若桜さんが再来
【買い替え?】
ほくほく顔の彼女は家に着くなり、苦い顔に変わって行った。
やがて彼女は買っておきつつも全く使用していなかったDVDディスクを押入れから漁り出したりと奇怪な行動に移ったりする。
「亮お兄ちゃん。こんな姉上の行動は一体何なんでしょう?」
ツインテールの少女は苦くて熱い緑茶をすすりながら彼に問う。
自分の分も煎れた彼は「ふむ」と一言呟くと、同様に一口すすってからこう問うた。
「乙音さんがほくほく顔で帰った時、何か変わったところなかった? 何か買ってきていたとか」
「んー、あ、なんか新しいノートパソコン買ったとか言って、アタシに見せびらかしていました」
「なるほどなるほど。でだ」
亮はまた一口、お茶をすするとさらにこう問う。
「苦い顔になっていくのは何をしながらだったかな?」
「そこが不思議なんだー」
彼女――雪音が首を傾げながらこう答える。
「新しいパソコン買ったとか言いながら、ずっと古いノートパソコンとにらめっこしてるの」
「なるほど、それはよく分かったよ、雪音ちゃん」
彼はお茶受けのせんべいをかじって、
「乙音さんはあまり整理整頓をやらない女性だ。俺はそう思うのだけれどどうかな」
「うん、お尻叩かないとやらないね」
「だろう。それが今回の不機嫌の原因だよ」
「?? どういうこと?」
「うん。乙音さんは今言ったような性格だから、きっと古いパソコンの中のデータが整理できていないんじゃないかな」
「あ」
「ダウンロードしてきたファイルを適当なフォルダに入れたり、放置したり、はたまた他のファイル倉庫と混ぜたりとかね」
「そっか、さらにファイル名だけ見ても実行とか開いてみたりしないと、何のファイルだか分からないってこともあるよね」
「多分目に見えていない分、整理整頓にかまけてて相当ごちゃごちゃにしていたんだろうな」
「なるほど、終わりが見えない整理整頓作業にイライラいてたってことかぁ」
「加えて、ファイル開いたり実行したりすると余計な時間かかるしね」
「すごいね、亮お兄ちゃん。よく姉上のイライラの原因が分かったねぇ」
「新しいパソコンを買ったっていうのがポイントかな」
と。
そこまで言ったところで玄関の扉が乱暴に開けられた。
どすどすと怒れる足音で亮の部屋に黙って上がってきたのは話の当人である乙音である。
「あ、えーっと」
壁が薄いので当然聞こえていたのだろう。困った顔の亮の前に、乙音が持参してきた湯呑みをごとりと置いた。
無言で急須の中身の残り全部を注ぐ彼。
まだ熱いそれを一気に飲み干した彼女は、大きくため息一つ。
苛立ちも全て一緒に吐き出してしまったのか、疲れた顔で一言こう言った。
「新しいノートパソコンなんて買わなきゃ良かったわ」
「「いやいや、問題点はそこ違う」」
思わずツッコミを入れる亮と雪音であった。
【4月なんたら】
慌てた顔で部屋に駆け込んできたのはお隣のお姉さんであるところの乙音さんだ。
「亮クン、大変、大変です」
「火星人でも地球侵略に来ましたか? それともゴジラが東京湾に現れて首都壊滅、大阪が新首都になったとか?」
淡々と対応するのは部屋の主である青年だ。その態度に彼女は憮然とした顔でこう返す。
「……なんですか、それ。まるで私がこれから嘘をつくようじゃないですか」
「ちなみに今日は4月の2日。エイプリルフールは昨日ですよ」
「え、うそっ?!」
「はい、うそです」
答え、彼は彼女が現れたときと同様に机の上のPCに向き直って仕事に戻る。
しばらく硬直していた彼女は「はっ!」と我に返ると彼をジロッと睨みつけ、
「もーーー! ばかーーーー!!」
叫び、部屋を駆け出していったのだった。
「何も泣くことないじゃないか。俺がまるで悪党だ」
開け放たれたままの玄関を見つめながら、亮は「嘘くらい聴いてあげれば良かったか?」と一瞬悩んだり、やっぱりどうでもよかったり??
【遅咲きの…】
「いやぁ、満開じゃて」
「さ、大家さん。もう一杯」
「やや、これはすまないねぇ、乙音さん」
舞い散る桜は、しだれ桜。
ぼたん雪のような一つ一つが八重の花から、はらりはらりと舞い落ちてくる。
その桜色を運ぶのは、暖かな春のそよ風。
透き通った青空から降り注ぐ日の光で暖まった空気を、ゆったりとそよいでくれる。
ここは街外れの公園。
普段は遊ぶ子供も少なく、避難所代わりにしか利用されないと思われがちだが、実はしだれ桜が数多く植わっているのが隠れた自慢だ。
その桜に囲まれて、ブルーシートを広げる一行がある。
その数8名――近所のアパート「猫寝荘」の住人達だ。
「すっかり桜は終わったと思ってたんですけどね」
「ソメイヨシノは散っちゃったけど、しだれ桜の、特に八重になってるのはちょっと遅いんだよ」
そんな言葉を交わすのは101の男性と102の女性である。
社会人成り立ての男性と、まるで少女のように見える女性はしかし共に立派な成人であり、手にした缶は「氷結レモンハイ」と書かれている。
「こうして落ちてくる花びらを見てると……」
目を細めて102の女性は言い、
「……気持ち悪くなってきた」
「呑みすぎだ」
101の男性は苦笑いを浮かべて彼女の手の中の缶を奪った。
「大丈夫ですか?」
心配そうに問うのは卯月である。
「僕のジュース、飲みます?」
「いや、むしろ水の方がいいだろう。ほら、飲んだ飲んだ」
「うー」
コップに注がれた水を無理矢理口に流し込まれて苦い顔をする伊藤。
「お姉ちゃん、アタシの作ったダシ巻き卵を食べれば酔いが収まるよっ!」
フラフラする102の女性に、ふんわりと焼きあがった卵焼きを差し出すのは雪音である。
「これ、雪音ちゃんが作ったのかい?」
やや驚いた顔で問うのは101の男性だ。
「うん、そうだよ。お兄ちゃんもどうぞ」
「あぁ、いただきます。2つ貰うね」
「うん!」
男性は一つを自分の口に、もぅ一つを膝の上の紙皿に置く。
と。
彼の上着の裾から小さな白い手が伸び、卵焼きを掴んで引っ込んでいく。
しばらくして「んー、美味美味」という小声が聞こえてきた。
「ニャー?」
唯一その声を捉えていたのはブルーシートの隅で丸まっていた大家さんの飼い猫。
猫は眠そうな目を一瞬開けてそう鳴いただけで、再び丸くなる。
一方で。
「今日のお酒は何かね、乙音さん」
「はい、亮クンが旅行のお土産で買ってきた山形のお酒です」
「霞城寿っていう、甘口のお酒だけどどうですかね」
「うむ、旨い。やや塩辛いものを食べたくなるのぅ」
「パックモノだけど、漬物買ってきてあるけど開けます?」
「ナイス買出し、ツッチー」
「……その呼び方はやめて下さい、若桜さん」
大家である老人と乙音、亮に土屋が一升瓶を囲んでペースも速く飛ばしている。
桜を見るか酒を呑むか、その後者寄りの4人が早速霞城寿を開けようとした頃だ。
「こんにちわ」
「お邪魔します」
「お呼ばれしました」
一組の双子と美少女がやってくる。柚木兄妹に此花さくらだ。
「いらっしゃい、みんな」
出迎える卯月はブルーシートの上に無造作に置かれた荷物を片付けて3人分のスペースを作る。
「どうぞ」
「ありがとう」
小さく一礼して卯月の隣に座るのは此花。
「あ…」
「どうしたの、歩?」
「な、なんでもないよ」
やや憮然とした顔で此花の隣に腰を下ろす歩と、そのまた隣に座る巧。
「では、みんな揃ったところで」
乙音が立ち上がり、一同を見渡す。
「みんな、飲み物は持った?」
「「はーい」」
「それでは、第3回猫寝荘お花見会を開催します。かんぱーい!」
「「乾杯!!」」
舞い散る桜の花の下。
酒と料理を囲んで、人々の陽気が振りまかれる。
陽気はやがて人を呼び、人はまた新たな陽気を発し。
夕方になる頃には、普段人のいない公園は猫寝荘の人々のみならず多くの花見客で賑わうこととなった。
そんな人々と、しだれ桜を見渡して此花は卯月に小さく礼を言う。
「ありがとう、総一郎さん」
「こちらこそ、こんな穴場を教えてくれてありがとう。すっかり桜が散ってから花見なんて言い出すからどうしようかと思ってたんだ」
すっかり酒が回って半分寝ている隣人達を眺めながら、卯月は小さく首を傾げる。
「でもどうして君がお礼を言うんだい?」
彼女は上を見上げる。
視線の先の桜は、花見を始めた頃よりもどこか綺麗に見えた気がする。
「おかげで見られることが少ないここの眷属達が、こうして多くの人達に見られることができたわ」
「それが何か良いことでもあるの??」
「花はね」
此花は言葉を区切り、小さく笑ってこう言った。
「見られてこそ、綺麗になれるのよ」
「なーに、2人でこそこそやってるのよ。そんなに見詰め合っちゃってー」
不意に割り込んできたのは歩だ。顔が真っ赤に染まり、足元がおぼつかない。
「……歩、もしかして呑んだの?」
「学生が飲むわけ、ないでしょー」
呂律が回らない彼女の後ろでは、空いた歩のコップにジュースと焼酎を同時に流し込む雪音の姿が。
彼女は卯月の視線に気付くと、ビシッとサムアップ。
「だいたいねぇ……はぅ」
歩が一歩踏み出すと同時、糸が切れた人形のように卯月にもたれかかってくる。
「ちょ、歩??」
寝息を立て始める彼女を抱いて、卯月は兄である巧の姿を探す。
彼は普段無口な土屋となにやら熱心に話し込んでいてこちらに気付く様子もない。
「まったく」
ため息一つ。彼は腰を下ろして歩に膝枕をして横たえた。
ちゃりーん♪
そんな音とともに見上げると、微笑を浮かべた此花が携帯のカメラのシャッターと押したようだ。
「?? どうしたの?」
「んー、歩ちゃん膝枕をされるの図ってことで、後で送ってあげようかと」
「さいですか」
再度ため息を吐いた彼は、自分のコップの中身を一気に飲み干した。
それが雪音によって調合されたものとは知らずに………。
日は沈み、夜気は若干の涼しさを孕んでくるが、人々の宴はまだまだ続くようだった。
それを桜はただ、静かに見下ろしている。
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