないので、派手な格好をした女ことネレイドの先導でイーザさん一人を残してみんな夕食に向ってしまったのだと言う。
 「ごめんなさい、イーザさん。留守番させちゃって」
 「いえ、僕は食事は三日に一回で済むので良いのデス」
 「ダイエット?」
 「違いますデスヨ。リザード族は代謝が低いのデス」
 少ないエネルギーで長く動ける、そういう種なのだそうだ。
 暇なこともあり私は彼(彼女?)に色々と尋ねた。
 このアルマ運輸は、社長でありハルモニアの幼馴染みでもあるオラクル・フラントと副社長のアラムス・リーバ、そしてイーザさんの四人で経営されている。
 主に魔道を駆使した『ネット』と呼ばれる技術で輸入輸出業を営んでいるのだそうだ。
 会社規模は小さいながらも扱い額は大きく、なんでも今流行りの『個人立脚企業』だそうだが。
 それがどんなことなのかは私にはよく分からない。ルーンなら分かるんだろうなぁ。
 そしてこのイーザさんは『ネット』上で取引された物資の実際の運搬全般を取り扱っているのだと言う。
 一方、私からは私たちは冒険者であること。これから南のファレイラ火山方面に向かうことを話した頃だ。
 唐突に扉が乱暴に開いた。
 「起きた、アスカ?」
 ネレイド登場、無駄に胸を強調しているのは確実に酔っている証だ。
 その右手にはおいしそうな香りのする両手サイズの包みが提げられている。
 「土産じゃ、オラァ!」
 「ぶっ!」
 手に下げたそれを私の顔面目がけて投げ寄越し、去って行った。
 扉の向こうには複数の人の気配。
 「あ〜、心配しなくて大丈夫大丈夫。呑も呑も♪」
 「でも」
 「アスカ殿は」
 「い〜から! ほっとけほっとけ、元気だし♪」
 遠ざかって行く気配。
 「仲、よろしいんデスネ」
 「殺したいくらいにね」
 私はそう言ってイーザさんに微笑みかける。
 なおみやげはイーグルが選んだのだろう、蒸し鶏と葉物野菜をパンで挟んで甘辛いソースで味付けしたものだった。
 味が良かったので良しとしてやることにした。

<Camera>
 ザイル帝国にはアークス皇国などの他国とは異なる騎士像がある。
 騎士というと『剣』という想像をしがちであり実際そうではあるのだが、ザイル帝国に関しては『剣』に加えて『弓』の技量においても比重が重くなる。
 これは元々この国の支配層であるディアル民族が遊牧民であることによるものと考えられている。
 ザイル帝国の騎士は『弓騎士』とも呼ばれ、馬上からの正確な射撃能力は太古より他国の恐れるものであった。
 一方で、アークス皇国の騎士は『剣』の他に『魔法』を重視していることから『魔法騎士』、清王朝に至っては『気』という剣術の果てに得られる奥義を騎士の常としていることから『侍』という別名を持ち、各国で力は拮抗している。
 そして昨今の噂ではザイルでは弓騎士の中から、特に力のみを重視し特選しされた集団があるという。
 主に暗殺者などが集う裏の世界で恐れられているそれは、ザイル王族直属の特殊任務を執り行う部隊との話だ。
 部隊の活動は主に深夜に繰り広げられ、去り行く夜明けには必ず一面の血の赤が広がっている。
 故にいつしか彼らのことはこう呼ばれるようになっていた。
 暁の暗殺団、と。


 銀色の長髪を月の明かりに輝かせ、その青年はある建物を見つめていた。
 赤レンガの目立つ建物郡。その光景はこの大陸に多々ある都市の中では群を抜いて発達している。
 この都市の名は当大陸の商業の中心地であるアンハルト公国首都だ。
 彼の見つめる先に1件の3階建ての赤レンガの建物である。入り口に掲げられた看板には『アルマ運輸』とあった。
 彼――ゼナ・フォクスターはその建物の2階窓から漏れる明かりに映った人影を睨む。
 いつもよりも人数が多いようだ、客か何かであろうか?
 「ゼナ様」
 闇から生まれた男女とも分からぬ背後の声に振り返ることも無く、ゼナは人影を見つめ続ける。
 「ゼナ様、私めに鏖殺の指示を」
 「自惚れるな、ブロート」
 静かな、まるで剃刀を首元に突き付けられるようなゼナの言葉に、闇から僅かに恐怖の色が生まれる。
 「お前達には分からんのか? あの『女』が無意識のうちに張っている精神結界が」
 精神結界―――所属する集団により呼び方は異なるが、これは魔法に属する結界ではなく本能に近い技である。
 自らの意識を体に留めるだけでなく、さらに拡張させて周囲にまで広げる。
 剣の達人ならば察気術と呼び、彼らのような生業のものが呼ぶのならば精神力を拡張させて自らの空間を広げる――すなわち精神結界と呼ぶのだ。
 「これまでにあの『女』の力により鏖殺されているのは我々の方が。それも3度も」
 ゼナの静かすぎる言葉に普段は決して感じえない怒気を察し、闇は沈黙する。
 「機を待つのだ。ハルモニア・シーレにオラクル・フラントの死に様を見せ、主様に屈服せざるを得ないほどの絶望を与える機会をな」
 「その機会とは?」
 「あの女は自身の力の存在をオラクルに必死に隠している。その齟齬を突けば良い」
 ゼナの瞳には感情は映らない。
 暁の暗殺団はただ、主の任を完遂するためにだけ存在するのだ。

<ASKA>
 朝、馬車に撥ねられた後遺症もなく、すっきりとした思考で目が覚めた。
 私の寝ていた寝室は3階。朝のさわやかな日差しを浴びながら、2階の広間に降りるとそこにそれはあった。
 「あー、たるいわー」
 げっそりした顔のネレイドが酒瓶の散らかる大テーブルに突っ伏していた。
 酒臭い。先ほど感じた朝のさわやかさを返せ。
 「えーっと」
 私は状況を再把握しようと努める。
 ここはアンハルト公国首都ロン。そこに事務所を構える卸問屋アルマ運輸のオフィス。
 昨日、私はここの従業員であるとおいうハルモニアさんの馬車に撥ねられてここに担ぎ込まれて。
 一方でネレイド達は息投合したようで一晩中宴会をしていたと。
 「なるほど」
 「何よ」
 吐きそうな顔のネレイド。
 「自業自得ってやつか」
 「殺すぞ、小娘がぁ! あたたっ」
 キレて、自らの声の大きさに頭を痛くするイタい女だった。
 なおこの部屋にいるのはネレイドだけのようだ。他の面々は、と。
 視線を泳がせたところで、対面の扉が開いて若い男女の姿が現れる。
 男の方は線が細い。長めの金色の髪を後ろで縛り、白い肌をしている。歳の頃はルーンと同じくらいだろう。
 女の方は薄く黒い色をした厚めの眼鏡をかけている。こげ茶色のウェーブのかかった肩まである髪が印象的な落ち着いた感じのする女性だった。
 そんな彼らがアスカの姿を捉えて声をかけてくる。
 「おはようございます、アスカさん。お怪我の方は?」
 「大丈夫ですか?」
 最初に女性の方、続けて男性の方だ。
 「ええ、すっかり問題なしです。ええと、あなた方は」
 私の言葉に女性の方が慌てて頭を下げる。
 「先日はごめんなさい! 私がハルモニア・シーレです」
 「僕はオラクル・フラント。昨日はうちの者が失礼いたしました」
 「いえいえ、大丈夫ですよー、ってかあれくらいのことで寝こんでたら、冒険者なんてやってられません」
 私は笑って答える。
 ほっと胸を撫で下ろすハルモニアさんに、苦笑いのオラクルさん。
 目の前の二人はなんだかとてもお似合いに見えるというか、二人揃っていて当たり前のものというかそんな印象で。
 純粋にとても羨ましく思えた。だからこんな質問が不意に口をついて出てしまう。
 「ところでお二人はご夫婦ですか?」
 「え、いえいえいえ、ち、違いますよっ!?」
 ぶんぶん首を横に振るハルモニアさん。
 「なんだ、違うのか」
 そんな言葉は私ではなく、隣のオラクルさんから。
 「え、ええ?!」
 目を白黒させる彼女にオラクルさんが何か言おうとした時だった。
 バキン!
 何かを落としたというか、ぶつかったというか、そんな衝撃音がすぐ外から聞こえた。
 私は慌てて窓に駆け寄って音の方向を見る。
 窓の真下、この建物の正面入り口だ。荷馬車の車軸が折れたようで、載せた商品が崩れかけている。
 それにイーザさんと中年のおじさんが慌てて駆け寄っていた。
 「あちゃー、あの荷台もずいぶん長いこと使ってたからなぁ。寿命か」
 同じように隣で下を一瞥したオラクルがそう呟き、駆け足で階下へと降りて行った。
 「オ、オラクル? ちょっと、さっきのはどういう、あれ?」
 肝心の彼がいなくなり、正気に戻るハルモニア。
 「でもずいぶん荷物を載せているんですね」
 私の素直な呟きに、彼女は先ほどの慌てぶりをごまかすようにこう答えた。
 「明日の昼に南のササーン王国へアラムスとイーザが旅立つんです。ここアルマ運輸のササーン支店を作りましてね」
 「へぇ、そうなんだ」
 感心する私。商売を知らない私でも、店舗を増やすということは半端ではない苦労があることくらいは分かる。
 「途中のフレイムレイの村まで護衛してくださるってネレイドさんがおっしゃってましたよ?」
 「へ、そうなの?」
 後ろのテーブルを振り返るが、泥酔者からの返事はない。
 私達の目指すファレイラ火山は、ここアンハルトからササーンへ向かう道すがら。
 南の山脈郡を縫うようにして伸びる街道に点在する町の内、ハルモニアさんが言ったフレイムレイの村から登頂するのだ。
 「じゃ、私たちも旅の準備をしないと」
 「イーグルさんとミーヤちゃんが朝から旅装の準備に町へ出てますわ」
 ハルモニアさんは笑って言った。
 「まぁ、準備は男連中にやらせておいて女の子は女の子同士、ゆっくりお茶でも如何かしら?」
 「はい」
 私は彼女のお誘いに喜んで付いて行く事にする。
 今日くらいは甘えさせてもらうとしましょうか。

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